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2巻
2-12
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「恩なんて返してくれなくてもいい。それより湖を見させてもらった。村の状態を見る限り、満足に水さえも飲めなかったんじゃないか?」
「ああそうずら。ある日いきなり神の水がばっちくなっちまったんずら」
「水を飲んでいた鳥が死んじゃったずら! 毒の水ずらよ!」
「あたしのペロロも死んだずら!」
村人たちは次々にずらずら言いはじめた。一度たがが外れたらあとは簡単なもので、警戒心がなくなりいろいろしゃべってくれた。
ガレウス湖は通称「神の水」と言われ、村人たちの大切な生活用水だった。
それがある日突然、呪われたドブ色になってしまい、死んだ魚や水鳥が湖面に浮かぶ地獄絵図に。今まで見たことも聞いたこともない現象に村人たちは大慌て。湖に繋がる井戸の水も汚染されてしまい、畑に水を撒くこともできない。
体力のある若い衆が都心部に出稼ぎに行き、いくばくかの仕送りをしてくれるが、それでも満たされることはない。作物が育たなければ売ることもできない。売れなければ金銭も手に入れられない。
「野の草を齧る生活だったずら……」
「それは大変でしたね……」
今度はシクシクと泣き出してしまった。
お年寄りから力のない女性、小さな子供まで痩せ細っていた。
ベルカイムのボスポ長屋の住人さえ、もう少しまともな生活を送っている。あの長屋の住人は無理をしなければ食うことには困らない。フェンドさんたちすら綺麗な水は飲めていたのだ。
何気なく口にしている水だが、すべての命はこの水にかかっている。この世界には浄水施設なんて存在しない。都心部に行けば便利な魔道具があるかもしれないが、小さな村に高価な魔道具は置いていないだろう。
そこにある水を大切にするしかないのだ。
その水を汚すだなんて、本当にとんでもないこと。
「でも、おいらたちを助けてくれる人もいて……」
「タロベ! 余計なことは言うんでないずら!!」
そう叫んだのは、朽ちかけている扉のそばにいた細い男。村人全員が細くて目玉もぎょろりとしているから区別が付きにくいが、先ほど湖の畔で見た男たちの一人だ。
「したってゴンゾ、このあんちゃんはおいらたちを助けてくれたずら!」
「わっかんねーずらそんなん! おらたちを、なんかだまくらかそうとしてるずらよ!」
口元に食べカス付けて何言ってるんだろゴンゾウさん。いやゴンゾさんか。名前に親しみを感じるな。
警戒するのはわかる。無償で飯を食わせるヤツなんて怪しさ満点だ。やってやったんだから何かよこせと要求するのが一般的なのだろう。
しかし他の村人も負けじと応戦をはじめた。
「ようけたらふく食ってなぁにえばってんじゃゴンゾ!」
「そうずら! おめが一番食ってたずら!」
「おめだって怪しいもん食うんじゃねぇ言ってたずら!」
「あげないい匂いしとって食うなは鬼ずら!」
俺を歓迎する派と怪しむ派で真っ向から対立しているようだ。このまま村で諍いが続いたら困る。タロベが何か言いたそうにしているじゃないか。
それじゃあ懐柔策……じゃない、胃袋つかんで放さないぜ策第二弾といきます。
「クレイ、これ食ってみるか」
「なんだこれは」
「ピュイ!」
「ビーの好物でもある焼き菓子だ」
エウロパギルド受付主任であるグリット氏の愛妻、チェルシーさんの得意料理。チェルシーさんも可愛らしいキツネ獣人です。
ネブラリの花を無償で提供した俺に感動し、チェルシーさんは定期的に焼き菓子を作ってくれるようになった。クッキーやマドレーヌといった甘くて香ばしい焼き菓子は本当に美味しくて、俺は小麦粉とハチミツでお返しをした。そうしたら更にたくさん作ってくれましてね。
……俺が食べきるには一年くらいかかるんじゃないかって量を。
「んん? これは美味いな!」
「そうだろう。ハチミツの甘い香りがたまらないよな」
「ピューイー」
さくさくとした歯ごたえのクッキーを食べていると、いつの間にか村人たちの怒鳴り声が消えていた。代わりに、ぎょろりとしたいくつもの目がこっちを見ている。怖い。
甘いものなんてしばらく口にしていないのだろう。甘い香りは凶器にも近いはずだ。鞄からぬるりと取り出した大量の焼き菓子入りの袋。中から美味しそうなマドレーヌを取り出し、村人に見せた。
「食べたい人~」
「「「「「はあぁいいっっ!! ずら!」」」」」
そのとき、村が歓喜で震えた。
+ + + + +
美味しい焼き菓子を食べた村人たちは我先にと情報を教えてくれた。
水の代わりに大量に保管していた柑橘飲料も気に入ってもらえたようだ。甘さ控えめでとても美味しい。
そのジュースも大樽に冷やして五個持っていると言ったら、今度こそクレイが呆れた。お前はどれだけ用心しても気がすまないのだな、と。用心というより、これは気に入ったから保管していただけなんだけど。
衝動的に大人買いすることってあるじゃない。俺の場合買いすぎかもしれないが、おかげで村人からの信頼は得られそうだ。
村人たちの話によると、湖に異変があったのは数週間前。ある朝突然湖の色が変化し、水が飲めなくなった。村人が明日をも知れぬ生活でどうしようと悩んでいたところに、商人らしき男がやってきた。
男は村人の悲痛な訴えを聞き入れ、それは可哀想だ援助してあげよう、ただし私のお願いも聞いてくれますかと提案。
男の望んだものは、黄金に輝く美しい花。
何でもその花は王侯貴族に人気な花らしく、市場では高値で取引されているという。この湖の畔に苗があるはずだが、どこにあるのか知らないかと。
「黄金に輝く……イーヴェル草か!」
「名前は教えちゃくんねぇずら。でもおいらたちの村で語り継がれてきた花の特徴に似ていたから、どこにあるのかは知っていたずら」
その場所は極秘だった。しかし、村長は村の明日を憂えて花を採取してしまったのだ。
男は確かに約束を守った。村人たちが根の付いた花を一輪渡す代わりに銀貨一枚。たったの1000レイブかよ安いな。そんなんで村人全員の腹が満たされるわけないのに。
しかも水をその商人から買っただって?
「水はいっこの樽で500レイブするずら。そこの樽よりちっさな樽だ」
花一輪で水樽が二つ。その水樽も村人全員には行き届かない量。田畑に水なんて回せるわけがない。
「その商人の男っていうのが元凶だな」
怪しさ以外ない。善意でやるってんなら水樽十個と交換するはずだ。そもそも幻の毒草を求めてくる時点でおかしいと思わなかったのだろうか。
「毒草!? おら、そんなん知らなかったずらよ!」
「ああそうだ。こーったら綺麗な花見たことねって、あたしらまさか毒の草なんておもわんかったずら」
「でもエンガシュさんは優しかったずら……」
ひもじい思いをしていたところに差し伸ばされた手だ。村人は神様だと思ったのだろう。だがそれが、商人を付け上がらせるいい口実になってしまったのだ。
「いいか? 考えてもみろ。もしもその、エンガチョ? さんが」
「エンガシュさんずら」
「……エンガシュ、さんがだな? 湖を汚した張本人だったとしたらどうする」
村人たちは一斉に顔色を変えた。
いやいや気づくの遅いって。どんだけ人がいいの。
「そんなまさか……ずら」
「考えられなくはないだろう? 湖の水を汚し、アシュス村を危機に陥らせる。知らん顔で助け舟を出し、毒草を要求。しかもな、水の値段が法外だ。ベルカイムで500レイブもあれば浄化された綺麗な水が大きな樽で三つは買えるんだぞ? 飲み放題のところだってあるんだ」
それこそ中央広場の噴水や近くの運河から無料で水を汲むことができる。家まで直接水を売る者でさえ、500レイブも要求しない。
フィジアン領には他にも水源がたくさんある。困っているのはヴァノーネだけ。おまけに領主だか領主代理だかが何の対策もしないとは。
これだけ広範囲で大地が枯れているっていうのは、領主としても慌てるはずだろう。農作物からの税収がゼロになるんだから。
だが村人たちは税は免除してもらった、それもエンガチョさんのおかげなのだと言った。
一介の商人にそんな権限あってたまるかよ。
「もう一度言う。アンタらは騙されたんだよ、そのエンガチョに」
「そんな……エンガシュさんが……」
「エンガチョさんが元凶だ」
信じていたのだろう。
助けてくれた恩人だからと、言われるままに毒草を探していたのだろう。毒に侵された湖に近づくという危険を押しても、なお探そうとしていたんだ。わずかな金銭のために。
村人たちは絶望した。
「ふえええ……」
「うえっ……うええぇ……」
「おらたち……これからどうすればいいずら……」
「おかあちゃん……おかあちゃん……」
「ひもじい思いをさせてごめんずら……」
俺の良心がズキュン……
翌朝。
俺は村全体に容赦のない清潔と修繕を叩き込んでやった。自重なんて知ったことか。荒れ果てた村を新築同然にしてやる。臭う村人も全員綺麗にした。
クレイはチート一角馬に乗って綺麗な水を探しに行った。ベルカイム領に戻ってそこらの河から大量の水を持ってきてもらう。
クレイに持たせたのは俺特製の樽。空間術を施し、競技用プールくらいの容量が入るようにした。だが、見た目も重さもそのまま。急ごしらえで一回だけの使い捨て樽だが十分だろう。この樽を河に入れれば水が勝手に入ってくる寸法だ。水はどんな状態だろうと清潔をかければ飲料水に変わる。
俺はビーを連れてチート一角馬に乗り、アシュスから離れた北東の森へ。その森は北側に行くと獰猛なモンスターの棲処があるらしい。縄張り荒らしてごめんねごめんね言いながら巨大なドルドベアを数頭狩った。ついでに襲ってきたサーペントウルフの群れもお肉になっていただく。
葉が食べられる大木を一本薙ぎ倒し、得意の野草・薬草・きのこ採取をし、全部鞄に入れて村に戻った。
恩を売るとかそういうことじゃない。
俺ほんと駄目なんだよ。苦しんで苦しんで涙を流す人を放ってはおけないんだよ。
この世界に来て知ったんだ。余力や余裕がある者は、助けを求める声を聞くことができるのだと。金銭の問題じゃない。心の問題。
地球では日々の生活で精一杯だった。余裕なんてなかった。だから誰かの助けを求める声も聞けなかった。いや、聞こうとしなかった。
だからこれも俺の自己満足。言い訳なんて言わない。ただやりたいからやるだけ。やれる力があるからやるだけ。朽ちた村を新築にできるなんて凄いじゃないか。
対価も見返りもいらない。もしもこれで誰かに恨まれたとしても、ざまあみろと喜んでやる。
待っていろエンガチョ!
お前の企みを潰してやるからな!!
15 我が物と思えば軽し笠の雪
村を復興させようだとか。
より良い暮らしを提供しようだとか。
そういう高尚な考えでは決してない。目の前でお腹を空かせた人がいたら手を差し伸べる。救うことのできる力がある。余裕がある。それならやりましょか、と。
しかし相手によるのだ。利己的な考えしかできないヤツを救う気はない。俺の優しさは人を選びます。
誰かのために苦労をしているヤツを、できる範囲で手伝えたらそれでいい。あとは知らない。未来をどうするかは本人次第。
そんなわけで一晩明けたアシュス村。
新築同然の家で、新品同然の服や家財道具で過ごした村人たちは、未だ夢の中を彷徨っているような戸惑い顔でいた。まあそりゃそうだよな。突然自分たちの枯れた村の建物が新築になったらドン引くわ。
彼らが手放しで喜べないのは、それだけ村人が苦労をしてきたからだろう。苦労をした者は疑心暗鬼にもなる。俺はまだまだ怪しい冒険者でしかない。
「ビー、雨はそのくらいでいいぞ。止められるか?」
「ピュイッ」
見える範囲の畑は久しぶりの雨に濡れ、乾燥していた空気に湿気が戻った。
魔法で水鉄砲は出せても、さすがに雨までは降らせることができない。人々の喉が潤ったあとは畑にどうやって水を撒こうか考えていた最中、ビーが元気良く挙手。胸を張って雨雲を呼ぶと言うのだから、何言ってんのこの子と疑った。
もともとアシュス村は雨があまり降らないらしい。それでも月に数日は降る程度で、ここ何ヶ月も一切降らないというのは異常だと言っていた。雨が降らなくても湖があるから畑に水はやれる。だが、やはり広大な畑には天の恵みである雨が必要。
「ピュイィ」
「そうだな、良くやった。よーしよしよしよし! さすがうちの子だ。ビー凄い」
「ピュイ! ピュイイィ! ピュィ~ィ」
「うん、ぺっ、生臭っ、わかったわかった、ゴフッ!」
ビーは風精霊に頼んで遠くから雨雲を呼び寄せたのだ。やだうちの子天候まで操っちゃったよ、と驚いていたら思いきり雨に打たれた。村人たちはドラゴンの恵みだとはっちゃけ、ビーを崇め奉る社を建立するのだと張りきっていた。その前に復興しなさい。
ビーの能力が目に見えて強くなっている。古代竜の成長速度なんて誰に聞いてもわからないだろう。だから温かい目で成長を見守るしかできない。ある日突然ボルさん化するのだけはやめておくれと願いつつ、ビーの喜び爆発鳩尾突進を受け止めた。
「タケルさん、こんな良くしてもらっても……おらたちなんも返せねえずら」
「何度も言っているだろ。見返りが欲しかったら金のなさそうな村なんて助けないって」
「だども」
「アンタたちは俺を利用すればいいんだよ。俺は見返りとしてイーヴェル草の咲いているところに案内してもらう。それだけだ」
タロベとゴンゾは和解し、村長に直接頼んでくれたのだ。俺にイーヴェル草の咲いている場所を案内してあげろと。村長は難色を示したが、これでもかこれでもかええいこれでもかと容赦ない恵みを出しまくる俺に感謝以外の言葉が出ず、場所を案内すると言ってくれた。日が沈んでからその場所に向かうらしい。
まあ、案内してくれなくても探査先生が教えてくれる。だが、村人が大切に守ってきたものを勝手に探すのも気が引けたわけで。
「そいでもおらたちはアンタになんかを返したいずら。金はなぐども、なんかあるずらよ」
「うーーーーん……」
グルサス親方のように俺が必要とする何かを作れるとは思えない。ただでさえつらい思いをしている村人たちに、これ以上のつらさは味わってほしくない。
「タケルあんちゃん抱っこして」
「あたしも!」
「おいらも!」
報酬を迷うなんて贅沢だなあと思いながらしゃがむと、村の子供たちが我先にと俺の背中に飛びつく。そうかそうか、ここでも俺はジャングルジムになるのか。
「これ! あんちゃんの迷惑になるずらよ!」
「あんちゃんに村をあんないしたげるずら!」
「おいらのひみつきちあんないするずらよ!」
いいでしょ? という期待に満ちた無垢な瞳に見つめられてごらんなさい。あっちいけ邪魔だと言えるヤツと俺は友達になれないぞ。子供が好きというわけではないが、邪険にする必要もない。優しい冒険者ですからアタシ。
諌めようとするタロベに大丈夫だと言い、小さな子供たちをまとめて四人抱き上げる。トルミ村の子供よりずっとずっと軽い。
子供までひもじい思いをするなんて駄目だよなあ。未来を担うのは子供なんだから、子供は大切にしなければ。
「ビーちゃんもおいでずら」
「あたし抱っこしたいずら」
「ピュイ」
ビーは抱っこされるよりも、肩に乗ったり頭にしがみ付いたりするのが好きだ。爪を立てないように気をつけさせて移動ジャングルジム開始。
村に子供は二十人ほど。大人たちは飢えを我慢して子供に優先的に食べさせていたが、体力のない子供がたくさん死んでしまったのだという。俺がもっと早く来ていれば、なんてことは言わない。そんな考え方は傲慢だ。
終わったことを悔いても仕方ない。哀しいだけじゃ生活していられない。
遺された者は、今を生き抜かなくてはならないのだ。
「はーい飛行機~~」
「キャアアアアッ! すごいずらああぁぁっ!」
「はーいブランコ~~」
「うひゃああああっ! おもろいずら! すごいずら!」
「高いたか~い」
「ギャアアアア!!」
調子に乗って子供を屋根より高く放り上げたら泣かれた。トルミの子供は壊れるんじゃないかってくらいの爆笑だったが、さすがにこれはやりすぎたようだ。
号泣する子供を抱きとめて頭を撫でてやる。お詫びにと取り出したクッキーに群がる子供らを宥めながら、村外れまでハーメルン状態で引き連れて歩く。
集落から離れた場所に大きな小屋を見つけた。少し朽ちてはいるが、今にも崩れそうなほどではない。
「ん? ここは修繕し忘れているな。ゴンザ、ここは納屋か?」
「そうずら。前の秋にとったリダズの実が入れてあるずら」
「リダズの、実?」
「おいらたちの村で作っている実ずら。だども美味くなくて、売れないずら」
売れない実を作り続ける理由は、その実がなる前の花の蜜が必要らしい。甘い蜜の香りに誘われた蜂が来ることで、他の農作物の受粉も手伝ってくれるのだ。
「甘い花の実ってことは、甘いんじゃないのか?」
「んーん。なんていうか、旅の商人なんかはいらないって言ってたずら。おいらたちもちょっと苦手ずら」
花の蜜は必要だが、実は邪魔と。
子供らのガキ大将的存在のゴンザに案内され、納屋を覗く。昼間でも薄暗い納屋にはライチのような黒い実が天井高く積み上げられていた。
見た目はライチにそっくりなのに、甘くないと。これだけあるのだから何かに利用できればいいのに。
【リダズの実 ランクD】
リダズ草に実る実。花は白く甘い蜜を出すが、実は黒く独特の辛味がある。塩辛いとい
う表現も用いられることがある。
ガレウス湖の限られた場所でしか生息できない。
[備考]食用である。調味料に最適。
うーん?
何の変哲もない実がランクDだぞ? これは一番需要のある薬草よりもランクが上だ。限られた場所でしか生息できず、独特の辛味……調味料……塩辛い?
「ゴンザ、一つもらってもいいか?」
「秋になったら全部すてるだけずら。いくらでも持っていけばいいずら」
ゴンザに確認を取ってから一つ手に取る。見た目はまさしくライチ。鼻に近づけても何の匂いもしない。食用と言うなら食べてみたくなるのが人間心理。見た目はカニほどグロテスクでもないから、売ろうと思えば売れると思うんだが。
ヘタらしきところが尖っているので、そこを片手で折る。
すると。
「……ん?」
「ピュ?」
独特の香りが広がった。懐かしささえ感じる、その匂い。
そんなまさか。ライチみたいな実だぞ? あの匂いがしたからといって、あの味が再現されるわけがない。
恐る恐る舌を伸ばし、実から溢れた黒茶色の液体を舌先につける。
「んん?」
「あんちゃん、辛いから無理すんなずら」
「いや待て、これはまさか……」
実を振ると出てくる液体を再度口に含む。
やはりあの味だ! 俺がずっとずっと求めていた、あの懐かしの味だ! まさか異世界に来てまでこの味が味わえるとは思っていなかった!
匂いとこの味、まさしく熟成の!!
+ + + + +
「そーゆう?」
「醤油、って言います」
村を囲う柵を作る手伝いをしていたクレイを見つけ、興奮しながら説明した。
リダズの実、別名醤油の実。
そう、あの山盛りあったライチのような硬い黒い実。あの実の汁は濃厚で芳醇な濃口醤油の味だった。まさかと疑うのと感動するのと喜ぶのとで、タケルあんちゃんはちょっとはしゃいで踊っちゃったよ。
子供たちは訳がわからず、だが俺が喜ぶ姿が滑稽だったらしく、一緒になってヘンテコな踊りを踊った。
「俺の故郷にもこれと、この実の汁と同じ味の調味料があってな? 国を代表するくらい有名な調味料だったんだ」
「……この、妙な匂いと味がする実がか?」
確かにこれ単体では辛いとも塩辛いとも言えるだろう。だがな、醤油大国に住んでいた身としては、この味は忘れたくても忘れられない。どうしてこの世界には醤油がないのだろうと嘆いたものだ。
醤油はどんな料理にも合う万能調味料だと思っている。ほんの少し加えるだけで、味がぐんと引き立つのだ。
「疑っているだろう! 今、その疑惑を俺が払拭してやるよ!」
「ああそうずら。ある日いきなり神の水がばっちくなっちまったんずら」
「水を飲んでいた鳥が死んじゃったずら! 毒の水ずらよ!」
「あたしのペロロも死んだずら!」
村人たちは次々にずらずら言いはじめた。一度たがが外れたらあとは簡単なもので、警戒心がなくなりいろいろしゃべってくれた。
ガレウス湖は通称「神の水」と言われ、村人たちの大切な生活用水だった。
それがある日突然、呪われたドブ色になってしまい、死んだ魚や水鳥が湖面に浮かぶ地獄絵図に。今まで見たことも聞いたこともない現象に村人たちは大慌て。湖に繋がる井戸の水も汚染されてしまい、畑に水を撒くこともできない。
体力のある若い衆が都心部に出稼ぎに行き、いくばくかの仕送りをしてくれるが、それでも満たされることはない。作物が育たなければ売ることもできない。売れなければ金銭も手に入れられない。
「野の草を齧る生活だったずら……」
「それは大変でしたね……」
今度はシクシクと泣き出してしまった。
お年寄りから力のない女性、小さな子供まで痩せ細っていた。
ベルカイムのボスポ長屋の住人さえ、もう少しまともな生活を送っている。あの長屋の住人は無理をしなければ食うことには困らない。フェンドさんたちすら綺麗な水は飲めていたのだ。
何気なく口にしている水だが、すべての命はこの水にかかっている。この世界には浄水施設なんて存在しない。都心部に行けば便利な魔道具があるかもしれないが、小さな村に高価な魔道具は置いていないだろう。
そこにある水を大切にするしかないのだ。
その水を汚すだなんて、本当にとんでもないこと。
「でも、おいらたちを助けてくれる人もいて……」
「タロベ! 余計なことは言うんでないずら!!」
そう叫んだのは、朽ちかけている扉のそばにいた細い男。村人全員が細くて目玉もぎょろりとしているから区別が付きにくいが、先ほど湖の畔で見た男たちの一人だ。
「したってゴンゾ、このあんちゃんはおいらたちを助けてくれたずら!」
「わっかんねーずらそんなん! おらたちを、なんかだまくらかそうとしてるずらよ!」
口元に食べカス付けて何言ってるんだろゴンゾウさん。いやゴンゾさんか。名前に親しみを感じるな。
警戒するのはわかる。無償で飯を食わせるヤツなんて怪しさ満点だ。やってやったんだから何かよこせと要求するのが一般的なのだろう。
しかし他の村人も負けじと応戦をはじめた。
「ようけたらふく食ってなぁにえばってんじゃゴンゾ!」
「そうずら! おめが一番食ってたずら!」
「おめだって怪しいもん食うんじゃねぇ言ってたずら!」
「あげないい匂いしとって食うなは鬼ずら!」
俺を歓迎する派と怪しむ派で真っ向から対立しているようだ。このまま村で諍いが続いたら困る。タロベが何か言いたそうにしているじゃないか。
それじゃあ懐柔策……じゃない、胃袋つかんで放さないぜ策第二弾といきます。
「クレイ、これ食ってみるか」
「なんだこれは」
「ピュイ!」
「ビーの好物でもある焼き菓子だ」
エウロパギルド受付主任であるグリット氏の愛妻、チェルシーさんの得意料理。チェルシーさんも可愛らしいキツネ獣人です。
ネブラリの花を無償で提供した俺に感動し、チェルシーさんは定期的に焼き菓子を作ってくれるようになった。クッキーやマドレーヌといった甘くて香ばしい焼き菓子は本当に美味しくて、俺は小麦粉とハチミツでお返しをした。そうしたら更にたくさん作ってくれましてね。
……俺が食べきるには一年くらいかかるんじゃないかって量を。
「んん? これは美味いな!」
「そうだろう。ハチミツの甘い香りがたまらないよな」
「ピューイー」
さくさくとした歯ごたえのクッキーを食べていると、いつの間にか村人たちの怒鳴り声が消えていた。代わりに、ぎょろりとしたいくつもの目がこっちを見ている。怖い。
甘いものなんてしばらく口にしていないのだろう。甘い香りは凶器にも近いはずだ。鞄からぬるりと取り出した大量の焼き菓子入りの袋。中から美味しそうなマドレーヌを取り出し、村人に見せた。
「食べたい人~」
「「「「「はあぁいいっっ!! ずら!」」」」」
そのとき、村が歓喜で震えた。
+ + + + +
美味しい焼き菓子を食べた村人たちは我先にと情報を教えてくれた。
水の代わりに大量に保管していた柑橘飲料も気に入ってもらえたようだ。甘さ控えめでとても美味しい。
そのジュースも大樽に冷やして五個持っていると言ったら、今度こそクレイが呆れた。お前はどれだけ用心しても気がすまないのだな、と。用心というより、これは気に入ったから保管していただけなんだけど。
衝動的に大人買いすることってあるじゃない。俺の場合買いすぎかもしれないが、おかげで村人からの信頼は得られそうだ。
村人たちの話によると、湖に異変があったのは数週間前。ある朝突然湖の色が変化し、水が飲めなくなった。村人が明日をも知れぬ生活でどうしようと悩んでいたところに、商人らしき男がやってきた。
男は村人の悲痛な訴えを聞き入れ、それは可哀想だ援助してあげよう、ただし私のお願いも聞いてくれますかと提案。
男の望んだものは、黄金に輝く美しい花。
何でもその花は王侯貴族に人気な花らしく、市場では高値で取引されているという。この湖の畔に苗があるはずだが、どこにあるのか知らないかと。
「黄金に輝く……イーヴェル草か!」
「名前は教えちゃくんねぇずら。でもおいらたちの村で語り継がれてきた花の特徴に似ていたから、どこにあるのかは知っていたずら」
その場所は極秘だった。しかし、村長は村の明日を憂えて花を採取してしまったのだ。
男は確かに約束を守った。村人たちが根の付いた花を一輪渡す代わりに銀貨一枚。たったの1000レイブかよ安いな。そんなんで村人全員の腹が満たされるわけないのに。
しかも水をその商人から買っただって?
「水はいっこの樽で500レイブするずら。そこの樽よりちっさな樽だ」
花一輪で水樽が二つ。その水樽も村人全員には行き届かない量。田畑に水なんて回せるわけがない。
「その商人の男っていうのが元凶だな」
怪しさ以外ない。善意でやるってんなら水樽十個と交換するはずだ。そもそも幻の毒草を求めてくる時点でおかしいと思わなかったのだろうか。
「毒草!? おら、そんなん知らなかったずらよ!」
「ああそうだ。こーったら綺麗な花見たことねって、あたしらまさか毒の草なんておもわんかったずら」
「でもエンガシュさんは優しかったずら……」
ひもじい思いをしていたところに差し伸ばされた手だ。村人は神様だと思ったのだろう。だがそれが、商人を付け上がらせるいい口実になってしまったのだ。
「いいか? 考えてもみろ。もしもその、エンガチョ? さんが」
「エンガシュさんずら」
「……エンガシュ、さんがだな? 湖を汚した張本人だったとしたらどうする」
村人たちは一斉に顔色を変えた。
いやいや気づくの遅いって。どんだけ人がいいの。
「そんなまさか……ずら」
「考えられなくはないだろう? 湖の水を汚し、アシュス村を危機に陥らせる。知らん顔で助け舟を出し、毒草を要求。しかもな、水の値段が法外だ。ベルカイムで500レイブもあれば浄化された綺麗な水が大きな樽で三つは買えるんだぞ? 飲み放題のところだってあるんだ」
それこそ中央広場の噴水や近くの運河から無料で水を汲むことができる。家まで直接水を売る者でさえ、500レイブも要求しない。
フィジアン領には他にも水源がたくさんある。困っているのはヴァノーネだけ。おまけに領主だか領主代理だかが何の対策もしないとは。
これだけ広範囲で大地が枯れているっていうのは、領主としても慌てるはずだろう。農作物からの税収がゼロになるんだから。
だが村人たちは税は免除してもらった、それもエンガチョさんのおかげなのだと言った。
一介の商人にそんな権限あってたまるかよ。
「もう一度言う。アンタらは騙されたんだよ、そのエンガチョに」
「そんな……エンガシュさんが……」
「エンガチョさんが元凶だ」
信じていたのだろう。
助けてくれた恩人だからと、言われるままに毒草を探していたのだろう。毒に侵された湖に近づくという危険を押しても、なお探そうとしていたんだ。わずかな金銭のために。
村人たちは絶望した。
「ふえええ……」
「うえっ……うええぇ……」
「おらたち……これからどうすればいいずら……」
「おかあちゃん……おかあちゃん……」
「ひもじい思いをさせてごめんずら……」
俺の良心がズキュン……
翌朝。
俺は村全体に容赦のない清潔と修繕を叩き込んでやった。自重なんて知ったことか。荒れ果てた村を新築同然にしてやる。臭う村人も全員綺麗にした。
クレイはチート一角馬に乗って綺麗な水を探しに行った。ベルカイム領に戻ってそこらの河から大量の水を持ってきてもらう。
クレイに持たせたのは俺特製の樽。空間術を施し、競技用プールくらいの容量が入るようにした。だが、見た目も重さもそのまま。急ごしらえで一回だけの使い捨て樽だが十分だろう。この樽を河に入れれば水が勝手に入ってくる寸法だ。水はどんな状態だろうと清潔をかければ飲料水に変わる。
俺はビーを連れてチート一角馬に乗り、アシュスから離れた北東の森へ。その森は北側に行くと獰猛なモンスターの棲処があるらしい。縄張り荒らしてごめんねごめんね言いながら巨大なドルドベアを数頭狩った。ついでに襲ってきたサーペントウルフの群れもお肉になっていただく。
葉が食べられる大木を一本薙ぎ倒し、得意の野草・薬草・きのこ採取をし、全部鞄に入れて村に戻った。
恩を売るとかそういうことじゃない。
俺ほんと駄目なんだよ。苦しんで苦しんで涙を流す人を放ってはおけないんだよ。
この世界に来て知ったんだ。余力や余裕がある者は、助けを求める声を聞くことができるのだと。金銭の問題じゃない。心の問題。
地球では日々の生活で精一杯だった。余裕なんてなかった。だから誰かの助けを求める声も聞けなかった。いや、聞こうとしなかった。
だからこれも俺の自己満足。言い訳なんて言わない。ただやりたいからやるだけ。やれる力があるからやるだけ。朽ちた村を新築にできるなんて凄いじゃないか。
対価も見返りもいらない。もしもこれで誰かに恨まれたとしても、ざまあみろと喜んでやる。
待っていろエンガチョ!
お前の企みを潰してやるからな!!
15 我が物と思えば軽し笠の雪
村を復興させようだとか。
より良い暮らしを提供しようだとか。
そういう高尚な考えでは決してない。目の前でお腹を空かせた人がいたら手を差し伸べる。救うことのできる力がある。余裕がある。それならやりましょか、と。
しかし相手によるのだ。利己的な考えしかできないヤツを救う気はない。俺の優しさは人を選びます。
誰かのために苦労をしているヤツを、できる範囲で手伝えたらそれでいい。あとは知らない。未来をどうするかは本人次第。
そんなわけで一晩明けたアシュス村。
新築同然の家で、新品同然の服や家財道具で過ごした村人たちは、未だ夢の中を彷徨っているような戸惑い顔でいた。まあそりゃそうだよな。突然自分たちの枯れた村の建物が新築になったらドン引くわ。
彼らが手放しで喜べないのは、それだけ村人が苦労をしてきたからだろう。苦労をした者は疑心暗鬼にもなる。俺はまだまだ怪しい冒険者でしかない。
「ビー、雨はそのくらいでいいぞ。止められるか?」
「ピュイッ」
見える範囲の畑は久しぶりの雨に濡れ、乾燥していた空気に湿気が戻った。
魔法で水鉄砲は出せても、さすがに雨までは降らせることができない。人々の喉が潤ったあとは畑にどうやって水を撒こうか考えていた最中、ビーが元気良く挙手。胸を張って雨雲を呼ぶと言うのだから、何言ってんのこの子と疑った。
もともとアシュス村は雨があまり降らないらしい。それでも月に数日は降る程度で、ここ何ヶ月も一切降らないというのは異常だと言っていた。雨が降らなくても湖があるから畑に水はやれる。だが、やはり広大な畑には天の恵みである雨が必要。
「ピュイィ」
「そうだな、良くやった。よーしよしよしよし! さすがうちの子だ。ビー凄い」
「ピュイ! ピュイイィ! ピュィ~ィ」
「うん、ぺっ、生臭っ、わかったわかった、ゴフッ!」
ビーは風精霊に頼んで遠くから雨雲を呼び寄せたのだ。やだうちの子天候まで操っちゃったよ、と驚いていたら思いきり雨に打たれた。村人たちはドラゴンの恵みだとはっちゃけ、ビーを崇め奉る社を建立するのだと張りきっていた。その前に復興しなさい。
ビーの能力が目に見えて強くなっている。古代竜の成長速度なんて誰に聞いてもわからないだろう。だから温かい目で成長を見守るしかできない。ある日突然ボルさん化するのだけはやめておくれと願いつつ、ビーの喜び爆発鳩尾突進を受け止めた。
「タケルさん、こんな良くしてもらっても……おらたちなんも返せねえずら」
「何度も言っているだろ。見返りが欲しかったら金のなさそうな村なんて助けないって」
「だども」
「アンタたちは俺を利用すればいいんだよ。俺は見返りとしてイーヴェル草の咲いているところに案内してもらう。それだけだ」
タロベとゴンゾは和解し、村長に直接頼んでくれたのだ。俺にイーヴェル草の咲いている場所を案内してあげろと。村長は難色を示したが、これでもかこれでもかええいこれでもかと容赦ない恵みを出しまくる俺に感謝以外の言葉が出ず、場所を案内すると言ってくれた。日が沈んでからその場所に向かうらしい。
まあ、案内してくれなくても探査先生が教えてくれる。だが、村人が大切に守ってきたものを勝手に探すのも気が引けたわけで。
「そいでもおらたちはアンタになんかを返したいずら。金はなぐども、なんかあるずらよ」
「うーーーーん……」
グルサス親方のように俺が必要とする何かを作れるとは思えない。ただでさえつらい思いをしている村人たちに、これ以上のつらさは味わってほしくない。
「タケルあんちゃん抱っこして」
「あたしも!」
「おいらも!」
報酬を迷うなんて贅沢だなあと思いながらしゃがむと、村の子供たちが我先にと俺の背中に飛びつく。そうかそうか、ここでも俺はジャングルジムになるのか。
「これ! あんちゃんの迷惑になるずらよ!」
「あんちゃんに村をあんないしたげるずら!」
「おいらのひみつきちあんないするずらよ!」
いいでしょ? という期待に満ちた無垢な瞳に見つめられてごらんなさい。あっちいけ邪魔だと言えるヤツと俺は友達になれないぞ。子供が好きというわけではないが、邪険にする必要もない。優しい冒険者ですからアタシ。
諌めようとするタロベに大丈夫だと言い、小さな子供たちをまとめて四人抱き上げる。トルミ村の子供よりずっとずっと軽い。
子供までひもじい思いをするなんて駄目だよなあ。未来を担うのは子供なんだから、子供は大切にしなければ。
「ビーちゃんもおいでずら」
「あたし抱っこしたいずら」
「ピュイ」
ビーは抱っこされるよりも、肩に乗ったり頭にしがみ付いたりするのが好きだ。爪を立てないように気をつけさせて移動ジャングルジム開始。
村に子供は二十人ほど。大人たちは飢えを我慢して子供に優先的に食べさせていたが、体力のない子供がたくさん死んでしまったのだという。俺がもっと早く来ていれば、なんてことは言わない。そんな考え方は傲慢だ。
終わったことを悔いても仕方ない。哀しいだけじゃ生活していられない。
遺された者は、今を生き抜かなくてはならないのだ。
「はーい飛行機~~」
「キャアアアアッ! すごいずらああぁぁっ!」
「はーいブランコ~~」
「うひゃああああっ! おもろいずら! すごいずら!」
「高いたか~い」
「ギャアアアア!!」
調子に乗って子供を屋根より高く放り上げたら泣かれた。トルミの子供は壊れるんじゃないかってくらいの爆笑だったが、さすがにこれはやりすぎたようだ。
号泣する子供を抱きとめて頭を撫でてやる。お詫びにと取り出したクッキーに群がる子供らを宥めながら、村外れまでハーメルン状態で引き連れて歩く。
集落から離れた場所に大きな小屋を見つけた。少し朽ちてはいるが、今にも崩れそうなほどではない。
「ん? ここは修繕し忘れているな。ゴンザ、ここは納屋か?」
「そうずら。前の秋にとったリダズの実が入れてあるずら」
「リダズの、実?」
「おいらたちの村で作っている実ずら。だども美味くなくて、売れないずら」
売れない実を作り続ける理由は、その実がなる前の花の蜜が必要らしい。甘い蜜の香りに誘われた蜂が来ることで、他の農作物の受粉も手伝ってくれるのだ。
「甘い花の実ってことは、甘いんじゃないのか?」
「んーん。なんていうか、旅の商人なんかはいらないって言ってたずら。おいらたちもちょっと苦手ずら」
花の蜜は必要だが、実は邪魔と。
子供らのガキ大将的存在のゴンザに案内され、納屋を覗く。昼間でも薄暗い納屋にはライチのような黒い実が天井高く積み上げられていた。
見た目はライチにそっくりなのに、甘くないと。これだけあるのだから何かに利用できればいいのに。
【リダズの実 ランクD】
リダズ草に実る実。花は白く甘い蜜を出すが、実は黒く独特の辛味がある。塩辛いとい
う表現も用いられることがある。
ガレウス湖の限られた場所でしか生息できない。
[備考]食用である。調味料に最適。
うーん?
何の変哲もない実がランクDだぞ? これは一番需要のある薬草よりもランクが上だ。限られた場所でしか生息できず、独特の辛味……調味料……塩辛い?
「ゴンザ、一つもらってもいいか?」
「秋になったら全部すてるだけずら。いくらでも持っていけばいいずら」
ゴンザに確認を取ってから一つ手に取る。見た目はまさしくライチ。鼻に近づけても何の匂いもしない。食用と言うなら食べてみたくなるのが人間心理。見た目はカニほどグロテスクでもないから、売ろうと思えば売れると思うんだが。
ヘタらしきところが尖っているので、そこを片手で折る。
すると。
「……ん?」
「ピュ?」
独特の香りが広がった。懐かしささえ感じる、その匂い。
そんなまさか。ライチみたいな実だぞ? あの匂いがしたからといって、あの味が再現されるわけがない。
恐る恐る舌を伸ばし、実から溢れた黒茶色の液体を舌先につける。
「んん?」
「あんちゃん、辛いから無理すんなずら」
「いや待て、これはまさか……」
実を振ると出てくる液体を再度口に含む。
やはりあの味だ! 俺がずっとずっと求めていた、あの懐かしの味だ! まさか異世界に来てまでこの味が味わえるとは思っていなかった!
匂いとこの味、まさしく熟成の!!
+ + + + +
「そーゆう?」
「醤油、って言います」
村を囲う柵を作る手伝いをしていたクレイを見つけ、興奮しながら説明した。
リダズの実、別名醤油の実。
そう、あの山盛りあったライチのような硬い黒い実。あの実の汁は濃厚で芳醇な濃口醤油の味だった。まさかと疑うのと感動するのと喜ぶのとで、タケルあんちゃんはちょっとはしゃいで踊っちゃったよ。
子供たちは訳がわからず、だが俺が喜ぶ姿が滑稽だったらしく、一緒になってヘンテコな踊りを踊った。
「俺の故郷にもこれと、この実の汁と同じ味の調味料があってな? 国を代表するくらい有名な調味料だったんだ」
「……この、妙な匂いと味がする実がか?」
確かにこれ単体では辛いとも塩辛いとも言えるだろう。だがな、醤油大国に住んでいた身としては、この味は忘れたくても忘れられない。どうしてこの世界には醤油がないのだろうと嘆いたものだ。
醤油はどんな料理にも合う万能調味料だと思っている。ほんの少し加えるだけで、味がぐんと引き立つのだ。
「疑っているだろう! 今、その疑惑を俺が払拭してやるよ!」
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