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4巻

4-9

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「タケル、あれを放っておくわけにはいかぬ」
「いやそうだけどさ、俺、関係ないような気がするんだよ」
「しかし、リベルアリナの声を伝えることができるのは、お前だけであろう」

 クレイの言う通りなんだけど、あの緊張感漂う中にちょっと待ったと割り込む勇気はないかな。年寄りの怒鳴り声って妙な迫力があるんだよ。
 どう伝えればいいんだろう。古く続いた伝統を守ることも大切だと思う。老舗しにせの名店でさえ時代の流れとともに商売内容を変えるように、エルフも守るべきものを捨て、新たな時代を迎え入れなければならないんだ。それを、どう伝える?
 すると、プニさんがチョウチョを追いかけながらつまらなそうに言った。

「リベルアリナよ。この現状をなんとかできるのは貴方なのではないですか?」

 ――はああ、もう、いやんなっちゃうわヨ……

「早くなさい。力を貸します」

 ――あらっ、珍しい。古代馬アルタトゥムエクルウスが精霊に力を貸しちゃうの?

「じゃがばたそうゆー五個を食べるためですから」

 ――なによそれ
 プニさんは長い袖をまくり、気合いを入れてリベルアリナのごつい腕に触れた。
 何をするのかはわからないが、リベルアリナの真実の声を伝えてくれるのだろう。
 さて、魔人のお出ましだ。
 マデウスでの神様と精霊の違いは、明確にあるわけではない。
 日本で神様と妖怪の違いがよくわからないように、人を見守り、時にいましめる、身近にいる存在。精霊はその姿を決してひけらかすことはなく、また一つの種を特別に贔屓ひいきすることもない。
 そんな精霊が今、雄々しい姿をエルフたちの眼前にさらしている。
 森を象徴とする鮮やかな緑を纏った精霊の王は、悠然ゆうぜんと笑みをたたえて彼らを見下ろした。
 自分の信じていた尊い神様が突然目の前に現れたとき、人はどのような反応を示すのか。ただ驚きほうけるのか。それとも感動で涙を流すのか。それともそれとも。
 ――アンタたちいい加減にしなさいヨッ! アタシの言葉を無視して過去の亡霊にとらわれるなんて、威厳あるエルフ族のやることなの? 冗談やめてよーもーっ!
 軽く引いたなこれ。絵面が強烈すぎる。
 緑のマッチョお化けがクネクネしながらオネェ言葉でぷんぷんしている姿なんて、さすがのエルフ族でもポカンとするしかない。

「リベル……アリナ?」

 リュティカラさんが恐る恐る声をかけると、リベルアリナはにっこりと微笑み、深く頷いた。
 しゃらしゃらと輝く小さな光の粒に包まれた幻想的な光景のなか、リベルアリナは綺麗に整えられた指先でリュティカラさんの頬を撫でた。
 ――アンタには苦労をかけたわね。アタシの力が弱っていたばかりに、たくさん哀しませてしまったワ

「リベルアリナ……ッ! とんでもない、とんでもないことです! あたし、あたしがもっと強ければ、皆を困らせることはなかったの」

 あれ。
 ゴリマッチョの姿にドン引いたわけじゃなかったのか。
 リュティカラさんが言葉を発するのと同時にエルフらは我に返り、慌ててその場で膝をついて頭を下げた。
 中にはあの姿に感動をして拝みながら涙を流す者もいる。まじか。
 化け物だと悲鳴を上げ逃げ出そうとした俺が恥ずかしい。いや、あれ拝める? ありがたがれる? エルフの美的感覚ってどうなってんの?
 ――アタシこそがリベルアリナ。聖なる森の主、森の精霊王ドリュアス
 ヤツは余裕ぶって胸を張っているけど、その顔がヒクヒクとニヤついているのがわかる。自分をうやまいひれ伏すエルフたちを見渡し、満足げに繰り返し頷いた。
 そしてエルフたちに静かに話しかける。
 ――アンタたちの祖先に種を大切にしなさいと言ったのは、確かにアタシよ。だけどね? 血脈にこだわって外界との交わりを絶てと言った覚えはないワ

「し、しかし……」

 ――何? アタシに口答えするわけ? 生意気なこと言うと、どんな新鮮な葉を食べても、腐った木の根っこの味にしか感じられない呪いをかけるわヨ
 地味に嫌だなそれ。
 死ぬわけでもないし、苦しみ続けるわけでもない。だけど、もしその呪いを俺がかけられたら一生地獄だろうな。新鮮野菜を食えないなんて、冗談じゃない。
 近習のエルフたちはヒイイと悲鳴を上げ、深々と頭を下げた。
 ――アンタたちさ、尊い血脈って言っていたけど、血なんて途絶えたらお終いなんだからネ? 妙なことにこだわるよりも、今ある命を大切にしなさい
 リベルアリナの声は透き通るような音で、エルフたちの心に温かく染み渡った。
 何よりもその存在を信じ、あがめていた神様から、頑なに守ってきたものを否定される辛さ。
 それはどれだけ辛いことだろう。
 俺は前世でもこの世でも、強く信じている神様は存在しない。ただ、身近にうろちょろしている神様の存在は信じてやらなくもないが、それは信仰ではなかった。
 静かに涙し嗚咽おえつするエルフたちをその場に残し、俺はクレイとプニさんを連れだってギルドへと向かう。
 後はエルフとリベルアリナの問題。どれだけ時間がかかっても、話し合って解決しなければならない。
 ヴィリオ・ラ・イに戻りたいエルフもいるだろう。たとえ他の大陸の故郷に帰ることができなくても、このヴィリオ・ラ・イの大樹の傍らで暮らすことができるのなら、幸せに暮らせるんじゃないかな。
 願わくは、ブロライトの故郷が平和になるように。


 + + + + +


「ピュヒニュー……プププ……プピー」

 相変わらず奇妙な寝言とともに、俺のローブをぐちゃぐちゃにして眠るビー。
 太陽はとっくに昇ったが、もう少し寝かせてやるとしよう。
 昨夜は夜遅くまでエルフたちの話し合いが続いていたようだ。話し合いというか互いの妥協点をどこに持っていくか、懸命に考えていた。
 リベルアリナの言葉を聞いた古参の保守派エルフも聞く耳を持つようになり、それでは「外」エルフで構成されたプネブマ渓谷のフルゴルはどうするかと。
 宿屋の料理長まで集会に参加していたので、それじゃあとご飯係を引き受けて肉すいとんスープを大量に作ってやった。
 宿屋の炊事場にあった巨大な鍋を借り、じっくり煮込んだ温かなスープに彼らは感激し、競い合ってスープのお代わりをしてくれた。
 腹が満たされたエルフたちは前向きに話を進めることができたらしく、俺が床につく頃には時折笑い声が聞こえていた。
 エルフの郷での用事は一通り済ませた。後はベルカイムに帰るだけ。ベルカイムで受けた依頼の報告もしないとならないし、採取したキエトネコミミシメジをグリットさんに見せてやりたい。いくらで売れるか楽しみだ。

「あらぁん、おはよう、タケルちゃん、ビーちゃん」
「おはようございます、サーラさん」
「ピュィィー」

 朝飯を食べ終えてからギルドに顔を出した。
 サーラさんは昨夜の話し合いに参加しなかったようで、結果がどうなったかは知らない。相変わらずのお色気をまき散らし、指先だけでクイクイと俺を招いた。

「な、なんだろな?」
「うふっ、そんな怯えないでちょうだい。先日、依頼を出したでしょう? アレね、木工職人や鍛冶職人たちが我こそはって名乗りを上げてくれたの」
「ほんとですか!」
「ええ。だって報酬が破格だもの。でもね、動力源に見合う魔石が用意できないんじゃないかって言っていたわ」

 あれもこれもと注文をつけたからな。
 俺が依頼したのは、プニさん専用の荷車だ。見た目は普通の質素な幌馬車風。だけど、俺の要望をこれでもかと詰め込んだ夢の馬車。

「それは大丈夫。各種魔石は全部俺が用意するから、魔石の力をうまく発揮できるような装置を作ってくれればいい」
「あらぁん、それは豪儀ごうぎなことじゃない。素敵よ」

 完成するまでしばらく時間が欲しいとのことで、ヴィリオ・ラ・イの転移門ゲートをそのままに、ベルカイムに戻ることとした。
 エルフの郷に多大なる貢献をしたとか……なんとかで、サーラさんは俺たち蒼黒の団のメンバーに「お墨付き」をくれた。しかもギルドマスター直々のお墨付き。
 ギルドリングに魔法の力で彫られた独特のしるしがそれらしい。この印が多ければ多いほど冒険者としての信用が上がる。
 ちなみにドワーフ王国のギルド、カリストからもこのお墨付き印をいただいている。
 坑道探査はギルドを通さないでやったことなのに、カニを倒したのは俺だからということでギルドリングに印を入れてもらえた。
 ベルカイムのエウロパのお墨付きは、俺がオールラウンダー認定者になったときにもらっている。クレイも長年貢献しているので、だいぶ前にお墨付きをもらった。
 真摯しんしに仕事をこなしていればランク関係なくもらえるものなので、特に珍しいものではないらしい。ただ、あちこちのギルドから印をもらっているのが珍しいだけ。

「サーラさんにもお世話になりました。明日の朝、ベルカイムに戻ります」
「ええっ? やだぁ……もう行っちゃうの?」
「もともとリュティカラさんを探すのが目的でしたし」

 ブロライトからの願い事に応えるだけで、ずいぶんといろいろやったような気がする。
 エルフの郷を襲う異常なまでの魔素をなんとかし、魔素の流れを変えていたSランクのモンスターを討伐。エルフの郷の存亡にまで関わって、ほんともう頑張ったと思うんだ。
 たった数日だけの滞在だったのに、なんとも大変だった。
 俺が行くところ、毎度こんなだったら困るんだけどな。


 + + + + +


「タケル、ブロライトは如何するのだ」

 翌朝、俺たちは郷の入り口に来ていた。
 身支度を済ませ、転移門ゲートを開く準備を整えた。転移門ゲートはベルカイムの近くにあるトバイロンの森につながるように設定済み。大陸の最南端からベルカイムまで何百キロもあるだろうし、プニさんの背に乗ったまま延々と走ってもらうのは、さすがに遠慮したい。見返りが怖い。
 緑の魔人リベルアリナはいつの間にか消えていた。挨拶の一つくらいしてやっても良かったが、あのビジュアルはちょっと心臓に宜しくないのでいなくなってほっとした。

「んー……ブロライトの目的はお姉さんを探すことだったし、エルフの郷も滅亡することはなくなった。話し合いはまだまだ続くだろうから、無理を言って連れていくわけにはいかない」
「しかし、あやつの腕は惜しい。小さき郷にとどまる器ではないと言うに」
「そうだよな。でもまあ、そのうち我慢できなくなって出てくるんじゃない?」
「ピューイ」

 この郷に初めて来たときには見ることができなかった青い空。
 高い高い空を嬉しそうに飛び回るビーを見上げ、やはり湿気まみれの心地悪い場所よりも、こうやってカラッと晴れた青空のほうがいいよなと思う。
 せっかくチームに入ってくれたブロライトだが、生まれ故郷のほうが大事だろう。何よりブロライトの意思を尊重してやりたい。

「わたくしの馬車はいつごろできるのです?」
「追加注文つけまくったから、ひと月以上はかかるんじゃないかな」
むちを打てばよいではないですか」
「鞭は打ちません」

 不貞腐れ顔を隠そうともしないプニさんは、俺が発注した幌馬車を引くのが楽しみでならないらしい。プニさんの負担にならないように、だけど見かけは完全な幌馬車に見えるようにしてもらったから、きっと喜んでくれるはず。
 俺としては温泉が名残惜しいが、転移門ゲートを開けばすぐに来られる。今生の別れとなるわけではないから、気持ちは楽だ。ちょっとそこの銭湯へ、の気分で来させてもらいましょう。

「タケル、クレイストン殿、そして古代馬アルタトゥムエクルウスみこと。我らの郷をお救いいただいた此度こたびの件、我らエルフは生涯忘れることはございませぬ」

 見送りに来てくれたアーさんが深々と頭を下げ、かしずくハイエルフやエルフたちもそれにならって頭を下げた。クウェンテールも晴れ晴れとした顔で微笑んでいる。
 滅多に大樹の外に出ないという運動不足の女王様も、リュティカラさんとブロライトに補助されながらゆっくりと頭を下げた。最近の女王様はなるべく歩くように努力しているらしい。

「女王様、無理しないで」
「ほんに、なんと言えば良いのでしょう……」
「何も言わなくていいですよ。俺たちはお礼が欲しくて何かしたわけじゃないです」

 本当はブロジェの弓も返したいんだけど。

「しかしそれではわたくしたちの気持ちが収まりません。どうにかこの気持ちを形で返したいのです」
「俺たちはこれからも温泉……薬の湯? に入りに来ます。そのときの宿代を無料ってことでどうでしょう」

 ヴィリオ・ラ・イにある宿屋は訪れる者があまりにも少なく、たまに訪れる客人のためだけにかまに火を入れ、掃除をし、もてなさなければならない。そのため経費が他の宿よりもかかり、一泊推定二千レイブ以上。実はベルカイムの中堅宿よりも宿泊費は高額なのだ。
 そこで俺とビーとクレイとプニさんの宿泊費を無料にしてもらう。なんていう贅沢なのでしょう。

「それしきのこと、とてもとても恩義としては返すことができませぬゆえ」
「それじゃあ、料理長が丹精込めて作った燻製肉くんせいにくをひとかたまり……」
「ちょっとアンタ、あたしたちのこと馬鹿にしてんの? エルフの恩人に宿代やら燻製肉やらを謝礼としろって? ふざけないでよ」

 いや本気で大真面目なんですけど。
 リュティカラさんに詰め寄られ、言葉に詰まる。だって謝礼ってこっちが要求するもんじゃないだろ? こういうのは相手の気持ちなんだからさ。
 多くを望んではいけない。金もあるし食材もある。ネコミミシメジをたくさん採取させてもらった。何よりも一番の報酬は、エルフたちからの信頼を得られたということだ。これは金で買えるものではないし、俺たちにとっては名誉にもなるんだ。
 魔力を豊富に持つエルフ族は、大陸にとっても大切な種だ。ドワーフの金属加工技術が貴重であるように、エルフ族は木工の技術と魔力。もしも大陸同士の戦争にでも発展した場合、彼らの技術はそのまま戦力となる。それだけ貴重な種族。
「外」エルフですら他種族を警戒するため滅多に口を利けないというのに、ハイエルフを含めたエルフ族からの信頼だぞ? これは凄いことなんだから。

「リュティカラちゃぁん、どうしても恩をカタチにしたいって言うのならぁ、タケルちゃんが発注した特別仕様の幌馬車があるのよ。あれを、私たちの感謝の形にしたらどうぉ?」
「えっ」

 頭を下げるエルフたちの後方で穏やかに微笑んでいたサーラさんが、モデルのようなウォーキングをしながら近づく。相変わらずの露出度高い服で目のやり場に困る。

「タケルちゃんが支払おうとしていた報酬を、私たちが出すの。これでも足りないくらいだけどぉ、あれもこれもって押し付けるのは却ってよくないことでしょう?」
「いや、サーラさんそれはさすがに」

 こつこつと貯蓄していたものを一気に使って発注した幌馬車は、お値段も破格だったりする。日本円で換算すれば、それこそ数百万円。
 普通の馬なしの幌馬車の相場が数十万レイブだと言われたので、それなら魔石をつけまくって魔道具マジックアイテムにした馬車は如何ほどかと。神様が引く馬車をケチって作るわけにはいかないし、俺だって乗るんだから妥協はしない。長く使うものこそ、安く買ってはならないのだ。

「サーラ殿、タケル殿が提示した報酬金額とは如何ほどなのだ」
「はぁい、アージェンちゃん。えっとね、前金がこれで諸経費がこれで、あれもこれもってなると紹介料がこ、れ」

 アーさんに問われ、サーラさんは豊満な胸の谷間!! からすっと取り出した羊皮紙を見せながら料金説明。えっ紹介料俺が聞いたときより高くね? 諸経費も上乗せされてね?
 羊皮紙を受け取ったアーさんが女王様や近習たちに見せると、彼らは一斉に顔をしかめる。ええそうですよね。馬鹿みたいにお高いですよね。

「ロベルサーラ、これだけでも足りないではありませんか」
「そうだ。我らの財を舐めてもらっては困る」
「たかが幌馬車の一台だけで我らの心とするのか」
「エジルハラの涙も差し上げたら如何か」
「それならば淡き翡翠ひすい香炉こうろを」

 わいわいと話し合うエルフたちを呆然と眺め、もう黙って出ていっちゃおうかなとそろりそろりと後ずさり。
 俯き何も言わないままのブロライトが気になったが、きっと思うことがあるのだろう。声をかけるべきか迷ったが、もし俺が声をかけてブロライトの決心が鈍ったらいけない。なんの決心をしたのかはわからない。だけど、きっとブロライトなりに懸命に考えて答えを出したんだろうな。
 あの顔は、この郷に留まる決意をしたんだ。

「今のうちに行っちゃいなさいよ、タケルちゃん」
「すみませんサーラさん、でも馬車の代金はちゃんと支払いますから」
「だ ぁ め。私たちにも矜持きょうじってものがあるの。恩を感じていて、その恩を返したい子にいらないなんて言っちゃダメよ? そんな可愛くないこと言っちゃったら、お仕置きしちゃう」

 ふうっ。
 甘い蜜のような匂いの吐息を耳に吹きかけられ、なんかもうたまらなくなる。どうしたいの。ほんとやめて。

「仮にも古代馬アルタトゥムエクルウスが引く幌馬車よ? 絶対に他にはないようなものを造らせるから。期待してちょうだい」
「…………そそ、そこまでおっさ、仰られれれる」
「ピュ!」
「しっかりしろ」

 ビーに叱られ、クレイに後頭部を叩かれ、我に返る。
 小悪魔の毒牙どくがに動揺している場合じゃない。エルフたち、なんだか不穏な会議になっているな。城を与えろとか湖はどうだとか言い合っている。いらない。とても、いらない。
 上司の結婚式の引き出物で、新郎新婦の名前が書かれたフォーエバーラブクリスタルグラスをもらってしまったあのときくらいに困るだろうから、ここは退散させてもらおう。

「ブロライト、俺たち行くよ」
「ええっ? そんな……もう、行ってしまうのか? あと数日でも滞在すればよいではないか」
「じゅうぶん良くしてもらった。受注した依頼の報告もしないといけないからさ」
「じゃが、じゃが、わたしは……」

 いいよ。
 そんな顔すんなって。

「ブロライト、何も気にする必要はないのだ。我らは仲間だ。たとえ遠く離れていたとしても、心は一つであろう」
「クレイくっさ」
「なんだ?」
「いやなんでも。そうそう、クレイの言うのように、心はひとつひとつ」
「ピュイ!」

 チームから除名なんてことは絶対にしない。また何か困ったことがあったら声をかけてくれればいい。転移門ゲートですぐに駆けつけるから、遠慮なく何でも言ってくれ。
 泣きそうな顔のブロライトにそう告げると、とうとう涙をこぼしてしまった。
 子供のように顔をぐしゃっと歪め、嗚咽おえつをこらえて泣く姿にこっちまでぐっときた。だけど、慰めることはしない。
 やることを全部やって、郷が落ち着いてから来ればいいさ。
 俺たちはずっと待っている。ヘンテコなエルフを。


 + + + + +


 エルフの隠れ郷、ヴィリオ・ラ・イから転移門ゲートをくぐってあっという間にトバイロンの森へ。
 森からドルト街道に出て徒歩でベルカイムに移動。
 わずか数日しか離れていなかったのに、妙に懐かしさを感じる景色。エルフの郷は三百六十度全景色が緑だったからな。空が広く、より青く見える。

「タケル、次はどのような依頼を受けるつもりだ」

 のんびりと歩きながらチームが次に受注する依頼のことを考える。
 深い森と湿気まみれの暗い洞窟はとうぶんいい。明るくて爽やかで、美味いものを食える場所に行きたい。

「ベルカイムで新鮮な魚を食える場所はないんだよな」
「うむ。川魚ならば食える場所を知っておるが」
「川魚って生で食えるの?」
「だからなにゆえ生で食おうとするのだ。まったく……」

 カニを生で食えるって知っているくせに、まだ難癖つけるかこのやろう。
 川魚は刺身で食うイメージがないんだよな。俺の知らないところではあるのかもしれないが、どうにも寄生虫のことが気になる。調査スキャン先生に教えてもらえば食えるのかもしれないが、どうせなら魚以外に貝なども食いたい。
 やはりこれはあれだな。

「海に行きたい」
「ピュイッ!」
「海、ですか? 湖ではだめなのですか?」
「淡水魚よりも海水魚を食いたいんだ。マデウスの魚はどうなっているかわからないが、刺身が食いたい。あと、海が見たい」
「ぶるる……わたくしも海に行ってみたいです。サシミは美味しいのでしょうね」

 プニさんの目的は美味い飯を食うこと。場所は二の次。
 ビーは俺の行くところに喜んでついてきてくれる。今も海と聞いてご機嫌で空中旋回。

「新鮮な魚を生で食うのは怖いかもしれないが、刺身を醤油につけて食うと、これもう……酒にピッタリ。魚の肉の油がとろっとしてさ、白身はエルフのワインにも合う。もちろん、いためても美味いし、煮ても美味い」


 ごくり。


 はいちた。
 プニさんもクレイもビーも、脳内には魚の刺身がうごめいているだろう。
 この世界の魚は基本的にデカいが、タラに似た味の魚やっぽい食い物もある。こちらでの正式名は他の名前だが、俺はへしこと呼んでいる。
 ちなみにへしこは福井の名産で、友人に教えてもらった俺の大好物。あれをベルカイムで見かけたときは、思わず全部買い占めたものだ。
 加工された魚があれだけ美味いんだから、きっと刺身だって美味いはずなんだよ。

「海といえばダヌシェの港であろうな」
「なにそれ」
「ベルカイムから西に進み、レンディ運河に沿って十日ほどでグラン・リオ大陸の最西端に着く。海を眺めながらさらに南へと進むと、ダヌシェの港があるのだ。賑やかな街だぞ」

 遠い。
 これまたえらく遠い。
 なんとかって運河に到着するまでも何日かかかるんだろ? 全行程で何日になるんだ。

「わたくしは馬車ができるまでどこにも行きたくありません」
「そうだな。馬車ができるまでベルカイム周辺で滞在して、完成してから出発しよう」

 せっかく馬車を発注したのだから、使わずにレンタルで旅をする気はない。発注した馬車の中で寝泊まりができるから、野宿をしないで済む。
 カニ狩りにも行きたいし、しばらくはエウロパの指名依頼を消化して過ごそう。グリットやウェイドに睨まれたくないからな。

「その前にあれを何とかしたほうがよいでしょうね」
「ピュピュ」

 はい?
 プニさんが指先を真後ろに向けると、ビーもうんうんと頷いた。
 何のことを言っているのだと歩いてきた街道を眺める。地平線の向こう、陽炎かげろうに揺らめく謎の巨大な何かが近づいてくる。
 モンスターかと思ったが、ビーは警戒警報を出さない。プニさんもちょうちょを追いかけているだけ。

「何があるのだ」
「なんだろな」

 目をらしてこちらに向かってくる物体を確認しようとした、その瞬間。

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