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1巻
1-12
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「ゴブリンの襲撃だ!!」
平和にぃー。
と、強く願っても突然の事態ってのは、どんな世界でも訪れるものだ。
日常を普通に過ごせるのがどれだけ有難いことなのか、この世界に来てからそれを改めて思い知らされる。街道の近くのモンスター襲撃なんて日常茶飯事。上位ランク冒険者が嬉々として飛び出し、傷を負って帰ってくる。
はじめこそそんな光景を恐ろしいと思っていた俺だったが、今では慣れてしまった。それが、この世界の日常。
ギルドにゴブリン襲来の一報が伝えられたのが、午後のことだった。
ベルカイムより南南西にあるスタヴロウ平野の先、鬱蒼とした森が広がるゲレロ樹海から数百のゴブリンが群れを成してこちらを目指している。
ゴブリンは知恵のある生き物ではないが、繁殖力が強く獰猛だ。動くものなら何でも狩り食ってしまい、女は捕まえて犯すのだとか。ウエェ。それがその種族の生き方だとしても、襲ってくるのなら自衛しないとならない。
ゴブリンの襲来は定期的にあり、一定の数になると食うものに困りベルカイムを狙うのだ。学習能力ないな。自給自足すりゃいいのに。
俺といえば、ゴブリン襲来と聞いてわくわくしてしまったのは秘密。だってゴブリンなんてゲームや物語の定番だぞ? そりゃお目にかかってみたいと思うじゃないか。
「ランクDから上で連絡がつくものには即時連絡、北詰所に集合させろ! 技能があるものは片っ端から招集、治癒術士と治癒医師も手が空いているものは連れてこい!」
大声で指揮を執っている男はエウロパのギルドマスター、ロドルだ。俺より頭二つ分デカい身体の巨人族。元ランクA冒険者で、剛戦士。
「マスター、ブラウとモナハンはオブレストに行っているそうです」
「時期が悪いな。ランクAは他にいないのか?」
「ランクBなら……モトゥーラ、ヘイリス、レイモン、ええと……ああ、クレイストン!」
「栄誉の竜王か! すぐに声をかけろ!」
慌ただしくなるギルドの一角で俺は完全に置いてけぼり状態。そりゃそうだ。素材採取を専門としているランクF冒険者なんて見向きもされないだろう。
さて、忙しい皆さんには悪いが、俺はこれから屋台で買い食いを。
「タケルさんも来てください!」
いや俺は買い食いをだね。
「一人でも多く手が必要になります!」
猫の手よりかはマシかもしれないが、ランクFの採取専門家を頼りにするなんて、ゴブリンってのはどれだけ厄介なのだろうか。
しつこく俺を呼びつけるグリットの気迫に根負けし、連れてこられたギルド二階。
「前線はここと、ここ。スタヴロウ平野の北と東。ゴブリンは真っすぐにここ、カルバ倒木を目指すだろう。お前らは絶対にザルウェス川を越えさせるな」
「王都から援軍は来るのか?」
「来たとしても早くて四日後だ。頼りにはできねぇ」
「竜騎士はよこすんだろうな」
「アイツらが来ると思うか? ギラギラした鎧の手入れに夢中な坊ちゃん連中がよ!」
大きな会議室のような部屋の隅っこで俺は茫然としていた。グリットに来てくれと頼まれ、なぜかこの部屋で作戦を聞いています。
ゴブリンの軍勢が約二百に対し、ベルカイム警備網は百にも満たない。高ランク冒険者は遠方のクエストに向かっており、帰ってくる者は早くても三日後。領主も不在で警備の手が足りない。
ゴブリンが襲ってくることがわかっていれば対処の仕方もあるのだろうが、国が予算を回してくれないのだとか。ベルカイムを治める領主も、このことで常に頭を痛めている。
「俺たちの町だ! 俺たちが守らなくてどうする!」
「そうだそうだ! 情けないツラしてんじゃねぇぞ!」
腕に覚えのある者たちは、今すぐにでも戦いたくてうずうずしているようだ。
で、なぜに平和主義者の俺が片隅でハニワ顔しているのかといえば、猫の手も使えばいいじゃんという状況だからだ。要するに人手不足。ベルカイムの外に出て素材採取をしている俺ならばモンスター討伐の経験もあるだろうということで、駆り出されたわけだ。
「討伐対象はあくまでもゴブリンだからな。一体につき800レイブ、ものによっては1000レイブ出るぞ!」
「「「「うおおおお!!」」」」
熱いなあ。完全に体育会系。
どっちかといえば、文系の俺には付いていけないノリ。
汗臭いむさ苦しい男たちが更に熱気を溢れ出す。やる気があるのは大変よろしいことなのだが、その熱さを押しつけてくるのはよろしくない。
「ランクFが調子に乗って邪魔するんじゃねぇぞ!」
「へへっ、びびって使い物にならねぇってオチだろ」
「ちげぇねえ!」
わっはっはっはっは。
言ってろ言ってろ。平和大好きな俺が目立つことするわけないじゃないですか。皆さんのお株を奪うような真似はしませんよ。俺は最低ランクですからね。出しゃばらず、目立たず、影になって闇に紛れて……
「おう、おめぇだな、グリットが絶賛していた素材採取専門家、ってぇいうのは」
隅っこででかい身体を小さくしていたら、目の前に現れたるは巨人。ギルドマスター、ロドル。
でかい。超、でかい。威圧感はんぱないが、ボルさんに比べたら全く大したことがなかった。一度強烈な威圧を経験すると恐怖耐性力が働き、なんか睨まれてるとしか感じない。
「あのクソ真面目な鑑定士がおめぇの褒め言葉しか言いやがらねぇ。珍しいんだぜ? アイツが誰かを無条件に褒めるってぇのは」
「はあ」
「鑑定眼を持っているウェイドすらおめぇを推しやがる。それからなんだ? 湯屋のリムレイもおめぇに頭が上がらねぇんだって? 雑貨屋のトマスや屋台村代表のウェガすら口を揃えておめぇはイイヤツだって」
「恐縮です……」
そりゃ、丁寧な話し方に時折混ぜる笑顔と冗談、会話の一つひとつを聞き逃さず次へと繋げる。それでいて腰が低く穏やかで謙虚と来れば、無礼で失礼なものに慣れているこの町の住人は俺を大歓迎してくれるわけだ。
「ふぅん……?」
「そんなじっとり見ないでくださいよ。俺が何か企んでいるって言うんですか?」
「いんや。俺はこれでも部下を信頼している。おめぇに何かハラがあるってんなら、ウェイドが知らせてくるはずだ。だが、おめぇには何の裏もねぇんだと」
「まあそうですねえ。何か画策するとか面倒ですから」
ケロリと答えてみせると巨人はガハハハと豪快に笑い出した。そして頭をボンボンと叩かれ、驚いたビーが威嚇している。
「面白ぇ! 俺の威圧にビビらず暢気なツラしてるヤツぁ、おめぇがはじめてだ。見た目と違ってすげぇ何かを持っていやがらぁ」
流石ギルドマスター。俺の隠しているものを見抜いているようだ。
「テメェの身くれぇテメェで守れんだろ?」
「はあ、まあ」
「テメェが守りてぇと思ったモンを守ればいい。前線で待っているから必ず来いよ。ミュゼリ、あとは任せた。ディエゴ、オラルド、行くぞ」
巨人は力強い声と共に部屋を出て行ってしまった。
残された俺とギルド職員は互いに苦く笑う。そりゃそうだ。ランクF冒険者を任された職員は勘弁してくれ、といったところだろう。
「ギルドマスターのいい加減っぷりは慣れているんですけど、まさかランクFまで駆り出すとかありえないですよぅ……」
「心中お察しします」
「こうなったら絶対に生き残りましょう? 私は少しですが治癒術が使えます!」
「いやそんな張り切られても前線とか超怖いじゃないですか」
「私はミュゼリと申します! ギルドマスターの期待に沿えるよう、今回の戦いで絶対に活躍してみせます!」
「いやだから張り切るのやめてくださいほんとに」
ネズミ獣人の女性ミュゼリは鼻息荒く拳を掲げた。やめて。
19 背中の傷
翌朝、晴天。
雲一つない青い青い空に、首が異様に長い鳥がギョェェと叫びながら飛んでいる。
北西のゆるやかな風に混じりドブの臭いが鼻を掠めた。なんだこの臭い。せっかくの春の陽気が台無しじゃないか。
「あばばばばば」
ついでに背後のビビリすぎているネズミ女の声も鬱陶しい。俺のローブを掴んで放そうとせず、ただ震えて怯えている。その震えが俺に伝わり、俺からビーに伝わり、ビーは至極迷惑そうに頭上で拗ねている。爪立てんな。
「あのですね、ちょっと放してくれませんか」
「こわくないですよぉ? こわくないですったら! こわくなんか、こわくなんかぁ!」
そりゃギルド職員にも拘らず、前線に駆り出されたのは気の毒だと思う。
それを言うなら俺だって気の毒だ。最低のランクFどころか、冒険者なりたて。おまけに素材採取を専門とした地味依頼を好んでこなしている変わり者だぞ?
「私だって、いざというときは、つつつ、使えるってところを、むわ、マスター・ロドル様に、みみみ見せててて」
とりあえず、この一切使い物にならなさそうなギルド職員をなんとかしないと。
ローブを掴む手を強引に放してやり、腰を落としてミュゼリの目に視線を合わせる。既に涙と鼻水でみっともなくなっている顔を笑わないように腹に力を入れ、強く語りかけた。
「あのな、聞け」
「大丈夫です! 私だって、だいじょうぶです!」
「大丈夫じゃねぇよ。手足は震えているし泣きまくっているし、まだゴブリンの姿さえ見えない後方でビビりまくっているヤツなんざ正直使えねぇんだよ」
「そんなぁ!」
ギルドマスターがなぜコイツを俺に付けたのかはわからない。
どうせ適当にその場にいたやつを付けただけなんだろうけど、こいつのせいで俺まで巻き込まれて死ぬとか冗談じゃない。
「お前は治癒術が使えるんだろ? だったら、怪我して運ばれてきたヤツの治療に専念しろ。戦えなんて誰も言っていないし、戦うことを望まれてもいない」
「そ、そうですが……」
「それにな、怖くていいんだよ」
「えっ」
「怖くていいんだ。戦場なんて傷つき傷つけ合う場所だ。怖いのは当然だ」
「だけど冒険者の皆さんは、勇んで赴いているじゃないですか!」
「お前、冒険者なのか? 経験豊富な、高ランク冒険者か?」
「……違います」
「経験豊富な冒険者だって怖いと思うことはある。そしてその感情は、決して恥ではない」
己を守る。自衛する。やられたからやりかえす。それらは全て、相手を少なからず傷つける行為になる。モンスターの場合、命のやり取りに発展する。
生きるためには何かを犠牲にするものだ。生きるために殺すことを咎めることはできない。だがしかし、そこで恐れを感じなければいけない。恐れや後悔。恐れるから戦う。
とまあ、俺の考えは全て先人の教えに過ぎない。全部受け売りだ。
「怖いから戦う。恐れるから歯向かうんだ。生きるために戦うんだ。だろう?」
「ぐすっ……は、はい」
「生きるために戦うヤツらを手助けしてやればいい。お前には……フッ……その力がある」
「はい……はい!」
「前線とはいえ、こんな後ろまで敵は襲ってこない。それこそ腕に覚えのあるヤツらがなんとかしてくれる。してくんなきゃそれでも冒険者かって罵ってやろう」
「ふふ、はい。はい!!」
よし、目に光が灯った。手足の震えも収まったようだ。途中で笑いそうになったが堪えた。先人の皆さま、数々の漫画の登場人物、映画のキャラクターよありがとう。大切な言葉をいろいろと使わせてもらった。
よーしよしよし、うるさくなくなったな。
計 算 通 り。
ミュゼリは腕まくりをして持ってきた支援物資をテントに並べはじめた。顔つきも変わり、てきぱきと指示を出している。腐ってもギルド職員だ。まったくの役立たずではないようだ。
「ピュイ」
「ああ、やっと静かになった」
いつになく熱弁したのは静寂を取り戻すためだ。大体、ここまでビビリな職員を前線に送りやがって。いくら穏やかな俺でも悪態の一つくらいつきたくなるぞ。
「ふ、ふふふ」
「何でそんなところで隠れて笑ってるんですか、クレイ……」
テントの向こう側に隠れているつもりのクレイストン。その巨体と青い鱗を隠すのは無理がある。
クレイストンは見慣れない銀の甲冑を身に纏っている。いつも裸体しか見ていなかったからな。
その見事な身体に傷だらけの鎧を身に纏ったクレイストンは勇猛という言葉がピッタリだ。両手で口を押さえて、身体をぷるぷる震わせていなければ。
「いや………………ぷっ!」
「笑うなら思い切り遠慮なく笑い飛ばしてくださいよ。受け売りばかりのよくある話をツラツラと語っただけなんですから」
「ぶっふぉ!! いや、そうではない。お前の言葉に笑っているわけではない」
「だってギルド職員さん、鬱陶しいんですよビビリすぎて」
「ぶははははは!!」
とうとう堰を切ったかのように大笑いしはじめたクレイストン。このおっさん、実は笑い上戸だったりする。恐ろしい見た目のくせしてよく笑うのだ。
「ぐふふ、ぐふ、いやすまん。いつになく熱く語っていると思えば、鬱陶しいと」
「怯えて使い物にならなくたっていいんですよ。俺に迷惑がかからなければ」
「ふふ、正直者よの」
「違います。あとで面倒なことになるのが嫌なだけです」
ビビリまくっているくせにギルドマスターに期待されていると勘違いしていたミュゼリは、ビビりまくったまま戦場に出て、やる気だけ一丁前で即行死ぬだろう。
それは別に構わない。本人の自業自得だ。俺は誰にでも無条件に優しいわけではない。俺に迷惑がかからなければどうでもいい、と思ってるだけだ。
「クレイはもっと前のほうにいるのかと思いました」
ここは傷ついた者を治療するための待機場。戦場は数百メートル先にある。勇猛果敢そうなクレイストンは前線で活躍するべき人材ではないのだろうか。
「うむ……いやな、古傷の所為で思うように身体が動かんのだ」
「どこか痛むんですか?」
「このな、背の中央を」
「肩甲骨ですね。すると神経かな」
「けん、こう?」
「ここにあるでっぱりの骨です。湯屋で見たんですけど、ここに深い切り傷がありましたよね。それが原因ですか?」
クレイストンの眼が鋭く光る。余計なことを言ってしまったかなと不安になったが、クレイストンは苦く微笑んだだけだ。
「背の傷は戦士の恥……とは言わぬのか?」
「え? 何でですか?」
「…………いや、敵から逃げるさいに負った傷だと思うだろう」
「誰かを守るときにもできる傷ですよね?」
背中の傷は武士の恥と聞いたことがある。クレイストンは武士ではないが、戦国時代の武士はクレイストンのような人だろうと思う。湯屋で雑談をしただけの関係だが、クレイストンの言葉には重みを感じた。重みと深み。志の高さと信念の強さ。
確かに敵を前にして逃亡したとしたら斬りつけられるのは背中だ。ゆえに、背中の傷は恥だと言われている。
だけど俺には恥だと思えない。
いいじゃないか、逃げたって。
強敵相手に逃げることの何が恥になるのだろう。情けないとかみっともないとか言ってられないだろう? 死んだら全部おしまいなのに。
「クレイは戦いに敗れたかもしれないけど、生きている時点で勝っていますよ。生きていたら強敵に再挑戦できますし、また誰かを守れるんですから」
「………………」
「恥なんて思ったら駄目です」
それにしても腹が減ったな。朝飯を食う前にここに連れてこられたから、腹がぐーすか鳴っている。鞄の中には屋台村で買い漁った焼肉やらホットドッグやらが大量にある。が、一人で食うわけにはいかないだろう。俺はそこまで空気読めない人じゃないですよ。
こうなったら簡単美味しい肉スープをご馳走するか……クレイストンってどんだけ食うんだ? 何人前あればいいんだ?
魔素水を飲んでいるビーを眺めながら俺も魔素水を一口。満足感は得られないが、空腹はひとまず落ち着く。さてはてここにいるのは何人だ? 最大で何人前作れるだろうか。
――そんなことを考えている最中、空高らかに警笛が鳴り響いた。
「マスターの陣が破られた! 軍勢がここまで来るぞ!」
20 守りたいものを守ります
二百余りと言われていたゴブリンの軍勢はその倍近くあったらしく、あまりの数の多さに最前線のギルドマスターすら討ち漏らしているのだとか。
個体としてはランクEに過ぎないゴブリンだが、数の多さと読めない動きで翻弄してくる厄介なモンスターでもある。
遠く聞こえてくる爆発音は攻撃魔法だろう。音が次第に近くなってくるのがわかる。両足にわずかに伝わる振動と、ビーのぴゅいぴゅいと知らせる警戒警報。
今更斥候の情報の甘さを嘆く暇はない。猫の手でもあるランクF冒険者、所謂俺は面倒くさいと思いながらも腰を上げた。
この待機場は負傷者を受け入れるためだけの簡易テントだ。治癒術士と治癒医師、その助手とギルド職員といった非戦闘員しかいない。そんな中に採取専門家である俺が何でいるんだか、と思いつつも負傷者の受け入れを手伝っていたりした。
そんな中報告された『ここにもゴブリン来ちゃうかも』宣言で大パニック。
なんてことを大声で言いのけてくれたんだい斥候さん。ビビリのミュゼリさんが再び震え出しちゃったじゃないですか。まったくもう。
「タケル、俺は出る!」
「いやいや無理しないでくださいよ!」
「この身体壊れようとも、お主らは俺が守る!」
「壊れたら守れませんって!」
クレイストンは巨大な槍を手に、駆け出していってしまった。人の話聞けよ。古傷が痛いって言ってたじゃないか。槍を手にするだけでも辛そうにしていたのに。
「タケルさん、私も戦います」
「だからできないことをすんなって。ミュゼリさんは負傷者の手当てして」
「でも、ここまで襲ってくるんですよね?」
ミュゼリは震えてはいたがみっともなく取り乱すことはなかった。だが、数名のギルド職員と治癒術士らも顔色を真っ青にして震えている。治癒術を得意とした冒険者はもっと前で既に戦っているだろうし、ここにいる連中は皆ベルカイムの外にすら出たことがないのだろう。
俺がこの場所で冷静にしていられるのは、恐怖耐性の恩恵だ。
一度経験してしまったことに免疫が付き、早々に慣れてしまう異能の力。モンスター独特の気配とか空気感に慣れているってことだろうな。
頭の中で俺の持つ膨大な魔力が『これは大したことない』と言っている。
『テメェが守りてぇと思ったモンを守ればいい』
巨人のおっさんがそんなことを言ってた。
流して聞いていたが、今思えば守れる力のあるヤツが言える言葉だよな。何で俺に言ったんだろうか。
俺はただの素材採取を専門に冒険者やっているランクFの……
「タケルさんは我々ギルド員がお守りします。腕利きの素材採取専門家を絶対に殺すなってグリットさんが言っていました」
震えるネズミ獣人の女の子に気遣われる俺って何なわけ? さっきまでその女の子は怖い怖い泣いて怯えて逃げ出しそうだったっていうのに。
クレイトンも行ってしまった。
俺は――
爆撃音が近くで響き渡った。振動がこのテントまで伝わり、悲鳴が轟く。
――守りたいものを守ればいいか。そりゃそうだよな。
俺の生活を守るため、守りたいものを守る。
「面倒とか言ってられないよな」
「ピュイ」
「ビーも付き合ってくれるか? もしかしたらこれから先、平和に暮らしていけなくなるかもしれないんだけど」
「ピュイ!」
鞄からユグドラシルの枝を取り出す。葉っぱが一枚だけついた、小さな枝。
「タケルさん?」
「ミュゼリさんはテントの中にいろよ。他の連中も外に出すな」
「待ってください、どこに行くんですか!?」
ああ、面倒くさい。
お前は自分の心配だけしてろ。
「ビー」
「ピュッ!」
ユグドラシルの枝を杖に変化させ、腹に力を入れて魔力を練った。
「結界展開、魔法障壁展開」
「えっ!? な、なんですかこれ!」
「テントを丈夫な壁で覆った。究極魔法でもぶつけられない限り壊れないから安心しろ。逃げてくるやつは受け入れて外に出さないようにしろよ」
「タケルさんはどうされるんですか!」
「クレイの様子見てくるよ」
「待ってください! タケルさん!!」
さて、あの熱い武士はどこ行った?
身体に速度上昇と軽量をかけ、ユグドラシルの杖を片手に爆走。
平原を真っすぐ突き進み、ドブの臭いに混じって鉄の臭いがする煙に突進。足元に散乱する死体に目もくれず、盾と両手両足に硬質を展開。
夏場に生ごみを何日も放置したようなこの鼻がもげそうな臭い、どうにかならないものか。
「ギガガァァ!!」
緑のぬるっとした身体の小鬼が棍棒をブン回してやってきた。ゴブリンっていうのはコイツか。なるほど恐ろしく臭い。
「ていや!」
「ギャアアア!」
突進してくる勢いのままにグーパンチを出したら、頭がフッ飛んでしまった。やわこいな、ゴブリン。蟹のつもりで殴ったらトマトみたいな感触だった。脳髄が飛び散ってグロい。
「グゴゴ!」
「ギガギガ!」
「ギョガガ!」
数十体のゴブリンが何事か叫び合い、俺目掛けて突進。それ作戦?
「ピュイ!」
「何だ、お前も活躍したいのか?」
「ピュウ~イ!」
「よし行け!」
ビーは小さな胸いっぱいに息を吸い込むと、燃え盛る炎を吐き出した。
「ギョアアアア!」
「グギャアア!」
「熱い熱い熱い熱い!! ちょ、回復! ハゲるハゲる! ビーこのやろう!」
「ピュイッ?」
俺の頭の上でそんな技繰り出すものだから、ゴブリンに交ざって俺まで悲鳴を上げてしまった。なんかもうかっこつかないな。
「ピュイイ……」
「戦うときはちょっと離れような? うん、お互いのためだ」
「ピュイ!」
「よっしゃ、大火傷の次はカチコチ攻撃! 氷結針応用編その一! 氷結槍を展開! それいけ!」
炎に呻き苦しむゴブリンの軍勢は一気に氷漬けになり、ビーの超音波悲鳴によって粉砕。腐ったお肉が焦げた臭いだけが残った。
残ったゴブリンたちは一瞬怯むが、勢いは止まらない。まだまだ数にものを言わせて突進してくる。少しでも知能があるならここで一斉退避するよなあ。一瞬で同胞が焼けて氷になって粉砕したのだから。
平和にぃー。
と、強く願っても突然の事態ってのは、どんな世界でも訪れるものだ。
日常を普通に過ごせるのがどれだけ有難いことなのか、この世界に来てからそれを改めて思い知らされる。街道の近くのモンスター襲撃なんて日常茶飯事。上位ランク冒険者が嬉々として飛び出し、傷を負って帰ってくる。
はじめこそそんな光景を恐ろしいと思っていた俺だったが、今では慣れてしまった。それが、この世界の日常。
ギルドにゴブリン襲来の一報が伝えられたのが、午後のことだった。
ベルカイムより南南西にあるスタヴロウ平野の先、鬱蒼とした森が広がるゲレロ樹海から数百のゴブリンが群れを成してこちらを目指している。
ゴブリンは知恵のある生き物ではないが、繁殖力が強く獰猛だ。動くものなら何でも狩り食ってしまい、女は捕まえて犯すのだとか。ウエェ。それがその種族の生き方だとしても、襲ってくるのなら自衛しないとならない。
ゴブリンの襲来は定期的にあり、一定の数になると食うものに困りベルカイムを狙うのだ。学習能力ないな。自給自足すりゃいいのに。
俺といえば、ゴブリン襲来と聞いてわくわくしてしまったのは秘密。だってゴブリンなんてゲームや物語の定番だぞ? そりゃお目にかかってみたいと思うじゃないか。
「ランクDから上で連絡がつくものには即時連絡、北詰所に集合させろ! 技能があるものは片っ端から招集、治癒術士と治癒医師も手が空いているものは連れてこい!」
大声で指揮を執っている男はエウロパのギルドマスター、ロドルだ。俺より頭二つ分デカい身体の巨人族。元ランクA冒険者で、剛戦士。
「マスター、ブラウとモナハンはオブレストに行っているそうです」
「時期が悪いな。ランクAは他にいないのか?」
「ランクBなら……モトゥーラ、ヘイリス、レイモン、ええと……ああ、クレイストン!」
「栄誉の竜王か! すぐに声をかけろ!」
慌ただしくなるギルドの一角で俺は完全に置いてけぼり状態。そりゃそうだ。素材採取を専門としているランクF冒険者なんて見向きもされないだろう。
さて、忙しい皆さんには悪いが、俺はこれから屋台で買い食いを。
「タケルさんも来てください!」
いや俺は買い食いをだね。
「一人でも多く手が必要になります!」
猫の手よりかはマシかもしれないが、ランクFの採取専門家を頼りにするなんて、ゴブリンってのはどれだけ厄介なのだろうか。
しつこく俺を呼びつけるグリットの気迫に根負けし、連れてこられたギルド二階。
「前線はここと、ここ。スタヴロウ平野の北と東。ゴブリンは真っすぐにここ、カルバ倒木を目指すだろう。お前らは絶対にザルウェス川を越えさせるな」
「王都から援軍は来るのか?」
「来たとしても早くて四日後だ。頼りにはできねぇ」
「竜騎士はよこすんだろうな」
「アイツらが来ると思うか? ギラギラした鎧の手入れに夢中な坊ちゃん連中がよ!」
大きな会議室のような部屋の隅っこで俺は茫然としていた。グリットに来てくれと頼まれ、なぜかこの部屋で作戦を聞いています。
ゴブリンの軍勢が約二百に対し、ベルカイム警備網は百にも満たない。高ランク冒険者は遠方のクエストに向かっており、帰ってくる者は早くても三日後。領主も不在で警備の手が足りない。
ゴブリンが襲ってくることがわかっていれば対処の仕方もあるのだろうが、国が予算を回してくれないのだとか。ベルカイムを治める領主も、このことで常に頭を痛めている。
「俺たちの町だ! 俺たちが守らなくてどうする!」
「そうだそうだ! 情けないツラしてんじゃねぇぞ!」
腕に覚えのある者たちは、今すぐにでも戦いたくてうずうずしているようだ。
で、なぜに平和主義者の俺が片隅でハニワ顔しているのかといえば、猫の手も使えばいいじゃんという状況だからだ。要するに人手不足。ベルカイムの外に出て素材採取をしている俺ならばモンスター討伐の経験もあるだろうということで、駆り出されたわけだ。
「討伐対象はあくまでもゴブリンだからな。一体につき800レイブ、ものによっては1000レイブ出るぞ!」
「「「「うおおおお!!」」」」
熱いなあ。完全に体育会系。
どっちかといえば、文系の俺には付いていけないノリ。
汗臭いむさ苦しい男たちが更に熱気を溢れ出す。やる気があるのは大変よろしいことなのだが、その熱さを押しつけてくるのはよろしくない。
「ランクFが調子に乗って邪魔するんじゃねぇぞ!」
「へへっ、びびって使い物にならねぇってオチだろ」
「ちげぇねえ!」
わっはっはっはっは。
言ってろ言ってろ。平和大好きな俺が目立つことするわけないじゃないですか。皆さんのお株を奪うような真似はしませんよ。俺は最低ランクですからね。出しゃばらず、目立たず、影になって闇に紛れて……
「おう、おめぇだな、グリットが絶賛していた素材採取専門家、ってぇいうのは」
隅っこででかい身体を小さくしていたら、目の前に現れたるは巨人。ギルドマスター、ロドル。
でかい。超、でかい。威圧感はんぱないが、ボルさんに比べたら全く大したことがなかった。一度強烈な威圧を経験すると恐怖耐性力が働き、なんか睨まれてるとしか感じない。
「あのクソ真面目な鑑定士がおめぇの褒め言葉しか言いやがらねぇ。珍しいんだぜ? アイツが誰かを無条件に褒めるってぇのは」
「はあ」
「鑑定眼を持っているウェイドすらおめぇを推しやがる。それからなんだ? 湯屋のリムレイもおめぇに頭が上がらねぇんだって? 雑貨屋のトマスや屋台村代表のウェガすら口を揃えておめぇはイイヤツだって」
「恐縮です……」
そりゃ、丁寧な話し方に時折混ぜる笑顔と冗談、会話の一つひとつを聞き逃さず次へと繋げる。それでいて腰が低く穏やかで謙虚と来れば、無礼で失礼なものに慣れているこの町の住人は俺を大歓迎してくれるわけだ。
「ふぅん……?」
「そんなじっとり見ないでくださいよ。俺が何か企んでいるって言うんですか?」
「いんや。俺はこれでも部下を信頼している。おめぇに何かハラがあるってんなら、ウェイドが知らせてくるはずだ。だが、おめぇには何の裏もねぇんだと」
「まあそうですねえ。何か画策するとか面倒ですから」
ケロリと答えてみせると巨人はガハハハと豪快に笑い出した。そして頭をボンボンと叩かれ、驚いたビーが威嚇している。
「面白ぇ! 俺の威圧にビビらず暢気なツラしてるヤツぁ、おめぇがはじめてだ。見た目と違ってすげぇ何かを持っていやがらぁ」
流石ギルドマスター。俺の隠しているものを見抜いているようだ。
「テメェの身くれぇテメェで守れんだろ?」
「はあ、まあ」
「テメェが守りてぇと思ったモンを守ればいい。前線で待っているから必ず来いよ。ミュゼリ、あとは任せた。ディエゴ、オラルド、行くぞ」
巨人は力強い声と共に部屋を出て行ってしまった。
残された俺とギルド職員は互いに苦く笑う。そりゃそうだ。ランクF冒険者を任された職員は勘弁してくれ、といったところだろう。
「ギルドマスターのいい加減っぷりは慣れているんですけど、まさかランクFまで駆り出すとかありえないですよぅ……」
「心中お察しします」
「こうなったら絶対に生き残りましょう? 私は少しですが治癒術が使えます!」
「いやそんな張り切られても前線とか超怖いじゃないですか」
「私はミュゼリと申します! ギルドマスターの期待に沿えるよう、今回の戦いで絶対に活躍してみせます!」
「いやだから張り切るのやめてくださいほんとに」
ネズミ獣人の女性ミュゼリは鼻息荒く拳を掲げた。やめて。
19 背中の傷
翌朝、晴天。
雲一つない青い青い空に、首が異様に長い鳥がギョェェと叫びながら飛んでいる。
北西のゆるやかな風に混じりドブの臭いが鼻を掠めた。なんだこの臭い。せっかくの春の陽気が台無しじゃないか。
「あばばばばば」
ついでに背後のビビリすぎているネズミ女の声も鬱陶しい。俺のローブを掴んで放そうとせず、ただ震えて怯えている。その震えが俺に伝わり、俺からビーに伝わり、ビーは至極迷惑そうに頭上で拗ねている。爪立てんな。
「あのですね、ちょっと放してくれませんか」
「こわくないですよぉ? こわくないですったら! こわくなんか、こわくなんかぁ!」
そりゃギルド職員にも拘らず、前線に駆り出されたのは気の毒だと思う。
それを言うなら俺だって気の毒だ。最低のランクFどころか、冒険者なりたて。おまけに素材採取を専門とした地味依頼を好んでこなしている変わり者だぞ?
「私だって、いざというときは、つつつ、使えるってところを、むわ、マスター・ロドル様に、みみみ見せててて」
とりあえず、この一切使い物にならなさそうなギルド職員をなんとかしないと。
ローブを掴む手を強引に放してやり、腰を落としてミュゼリの目に視線を合わせる。既に涙と鼻水でみっともなくなっている顔を笑わないように腹に力を入れ、強く語りかけた。
「あのな、聞け」
「大丈夫です! 私だって、だいじょうぶです!」
「大丈夫じゃねぇよ。手足は震えているし泣きまくっているし、まだゴブリンの姿さえ見えない後方でビビりまくっているヤツなんざ正直使えねぇんだよ」
「そんなぁ!」
ギルドマスターがなぜコイツを俺に付けたのかはわからない。
どうせ適当にその場にいたやつを付けただけなんだろうけど、こいつのせいで俺まで巻き込まれて死ぬとか冗談じゃない。
「お前は治癒術が使えるんだろ? だったら、怪我して運ばれてきたヤツの治療に専念しろ。戦えなんて誰も言っていないし、戦うことを望まれてもいない」
「そ、そうですが……」
「それにな、怖くていいんだよ」
「えっ」
「怖くていいんだ。戦場なんて傷つき傷つけ合う場所だ。怖いのは当然だ」
「だけど冒険者の皆さんは、勇んで赴いているじゃないですか!」
「お前、冒険者なのか? 経験豊富な、高ランク冒険者か?」
「……違います」
「経験豊富な冒険者だって怖いと思うことはある。そしてその感情は、決して恥ではない」
己を守る。自衛する。やられたからやりかえす。それらは全て、相手を少なからず傷つける行為になる。モンスターの場合、命のやり取りに発展する。
生きるためには何かを犠牲にするものだ。生きるために殺すことを咎めることはできない。だがしかし、そこで恐れを感じなければいけない。恐れや後悔。恐れるから戦う。
とまあ、俺の考えは全て先人の教えに過ぎない。全部受け売りだ。
「怖いから戦う。恐れるから歯向かうんだ。生きるために戦うんだ。だろう?」
「ぐすっ……は、はい」
「生きるために戦うヤツらを手助けしてやればいい。お前には……フッ……その力がある」
「はい……はい!」
「前線とはいえ、こんな後ろまで敵は襲ってこない。それこそ腕に覚えのあるヤツらがなんとかしてくれる。してくんなきゃそれでも冒険者かって罵ってやろう」
「ふふ、はい。はい!!」
よし、目に光が灯った。手足の震えも収まったようだ。途中で笑いそうになったが堪えた。先人の皆さま、数々の漫画の登場人物、映画のキャラクターよありがとう。大切な言葉をいろいろと使わせてもらった。
よーしよしよし、うるさくなくなったな。
計 算 通 り。
ミュゼリは腕まくりをして持ってきた支援物資をテントに並べはじめた。顔つきも変わり、てきぱきと指示を出している。腐ってもギルド職員だ。まったくの役立たずではないようだ。
「ピュイ」
「ああ、やっと静かになった」
いつになく熱弁したのは静寂を取り戻すためだ。大体、ここまでビビリな職員を前線に送りやがって。いくら穏やかな俺でも悪態の一つくらいつきたくなるぞ。
「ふ、ふふふ」
「何でそんなところで隠れて笑ってるんですか、クレイ……」
テントの向こう側に隠れているつもりのクレイストン。その巨体と青い鱗を隠すのは無理がある。
クレイストンは見慣れない銀の甲冑を身に纏っている。いつも裸体しか見ていなかったからな。
その見事な身体に傷だらけの鎧を身に纏ったクレイストンは勇猛という言葉がピッタリだ。両手で口を押さえて、身体をぷるぷる震わせていなければ。
「いや………………ぷっ!」
「笑うなら思い切り遠慮なく笑い飛ばしてくださいよ。受け売りばかりのよくある話をツラツラと語っただけなんですから」
「ぶっふぉ!! いや、そうではない。お前の言葉に笑っているわけではない」
「だってギルド職員さん、鬱陶しいんですよビビリすぎて」
「ぶははははは!!」
とうとう堰を切ったかのように大笑いしはじめたクレイストン。このおっさん、実は笑い上戸だったりする。恐ろしい見た目のくせしてよく笑うのだ。
「ぐふふ、ぐふ、いやすまん。いつになく熱く語っていると思えば、鬱陶しいと」
「怯えて使い物にならなくたっていいんですよ。俺に迷惑がかからなければ」
「ふふ、正直者よの」
「違います。あとで面倒なことになるのが嫌なだけです」
ビビリまくっているくせにギルドマスターに期待されていると勘違いしていたミュゼリは、ビビりまくったまま戦場に出て、やる気だけ一丁前で即行死ぬだろう。
それは別に構わない。本人の自業自得だ。俺は誰にでも無条件に優しいわけではない。俺に迷惑がかからなければどうでもいい、と思ってるだけだ。
「クレイはもっと前のほうにいるのかと思いました」
ここは傷ついた者を治療するための待機場。戦場は数百メートル先にある。勇猛果敢そうなクレイストンは前線で活躍するべき人材ではないのだろうか。
「うむ……いやな、古傷の所為で思うように身体が動かんのだ」
「どこか痛むんですか?」
「このな、背の中央を」
「肩甲骨ですね。すると神経かな」
「けん、こう?」
「ここにあるでっぱりの骨です。湯屋で見たんですけど、ここに深い切り傷がありましたよね。それが原因ですか?」
クレイストンの眼が鋭く光る。余計なことを言ってしまったかなと不安になったが、クレイストンは苦く微笑んだだけだ。
「背の傷は戦士の恥……とは言わぬのか?」
「え? 何でですか?」
「…………いや、敵から逃げるさいに負った傷だと思うだろう」
「誰かを守るときにもできる傷ですよね?」
背中の傷は武士の恥と聞いたことがある。クレイストンは武士ではないが、戦国時代の武士はクレイストンのような人だろうと思う。湯屋で雑談をしただけの関係だが、クレイストンの言葉には重みを感じた。重みと深み。志の高さと信念の強さ。
確かに敵を前にして逃亡したとしたら斬りつけられるのは背中だ。ゆえに、背中の傷は恥だと言われている。
だけど俺には恥だと思えない。
いいじゃないか、逃げたって。
強敵相手に逃げることの何が恥になるのだろう。情けないとかみっともないとか言ってられないだろう? 死んだら全部おしまいなのに。
「クレイは戦いに敗れたかもしれないけど、生きている時点で勝っていますよ。生きていたら強敵に再挑戦できますし、また誰かを守れるんですから」
「………………」
「恥なんて思ったら駄目です」
それにしても腹が減ったな。朝飯を食う前にここに連れてこられたから、腹がぐーすか鳴っている。鞄の中には屋台村で買い漁った焼肉やらホットドッグやらが大量にある。が、一人で食うわけにはいかないだろう。俺はそこまで空気読めない人じゃないですよ。
こうなったら簡単美味しい肉スープをご馳走するか……クレイストンってどんだけ食うんだ? 何人前あればいいんだ?
魔素水を飲んでいるビーを眺めながら俺も魔素水を一口。満足感は得られないが、空腹はひとまず落ち着く。さてはてここにいるのは何人だ? 最大で何人前作れるだろうか。
――そんなことを考えている最中、空高らかに警笛が鳴り響いた。
「マスターの陣が破られた! 軍勢がここまで来るぞ!」
20 守りたいものを守ります
二百余りと言われていたゴブリンの軍勢はその倍近くあったらしく、あまりの数の多さに最前線のギルドマスターすら討ち漏らしているのだとか。
個体としてはランクEに過ぎないゴブリンだが、数の多さと読めない動きで翻弄してくる厄介なモンスターでもある。
遠く聞こえてくる爆発音は攻撃魔法だろう。音が次第に近くなってくるのがわかる。両足にわずかに伝わる振動と、ビーのぴゅいぴゅいと知らせる警戒警報。
今更斥候の情報の甘さを嘆く暇はない。猫の手でもあるランクF冒険者、所謂俺は面倒くさいと思いながらも腰を上げた。
この待機場は負傷者を受け入れるためだけの簡易テントだ。治癒術士と治癒医師、その助手とギルド職員といった非戦闘員しかいない。そんな中に採取専門家である俺が何でいるんだか、と思いつつも負傷者の受け入れを手伝っていたりした。
そんな中報告された『ここにもゴブリン来ちゃうかも』宣言で大パニック。
なんてことを大声で言いのけてくれたんだい斥候さん。ビビリのミュゼリさんが再び震え出しちゃったじゃないですか。まったくもう。
「タケル、俺は出る!」
「いやいや無理しないでくださいよ!」
「この身体壊れようとも、お主らは俺が守る!」
「壊れたら守れませんって!」
クレイストンは巨大な槍を手に、駆け出していってしまった。人の話聞けよ。古傷が痛いって言ってたじゃないか。槍を手にするだけでも辛そうにしていたのに。
「タケルさん、私も戦います」
「だからできないことをすんなって。ミュゼリさんは負傷者の手当てして」
「でも、ここまで襲ってくるんですよね?」
ミュゼリは震えてはいたがみっともなく取り乱すことはなかった。だが、数名のギルド職員と治癒術士らも顔色を真っ青にして震えている。治癒術を得意とした冒険者はもっと前で既に戦っているだろうし、ここにいる連中は皆ベルカイムの外にすら出たことがないのだろう。
俺がこの場所で冷静にしていられるのは、恐怖耐性の恩恵だ。
一度経験してしまったことに免疫が付き、早々に慣れてしまう異能の力。モンスター独特の気配とか空気感に慣れているってことだろうな。
頭の中で俺の持つ膨大な魔力が『これは大したことない』と言っている。
『テメェが守りてぇと思ったモンを守ればいい』
巨人のおっさんがそんなことを言ってた。
流して聞いていたが、今思えば守れる力のあるヤツが言える言葉だよな。何で俺に言ったんだろうか。
俺はただの素材採取を専門に冒険者やっているランクFの……
「タケルさんは我々ギルド員がお守りします。腕利きの素材採取専門家を絶対に殺すなってグリットさんが言っていました」
震えるネズミ獣人の女の子に気遣われる俺って何なわけ? さっきまでその女の子は怖い怖い泣いて怯えて逃げ出しそうだったっていうのに。
クレイトンも行ってしまった。
俺は――
爆撃音が近くで響き渡った。振動がこのテントまで伝わり、悲鳴が轟く。
――守りたいものを守ればいいか。そりゃそうだよな。
俺の生活を守るため、守りたいものを守る。
「面倒とか言ってられないよな」
「ピュイ」
「ビーも付き合ってくれるか? もしかしたらこれから先、平和に暮らしていけなくなるかもしれないんだけど」
「ピュイ!」
鞄からユグドラシルの枝を取り出す。葉っぱが一枚だけついた、小さな枝。
「タケルさん?」
「ミュゼリさんはテントの中にいろよ。他の連中も外に出すな」
「待ってください、どこに行くんですか!?」
ああ、面倒くさい。
お前は自分の心配だけしてろ。
「ビー」
「ピュッ!」
ユグドラシルの枝を杖に変化させ、腹に力を入れて魔力を練った。
「結界展開、魔法障壁展開」
「えっ!? な、なんですかこれ!」
「テントを丈夫な壁で覆った。究極魔法でもぶつけられない限り壊れないから安心しろ。逃げてくるやつは受け入れて外に出さないようにしろよ」
「タケルさんはどうされるんですか!」
「クレイの様子見てくるよ」
「待ってください! タケルさん!!」
さて、あの熱い武士はどこ行った?
身体に速度上昇と軽量をかけ、ユグドラシルの杖を片手に爆走。
平原を真っすぐ突き進み、ドブの臭いに混じって鉄の臭いがする煙に突進。足元に散乱する死体に目もくれず、盾と両手両足に硬質を展開。
夏場に生ごみを何日も放置したようなこの鼻がもげそうな臭い、どうにかならないものか。
「ギガガァァ!!」
緑のぬるっとした身体の小鬼が棍棒をブン回してやってきた。ゴブリンっていうのはコイツか。なるほど恐ろしく臭い。
「ていや!」
「ギャアアア!」
突進してくる勢いのままにグーパンチを出したら、頭がフッ飛んでしまった。やわこいな、ゴブリン。蟹のつもりで殴ったらトマトみたいな感触だった。脳髄が飛び散ってグロい。
「グゴゴ!」
「ギガギガ!」
「ギョガガ!」
数十体のゴブリンが何事か叫び合い、俺目掛けて突進。それ作戦?
「ピュイ!」
「何だ、お前も活躍したいのか?」
「ピュウ~イ!」
「よし行け!」
ビーは小さな胸いっぱいに息を吸い込むと、燃え盛る炎を吐き出した。
「ギョアアアア!」
「グギャアア!」
「熱い熱い熱い熱い!! ちょ、回復! ハゲるハゲる! ビーこのやろう!」
「ピュイッ?」
俺の頭の上でそんな技繰り出すものだから、ゴブリンに交ざって俺まで悲鳴を上げてしまった。なんかもうかっこつかないな。
「ピュイイ……」
「戦うときはちょっと離れような? うん、お互いのためだ」
「ピュイ!」
「よっしゃ、大火傷の次はカチコチ攻撃! 氷結針応用編その一! 氷結槍を展開! それいけ!」
炎に呻き苦しむゴブリンの軍勢は一気に氷漬けになり、ビーの超音波悲鳴によって粉砕。腐ったお肉が焦げた臭いだけが残った。
残ったゴブリンたちは一瞬怯むが、勢いは止まらない。まだまだ数にものを言わせて突進してくる。少しでも知能があるならここで一斉退避するよなあ。一瞬で同胞が焼けて氷になって粉砕したのだから。
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