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4巻
4-16
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なんとかビーを押しのけぼんやりとした頭で起き上がり、周りを見渡す。雑魚寝をしていたブロライトと馬化したプニさんの姿がなかった。
「皆起きたのか。相変わらず早いな。ふあああぁ」
「にいちゃんがいちばん遅いよ」
「おそーい」
遅いたって、まだ太陽は昇ったばかりだろうが。
ベルカイムにいたのなら、まだまだ眠っていられる時間だ。
「クレイとギンさんは? 昨日の夜、墓参りから戻って晩くまで話をしていたようだけど」
サウラさんが安らかに眠っている事実をリベルアリナから告げられたクレイは、やっと息子であるギンさんと話をしたようだ。聞けばギンさんの幼少期に数回逢ったきりで、すべて郷の皆に面倒を見てもらっていたというのだから、呆れる。
時々怒鳴り合う声が聞こえてきたが、ビーの寝息の音を遮断する魔道具を取り出し、完全防音させてもらった。心行くまで親子で話し合ってくれればいい。時には殴り合いの喧嘩も必要だろう。何も言わず互いに我慢し、不満だけを重ねていくのは精神衛生上宜しくない。
「親父殿と親分はむらおさとお話しするの」
「むらおさくるの」
「えっ」
ムラオサさんて、クレイが槍をもらった人だっけ。
俺も一言挨拶をするべきかな。ギルドの依頼を受注した結果がアレだったから、一切の責任はありませんじゃダメだろう。ついでにブロライトにも頭を下げさせる。
「おはよーう、ございまーす……?」
再び眠ってしまったビーを頭に乗せ、居間へと続く扉をそろりと開く。
美味そうな胡椒の匂いと、バターの匂いと、魚の匂い。
どんな料理を作っているのか想像もつかないが、眠っていた腹がぎゅるぎゅると補給を求めはじめた。
「タケル、ずいぶんと早う起きたのじゃな!」
「起きたというか強引に起こされたというか」
「そうか! 起きたのならばちょうどいい。リザードマンの村長が朝飯をこさえてくれておるのじゃ」
ブロライトに連れられて台所を覗くと、腰の曲がったリザードマンが鼻歌交じりに魚をさばいていた。
リザードマンは意外に手先が器用で、鋭い牙や爪でそのまま獲物にかぶりつくかと思いきや、包丁や短刀などで綺麗に切り刻む。獣人の料理人には敵わないが、それでも魚の扱いは慣れたもの。クレイだって見事な三枚おろしを見せてくれた。巨大魚に限るけど。
「んっんー、んんーんんっんんっーお魚ちゃーん、んっんー」
長く白いアゴヒゲのようなものに青いリボンで飾りをし、謎の老人らしきリザードマンは全身でリズムを刻みながら料理をしていた。
魚をさばき、鍋に入れ、コトコトと煮込んでいる。
兄妹は邪魔にならないよう、台所の外で同じように全身を揺らしてリズムを刻んでいた。
「長、タケルを連れてきた」
「ふぉおおう? エルフしゃんや、手数をかけたにょう」
老齢のリザードマンはレンズにヒビの入った眼鏡を爪の先でちょいちょいと位置調整し、もごもごと喋った。ちょっと聞き取りづらいのは年齢のせいか、それともこれがリザードマン特有の話し方なのだろうか。
「アポポルを持っておりゅんと聞いたにょう。すまないが、ひとつふたつ、わけちゃくりぇんかにょう」
なんて?
いろいろな種族固有の言語を聞き取れるはずなんだが、何と言ったのかわからない。
ブロライトに無言のまま視線だけで助けを求めると、ブロライトはニカッと笑い、その視線は兄妹へと移る。ブロライトもわからないのか。
「アポポル。まあるくて、ほそくて、土のにおいがして、もりもりしているの」
「もりもりー」
あぽぽるって何でしょう。
誰か助けてと居間に視線をやると、ロッキングチェアで優雅に座っているプニさんしかいない。
それじゃあと開いたままの勝手口を見れば、ちょうどギンさんが帰ってきたところだった。手には釣り竿とバケツを持っている。釣り竿は初めて見た。
「おお、早いな、タケル」
「おはようございます。さっそくですが聞きたいことが」
「うん?」
「アポポルー」
「アポポルー」
双子がギンさんに飛びつき、その周りをぐるぐると回るが、ギンさんにも意味はわからないようだ。
するとムラオサさんが頭を爪でかきながら、机の上のさばき途中の魚をギンさんに見せた。
「あああ、わかった。長、イモが欲しいんだな?」
「にゃ」
「アポポルはイモの種類だ。タケル、細長いイモは持っているか?」
細長いイモ。俺が勝手にメークインと呼んでいたイモのことか。細切りにして油で揚げたフライドポテトを作って以来、放置していたな。
「持っている。ええと、これかな」
「そうそう、それ。もらえるか」
「たくさんあるからいくつでも」
鞄から取り出したのは、ベルカイムの屋台村で購入した新鮮メークイン。食い物に関しては我儘を言い出すチームのために、食材は大量に持っている。
なるべく大きなのを意識して取り出したおかげで、ムラオサさんはくしゃりと笑って喜んでくれた。
「にゅふ、にゅふ、よいアポポルにょう」
「これ、アポポルって言うんですね。知りませんでした」
「にゅふふふふふ」
ムラオサさんに手渡したイモは、魚をさばくようにするすると加工され、乱切りにされたものが鍋に投入された。
調味料をいくつか入れ、追加の食材を入れ、さらにコトコトと煮込む。どうやら今日の朝食は海鮮スープなのかな。さらにいい匂いがしてきた。
「もうちょろりと待つ。ラガル、あやつはどこへ行ったにょろ」
「親父は井戸で水汲みだ」
「ふん、柄にもなく落ち込みよって。あやつが寄り付きもしにゃい墓にもろってきたと思えば、槍を壊したとにゃ」
あー。
クレイ、正直にムラオサさんに言ったんだ。それで叱られでもしたのか?
「あにょ槍が壊れたということは、あやつの力が解き放たれたという証拠。わしは諸手を上げて喜んだというに」
ん?
今なんて言ったのかな。
槍が壊れたのは力が解き放たれた?
いやそれより、喜んだって?
「あの、ムラオサさん、俺の名前はタケルっていいます。すみません、名乗りもせず」
「にゅふふふ、ラガルにすべて聞いたわい。わしはヘスタルート・ドイエの郷を治める、アヴリスト・プスヒ」
ムラオサさん……ああ、ああ、村を治めている長で村長か! ムラオサって名前なのかとずっと思い込んでいた。
え、ということは、リザードマンの一番偉い人から譲り受けた古の勇者の槍を壊したというのに、それを喜んだってこと?
「にゅふふ。あの槍はな、ギルディアスの力ではいつか壊れると思うていたにょう」
「乱暴な使い方をしたとか……ですか?」
「いんにゃ。槍はリザードマンならば使いこなせたはずにゃ。ヘスタスの槍が簡単に壊れるわけがにょい。それが壊れたということは、あやつがリザードマンではなくなったということ」
「え」
村長はヒゲを触りながら鋭い瞳で俺を睨みつけた。
「ギルディアスはドラゴニュートになりおった」
なんでわかっちゃったのかなああああ。
14 潮騒
朝食を済ませた俺たちは、郷の中央地帯にある村長の家に赴くこととなった。
クレイの槍の話を詳しく聞くのと、なぜクレイをドラゴニュートにしたのかを話すためだ。
流石に種族を変え、より強靭な肉体へと進化させた方法となれば、リザードマンの概念が覆されてしまう。それは困るということで、村長の家に行くのはクレイと俺、客観的な意見を聞くためにプニさん、そして唯一の身内であるギンさん。
ブロライトに兄妹の面倒を任せるのは少々不安だったが、郷の集会所で毎日開かれている学校に行くのだとはしゃいでいた。ブロライトの面倒を見てくれる相手がたくさんいるのは安心だ。たとえ相手が子供だろうと。
村長の家はクレイの家ほどの大きさがあり、俺たちが訪ねると数人のリザードマンたちが屯っていた。一人で暮らしている村長が寂しくないようにと、この家は井戸端会議の集会場のような場所にされているらしい。常に誰かがいる状態にして、老齢の村長に何か異常があった場合すぐに対応できるようにしているのだ。
この常に何かしらのリズムを刻みつつ身体を揺らしているファンキーな爺さまが、郷の者たちに慕われていることがわかる。郷の中央通りを小刻みに揺れながら歩く村長の周りには郷の民がやってきて、皆挨拶をしたり果物を渡したりするのだ。まるで生き神様のようだな。
「さささ、ちょろりと大切な話があるにょう」
帰宅した村長に飛びつく数名の子供リザードマンと、その保護者らしき女性っぽいリザードマンに声をかけると、村長は空いた席に俺たちが座るよう促した。
老人の独り暮らしにしては部屋が明るく、可愛らしい小物や調度品に囲まれている。ネズミのようなリスのような小動物が数匹、床を駆け回っていた。なにあれ。
最後まで残っていた女性? のリザードマンがそれぞれの席の前に温かなお茶を出してくれた。この匂いはほうじ茶かな。
女性が部屋を出ていくと、プニさんが机をとんとんと叩いた。
「タケル、何か甘いものをお出しなさい」
「さっき朝飯食ったばかりなのに、まだ食うか」
しかし、プニさんには無理を言ってついてきてもらったのだ。反論せず黙って数種類の飴玉を取り出す。大判焼きは午後のおやつ用。小皿に盛られた小さな飴玉に少しだけ眉根を寄せたプニさんだったが、黙って食べはじめたのを見て一安心。
得体の知れない毛玉みたいなネズミが村長のヒゲに隠れた。あれ巣なの? ヒゲが巣になっているの? と、ヒゲを凝視していると。
上座に位置する席に深々と腰を掛けた村長が、お茶をゆっくりと飲んでから口を開いた。
「そりじゃま、教えてくりぇんかにょ。ギルが如何にして我ら始祖の血をよみゅがえらしちょりゃりゅりょにゅ」
なんて?
村長、なまり? 方言? 言葉が独特すぎて最後なんて言ったのかわかりませんよ。
ヒゲから見え隠れするネズミが気になるんですけど。
「……うむ。あれは半年より前のことなのだが」
今のわかったの!?
しれっと返事しているんだけどクレイさん、今のわかったの??
クレイは静かに話をはじめた。まずは俺との出逢い。それからまるっと端折ってゴブリン襲来。
「親父、ゴブリンと戦ったのか? ど、どんな戦いだったんだ。ゴブリンてぇのは、小さいながらもたくさん襲ってくるんだろう?」
「うむ。大きさは……そう、この椅子の高さほどしかない。それでもな、数百と徒党を組んで一気に押し寄せてくるのだ」
「そんな軍勢にどうやって勝ったんだ? ベルカイムってところは、そんな立派な警備がいるのか?」
「ピュ」
地方都市にしては警備隊も充実しているが、王都の警備とは比べ物にならないとルセウヴァッハ領主が言っていた。一定以上の警備を揃えてしまうと、国家転覆を企むとみなされてしまうのだ。だったら王都から警備を派遣しろって話だが、そこらへんは貴族間の縄張りとか政治的な何かがあって難しいらしい。大人って面倒よね。
クレイはほうじ茶を一気に飲み干すと、話を続けた。
「戦闘経験のある警備兵など数えられるほどだ。俺も……背に深い傷を負ったままであったからな。はじめは後方で待機していたのだが」
考えなしに暴れまくったギルドマスターのせいで、あぶれたゴブリンたちが包囲網をかいくぐって後方まで来そうになった。後方で待機していた救護所には非戦闘員しかいない。クレイは彼らのことを考え、無謀にも前線へと向かったのだが。
「俺は死を覚悟したのだ。背の傷が痛むなど情けないことは言うてられぬ」
「そうそう。痛いっていうのに無理やり戦ったから、もうへっろへろのぼっこぼこ」
「余計なことを言うな!」
「ピュイィ」
それでも大量のゴブリンをちぎっては投げていたっけ。
マデウスに来て初めて見た、本格的な戦闘がそれだった。そもそも俺が知る冒険者の基準って、クレイとブロライトなんだよな。だから目が肥えちゃって肥えちゃって。
人外というか、まさしく人間ではない二人の戦闘というのは夢中になってしまうほど凄い。見せるというか、魅せる。まさしく魅了してくれるんだよ。
そうやって見惚れていたらクレイが死にそうになっていて。
「ビーがどしゃーんって攻撃して、その間にばしゃーんって魔素水ぶっかけて、そんでごーんと土の壁作って」
「ピュピュ」
「そう、ビーも活躍したんだよな」
「ピュゥ~~イ!」
「……待て。待ってくれ。もう少し詳しく説明してくれ。まそすい? というものは何だ」
「教えてもいいけど、ギンさんも村長も魔素水については内緒にしてくれるかな」
なんせ古代竜であるボルさんにもらった、大切な魔素水だ。使い道を間違えてしまうと、きっとすんごい面倒なことになる。
ギンさんと村長は互いに顔を見合わせ、深く頷いた。
「リザードマンの誇りに懸けて誓う。口外は決してしない」
「にゃ」
クレイの身内とクレイが尊敬する村長だ。頑なに秘密にする理由はない。
鞄の中から一度木製のカップを取り出し、それを再度鞄の中に突っ込む。脳内でカップに水が溜まるイメージをして。
机の中央に置いた魔素水入りのカップ。美しい透明の青い水がゆらゆらと揺れている。
「にゅほ……こりはこりは……」
「青い水だな。これがまそすい、とやらなのか?」
「ラガル、お主にはわからぬのかもしれにゅな。これはとんでもない力を秘めた…………我らごときが扱うことをゆるさりぇにゅるにょろり」
「どのような力があるものなのか、俺もわからぬのだ」
うん、だから誰か村長の言葉を通訳してください。
魔素水の使い道は、今のところビーとプニさんの補助栄養のようなもの。プニさんは非戦闘員と考えているから、あまり魔素水を必要としない。というより、好みの味ではないと言っている。
「古代竜の力が宿りし魔素の集合体です。タケル、お前が造り出す魔石を数十個束ねた力が、その水の一滴に相当するのです」
皿に載せた飴玉を静かに食べ続けるプニさんが、つまらなそうに魔素水を指さした。
ちなみに村長とギンさんにはプニさんの正体を明かしている。そもそもギンさんの前で馬に変化してとっとと眠ってしまったプニさんだ。あのひと実は馬で、と説明。
村長は特にありがたがりも崇めもしなかったが、プニさんに向かって両手を合わせてにゃむにゃむ何か言っていた。一応、神様であると認識してくれたようだ。
「その水を……親父にぶち、ぶちまけた?」
「そうそう。完全回復させたくてさ。あの場で死なれたら俺が後々面倒だろ? だからさ、こう、ばしゃっとかけて、完全治癒をだね」
「完全治癒だと!? 失われし太古の秘術ではないか!」
ああ、こういう驚き新鮮。
もう俺が何をしようと、クレイもブロライトも驚かなくなったからな。たまに呆れた顔で見られるけど。
「うぬにゅる……ラガルよ、タケルは秘術を用いることに長けておるのにゃろう」
「秘術というか、クレイの脊椎の神経が傷ついているような気がしたから、そこを修復するイメージ……ともかく、健康になれますようにって感じで治した」
「ふひょっ、そりは凄い。お主は魔法を扱うのにゃな。治癒術師か」
「いや、素材を採取する人です」
「素材採取専門家とにゃ」
うんうん、このやり取りも久しぶりだな。
もう専門家って胸を張ってもいいかな。まだまだ魔法が頼りなんだけど、依頼された品を採取することに関したら、一定の評価をもらえているのです。
「まあそれで、考えなしに完全回復を願ったら、こう……背中の傷が治るどころかツノがぼこぼこ生えてきましてね」
時々魔王が降臨するように。
ドラゴニュートという種族が今のクレイのようだったのかは、わからない。ちょっと怒ったら身体がでっかくなり、我を忘れて暴走しまくる種族だとしたらえらい迷惑だけど。
戦闘に長けた種だったらしいが、その生態は謎に包まれたままだ。
「ふうむ………ギルがドラゴニュートに変化した理由は、このしゃいよいのりょ。槍が壊れたのはギルのせいではない。勇者ヘスタスも勇猛ではあったが、しょせんはリザードマンでありゅのにゃろ。ドラゴニュートの力で使わりぇたのにゃら、そりは壊れるというもにょろ」
「しかし長……!」
「ええい、にゃいにゃい言うにゃいにゃい。そういうものは、そういうものとして受け止めい」
村長の言葉をなんとか理解しようと必死で考える。
古の勇者ヘスタスは、確かに勇猛な戦士だった。しかし、それでも彼はリザードマン。上位種であるドラゴニュートの力で槍を振るうことは想定外。しかもクレイは途中進化の変異型ドラゴニュートだ。普通のドラゴニュートとも違う。普通がどうなのか知らないけど。
「長、直すことはできぬのか? ヘスタスの槍を」
クレイが取り出した槍は、無残にも折れてしまっている。ギンさんが小さく「これが折れるなんて……」と呟いた。
郷で大切に受け継がれていた、郷で一番の勇士が装備することを許されている槍。クレイが落ち込むのはわかるが、仕方がないことだと割り切らなくてはならない。俺の魔法でも直らないし、グルサス親方すら直せないというのだから。
「うにゅる………ただの槍ではにゃい。思いの込められた、ヘスタスの分身とも呼ぶべき槍にゃる。これをにゃおすとにゃればにょう…………」
一縷の望みをかけて郷までやってきたのだが、村長も槍の直し方はわからないのか。
まあ想像しなかったわけではない。プニさんが直せないと言ったものを、どうやって直すのか想像もできなかったからだ。
机の上に青く輝く魔素水をビーに飲ませ、その背を撫でる。それでもどうにかしてクレイの槍を直してやりたい。
「村長、俺からも頼むよ。クレイから槍を取ったらただのおっさ……いや、荒ぶる魔王……ともかく、クレイの武器は槍って印象が強すぎるから、なんとかならないかな」
「わしもなんとかしてやりゅたりゅりゃおる」
「必要な素材があれば採ってくるし、今も意外とすんごい素材をいくつか持っていたりする。それをかき集めて、なんとか直せない?」
「ふにゅるるるる……そうにゃにょう……」
ヒゲに巣食っている謎のネズミごとヒゲを撫でまわした村長は、ウンウンと唸ったまま席を立った。
どこに行くのかと目で追えば、すぐそばの棚に近づいた。しゃがみこんで下にある観音開きの扉を開くと、中から古びた筒状のものを取り出す。少しほこりにまみれた茶色の筒は、村長の手のひらの上に乗る大きさ。表面に古代カルフェ語の文様。
「……開けるときちゅういしてね」
独特過ぎる文字の書き方だったが、なんとか読めた。
なんとも気軽な警告文。筒の中に何か気をつけなければならないものが入っているのだろうか。
俺が文字を読めたことに村長は小さな目を見開いて驚いた。
「タケル、お主はこの絵がわかるにょろり」
「にょろ……はい、そうです。読めます」
絵に見えるけど文字だ。エジプトの古代文字、ヒエログリフみたいなもの。
古代カルフェ語は今から数千年も前に使われた文字で、現在の共用語として使われている現代カルフェ語は、これの進化形。
村長は持っていた筒を俺に手渡した。外装は金属でできた、ずっしりとした重みのある筒。
「ヘスタスの古き文献でありゅ。槍のこともにゃにか書かれているかもしれない。そりはカリディアにある地下墳墓にあったにょり。槍もまた、わりらがそしぇんにょにゅりらりる、りぇーりゅりゅん」
「なんて??」
肝心のところが全然わからないんですけど!?
助けを求めてクレイを見ると、クレイは黙って頷いた。そうじゃねーよ。通訳してくれって言ってんだよ。
「ごめん、村長いまなんてったの?」
失礼でも構わないから肝心なところを聞かせてもらいたい。
申し訳ないと思いつつギンさんに聞くと、ギンさんは難しそうに眉根を寄せて腕を組み、俯いてしまった。村長は言いづらいようなことを言ったのだろうか。
プニさんが飴を食べるこりこりという静かな音だけが部屋に響いた。
そうしてしばらくすると、重苦しくクレイが口を開く。
「……我らの偉大なる祖先が眠る地下墳墓にヘスタスが眠っておる。俺の槍もヘスタスの元で眠っていたのだ」
「そうか。そこになら何か手掛かりになるものがあるかもしれないって?」
この筒の中に入っているだろう危険なものも気になるが、槍が元あった場所を探るというのは悪くない。
探査先生にお伺いを立てれば、わかることがあるかもしれないし。
だがクレイはさらにしかめた顔をすると、小さな小さな声でぽつりと言ったのだ。
「あそこには……祖先の亡霊が出るのだ」
えっ。
いま、なんて言いました?
まさかのお墓探検をすることになった俺たちだけど、今さらお化けやらモンスターやらに怖がっていられない。何が待ち受けていようとも、きっと俺たちならどうにかなる。なんとかなる。
……たぶんね。
「皆起きたのか。相変わらず早いな。ふあああぁ」
「にいちゃんがいちばん遅いよ」
「おそーい」
遅いたって、まだ太陽は昇ったばかりだろうが。
ベルカイムにいたのなら、まだまだ眠っていられる時間だ。
「クレイとギンさんは? 昨日の夜、墓参りから戻って晩くまで話をしていたようだけど」
サウラさんが安らかに眠っている事実をリベルアリナから告げられたクレイは、やっと息子であるギンさんと話をしたようだ。聞けばギンさんの幼少期に数回逢ったきりで、すべて郷の皆に面倒を見てもらっていたというのだから、呆れる。
時々怒鳴り合う声が聞こえてきたが、ビーの寝息の音を遮断する魔道具を取り出し、完全防音させてもらった。心行くまで親子で話し合ってくれればいい。時には殴り合いの喧嘩も必要だろう。何も言わず互いに我慢し、不満だけを重ねていくのは精神衛生上宜しくない。
「親父殿と親分はむらおさとお話しするの」
「むらおさくるの」
「えっ」
ムラオサさんて、クレイが槍をもらった人だっけ。
俺も一言挨拶をするべきかな。ギルドの依頼を受注した結果がアレだったから、一切の責任はありませんじゃダメだろう。ついでにブロライトにも頭を下げさせる。
「おはよーう、ございまーす……?」
再び眠ってしまったビーを頭に乗せ、居間へと続く扉をそろりと開く。
美味そうな胡椒の匂いと、バターの匂いと、魚の匂い。
どんな料理を作っているのか想像もつかないが、眠っていた腹がぎゅるぎゅると補給を求めはじめた。
「タケル、ずいぶんと早う起きたのじゃな!」
「起きたというか強引に起こされたというか」
「そうか! 起きたのならばちょうどいい。リザードマンの村長が朝飯をこさえてくれておるのじゃ」
ブロライトに連れられて台所を覗くと、腰の曲がったリザードマンが鼻歌交じりに魚をさばいていた。
リザードマンは意外に手先が器用で、鋭い牙や爪でそのまま獲物にかぶりつくかと思いきや、包丁や短刀などで綺麗に切り刻む。獣人の料理人には敵わないが、それでも魚の扱いは慣れたもの。クレイだって見事な三枚おろしを見せてくれた。巨大魚に限るけど。
「んっんー、んんーんんっんんっーお魚ちゃーん、んっんー」
長く白いアゴヒゲのようなものに青いリボンで飾りをし、謎の老人らしきリザードマンは全身でリズムを刻みながら料理をしていた。
魚をさばき、鍋に入れ、コトコトと煮込んでいる。
兄妹は邪魔にならないよう、台所の外で同じように全身を揺らしてリズムを刻んでいた。
「長、タケルを連れてきた」
「ふぉおおう? エルフしゃんや、手数をかけたにょう」
老齢のリザードマンはレンズにヒビの入った眼鏡を爪の先でちょいちょいと位置調整し、もごもごと喋った。ちょっと聞き取りづらいのは年齢のせいか、それともこれがリザードマン特有の話し方なのだろうか。
「アポポルを持っておりゅんと聞いたにょう。すまないが、ひとつふたつ、わけちゃくりぇんかにょう」
なんて?
いろいろな種族固有の言語を聞き取れるはずなんだが、何と言ったのかわからない。
ブロライトに無言のまま視線だけで助けを求めると、ブロライトはニカッと笑い、その視線は兄妹へと移る。ブロライトもわからないのか。
「アポポル。まあるくて、ほそくて、土のにおいがして、もりもりしているの」
「もりもりー」
あぽぽるって何でしょう。
誰か助けてと居間に視線をやると、ロッキングチェアで優雅に座っているプニさんしかいない。
それじゃあと開いたままの勝手口を見れば、ちょうどギンさんが帰ってきたところだった。手には釣り竿とバケツを持っている。釣り竿は初めて見た。
「おお、早いな、タケル」
「おはようございます。さっそくですが聞きたいことが」
「うん?」
「アポポルー」
「アポポルー」
双子がギンさんに飛びつき、その周りをぐるぐると回るが、ギンさんにも意味はわからないようだ。
するとムラオサさんが頭を爪でかきながら、机の上のさばき途中の魚をギンさんに見せた。
「あああ、わかった。長、イモが欲しいんだな?」
「にゃ」
「アポポルはイモの種類だ。タケル、細長いイモは持っているか?」
細長いイモ。俺が勝手にメークインと呼んでいたイモのことか。細切りにして油で揚げたフライドポテトを作って以来、放置していたな。
「持っている。ええと、これかな」
「そうそう、それ。もらえるか」
「たくさんあるからいくつでも」
鞄から取り出したのは、ベルカイムの屋台村で購入した新鮮メークイン。食い物に関しては我儘を言い出すチームのために、食材は大量に持っている。
なるべく大きなのを意識して取り出したおかげで、ムラオサさんはくしゃりと笑って喜んでくれた。
「にゅふ、にゅふ、よいアポポルにょう」
「これ、アポポルって言うんですね。知りませんでした」
「にゅふふふふふ」
ムラオサさんに手渡したイモは、魚をさばくようにするすると加工され、乱切りにされたものが鍋に投入された。
調味料をいくつか入れ、追加の食材を入れ、さらにコトコトと煮込む。どうやら今日の朝食は海鮮スープなのかな。さらにいい匂いがしてきた。
「もうちょろりと待つ。ラガル、あやつはどこへ行ったにょろ」
「親父は井戸で水汲みだ」
「ふん、柄にもなく落ち込みよって。あやつが寄り付きもしにゃい墓にもろってきたと思えば、槍を壊したとにゃ」
あー。
クレイ、正直にムラオサさんに言ったんだ。それで叱られでもしたのか?
「あにょ槍が壊れたということは、あやつの力が解き放たれたという証拠。わしは諸手を上げて喜んだというに」
ん?
今なんて言ったのかな。
槍が壊れたのは力が解き放たれた?
いやそれより、喜んだって?
「あの、ムラオサさん、俺の名前はタケルっていいます。すみません、名乗りもせず」
「にゅふふふ、ラガルにすべて聞いたわい。わしはヘスタルート・ドイエの郷を治める、アヴリスト・プスヒ」
ムラオサさん……ああ、ああ、村を治めている長で村長か! ムラオサって名前なのかとずっと思い込んでいた。
え、ということは、リザードマンの一番偉い人から譲り受けた古の勇者の槍を壊したというのに、それを喜んだってこと?
「にゅふふ。あの槍はな、ギルディアスの力ではいつか壊れると思うていたにょう」
「乱暴な使い方をしたとか……ですか?」
「いんにゃ。槍はリザードマンならば使いこなせたはずにゃ。ヘスタスの槍が簡単に壊れるわけがにょい。それが壊れたということは、あやつがリザードマンではなくなったということ」
「え」
村長はヒゲを触りながら鋭い瞳で俺を睨みつけた。
「ギルディアスはドラゴニュートになりおった」
なんでわかっちゃったのかなああああ。
14 潮騒
朝食を済ませた俺たちは、郷の中央地帯にある村長の家に赴くこととなった。
クレイの槍の話を詳しく聞くのと、なぜクレイをドラゴニュートにしたのかを話すためだ。
流石に種族を変え、より強靭な肉体へと進化させた方法となれば、リザードマンの概念が覆されてしまう。それは困るということで、村長の家に行くのはクレイと俺、客観的な意見を聞くためにプニさん、そして唯一の身内であるギンさん。
ブロライトに兄妹の面倒を任せるのは少々不安だったが、郷の集会所で毎日開かれている学校に行くのだとはしゃいでいた。ブロライトの面倒を見てくれる相手がたくさんいるのは安心だ。たとえ相手が子供だろうと。
村長の家はクレイの家ほどの大きさがあり、俺たちが訪ねると数人のリザードマンたちが屯っていた。一人で暮らしている村長が寂しくないようにと、この家は井戸端会議の集会場のような場所にされているらしい。常に誰かがいる状態にして、老齢の村長に何か異常があった場合すぐに対応できるようにしているのだ。
この常に何かしらのリズムを刻みつつ身体を揺らしているファンキーな爺さまが、郷の者たちに慕われていることがわかる。郷の中央通りを小刻みに揺れながら歩く村長の周りには郷の民がやってきて、皆挨拶をしたり果物を渡したりするのだ。まるで生き神様のようだな。
「さささ、ちょろりと大切な話があるにょう」
帰宅した村長に飛びつく数名の子供リザードマンと、その保護者らしき女性っぽいリザードマンに声をかけると、村長は空いた席に俺たちが座るよう促した。
老人の独り暮らしにしては部屋が明るく、可愛らしい小物や調度品に囲まれている。ネズミのようなリスのような小動物が数匹、床を駆け回っていた。なにあれ。
最後まで残っていた女性? のリザードマンがそれぞれの席の前に温かなお茶を出してくれた。この匂いはほうじ茶かな。
女性が部屋を出ていくと、プニさんが机をとんとんと叩いた。
「タケル、何か甘いものをお出しなさい」
「さっき朝飯食ったばかりなのに、まだ食うか」
しかし、プニさんには無理を言ってついてきてもらったのだ。反論せず黙って数種類の飴玉を取り出す。大判焼きは午後のおやつ用。小皿に盛られた小さな飴玉に少しだけ眉根を寄せたプニさんだったが、黙って食べはじめたのを見て一安心。
得体の知れない毛玉みたいなネズミが村長のヒゲに隠れた。あれ巣なの? ヒゲが巣になっているの? と、ヒゲを凝視していると。
上座に位置する席に深々と腰を掛けた村長が、お茶をゆっくりと飲んでから口を開いた。
「そりじゃま、教えてくりぇんかにょ。ギルが如何にして我ら始祖の血をよみゅがえらしちょりゃりゅりょにゅ」
なんて?
村長、なまり? 方言? 言葉が独特すぎて最後なんて言ったのかわかりませんよ。
ヒゲから見え隠れするネズミが気になるんですけど。
「……うむ。あれは半年より前のことなのだが」
今のわかったの!?
しれっと返事しているんだけどクレイさん、今のわかったの??
クレイは静かに話をはじめた。まずは俺との出逢い。それからまるっと端折ってゴブリン襲来。
「親父、ゴブリンと戦ったのか? ど、どんな戦いだったんだ。ゴブリンてぇのは、小さいながらもたくさん襲ってくるんだろう?」
「うむ。大きさは……そう、この椅子の高さほどしかない。それでもな、数百と徒党を組んで一気に押し寄せてくるのだ」
「そんな軍勢にどうやって勝ったんだ? ベルカイムってところは、そんな立派な警備がいるのか?」
「ピュ」
地方都市にしては警備隊も充実しているが、王都の警備とは比べ物にならないとルセウヴァッハ領主が言っていた。一定以上の警備を揃えてしまうと、国家転覆を企むとみなされてしまうのだ。だったら王都から警備を派遣しろって話だが、そこらへんは貴族間の縄張りとか政治的な何かがあって難しいらしい。大人って面倒よね。
クレイはほうじ茶を一気に飲み干すと、話を続けた。
「戦闘経験のある警備兵など数えられるほどだ。俺も……背に深い傷を負ったままであったからな。はじめは後方で待機していたのだが」
考えなしに暴れまくったギルドマスターのせいで、あぶれたゴブリンたちが包囲網をかいくぐって後方まで来そうになった。後方で待機していた救護所には非戦闘員しかいない。クレイは彼らのことを考え、無謀にも前線へと向かったのだが。
「俺は死を覚悟したのだ。背の傷が痛むなど情けないことは言うてられぬ」
「そうそう。痛いっていうのに無理やり戦ったから、もうへっろへろのぼっこぼこ」
「余計なことを言うな!」
「ピュイィ」
それでも大量のゴブリンをちぎっては投げていたっけ。
マデウスに来て初めて見た、本格的な戦闘がそれだった。そもそも俺が知る冒険者の基準って、クレイとブロライトなんだよな。だから目が肥えちゃって肥えちゃって。
人外というか、まさしく人間ではない二人の戦闘というのは夢中になってしまうほど凄い。見せるというか、魅せる。まさしく魅了してくれるんだよ。
そうやって見惚れていたらクレイが死にそうになっていて。
「ビーがどしゃーんって攻撃して、その間にばしゃーんって魔素水ぶっかけて、そんでごーんと土の壁作って」
「ピュピュ」
「そう、ビーも活躍したんだよな」
「ピュゥ~~イ!」
「……待て。待ってくれ。もう少し詳しく説明してくれ。まそすい? というものは何だ」
「教えてもいいけど、ギンさんも村長も魔素水については内緒にしてくれるかな」
なんせ古代竜であるボルさんにもらった、大切な魔素水だ。使い道を間違えてしまうと、きっとすんごい面倒なことになる。
ギンさんと村長は互いに顔を見合わせ、深く頷いた。
「リザードマンの誇りに懸けて誓う。口外は決してしない」
「にゃ」
クレイの身内とクレイが尊敬する村長だ。頑なに秘密にする理由はない。
鞄の中から一度木製のカップを取り出し、それを再度鞄の中に突っ込む。脳内でカップに水が溜まるイメージをして。
机の中央に置いた魔素水入りのカップ。美しい透明の青い水がゆらゆらと揺れている。
「にゅほ……こりはこりは……」
「青い水だな。これがまそすい、とやらなのか?」
「ラガル、お主にはわからぬのかもしれにゅな。これはとんでもない力を秘めた…………我らごときが扱うことをゆるさりぇにゅるにょろり」
「どのような力があるものなのか、俺もわからぬのだ」
うん、だから誰か村長の言葉を通訳してください。
魔素水の使い道は、今のところビーとプニさんの補助栄養のようなもの。プニさんは非戦闘員と考えているから、あまり魔素水を必要としない。というより、好みの味ではないと言っている。
「古代竜の力が宿りし魔素の集合体です。タケル、お前が造り出す魔石を数十個束ねた力が、その水の一滴に相当するのです」
皿に載せた飴玉を静かに食べ続けるプニさんが、つまらなそうに魔素水を指さした。
ちなみに村長とギンさんにはプニさんの正体を明かしている。そもそもギンさんの前で馬に変化してとっとと眠ってしまったプニさんだ。あのひと実は馬で、と説明。
村長は特にありがたがりも崇めもしなかったが、プニさんに向かって両手を合わせてにゃむにゃむ何か言っていた。一応、神様であると認識してくれたようだ。
「その水を……親父にぶち、ぶちまけた?」
「そうそう。完全回復させたくてさ。あの場で死なれたら俺が後々面倒だろ? だからさ、こう、ばしゃっとかけて、完全治癒をだね」
「完全治癒だと!? 失われし太古の秘術ではないか!」
ああ、こういう驚き新鮮。
もう俺が何をしようと、クレイもブロライトも驚かなくなったからな。たまに呆れた顔で見られるけど。
「うぬにゅる……ラガルよ、タケルは秘術を用いることに長けておるのにゃろう」
「秘術というか、クレイの脊椎の神経が傷ついているような気がしたから、そこを修復するイメージ……ともかく、健康になれますようにって感じで治した」
「ふひょっ、そりは凄い。お主は魔法を扱うのにゃな。治癒術師か」
「いや、素材を採取する人です」
「素材採取専門家とにゃ」
うんうん、このやり取りも久しぶりだな。
もう専門家って胸を張ってもいいかな。まだまだ魔法が頼りなんだけど、依頼された品を採取することに関したら、一定の評価をもらえているのです。
「まあそれで、考えなしに完全回復を願ったら、こう……背中の傷が治るどころかツノがぼこぼこ生えてきましてね」
時々魔王が降臨するように。
ドラゴニュートという種族が今のクレイのようだったのかは、わからない。ちょっと怒ったら身体がでっかくなり、我を忘れて暴走しまくる種族だとしたらえらい迷惑だけど。
戦闘に長けた種だったらしいが、その生態は謎に包まれたままだ。
「ふうむ………ギルがドラゴニュートに変化した理由は、このしゃいよいのりょ。槍が壊れたのはギルのせいではない。勇者ヘスタスも勇猛ではあったが、しょせんはリザードマンでありゅのにゃろ。ドラゴニュートの力で使わりぇたのにゃら、そりは壊れるというもにょろ」
「しかし長……!」
「ええい、にゃいにゃい言うにゃいにゃい。そういうものは、そういうものとして受け止めい」
村長の言葉をなんとか理解しようと必死で考える。
古の勇者ヘスタスは、確かに勇猛な戦士だった。しかし、それでも彼はリザードマン。上位種であるドラゴニュートの力で槍を振るうことは想定外。しかもクレイは途中進化の変異型ドラゴニュートだ。普通のドラゴニュートとも違う。普通がどうなのか知らないけど。
「長、直すことはできぬのか? ヘスタスの槍を」
クレイが取り出した槍は、無残にも折れてしまっている。ギンさんが小さく「これが折れるなんて……」と呟いた。
郷で大切に受け継がれていた、郷で一番の勇士が装備することを許されている槍。クレイが落ち込むのはわかるが、仕方がないことだと割り切らなくてはならない。俺の魔法でも直らないし、グルサス親方すら直せないというのだから。
「うにゅる………ただの槍ではにゃい。思いの込められた、ヘスタスの分身とも呼ぶべき槍にゃる。これをにゃおすとにゃればにょう…………」
一縷の望みをかけて郷までやってきたのだが、村長も槍の直し方はわからないのか。
まあ想像しなかったわけではない。プニさんが直せないと言ったものを、どうやって直すのか想像もできなかったからだ。
机の上に青く輝く魔素水をビーに飲ませ、その背を撫でる。それでもどうにかしてクレイの槍を直してやりたい。
「村長、俺からも頼むよ。クレイから槍を取ったらただのおっさ……いや、荒ぶる魔王……ともかく、クレイの武器は槍って印象が強すぎるから、なんとかならないかな」
「わしもなんとかしてやりゅたりゅりゃおる」
「必要な素材があれば採ってくるし、今も意外とすんごい素材をいくつか持っていたりする。それをかき集めて、なんとか直せない?」
「ふにゅるるるる……そうにゃにょう……」
ヒゲに巣食っている謎のネズミごとヒゲを撫でまわした村長は、ウンウンと唸ったまま席を立った。
どこに行くのかと目で追えば、すぐそばの棚に近づいた。しゃがみこんで下にある観音開きの扉を開くと、中から古びた筒状のものを取り出す。少しほこりにまみれた茶色の筒は、村長の手のひらの上に乗る大きさ。表面に古代カルフェ語の文様。
「……開けるときちゅういしてね」
独特過ぎる文字の書き方だったが、なんとか読めた。
なんとも気軽な警告文。筒の中に何か気をつけなければならないものが入っているのだろうか。
俺が文字を読めたことに村長は小さな目を見開いて驚いた。
「タケル、お主はこの絵がわかるにょろり」
「にょろ……はい、そうです。読めます」
絵に見えるけど文字だ。エジプトの古代文字、ヒエログリフみたいなもの。
古代カルフェ語は今から数千年も前に使われた文字で、現在の共用語として使われている現代カルフェ語は、これの進化形。
村長は持っていた筒を俺に手渡した。外装は金属でできた、ずっしりとした重みのある筒。
「ヘスタスの古き文献でありゅ。槍のこともにゃにか書かれているかもしれない。そりはカリディアにある地下墳墓にあったにょり。槍もまた、わりらがそしぇんにょにゅりらりる、りぇーりゅりゅん」
「なんて??」
肝心のところが全然わからないんですけど!?
助けを求めてクレイを見ると、クレイは黙って頷いた。そうじゃねーよ。通訳してくれって言ってんだよ。
「ごめん、村長いまなんてったの?」
失礼でも構わないから肝心なところを聞かせてもらいたい。
申し訳ないと思いつつギンさんに聞くと、ギンさんは難しそうに眉根を寄せて腕を組み、俯いてしまった。村長は言いづらいようなことを言ったのだろうか。
プニさんが飴を食べるこりこりという静かな音だけが部屋に響いた。
そうしてしばらくすると、重苦しくクレイが口を開く。
「……我らの偉大なる祖先が眠る地下墳墓にヘスタスが眠っておる。俺の槍もヘスタスの元で眠っていたのだ」
「そうか。そこになら何か手掛かりになるものがあるかもしれないって?」
この筒の中に入っているだろう危険なものも気になるが、槍が元あった場所を探るというのは悪くない。
探査先生にお伺いを立てれば、わかることがあるかもしれないし。
だがクレイはさらにしかめた顔をすると、小さな小さな声でぽつりと言ったのだ。
「あそこには……祖先の亡霊が出るのだ」
えっ。
いま、なんて言いました?
まさかのお墓探検をすることになった俺たちだけど、今さらお化けやらモンスターやらに怖がっていられない。何が待ち受けていようとも、きっと俺たちならどうにかなる。なんとかなる。
……たぶんね。
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