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3巻
3-13
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「!! なんとっ……なんという甘味!」
「甘いっ……とても、甘うございます!」
「美味でございまする!」
うんうん、そうだろうそうだろう。
エルフって言ったって霞を食って生きているわけじゃないだろ? ブロライトが大食いなんだから。特に甘いものっていうのは、疲れたときに身体が欲するものだ。
一度食べはじめてしまったら止まらない。彼女たちは嬉しそうに大判焼きを食べ続けた。そんな微笑ましい光景を見ながら、ブロライトに尋ねる。
「なあブロライト、この郷はいつからこんなに魔素が濃いんだ」
「んぐんぐんぐんぐ、ごくん。気がついたらこうなっておったのじゃ!」
「うん、聞く相手まちげーた。あのですね、そちらのお姉さん」
満足そうな顔で大判焼きを食べた侍女の一人を手招き、同じ質問をした。
侍女は戸惑いながらも他の侍女と顔を合わせ、頷く。
「わたくしはアンバールーセントイリュイアと申します。わたくしが知る限り、魔素が濃くなるにつれ我らエルフの力が薄れていったのは、もう半年以上前のことからでございます」
半年以上前か。そして魔素によって、エルフたちの力、魔力が薄れていると。
エルフの郷を取り巻く異常なほどの濃い魔素。魔素が溜まるってことで連想するのはボルさんの棲処やプニさんの湖。原因は不明だが、どちらも俺が勝手にその魔素を吸い込んで解決した。
もしも魔素の停滞がこの事態を招いているのだとしたら、俺の身体はすでに魔素を吸い込みはじめているはず。
「ピュイ?」
「うん、まあ、俺には原因なんてわからないけどな」
ローブの下から出てきたビーの頭を撫でつつ考える。
エルフたちの魔力がダダ漏れていることによって、郷の魔素がこれほど濃くなったのだろうか。だとしたら、なぜダダ漏れているのだろうか。
なんか変なもんでも食った?
「ピュ」
ビーが何かに反応した。
扉の右手側にある階下へと通じる階段から、少年が昇ってきた。
金髪碧眼で大きな耳。特徴的な耳と綺麗な顔でエルフであることはわかるが、エルフにも子供っていたのか。郷に入ってから若くて綺麗な顔した大人しか見ていなかったから、そういう種族なのかと思っていた。
少年は長い髪と青いローブをずるずると引きずり、だけど躓くことなく歩いてくる。
エルフの郷の王宮でのんびり大判焼き食っている謎の集団という光景は余程異様だったのか、少年は俺たちを見るとキョトンと目を見開いた。可愛い顔をしている。
「兄上様!」
席を立ち、満面の笑みでブロライトが叫んだ。
あにうえさま。
兄?
弟じゃなくて?
「おひさしゅうございまする、兄上様!」
少年に飛びつこうとしていたブロライトは見事に避けられ、両手はむなしく空を切った。
「なにゆえ避けられるのじゃ!」
「ははは。おまえの馬鹿力で絞め殺されては敵わぬからな」
だろうな。
長身のブロライトがあの少年に突進すれば、きっと軽傷じゃ済まないだろう。
それにしても仲の良さそうな兄妹だ。ブロライトは郷の掟を破っているから、ここに住む人たち全員から忌避されているのかと思った。
長身のブロライトが腰をかがめ、小柄な兄さんがブロライトの頭を撫でる姿なんて、仲が良い証拠じゃないか。
「ブロライト、お前の大切な仲間を紹介してくれぬか」
「おおお! 兄上様、失礼いたした」
二人のやりとりを呆然と見守っていたクレイストンが、慌てて立ち上がる。それに倣って俺も席を立つと、ブロライトの兄上さんの背がとても小さいということが改めてわかる。ブロライトの兄なので少年ではないだろうが、まるで子供のようだ。
「兄上様、わたしがこのたび所属いたしたチーム、蒼黒の団の皆じゃ」
とてもざっくりとした紹介の仕方だが、兄上さんは微笑みながら頷いた。続いてブロライトは兄上さんを俺たちに紹介してくれる。
「そしてこちらが、我が誉れ高き兄上、ヴィリオ・ラ・イ執政であらせられる、オーケシュトアージェンシールじゃ!」
なんて?
また長ったらしい名前だな。オー……なんとか……アー……?
一応聞き取れているんだけど、言葉にしようとすると出てこない。長いカタカナ文字を音読しようとしてためらう感覚。
「執政って……」
「畏まらずともよい。王の補佐官ではあるが、某はブロライトの兄に過ぎぬゆえ」
再び席に座るよう促され、大人しく座る。
ツンツンした種族だと思っていたが、ブロライトの兄上さんは話がわかる人のようだ。少なくとも、頭ごなしに怒鳴ったりしなさそうな。
兄上さんはまずプニさんに近寄り、膝を折った。
「御方が尊き御身であらせられる古代馬と」
「ひひん」
「かしこみ、かしこみ申す。ようこそ我が地においでくだされました。我が一族一同、御身の御降臨をお喜び申し上げます」
おお。
綺麗に頭を下げ、祈るように拝む姿は様になっている。まるでプニさんが神様のようだ。
兄上さんは続いて、クレイに頭を下げた。
「貴殿が、高名な栄誉の竜王殿であるか」
「高名などと畏れ多い。名ばかりが先んじておるのだ。吾輩などまだまだ若輩の身」
「はははっ、何を仰られる。身の内から溢れる歴戦の勇者の気迫は、とても隠せるものではござらん」
和やかな会話だが、巨大ラプトルと子供エルフが笑い合う光景は少々異様。
茶器ごと取り替えられた温かなハデ茶を飲み、みたらし団子を食べたいと思っていると。
「そして、貴殿が類稀な力を持つという……?」
「タケルって言います」
「先ほどはリルカアルベルクウェンテールが無礼な真似をいたした。申し訳ござらん」
「いえいえ、お気になさらず」
いやいやどうもどうもと頭を下げて握手。
兄上さんと繋いだ手をじっと見てしまい、その大きさの違いに驚く。俺の中指くらいしかない小さな手のひら。
「ふふ。驚かれましたかな」
「失礼しました!」
「構いませぬ。某は我が身の小ささを恥じてはおりませぬゆえ」
見た目は子供、頭脳は立派な大人だ。少なくともブロライトの実兄とは思えないほどしっかりしているし、些細なことで苛立たない人格者。
人の上に立つ者というのは傲慢になりがちだが、兄上さんはそういったつまらないやつらとは違う。初対面で穏やかに話ができる人は少ないんだよ。ベルカイムですら初対面ではまず疑われ、嫌味の一つも言われ、悪いときは金よこせと言われる。
だから初対面で社交的に、それこそ相手を尊重して接してくれる人は貴重なのだ。
「ハイエルフなどと誇らしげに謳ってはおるが、その実態がこれぞ」
「兄上様! そのような言い方、わたしは嫌じゃ!」
「大きな声を出すでない。否定したところで、我が一族が忌むべき血脈であることに変わりはない」
忌むべき、ってなんだっけ。えーと、確か昔読んだ漫画の情報によると、嫌われているとか不吉なことって意味だったはず。
忌むべき血脈ってことは、えーと、誰か翻訳してくれ。つまりが、なんかよくない血筋ってわけ? エルフの王族であるハイエルフ族が? よくない血筋?
種族のことに口を挟むわけにはいかないから黙っているけど、プニさんが危惧していたブロライトの闇っていうのが、これのことなのかな。
「兄上様はいつもそうじゃ! 兄上様は誰よりも気高いエルフじゃ! ああもう! そうやって頬を膨らますのは卑怯じゃ! 愛らしい!」
「うぷぷぷっ、やめにゅか! しゅかたぎゃないじょにゅるっ!」
「わたしは、わたしは郷を救いたいのじゃ! 忌むべき血脈ごときに我が種が失われるなど、絶対に嫌なのじゃ!」
「ええい、うるさい! 嫌じゃ嫌じゃと駄々をこねるな!」
ブロライトが、兄上さんのほっぺを両手で挟んであっちょんぶり……
見た目には姉と弟の喧嘩なんだけども、なんだろうこのどんどん募るフラグ。
郷や森に漂う濃い魔素だけでなく、エルフ族の中にも何か事情がありそうな。
えっ、確かブロライトの依頼ってお姉さんを探すんだったよね? 探すだけの単純依頼、わあい新しい土地に行けるぞお、エルフの郷ってどういうところお、なんて呑気にワクワクしていた俺の気持ちが儚く消え去ろうとしている気がする。
「客人の前でみっともないことをいたすな」
「うううう……申し訳ない」
「すまなかった。我が愚弟が失礼な真似を」
そろって頭を下げる凸凹エルフ。いやハイエルフ……
えっ?
いま、なんて言った?
「ああああっ、あの、あの、ちょっといま……聞き捨てならないことががが」
「うん? 如何した」
「ええと、えっと、アーさん!」
「う、うん?」
いま、ブロライトのことを、愚弟って!?
17 潤朱の衝撃
ブロライト嬢は、嬢であって嬢でなかった。
いや、嬢ではあるらしいのだ。嬢で間違っていないのだ。
だが。
「わたしは女であり、少しだけ男でもあるのじゃ!」
ない胸を張ってドヤッと言い放つブロライトによって俺の口は開きっぱなしになってしまい、ビーに手を突っ込まれるまで微動だにすることができなかった。
いや待てなにそれすごくない? エルフ族がハイエルフ族でした、っていう事実よりもずっと驚いたんだけど!
クレイは大して驚いていないし、プニさんは他人事のような顔しているし、驚いているのは俺だけのようだ。この世界では両性、っていうのは珍しいものではないのかな。見た目は完璧な美女なんだけどな。すごいな。
「え。両性、って珍しくないわけ?」
「ハイエルフ族としては珍しいかもしれぬが、リザードマンの幼子にもおる」
まじか。
リザードマンの生態も興味深いな。俺の世界観で両性というと、強烈なおネエさん的なイメージがあるのだが、マデウスでは違うようだ。
そんな俺の驚愕はさておき、ブロライトの兄上さんであるなんたらアーさんは穏やかに、だけど哀しげに微笑んだ。
「忌むべき血脈は某で終わることはできなんだ。ブロライトにはいらぬ業を背負わせてしもうた」
その忌むべき血脈っていうのが何なのかわからない。クレイに視線だけで、何のこと? と聞いてみるが逆に、なんて言ってるの? って目で見られた。使えない。
聞いていいものかどうかもわからず黙っていると、アーさんはぱん、と手を叩いた。
「お客人、大したもてなしもできぬが、宜しければごゆるりと過ごされよ」
「なんかすみません、いろいろと」
「気に成されるな。我が妹の友ではないか」
さっきは愚弟で、今度は妹。
ややこしいな。
その前に、ここの息苦しさをなんとかしないとならない。大判焼きとハデ茶で誤魔化されていたが、クレイの咳は止まらないままだ。ビーも気だるそうにしているし、湿気まみれの中で休めって言われても休めないだろう。
「アーさん、この魔素の異常なまでの濃さはどうしたんですか?」
王の補佐官である執政なら、詳しい事情を知っているはずだ。
的確な答えがもらえると思っていたら、アーさんは驚いた顔をした。
「客人、この……魔素の濃さがわかるのか? 貴殿は人間であるのに……そうか、巨人族の……」
「いや違います。人間族です」
人間には感じるはずもない魔素。
魔素は濃すぎると、人体に悪影響が出る。人間以外の種族、リザードマンや獣人、ドワーフなんかは魔素を感知することができる。エルフは魔素探知器ってくらい敏感。そんなエルフがこれだけの魔素にまみれて暮らすのは、多少耐性があるといっても相当苦しいだろう。
「だが、我が郷のことだ。旅の客人には関わりのないことであろう」
「いやいや、こんな湿気まみれ、いや息苦しい場所ではゆっくりすることもできませんよ」
「しかし」
「ちょっと試してみたいことがあるんですけど、いいですか?」
郷の掟やら事情やらにこだわっていたままじゃ、いつまでたっても問題は解決しない。
清潔の魔法で息苦しさは緩和された。だが、清潔は一時的な対策にしかならない。ただ大量の魔素を消費できただけ。
もっと大量の魔力を消費する魔法を展開すればいいんだが、派手な攻撃魔法しか思いつかない。魔素を吸収しつつ魔力に変えて放出し、現状維持を続けるような……?
クレイが尋ねてくる。
「タケル、どうするというのだ」
「この魔素をなんとか消費したいんだよ。こういう場合は結界が効果的だと思うんだけど」
「あれは魔法を使い続けなければならぬだろう。これほど膨大な地を補うことはできるのか?」
「あー」
地上三十階建て以上のでっかい樹もろともの結界となると、ちょっとできるか自信ない。この魔素を使えばいいんだろうけど、維持し続けるとなると話が変わる。眠っている最中まで魔法を使い続けることなんてできないしやりたくない。
いや、ちょっと待て。眠っている間も問題なく発動するものがあった。野宿の際の大切な相棒、結界魔道具。あれなら問題なく発動し続けるし、しかも魔力を消費してくれる。いつもの結界魔道具は乾電池のように魔力を溜め込み、それを消費しながら結界を維持するものだった。
これに魔素を吸収して魔力として消費する循環機能をつけたらどうだろうか。魔素がある限り発動を続けることができるんじゃないかな。
よし、考えられるということは実際に作れるということだ。
複雑なことは考えなくていい。こう、噴水の水がいつまでも綺麗なまま循環するようなイメージを描いて……
「タケル、何をするのじゃ。クレイストン、何がはじまるのじゃ?」
「黙って見ておれ。面白いぞ」
ミスリル魔鉱石の力は借りない。あれは元々強烈な魔力を秘めているから、あれを使ったら魔素がさらに濃くなってしまう。
そもそも魔石は魔力の集合体。魔素を操れる者が魔石の生成に携わることができる。魔素の操り方は熟練の魔導士などが伝授してくれるらしいが、もちろん俺のは完全自己流。なんかやってみたらできました、って言ったら殴られるんだろうな。
周りにたちこめる魔素を手のひらに集め、脳内で石を形作る。
これが面白いんだ。こういう色でこういう形の石、とイメージしたままのものが両手のひらの間でくるくると回りながら形を成していく。思わずハンドなんちゃらです、って言いたくなるのを我慢して集中。
「これは……なんとも素晴らしい」
「タケルは魔石の生成もできるのか」
ブロライトとアーさんが何か言っているが、その声が遠く聞こえる。
集中して魔素をこねくり回していると、一種のトランス状態に陥ってしまう。自分以外のすべてのものの輪郭が薄れ、現実味がなくなっていくような。
石がどんどん大きさを増す。砂利から小石になり、手のひら大の石へ。まだまだ大きくできそうだ。
「執政さま! 魔素が!」
「シッ」
ばたばたと乗り込んできた衛兵をアーさんが黙らせる。どうやら外の魔素も薄れてきているようだ。
はてさて、両手で抱えるほどの巨大な塊に成長した魔石。これはまだ巨大な乾電池のようなものに過ぎない。この魔石に役割を持たせないと、ただのでかい石のままだ。
コンクリートの塊のような灰色の石に手を当て、さらに力を込める。
えーと、このまま魔素を吸収しつつ、同時に放出しながら結界機能を維持。結界といってもモンスターや盗賊なんかを寄せつけないものではなく、強烈すぎる魔素を近寄らせないようにする網戸のようなもの。魔素を完全に防いでしまったら、この郷から魔素から消え失せてしまう。そうなると生活面で困るだろうからな。
魔素のせいで獰猛なモンスターが襲ってきたとしても、血気盛んなエルフ諸君がなんとかするだろう。
魔石が次第に色を変えていく。灰色から黒に変わり、次第にオレンジ色に変化する。
ただのオレンジ色の石ってあまりありがたみがないから、どうせならブリリアントカットな宝石のような見た目にしてやれ。ブリリアントカットには詳しくないが、イメージすればいい。繊細なカットのダイヤモンドを。
付き合って二か月で三カラットのイエローダイヤモンドリングをねだってきたとんでもない彼女を思い出す。ああ、彼女はなにゆえ給料二年分の指輪をぺろっとねだれたのだろうか。記念日でもないのに。ふしぎ。あのダイヤモンドは綺麗だった。
そうこうしている間に、思い出のダイヤモンドが出来上がった。一体何カラットになるだろうという巨大なオレンジダイヤ。
「ピュー」
「よし、完成」
ちょっと重たくなってしまったが、持ち運ぶようなものじゃないからいいだろう。
あとは起動させてみるだけ。
「空が見える場所がいいな。この樹の前にある広場でいいか」
巨大な魔石を鞄にしまい、怒涛の質問攻撃をされる前にそそくさと部屋を出た。
気づいたら、肌にまとわりつくような湿気がない。クレイの咳も止まっている。信じられないといった顔のアーさんも、辺りを見渡しながら付いてきた。
「ブロライト、説明してくれぬのか?」
「兄上様、タケルを信じてくだされ。きっと悪いようにはいたしませぬゆえ」
すれ違うハイエルフたちが、これはどうしたことかと驚いている。そうして、アーさんに深く頭を下げつつ、何事かとあとを付いてきた。そのままハイエルフ一行をハーメルン。下に降りるための昇降機のような乗り物に誘導され、あっという間に地上へ。
樹の内部から外に出ると、カラリと晴れ渡った青空が広がっていた。魔素の影響で空の色さえ違って見えていたのか。
ログハウス風の家々からエルフたちが出てきた。皆空を見上げ、驚き、笑っている。
よほどあの濃い魔素が辛かったのだろう。何かから解き放たれて喜んでいるようにも見えた。
しかし、新たなる魔素が大気に溶けはじめている。この、えりあしに感じるチリチリとした嫌な予感。空を見上げると、薄い霧が出はじめていた。あれがきっと、この郷に悪影響をもたらしている濃すぎる魔素だ。
あの魔素がどこから出ているのかは後々調べることにして、まずはこの巨大オレンジダイヤを起動してみよう。
鞄からぬるりと巨大な魔石を取り出すと、俺たちを取り巻いていたエルフやハイエルフたちから驚きの声が上がる。俺もこんなでかい魔石を作ったのは初めてだよ。
「アーさん、これから俺がやることを見ていてください」
「あ、ああ」
「こうやってですね、石に触れます。片手で構いません。それで、こうやってこうする、簡単でしょ」
魔石はすでに加工され、一種の魔道具になっている。起動するのも停止させるのも持ち主の判断に任せるしかない。
普通、魔道具を起動させるには長い詠唱を唱えるらしいが、いざってときに使えなければ意味を成さないんだよな。俺のは簡単簡潔。
「兄上様、タケルの申す通りに」
アーさんは戸惑いながらも魔石に近寄った。
周りからおやめくださいとか、危険です、という制止の声が上がるが、歩みを止めない。
小さな拳をゆっくりと開き、魔石に手のひらを押し当てる。
「起動」
起動の合図とともに、オレンジダイヤがほんのりと光を放ち、ゆっくりと宙に浮いた。
「執政様こちらに!」
「執政様!」
執政様の小さな体を巨大なエルフが抱っこし、その場を離れる。
ダイヤから生まれる光は輝きを増しながら空を目指す。太陽の光が反射し、四方に小さな光を放っていた。ミラーボールのようだな、なんて昭和のディスコを思い出し、ちょっとあの形にしたのを後悔していたら……
「ピュイッ!」
強烈な光が一気に放たれ、瞬時に郷全体を覆う大きな結界が生み出された。
高い高い空と大樹をすべて覆う、光る膜。
ここまですごい効果になるとは思っていなかったんだけどな。
「ふおおお! すごいぞタケル! こんなのは初めて見た!」
「すっげえ。俺も初めて見た……」
漂う強すぎる魔素を吸い込んだ魔道具でもあるオレンジダイヤは、くるくると回りながらその力を利用して結界を作り続けている。
よしよし、イメージ……よりだいぶ立派になった気がするが、概ね想定内。穏やかな郷に輝くミラーボールはかなり異様だけど、許してもらおう。
空気もカラッとしてきたし、息苦しさもなくなってきた。ビーが嬉しそうに飛び回り、大きな翼で宙を舞っている。
その姿を見ているエルフ族たちは、拝んだり喜んでいたりと反応が様々。
ただ一人、執政のアーさんだけが俺のことを凝視していた。
「嗚呼……古の伝承にありし『異なる血を抱きし者』とは……貴殿のことでござったか」
はい?
アーさんはわなわなと震えると、そばにいたエルフたちに支えられながら膝を折った。
そして、俺のことを拝むようにして頭を下げる。
はい?
え。ちょっとなにこれ。
アーさんに続いてそばにいたエルフたちが膝を折り、それに倣うように他のエルフたちも膝を折って深く頭を下げだす。
なにこれなにこれ。
訳がわからず慌てて視線をクレイに向けると、クレイも訳がわからず呆けている。使えない。
それじゃあプニさん……は、なんか勘違いしてそう。絶対自分のことを崇めていると思い込んでいるな。
「ブロライト、これどういうことなの」
「タケル、貴殿はエルフの郷に伝わる救い主のようじゃ!」
はあああ??
「甘いっ……とても、甘うございます!」
「美味でございまする!」
うんうん、そうだろうそうだろう。
エルフって言ったって霞を食って生きているわけじゃないだろ? ブロライトが大食いなんだから。特に甘いものっていうのは、疲れたときに身体が欲するものだ。
一度食べはじめてしまったら止まらない。彼女たちは嬉しそうに大判焼きを食べ続けた。そんな微笑ましい光景を見ながら、ブロライトに尋ねる。
「なあブロライト、この郷はいつからこんなに魔素が濃いんだ」
「んぐんぐんぐんぐ、ごくん。気がついたらこうなっておったのじゃ!」
「うん、聞く相手まちげーた。あのですね、そちらのお姉さん」
満足そうな顔で大判焼きを食べた侍女の一人を手招き、同じ質問をした。
侍女は戸惑いながらも他の侍女と顔を合わせ、頷く。
「わたくしはアンバールーセントイリュイアと申します。わたくしが知る限り、魔素が濃くなるにつれ我らエルフの力が薄れていったのは、もう半年以上前のことからでございます」
半年以上前か。そして魔素によって、エルフたちの力、魔力が薄れていると。
エルフの郷を取り巻く異常なほどの濃い魔素。魔素が溜まるってことで連想するのはボルさんの棲処やプニさんの湖。原因は不明だが、どちらも俺が勝手にその魔素を吸い込んで解決した。
もしも魔素の停滞がこの事態を招いているのだとしたら、俺の身体はすでに魔素を吸い込みはじめているはず。
「ピュイ?」
「うん、まあ、俺には原因なんてわからないけどな」
ローブの下から出てきたビーの頭を撫でつつ考える。
エルフたちの魔力がダダ漏れていることによって、郷の魔素がこれほど濃くなったのだろうか。だとしたら、なぜダダ漏れているのだろうか。
なんか変なもんでも食った?
「ピュ」
ビーが何かに反応した。
扉の右手側にある階下へと通じる階段から、少年が昇ってきた。
金髪碧眼で大きな耳。特徴的な耳と綺麗な顔でエルフであることはわかるが、エルフにも子供っていたのか。郷に入ってから若くて綺麗な顔した大人しか見ていなかったから、そういう種族なのかと思っていた。
少年は長い髪と青いローブをずるずると引きずり、だけど躓くことなく歩いてくる。
エルフの郷の王宮でのんびり大判焼き食っている謎の集団という光景は余程異様だったのか、少年は俺たちを見るとキョトンと目を見開いた。可愛い顔をしている。
「兄上様!」
席を立ち、満面の笑みでブロライトが叫んだ。
あにうえさま。
兄?
弟じゃなくて?
「おひさしゅうございまする、兄上様!」
少年に飛びつこうとしていたブロライトは見事に避けられ、両手はむなしく空を切った。
「なにゆえ避けられるのじゃ!」
「ははは。おまえの馬鹿力で絞め殺されては敵わぬからな」
だろうな。
長身のブロライトがあの少年に突進すれば、きっと軽傷じゃ済まないだろう。
それにしても仲の良さそうな兄妹だ。ブロライトは郷の掟を破っているから、ここに住む人たち全員から忌避されているのかと思った。
長身のブロライトが腰をかがめ、小柄な兄さんがブロライトの頭を撫でる姿なんて、仲が良い証拠じゃないか。
「ブロライト、お前の大切な仲間を紹介してくれぬか」
「おおお! 兄上様、失礼いたした」
二人のやりとりを呆然と見守っていたクレイストンが、慌てて立ち上がる。それに倣って俺も席を立つと、ブロライトの兄上さんの背がとても小さいということが改めてわかる。ブロライトの兄なので少年ではないだろうが、まるで子供のようだ。
「兄上様、わたしがこのたび所属いたしたチーム、蒼黒の団の皆じゃ」
とてもざっくりとした紹介の仕方だが、兄上さんは微笑みながら頷いた。続いてブロライトは兄上さんを俺たちに紹介してくれる。
「そしてこちらが、我が誉れ高き兄上、ヴィリオ・ラ・イ執政であらせられる、オーケシュトアージェンシールじゃ!」
なんて?
また長ったらしい名前だな。オー……なんとか……アー……?
一応聞き取れているんだけど、言葉にしようとすると出てこない。長いカタカナ文字を音読しようとしてためらう感覚。
「執政って……」
「畏まらずともよい。王の補佐官ではあるが、某はブロライトの兄に過ぎぬゆえ」
再び席に座るよう促され、大人しく座る。
ツンツンした種族だと思っていたが、ブロライトの兄上さんは話がわかる人のようだ。少なくとも、頭ごなしに怒鳴ったりしなさそうな。
兄上さんはまずプニさんに近寄り、膝を折った。
「御方が尊き御身であらせられる古代馬と」
「ひひん」
「かしこみ、かしこみ申す。ようこそ我が地においでくだされました。我が一族一同、御身の御降臨をお喜び申し上げます」
おお。
綺麗に頭を下げ、祈るように拝む姿は様になっている。まるでプニさんが神様のようだ。
兄上さんは続いて、クレイに頭を下げた。
「貴殿が、高名な栄誉の竜王殿であるか」
「高名などと畏れ多い。名ばかりが先んじておるのだ。吾輩などまだまだ若輩の身」
「はははっ、何を仰られる。身の内から溢れる歴戦の勇者の気迫は、とても隠せるものではござらん」
和やかな会話だが、巨大ラプトルと子供エルフが笑い合う光景は少々異様。
茶器ごと取り替えられた温かなハデ茶を飲み、みたらし団子を食べたいと思っていると。
「そして、貴殿が類稀な力を持つという……?」
「タケルって言います」
「先ほどはリルカアルベルクウェンテールが無礼な真似をいたした。申し訳ござらん」
「いえいえ、お気になさらず」
いやいやどうもどうもと頭を下げて握手。
兄上さんと繋いだ手をじっと見てしまい、その大きさの違いに驚く。俺の中指くらいしかない小さな手のひら。
「ふふ。驚かれましたかな」
「失礼しました!」
「構いませぬ。某は我が身の小ささを恥じてはおりませぬゆえ」
見た目は子供、頭脳は立派な大人だ。少なくともブロライトの実兄とは思えないほどしっかりしているし、些細なことで苛立たない人格者。
人の上に立つ者というのは傲慢になりがちだが、兄上さんはそういったつまらないやつらとは違う。初対面で穏やかに話ができる人は少ないんだよ。ベルカイムですら初対面ではまず疑われ、嫌味の一つも言われ、悪いときは金よこせと言われる。
だから初対面で社交的に、それこそ相手を尊重して接してくれる人は貴重なのだ。
「ハイエルフなどと誇らしげに謳ってはおるが、その実態がこれぞ」
「兄上様! そのような言い方、わたしは嫌じゃ!」
「大きな声を出すでない。否定したところで、我が一族が忌むべき血脈であることに変わりはない」
忌むべき、ってなんだっけ。えーと、確か昔読んだ漫画の情報によると、嫌われているとか不吉なことって意味だったはず。
忌むべき血脈ってことは、えーと、誰か翻訳してくれ。つまりが、なんかよくない血筋ってわけ? エルフの王族であるハイエルフ族が? よくない血筋?
種族のことに口を挟むわけにはいかないから黙っているけど、プニさんが危惧していたブロライトの闇っていうのが、これのことなのかな。
「兄上様はいつもそうじゃ! 兄上様は誰よりも気高いエルフじゃ! ああもう! そうやって頬を膨らますのは卑怯じゃ! 愛らしい!」
「うぷぷぷっ、やめにゅか! しゅかたぎゃないじょにゅるっ!」
「わたしは、わたしは郷を救いたいのじゃ! 忌むべき血脈ごときに我が種が失われるなど、絶対に嫌なのじゃ!」
「ええい、うるさい! 嫌じゃ嫌じゃと駄々をこねるな!」
ブロライトが、兄上さんのほっぺを両手で挟んであっちょんぶり……
見た目には姉と弟の喧嘩なんだけども、なんだろうこのどんどん募るフラグ。
郷や森に漂う濃い魔素だけでなく、エルフ族の中にも何か事情がありそうな。
えっ、確かブロライトの依頼ってお姉さんを探すんだったよね? 探すだけの単純依頼、わあい新しい土地に行けるぞお、エルフの郷ってどういうところお、なんて呑気にワクワクしていた俺の気持ちが儚く消え去ろうとしている気がする。
「客人の前でみっともないことをいたすな」
「うううう……申し訳ない」
「すまなかった。我が愚弟が失礼な真似を」
そろって頭を下げる凸凹エルフ。いやハイエルフ……
えっ?
いま、なんて言った?
「ああああっ、あの、あの、ちょっといま……聞き捨てならないことががが」
「うん? 如何した」
「ええと、えっと、アーさん!」
「う、うん?」
いま、ブロライトのことを、愚弟って!?
17 潤朱の衝撃
ブロライト嬢は、嬢であって嬢でなかった。
いや、嬢ではあるらしいのだ。嬢で間違っていないのだ。
だが。
「わたしは女であり、少しだけ男でもあるのじゃ!」
ない胸を張ってドヤッと言い放つブロライトによって俺の口は開きっぱなしになってしまい、ビーに手を突っ込まれるまで微動だにすることができなかった。
いや待てなにそれすごくない? エルフ族がハイエルフ族でした、っていう事実よりもずっと驚いたんだけど!
クレイは大して驚いていないし、プニさんは他人事のような顔しているし、驚いているのは俺だけのようだ。この世界では両性、っていうのは珍しいものではないのかな。見た目は完璧な美女なんだけどな。すごいな。
「え。両性、って珍しくないわけ?」
「ハイエルフ族としては珍しいかもしれぬが、リザードマンの幼子にもおる」
まじか。
リザードマンの生態も興味深いな。俺の世界観で両性というと、強烈なおネエさん的なイメージがあるのだが、マデウスでは違うようだ。
そんな俺の驚愕はさておき、ブロライトの兄上さんであるなんたらアーさんは穏やかに、だけど哀しげに微笑んだ。
「忌むべき血脈は某で終わることはできなんだ。ブロライトにはいらぬ業を背負わせてしもうた」
その忌むべき血脈っていうのが何なのかわからない。クレイに視線だけで、何のこと? と聞いてみるが逆に、なんて言ってるの? って目で見られた。使えない。
聞いていいものかどうかもわからず黙っていると、アーさんはぱん、と手を叩いた。
「お客人、大したもてなしもできぬが、宜しければごゆるりと過ごされよ」
「なんかすみません、いろいろと」
「気に成されるな。我が妹の友ではないか」
さっきは愚弟で、今度は妹。
ややこしいな。
その前に、ここの息苦しさをなんとかしないとならない。大判焼きとハデ茶で誤魔化されていたが、クレイの咳は止まらないままだ。ビーも気だるそうにしているし、湿気まみれの中で休めって言われても休めないだろう。
「アーさん、この魔素の異常なまでの濃さはどうしたんですか?」
王の補佐官である執政なら、詳しい事情を知っているはずだ。
的確な答えがもらえると思っていたら、アーさんは驚いた顔をした。
「客人、この……魔素の濃さがわかるのか? 貴殿は人間であるのに……そうか、巨人族の……」
「いや違います。人間族です」
人間には感じるはずもない魔素。
魔素は濃すぎると、人体に悪影響が出る。人間以外の種族、リザードマンや獣人、ドワーフなんかは魔素を感知することができる。エルフは魔素探知器ってくらい敏感。そんなエルフがこれだけの魔素にまみれて暮らすのは、多少耐性があるといっても相当苦しいだろう。
「だが、我が郷のことだ。旅の客人には関わりのないことであろう」
「いやいや、こんな湿気まみれ、いや息苦しい場所ではゆっくりすることもできませんよ」
「しかし」
「ちょっと試してみたいことがあるんですけど、いいですか?」
郷の掟やら事情やらにこだわっていたままじゃ、いつまでたっても問題は解決しない。
清潔の魔法で息苦しさは緩和された。だが、清潔は一時的な対策にしかならない。ただ大量の魔素を消費できただけ。
もっと大量の魔力を消費する魔法を展開すればいいんだが、派手な攻撃魔法しか思いつかない。魔素を吸収しつつ魔力に変えて放出し、現状維持を続けるような……?
クレイが尋ねてくる。
「タケル、どうするというのだ」
「この魔素をなんとか消費したいんだよ。こういう場合は結界が効果的だと思うんだけど」
「あれは魔法を使い続けなければならぬだろう。これほど膨大な地を補うことはできるのか?」
「あー」
地上三十階建て以上のでっかい樹もろともの結界となると、ちょっとできるか自信ない。この魔素を使えばいいんだろうけど、維持し続けるとなると話が変わる。眠っている最中まで魔法を使い続けることなんてできないしやりたくない。
いや、ちょっと待て。眠っている間も問題なく発動するものがあった。野宿の際の大切な相棒、結界魔道具。あれなら問題なく発動し続けるし、しかも魔力を消費してくれる。いつもの結界魔道具は乾電池のように魔力を溜め込み、それを消費しながら結界を維持するものだった。
これに魔素を吸収して魔力として消費する循環機能をつけたらどうだろうか。魔素がある限り発動を続けることができるんじゃないかな。
よし、考えられるということは実際に作れるということだ。
複雑なことは考えなくていい。こう、噴水の水がいつまでも綺麗なまま循環するようなイメージを描いて……
「タケル、何をするのじゃ。クレイストン、何がはじまるのじゃ?」
「黙って見ておれ。面白いぞ」
ミスリル魔鉱石の力は借りない。あれは元々強烈な魔力を秘めているから、あれを使ったら魔素がさらに濃くなってしまう。
そもそも魔石は魔力の集合体。魔素を操れる者が魔石の生成に携わることができる。魔素の操り方は熟練の魔導士などが伝授してくれるらしいが、もちろん俺のは完全自己流。なんかやってみたらできました、って言ったら殴られるんだろうな。
周りにたちこめる魔素を手のひらに集め、脳内で石を形作る。
これが面白いんだ。こういう色でこういう形の石、とイメージしたままのものが両手のひらの間でくるくると回りながら形を成していく。思わずハンドなんちゃらです、って言いたくなるのを我慢して集中。
「これは……なんとも素晴らしい」
「タケルは魔石の生成もできるのか」
ブロライトとアーさんが何か言っているが、その声が遠く聞こえる。
集中して魔素をこねくり回していると、一種のトランス状態に陥ってしまう。自分以外のすべてのものの輪郭が薄れ、現実味がなくなっていくような。
石がどんどん大きさを増す。砂利から小石になり、手のひら大の石へ。まだまだ大きくできそうだ。
「執政さま! 魔素が!」
「シッ」
ばたばたと乗り込んできた衛兵をアーさんが黙らせる。どうやら外の魔素も薄れてきているようだ。
はてさて、両手で抱えるほどの巨大な塊に成長した魔石。これはまだ巨大な乾電池のようなものに過ぎない。この魔石に役割を持たせないと、ただのでかい石のままだ。
コンクリートの塊のような灰色の石に手を当て、さらに力を込める。
えーと、このまま魔素を吸収しつつ、同時に放出しながら結界機能を維持。結界といってもモンスターや盗賊なんかを寄せつけないものではなく、強烈すぎる魔素を近寄らせないようにする網戸のようなもの。魔素を完全に防いでしまったら、この郷から魔素から消え失せてしまう。そうなると生活面で困るだろうからな。
魔素のせいで獰猛なモンスターが襲ってきたとしても、血気盛んなエルフ諸君がなんとかするだろう。
魔石が次第に色を変えていく。灰色から黒に変わり、次第にオレンジ色に変化する。
ただのオレンジ色の石ってあまりありがたみがないから、どうせならブリリアントカットな宝石のような見た目にしてやれ。ブリリアントカットには詳しくないが、イメージすればいい。繊細なカットのダイヤモンドを。
付き合って二か月で三カラットのイエローダイヤモンドリングをねだってきたとんでもない彼女を思い出す。ああ、彼女はなにゆえ給料二年分の指輪をぺろっとねだれたのだろうか。記念日でもないのに。ふしぎ。あのダイヤモンドは綺麗だった。
そうこうしている間に、思い出のダイヤモンドが出来上がった。一体何カラットになるだろうという巨大なオレンジダイヤ。
「ピュー」
「よし、完成」
ちょっと重たくなってしまったが、持ち運ぶようなものじゃないからいいだろう。
あとは起動させてみるだけ。
「空が見える場所がいいな。この樹の前にある広場でいいか」
巨大な魔石を鞄にしまい、怒涛の質問攻撃をされる前にそそくさと部屋を出た。
気づいたら、肌にまとわりつくような湿気がない。クレイの咳も止まっている。信じられないといった顔のアーさんも、辺りを見渡しながら付いてきた。
「ブロライト、説明してくれぬのか?」
「兄上様、タケルを信じてくだされ。きっと悪いようにはいたしませぬゆえ」
すれ違うハイエルフたちが、これはどうしたことかと驚いている。そうして、アーさんに深く頭を下げつつ、何事かとあとを付いてきた。そのままハイエルフ一行をハーメルン。下に降りるための昇降機のような乗り物に誘導され、あっという間に地上へ。
樹の内部から外に出ると、カラリと晴れ渡った青空が広がっていた。魔素の影響で空の色さえ違って見えていたのか。
ログハウス風の家々からエルフたちが出てきた。皆空を見上げ、驚き、笑っている。
よほどあの濃い魔素が辛かったのだろう。何かから解き放たれて喜んでいるようにも見えた。
しかし、新たなる魔素が大気に溶けはじめている。この、えりあしに感じるチリチリとした嫌な予感。空を見上げると、薄い霧が出はじめていた。あれがきっと、この郷に悪影響をもたらしている濃すぎる魔素だ。
あの魔素がどこから出ているのかは後々調べることにして、まずはこの巨大オレンジダイヤを起動してみよう。
鞄からぬるりと巨大な魔石を取り出すと、俺たちを取り巻いていたエルフやハイエルフたちから驚きの声が上がる。俺もこんなでかい魔石を作ったのは初めてだよ。
「アーさん、これから俺がやることを見ていてください」
「あ、ああ」
「こうやってですね、石に触れます。片手で構いません。それで、こうやってこうする、簡単でしょ」
魔石はすでに加工され、一種の魔道具になっている。起動するのも停止させるのも持ち主の判断に任せるしかない。
普通、魔道具を起動させるには長い詠唱を唱えるらしいが、いざってときに使えなければ意味を成さないんだよな。俺のは簡単簡潔。
「兄上様、タケルの申す通りに」
アーさんは戸惑いながらも魔石に近寄った。
周りからおやめくださいとか、危険です、という制止の声が上がるが、歩みを止めない。
小さな拳をゆっくりと開き、魔石に手のひらを押し当てる。
「起動」
起動の合図とともに、オレンジダイヤがほんのりと光を放ち、ゆっくりと宙に浮いた。
「執政様こちらに!」
「執政様!」
執政様の小さな体を巨大なエルフが抱っこし、その場を離れる。
ダイヤから生まれる光は輝きを増しながら空を目指す。太陽の光が反射し、四方に小さな光を放っていた。ミラーボールのようだな、なんて昭和のディスコを思い出し、ちょっとあの形にしたのを後悔していたら……
「ピュイッ!」
強烈な光が一気に放たれ、瞬時に郷全体を覆う大きな結界が生み出された。
高い高い空と大樹をすべて覆う、光る膜。
ここまですごい効果になるとは思っていなかったんだけどな。
「ふおおお! すごいぞタケル! こんなのは初めて見た!」
「すっげえ。俺も初めて見た……」
漂う強すぎる魔素を吸い込んだ魔道具でもあるオレンジダイヤは、くるくると回りながらその力を利用して結界を作り続けている。
よしよし、イメージ……よりだいぶ立派になった気がするが、概ね想定内。穏やかな郷に輝くミラーボールはかなり異様だけど、許してもらおう。
空気もカラッとしてきたし、息苦しさもなくなってきた。ビーが嬉しそうに飛び回り、大きな翼で宙を舞っている。
その姿を見ているエルフ族たちは、拝んだり喜んでいたりと反応が様々。
ただ一人、執政のアーさんだけが俺のことを凝視していた。
「嗚呼……古の伝承にありし『異なる血を抱きし者』とは……貴殿のことでござったか」
はい?
アーさんはわなわなと震えると、そばにいたエルフたちに支えられながら膝を折った。
そして、俺のことを拝むようにして頭を下げる。
はい?
え。ちょっとなにこれ。
アーさんに続いてそばにいたエルフたちが膝を折り、それに倣うように他のエルフたちも膝を折って深く頭を下げだす。
なにこれなにこれ。
訳がわからず慌てて視線をクレイに向けると、クレイも訳がわからず呆けている。使えない。
それじゃあプニさん……は、なんか勘違いしてそう。絶対自分のことを崇めていると思い込んでいるな。
「ブロライト、これどういうことなの」
「タケル、貴殿はエルフの郷に伝わる救い主のようじゃ!」
はあああ??
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