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夜会に鳴く深紅の鳥
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あの日失った物は、決して一つだけではなかった。
友を失い、臨月の子を失い、その後遺症で二度と子をもうけることのできぬ体になり……。
ディアスとの未来は、当然のことながら無くなった。
亡きファラマファタの意向通り、放浪癖のひどかった医師グラフィアネ・テリゼアシダ・シマニの手引きをうけて逃亡し――彼女の下で暮らすうち、アンジャハティは自然と医学を学んだ。
暗殺が未遂に終わったことは時を置かずして広まり、事実上「失踪」になった娘を父である宰相は勘当。
さらに皇家トスカルナ籍からの除名を受けて、結果的には皇籍の剥奪まで行なわれた。
―――あの悪夢のような、けれど忘れることはできない日々から八年。
アンジャハティは再び目にすることになった、赤い城を振り仰ぐ。
「戻ってくるなんて」
駱駝を引きながら渋い顔でつぶやくと、後ろを歩いていた人物に背中をピシリとはたかれる。
「しゃんとしな。老体に旅も応えてきたものでなぁ」
御年七十歳――平均寿命をはるかに超える年齢で、グラフィアネは背筋を伸ばして立っている。元は栗色だっただろう髪の毛はすっかり白くなっていたし、陽射しを浴び続ける旅暮らしのせいで、浅くはない皺が身体中に刻まれているけれど。その曲がらない精神が、何度となくアンジャハティを助けていた。
「放浪はやめじゃ、わしは腰を落ち着けるぞアンジャハティ」
気まぐれな旅暮らし、またどうして帝都なぞに用があるのかと思っていたら。
アンジャハティは驚きも隠さず、グラフィアネの眼差しを見つめた。
「グラフィアネ、私は追われている身よ」
「いいや、トスカルナの邸宅にもどんな。全部わかるだろう」
含んだ顔でそう言うと、グラフィアネはアンジャハティの手から駱駝の手綱を取り上げる。そうして野犬でも追い払うようにシッシと、手をひらひらさせたのだった。
「……長かったな。わしにはほんの数年じゃったが、お前には長かったろ」
トスカルナ家の邸宅には、父も兄も居なかった。ひとり残された母から語られる五年間を聞いても、アンジャハティはすでに流す涙を持ち合わせなかった。
アエドゲヌ帝は半年前に死に、ようやく折れた元老たちの手でディアスは解放されたそうだ。時を同じくして父である宰相も亡くなり……どこをどう画策したのやら、その後釜にはちゃっかりと兄ウズルダンが就いたという。
「そうですか」
何もかも変わり、いや…変えようとしたのだろう。彼らは。
「あなたはもう、逃げも隠れもする必要がなくなったのですよ」
客が待っているからと、母に案内されたトスカルナの庭で、彼の姿を見つける。
「お帰り」
地位を取り戻し玉座に身を置いたディアスからは、昔の面影など驚くほど消え去っていた。
鋭い顔は崩されることが決してなくなり、どこか猛獣じみた印象に変わって。優しげな顔は、どこへいってしまったのだろう。
まるで「闇」そのものを体現してしまったかのような新皇帝は、およそ狂っているようには見えなかった。
「皇籍に戻れるよう手筈は整えてある。おまえがどうしたいかによるが」
ディアスは鋭い眼差しを、こちらに向けることはしなかった。自らの変貌を詫びるように目線を下げて、アンジャハティに背中を向ける。
「陛下―――私は軍医になります」
彼の背中へ向けて言った言葉は、〝さよなら〟に聞こえただろうか。
寄り添い、ひからびた傷痕を舐めあうような関係になろうなんて……きっと彼なら思わない。
ディアスは静かに頷くと、こちらを振り返ることはないまま…トスカルナ邸から去っていった。
そうして、もはや帝都で何もすることがなかったアンジャハティは、大佐となったワルダヤ・ハサリの後見を受け軍に上がり、軍医となる。
燃えるような紅蓮の髪を短く刈り上げて、化粧気もなく軍服に身を纏わせる彼女を―――人々がトスカルナでもアンジャハティでもなく「アン少尉」と呼ぶようになったのは、時を置かずしてすぐのことだった。
《夜会に鳴く深紅の鳥・完》
友を失い、臨月の子を失い、その後遺症で二度と子をもうけることのできぬ体になり……。
ディアスとの未来は、当然のことながら無くなった。
亡きファラマファタの意向通り、放浪癖のひどかった医師グラフィアネ・テリゼアシダ・シマニの手引きをうけて逃亡し――彼女の下で暮らすうち、アンジャハティは自然と医学を学んだ。
暗殺が未遂に終わったことは時を置かずして広まり、事実上「失踪」になった娘を父である宰相は勘当。
さらに皇家トスカルナ籍からの除名を受けて、結果的には皇籍の剥奪まで行なわれた。
―――あの悪夢のような、けれど忘れることはできない日々から八年。
アンジャハティは再び目にすることになった、赤い城を振り仰ぐ。
「戻ってくるなんて」
駱駝を引きながら渋い顔でつぶやくと、後ろを歩いていた人物に背中をピシリとはたかれる。
「しゃんとしな。老体に旅も応えてきたものでなぁ」
御年七十歳――平均寿命をはるかに超える年齢で、グラフィアネは背筋を伸ばして立っている。元は栗色だっただろう髪の毛はすっかり白くなっていたし、陽射しを浴び続ける旅暮らしのせいで、浅くはない皺が身体中に刻まれているけれど。その曲がらない精神が、何度となくアンジャハティを助けていた。
「放浪はやめじゃ、わしは腰を落ち着けるぞアンジャハティ」
気まぐれな旅暮らし、またどうして帝都なぞに用があるのかと思っていたら。
アンジャハティは驚きも隠さず、グラフィアネの眼差しを見つめた。
「グラフィアネ、私は追われている身よ」
「いいや、トスカルナの邸宅にもどんな。全部わかるだろう」
含んだ顔でそう言うと、グラフィアネはアンジャハティの手から駱駝の手綱を取り上げる。そうして野犬でも追い払うようにシッシと、手をひらひらさせたのだった。
「……長かったな。わしにはほんの数年じゃったが、お前には長かったろ」
トスカルナ家の邸宅には、父も兄も居なかった。ひとり残された母から語られる五年間を聞いても、アンジャハティはすでに流す涙を持ち合わせなかった。
アエドゲヌ帝は半年前に死に、ようやく折れた元老たちの手でディアスは解放されたそうだ。時を同じくして父である宰相も亡くなり……どこをどう画策したのやら、その後釜にはちゃっかりと兄ウズルダンが就いたという。
「そうですか」
何もかも変わり、いや…変えようとしたのだろう。彼らは。
「あなたはもう、逃げも隠れもする必要がなくなったのですよ」
客が待っているからと、母に案内されたトスカルナの庭で、彼の姿を見つける。
「お帰り」
地位を取り戻し玉座に身を置いたディアスからは、昔の面影など驚くほど消え去っていた。
鋭い顔は崩されることが決してなくなり、どこか猛獣じみた印象に変わって。優しげな顔は、どこへいってしまったのだろう。
まるで「闇」そのものを体現してしまったかのような新皇帝は、およそ狂っているようには見えなかった。
「皇籍に戻れるよう手筈は整えてある。おまえがどうしたいかによるが」
ディアスは鋭い眼差しを、こちらに向けることはしなかった。自らの変貌を詫びるように目線を下げて、アンジャハティに背中を向ける。
「陛下―――私は軍医になります」
彼の背中へ向けて言った言葉は、〝さよなら〟に聞こえただろうか。
寄り添い、ひからびた傷痕を舐めあうような関係になろうなんて……きっと彼なら思わない。
ディアスは静かに頷くと、こちらを振り返ることはないまま…トスカルナ邸から去っていった。
そうして、もはや帝都で何もすることがなかったアンジャハティは、大佐となったワルダヤ・ハサリの後見を受け軍に上がり、軍医となる。
燃えるような紅蓮の髪を短く刈り上げて、化粧気もなく軍服に身を纏わせる彼女を―――人々がトスカルナでもアンジャハティでもなく「アン少尉」と呼ぶようになったのは、時を置かずしてすぐのことだった。
《夜会に鳴く深紅の鳥・完》
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