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4巻

4-7

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「不思議な光景かい? 旅人よ」

 子供らにまみれた俺が腰を下ろして青い空を見上げていると、隣に座る人の気配。
 渋い声の矍鑠かくしゃくとした老齢のエルフだった。

「俺にとっては、ヴィリオ・ラ・イの光景も不思議に満ち溢れていましたよ」
「ほほほ、そうかそうか。冒険者というものは数多くの景色を見慣れていると思うたがのう」
「俺はまだまだ初心者冒険者ですから」

 目尻のしわを深くさせ嬉しそうに微笑むこのご老体エルフは、ブロライトが言っていた長老さんだった。長い名前を名乗られたけど、例のごとく覚えられません。
 背筋をまっすぐと伸ばして座る長老さんは、俺と同じくらいの背丈。端麗たんれいな顔に深い皺を刻み微笑むさまは、無声映画の俳優のようだ。

「はっはっは、初心者冒険者とはな。オールラウンダー認定者が何を言う」
「え。そんなこと、どうやって知ったんですか?」

 ギルドリングを見せていないのに。

「ふふん、ヴィリオ・ラ・イに内偵をひそませておるのだ。おぬしのことをそれはそれはめちぎっておったぞ」
「ああ……サーラさんかな」
「なにゆえわかったのだ!」

 そりゃたくさんセクハラされましたから。
 サーラさんはギルドマスターでもあるから、保守派、改革派のどちらか片方に味方することはない。きっとこの隠れ郷のことも知ったうえで俺たちを見送ったのだろう。そして、俺たちの来訪を長老さんに告げたと。どうやって告げたのかは謎。

「ピュィー」
「そちらが古代竜エンシェントドラゴン御子みこと」
「そうです。可愛いでしょう? ビーっていうんです」
「ピュピュッ」
今生こんじょうにて御名ぎょめいを拝聴せし我が身のほまれ、かしこみ、かしこみ……」

 長老さんはビーに深々と頭を下げ、祈るように両手を合わせる。
 ビーは大きな口を開けて欠伸あくび

「郷の頭でっかち連中は度肝どぎもを抜かれたであろう?」
「ええ、まあ」
「ふふふふ。ざまあみろだ。己こそが何よりも秀でていると勘違いしおった連中の、慌てるさまを見てやりたかったわい」

 にやりと悪い笑みを浮かべた長老さんは、ビーの頭を撫でつつ走り回る子供たちを眺めた。

「この若き息吹を見よ。異なる血を受け入れたわしの考えは間違うてはおらんかった」

 リベルアリナが残したと言われているあの碑文、長老さんは正しく解釈していたようだ。
 郷のエルフたちに警鐘を鳴らし、近習のハイエルフたちに碑文の解釈を伝えたらしいが、彼らはかたくなに聞く耳を持たなかった。
 他の大陸のエルフと交流をするだけで、血脈は正しく継がれるというのに。

「そもそも種を途絶えさせてまで守るものなどない! それがわからんのだあやつらは!」
「それはたいへんでしたねー」
いにしえの掟を守るのもわかる。わかるのだ! しかし、世は変わりゆくもの! グラン・リオのエルフだけが取り残され、尊き種が途絶えてもなお掟を守るのか!」
「そうですねー」
「聞いておるのか!」
「ひょあい!!」

 向こうの丘に見えるのは七色のレインボーシープじゃないかなあ、相変わらずもっふりしているのかなあ、後でちょっと行きたいなあ、なんて他所事よそごと考えていたら怒鳴られた。
 ここで熱弁されても困るんだけど。長老さんの考えを俺に語ったところで、ヴィリオ・ラ・イの連中は何も変わらない。

「聞いてます、聞いてます。一応」
「お主は人間だ。わしらの境遇はわからぬとは思うが、もっとこう、わしに同情しろ」

 ええー。
 紳士なおじいさまかと思ったら、けっこう面倒くさいなこの長老さん。

「俺の住んでいたところでも同じようなことがあったんですよ」
「なに? どういうことだ」
「ものすごく昔のことですよ? 数百年数千年も前のことです。エルフにとっては大した年数ではありませんが、寿命百年もない人間にとっては大昔のことです」

 近親婚の危険性、それに伴う病気や障害についてわかる限り話した。
 異形いぎょうの姿で生まれ落ちる赤ん坊は、濃すぎる血のせい。
 事実、大陸ごとで違う進化を遂げたエルフ同士の子供は、あんなに元気に遊び回っている。

「エルフは外の世界を知るべきだと思います。守るべきものは守って、変えられるものは状況に応じて変えていかないと」

 駄目なものは駄目と認めるには時間がかかるかもしれない。
 大切にしてきたものを壊すには勇気も必要となる。
 それでも変わらなければ。
 ところでブロライトといえば。


「わからずや! なにゆえわたしの言うことが聞けぬのじゃ!」
「わからずやはどっちよ! あんな頑固ジジイやババアばっかりの郷になんか、絶対に帰らない!」
「無礼であろう!」
「無礼はどっちよ!」
「たわけぇっ!」
「なあんですってぇーーっ!」

 仲良く取っ組み合いの喧嘩をしています。
 エルフ特有の戸建てであるログハウス風の建物が並ぶなか、美しいエルフが本気の大喧嘩。
 互いに掴み合い、頬を叩き、髪の毛を引っ張り、口汚くののしる、罵る。
 あれはキャットファイトというよりも、ライオンファイト。キャットなんて可愛い生き物じゃない。お互いに武器を装備していないだけマシだが、そもそもエルフは森の狩人かりゅうどと呼ばれるほど戦闘能力が高い種族。誰に教えてもらうでもなく、物心ついた頃には弓で獲物を仕留められるのだとか。
 そんなお強い種族が二人、全身泥だらけになりながら喧嘩をしているのだ。
 命を懸けるほどではないと思うが、次第に本気になりつつある。女子のマジ喧嘩ちょうこわい。

「わたしに一言相談してもよかろう! なにゆえ黙って郷を出たのじゃ!」
「あたしだっていっぱい考えたわよ! 悩んで悩んで、お腹痛くなったんだから!」
「何っ!? 今は大事ないのか?」
「大事ないわよ! もうっ! あたしの心配ばっかりするアンタが嫌だったの!」
「心配なぞするのは当たり前のことじゃろうが! 何をたわけたことを!」
「たわけてないわよ! アンタはあたしの心配じゃなく、自分のことだけ考えればいいの!」
「そなたは血を分けた姉御であるぞ! 何より大切な存在じゃ!」
「嬉しい! ……じゃないわよ! もう! ばか!」
「ばかとはなんじゃ!」

 仲がいいんだろうな。
 お互いに本音で話し合えるというのは、仲が良い証拠だ。うんうん。
 しかしリュティカラさんってエルフの巫女だったはず。おごそかで慈愛に満ちた特別なエルフなんだろうなあ、と妄想していたんだけど。
 ブロライトに瓜二つのリュティカラさんは、相当気が強いらしく、ブロライトに出逢った瞬間悲鳴を上げて怒鳴りつけた。「アンタなんでここにいるの!」と。両手を広げて再会を喜んだブロライトがとても不憫ふびんでした。
 姉妹? 姉弟? の久しぶりの再会だから感動するのかな、なんて想像していたのに。
 見事な金髪をもじゃもじゃにして、土埃つちぼこりを舞い上がらせビンタの応酬おうしゅう。あれ絶対に痛い。

「……止めないでいいんですか?」
「ふん、わしはまだ死ぬつもりはない」

 白けた目で眺めていた長老さんに問うと、長老さんは鼻で笑いながらそそくさとどこかに行ってしまった。逃げたな。
 遠巻きに喧嘩を見守るエルフたちも、微塵みじんも心配せずのんびりと日常を送っている。
 しかしこのままだと収拾がつかない。そろそろ夕飯時だし、作る手伝いをしないと。
 ここはアシュス村より人口が少ないから、全員にふるまえるだけの何かが作れるはずだ。何を作ろうか。
 唸りながら互いに一歩も譲らない攻防を眺め、やめさせようと立ち上がる。子供を背中と腹に数人つけたまま。

「ブロライトー、そろそろやめないと夕飯抜きにするぞー」
「なんじゃと! そ、それは駄目じゃ!」

 ブロライトは掴み合ったまま叫んだが、顔だけ俺のほうに向けて慌てている。

「だったらもうやめなさい。ブロライトのお姉さんもやめなさい」
「なによアンタ! 邪魔しないでよ!」
「美味いご飯を抜きにするならそのまま続けろ」
「そんなの、どうだっていいじゃないの……」
「ヴィリオ・ラ・イでも大好評だった木の実と鶏肉の辛味炒め、これのから揚げ版ってのはどうでしょう」

 から揚げ。
 その言葉に反応したブロライトは、リュティカラさんを強引に押しのけて井戸へと走った。あのまま手洗いうがいをし、服を着替えて手伝いに来るのだろう。
 素早いブロライトの動きに目を点にさせているリュティカラさんは、しばらく呆然としてからゆっくり立ち上がる。その顔は、穏やかに微笑んでいた。

「邪魔したようですみません」

 散らばったアクセサリーなどを拾い集め、彼女に手渡す。

「うふふ。いいのよ。あーっ、久しぶりに全力で喧嘩したわ!」

 全力と言っても武器はないからつまらないんだけどね、とウインクされて返答に困った。
 リュティカラが子供たちに目配せすると、子供らは心得たとばかりに俺の身体から降り、四方に散っていった。さすが巫女。統率力すごいな。
 アクセサリーを受け取った手でそのまま俺の手を強く握り、真剣な顔で見上げてくる。ほんと、ブロライトにそっくり。

「あの子に人間の仲間ができるなんて驚きよ。もちろん、リザードマンの素敵な彼もね」
「ピュイ」
「あははっ、アンタも頼もしい仲間なんでしょう? ブロライトがお世話になっているわ。ありがとう」
「ピュピューイ」

 リュティカラさんは俺の手を放し、服についていた土埃をパタパタとはたいた。見ればあちこちほつれ、膝に穴が空いている。
 このくらいならと無詠唱で清潔クリーン修復リペアをかける。

「えっ」

 手のひらから放たれた柔らかな光はリュティカラさんの全身を包み、破けた個所を修復。泥汚れなども取り除き、ぐちゃぐちゃの髪をさらさらに戻した。


「なにこれ……アンタ、何をしたの?」
「魔法です」
「信じられない……こんな魔法、聞いたことがないわ。それにとっても暖かい」

 破損したアクセサリーもすべて修復され、元ある位置に戻ったようだ。
 こうして改めてリュティカラさんを見るとブロライトとそっくり。だが、ブロライトのほうが精悍せいかんな顔立ちをしている。リュティカラさんはより女性らしい美しさ。
 とびきりの美人だと思うんだが、ヴィリオ・ラ・イの美形エルフに慣れた今、動揺することはない。

「アンタ、ええと……タケル、って言ったわね」
「はい」
「あたしだからわかるわ。長老も薄々気づいているかもしれないけれど、アンタは人間じゃない」
「人間ですけど」
「なんていうか、そうじゃないの。人間だけど人間だけじゃない……何かもっと深いものを感じるわ。ハイエルフの巫女が言っているんだから、間違いのはずない」

 人間でいさせてくれないかなあ。
 よくわからない加護はたくさんもらったけど、俺の本質は人間。
 弱いし卑怯ひきょうだし面倒くさがりやだし、すぐにラクしようと全力で考えるよくいる人間。

「ブロライトの相手は大変でしょう」
「面白いですけどね」
「うふふっ、あの子ったら場の空気は読めないし、とんちんかんなこと言うし、すっごく無謀なの」
「そうですね。でも、あの底抜けの明るさに助けられるときもあります」

 一度戦いはじめれば、決して逃げたりしないのがブロライトだ。
 俺やクレイをどこまでも信じ、頼ってくれる。
 大食漢で常に小汚くて、いつも笑っている。助けてもらっているのは俺のほう。

「あの子はハイエルフよ。しかもむべき血脈の末裔。不完全な存在」
「うーん、そういうのよくわからないんで」
「よくわからない?」
「ぶっちゃけ、どうでもいい」
「ど、どうでもいい??」

 戸惑うリュティカラさんに思わず笑ってしまうと、こちらを目指して駆けてくるブロライトに手を振った。

「ブロライトはブロライトだ。俺にとってはそれだけだ」

 ヘンテコなエルフってなだけ。
 性別もどっちだっていい。今じゃ弟みたいなもんだし。ビーとは兄弟みたいなものだし。
 なんせ魔王を降臨させる幻の種族ドラゴニュートと、神様候補のドラゴンと、現役神様が仲間なんだからな。
 今さらどうでもいいことなんだよ。
 チーム蒼黒の団は、そういう細かいことは気にしたら負けってことで。


 + + + + +


 郷の方たちに歓迎された俺たちは、昼食に続き、夕飯をご馳走になった。
 お礼にと大量のから揚げを作ってやったら、それはもう拝まれるほどに感謝された。から揚げは片栗粉が理想だが小麦粉でも美味いのです。
 種族が違えど食うもんは食う。ブロライトが美味いと絶賛したのなら、同族のエルフの舌にも合うと思った。ドラゴニュートと神様候補と現役神様すら美味いと絶賛したから揚げ。
 胃袋を掴めば後は簡単。もともと歓迎されていた俺たちは、一晩の寝床を借りることとなった。
 ブロライトとリュティカラさんは相変わらず険悪なままで、食事の最中も憎まれ口すら叩かなかった。と、いうのもお互い料理に夢中になっていただけだが。
 食べ方すらそっくりだったのには笑った。二人ともほっぺたを膨らませてもぐもぐと咀嚼そしゃくする姿はさすがの姉妹。姉弟? どっちでもいいか。

「ふう」
「ピュ? ピュイー」
「ん? へいきへいき。こんくらいのアルコールじゃ、俺は酔えないから」

 郷の奥、岸壁の側に建てられた集会場の外に出て一息つく。
 集会場には郷のエルフの大半が集っており、さながら宴会のような賑やかさだ。大渓谷にひっそりとある郷に客人が来るのは初めてのことらしく、誰もが興味津々に外の世界のことを聞いていた。特に竜騎士ドラゴンナイトであるクレイは大人気で、エルフも竜騎士ドラゴンナイトに憧れたりするんだ、なんて思った。
 手に持った酒をちびちびと飲み、俺の膝に陣取ってまどろむビーの背中を撫でる。
 とろりとした琥珀こはく色の酒はこの郷の住人が造ったらしく、まるで長年寝かせた濃厚なウイスキーのような味わいだった。その名も琥珀酒。
 俺としてはエールやラガーよりも、この酒のほうが好きだ。一気にあおるんじゃなくて、こうやってちびちびと時間をかけて飲むのが楽しい。

「ピューィ……ピュー」
「ビー、眠かったら寝な。子供らの相手をして疲れたろ」
「ピュヒゥ……ムププ……」

 目をこすりながらも懸命に起きていようとするビーを撫で、眠りに誘う。
 食事のときまで触れてこようとする子供らにとうとうブチ切れ、泣きながら俺のローブの下へと避難したビー。子供らに火を噴かなかったのは褒めてやる。

「アンタ、こんなところにいたのね」

 背後から声をかけたのはリュティカラさん。
 その腕に抱くのは、小さなエルフの赤ん坊。

「騒がしくてごめんね。アイツら、誰かを招くことが嬉しくてたまらないのよ」
「あはは。ありがたいことですよね。嫌われるよりずっといいです」

 賑やかなのも嫌いじゃないんだ。ただ、ビーが疲れてしまったから外で一服しているだけで。
 リュティカラさんは俺の隣に腰掛けると、腕の中ですやすやと眠る赤ん坊を愛しそうに見つめた。その赤ん坊の肌の色は見事な茶褐色。リュティカラさんとアッロ・フェゼン・エルフ族であるハイエルフのクランベリー……だかクラウン? なんて言ったっけ。
 とにかく、その肌の色の違うハイエルフとの子供だ。

「はあ、こんなに楽しいのは久しぶり。ううん、毎日楽しいしたくさん笑っているけど、お腹がよじれそうになるくらい笑ったのはほんとうに久しぶりだわ」
「それは良かった」
「うふふふっ、アンタ不思議ね。あの子がアンタを頼りにしているのがわかるわ」

 もぞもぞと動く赤ん坊の額に口を落としたリュティカラさんは、幸せに満ちた母親の顔で微笑んだ。

「ププププ……プヒィ……プヒュッ……」

 眠りが深くなると、ビーはまんまるの形から次第にほぐれ、最終形態は仰向けの大の字となる。この姿を見せるのは宿屋などの屋根のある場所で数日滞在し、その部屋に慣れたときだけ。
 今日会ったばかりのリュティカラさんが傍にいるのにこの姿を見せるとは、よほど安心しきっているのだろう。ヨダレ垂れ流しではあるが。

「それ、本当に古代竜エンシェントドラゴンなの? ヘンな寝言」
「可愛いだろ」
「うん。すっごく。ドラゴンの子供なんて初めてよ」

 長命のエルフすら子供のドラゴンは珍しいのか。
 俺としては、赤ん坊のエルフが珍しいんだけどな。というか、初めて見た。ぷくぷくとした頬に人形みたいな小さな拳。まつ毛長いな。

「可愛いでしょう? アタシの宝物。ティルウェザンエルカスヴォターレ」
「……てる……ざん……てれ」
「ティルウェでいいわよ。エルフの名前は独特で覚えにくいでしょう」
「はい」
「あははは! アンタ正直ね!」

 そんな大笑いしたら赤ん坊が起きるんじゃないか? ビーは一度この姿になったら朝になってもなかなか起きないからいいけど。

「この子がいるから郷に戻りたくないの」

 赤ん坊は穏やかに眠り続けている。
 リュティカラさんは柔らかな頬を指で撫でながら、静かに続けた。
 巫女である自分を恥じたり憂えたりしたことはない。だが、たくさんのハイエルフにかしずかれ大樹の外にすら出られない生活は苦痛だった。
 すぐ下の妹であり弟であるブロライトはその身体ゆえ、古参エルフたちから良い感情を持たれてはいなかった。それゆえ、奔放ほんぽうに過ごしても何も言われないのが羨ましいと。
 ブロライトの境遇を考えれば何を恐ろしいことをと自分の考えを否定したが、一度芽生えた気持ちは膨らむ一方。

「あたしね、ブロライトが大好き。大好きで大好きで、愛しているの。巫女の部屋に閉じこもっているあたしに会いに来て、一日あったことを嬉しそうに話すのよ。あたしが笑ってくれるように、ですって。たまらないじゃない? ふるくさい頭のヤツらに見つかったら折檻せっかんされるっていうのに」
「優しいな」
「狙ってやってないのよ? やるのが当然って思っているの。凄いわよね。あたしだったら損になるようなことはしない。自分が何より可愛いもの」

 それは誰しもが思うことだ。
 自分ありきの他人。俺だってそう思っている。

「あたしは巫女よ。ハイエルフの選ばれし巫女。次世代のおさを産むことが、生まれたときから決まっているの。だけどね、あたしはブロライトが好きだったの。子供を産むなら絶対にブロライトが相手じゃないと嫌だったの」
「いや、でも」
「そうよ。あの子は不完全な存在。そのことを知ったあたしがどれだけ傷ついたかわかる? あたしの存在すら否定されたような気がした。もう、目の前が真っ暗で、あの子をたくさん責めたわ」


 どうしてよ! なんで! あたしは、あたしは!


 ――聞き分けなさい。呪われた血脈を絶つためだ


 呪われてなんかいない! あの子は誰よりも優しい!


 ――さらなる優れた血を


 ――残すのだ


 ――尊き血脈を


 リュティカラさんは苦しんだ。
 ただでさえ生まれたときから将来が決められ、自由のない抑圧された生活を送ってきた。わずかでも希望を探し、一番信頼の置けるブロライトに救いを求めた。
 その希望がはかなく消え去る気持ちは、俺にはわからない。極限の中で見出すわずかな光明。そして絶望。
 郷の男は己の魔力しか見ていない。己自身を見る者は誰もいない。

「ごめんね、こんな話をして」

 ほんとだよ。
 重たいっての。
 ギャンブルで借金苦で嫁さん逃げていった上司の話より重たいわ。
 命を懸けるほどの恋愛なんてしたことがないんだよ。そりゃ失恋したら悲しいけど、まあそんなもんかなー、いやいや残念でしたー、なんて数日経ったらケロッとしていた。
 しかも血のつながった……いやいや、それが伝統であり風習であったとしても、やっぱり無理だわー。元日本人としては無理だわー。

「ふふ。もっと困った顔をすると思ったら、あんがいケロッとしているのね、アンタ」
「はあ、まあ。あまりにも重たすぎる話なので、どうするかなと」
「あはは! いいわあ、アンタすっごくいい。アタシに同情してくれるのは嬉しいけど、とっくに終わったことだしね。それに今はあのころよりもずっと幸せだもの」

 もごもごと口を動かす赤ん坊を見つめ、リュティカラさんは笑う。
 ブロライトは姉を、郷をなんとかするために旅立った。リュティカラさんはブロライトを諦めるため、そして自分の決められた運命を変えるため、旅立った。
 それぞれがそれぞれを思いやり、いつくしみ、前を向いたんだ。

「頑張ったんですね」

 俺の想像を超えた苦労をしてきたんだろうな。
 辛くて苦しい思いをたくさんして、それでも笑える人は強い。

「そうよ。あたし、うんと頑張った」


 ――その言葉が何より嬉しいわ。


 リュティカラさんはそう言うと、微笑みながら涙を流した。

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