ありえへん世界の恋人へ

東雲夕

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子作りするそうです

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 ことことと、鍋の煮える音が好きだ。
 目を閉じて耳を澄ます。
 夕焼けの残光の去ったキッチンは、灯りを落とせば、鍋底を青と橙の炎の影がゆらゆらと揺れて照らし出す。

 IHに買い替えようかという桐真に、まだこのままでと言ったのは犀太だった。
 なんとなく直火の暖かな光と熱を手放したくなかったのだ。

 料理をしている時は無心になれる。
 倦んだ心が癒される、細やかなで大切な時間である。

 今日は店のメニューで余った鹿肉のミートボールを貰ってきた。少し悩んでトマトソースで煮込みにしている。

 犀太が転職したレストランはジビエ料理に力を入れた、イタリアの家庭料理が中心の店である。

 ジビエは下処理さえ丁寧にすれば、低脂肪で高たんぱくだと、健康志向のお客様に人気ではあるが、牛や豚に比べればまだ少し敷居が高い。そのために仕入れで残った賞味期限が近い肉を貰う事が間々あった

 在庫管理的には宜しくないが、珍しい肉を使ったレシピを試せるので、犀太にとってはひそかに幸運なのだった。

 「いいにおいだ」
 とパチリとついた照明に、犀太は眩しさに目を閉じる。

 いつの間にか桐真の帰宅時間になっていたらしい。

 今日は何だと背後から抱き着かれて、肩に顎を乗せた桐真が、恋人らしく愛おしそうに頬を寄せてくる。
 そのうなじから香る、男物ではない甘いパフュームの香りに、ずしりと犀太の腹の底が重くなる。

 そんな塊を飲み下して、鹿肉だと教えれば歓声が上がる。

 ーージビエはいい、実家でも扱いたいと思っている、お前に任せられたら最高だ。

 嬉しそうに覗き込まれて、微笑みの形に細められた桐真の瞳に映る己に、苦く吐き気が込み上げた。

 食欲はすっかり消えうせていても、手は機械的に料理を仕上げている。
 桐真の分だけをダイニングに用意して、犀太は早々に横になった。

 シャワーから上がった桐真が、心底心配だというように、ベッドに腰かけて髪を撫でてくるのを、振り払いたい気持ちを堪えて寝たふりでやり過ごしす。

 まさか、実家にもついて来いというのだろうか。結婚までの蜜月というのは桐真との恋人期間であり、その後は愛人として?

 まさか、まさかという思いとは裏腹に、別れの予感を微塵も感じず変わらず続く溺愛に、確信めいた嫌な予感をともなう冷や汗が止まらなかった。

 青ざめたまま、眠りについた犀太は、目覚めて夢ならば良かったのだろうか、とまた朝の光の中で絶望するのだった。


 来週、犀太が法事の為に帰省するタイミングで、桐真は婚約者と子作りに挑戦するそうだ。

 闘病中の父親の為に、少しでも早く孫の顔を見せてやりたい。
 けれど犀太以外で致せる自信がないと、真剣に打ち明けられたとして、犀太にどうしろというのだろうか。

 そんな桐真から逃げる様に帰り着いた実家では、二つ上の姉が呑気にテレビを見ながら「おかえり」と迎えてくれた。
 その穏やかな笑顔を見て、膝から崩れ折れそうな安堵を感じて、犀太は久しぶりにちゃんと呼吸ができている自分に、ふいに気づいたのだった。 
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