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7巻

7-2

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「タケル、戻りました」

 なぜか窓からのそりと入ってきたプニさんは、髪におがくずのようなものをつけていた。
 催促される前に席を用意し、打ち上げ会のために作っておいたダークキャモルの肉揚げかつ丼を鞄の中から取り出す。今まさにできたてホカホカのそれが、とろりと溶けた半熟の卵と醤油ベースの匂いを漂わせ、腹の虫を呼び起こす。

「プニさん、お疲れ様でした。さあさあさあ、こちらへ」

 椅子を引いて着席を促すと、プニさんは極上の微笑みを返してくれる。こりゃ首尾は上々、ってことかな。

「お前の望みは叶えました。王国内の全ての馬は、わたくしのめいに従います」
「ありがとう。さすがマデウスの全ての馬をつかさどる神様だよな、凄い凄い」
「ひひん、ふふ、ひひひん、そうでしょう。わたくしは美しく、そして凄い、凄い神なのです!」
「知ってた知ってた! さあさ、かつ丼を食べてくださいな。五杯までね」

 品よく着席したプニさんに胸元を汚さないようヨダレかけの布をかけ、カップに魔法瓶から冷たいハデ茶を注ぐ。神様の機嫌を少しでも損なわないよう、懸命にヨイショヨイショ。ブロライトはプニさんの髪の毛をとかし、クレイはプニさんの手を濡れ布巾で拭ってやった。ヨイショヨイショ。
 プニさん愛用のフォークを渡すと、プニさんは律儀に「いただきます」と言ってから食べはじめた。クレイが俺に視線を向けてくる。

「タケル、プニ殿のおかげでサルサールの逃亡は防げるようだな」
「ああ。クレイに言われなければ気がつかなかった。さすが、元竜騎士ドラゴンナイト
「ふふふ。それしきのこと、竜騎士ドラゴンナイトでなくても思いつくであろう」

 競売で落札した腕輪の受け取りが終わったあとでクレイに言われたんだ。もしかしたらサルサールや元老院連中が国外逃亡をするかもしれないと。
 聞いた瞬間、口があんぐりと開いてしまった。俺はサルサールが逃げる可能性を、すっかりと忘れていたのだ。
 慌ててどうすりゃいいのかと考えた。逃げるってどうやって? 走るの? リアカーに荷物詰め込んで? まっさかー。逃げるとしたら馬車じゃね? そうだよな。馬車だよ。だけど馬がなけりゃ馬車は動かせない。転移門ゲートの魔法が使えたら話は別になるけど、まずは馬をどうにかしないと。
 というわけで、マデウスのお馬さんの頂点に君臨する、大食らいの美女神様を思い出しました。それでお願いしたわけです。
 プニ様お願い、王都内の馬に頼んでくれないかな、「明日は一日、絶対に、何が何でもお休みしましょうね」って。
 これで王都内の馬は全力で休んでくれるだろう。なんせ馬の神様からの命令だからな。
 あれっ。
 でも、プニさん今なんて言った?

「あの、ププ、プニプニ様? ……王国内の、馬、全てって? どういうことで?」
「もぐもぐもぐもぐ、んぐ、グラン・リオ大陸にあるもむもむ、アルツェリオ王国の息がんぐんぐ、かかった、全ての馬ですよ? お前がそう言ったのではないですかぶるる」
「え」

 グラン・リオ大陸にある、アルツェリオ王国の息がかかった全ての馬?
 つまりそれって。
 …………王都だけじゃなくて王国じゅう、ってこと?
 あちゃー。



 2 瓶底びんぞこ眼鏡と、暗黒魔導書


 古代馬アルタトゥムエクルウスの安息日。
 アルツェリオ王国の住民は、謎の怪奇現象をそう呼んだ。
 ある朝突然何の前触れもなく、王都エクサル内において馬という馬が全て職務放棄をしたのだ。
 熟睡したまま起きない馬、地べたにはいつくばって梃子てこでも動こうとしない馬、威嚇いかくうなる馬、どこかへ逃げてしまった馬などなど。
 人々は慌てふためいた。これでは仕事にならない、どこへも行けない、何があったんだ、どうしてくれるんだ、と。
 日ごろ馬に対し愛情を持って接していた人の馬は、素直に飼い主の言うことを聞いた。しかし言うことは聞くが、決して馬房ばぼうの外に出ようとはしない。それゆえ、仕事にはならないという。
 馬をしいたげていた者に対し、これは馬からの逆襲だという声も上がったが、人と信頼関係を築けている馬すらも同じ有様。
 人々は恐れ、噂しあった。

「四番街のサイモンいるだろう? 赤毛のエグラリー一角馬を持っているヤツだよ。アイツ、毎日馬を叩いて言うこと聞かせていて、あれじゃあ馬が可哀想だと思っていたんだよなあ。俺がやめろって何度も言ったのに、あの野郎、ちっとも言うことを聞かないで。それで、この騒動だろ? 赤毛の馬は逃げちまいやがったと! ざまあねえよ!」
「馬にひでぇ仕打ちしていたヤツらの馬は、みーんな昨夜のうちに逃げちまったってなあ」
「そういやあ、隣町の荷も来ないんだって? ギルドが伝書虫でんしょむし遠見鏡とおみきょうの情報を集めて知ったらしいんだけどな、他の町でも同じことが起こっているらしい。大陸の端っこにある辺境都市でさえも、馬が言うことを聞かなくなったってよ」
「どうなっていやがる……」
「これはきっと馬の神様、馬神様のお怒りなんだよ!」

 いくら偉大な魔法使いや魔導士であったとしても、これだけ大量の馬をどうにかするような真似はできるわけがない。警備が厳重な王宮の馬でさえ、馬房で呑気にごろ寝。竜騎士ドラゴンナイトが魂の片割れとしている竜すらも、馬と同じ行動をしたらしい。
「馬」としてその背に人や荷を載せて運ぶ生物は、全て大地に腹をつけ、アーアー聞こえなーいとストライキ。いくら複雑な魔法でも、特殊な薬剤を用いても、「大陸全土の馬に同じ行動を取らせる」ことなど、人ができるわけがないのだ。
 であるからして、人知を超えた異常事態は、神の御業みわざに違いないと誰もが声を揃えて言った。
 雄々おおしき馬の神、古代馬アルタトゥムエクルウスの御業であると。


「ひひん」

 朝から大量の山盛り飯を頬張る神々しい美女が、そのアレ。
 世界の馬という馬の頂点に君臨しているらしい、偉大なる神様でございます。
 マデウスにおいては、荷物を運んだり人を運んだり、はたまた農作業を手伝ったり、粉ひきの原動力として働いたりする生物を、総じて「馬」と呼ぶ。大きな鳥や羽の生えたヘビのような生き物も、「馬」と通称で呼ぶのだ。
 まさか竜騎士ドラゴンナイトの相棒までも巻き込んでしまうとは思わなかった。だって、竜を「馬」と呼ぶ人はいないから。
 ちょっとお休みしてくれれば良かったんだけど、まさか逃げ出してしまう馬まで現れるなんて……戻ってくるのかな……

「人の子には良い教訓になったのではありませんか? 馬をしいたげる者に馬を扱う資格はないのです。馬を尊敬し、いつくしむことにより、馬は人の子にそれ以上の愛を返します。馬とは尊い生き物なのですもぐもぐ」

 口の周りとなぜか額にも米粒いっぱいつけて胸を張るプニさんは、蒸し魚を骨ごと食べながら馬を称えた。
 プニさんの言ったことは馬に限らずどんな生き物にも言えることだとは思うが、プニさんは馬を贔屓ひいきする馬の神様だから仕方がない。
 サルサール子爵の王都外逃亡を阻止することはできた。できたがしかし、一体どれだけの人に迷惑をかけてしまったのだろうか……考えるだけでも恐ろしい。

「日ごろ人の子に愛され大切にされている馬は、わたくしの命に従わなくても良いようにいたしました。全ての人の子に支障があるわけではありません」
「それじゃあ、気性の優しい馬に乗ればサルサールの逃亡もありえると?」
「ぶるるっ、馬は人の子を見分けます。無理やり言うことを聞かせようとする者は、後ろ足で蹴り飛ばされることでしょう」

 ヒエッ。
 巨大な一角馬のたくましい後ろ足を想像し、背筋が凍った。あの足で蹴られたとしたら、軽くく。あの世へ。
 金にモノを言わせて優しい馬を買い上げるくらいするかもしれないと危惧きぐしていたが、その心配も杞憂きゆうに終わりそうだ。いくら馬が言うことを聞かないからって、殺してしまうようなことにはならないだろう。なんせ他の馬も同じ状態なんだし。
 クミルさんが、プニさんが綺麗に食べつくした皿を片付けながら言う。

「タケルさん、大公様のお屋敷にお出かけになるんですよね? 馬車がないので早めに出られたほうが宜しいですよ」

 鮭皮亭の面々も今日は休みにしているため、朝から十番街にある大きな公園に出かけるらしい。クミルさんたちには日ごろの感謝の気持ちとして、肉焼きジュペと小魚の佃煮が入った握り飯を弁当として持たせた。冷たいエプル茶が入った魔法瓶も忘れずに。猫三姉妹は俺に花の冠をお土産みやげに作るのだと張り切ってくれた。可愛い。

「それは大丈夫。俺たちのことよりも、クミルさんたちは? もう出かけないと」
「あらっ? あらあらやだやだ、そうですね! アンター! ユーリソーリミーリ! 出かけるよー!」

 鮭皮亭を訪れたグランツ卿の正体がアルツェリオ王国ナンバー2である大公様だったと知った一家は、仰天したもののすんなりと納得。そもそも貴族に出逢う機会が少ないため、驚きはするが特別恐れおののくことはしないとユルウさんは震えながら言っていた。
 グランツ卿の曾孫のティアリス嬢は鮭皮亭の三姉妹が気に入っているようだし、きっとまた顔を出すだろう。曾孫馬鹿の曾爺ひいじいさんも来るに違いない。これで鮭皮亭には「大公閣下が訪れる宿」というはくが付く。クミルさんたちにはそんなものいらないと言うだろうが、宿の安全を守り続ける後見人のような存在は必要だ。ただでさえ昨日の握り飯弁当は大評判で、今朝も早くから宿を訪れる者があとを絶たないのだから。
 宿の入り口に「本日定休日、握り飯弁当は明日から販売を再開します」と書かれた紙を貼り、クミルさんたちは出かけていった。


「我らも出るか」

 戸締りを確認したクレイを先頭に、俺たちは食堂からクレイの部屋へと移動する。
 部屋の中央で転移門ゲートの魔法を展開すると、中空に現れた謎の光。光が次第に大きくなるにつれ、光の向こうに広がる森が見える。いや、これは森ではない。ちょっと緑が深い、グランツ卿のお屋敷の裏庭だ。
 グラディリスミュール大公閣下の本宅は王宮内にあり、城の一部となっている。だがしかし、グランツ卿とその奥方は中層にあるこの別邸のほうが気に入っていた。曾孫娘のティアリスも気軽に通えるし、何より生い茂る緑がとても美しいらしい。
 そんなこと緑の魔人リベルアリナに言ったら喜んで何やらかすかわからないから、黙っておこう。

「ピュピューィ、ピュピュ」
「うん? えーと、手土産は持った。ジャンボスイートポテトと塩バターポップコーン。奥方様にはネブラリの花束」
「ピュイ!」

 ビーに促され忘れ物がないように再度鞄の中を確認し、転移門ゲートを維持。
 先日訪れた際、グランツ卿に俺が転移門ゲートを使えることを打ち明けた。俺の手の内を見せることにより、グランツ卿の信頼を得るためだ。俺がこの魔法を使えるということは、俺たちは好きな時にアルツェリオ王国から出ることができる。つまり、俺たちを裏切ったら俺たちもグランツ卿を見限るからね、という意味も込めて。
 俺たちのチーム「蒼黒そうこくだん」の名は王都内に知れ渡っている。ランクAの冒険者が二人も所属しているだけでも珍しいことなのに、オマケでオールラウンダーの俺。更には、謎の神々しい美女までいるのだから目立ってしょうがない。
 ともあれ、グランツ卿は少なからず俺たちに脅威を感じている。クレイ一人で竜騎士ドラゴンナイトの一個大隊を軽く吹き飛ばせるのだから、俺たちを敵に回したらどうなるのか、グランツ卿ならば考えなくてもわかるだろう。
 グランツ卿の別宅に転移門ゲートをつなげられるのは、魔石を置かせてもらったから。以前、転移門ゲートを開くための魔石を置かせてほしいと言ったら、グランツ卿は人目につかない屋敷の裏庭を勧めてくれた。裏庭といっても、ちょっとした森林公園くらいの広さがありましてね。中層の中では一番広大な敷地なんですって。

「タケルの魔法は相も変わらず見事じゃな! 貴殿のおかげで我らは労せず目的の場所に行ける」
「ピュイィーィ」
「わたくしが馬車を引きましたのに……」

 はしゃぐブロライトとビーとは対照的に、綺麗な顔をぶすりと歪ませながらプニさんが転移門ゲートをくぐる。それに続いて俺が最後に出ると、転移門ゲートは音もなく消え去った。
 プニさんはグランツ卿の屋敷まで馬車で移動するつもりだったらしいが、そんなことをすれば馬が必要な人たちが集まってきてしまう。プニさんを売ってくれと。
 わたくしは気高き馬ではありますが、わたくしを人の子の貨幣で売り買いするなど言語道断ごんごどうだんぶるる……とかなんとかキレるだろうから、余計な混乱を避けてみたのです。

「ほらプニさん、シェリル様の特製焼き菓子をいただくんだろう? 王都を出たらベルカイムまで馬車で移動してもらうからさ」
「約束ですよ。エドナ渓谷を通りましょう」

 プニさんが通りたがっているエドナ渓谷っていうのは王都の東にあるグランドキャニオンばりにでかい渓谷なのだが、方向は逆のような……だがしかし、馬神様のご要望には逆らうまい。王都に来てから既にひと月半。その間、俺たちはプニさんの馬車「リベルアリナ号」に乗っていないのだから。

「タケル、何をぼんやりとほうけておる」
「別に呆けちゃいないんだけど。いや、王都に来てだいぶ経つなあと思ってさ」
「そういえばそうだな……月日が流れるのは早いものだ」

 クレイは晴れ渡った青空を見上げ、目を細めた。
 それにならって俺も空を見上げる。ふわふわと浮かぶ白い雲を眺め、トルミ村のレインボーシープはどうしているかなと郷愁きょうしゅうに駆られる。
 グランツ卿に挨拶をしてサルサールの陰謀や元老院連中の企みをぶちまけたら、トルミ村に帰ろうかな。クレイやブロライトにも里帰りをさせたいし。俺もトルミ村のみんなに王都土産を渡したい。そう、お米を!


 生い茂る木々の合間から外に出ると、続いて広がる緑の綺麗な芝生。正面玄関の巨大噴水に数人の小さなメイドさんたち。それぞれホウキや麻袋を手に、庭の掃除中だったらしい。

「こんちはー」

 俺がメイドさんたちに声をかけると、彼女たちは俺たちの姿を見て同時に飛び跳ねた。

「まあまあまあっ、お客様!」
「タケル様! お客様!」
「ミュミュ、婦長様とジェームズ様にお伝えしてちょうだい! お客様がいらしたわ! お客様!」
「はいっ! いらっしゃいましお客様!」
「お客様! いらっしゃいまし!」

 メイドさんたちはホウキをそのへんに放り出すと、俺たちのもとへ猛ダッシュ。あっという間にローブの裾を掴まれ、さあさこちらへと強引に連れられる。
 前回訪れた時と同じく、俺たちは正面玄関から屋敷に入ることを許された。勝手口とか通用口でいいのに、律儀なことだ。
 相変わらずどこもかしこも綺麗な屋敷内を眺めつつ、執事のジェームズさんに案内されたのはグランツ卿の執務室。巨大で立派な扉が開いた先には、豪華な長椅子でグランツ卿に膝抱っこをされた奥方、シェリル様。

「あら、皆様がおいでになられましたよ、閣下」
「ううむ、もう少しわしの女神を眺めておりたかった」
「まあ、お上手なこと。うふふふ」

 だから老夫婦のイチャコラなんて見たくないんですけどね。
 ほら、傍で控えているジェームズさんのスナギツネのような顔を見てみなさい。あの顔は開き直っている顔だ。さすが執事。
 プニさんは勝手知ったる屋敷ということで、グランツ卿の許可も得ず部屋の中に入り、窓辺の日当たりのよい長椅子に腰かけてしまった。
 ブロライトは夫婦に軽く会釈えしゃくをし、プニさんのあとに続く。小さなメイドさんたちはちょろちょろと動き回り、プニさんの前に大量の焼き菓子を運ぶ。それに釣られたビーが俺の頭の上から焼き菓子のもとへ。
 グランツ卿が手招いたのを確認したクレイは、頭を下げてから入室。俺もクレイの真似をして入った。シェリル様がグランツ卿を見つめながら言う。

「プニ様にわたくしがお作りした菓子をお持ちいたしますわ」
「そうだな。お前の作りし菓子はとても美味い。もちろん、儂にもあるのだろう?」
「うふふふ。それはどうかしら。プニ様もブロライト様も、たくさん食べてくださいますもの」

 奥方様はグランツ卿の膝から降りると、俺たちに微笑みながらカーテシーを披露し、数人のメイドさんを伴って退室した。
 朝飯をたらふく食ったばかりだというのに、プニさんは優雅に焼き菓子を食べている。ビーとプニさんの面倒はブロライトに任せるとして、俺とクレイはグランツ卿の執務机に向かう。
 黒檀こくたんの巨大な机の上には、数枚の書類のようなものと、分厚い本の数々。立派な純白の筆ペンや封蝋ふうろうなどが雑多に置かれてあった。どうやらグランツ卿は直前まで執務をされていたようだ。

「それで、首尾は」

 黒革の執務椅子に深々と腰を掛けたグランツ卿はそう言って、長い足を組んでにやりと微笑む。
 俺も同じくにやりと悪い笑みを浮かべると、クレイの眉根渓谷が更に深くなった。

「まずは俺が書いたこのリストを……」

 俺が鞄から取り出したのは暗黒魔導書。じゃなくて、俺がペパルの葉に日本語で書いた陰謀者リスト。
 巨大な黒い葉っぱにずらりと並んだ日本語。きっとグランツ卿は見たことのない言語だ。それが紐つづりになって八枚。せめて白い紙に書けとクレイに言われたが、文字が読めればそれでいいじゃんと言い張ってしまった。
 しばらくしてグランツ卿が口を開く。

「タケル、これはどこの国の魔導書だ」

 うん、素直にクレイの言うことを聞けば良かった。
 リストをいぶかしげな顔で見つめるグランツ卿は「どのような恐ろしい魔力が込められておるのだ?」なんて言っている。
 サルサールを中心に怪しいと思われていた関係者と商会と、その理由などをわかりやすく箇条書きにしたんだけど……もう書いてしまったものは仕方がない。記録が残ればいいんだよ。

「サルサールが企んでいることと、その背後関係と理由などを書きました」
「これがか!? 昨日の今日でここまで。だが、儂には読むことができぬ。見たことのない言語であるが、これは一体……」
「グランツ卿、こちらの眼鏡をかけてから読んでください」

 俺はそう告げると、鞄の中から銀縁の丸眼鏡を取り出す。瓶底のように分厚い不格好な眼鏡だが、俺にセンスを求めないでもらおう。

「この眼鏡をかけるとこの文章が読めます」
「ぬ? ……なんと!」

 端整な顔のグランツ卿が丸眼鏡をかけると、パーティーグッズのように思えてしまう。あまりにも似合わなすぎて。
 眼鏡の分厚いレンズには、解読アルジュスの魔石を使っている。日本語しか読めないうえに、一年間くらいしか効果が続かない。
 解読アルジュスの魔法は俺の言語知識を伝える魔法。俺が知っている言語だけが対象だけど、俺には世界言語の異能ギフトがあるため、読めない言語は存在しない。たぶん。
 この丸眼鏡は日本語だけを読めるようにしてある。もしも盗難にでもあい、悪用されたら大変だから。

「……まさかそのようなことが! いや、だがしかし……ぬうう……ぬっ!? ストルファス帝国?」

 瓶底眼鏡姿のグランツ卿は、リストに書かれてある人物の名前を見て驚愕きょうがくし、怒り、嘆いた。
 悪だくみをする理由まで事細かに書いたおかげで、特に質問もされずに済んだ。報告書作成は得意でしてね。
 グランツ卿は瞳の奥にふつふつとした炎を宿らせると、口元を歪ませてにやりと笑う。
 その笑顔はまるで、恐怖の大魔王――

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