桜清明

東雲夕

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しらゆりひめ

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 店から続く扉をくぐって廊下を進む。
 土間を挟んでここからは、一応住居スペースになる。

 数年前までは祖父母が暮らしていたが、今は店を姉夫婦に任せ、郊外の花卉農園に隠居屋を建てて移り住んでいるため、実質住人はいない。

 今はかつてのダイニングには応接セットを入れて来客用に、その隣の八畳の居間は従業員の休憩室としてそれぞれ活用している。
 家族経営なので従業員とは言え当たり前だがみな身内だ。

 それぞれ居心地良くと、皆が色々持ち込んむ為元居間は少しだけ休憩するには危険がいっぱいである。
 日当たりの良い畳の和室に、ごろ寝しても良いように柔らかいラグが敷かれ、さらに一寿の姉により例の「人をダメにする」ソファーも導入(経費)。

 更に冬場には祖母と母親が炬燵も出してくるしで、油断して気を抜いていると休憩に入ったきり出てこなくなる危険がある為、専用のアラーム3個を用意した。休憩はまずそのアラームのスヌーズをセットしてからが、あられや生花店の新しいルールとなっている。

 四月も半ばを過ぎ、暖かい日が続いている。炬燵もそろそろ片付けないとと思いつつ、一寿は今日もうたた寝をしていた。朝晩はまだ少し冷えるし、まだいいか。とすっかりコタツムリと化した一寿は寝返りを打つと本格的に眠りに入ろうとした。
 佐久良が送ってきた元部長の新刊が面白過ぎて徹夜で読み耽ってしまった為完全に寝不足だ。

 店は定休日だし大学は休講になったとチャットで連絡網が回ってきた。それならこのところ試作を続けている花を使ったエッセンシャルオイル作りでもやるか、と定休日の店にやってきていた。

 切花は盛りが短い。開いてしまえば売り物にはならない。かといってただ廃棄するだけというのには抵抗を感じる。
 農園の肥料として堆肥にするのは元より、乾燥させての加工を色々。日当たりの良い2階は作業場にして、ドライフラワーなどを作っている。

 桜の花の塩漬けは商店街の和菓子屋に協力して貰い本格的に店で販売も始めた。
 その為に義兄と一寿それから弟が食品衛生責任者養成講習会を受講してある。販売するにあたっての資格を取る為である。
 ジャムやお茶へ加工する作業が案外楽しく、エディプルフラワーと呼ばれる食用花にも興味が出てきた。ゆくゆくは調理師免許を取ってみてもいいか、弟も誘えば一緒にやりそうだなと一寿は思う。

 一寿は家族が一番大事だ。

 初恋もまだな自分は情緒的におかしいのかもしれない。この先どんなに大切な人ができたとしても、一寿にとっての一番は家族なのだと思う。

 人を愛する事を知ってみたい。そう思う事もある。けれど誰かを欲しいと願う自分を一寿は全く想像できる気がしなかった。

 自分はどこか欠けているのだろう。

 いくら頑張っても枯らしてしまう花のように。自分だって皆のように普通に誰か好きになれたらと願ってはみても心が動かない。
 一寿にとって恋愛とは自分には無縁のものだといつしか諦めるようになっていた。

 「…… せまい」

 うたた寝から目覚めた一寿は日差しの傾き具合で昼を回った辺りかと見当をつける。
 炬燵で寝ていたせいで喉がからからだ。
 起き上がりたいのだが、がつちり固定されていて時計を見る為に首も上げられない。いつの間に来たのか。狭い炬燵の隙間に無理矢理入り込んだ桂が、一寿に抱きついて眠っている。

 いくら桂がオメガらしい小柄な体型だとしても、普通サイズの炬燵の一片に男二人で入るの無理があるので、どうやって入ったかと不思議に思うていどには隙間無くきちきちである。

 おまけに一寿にコアラよろしくしっかりと抱きつかれていては、桂を起こさずには抜け出すのは至難の業だ。

 小さくため息ついた一寿は、諦めて頭を下ろした。胸元に入り込んでいる桂のふわふわの髪を撫でてみる。幼子の無邪気さで必死でしがみつく小さな頭に顎を乗せて背中を抱いてやる。あの日からまるで刷り込みのように一寿に懐いて離れない桂。

 先日、山中の奥様から正式に頼まれて、桂はこの店に「帰ってくる」ようになった。
 社会勉強とついでに家庭教師もして貰えたらという建前だが、宿題をやるのを横で見ている位で、義兄の配達を手伝ったり、一寿と店番をしたりと、自宅にいるようにくつろいで過ごしているだけだ。

 ただひどく一寿のそばにいたがる。
 この子は何がそんなに不安なのだろう。

 白ゆり姫のようだ。

 あの時、咄嗟にそう思ってしまった一寿の直感は、あながち外れていないのかもしれない。

 そしてそれはきっと、一寿には理解してやれないダイナミクスについての事なのだろう。オメガとして生きるという事。想像してみるが全くピンと来ない。のぼせて来たのか胸元でぷーぷーと平和な寝息で汗をかき出した桂の額を優しく撫でて、もう少ししたら起こして水分補給で、今年の桜茶でも一緒に飲むかと、子供体温の小柄な背中をゆっくり撫でてやる。

 そして一寿は、自分がこの春の嵐のように飛び込んできた小さなオメガを、いつの間に「家族枠」に入れてしまっている事を改めて自覚する。
 
 「ああ、本当に俺は流されやすい」
 
 でも、悪くない。
 そう独りごちた一寿は、桂の頭に頬を寄せてその髪の甘い匂いをかぐと小さく口元を緩めた。
 
 
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