桜清明

東雲夕

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おめがのけい 2

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「ごめんなさい‼︎ 」

 ぶん! と音がしそうなほどの最敬礼を決めた桂は、身を翻し走りだした。
 「瞬足…… !」振られた直後の最初の一言
がそれって、と言いたくなるが、突っ込みたくなるのが分かる位に見事なダッシュだった。

 過敏症の桂には、普通のΩならうっとりするはずの、αフェロモンが臭すぎて息を止めるのも限界だった為である。

 しかし呼吸困難からの涙目も、酸素を求める生存本能からでしか無い切なく震える表情も、桂の儚げ詐欺な容姿にかかれば「可憐で奥手な愛らしいΩ」と誤変換限りなく、結果的に求愛αは諦めず、桂はまた繰り返し呼び出される事になるのだった。
 
 脱兎のごとく生存本能に導かれるままの桂が向かった先は、上級生の校舎へ繋がる渡り廊下である。

 桂は中等部の二年になっていた。入学前に告白してくれた友人のバースは、やはりβで彼は春休みの間に転校していった。αに勝るとも劣らない位優秀な彼は、己がβであるという現実に耐えられなかったようだった。かける言葉を見つけられなかった桂は、こうしてまた一人友人を失った。

 この頃になると一日に5回は繰り返される桂の「呼び出しからの告白」はもはや望まぬ日課になっていた。
 中等部の名物になりつつある桂の疾走する姿にも周囲は「山中が走ってるから、そろそろ昼休み終わりか」と時報がわりに見送られるくらいに日常とかしている。

 「…… ゔゔぅじぬがどぉもっだ……」
 「あー、今度は誰? 」
 「…… 三年の、なんか白っぽい人…」
 「白いね……多分ハーフのあの人かな銀髪?」
 「う~だったかも~」

 たどり着いた先にいたのは一級上の従兄弟である。山中の一族のαである彼は、桂より頭二つ分は背が高い。その従兄弟の胸に、走ってきた勢いのまま飛びついた桂が蝉のようにしがみつくと、胸元で深呼吸を始める。

 やっと息ができた死ぬかと思ったと、うめきながら告げた本日の求愛者の特徴は、海外の王族の血筋だという先輩αの事だろう。本物の王子様だと人気の高い人だが、桂の視界には入っていないようだ。

 だって臭いもん。

 血族以外のαへの桂の感想はこれ一択なのだ。

 「はなもげるかと思った~」

 この年子の従兄弟のΩは、身内以外のフェロモンを受け付けない。αの一族から産まれた限りなくα因子の濃い境界型とも言える山中のΩは「恵のΩ」と呼ばれている。

 実際遺伝子のバグを解放するかのように何世代かに一人産まれてくるのが恵みのΩであり、彼らの代の子供たちは総じて桁外れに優秀なαである事が多かった。

 その恵みのΩの情報が外部の力のある家の間に回ったらしく、早熟なものから順にバース性の確定され始める中等部に上がった途端に、毎日αに呼び出されて番になって欲しいと告白されては、こうして逃げてくるようになった。

 告白してくるαは一様に自らのフェロモンを桂に向け放ってくる。先天的に過敏症である桂にとっては、彼らのセックスアピールであるらしき求愛フェロモンは匂いテロでしかない。

 10000倍とかに薄めたらいい匂いなのかもね、麝香鹿のおしっことかみたいにー、ヤケクソ気味に脳内で呟く桂は、告白など聞いちゃいない。

 それどころか意識を保つのに必死である。なにせ「告白」とやらで呼び出される先は定番の空き教室やら、講堂裏やら人気の無い場所がお約束で、こんな所で意識を失って無事で済むと思うほど、おめでたい脳はさすがにしていない。

 本音を言えばガスマスクをつけたい。実際は過敏症を緩和する薬を飲んで、学生に許される最高限度なマスクをして凌いでいる。
 呼び出しに応じないという方法もあるが、まだ桂はそこまで達観できないでいた。

 桂の姿を見た途端に放出されるαのフェロモンは迷惑でしか無いのだが、告白とやらを仕掛けてくるαの姿は、幼い頃に家族で訪れた動物公園にいた孔雀を思い出してしまう。
 懸命に尾羽を広げて雌ではなく飼育員に求愛していた姿が忘れられない。

 脳裏に浮かぶ孔雀のその姿が桂にアピールしてくるαの姿と重なってしまい、なにやら物悲しい気持ちになる為、せめてもの誠意の表れで、律儀に出向いては直接ごめんなさいをしている。

 しかし頑張っても臭いものは臭いので、身内の心地良い匂いを求めて従兄弟の教室まで走る、までが一セットな桂である。

 ひとつ上の従兄弟も、山中の恵みのΩが一部で縁起物のような扱いをされて、年頃の合う子息令嬢に「手に入れろ」的な指示が出されているらしい事を聞いている。

 山中の家は政略的な婚姻は必要としていない為、正式に家同士で話を持って来られても、家の犠牲に子供をするつもりは無いとお断りされる。

 それなら自由恋愛ならば良かろうと、桂に直接申し込みにとなり、今のこの告白ラッシュが始まったのだった。

 正直どうしてこうなった、である。

 家同士で「お断り」するさいには、桂の特殊な体質も隠さず説明している。
 それなのに、ならば桂が受け入れたフェロモンの持ち主こそ運命の番たる資格の保者に違いないと、逆に我こそはと名乗り出るαが後を立たなくなった。

 桂からすれば、自分はαのフェロモンも満足に嗅げないポンコツΩである。発情期もまだだし、そもそも身内のフェロモン以外は臭くて受け付けない為、番とか一生無理だろうと早くから諦めてもいる。

 そんな自分に番を申し込んでくるなんて滑稽だ。あの飼育員へ止まらない求愛を繰り返す孔雀のように不毛だ。
 親族のαのフェロモンは例えるなら、実家のような安心感、とても和む。間違っても発情とかしないしめちゃめちゃ安心してむしろ寝る。

 もはや桂の安定剤がわりと化している従兄弟の胸元ですーはーすーはーしながら、一級上のこの従兄弟も、半年後には高等部にあがり、居なくなってしまう。敷地的には隣だが、今のように簡単に会いにはいけない。そうしたらあの匂いテロにどうやって対処したら良いのだろう。桂は少し途方に暮れた。

 「こまったなぁ」
 「うん」

 従兄弟に既に高等部に上がったら番になろうと約束している最愛のΩを見つけている。
 本当は毎回気付がわりに吸いにくるのも申し訳ないと思ってはいるのだ。

 従兄弟のΩは年上で、バース性の研究者でもある桂の主治医なので許してくれているが、やはり相思相愛の二人の間を邪魔するようで申し訳なさは拭えないのだ。

 桂は告白しにくるαに、臭いとは絶対に言わない。幼稚舎の時のあの子の落ち込んだ顔を今でも思い出す。

 ダイナミクスの話はデリケートだから、という姉の言葉を忘れた事はない。

 自分のどこが、いったい誰にとっての恵みなのかと、中等部も半ばを過ぎた桂は、普通のΩでは無い自分にも、すっかり疲れ果てていた。
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