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女神の愛し子と薊の祝福
2.
しおりを挟む帰還を数時間後に控えて、フェンガリはセオドアの病室を見舞っていた。後処理に追われて結局今日まできちんと話せないままだ。
セオドアに使われた薬は非合法な上、魔力回路の容量の大きなセオドアを想定して、既定の数倍の量を盛られていたそうで、あの日から五日たった今もまだ解毒が終わらない。
その為病室のベッドに起き上がったセオドアの腕には、まだ点滴の管が刺さっていた。
明日になれば外せると笑った従兄弟に「そうか」と相槌を打ったフェンガリが視線をふせると、二人の間にふいに沈黙が落ちた。
ばさばさと吹き込んで来た風がカーテンを揺らす。フェンガリは頭上のカロッタが飛ばされないかと、沈黙を誤魔化すように右手を伸ばした。
そのまま視線を上げたフェンガリが、眩しそうに目を細める。このまま真っ直ぐ王都に戻るのが惜しいくらいの、気持ちよく晴れた秋の空が見えた。
換気のために大きく解放された窓には、風をはらんだ白いレースのカーテンが、ばさばさと大きくはためいている。その隙間から覗く空の青が高い。吹き込んでくる風はほんの少し冷たくて、もうじきに訪れる冬の気配がしていた。
フェンガリは、そっと立ち上がると丁寧な手つきで窓を締めた。それから、付き添い用の椅子の背から上衣を取ってきて、セオドアの肩へと羽織らせる。
未だ治療中の身体に風が毒になりそうで心配になったせいだ。現役の魔法士であるセオドアがそれほどひ弱なはずは無いと分かってはいるが、それと心配するのは、また別な話だ。
セオドアの胸元で、労りのこもった手つきで上衣をかき合わせてから、フェンガリは覚悟を決めたように顔を上げ、セオドアと視線を合わせた。
星の光を沈めたような深い色の暁の瞳が、万感の思いを込めて真っ直ぐにセオドアの碧眼を見下ろしていた。
お互いの鼓動が、同時に大きくはねた音が、セオドアの耳には聴こえたような気がした。
「久しぶり。…… って、今さらかな」
頬を染めたフェンガリが、火照てる耳朶を隠すように俯くと、不器用にがたがたと椅子を引き寄せた。腰を下ろすとその分だけ視線が下がり、今度はフェンガリをセオドアが見上げる事になる。
「いつから気づいてた? 俺だって」
暫くの間セオドアの表情を伺うように、じっと黙って見つていたフェンガリが、苦く笑いながら視線を外し問いかける。
認識阻害、きいてなかったよな? と。
「最初は、砦に到着した時だ。妙に気になる奴がいるって、目が放せなかった」
フィーだって気づいてたわけじゃないけどね、と点滴の刺さっていない方の手を伸ばして、指先でそっとフェンガリの前髪をすくう。
「気になるのに、顔とか思い出せないのがおかしいなって、これは何か術か魔道具で妨害してるんだろうなって、思ってたけど、隠してるなら暴かない方が良いだろうって、あの時は思ってた」
「うん」
前髪をすいた指先が、耳朶を撫でる。子供のころのセオドアも、手遊びにフェンガリの髪や顔を触るのが癖だった。
うっとおしいと怒った時もあったが、言ってもやめない上、姉上曰く「濡れた子犬の瞳」で哀しそうに見てくるので、根負けして最後は好きにさせていたものだ。
十数年ぶりのセオドアの指はすっかり太くて硬い大人に指になっているが、くすぐったくて同時に妙に腹の底がほんのり火照って疼くのも一緒だ。あの頃は二人の婚約の話が本格的になって来ていた。何事も無ければ今ごろフェンガリはセオドアに嫁いでいただろう。今更で、ありもしない未来だ。あの日に全て崩壊してしまったのだから。
けれど、想いは消えていなかったようだ。
「気づいたのは、石を貰った時だよ。フィーの魔力、忘れてなかった」
忘れるはずないけどね。と嬉しそうにセオドアが笑う。神聖力も元になるのは本人の魔力だ、それを女神への信仰を源にして、聖なる加護を賜る事により聖魔術を行使できるようになる。
魔光石や魔石に込める魔力は、万人に受け入れられる必要がある為、交換機を通して個人の癖は出来るだけ排除する。
よく雨水から不純物を取り除き、飲料水を蒸留するのに喩えられるが、限りなく純粋な魔力として変換されている為、作成者を特定のするのは、普通であれば不可能である。
旅先の簡易な交換機を使用したせいだろうか。だとしたら使用に問題が無いか心配になる。その疑問をぶつけられると、セオドアは実に嬉しそうに破顔した。
多分普通なら気づかない純度に仕上がっている。ただ、自分がフェンガリに関する事に敏感だから分かるんだと、ぴかぴかの笑顔が眩し過ぎて、フェンガリは心臓を押さえた。
「本当に嬉しかったよ、本当に、本当に言葉にならないくらい、嬉しかった」
噛み締めるように繰り返す美形の、警戒心零距離からの満面の笑顔の破壊力が酷い。
脈拍数が急激に増加して、とうとう物理的に心臓が痛くなって来てフェンガリは観念した。
認めるしかない。
この目の前の男が愛しくて死にそうだ。
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