8 / 11
夜会に鳴く深紅の鳥
07
しおりを挟む
「忌々しい……元老どもめ!」
室の仕切り幕を男のようにばっと引き上げて、ファラマファタが現れる。
吐き出すように呟いた言葉に、アンジャハティは顔を曇らせた。長椅子に身を預ける彼女の前に立ったファラマの顔には、血の気がまったく感じられない。
「いかが致しました、ファラマさま。お顔の色が……」
すっと身を起こしたアンジャハティは、ファラマのために長椅子の端へ寄りながら尋ねる。声が震えたのは、彼女の表わす態度に悪い知らせを感じ取ったからだった。
ファラマファタは深い溜め息のような吐息を口から搾り出すと、唸るように言った。
「釈放の見込みが無くなったぞ――第四皇子ディルージャ・アス・ルファイドゥルのな」
「な……!? 何故、ですの…」
目の前にちかちかと星が跳び、アンジャハティは自分の身体の感覚が無くなっていくのを感じた。
「しっかりするのじゃ」
すっと差し出されたファラマファタの腕に抱えられ、震える手で長椅子の縁に掴まる。
ワルダヤ・ハサリの働きで、テナン公国の第五公子――アエドゲヌ現帝の隠し種である少年は、小姓身分に身を置くことになっていた。
軍での昇進に小姓の制度を奨励する帝国内では、たとえ親であろうとも「所有物」である小姓を動かすには主の許可が必要だ。
ワルダヤはテナン公国の血筋だが、属するサプリズの家名は皇帝直轄領における最旧家のひとつ。皇帝を産んだ妃を何名も輩出している家柄には、現帝でさえも迂闊に口を挟めない。
小姓になった第五公子を、たとえ親でも公王であっても、簒奪の糧にすることはできなくなるというわけだ。
第五公子を〝皇太子〟にできないとわかれば、皇帝もディアス釈放を許可するはず、……だったのだが。
「四公国を黙らせたと思えば、今度は皇帝直轄領の元老どもだ。やつらの言うには〝要は新しい皇子が生まれればよい〟のじゃと。狂った皇子を放すには、それなりの準備もいるという。新しい子が日の目を見て、皇子だとわかれば、わざわざ危険を冒すことは無いとな。……どういうことかわかるか? アンジャハティ」
まくし立てるように言ったファラマファタは、じっとアンジャハティを見上げる。アンジャハティと比べてずいぶん小柄な女性だが、黒檀のような肌に浮かぶ二つの栗色の瞳は、威圧に溢れて輝いていた。
「わたくしの……この、腹の子ですのね」
アンジャハティはトスカルナ家の出――いわゆる皇帝直轄領の血筋だ。四公たちと常に対立関係にある皇帝直轄領の貴族たちは、その出身者であるアンジャハティの懐妊を、心から歓んでいる。
この期につけこむには、恰好の時機。テナン公子の名を次期皇帝の座から降ろし、我々の元に権力を集める――それも出来得ることなら〝狂った〟と噂されるディアスを呼び戻すことなく――ためには、アンジャハティはまたとない時間稼ぎになる。
……満場一致で反対されているディアスの解放を、拒む理由がまた一つ増えた。
「……わたくしたちは、あくまで皇帝直轄領の派閥。こちらの血筋を守ると言われて、言い返す権利は無いのじゃ。おまえの腹の子が女児であったなら、少しは希望もあろうが…、子の性別を黙って待っておるほど、四公たちも人が善いわけではない。そうなれば、果たして無事に産めるか否か」
「そんな、」
希望にしてきた我が子が、その希望を奪うかも知れぬ存在になるなどと。
アンジャハティはしっかりと膨らんだ腹部に手を当てて、目を閉じた。憎しみでしか――嫌悪でしかなかったはずなのに、こうして胎動を感じているうち、どんどん強くなるのは愛しさばかりだ。
はっきりと示された暗殺の可能性に、肝を縮めて待っているしかないのか。
「アンジャハティ、おまえには二つの選択肢がある」
腹に手を当てたまま、黙り込んだアンジャハティを覗き込むように、ファラマファタは身を傾げた。
「ここに居て〝皇帝の子〟を失うか、逃げて〝我が子〟を無事産むか――」
静かな口調には、まるで子供を諭すような柔らかさがあった。
「ファラマさま……」
「暗殺はよもや逃れられん。ここで子を失う時は、おまえの命も無いことじゃろう。考えるのだ。死んでまで、妃として歴史に名を連ねることはないぞ」
ディアスを助け出す――そのことばかりを考えて、あの日から生きてきた。けれど、ここで自分が選択せねばならぬは、彼の命などではなかった。
半年以上もともに、彼の無事を祈ってきた半身……。
「逃げます、ギョズデジャーリヤ・ファラマファタ」
よく考えたわけではなかった。弾けるように口を出た言葉が本心だったのかも、未だによくわからない。
けれど決して後悔はしない――それだけを我が身に誓って、アンジャハティは深々と頭を下げた。
* * *
陽の光も射すことはなく、ささやかな風すら吹き抜けることがない。
ただひたすらに続く闇と、嘔吐をさそう腐敗臭……
血のようにも、肉が腐ったようにも感じられるその只中で、
ひとりの男は変わっていった。
室の仕切り幕を男のようにばっと引き上げて、ファラマファタが現れる。
吐き出すように呟いた言葉に、アンジャハティは顔を曇らせた。長椅子に身を預ける彼女の前に立ったファラマの顔には、血の気がまったく感じられない。
「いかが致しました、ファラマさま。お顔の色が……」
すっと身を起こしたアンジャハティは、ファラマのために長椅子の端へ寄りながら尋ねる。声が震えたのは、彼女の表わす態度に悪い知らせを感じ取ったからだった。
ファラマファタは深い溜め息のような吐息を口から搾り出すと、唸るように言った。
「釈放の見込みが無くなったぞ――第四皇子ディルージャ・アス・ルファイドゥルのな」
「な……!? 何故、ですの…」
目の前にちかちかと星が跳び、アンジャハティは自分の身体の感覚が無くなっていくのを感じた。
「しっかりするのじゃ」
すっと差し出されたファラマファタの腕に抱えられ、震える手で長椅子の縁に掴まる。
ワルダヤ・ハサリの働きで、テナン公国の第五公子――アエドゲヌ現帝の隠し種である少年は、小姓身分に身を置くことになっていた。
軍での昇進に小姓の制度を奨励する帝国内では、たとえ親であろうとも「所有物」である小姓を動かすには主の許可が必要だ。
ワルダヤはテナン公国の血筋だが、属するサプリズの家名は皇帝直轄領における最旧家のひとつ。皇帝を産んだ妃を何名も輩出している家柄には、現帝でさえも迂闊に口を挟めない。
小姓になった第五公子を、たとえ親でも公王であっても、簒奪の糧にすることはできなくなるというわけだ。
第五公子を〝皇太子〟にできないとわかれば、皇帝もディアス釈放を許可するはず、……だったのだが。
「四公国を黙らせたと思えば、今度は皇帝直轄領の元老どもだ。やつらの言うには〝要は新しい皇子が生まれればよい〟のじゃと。狂った皇子を放すには、それなりの準備もいるという。新しい子が日の目を見て、皇子だとわかれば、わざわざ危険を冒すことは無いとな。……どういうことかわかるか? アンジャハティ」
まくし立てるように言ったファラマファタは、じっとアンジャハティを見上げる。アンジャハティと比べてずいぶん小柄な女性だが、黒檀のような肌に浮かぶ二つの栗色の瞳は、威圧に溢れて輝いていた。
「わたくしの……この、腹の子ですのね」
アンジャハティはトスカルナ家の出――いわゆる皇帝直轄領の血筋だ。四公たちと常に対立関係にある皇帝直轄領の貴族たちは、その出身者であるアンジャハティの懐妊を、心から歓んでいる。
この期につけこむには、恰好の時機。テナン公子の名を次期皇帝の座から降ろし、我々の元に権力を集める――それも出来得ることなら〝狂った〟と噂されるディアスを呼び戻すことなく――ためには、アンジャハティはまたとない時間稼ぎになる。
……満場一致で反対されているディアスの解放を、拒む理由がまた一つ増えた。
「……わたくしたちは、あくまで皇帝直轄領の派閥。こちらの血筋を守ると言われて、言い返す権利は無いのじゃ。おまえの腹の子が女児であったなら、少しは希望もあろうが…、子の性別を黙って待っておるほど、四公たちも人が善いわけではない。そうなれば、果たして無事に産めるか否か」
「そんな、」
希望にしてきた我が子が、その希望を奪うかも知れぬ存在になるなどと。
アンジャハティはしっかりと膨らんだ腹部に手を当てて、目を閉じた。憎しみでしか――嫌悪でしかなかったはずなのに、こうして胎動を感じているうち、どんどん強くなるのは愛しさばかりだ。
はっきりと示された暗殺の可能性に、肝を縮めて待っているしかないのか。
「アンジャハティ、おまえには二つの選択肢がある」
腹に手を当てたまま、黙り込んだアンジャハティを覗き込むように、ファラマファタは身を傾げた。
「ここに居て〝皇帝の子〟を失うか、逃げて〝我が子〟を無事産むか――」
静かな口調には、まるで子供を諭すような柔らかさがあった。
「ファラマさま……」
「暗殺はよもや逃れられん。ここで子を失う時は、おまえの命も無いことじゃろう。考えるのだ。死んでまで、妃として歴史に名を連ねることはないぞ」
ディアスを助け出す――そのことばかりを考えて、あの日から生きてきた。けれど、ここで自分が選択せねばならぬは、彼の命などではなかった。
半年以上もともに、彼の無事を祈ってきた半身……。
「逃げます、ギョズデジャーリヤ・ファラマファタ」
よく考えたわけではなかった。弾けるように口を出た言葉が本心だったのかも、未だによくわからない。
けれど決して後悔はしない――それだけを我が身に誓って、アンジャハティは深々と頭を下げた。
* * *
陽の光も射すことはなく、ささやかな風すら吹き抜けることがない。
ただひたすらに続く闇と、嘔吐をさそう腐敗臭……
血のようにも、肉が腐ったようにも感じられるその只中で、
ひとりの男は変わっていった。
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛
玖羽 望月
恋愛
雪代 恵舞(ゆきしろ えま)28歳は、ある日祖父から婚約者候補を紹介される。
アメリカの企業で部長職に就いているという彼は、竹篠 依澄(たけしの いずみ)32歳だった。
恵舞は依澄の顔を見て驚く。10年以上前に別れたきりの、初恋の人にそっくりだったからだ。けれど名前すら違う別人。
戸惑いながらも、祖父の顔を立てるためお試し交際からスタートという条件で受け入れる恵舞。結婚願望などなく、そのうち断るつもりだった。
一方依澄は、早く婚約者として受け入れてもらいたいと、まずお互いを知るために簡単なゲームをしようと言い出す。
「俺が勝ったら唇をもらおうか」
――この駆け引きの勝者はどちら?
*付きはR描写ありです。
エブリスタにも投稿中。スター特典もこちらでは公開しています。
[完結]地味なブチャかわ女で失礼します
桃源 華
恋愛
ぶちゃいくだけど大胆不敵で
万人に愛され体質の麗美。
婚約破棄されて
恋愛を封印したが……
真実の愛を模索しながら
最強のYAMATONADESIKO
となるまでの
純愛ラブストーリー
粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる
春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。
幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……?
幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。
2024.03.06
イラスト:雪緒さま
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
最初から最後まで
相沢蒼依
恋愛
※メリバ作品になりますので、そういうの無理な方はリターンお願いします!
☆世界観は、どこかの異世界みたいな感じで捉えてほしいです。時間軸は現代風ですが、いろんなことが曖昧ミーな状態です。生温かい目で閲覧していただけると幸いです。
登場人物
☆砂漠と緑地の狭間でジュース売りをしている青年、ハサン。美少年の手で搾りたてのジュースが飲めることを売りにするために、幼いころから強制的に仕事を手伝わされた経緯があり、両親を激しく憎んでいる。ぱっと見、女性にも見える自分の容姿に嫌悪感を抱いている。浅黒い肌に黒髪、紫色の瞳の17歳。
♡生まれつきアルビノで、すべての色素が薄く、白金髪で瞳がオッドアイのマリカ、21歳。それなりに裕福な家に生まれたが、見た目のせいで婚期を逃していた。ところがそれを気にいった王族の目に留まり、8番目の妾としてマリカを迎え入れることが決まる。輿入れの日までの僅かな時間を使って、自由を謳歌している最中に、ハサンと出逢う。自分にはないハサンの持つ色に、マリカは次第に惹かれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる