桜清明

東雲夕

文字の大きさ
上 下
5 / 24

さくらととしょかん

しおりを挟む
 佐久良静馬さくら しずまと話すようになったきっかけを、一寿は覚えていない。

 当時の一寿は、グループ交際(?)を断ってから、何となく中学からの友人達と距離をとってしまっていた。仲間達は一寿が興味のない事を無理強いして悪かったと、謝ってくれたけれど、結局それぞれ彼女持ちになっている。

 そうなると一寿よりも彼女が優先になるのは淋しいが仕方なく、必然的に今まで彼らと遊んでいた時間がぽっかり空いてしまった。

 だからといって、他に過ごす仲間を積極的に作る気にもならない。恋愛が絡んだあれこれは、思う以上に一寿の心には負担だったようだ。元から、ひとりは気にならないたちだし、一緒に過ごす頻度が下がっただけで、仲間たちとは普通に友達としての交流もある。
 ただ放課後がフリーになる事が多くなっただけだ。

 それで特に困るということもなく、逆に予定を誰かに合わせる必要の無い日々は予想外に気楽で、今まで幼馴染のような同級生達と過ごすのが当たり前だった一寿は、自分は意外に単独行動が好きな事に改めて気がついた。

 しかし時間が空いてしまった事は間違いない。部活に入るという選択肢も頭を過ぎらないでは無かったが、もう少しひとりの気ままな自由を満喫したかった。
 結果的に暇を持て余した一寿は、何となく訪れた図書館の雰囲気が気に入って通ううちに、気がつけば腰を落ち着けて毎日通う常連になっていた。

 唯一の趣味なので、どうせならと桜に関する本を、片っ端から読んでみる。


 もう花の時期は過ぎていたので、本を片手に桜の葉の塩漬けを作ってみたところ、暇つぶしのそれは予想外に祖母と母親に喜ばれた。
 気をよくした一寿は、来年は桜の花も塩漬けにしようかと、夕飯の席で何気なく言ってみたところ、それならと姉が保存用の瓶を大量に出してきてくれた。
 流れで来年の計画を立てようと、いやに乗り気な弟に誘われて、いつの間にやら一家総出の家族の行事になり、またその流れで新商品の開発もするかと、父と祖父も乗り気になって、その晩の霰屋家の団欒は大いに盛り上がった。

 どうやら、このところ一寿の元気が無い、友達と出かけるのもめっきり減ったと心配されていたらしい。

 更に失恋でもしたのかと、明後日方向に気を遣われていた事も、来年の参考と、桜の塩漬けを使った饅頭を差し入れに来た弟が、面映そうな顔で打ち明けていった。

 一寿は振った方になるのだろうが、失恋が原因だといえば言える。

 とりあえず、自分は家族といるのが一番だから心配いらない、でもありがとう。

 素直に感謝してると伝える一寿をほけっと見ていた弟は、はっと我に返ると真っ赤になって咳き込みだした。

 慌てて背中を撫でる一寿に「兄貴、そういうとこだぞ」と、涙目でぷんぷん言いながら、やけくそ気味に饅頭に齧り付いた弟が、それを喉に詰めて大変な事になったのも、家族の楽しい想い出の一つと言えば、いえなくもなかった。


 
 静馬と会ったとすれば、おそらくこのころだろう。しかし思い出せない。
 
 当時から佐久良静馬は恐ろしいくらいに美しい男だった。そこに座っているだけでピンスポットが当たっている、そんな存在感が溢れ過ぎている男との出会いを覚えていないとか。

 一寿は自分の記憶力が心配になった。
 
 静馬とは大学に進学してから、いやその前から交流は途絶えていた筈だ。
 手の平の小包を見つめながら、一寿は頭をかしげる。静馬の事を思い出すきっかけになったそれ、出版社のロゴが入った封筒を開けてみる。
 
 中なら出てきてのは「おのえ遥」のサイン入りの献本であった。
 おのえ遥おのえ はるかは一寿か高校時代に所属していた文芸部の部長であった。

 彼女は、あの頃から既に純文学系の雑誌で新人賞を受賞し、高校生作家として脚光を浴びる存在だった。
 佐久良静馬は同級生ながら、副部長として彼女のマネジメント的な事をやっていた筈だ。

 筈なのだが、彼の事になると一寿の、記憶は靄がかかったように曖昧になる。
 それがあまりに居心地が悪く、眉間に皺を寄せて思い出そうと、必死になると耳鳴りを伴って頭痛が襲ってきた。
 
 立っているのが辛くなって、崩れるようにリビングのソファーに座り込む。
 放り出された本から、どこか懐かしく感じられるサンダルウッドの香りが立ち上がってきて、一寿の鼻腔を満たすと、酷い目眩を誘われてソファーに倒れ込んでしまった。


ーー なんだ、これ。

 以前にもこんな事があった。たしか、あれは…… 。

 酷くなる眩暈に何も思い出せないまま「カズさん、ただいま!」と扉を開ける桂の元気な声と足音に、店から入るなって言ったろうにとの舌打ちを最後に一寿の意識は闇に沈んだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

初恋

春夏
BL
【完結しました】 貴大に一目惚れした将真。二人の出会いとその夜の出来事のお話です。Rには※つけます。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

被虐趣味のオメガはドSなアルファ様にいじめられたい。

かとらり。
BL
 セシリオ・ド・ジューンはこの国で一番尊いとされる公爵家の末っ子だ。  オメガなのもあり、蝶よ花よと育てられ、何不自由なく育ったセシリオには悩みがあった。  それは……重度の被虐趣味だ。  虐げられたい、手ひどく抱かれたい…そう思うのに、自分の身分が高いのといつのまにかついてしまった高潔なイメージのせいで、被虐心を満たすことができない。  だれか、だれか僕を虐げてくれるドSはいないの…?  そう悩んでいたある日、セシリオは学舎の隅で見つけてしまった。  ご主人様と呼ぶべき、最高のドSを…

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

用法用量を守って正しくお使いください

煮卵
BL
エリートリーマン✖️老舗の零細企業社長 4月2日J庭にて出した新刊の再録です ★マークがHシーン お気に入り、エールいただけると嬉しいです

運命じゃなくても君が良い

湊戸アサギリ
BL
オメガバースネタです β×Ωで、運命じゃない二人がラブラブしてるだけです 世の中の夫婦が全員運命の相手じゃないだろ運命じゃない相手と幸せになるのが人生だろな攻めちゃんが出てきます 表紙イラストはAI生成したものです

短編集

田原摩耶
BL
地雷ない人向け

処理中です...