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2巻
2-8
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どうしよう。
このお嬢様、何かの病気なのかな。言葉が通じないし、思い込み激しいし、超自己中で周り一切見えていない。
さてさて、こういう話の通じない相手にはどう対処するべきかな。
「お嬢様お嬢様、少しよろしいですか? 冷静になって俺の話を聞いていただきたいのですが」
腰を下ろしてお嬢様を見上げる。丁寧にゆっくり話をし、相手の目をじっと見つめる。
「な……なによ」
お嬢様は明らかにうろたえ、半歩下がった。
相手は子供なのだ。言葉が通じない宇宙人ではない。
俺が腹を立ててどうする。
「お嬢様はなぜドラゴンがもらえると思ったのですか? お教えください」
へらっと笑ってみせると、お嬢様の頬がポッと色よく染まった。よし、つかみはばっちし。
「……ベルナードが言っていたの。ドラゴンを飼っている冒険者がいると。わたくしはドラゴンを見たことがないから是非にでも見たいと言ったのよ」
「はい。ベルナードさんに教えていただいたのですね?」
「そうよ。ベルナードはわたくしがお父様におねだりすれば、ドラゴンを譲ってもらえるかもしれないと言っていたわ。だから、わたくしはお父様におねだりしたの。だけど、お父様はお許しくださらなかったわ。そのドラゴンは冒険者に懐いていて引き離すことはできないって」
不快そうに話していたお嬢様だったが、話を続けるうちに顔色が変わっていく。自分が暴走したことに気づきはじめたらしい。
「お嬢様、なぜお父様が反対されたのにドラゴンをもらえると思ったのですか?」
「ベルナードが教えてくれたの。お父様がドラゴンを連れた冒険者を屋敷に招いたと。きっとわたくしにドラゴンを譲るためだと言っていたから……でも……」
ドラゴンを連れた冒険者である俺は、それを拒否した。
「お父様が否やと申されたことが、なにゆえ覆ると思ったのですか?」
「……ベルナードが」
すべての元凶はお前かベルナード。ていうか誰だベルナード。
「お嬢様、申し訳ありません。ベルナード氏が期待させたかもしれませんが、俺はこいつを手放すことはありません。それに、ドラゴンは賢い生き物です。誰に付いていくか強制することはできません。竜騎士が契約を結ぶ飛竜ですら、生涯に選ぶ相手はたった一人と聞き及んでおります」
そうだよな? とクレイを見上げると。クレイは深く頷いた。
「左様。竜はどのような種類であっても人に屈することは決してない。竜騎士が跨る飛竜とて主人を運ぶ下僕ではないのだ。互いを認め合い、信頼し合っているからこそ、その背に相棒を乗せることを許すのだ」
魂の繋がりがないと触らせることすらしない生き物だ、と。
クレイはお嬢様を諭すように静かに説明した。お嬢様は悔しげに口を噤むが、諦めたように肩を落としてしまった。
「ビー、お前をどこかにやったりしないから少し出てこられるか」
「ピュイ」
ローブをべろりとめくると、背中側に回ってシャーと威嚇するビー。
お嬢様はパッと顔を明るくさせ、ローブの下を覗き込んできた。
「ビー……という名前なの?」
「そうです。可愛いでしょう?」
「ええ、ええ、とっても愛らしいわ! ドラゴンってもっと大きくてもっと勇ましいものだと思っていたの」
隣にいるラプトルさんのような?
「ふん、俺を見るでない」
「照れんな照れんな」
ビーが成長したらクレイなんか可愛く見えるほどだ。できるなら可愛いまま成長しないでほしいと願ってしまうが、ボルさんのような雄々しい姿も見てみたいと思う。
健康で丈夫に育ってくれればなんだっていいけどな。
「ビーは人の言葉を理解しています」
「まあ! そうなの? 知らなかったわ」
「ですから、先ほどまでのお嬢様のお言葉もすべて……」
理解しているんですよ。
言葉を濁して伝えると、お嬢様の顔が青ざめた。やはりこのお嬢様、ただの我儘な令嬢というわけじゃないらしい。話せばわかると言うか、思い込みが凄い激しい性分なだけかもしれない。
それとも、必死にならざるを得ない理由があるのか。
「……わたくし、貴方にもドラゴンにも酷いことを言ってしまったわ。どうしましょう」
「冒険者が野蛮で汚らしいものだと、そのナントカさんに言われたんじゃないですか?」
「ええそうよ。ベルナードは何でも知っているの。冒険者は粗野で無知だから、わたくしの言葉が通じないのだと言われたわ」
このやろうベルナード。逢ったことはないが、お前が一番迷惑だ。
「よく考えてみれば、お父様のお客様に対して大変失礼なことをしてしまったのね。どんな相手でも敬意を見せろと言われていたのに」
「粗野で無知な冒険者、というのが一般的な認識なのかもしれませんが、実際はそんなことないんですよ?」
確かに口は悪いし不潔だしズル賢いし嘘もつく。だが命を懸ける職業なのだ。命を危険に晒して町の外に出て日銭を稼ぐ。そうして日々の糧を稼いで税を納める。その納めた税で暮らしているのが貴族や王族。
「……そうね。貴方のような冒険者もいるのね。わたくし、本当は怖かったの。だってどうしてもドラゴンが欲しくて」
「ドラゴンが恰好いいからですか?」
「ふふっ、そうよ。とても素敵だと思うわ。だけどそうじゃないの。わたくし、わたくし……お母様に……どうしてもお母様に……」
綺麗な琥珀色の瞳が涙で滲む。
クソ生意気なお嬢様かと思ったら、実は世間知らずで思い込みが激しいだけだった。ベルマークだかベルナードだかの洗脳のせいで間違ったほうに暴走してしまったようだが、もしかしたら高貴な身分のお方はそういう教育がされているのかもしれない。このお嬢様はちょっとかなり失礼だったけど。
上に立つ人間というのは、常に真っすぐ立っていなくてはならない。何があってもフラついたりコケたりすることは許されない。正しいと思ったことを信じて貫かねば、付いてく者が困惑するからだ。だから自分を、自分の考えを強く信じる傾向にある。
その考えが間違っているともわからぬまま。
「ティアリス! 何をしておるのだ!」
ばたーんと。
再び力強く開かれた扉。そんなに強く開けたら、綺麗な扉が壊れると思うんだが。
声を荒らげて現れた青年は金髪碧眼の映画俳優。いや、映画俳優よりも美麗なお顔。さらりとした長髪を後ろで一つにまとめ、白い礼服を着た姿はまるで御伽噺の王子様。こんな顔の男が存在するのかこんちくしょう。同じ性別を持つ者として、イケメンにふつふつとジェラスィが。
「お父様っ……」
うわまじか、このイケメンお父様なのか! 若ぇ! いくつだお父様!
え、待てよ。お嬢様がお父様と呼ぶってことは、このイケメンが領主様? 領主様若ぇよ!
「お前はまた勝手な真似をして! なんてはしたない!」
「ごめんなさいお父様……」
気の毒だと思うが、これも教育ですお嬢様。今回は相手が俺だったから良かったものの、本当の荒くれ冒険者相手だったら今頃抜刀されています。アイツら凄い気が短いからな。
イケメン、いや領主様はお嬢様を部屋の外に出し、潔く頭を下げた。俺相手に。
「娘が申し訳ないことをした。許してくれ。クレイストンも」
「気にするなベルミナント。ティアリス嬢は美しく成長なされた」
クレイが領主様の顔を上げさせると、領主様は苦く笑う。そんな顔もイケてやがんなコノヤロー。
「美しく装っただけで中身は伴っていない。あのような真似、淑女がするなどと……」
「まあまあ、良いではないか。確かに淑女とは言いがたいかもしれぬが、何も言えぬ人形になるよりましであろう」
「お前はそうやってティアリスを甘やかす」
気さくに会話をしているということは、クレイは領主様と懇意の仲。そんなこと言ってなかったくせに。
イケメン領主は、場違いじゃないかなと目を泳がせている俺に視線を移した。
「貴殿が素材採取専門家であるな」
「専門と言えるほど知識が豊富なわけじゃありませんが」
「謙遜するな。ロドルがお前の腕は、他のどんな採取家よりも素晴らしいと言っていたぞ」
あの巨人のおっさんがねえ。
未だに俺のこと怪しんでいるくせに、よく言うよ。
「俺がベルカイムの領主、ベルミナント・ルセウヴァッハだ」
「タケルです。よろしくお願いします」
迷うことなくシェイクハンド。マツゲ長いなこのやろー。
イケメンさんは仄かに香る体臭すらお花の匂い。ブロライト、頼むからこういうのを見習ってくれ。
領主は俺の手を握りながら、俺を見上げる。
領主の背も高かったが、俺はその更に上を行く。俺を見下ろせるのは、ギルドマスターとクレイといった巨人族とリザードマンくらい。人間でここまでデカいっていうのは珍しいらしい。俺ですら珍しいと思うからな。
「大きいな」
「お蔭様で?」
「巨人族が」
「混ざってません」
「……眠いのか?」
「こういう顔なんです」
なるほどクレイが言うとおり、話せる男のようだ。
もしもお嬢様のようにガーッと一方的に来られたらどう応戦したものかと考えていたが、その心配は杞憂に終わった。
シミ一つない完璧な美肌を惜しみなく晒し、にっこりとイケメンスマイル。
「ようこそ、ルセウヴァッハ邸へ」
イケメンは何をしてもイケメンなんだなあと。
二百年以上の歴史がある、ルセウヴァッハ領主ルセウヴァッハ伯爵家。
初代ナンタラさんがベルカイムの土地を切り拓き、二代目ナンタラさんが発展させ、三代目ナンタラさんがどーにかこーにか立派にし。と、お家自慢? を聞かされているうちに眠りそうになった。
お貴族様の由緒正しい歴史とかどうでもいいんだよ。アリクイのうんこ十個集めるまでの壮絶な俺の戦いを聞きたいか? 興味のない話は苦行にしかならない。
立派な応接室に通された俺とクレイは、執事のレイモンド氏(六十二歳)からルセウヴァッハ家の歴史をご教授いただいた。いや、ヤツが勝手にしゃべっていた。領主が改めて部屋を訪れるまで意気揚々と話していたのだから、この家に勤めているのが余程誇りなのだろう。仕事に誇りが持てるのは良いことだ。
何代目かの領主であらせられるベルミナント伯爵は、なんと二十九歳。若ぇよ領主様! 娘の年齢から逆算すると十五歳で子持ちだよ領主様! 見た目も若いよ領主様! あの歳で広大な領地を治めているのだから、きっと有能なのだろう。
壁に飾られている立派な絵画には、美しい金髪の優しげな女性の肖像。ティアリス嬢とそっくりだ。
「旦那様の奥方様、ミュリテリア様でございます」
俺が絵画をぼんやりと見上げていると、レイモンド氏が胸を張って教えてくれた。いや別に聞いていないんだけどね。
名門の家系であり由緒正しいお血筋の尊きお方であらせられ、とかなんとか。ほんとどうでもいい。人の血筋なんて究極興味ない。
「ピュイーィ」
「ん? まだ食うのか? お前、最近腹の減りが俺以上に早いな」
「ピュイ!」
「いやいや待て待て。ここでカニは出せないって」
飽きることなく続ける執事の演説に辟易していると、ビーが俺の鞄に纏わりついてきた。
これは腹が減ったから何か食わせろというビーの合図。おまけにカニを催促しやがる。確かにトランゴクラブは美味いからな。わかるぞその気持ち。薄暗い坑道の中で生息していたくせに肉は磯の香。独特のあの食欲をそそる匂いを嗅いだだけで山盛りいっぱい食ってしまう。刺身も煮ても焼いても何しても美味いのだから。
だがな、アレは食後のデザート用だ。主食にしたらあっという間に在庫切れだ。
「ピューピュイー」
「痛い痛い爪立てんな。夕飯は海葉亭で満腹御膳頼んでやるから」
「お前の作るスープでも構わぬぞ」
「アンタ本当に好きだな肉すいとん」
クレイはさておき、ビーの活発化した新陳代謝は少し気になる。
ビーと一緒に旅をしてそろそろ二ヶ月。生まれた日に空を飛び、一日で火を噴き、二日で精霊と会話をしはじめ、三日で精霊術を使いこなした。
古代竜の潜在能力なんて想像もつかない。たぶんきっと俺の魔力なんかよりずっと強くとんでもないことになるのは想像できる。
「そうして当家の輝かしい歴史は旦那様の代で更なる栄光の……おや、話が長くなりましたね。旦那様がいらっしゃいました」
執事・オン・ステージがやっと終わった。
と、同時に扉が開いて領主が姿を現した。
「すまない、待たせた」
「旦那様」
「大丈夫だ、今のところは落ち着いている」
二、三言葉を交わして、執事が部屋を出ていった。領主は颯爽と歩き、優雅に俺の向かいの椅子に腰を下ろす。いちいち絵になる。
「先ほどは我が娘が大変失礼をした。改めて謝罪をさせてもらいたい」
「いえいえ、ほんと気にしないでください」
「ピュ」
ローブの下に隠れていたビーも返事をした。
メイドさんたちが再び茶を淹れる。次に出てきた茶菓子はクッキーのような焼き菓子。メイドさんたちがそそそと支度をして一礼し、そそそと壁際に移動して待機した。やっぱりいいなメイドさん。見ているだけで癒しなんだよ。
「貴殿らを召喚したのは他でもない……頼みたいことがあるのだ」
ビーをちょうだいとかって話ではないと思う。お嬢様の話によると領主はドラゴンの譲渡はないと言っていた。ゴブリン討伐の報酬っていうのも建前。だとすると?
「ベルミナント、まさか……」
「ああ。我が妻、ミュリテリアのことだ」
神妙な面持ちで領主は語りだした。
美しく優しい奥方様は、もともと身体が丈夫なほうではなかった。領主に嫁いだときから治癒術師の世話になり、それでも日々を静かに生きてきた。十八歳でティアリス嬢を産み、家族三人で仲良く暮らしてきた。誰もが羨む、美男美女家族。
このまま順風満帆にいくかと思われたが、奥方様の具合が悪くなってしまった。原因は不明。半年ほど前に倒れ、そのまま寝たきりに。
よし。
いや、よしと言うのも変だが、ともかく今度の原因はボルさんの魔素浄化じゃなさそうだ。
もともと具合が悪かったけど、出産には耐えた。無理はできないが、日常生活を送ることは可能。
定期的に治癒術師のお世話にはなっていたけど、寝たきりになるほどの重篤なものではなかった、と。
それが急変。どうしたのだろう。
「わかるか? タケル」
「俺に医療の知識はないって。治癒術師の診断は? なんて言ってた、言って、いらしたのでするか?」
気軽に聞いてしまい、相手は領主だったと気づく。領主は俺の妙な言葉遣いにクスリと微笑んだ。
「畏まらずとも良い。俺はお前に頼み事をしようとしているのだ。上も下もないだろう」
うん、この領主は話せる人のようだ。
もしも頼み事ではなく命令だったとしたら、俺は素直に従っていたかわからない。
ホラ、俺ってばちょっと捻くれた性格をしているから、慇懃無礼に強制されたら絶対に拒否していた。
「わかった。正直堅苦しい話し方は苦手なんだ」
「そのわりにお前からは高い教育を受けたような教養を感じたぞ。お前の見事な作法はどこで身に着けた?」
そんなんいいじゃん別に。
「ピュピュ」
「ん? ああ、お前も食うか?」
ローブの下から警戒しながらビーが出てきた。領主に軽い威嚇をしながらも俺が手にした焼き菓子にかぶりつく。
領主ははじめて目にしたビーの姿に目を丸くしていた。
「これが……ドラゴンか」
「そうです。今ちょうど腹が減っているみたいで」
ローブに半身を隠したままで菓子を咀嚼する姿はなんとも愛らしい。爬虫類の見た目で食べる姿はハムスターやウサギそのもの。食い意地は張っているがな。
「エリザ、ポーリャ、ドラゴンに何か食べられるものを持ってきなさい。ドラゴンは何を食べるんだ?」
「え、そんな、いいですよ領主様」
「遠慮などするな」
「果物とか好きです」
遠慮するなと言われたら遠慮はしない。夕飯前にガッツリ食わすわけにはいかないから、軽いものを頼んだ。メイドさんたちはビーの姿に微笑みながら、そそそと部屋を出ていった。
応接室に残ったのは、領主と俺とクレイ。三人だけになると領主はとたんに表情を変え、静かな声で真剣に言った。
「クレイストン、以前にミュリテリアの容態について憂えていたことがあっただろう?」
「ああ」
「俺も独自に調べてみたのだが、やはり何もわからなかったのだ。領主という立場が俺を自由にしてはくれず、今まで歯がゆい思いをしていた」
それについては妙だなと思うよ。専門知識はないけど、急に寝たきりってやっぱり変だ。脳の血管系だったりするのかな。それとも精神的なもの?
俺もうぬぬと考えていると、領主が青い瞳を俺に向けてきた。
「そこでお前の噂を聞いたのだ」
「え? 俺?」
「ボスポ長屋の一角がある日突然修繕され、その部屋に住まう病弱な主が健康になったと」
うんそれ、俺の仕業かな。
俺が治したフェンドさん一家は今頃トルミ村に移住している。ベルカイムを出る前にわざわざ教えに来てくれたのだ。おやじさんはすっかり健康体を取り戻し、まだまだ痩せてはいるが養生すればまた働けるようになるとのことだった。
「主のフェンドは奇跡の所業を成し遂げたのは偉大なる魔法使いだと言っていたが、隣に住まう者は背が高く髪の黒いドラゴンを連れていた者がやったと」
はい、俺です。
「頼む、タケル。教えてもらいたい。重篤であったフェンドの胸の病を如何様にして治したのだ? お前の偉大なる力で我が妻ミュリテリアを救ってはくれないか?」
椅子から立ち上がった領主は、必死の形相で俺の手を取る。
一介の冒険者に、領主が懇願するなんて余程のことだ。しかも、この最低ランクの冒険者に。愛だな。愛。
ここで領主の願いを聞き入れることは容易い。クレイストンを進化させてしまうほどの俺の魔力だ。人間の病を治すことなんてきっと簡単なのだろう。
しかし戸惑いもある。そうやって病気の人をホイホイ治してしまったら、この世界の、この町の医療技術はどんどん廃れていくのではないか。そんなこと気にする必要もないのだろうけど、俺はずっとこの町に留まるつもりはないのだ。
「……ティアリスがドラゴンをねだったのは妻のためだったのだ。今は休暇中で屋敷に戻っているが、あと数日もすれば王都の寄宿学校に行ってしまう。その間ミュリテリアが独りになってしまうと嘆いてな。病床でも気落ちをしないよう、愛らしい動物がそばにいたらと考えたのだろう……愚かな娘ではあるが、根はとても優しいのだ」
あ。
やめて。
そんな話聞いちゃったら、俺の良心がまーたズクズクしてくる。
病気の母親を寂しい思いにさせないよう、ドラゴンをねだったのか。だからあんなに必死になって。
頼み方が強引……というかものすごく無礼ではあったが、怯えを隠すための精一杯の虚勢だったとしたら納得もできる。
「ぐすっ……優しい娘ではないか……」
クレイ泣いてんの!?
いや、泣いていないか。でも目玉が潤んでる。その目で俺のことガン見しないでくれないかな。領主の頼みを聞いてやれって言うんだろ? 治すことはできるんだって、たぶん。
治せるだろうけど、今後のことを考えるべきだ。
もっと慎重に下調べを十分して、それからじゃないと怖いんだよ。相手は貴族様で領主様。貧乏長屋の主を診るのとは、大違いなんだからな。その背景には、もっと政治的なものとかそういうしがらみがあってだね。
慎重に慎重を重ねて、面倒なことに巻き込まれないように、もっと吟味して疑って……
「……奥方様はどちらでせう」
もー。
俺のばかー。
このお嬢様、何かの病気なのかな。言葉が通じないし、思い込み激しいし、超自己中で周り一切見えていない。
さてさて、こういう話の通じない相手にはどう対処するべきかな。
「お嬢様お嬢様、少しよろしいですか? 冷静になって俺の話を聞いていただきたいのですが」
腰を下ろしてお嬢様を見上げる。丁寧にゆっくり話をし、相手の目をじっと見つめる。
「な……なによ」
お嬢様は明らかにうろたえ、半歩下がった。
相手は子供なのだ。言葉が通じない宇宙人ではない。
俺が腹を立ててどうする。
「お嬢様はなぜドラゴンがもらえると思ったのですか? お教えください」
へらっと笑ってみせると、お嬢様の頬がポッと色よく染まった。よし、つかみはばっちし。
「……ベルナードが言っていたの。ドラゴンを飼っている冒険者がいると。わたくしはドラゴンを見たことがないから是非にでも見たいと言ったのよ」
「はい。ベルナードさんに教えていただいたのですね?」
「そうよ。ベルナードはわたくしがお父様におねだりすれば、ドラゴンを譲ってもらえるかもしれないと言っていたわ。だから、わたくしはお父様におねだりしたの。だけど、お父様はお許しくださらなかったわ。そのドラゴンは冒険者に懐いていて引き離すことはできないって」
不快そうに話していたお嬢様だったが、話を続けるうちに顔色が変わっていく。自分が暴走したことに気づきはじめたらしい。
「お嬢様、なぜお父様が反対されたのにドラゴンをもらえると思ったのですか?」
「ベルナードが教えてくれたの。お父様がドラゴンを連れた冒険者を屋敷に招いたと。きっとわたくしにドラゴンを譲るためだと言っていたから……でも……」
ドラゴンを連れた冒険者である俺は、それを拒否した。
「お父様が否やと申されたことが、なにゆえ覆ると思ったのですか?」
「……ベルナードが」
すべての元凶はお前かベルナード。ていうか誰だベルナード。
「お嬢様、申し訳ありません。ベルナード氏が期待させたかもしれませんが、俺はこいつを手放すことはありません。それに、ドラゴンは賢い生き物です。誰に付いていくか強制することはできません。竜騎士が契約を結ぶ飛竜ですら、生涯に選ぶ相手はたった一人と聞き及んでおります」
そうだよな? とクレイを見上げると。クレイは深く頷いた。
「左様。竜はどのような種類であっても人に屈することは決してない。竜騎士が跨る飛竜とて主人を運ぶ下僕ではないのだ。互いを認め合い、信頼し合っているからこそ、その背に相棒を乗せることを許すのだ」
魂の繋がりがないと触らせることすらしない生き物だ、と。
クレイはお嬢様を諭すように静かに説明した。お嬢様は悔しげに口を噤むが、諦めたように肩を落としてしまった。
「ビー、お前をどこかにやったりしないから少し出てこられるか」
「ピュイ」
ローブをべろりとめくると、背中側に回ってシャーと威嚇するビー。
お嬢様はパッと顔を明るくさせ、ローブの下を覗き込んできた。
「ビー……という名前なの?」
「そうです。可愛いでしょう?」
「ええ、ええ、とっても愛らしいわ! ドラゴンってもっと大きくてもっと勇ましいものだと思っていたの」
隣にいるラプトルさんのような?
「ふん、俺を見るでない」
「照れんな照れんな」
ビーが成長したらクレイなんか可愛く見えるほどだ。できるなら可愛いまま成長しないでほしいと願ってしまうが、ボルさんのような雄々しい姿も見てみたいと思う。
健康で丈夫に育ってくれればなんだっていいけどな。
「ビーは人の言葉を理解しています」
「まあ! そうなの? 知らなかったわ」
「ですから、先ほどまでのお嬢様のお言葉もすべて……」
理解しているんですよ。
言葉を濁して伝えると、お嬢様の顔が青ざめた。やはりこのお嬢様、ただの我儘な令嬢というわけじゃないらしい。話せばわかると言うか、思い込みが凄い激しい性分なだけかもしれない。
それとも、必死にならざるを得ない理由があるのか。
「……わたくし、貴方にもドラゴンにも酷いことを言ってしまったわ。どうしましょう」
「冒険者が野蛮で汚らしいものだと、そのナントカさんに言われたんじゃないですか?」
「ええそうよ。ベルナードは何でも知っているの。冒険者は粗野で無知だから、わたくしの言葉が通じないのだと言われたわ」
このやろうベルナード。逢ったことはないが、お前が一番迷惑だ。
「よく考えてみれば、お父様のお客様に対して大変失礼なことをしてしまったのね。どんな相手でも敬意を見せろと言われていたのに」
「粗野で無知な冒険者、というのが一般的な認識なのかもしれませんが、実際はそんなことないんですよ?」
確かに口は悪いし不潔だしズル賢いし嘘もつく。だが命を懸ける職業なのだ。命を危険に晒して町の外に出て日銭を稼ぐ。そうして日々の糧を稼いで税を納める。その納めた税で暮らしているのが貴族や王族。
「……そうね。貴方のような冒険者もいるのね。わたくし、本当は怖かったの。だってどうしてもドラゴンが欲しくて」
「ドラゴンが恰好いいからですか?」
「ふふっ、そうよ。とても素敵だと思うわ。だけどそうじゃないの。わたくし、わたくし……お母様に……どうしてもお母様に……」
綺麗な琥珀色の瞳が涙で滲む。
クソ生意気なお嬢様かと思ったら、実は世間知らずで思い込みが激しいだけだった。ベルマークだかベルナードだかの洗脳のせいで間違ったほうに暴走してしまったようだが、もしかしたら高貴な身分のお方はそういう教育がされているのかもしれない。このお嬢様はちょっとかなり失礼だったけど。
上に立つ人間というのは、常に真っすぐ立っていなくてはならない。何があってもフラついたりコケたりすることは許されない。正しいと思ったことを信じて貫かねば、付いてく者が困惑するからだ。だから自分を、自分の考えを強く信じる傾向にある。
その考えが間違っているともわからぬまま。
「ティアリス! 何をしておるのだ!」
ばたーんと。
再び力強く開かれた扉。そんなに強く開けたら、綺麗な扉が壊れると思うんだが。
声を荒らげて現れた青年は金髪碧眼の映画俳優。いや、映画俳優よりも美麗なお顔。さらりとした長髪を後ろで一つにまとめ、白い礼服を着た姿はまるで御伽噺の王子様。こんな顔の男が存在するのかこんちくしょう。同じ性別を持つ者として、イケメンにふつふつとジェラスィが。
「お父様っ……」
うわまじか、このイケメンお父様なのか! 若ぇ! いくつだお父様!
え、待てよ。お嬢様がお父様と呼ぶってことは、このイケメンが領主様? 領主様若ぇよ!
「お前はまた勝手な真似をして! なんてはしたない!」
「ごめんなさいお父様……」
気の毒だと思うが、これも教育ですお嬢様。今回は相手が俺だったから良かったものの、本当の荒くれ冒険者相手だったら今頃抜刀されています。アイツら凄い気が短いからな。
イケメン、いや領主様はお嬢様を部屋の外に出し、潔く頭を下げた。俺相手に。
「娘が申し訳ないことをした。許してくれ。クレイストンも」
「気にするなベルミナント。ティアリス嬢は美しく成長なされた」
クレイが領主様の顔を上げさせると、領主様は苦く笑う。そんな顔もイケてやがんなコノヤロー。
「美しく装っただけで中身は伴っていない。あのような真似、淑女がするなどと……」
「まあまあ、良いではないか。確かに淑女とは言いがたいかもしれぬが、何も言えぬ人形になるよりましであろう」
「お前はそうやってティアリスを甘やかす」
気さくに会話をしているということは、クレイは領主様と懇意の仲。そんなこと言ってなかったくせに。
イケメン領主は、場違いじゃないかなと目を泳がせている俺に視線を移した。
「貴殿が素材採取専門家であるな」
「専門と言えるほど知識が豊富なわけじゃありませんが」
「謙遜するな。ロドルがお前の腕は、他のどんな採取家よりも素晴らしいと言っていたぞ」
あの巨人のおっさんがねえ。
未だに俺のこと怪しんでいるくせに、よく言うよ。
「俺がベルカイムの領主、ベルミナント・ルセウヴァッハだ」
「タケルです。よろしくお願いします」
迷うことなくシェイクハンド。マツゲ長いなこのやろー。
イケメンさんは仄かに香る体臭すらお花の匂い。ブロライト、頼むからこういうのを見習ってくれ。
領主は俺の手を握りながら、俺を見上げる。
領主の背も高かったが、俺はその更に上を行く。俺を見下ろせるのは、ギルドマスターとクレイといった巨人族とリザードマンくらい。人間でここまでデカいっていうのは珍しいらしい。俺ですら珍しいと思うからな。
「大きいな」
「お蔭様で?」
「巨人族が」
「混ざってません」
「……眠いのか?」
「こういう顔なんです」
なるほどクレイが言うとおり、話せる男のようだ。
もしもお嬢様のようにガーッと一方的に来られたらどう応戦したものかと考えていたが、その心配は杞憂に終わった。
シミ一つない完璧な美肌を惜しみなく晒し、にっこりとイケメンスマイル。
「ようこそ、ルセウヴァッハ邸へ」
イケメンは何をしてもイケメンなんだなあと。
二百年以上の歴史がある、ルセウヴァッハ領主ルセウヴァッハ伯爵家。
初代ナンタラさんがベルカイムの土地を切り拓き、二代目ナンタラさんが発展させ、三代目ナンタラさんがどーにかこーにか立派にし。と、お家自慢? を聞かされているうちに眠りそうになった。
お貴族様の由緒正しい歴史とかどうでもいいんだよ。アリクイのうんこ十個集めるまでの壮絶な俺の戦いを聞きたいか? 興味のない話は苦行にしかならない。
立派な応接室に通された俺とクレイは、執事のレイモンド氏(六十二歳)からルセウヴァッハ家の歴史をご教授いただいた。いや、ヤツが勝手にしゃべっていた。領主が改めて部屋を訪れるまで意気揚々と話していたのだから、この家に勤めているのが余程誇りなのだろう。仕事に誇りが持てるのは良いことだ。
何代目かの領主であらせられるベルミナント伯爵は、なんと二十九歳。若ぇよ領主様! 娘の年齢から逆算すると十五歳で子持ちだよ領主様! 見た目も若いよ領主様! あの歳で広大な領地を治めているのだから、きっと有能なのだろう。
壁に飾られている立派な絵画には、美しい金髪の優しげな女性の肖像。ティアリス嬢とそっくりだ。
「旦那様の奥方様、ミュリテリア様でございます」
俺が絵画をぼんやりと見上げていると、レイモンド氏が胸を張って教えてくれた。いや別に聞いていないんだけどね。
名門の家系であり由緒正しいお血筋の尊きお方であらせられ、とかなんとか。ほんとどうでもいい。人の血筋なんて究極興味ない。
「ピュイーィ」
「ん? まだ食うのか? お前、最近腹の減りが俺以上に早いな」
「ピュイ!」
「いやいや待て待て。ここでカニは出せないって」
飽きることなく続ける執事の演説に辟易していると、ビーが俺の鞄に纏わりついてきた。
これは腹が減ったから何か食わせろというビーの合図。おまけにカニを催促しやがる。確かにトランゴクラブは美味いからな。わかるぞその気持ち。薄暗い坑道の中で生息していたくせに肉は磯の香。独特のあの食欲をそそる匂いを嗅いだだけで山盛りいっぱい食ってしまう。刺身も煮ても焼いても何しても美味いのだから。
だがな、アレは食後のデザート用だ。主食にしたらあっという間に在庫切れだ。
「ピューピュイー」
「痛い痛い爪立てんな。夕飯は海葉亭で満腹御膳頼んでやるから」
「お前の作るスープでも構わぬぞ」
「アンタ本当に好きだな肉すいとん」
クレイはさておき、ビーの活発化した新陳代謝は少し気になる。
ビーと一緒に旅をしてそろそろ二ヶ月。生まれた日に空を飛び、一日で火を噴き、二日で精霊と会話をしはじめ、三日で精霊術を使いこなした。
古代竜の潜在能力なんて想像もつかない。たぶんきっと俺の魔力なんかよりずっと強くとんでもないことになるのは想像できる。
「そうして当家の輝かしい歴史は旦那様の代で更なる栄光の……おや、話が長くなりましたね。旦那様がいらっしゃいました」
執事・オン・ステージがやっと終わった。
と、同時に扉が開いて領主が姿を現した。
「すまない、待たせた」
「旦那様」
「大丈夫だ、今のところは落ち着いている」
二、三言葉を交わして、執事が部屋を出ていった。領主は颯爽と歩き、優雅に俺の向かいの椅子に腰を下ろす。いちいち絵になる。
「先ほどは我が娘が大変失礼をした。改めて謝罪をさせてもらいたい」
「いえいえ、ほんと気にしないでください」
「ピュ」
ローブの下に隠れていたビーも返事をした。
メイドさんたちが再び茶を淹れる。次に出てきた茶菓子はクッキーのような焼き菓子。メイドさんたちがそそそと支度をして一礼し、そそそと壁際に移動して待機した。やっぱりいいなメイドさん。見ているだけで癒しなんだよ。
「貴殿らを召喚したのは他でもない……頼みたいことがあるのだ」
ビーをちょうだいとかって話ではないと思う。お嬢様の話によると領主はドラゴンの譲渡はないと言っていた。ゴブリン討伐の報酬っていうのも建前。だとすると?
「ベルミナント、まさか……」
「ああ。我が妻、ミュリテリアのことだ」
神妙な面持ちで領主は語りだした。
美しく優しい奥方様は、もともと身体が丈夫なほうではなかった。領主に嫁いだときから治癒術師の世話になり、それでも日々を静かに生きてきた。十八歳でティアリス嬢を産み、家族三人で仲良く暮らしてきた。誰もが羨む、美男美女家族。
このまま順風満帆にいくかと思われたが、奥方様の具合が悪くなってしまった。原因は不明。半年ほど前に倒れ、そのまま寝たきりに。
よし。
いや、よしと言うのも変だが、ともかく今度の原因はボルさんの魔素浄化じゃなさそうだ。
もともと具合が悪かったけど、出産には耐えた。無理はできないが、日常生活を送ることは可能。
定期的に治癒術師のお世話にはなっていたけど、寝たきりになるほどの重篤なものではなかった、と。
それが急変。どうしたのだろう。
「わかるか? タケル」
「俺に医療の知識はないって。治癒術師の診断は? なんて言ってた、言って、いらしたのでするか?」
気軽に聞いてしまい、相手は領主だったと気づく。領主は俺の妙な言葉遣いにクスリと微笑んだ。
「畏まらずとも良い。俺はお前に頼み事をしようとしているのだ。上も下もないだろう」
うん、この領主は話せる人のようだ。
もしも頼み事ではなく命令だったとしたら、俺は素直に従っていたかわからない。
ホラ、俺ってばちょっと捻くれた性格をしているから、慇懃無礼に強制されたら絶対に拒否していた。
「わかった。正直堅苦しい話し方は苦手なんだ」
「そのわりにお前からは高い教育を受けたような教養を感じたぞ。お前の見事な作法はどこで身に着けた?」
そんなんいいじゃん別に。
「ピュピュ」
「ん? ああ、お前も食うか?」
ローブの下から警戒しながらビーが出てきた。領主に軽い威嚇をしながらも俺が手にした焼き菓子にかぶりつく。
領主ははじめて目にしたビーの姿に目を丸くしていた。
「これが……ドラゴンか」
「そうです。今ちょうど腹が減っているみたいで」
ローブに半身を隠したままで菓子を咀嚼する姿はなんとも愛らしい。爬虫類の見た目で食べる姿はハムスターやウサギそのもの。食い意地は張っているがな。
「エリザ、ポーリャ、ドラゴンに何か食べられるものを持ってきなさい。ドラゴンは何を食べるんだ?」
「え、そんな、いいですよ領主様」
「遠慮などするな」
「果物とか好きです」
遠慮するなと言われたら遠慮はしない。夕飯前にガッツリ食わすわけにはいかないから、軽いものを頼んだ。メイドさんたちはビーの姿に微笑みながら、そそそと部屋を出ていった。
応接室に残ったのは、領主と俺とクレイ。三人だけになると領主はとたんに表情を変え、静かな声で真剣に言った。
「クレイストン、以前にミュリテリアの容態について憂えていたことがあっただろう?」
「ああ」
「俺も独自に調べてみたのだが、やはり何もわからなかったのだ。領主という立場が俺を自由にしてはくれず、今まで歯がゆい思いをしていた」
それについては妙だなと思うよ。専門知識はないけど、急に寝たきりってやっぱり変だ。脳の血管系だったりするのかな。それとも精神的なもの?
俺もうぬぬと考えていると、領主が青い瞳を俺に向けてきた。
「そこでお前の噂を聞いたのだ」
「え? 俺?」
「ボスポ長屋の一角がある日突然修繕され、その部屋に住まう病弱な主が健康になったと」
うんそれ、俺の仕業かな。
俺が治したフェンドさん一家は今頃トルミ村に移住している。ベルカイムを出る前にわざわざ教えに来てくれたのだ。おやじさんはすっかり健康体を取り戻し、まだまだ痩せてはいるが養生すればまた働けるようになるとのことだった。
「主のフェンドは奇跡の所業を成し遂げたのは偉大なる魔法使いだと言っていたが、隣に住まう者は背が高く髪の黒いドラゴンを連れていた者がやったと」
はい、俺です。
「頼む、タケル。教えてもらいたい。重篤であったフェンドの胸の病を如何様にして治したのだ? お前の偉大なる力で我が妻ミュリテリアを救ってはくれないか?」
椅子から立ち上がった領主は、必死の形相で俺の手を取る。
一介の冒険者に、領主が懇願するなんて余程のことだ。しかも、この最低ランクの冒険者に。愛だな。愛。
ここで領主の願いを聞き入れることは容易い。クレイストンを進化させてしまうほどの俺の魔力だ。人間の病を治すことなんてきっと簡単なのだろう。
しかし戸惑いもある。そうやって病気の人をホイホイ治してしまったら、この世界の、この町の医療技術はどんどん廃れていくのではないか。そんなこと気にする必要もないのだろうけど、俺はずっとこの町に留まるつもりはないのだ。
「……ティアリスがドラゴンをねだったのは妻のためだったのだ。今は休暇中で屋敷に戻っているが、あと数日もすれば王都の寄宿学校に行ってしまう。その間ミュリテリアが独りになってしまうと嘆いてな。病床でも気落ちをしないよう、愛らしい動物がそばにいたらと考えたのだろう……愚かな娘ではあるが、根はとても優しいのだ」
あ。
やめて。
そんな話聞いちゃったら、俺の良心がまーたズクズクしてくる。
病気の母親を寂しい思いにさせないよう、ドラゴンをねだったのか。だからあんなに必死になって。
頼み方が強引……というかものすごく無礼ではあったが、怯えを隠すための精一杯の虚勢だったとしたら納得もできる。
「ぐすっ……優しい娘ではないか……」
クレイ泣いてんの!?
いや、泣いていないか。でも目玉が潤んでる。その目で俺のことガン見しないでくれないかな。領主の頼みを聞いてやれって言うんだろ? 治すことはできるんだって、たぶん。
治せるだろうけど、今後のことを考えるべきだ。
もっと慎重に下調べを十分して、それからじゃないと怖いんだよ。相手は貴族様で領主様。貧乏長屋の主を診るのとは、大違いなんだからな。その背景には、もっと政治的なものとかそういうしがらみがあってだね。
慎重に慎重を重ねて、面倒なことに巻き込まれないように、もっと吟味して疑って……
「……奥方様はどちらでせう」
もー。
俺のばかー。
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