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五
しおりを挟む横浜の実家に着いたころには空が黒くなりはじめていた。
見慣れた近くの小学校では、まだ宵闇のなかでボールを蹴っている少年たちがいる。なかには女の子もいる。夕子もほんの四、五年前まではあそこで男子にまじって無邪気にボールを追いかけていたのだ。彼方にかすかにのこるオレンジ色の淡いきらめきに見慣れた世界が果てしなく遠く見えた。
下町の風情をのこすその辺りは古い小さな家が並んでおり、アパートや団地も見える。そんないたって庶民的な通りのなかに、夕子の実家はあった。
「サンキュー」
家が見えるところでバイクを止めてもらうと、夕子はポケットをまさぐり、あるだけの千円札を取りだした。
「ちょっとだけど、ガソリン代と運転代。あと、ファミレスでもおごってもらったし」
「千円だけもらっとく」
いらねえよ、と言わないところがある意味佐藤の潔いところだ。年長者なのだが、会った最初の日からまるで同い歳のような付き合いをしきてきた。あくまでも友人としてだが。
「またな」
「バイ」
アルバイトが終わったときのように何気ない挨拶をかわして別れ、夕子はそのまま我が家へと向かった。
小さな家だが、ささやかながら庭もあり、やや遅咲きの紫陽花が近くの電灯に照らされてぼんやりと提灯のように薄闇に淡く紫色に輝いている。
夕子はそっと引き戸を開けた。声をかけるのはためらわれる。内心で、ただいま、と呟き玄関をあがったまさに
その瞬間、台所から出てきた母といきなり直面した。
「夕子、あんた、本当に逃げてきたの?」
母は夕子を見るなり叫ぶように言った。すでに連絡が入っていたようだ。
「うん。だって、無理だよ、あんな学校」
あの学院の異常性を説明すれば母もあきらめると思ったが、母は夕子の話を聞くどころではない。
「まぁ、どうしょう! 困ったわ。お父さん、夕子が帰ってきてしまったわよ」
父は二階にいたようで、階上から「なにぃ」という叫び声がきこえた。弟の姿が見えないのは、塾にでも行っているらしい。
どたどたと階段を下りてきた父は、夕子を見て気色ばんだ。運動するわけでもないのに、家ではたいていジャージのズボンを穿いている父は、いかにも下町の親父である。
「学校から電話がかかってきて、まさかとは思ったが……、困るぞ、なんで帰ってきた?」
「だって……」
「すぐ戻んなさい」
母が横から口をはさむ。
「だって……、無理だって。あんな所、とてもあたしに無理! 見てよ、このダサイ制服」
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