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5巻
5-16
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「また何かあったら黙ってねぇですぐに言えよ。いいか?」
「親方、そんな怖い顔で怒鳴ったら頼みたいものでも頼みづらくなるだろうが。タケル、また工房に来てくれよ? いつでも待っているからさ!」
村人たちに贈られたモンスターの毛皮で作られたチョッキを着たドワーフたちは、またいつでも呼んでくれや、と笑顔で村を去った。
賑やかだった村がいつもの静かな村に戻り、村人たちはあの賑やかさを惜しみながらも家々へと帰っていった。
俺は開いた転移門を閉じた後も、ずっとその場で立ち尽くしていた。
彼らの気持ちが優しくて、温かくて、なんだかたまらなくなったからだ。
「人の子は騙し騙され、狡猾でなければ生きられないと聞いていました。ですが、お前の知り合う人の子は違うようですね」
「……そうだな。みんな、優しい」
「優しいのではありません。お前の気持ちに応えたいと懸命に動いただけのことです。彼らの心を動かしたのは、お前なのですよ。タケル」
隣に立ったプニさんが背伸びをしながら俺の頭を撫でてくれた。
違うよ。
俺はただ自分勝手で、自分のことしか考えていなくて。
皆が馬鹿みたいに優しいだけなんだよ。
「ところでタケル」
「ぐすっ……なにかな、プニさん」
「お腹がすきました」
「早くね!? もう? さっき食ったよな!」
「さっきはさっきでしょう? さあ、泣いている場合ではありません。また櫓を組んで肉を美味しく焼きなさい」
プニさんが村の中央にある櫓を指さし、頬を赤らめて言った。モンスターの丸焼きが気に入ったらしい。
俺たちもあと数日は滞在するし、俺たちが滞在している間は村の皆と毎晩焼肉でもいいな。そうしよう。
夕飯の献立を早々に決めた俺は、クレイにモンスターでも狩ってきてもらおうかなと考えていたら。
俺の身体にまとわりつくお化けを忘れそうになった。慣れって怖い。
「リベルアリナもありがとう。たくさん世話になって、どうやって恩返しをすれば」
――やっだーーー! もうっ! アタシがアンタから何かをもらおうだなんて考えるわけないじゃない! えっ? カラダ……って言えばくれるのん?
「琥珀石を砂にしようか」
――ああんっ、そういう冷たいところもス・キ。また何かあったらいつでも呼んでちょうだい! それが、アンタに命ずる唯一のことヨ
特大のウインクをぶちかまし、リベルアリナは琥珀の中へと消えていった。
彼、女? の助けにはモノによるが、応えてやれたらいいな。
恩はいつか返さないと。
たった数日のことだったが、とても楽しかった。賑やかで、騒がしくて、休む暇がなくて。
それが楽しいことなんだなと思える俺の環境は、とても贅沢なのだろう。
またいつか、種族の壁を越えて集まれたらいいな。
そして美味い飯を食うのだ!
まずは今晩のおかずから!
その前に!
……村全体を幻惑の魔法で地味にしないと。
トルミ村の改造に全力を注いでいた頃、ベルカイムで大変なことが起こっていた。
俺が良かれと思っていろいろやらかしたことが、領主ベルミナントを困らせることになるなんて。
俺はまだ、知らなかったんだ。
10.5 番外編 おっさんの憂鬱
地下墳墓でタケルが報酬としてリピに押しつけられた、古代のデルブロン金貨。
幻の天空都市と呼ばれていた、亡国のキヴォトス・デルブロン。背に翼を有する種族が棲まい、栄華を極めたというその国で流通していたのが、デルブロン金貨である。
双頭の竜が描かれた金貨は芸術的価値も高く、古美術品として現代でも盛んに取引がされていた。
失われた国の遺産として所有・管理することが義務づけられており、貴族社会では所持することで一種の社会的地位を確立。あら? デルブロン産の骨董品? うちにあるざますよ? オホホー、と自慢し合うのが貴族の憧憬であった。
市場に滅多に出回ることのないデルブロン産の遺物であるが、ここに一人、その貴重な遺物を手にした者がいた。
ジェロムーア・バッカスフント。
元ランクBの冒険者であり、現在はトルミ村唯一の雑貨屋の店主。
若いうちはぶいぶい言わせていたが、王都で店を開くという夢を諦め故郷に帰還。毎日を細々と生きる平凡な男であった。
夢は破れたが五体満足で健康に生きていられることに感謝をし、今どきの若い者はと酒場で愚痴りながら酒を飲む。
そんな日常を送っていたある日、店にひょっこりと顔を出した図体のでかいもっさりとした男。この男との出会いによって、ジェロムの世界は変わった。
大陸の最北に位置する辺境中の辺境のド田舎で、更なる田舎から出てきたと言ったその男の名は、タケル。
今でもその素性は定かではないが、あまりにも世間知らずで常識知らずな男であるのに、何処か教養がある立ち居振る舞いをする。
世間を知るために都会を目指せと助言をしたジェロムであったが、まさかものの半年足らずで希少なオールラウンダー冒険者となり、栄誉の竜王とエルフを仲間にし、絶世の美女に変化する馬――馬に変化する美女、と言ったら違うと言われた――を連れて帰ってくるとは思いもしなかった。誰一人想像すらしなかった。
だがタケルは立派なチームの一員となり、実績を上げ、何故かエルフとドワーフと仲がよくなり、古びた村を新品同様に整備してしまった。
もうなんなの、なんなの? と、質問を繰り返し、さんざん説明しろと半ば脅したにもかかわらず、タケルはのらりくらりと口八丁。
「ベルカイムに行ってから王都を目指すと言っていやがったが、今頃何処で何をしてやがんのか」
ジェロムは木製の煙管を豪快に吸い込み、鼻から大量の紫煙を出した。
向かいの椅子に座っていた男は、わざとらしく咳き込んだ。
「げへげへげへっ、ぐおほっ、へええ、その冒険者さんが、このばっちい小屋を立派な店にした、ってわけなんですねぇ」
「ばっちい小屋ってぇのはなんだ。俺の城だぞ、この店は」
「はいはい」
村の中央通りに面した宿屋のはす向かいに位置する、ジェロムの雑貨屋。ばっちい小屋だと言われたその店は、今では昨日建てられたばかりのような様相を見せている。
朽ちて壊れてしまった井戸も新品になり、魔力が枯渇し放置していた魔道具の数々も蘇っていた。
舗装された歩きやすい歩道と、色とりどりの花々が咲き乱れる美しい村となったトルミ村は、ベルカイムや近隣の村から訪れる人々の度肝を抜いた。
「いやああ、それにしても見事に変わりましたぁね! ほんっとにここはトルミ村なんですかい? あたしゃ、別の世界に来ちまったのかと思っちまったんですよ!」
「俺や村のやつらだって、未だに慣れちゃいねぇんだから仕方ねぇ」
「それにそれに、あの湯ですよ! あたしゃあ、感動したね! まさかまさか、まっさっかっ、トルミ村で湯に入れるなんざ、誰が思うってんですかい!」
広くはない雑貨屋のカウンターごしに騒ぐこの男、ベルカイムに住む鳥獣人のコルウス。
数ヶ月に一度、ベルカイムから辺境の村々を回る行商人であり、ジェロムの元冒険者仲間で今は飲み友達。
ちなみに、ジェロムの雑貨屋に巨大な寸胴鍋を押しつけた張本人である。
必要かもしれないといろいろなものを仕入れては結局無駄になる、ということを繰り返し、必要がなくなるとジェロムへと押しつける悪循環を繰り返していた。
だが先日コルウスが訪れたときには、押しつけたはずの巨大寸胴鍋が消えていた。コルウスはジェロムが捨ててしまったのかと慌てたが、なんとこの偏屈で気が短い男が、知人に譲ったのだと言う。
「金にうるさいお前さんがタダで譲った相手ってえのが、ばっちい小屋を蘇らせてくれたってことですかい」
「ばっちい小屋じゃねぇってんだろ。ちげぇよ。タケルは……あの野郎は……だいぶ変わってやがんだ」
「はあ。変わってやがるからって、村全部をあんなに綺麗にしちまうんですかい?」
「変わってやがるからしたんだろうよ。俺にアイツの考えていることがわかってたまるか。ずっと前に言ったろ? 月夜草を持ち込んだ野郎のことを」
「あーあーあーあー、その人だったんですかい! 言ってくれりゃあ、あたしが買わせてもらったんだがねえ。まったく、気が利かないおっさんだよ」
「うるせぇ。枯らしたらやかましいだろうがテメェ」
ジェロムはカウンターの上に置いてあった木製のコップを手に取り、フッと息をかけて積もったホコリを吹き飛ばす。コルウス相手にコップをわざわざ洗うのは面倒だと、そのまま魔法瓶から温かなエプル茶を注いだ。
何の変哲もない長細い瓶から熱々の茶がコップに注がれる様を見、コルウスの目が見開かれた。背の黒い翼をばさばさと動かし、興奮。
「おやっ!? おやおやおや! そいつは何ですかい? こいつは温かい……熱いエプル茶じゃないか! いやいやいや、何ですかこいつは!」
「魔法の瓶、とかいう魔道具らしいぜ。こいつもタケルからもらったもんだ。世話になったからって、そこらに配っていやがったぜ」
「ひええええ! 魔道具を配る? ええっ、タダで手に入れたってことですかい!?」
これが普通の反応だよなあと、ジェロムは肩を落とした。
冷たいものを冷たいまま、熱いものを熱いまま維持するという便利すぎる魔道具。それをタケルは村の連中に無償で提供したのだ。
王都で売れば一つ5万レイブにでもなるだろうそれを、「たくさんあるから」と無償で渡す神経がわからない。ベルカイムで常識を知れと言っておいたはずなのに、あの男は何も学んでいなかった。
相変わらず律儀で、常識を知らないまま。
「これまたずいぶんと……変わっていますねぇ」
「変わっていやがんだよなぁ……」
「でもまあ、栄誉の竜王が信頼を置く相手なんですよねぇ? だったら、少し変わっているくらいがちょうどいいかもしれやせんね」
「クソ……まさか栄誉の竜王を仲間にしやがるなんざ……クソが……」
「握手くらいしたんですかい?」
「できるかよ……クソが……」
栄誉の竜王は冒険者である者なら誰でも知っている、ストルファス帝国の元聖竜騎士。ただ腕っぷしが強いというだけではなく、弱きを助け強きを挫く生き様そのものに憧れる者は、後を絶たない。
ジェロムとコルウスも、冒険者だった頃から今も変わらず憧れ続けていたのだ。その憧れの相手が、もっさりヘラヘラした男――タケルの仲間と紹介されたのだ。
「五発くらいぶっ飛ばしておくんだったな。タケルの野郎」
「あたしもお会いしたかったですねぇ……次はいつ帰ってきなさるんで?」
「知らねぇよ。あの野郎、何処からともなく帰ってきやがるからな。魔法だかなんだか知らねぇが、まあそのうち気づいたら屋敷にいるんだろうよ」
「あの屋敷も見事ですよねぇ、あとでもう一度見に行かせてもらいやす」
「みゅーじ、あむ? とかいう、土産物を並べただけの部屋か」
「馬鹿を言うんじゃないですよ。あの土産物の数々、素晴らしいじゃありませんか! あたしらが逆立ちしたって行けそうにないような場所にある、貴重な品々なんですからねえ。それに、見たかい? 祠に祀られた、尊い神様の置物。エルフの守り神なんだって?」
「……緑色の太ったバケモンじゃねぇか」
「いやいやいやっ、そんな罰当たりなことお言いでないよ! まったくもう! あんなに穏やかに微笑む神様なら、崇めようってえ気になるじゃないか」
その神様がこの村に祝福を与えたのだと言ったら、このカラスはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるだろう。
第一、どうやったら神様と知り合うことができるのか教えてもらいたい。あの黒いドラゴンすら神と崇める種族もいるだろう。もしかしたらあの美女に変化する馬も、尊い生まれなのかもしれない。
村人たちはその緑の神様とやらに感謝をし、村に祠を建てたのだ。御神体にとタケルが差し出したのが、太った緑色の男の像。エルフの郷でもらったのだとかなんとか。
ジェロムはタケルと知り合えたことで、非常識なことが常識になることもあるのだと知った。
村の整備はありがたいし、古かった雑貨屋も新しく生まれ変わった。風呂ができたおかげで日々清潔な身体を保ち、村に漂う悪臭も今では綺麗に消えてしまった。
畑では今までになく作物がすくすくと育ち、レインボーシープがむーむーと鳴き癒しを提供してくれる。
「バッカスフント、邪魔をする」
雑貨屋に顔を出したのは、長身の美丈夫――エルフの青年である。
コルウスは思わず背筋をピッと正し、全身を緊張させた。ジェロムはいつものことだと、気軽に片手を上げた。
「おう、フラク。どうした」
「エリュンドが頼んだ斧は届いたか」
「たった今届いたところだぜ。アイツが注文した通り、イルドライトが入った特別製だ」
「うむ」
トルミ村に常駐しているレインボーシープ飼育係の一人、フラクウィアハディリータ。もう一人の飼育係であるイゴルリナエリュンドアルアと共に、村に常駐しレインボーシープの面倒を見ているエルフである。
恐ろしいほどの美しい姿ではあるが、その表情は常に変わることはない。しかし無表情ながらも村の連中には至って普通に接し、文化を積極的に取り入れる柔軟な姿勢を見せてくれているのだ。
ジェロムも彼らと酒を酌み交わす仲にまでなった。
「その斧なんですけどね、トルミ村に卸すって言ったら、ペンドラスス工房のやつがこさえてくれたんですぜい」
「左様か。感謝の意を」
「いえいえいえいえ! 客の注文に応えるのが商人ってもんでさあ。これからも是非ともご贔屓に!」
「うむ」
ずっしりとした斧を軽々と片手で持ち上げたフラクは、表情を変えぬまま対価をジェロムに手渡し店を出た。
フラクの後ろ姿をしばらく眺め続け、乙女のように頬を赤らめるコルウスに、ジェロムは告げる。
「なんだい、あの野郎は綺麗なナリをしているが、野郎だぜ」
「馬鹿お言いでないよ。綺麗なものは男だろうが女だろうが、目の保養になるじゃないか。いつもこんなむさくるしいおっさんを相手にしているんだから」
「おっさんがどの口で言いやがる。ちきしょう、俺がエルフと言葉を交わす日が来るなんざなぁ、ったくよぉ」
「おやおや、タケルさんを恨んでいなさるんでい?」
「ふざけるんじゃねぇ。ンな真似したら、俺が村の連中に殺されちまわあ。恨み言なんざ一つもねぇよ」
「いいじゃあないですか。タケルさんのおかげでトルミの村は豊かになったことですし、アンタさんも潤ったんだろう?」
「まあな」
潤ったどころじゃない。
近隣の村々から湯の噂を聞きつけ、わざわざ入りに来る者が後を絶たないのだ。
おかげで宿屋は急きょ増築をすることになり、来年には新たなる宿屋を建築予定。盗賊やら山賊やらは相変わらず強固な壁に阻まれて近寄ることすらできないし、モンスターの襲撃に怯えることもない。
近隣の村から風呂を目当てにやってきたやつらが、ついでにと酒場で飯を食い、屋台で酒を飲み、雑貨屋で買いものをする。
多少忙しない日々へと変わったが、飯の種が増えたのは僥倖。
あの奇妙な男のおかげで、この村は驚くほど住みやすくなった。神様に贔屓された村、とまで言われるようになったのだ。
もしかしたらタケルは神の化身ではないのかと、疑ったときもある。だが思い起こすのはもっさりとした外見に、常に眠そうな顔。面倒なことからは真っ先に逃げ出し、食うものには誰よりもうるさい、変人。
ジェロムは今の日常が気に入っている。それもこれもあの男のおかげだと思えば悔しくもあるが、同時に嬉しくもあるのだ。
この店を初めて訪れた田舎者を、気味が悪いと追い返さなくて良かった。
「ああ、そういやあ……」
カウンターの下に置いたままで忘れていたものに気づき、それを掴んだ。
錆びついた貨幣のような丸い物体。いらない寸胴鍋を押しつけたら、タケルはこれを差し出したのだ。
「おう、コルウスよ」
「なんだい」
「タケルがこいつをくれたんだがよ、どうにもガラクタにしか思えねぇんだ。だがよ、あの野郎が持っていたモンだ。何か曰くがあるんじゃねぇかとな」
「ほう? どれどれ、見せてご覧なさいな」
ジェロムは丸い物体をコルウスに手渡すと、黙って鑑定を待った。
コルウスは鑑定士の資格を有する目利きである。愛用の鑑定魔道具と古びた本を取り出し、それをじっくりと観察した。
「うーん? ふんふんふん、うん、うーん? うん、うーん?? うん、ほうほう? ほ? ほほーう」
「黙って鑑定できねぇのか」
「ぬう? ……ふんふん、ふ、ん? …………ん?」
カップにエプル茶を再度注ぐと、コルウスの背の翼がばさりと広がった。この男の感情はこの翼に表れる。空を舞うほどの力はないが、それでも広げれば壁に届いてしまうほど大きい。
壁に飾られてある鉈が落ちやしないかと思いつつ、ジェロムは売り物の飴玉を口にした。
「……まさか。いやいや、まさか。いやいやいやー…………まさか」
「ああん? なんだよ、さっきからぁ、まさかまさかって。あの野郎、またとんでもねぇもんよこしやがったのか?」
「ジェロムよ……これは……何処で手に入れたと言っていたんだい」
「うん? さあなあ、どっかの墓で誰かにもらったとか言ってやがったな」
「は、墓!? 何処の墓だい! 何処で誰にもらったって言うんだい!」
のんびりと答えていたジェロムの胸倉をがしりと掴んだコルウスは、恐ろしいほどの剣幕で叫んだ。
「これは、これは、失われた国の貨幣! ラティオの黄金で生成された、デルブロン金貨だ!」
ジェロムの目が丸くなるのを確認すると、コルウスは我に返ってカウンターに放置した丸い物体を両手で拾った。
汚い丸い物体を恭しく両手で持ち直したコルウスだったが、ジェロムは一瞬の呆け顔をし、すぐさま我に返った。
「はあ~? んな馬鹿なことがあるかよ。テメェ、デルブロンったぁ、アレだぞ? 闇の市場でも滅多に出回らない、骨董品じゃねぇか」
「お馬鹿! 馬鹿! 毛むくじゃら! あたしの眼を疑うんじゃないよ! ほら、ノルス酸に少し浸して……」
コルウスが取り出したガラス瓶には、無色透明の液体が入っていた。ノルス酸というのは果物から生成される酸性の液体であり、金属などを磨くときに用いられる研磨剤。
そのノルス酸に丸い物体を落とすと、みるみるうちに黒茶で汚れていた丸い物体が、眩いばかりの黄金に。
「……なんだあ、こりゃあ」
「……ラティオ黄金ですぜい。この輝きは、世界が滅びても輝き続けるってぇいう」
「……いや、まさか」
「……双頭の竜の紋章。間違い、ねぇですぜい」
「……デルブロン、金、貨?」
庶民が手にすることも目にすることもない、貴族御用達の骨董品。ラティオ黄金ですら他の黄金よりも価値があるというのに、キヴォトス・デルブロンの紋章が記された貨幣。
ノルス酸のおかげで輝きを取り戻した金貨は、状態も良い。昨日まで使われていたかのようだ。
「俺がその昔、王都の骨董屋で目にした金貨よりも……輝きが強ぇな」
「こんな美しいままの姿を残しているデルブロンの遺産は、あたしも初めて目にしましたよ」
「おい、おいおいおい……あのときは確か……100万レイブ……」
「やだよぉ、馬鹿をお言いでないったら。知らないのかい? アルツェリオやストルファスの貴族連中は、皆こぞってデルブロンを収集しているってぇ話だよ」
「……価値が上がってやがるのか?」
「今ならこれ一枚で……あたしだったら500、いや、贔屓の貴族様なら目の色を変えなすって、800は出すんじゃないですかい?」
「はっぴゃく」
「ええ、はっぴゃく、まん、レイブ」
その日、雑貨屋から天まで響くような奇声が聞こえた。
声を聞いて駆けつけた少年リックが目にしたものは、泡を吹いて白目を剥いたおっさんが二人。ひっくり返って気絶していたという。
ジェロムは誓った。金輪際、タケルからよくわからないものをもらわないと。対価なら現金を請求しようと決めた。
小さな貨幣一枚で800万レイブにも化ける、そんな恐ろしいもの絶対に手にしてなるものか。
コルウスも我が身がなにより大切だ。出所はあえて聞かず、これはないものとして扱えとジェロムに忠告。むしろ何処かに預けろと言った。それならばと思いついたのは、村人が毎朝毎晩必ず声をかける祠。あの祠に飾った、緑色の太った化け物の像の真下に埋めたのだ。
そうして互いに口外しないよう誓い合った。
元冒険者としての経験上、身に余る財は持つべきではない。しかももらった相手があのタケル。常識知らずがとんでもないものを置いていったものだ。
数日後、誰一人として知られぬまま、金貨は忽然と姿を消した。
ジェロムもコルウスも、そしてタケルも忘れた頃にその金貨は姿を現す。
リベルアリナの胸元で、悠久の輝きを放ち続けたのだ。
――アラッ!? これアタシに? アタシにくれるの? やーだーもーぉ、アタシこういうの大好きなのぉぉぉ! もぉうっ、可愛いことしてくれるんだからッ! さすがタケルちゃんの愛した村の子たちね! アタシも大好きよ! 祝福あげちゃう! アタシの眷属たちよ、すくすくおっきくもりっもりに育ちなさい! あっはん、これきーれーいー!
トルミ村は、今日も平和です。
「親方、そんな怖い顔で怒鳴ったら頼みたいものでも頼みづらくなるだろうが。タケル、また工房に来てくれよ? いつでも待っているからさ!」
村人たちに贈られたモンスターの毛皮で作られたチョッキを着たドワーフたちは、またいつでも呼んでくれや、と笑顔で村を去った。
賑やかだった村がいつもの静かな村に戻り、村人たちはあの賑やかさを惜しみながらも家々へと帰っていった。
俺は開いた転移門を閉じた後も、ずっとその場で立ち尽くしていた。
彼らの気持ちが優しくて、温かくて、なんだかたまらなくなったからだ。
「人の子は騙し騙され、狡猾でなければ生きられないと聞いていました。ですが、お前の知り合う人の子は違うようですね」
「……そうだな。みんな、優しい」
「優しいのではありません。お前の気持ちに応えたいと懸命に動いただけのことです。彼らの心を動かしたのは、お前なのですよ。タケル」
隣に立ったプニさんが背伸びをしながら俺の頭を撫でてくれた。
違うよ。
俺はただ自分勝手で、自分のことしか考えていなくて。
皆が馬鹿みたいに優しいだけなんだよ。
「ところでタケル」
「ぐすっ……なにかな、プニさん」
「お腹がすきました」
「早くね!? もう? さっき食ったよな!」
「さっきはさっきでしょう? さあ、泣いている場合ではありません。また櫓を組んで肉を美味しく焼きなさい」
プニさんが村の中央にある櫓を指さし、頬を赤らめて言った。モンスターの丸焼きが気に入ったらしい。
俺たちもあと数日は滞在するし、俺たちが滞在している間は村の皆と毎晩焼肉でもいいな。そうしよう。
夕飯の献立を早々に決めた俺は、クレイにモンスターでも狩ってきてもらおうかなと考えていたら。
俺の身体にまとわりつくお化けを忘れそうになった。慣れって怖い。
「リベルアリナもありがとう。たくさん世話になって、どうやって恩返しをすれば」
――やっだーーー! もうっ! アタシがアンタから何かをもらおうだなんて考えるわけないじゃない! えっ? カラダ……って言えばくれるのん?
「琥珀石を砂にしようか」
――ああんっ、そういう冷たいところもス・キ。また何かあったらいつでも呼んでちょうだい! それが、アンタに命ずる唯一のことヨ
特大のウインクをぶちかまし、リベルアリナは琥珀の中へと消えていった。
彼、女? の助けにはモノによるが、応えてやれたらいいな。
恩はいつか返さないと。
たった数日のことだったが、とても楽しかった。賑やかで、騒がしくて、休む暇がなくて。
それが楽しいことなんだなと思える俺の環境は、とても贅沢なのだろう。
またいつか、種族の壁を越えて集まれたらいいな。
そして美味い飯を食うのだ!
まずは今晩のおかずから!
その前に!
……村全体を幻惑の魔法で地味にしないと。
トルミ村の改造に全力を注いでいた頃、ベルカイムで大変なことが起こっていた。
俺が良かれと思っていろいろやらかしたことが、領主ベルミナントを困らせることになるなんて。
俺はまだ、知らなかったんだ。
10.5 番外編 おっさんの憂鬱
地下墳墓でタケルが報酬としてリピに押しつけられた、古代のデルブロン金貨。
幻の天空都市と呼ばれていた、亡国のキヴォトス・デルブロン。背に翼を有する種族が棲まい、栄華を極めたというその国で流通していたのが、デルブロン金貨である。
双頭の竜が描かれた金貨は芸術的価値も高く、古美術品として現代でも盛んに取引がされていた。
失われた国の遺産として所有・管理することが義務づけられており、貴族社会では所持することで一種の社会的地位を確立。あら? デルブロン産の骨董品? うちにあるざますよ? オホホー、と自慢し合うのが貴族の憧憬であった。
市場に滅多に出回ることのないデルブロン産の遺物であるが、ここに一人、その貴重な遺物を手にした者がいた。
ジェロムーア・バッカスフント。
元ランクBの冒険者であり、現在はトルミ村唯一の雑貨屋の店主。
若いうちはぶいぶい言わせていたが、王都で店を開くという夢を諦め故郷に帰還。毎日を細々と生きる平凡な男であった。
夢は破れたが五体満足で健康に生きていられることに感謝をし、今どきの若い者はと酒場で愚痴りながら酒を飲む。
そんな日常を送っていたある日、店にひょっこりと顔を出した図体のでかいもっさりとした男。この男との出会いによって、ジェロムの世界は変わった。
大陸の最北に位置する辺境中の辺境のド田舎で、更なる田舎から出てきたと言ったその男の名は、タケル。
今でもその素性は定かではないが、あまりにも世間知らずで常識知らずな男であるのに、何処か教養がある立ち居振る舞いをする。
世間を知るために都会を目指せと助言をしたジェロムであったが、まさかものの半年足らずで希少なオールラウンダー冒険者となり、栄誉の竜王とエルフを仲間にし、絶世の美女に変化する馬――馬に変化する美女、と言ったら違うと言われた――を連れて帰ってくるとは思いもしなかった。誰一人想像すらしなかった。
だがタケルは立派なチームの一員となり、実績を上げ、何故かエルフとドワーフと仲がよくなり、古びた村を新品同様に整備してしまった。
もうなんなの、なんなの? と、質問を繰り返し、さんざん説明しろと半ば脅したにもかかわらず、タケルはのらりくらりと口八丁。
「ベルカイムに行ってから王都を目指すと言っていやがったが、今頃何処で何をしてやがんのか」
ジェロムは木製の煙管を豪快に吸い込み、鼻から大量の紫煙を出した。
向かいの椅子に座っていた男は、わざとらしく咳き込んだ。
「げへげへげへっ、ぐおほっ、へええ、その冒険者さんが、このばっちい小屋を立派な店にした、ってわけなんですねぇ」
「ばっちい小屋ってぇのはなんだ。俺の城だぞ、この店は」
「はいはい」
村の中央通りに面した宿屋のはす向かいに位置する、ジェロムの雑貨屋。ばっちい小屋だと言われたその店は、今では昨日建てられたばかりのような様相を見せている。
朽ちて壊れてしまった井戸も新品になり、魔力が枯渇し放置していた魔道具の数々も蘇っていた。
舗装された歩きやすい歩道と、色とりどりの花々が咲き乱れる美しい村となったトルミ村は、ベルカイムや近隣の村から訪れる人々の度肝を抜いた。
「いやああ、それにしても見事に変わりましたぁね! ほんっとにここはトルミ村なんですかい? あたしゃ、別の世界に来ちまったのかと思っちまったんですよ!」
「俺や村のやつらだって、未だに慣れちゃいねぇんだから仕方ねぇ」
「それにそれに、あの湯ですよ! あたしゃあ、感動したね! まさかまさか、まっさっかっ、トルミ村で湯に入れるなんざ、誰が思うってんですかい!」
広くはない雑貨屋のカウンターごしに騒ぐこの男、ベルカイムに住む鳥獣人のコルウス。
数ヶ月に一度、ベルカイムから辺境の村々を回る行商人であり、ジェロムの元冒険者仲間で今は飲み友達。
ちなみに、ジェロムの雑貨屋に巨大な寸胴鍋を押しつけた張本人である。
必要かもしれないといろいろなものを仕入れては結局無駄になる、ということを繰り返し、必要がなくなるとジェロムへと押しつける悪循環を繰り返していた。
だが先日コルウスが訪れたときには、押しつけたはずの巨大寸胴鍋が消えていた。コルウスはジェロムが捨ててしまったのかと慌てたが、なんとこの偏屈で気が短い男が、知人に譲ったのだと言う。
「金にうるさいお前さんがタダで譲った相手ってえのが、ばっちい小屋を蘇らせてくれたってことですかい」
「ばっちい小屋じゃねぇってんだろ。ちげぇよ。タケルは……あの野郎は……だいぶ変わってやがんだ」
「はあ。変わってやがるからって、村全部をあんなに綺麗にしちまうんですかい?」
「変わってやがるからしたんだろうよ。俺にアイツの考えていることがわかってたまるか。ずっと前に言ったろ? 月夜草を持ち込んだ野郎のことを」
「あーあーあーあー、その人だったんですかい! 言ってくれりゃあ、あたしが買わせてもらったんだがねえ。まったく、気が利かないおっさんだよ」
「うるせぇ。枯らしたらやかましいだろうがテメェ」
ジェロムはカウンターの上に置いてあった木製のコップを手に取り、フッと息をかけて積もったホコリを吹き飛ばす。コルウス相手にコップをわざわざ洗うのは面倒だと、そのまま魔法瓶から温かなエプル茶を注いだ。
何の変哲もない長細い瓶から熱々の茶がコップに注がれる様を見、コルウスの目が見開かれた。背の黒い翼をばさばさと動かし、興奮。
「おやっ!? おやおやおや! そいつは何ですかい? こいつは温かい……熱いエプル茶じゃないか! いやいやいや、何ですかこいつは!」
「魔法の瓶、とかいう魔道具らしいぜ。こいつもタケルからもらったもんだ。世話になったからって、そこらに配っていやがったぜ」
「ひええええ! 魔道具を配る? ええっ、タダで手に入れたってことですかい!?」
これが普通の反応だよなあと、ジェロムは肩を落とした。
冷たいものを冷たいまま、熱いものを熱いまま維持するという便利すぎる魔道具。それをタケルは村の連中に無償で提供したのだ。
王都で売れば一つ5万レイブにでもなるだろうそれを、「たくさんあるから」と無償で渡す神経がわからない。ベルカイムで常識を知れと言っておいたはずなのに、あの男は何も学んでいなかった。
相変わらず律儀で、常識を知らないまま。
「これまたずいぶんと……変わっていますねぇ」
「変わっていやがんだよなぁ……」
「でもまあ、栄誉の竜王が信頼を置く相手なんですよねぇ? だったら、少し変わっているくらいがちょうどいいかもしれやせんね」
「クソ……まさか栄誉の竜王を仲間にしやがるなんざ……クソが……」
「握手くらいしたんですかい?」
「できるかよ……クソが……」
栄誉の竜王は冒険者である者なら誰でも知っている、ストルファス帝国の元聖竜騎士。ただ腕っぷしが強いというだけではなく、弱きを助け強きを挫く生き様そのものに憧れる者は、後を絶たない。
ジェロムとコルウスも、冒険者だった頃から今も変わらず憧れ続けていたのだ。その憧れの相手が、もっさりヘラヘラした男――タケルの仲間と紹介されたのだ。
「五発くらいぶっ飛ばしておくんだったな。タケルの野郎」
「あたしもお会いしたかったですねぇ……次はいつ帰ってきなさるんで?」
「知らねぇよ。あの野郎、何処からともなく帰ってきやがるからな。魔法だかなんだか知らねぇが、まあそのうち気づいたら屋敷にいるんだろうよ」
「あの屋敷も見事ですよねぇ、あとでもう一度見に行かせてもらいやす」
「みゅーじ、あむ? とかいう、土産物を並べただけの部屋か」
「馬鹿を言うんじゃないですよ。あの土産物の数々、素晴らしいじゃありませんか! あたしらが逆立ちしたって行けそうにないような場所にある、貴重な品々なんですからねえ。それに、見たかい? 祠に祀られた、尊い神様の置物。エルフの守り神なんだって?」
「……緑色の太ったバケモンじゃねぇか」
「いやいやいやっ、そんな罰当たりなことお言いでないよ! まったくもう! あんなに穏やかに微笑む神様なら、崇めようってえ気になるじゃないか」
その神様がこの村に祝福を与えたのだと言ったら、このカラスはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるだろう。
第一、どうやったら神様と知り合うことができるのか教えてもらいたい。あの黒いドラゴンすら神と崇める種族もいるだろう。もしかしたらあの美女に変化する馬も、尊い生まれなのかもしれない。
村人たちはその緑の神様とやらに感謝をし、村に祠を建てたのだ。御神体にとタケルが差し出したのが、太った緑色の男の像。エルフの郷でもらったのだとかなんとか。
ジェロムはタケルと知り合えたことで、非常識なことが常識になることもあるのだと知った。
村の整備はありがたいし、古かった雑貨屋も新しく生まれ変わった。風呂ができたおかげで日々清潔な身体を保ち、村に漂う悪臭も今では綺麗に消えてしまった。
畑では今までになく作物がすくすくと育ち、レインボーシープがむーむーと鳴き癒しを提供してくれる。
「バッカスフント、邪魔をする」
雑貨屋に顔を出したのは、長身の美丈夫――エルフの青年である。
コルウスは思わず背筋をピッと正し、全身を緊張させた。ジェロムはいつものことだと、気軽に片手を上げた。
「おう、フラク。どうした」
「エリュンドが頼んだ斧は届いたか」
「たった今届いたところだぜ。アイツが注文した通り、イルドライトが入った特別製だ」
「うむ」
トルミ村に常駐しているレインボーシープ飼育係の一人、フラクウィアハディリータ。もう一人の飼育係であるイゴルリナエリュンドアルアと共に、村に常駐しレインボーシープの面倒を見ているエルフである。
恐ろしいほどの美しい姿ではあるが、その表情は常に変わることはない。しかし無表情ながらも村の連中には至って普通に接し、文化を積極的に取り入れる柔軟な姿勢を見せてくれているのだ。
ジェロムも彼らと酒を酌み交わす仲にまでなった。
「その斧なんですけどね、トルミ村に卸すって言ったら、ペンドラスス工房のやつがこさえてくれたんですぜい」
「左様か。感謝の意を」
「いえいえいえいえ! 客の注文に応えるのが商人ってもんでさあ。これからも是非ともご贔屓に!」
「うむ」
ずっしりとした斧を軽々と片手で持ち上げたフラクは、表情を変えぬまま対価をジェロムに手渡し店を出た。
フラクの後ろ姿をしばらく眺め続け、乙女のように頬を赤らめるコルウスに、ジェロムは告げる。
「なんだい、あの野郎は綺麗なナリをしているが、野郎だぜ」
「馬鹿お言いでないよ。綺麗なものは男だろうが女だろうが、目の保養になるじゃないか。いつもこんなむさくるしいおっさんを相手にしているんだから」
「おっさんがどの口で言いやがる。ちきしょう、俺がエルフと言葉を交わす日が来るなんざなぁ、ったくよぉ」
「おやおや、タケルさんを恨んでいなさるんでい?」
「ふざけるんじゃねぇ。ンな真似したら、俺が村の連中に殺されちまわあ。恨み言なんざ一つもねぇよ」
「いいじゃあないですか。タケルさんのおかげでトルミの村は豊かになったことですし、アンタさんも潤ったんだろう?」
「まあな」
潤ったどころじゃない。
近隣の村々から湯の噂を聞きつけ、わざわざ入りに来る者が後を絶たないのだ。
おかげで宿屋は急きょ増築をすることになり、来年には新たなる宿屋を建築予定。盗賊やら山賊やらは相変わらず強固な壁に阻まれて近寄ることすらできないし、モンスターの襲撃に怯えることもない。
近隣の村から風呂を目当てにやってきたやつらが、ついでにと酒場で飯を食い、屋台で酒を飲み、雑貨屋で買いものをする。
多少忙しない日々へと変わったが、飯の種が増えたのは僥倖。
あの奇妙な男のおかげで、この村は驚くほど住みやすくなった。神様に贔屓された村、とまで言われるようになったのだ。
もしかしたらタケルは神の化身ではないのかと、疑ったときもある。だが思い起こすのはもっさりとした外見に、常に眠そうな顔。面倒なことからは真っ先に逃げ出し、食うものには誰よりもうるさい、変人。
ジェロムは今の日常が気に入っている。それもこれもあの男のおかげだと思えば悔しくもあるが、同時に嬉しくもあるのだ。
この店を初めて訪れた田舎者を、気味が悪いと追い返さなくて良かった。
「ああ、そういやあ……」
カウンターの下に置いたままで忘れていたものに気づき、それを掴んだ。
錆びついた貨幣のような丸い物体。いらない寸胴鍋を押しつけたら、タケルはこれを差し出したのだ。
「おう、コルウスよ」
「なんだい」
「タケルがこいつをくれたんだがよ、どうにもガラクタにしか思えねぇんだ。だがよ、あの野郎が持っていたモンだ。何か曰くがあるんじゃねぇかとな」
「ほう? どれどれ、見せてご覧なさいな」
ジェロムは丸い物体をコルウスに手渡すと、黙って鑑定を待った。
コルウスは鑑定士の資格を有する目利きである。愛用の鑑定魔道具と古びた本を取り出し、それをじっくりと観察した。
「うーん? ふんふんふん、うん、うーん? うん、うーん?? うん、ほうほう? ほ? ほほーう」
「黙って鑑定できねぇのか」
「ぬう? ……ふんふん、ふ、ん? …………ん?」
カップにエプル茶を再度注ぐと、コルウスの背の翼がばさりと広がった。この男の感情はこの翼に表れる。空を舞うほどの力はないが、それでも広げれば壁に届いてしまうほど大きい。
壁に飾られてある鉈が落ちやしないかと思いつつ、ジェロムは売り物の飴玉を口にした。
「……まさか。いやいや、まさか。いやいやいやー…………まさか」
「ああん? なんだよ、さっきからぁ、まさかまさかって。あの野郎、またとんでもねぇもんよこしやがったのか?」
「ジェロムよ……これは……何処で手に入れたと言っていたんだい」
「うん? さあなあ、どっかの墓で誰かにもらったとか言ってやがったな」
「は、墓!? 何処の墓だい! 何処で誰にもらったって言うんだい!」
のんびりと答えていたジェロムの胸倉をがしりと掴んだコルウスは、恐ろしいほどの剣幕で叫んだ。
「これは、これは、失われた国の貨幣! ラティオの黄金で生成された、デルブロン金貨だ!」
ジェロムの目が丸くなるのを確認すると、コルウスは我に返ってカウンターに放置した丸い物体を両手で拾った。
汚い丸い物体を恭しく両手で持ち直したコルウスだったが、ジェロムは一瞬の呆け顔をし、すぐさま我に返った。
「はあ~? んな馬鹿なことがあるかよ。テメェ、デルブロンったぁ、アレだぞ? 闇の市場でも滅多に出回らない、骨董品じゃねぇか」
「お馬鹿! 馬鹿! 毛むくじゃら! あたしの眼を疑うんじゃないよ! ほら、ノルス酸に少し浸して……」
コルウスが取り出したガラス瓶には、無色透明の液体が入っていた。ノルス酸というのは果物から生成される酸性の液体であり、金属などを磨くときに用いられる研磨剤。
そのノルス酸に丸い物体を落とすと、みるみるうちに黒茶で汚れていた丸い物体が、眩いばかりの黄金に。
「……なんだあ、こりゃあ」
「……ラティオ黄金ですぜい。この輝きは、世界が滅びても輝き続けるってぇいう」
「……いや、まさか」
「……双頭の竜の紋章。間違い、ねぇですぜい」
「……デルブロン、金、貨?」
庶民が手にすることも目にすることもない、貴族御用達の骨董品。ラティオ黄金ですら他の黄金よりも価値があるというのに、キヴォトス・デルブロンの紋章が記された貨幣。
ノルス酸のおかげで輝きを取り戻した金貨は、状態も良い。昨日まで使われていたかのようだ。
「俺がその昔、王都の骨董屋で目にした金貨よりも……輝きが強ぇな」
「こんな美しいままの姿を残しているデルブロンの遺産は、あたしも初めて目にしましたよ」
「おい、おいおいおい……あのときは確か……100万レイブ……」
「やだよぉ、馬鹿をお言いでないったら。知らないのかい? アルツェリオやストルファスの貴族連中は、皆こぞってデルブロンを収集しているってぇ話だよ」
「……価値が上がってやがるのか?」
「今ならこれ一枚で……あたしだったら500、いや、贔屓の貴族様なら目の色を変えなすって、800は出すんじゃないですかい?」
「はっぴゃく」
「ええ、はっぴゃく、まん、レイブ」
その日、雑貨屋から天まで響くような奇声が聞こえた。
声を聞いて駆けつけた少年リックが目にしたものは、泡を吹いて白目を剥いたおっさんが二人。ひっくり返って気絶していたという。
ジェロムは誓った。金輪際、タケルからよくわからないものをもらわないと。対価なら現金を請求しようと決めた。
小さな貨幣一枚で800万レイブにも化ける、そんな恐ろしいもの絶対に手にしてなるものか。
コルウスも我が身がなにより大切だ。出所はあえて聞かず、これはないものとして扱えとジェロムに忠告。むしろ何処かに預けろと言った。それならばと思いついたのは、村人が毎朝毎晩必ず声をかける祠。あの祠に飾った、緑色の太った化け物の像の真下に埋めたのだ。
そうして互いに口外しないよう誓い合った。
元冒険者としての経験上、身に余る財は持つべきではない。しかももらった相手があのタケル。常識知らずがとんでもないものを置いていったものだ。
数日後、誰一人として知られぬまま、金貨は忽然と姿を消した。
ジェロムもコルウスも、そしてタケルも忘れた頃にその金貨は姿を現す。
リベルアリナの胸元で、悠久の輝きを放ち続けたのだ。
――アラッ!? これアタシに? アタシにくれるの? やーだーもーぉ、アタシこういうの大好きなのぉぉぉ! もぉうっ、可愛いことしてくれるんだからッ! さすがタケルちゃんの愛した村の子たちね! アタシも大好きよ! 祝福あげちゃう! アタシの眷属たちよ、すくすくおっきくもりっもりに育ちなさい! あっはん、これきーれーいー!
トルミ村は、今日も平和です。
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