ありえへん世界の恋人へ

東雲夕

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ありえへん位に襲われました

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 ガチャガチャ!!バタン。ズダダダダ!!

 スーツケースを探して、クローゼットの奥に潜り込んでいた犀太が、物音に驚いて振り返る間もなく、汗ばんだ腕で引き摺り出されていた。

 「え、桐真? 何で???」

 ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、想定外の桐真の登場に、毒気を抜かれた犀太は「仕事は?」と普通に尋ねてしまった。

 「今日は半休とったから」

 と、抱きしめる腕を緩める気配のない桐真が、こちらも普通に答えた。
 犀太の真意は全く伝わっていないようだ。
 別れ話をしている人間の距離でも無いし、桐真に至っては、ご機嫌で犀太の髪に鼻先を埋めてご満悦だ。

 犀太も日本人男性の平均位には背もあるが、桐真はそれより、更に頭一つ分は高い。学生時代からのラグビーを、社会人になった今も続けているので、がっしりとした、大柄な体をしている。
 大きな自分の腕の中には、犀太位の身体がちょうどいいんだと、引っ付いて離れないのも学生時代から変わらない。

 けれど。

 「っ!離せよっ!!!」
 「ごめんね、寂しい思いさせて」

 どうやら桐真の中では、犀太が嫉妬のあまり怒っている事になっているようだ。
 寂しかったよね、俺もだよ、一人にしてごめん。つらそうな表情の桐真が、微塵の罪悪感も無く抱き寄せてくる。

 とたんに何かとてつもなく汚いものに触れられたような怖気おぞけが身体中に走って、犀太は渾身の力で突き飛ばそうして、逆に筋力の差に負けて、寝乱れたまま整えていないベッドに押し倒されてしまった。

 昨夜、桐真が婚約者と汚したシーツは交換もしていない。
 気持ち悪さに蒼白になり、更に渾身の力で暴れた。

 「やめろ! 本当に嫌だ! 気持ち悪い!!」

 他人の性臭が鼻をつく。ナニかが乾いてカピカピになったシーツは、肌触りを気に入って犀太が買った物だったのに。

 本気で嫌がる犀太に気づく様子もなく、それどころか桐真は「愛してる」と無理やり抱いた。





 犀太の抵抗を嫉妬と解釈した桐真は情熱的に何度も犀太を抱いた。
 麻痺したように重い腰には、べったりと桐真の手型が残っていた。
 更に全身につけられた鬱血痕は、数えるのが恐ろしいほどの、桐真の執着の証のようだ。

 気味の悪い程に肌に散らばるそれを無意識に擦ると、込み上げてくる吐き気に、口元を抑えて立ち上がれば、くたりと膝が立たずに崩れた。

 容赦なく抱き潰されたのだ。

 女の婚約者は簡単に壊れそうで怖くて「愛せない」犀太は流石自分の恋人だ、思いっきり愛せる、嬉しいな。

 犀太を抱きながら桐真は繰り返しそう言っていた。

「愛してる、愛してる、俺に愛させて」

 ゼンマイが切れた玩具のように床に転がって、犀太はそのまま嘔吐した。起きあがろうと縋って、支え切れずに倒れたゴミ箱からは、今朝見た時の倍以上も、口を縛ったゴムが無造作に放り込まれていた。

 六時の新幹線に乗らないと、名残惜しいけれど、最後に子作りの練習だ、婚約者には全くそそられないから、犀太だと思って頑張るね。

 そう頭のおかしい事を抜かして、最後に子作りの練習するねと、生で挿入し好きなだけ犀太を揺すぶると、桐真は満足そうに吐精した。
 そして愛してると、これで実質作るのは俺たちの子だよと、理解不能な事をうっとりと囁いて犀太にキスをする。それから慌ててシャワーを浴びて、婚約者との待ち合わせに飛び出していった。

 「ありえないだろ、あいつ、ほんとに、あたま、おかしかったのか……」

 「愛してる」は見事に犀太のトラウマになった。


 ふと、意識が浮上した感覚に目を開ける。
いつの間にか気を失ってしまっていたようだ。抱き潰された体は、まだ動かせそうもない。裸のままで床に横たわっていたせいで、余計にひどく固まったように腕をあげるも億劫だった。

 身じろぐと、どろりと押し出される感覚がして後ろが濡れた気配がする。大量に出された桐真の精液を掻き出さないと、腹を下してしまう。

 後始末もしないで何が愛してるんだか。
 桐真はほんとに、ありえないくらい、頭のおかしい男だった。
 そんな桐真に気づけなかった犀太も、同じくらいありえない。自嘲に歪む口元を震える指先で拭うと、自分の戻した胃液の匂いが、つんと鼻についた。

 色々まずいと分かっていても、犀太はもう動けなかった。その朦朧とする犀太の意識を軽快な着信音が呼び戻す。

 そうだ、姉に報告すると約束していた。
 一人で帰るという犀太を最後まで心配して、仕事を休んで引越しを手伝うと言ってくれた。
 先に別れ話をしてくるから、終わったら車出してよと、宥めて実家を出てきたのだ。
 
 ーーでんわ、でないと、また、しんぱいかける。

 両腕で床の上をスマホを目指して這う。
 下半身は萎えたように、感覚も鈍くて思うようには動か無かった。

 気持ちばかり焦るが体は全く言うことを聞かない。それでも発信者の気持ちを代弁しているかのように、着信音はいつまでも途切れずに犀太を待っている。
 ようやっと辿り着いて、力の入らない腕を伸ばすと、今の犀太にはそこまでが限界だった。

 「ねえちゃん、ごめん、たすけて……」

 心配かけて、ごめんねと続けたかったが、もう声にできない。
 そのまま飲み込まれるように犀太の意識は闇に沈んだ。
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