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二人きりの空間で、先に口を開いたのは東条の方だった。
「由莉はヒート中にあった事、どこまで覚えてる?」
「へ……?」
「今回のヒートで俺が何もしてなかった事は覚えてたみたいだけど、俺が部屋から出て行った後、倒れるまでは何してた?」
ヒートになったと私から誘って、一度ベッドに押し倒されたけど怖くて泣いてしまって、それから……?
隆一さんが私を落ち着かせるために部屋から出ていった記憶はあるけれど、その時の自分が何をしていたのかは全く覚えていない。
覚えている部分さえぼんやりとしていて、この記憶が正しいものなのかも正直自信がなかった。
「あ、えっと、倒れた時の記憶とか全然なくて……ヒート中に隆一さんとした会話もぼんやりとしか……」
「ごめんなさい触らないでって言いながらボロボロ泣くから俺は何も出来なくて、絶対に触らないから何かして欲しいことないかって聞いたら、一人になりたいって苦しそうな顔で言われて部屋を出た」
「え……」
「俺が部屋を出て行った時、君はベッドで横になったまま息を乱しているだけだったから、いつものヒートと同じだと思ってしばらく時間を置いた。自慰でもするのかと思って」
斜め下に視線を落としたままの東条が、淡々と硬い声で話す内容を由莉は黙って聞いていた。
相槌や反応を期待されているわけではないのだろう。
ただ説明しているだけといった様子で、視線が一度も交わらない。
「そこから十五分くらい経ってからかな。水とかタオル持って一度戻ったらノックしても返事がなくて、部屋に入ったら床に座り込んだ状態で君が気を失ってた」
「……っ」
「話しかけてもピクリとも動かなかった。ベッドに上半身を凭れるようにしてたから頭を打ったりはしてないだろうけど、それでも寝てる時とは全然違って、顔色悪いし呼吸は浅くて……本当、思い出しただけでゾッとする」
そこまで言われてようやく、初めて東条の視線が由莉の方に向けられる。
何と返事をしていいのか分からないでいると、特に気にする様子もなく東条が言葉を続けた。
「急いで知り合いの病院に運んだけど、君の事を思うならもう触るなって言われたし、俺もそうするしかないと思った」
「は……」
「俺は君が側に居てくれるならセックスもキスも出来なくていい。あんな条件のために子供作ろうとして無理させるのはもう嫌だったし、君の同意があれば半年なんて期間無視して、人目につかない場所で囲うことも考えてた」
セックスをする回数が減らされていた意味がようやく分かる。
恐らく東条は、抱かれている時の由莉の反応で難しいと判断して、駄目だった場合は閉じ込める事も早々に視野に入れていた。
妊娠するという条件を完全に諦めた訳ではないが、たとえできなかったとしても簡単に終わらせるつもりはなかったのだろう。
そこまで考えてくれていた事は純粋に嬉しいのに、今それを告げられた意味を、由莉はどうしても考えてしまう。
人目につかないところで生活しようと、誘ってくれたようなニュアンスではなかった。
囲うことも考えていたと、完全に過去形の言い方だ。
「ヒートの周期は避けられないし、三ヶ月ごとにまた君がああなる可能性があるって考えたら無理だろ。好きだけど、俺じゃ何もしてあげられない」
予想していた言葉に、やっぱりなと思ってしまう。
直接的な「別れよう」じゃなくても、多分同じ意味の言葉だ。
番と一緒にいた方がいいと、恐らく由莉の体に一番負担のない提案をされている。
春川の言っていた二つとはまた別の解決法。
そもそもあの二つは、今後も東条と由莉が一緒に生活したいならを前提とした提案だった。
どちらか片方がそれを望まないのであれば選ぶ必要はない。
「……健全な生活するなら一緒にいても大丈夫って、さっき聞きました」
「健全な生活するの? 番やめるために妊娠しようとか、期限内は頑張ろうとか考えてない?」
「……あ、だって、せめてそのくらいは」
「君がどういうつもりでも、俺はもう手を出す気はないよ。絶対」
「絶対に駄目なんですか? フェロモン感じないし、すぐ泣いて面倒くさいから、もう触る意味なくなっちゃった……?」
「由莉、違う。ちゃんと聞いて」
「泣いても止めたりしなくていいです。本当はもっといっぱい触って欲しいって私は思ってて、今は必死な反応しかできないけど、倒れた原因だって分かったから、抑制剤とか使ってちゃんと対策もできる」
言いたいことが纏まらなくて、ぐちゃぐちゃになっているのが自分でも分かる。
こんな事を言っても隆一さんを困らせるだけだという事も、ちゃんと分かっているのだ。
だけど、私の体を気遣ってしているだけの提案ならやめて欲しい。多少苦しくても少し気絶する事態になっても、そのくらい別に大した事じゃない。
「ごめんなさい、もっと頑張るから……。い、いらないって言わないで……」
「いらないなんて思ってないし、頑張ってくれてたのも分かってる。分かってるのに、俺が欲しがって無理させた結果がこれで、……倒れてる君を見た時、俺は本当に心臓が止まるかと思った」
たった一言が、びっくりするほど重たい。
「俺は君を殺したいわけじゃない」
「そ、そんなこと……」
そこまで心配しなくても大丈夫だと言い掛けた言葉が、東条の表情を見た瞬間に喉に痞えた。
由莉よりも先に、春川から色々と説明を受けていたのだろう。この病室に入って来た時も、今も、東条は酷い顔色をしている。
気を失っている間に散々悩ませて出させた答えがこれなのだと、嫌でも分かってしまう。
私と何かしたら、最悪死ぬ可能性があると思っているのだ。ここでどれだけ説得しようと頑張っても、そんな恐怖を覆せるわけがない。
それならもう、自分にできることは一つしかないと思った。
「……凪くんのとこ、行ってもいい?」
「聞かなくていいよ。俺が嫌だって言ったら行かないの?」
「うん、行かない」
即答した由莉に、肺の中身を出し切るような長い溜息を東条が吐いた。
由莉の肩口に額をつけるように頭を預け、表情が見えないまま落とされた声が由莉の鼓膜を揺らす。
「……君がそうしたいなら、止める権利なんて俺にはないよ」
「そんなこと……」
「今こうやって君が俺のところにいてくれるのは由莉が選んでくれたからで、由莉が俺と離れてアイツのところ行きたいって言うなら無理に閉じ込めたりできない。ヒートが来るたびに苦しむのは由莉なんだから」
「……そのくらい、別にいいって私は言ってる」
「望んでないよ、そんな事」
私だって、隆一さんとこんな形で終わりにすることは望んでいないのだ。
私がつらいとか苦しいとか決めつけて、優しい道ばかりを歩かせようとしなくてもいい。
番とのキスだけでも効果があると言っていた。
それだけで済む保証なんてないけれど、隆一さんの勧めた通りにするとしても、どうせ最終的に行き着く行為は同じだと思う。
一旦中和したら、またしてくれる可能性があるなら、もういいだろうか。
その状態で隆一さんに拒まれたら無理強いはできないけれど、まだできる事があるなら動きたい。
あと三ヶ月残ってる。
確率が低くても意味がなくても、その期間くらいはちゃんと、もっと恋人らしい事がしたい。
「由莉はヒート中にあった事、どこまで覚えてる?」
「へ……?」
「今回のヒートで俺が何もしてなかった事は覚えてたみたいだけど、俺が部屋から出て行った後、倒れるまでは何してた?」
ヒートになったと私から誘って、一度ベッドに押し倒されたけど怖くて泣いてしまって、それから……?
隆一さんが私を落ち着かせるために部屋から出ていった記憶はあるけれど、その時の自分が何をしていたのかは全く覚えていない。
覚えている部分さえぼんやりとしていて、この記憶が正しいものなのかも正直自信がなかった。
「あ、えっと、倒れた時の記憶とか全然なくて……ヒート中に隆一さんとした会話もぼんやりとしか……」
「ごめんなさい触らないでって言いながらボロボロ泣くから俺は何も出来なくて、絶対に触らないから何かして欲しいことないかって聞いたら、一人になりたいって苦しそうな顔で言われて部屋を出た」
「え……」
「俺が部屋を出て行った時、君はベッドで横になったまま息を乱しているだけだったから、いつものヒートと同じだと思ってしばらく時間を置いた。自慰でもするのかと思って」
斜め下に視線を落としたままの東条が、淡々と硬い声で話す内容を由莉は黙って聞いていた。
相槌や反応を期待されているわけではないのだろう。
ただ説明しているだけといった様子で、視線が一度も交わらない。
「そこから十五分くらい経ってからかな。水とかタオル持って一度戻ったらノックしても返事がなくて、部屋に入ったら床に座り込んだ状態で君が気を失ってた」
「……っ」
「話しかけてもピクリとも動かなかった。ベッドに上半身を凭れるようにしてたから頭を打ったりはしてないだろうけど、それでも寝てる時とは全然違って、顔色悪いし呼吸は浅くて……本当、思い出しただけでゾッとする」
そこまで言われてようやく、初めて東条の視線が由莉の方に向けられる。
何と返事をしていいのか分からないでいると、特に気にする様子もなく東条が言葉を続けた。
「急いで知り合いの病院に運んだけど、君の事を思うならもう触るなって言われたし、俺もそうするしかないと思った」
「は……」
「俺は君が側に居てくれるならセックスもキスも出来なくていい。あんな条件のために子供作ろうとして無理させるのはもう嫌だったし、君の同意があれば半年なんて期間無視して、人目につかない場所で囲うことも考えてた」
セックスをする回数が減らされていた意味がようやく分かる。
恐らく東条は、抱かれている時の由莉の反応で難しいと判断して、駄目だった場合は閉じ込める事も早々に視野に入れていた。
妊娠するという条件を完全に諦めた訳ではないが、たとえできなかったとしても簡単に終わらせるつもりはなかったのだろう。
そこまで考えてくれていた事は純粋に嬉しいのに、今それを告げられた意味を、由莉はどうしても考えてしまう。
人目につかないところで生活しようと、誘ってくれたようなニュアンスではなかった。
囲うことも考えていたと、完全に過去形の言い方だ。
「ヒートの周期は避けられないし、三ヶ月ごとにまた君がああなる可能性があるって考えたら無理だろ。好きだけど、俺じゃ何もしてあげられない」
予想していた言葉に、やっぱりなと思ってしまう。
直接的な「別れよう」じゃなくても、多分同じ意味の言葉だ。
番と一緒にいた方がいいと、恐らく由莉の体に一番負担のない提案をされている。
春川の言っていた二つとはまた別の解決法。
そもそもあの二つは、今後も東条と由莉が一緒に生活したいならを前提とした提案だった。
どちらか片方がそれを望まないのであれば選ぶ必要はない。
「……健全な生活するなら一緒にいても大丈夫って、さっき聞きました」
「健全な生活するの? 番やめるために妊娠しようとか、期限内は頑張ろうとか考えてない?」
「……あ、だって、せめてそのくらいは」
「君がどういうつもりでも、俺はもう手を出す気はないよ。絶対」
「絶対に駄目なんですか? フェロモン感じないし、すぐ泣いて面倒くさいから、もう触る意味なくなっちゃった……?」
「由莉、違う。ちゃんと聞いて」
「泣いても止めたりしなくていいです。本当はもっといっぱい触って欲しいって私は思ってて、今は必死な反応しかできないけど、倒れた原因だって分かったから、抑制剤とか使ってちゃんと対策もできる」
言いたいことが纏まらなくて、ぐちゃぐちゃになっているのが自分でも分かる。
こんな事を言っても隆一さんを困らせるだけだという事も、ちゃんと分かっているのだ。
だけど、私の体を気遣ってしているだけの提案ならやめて欲しい。多少苦しくても少し気絶する事態になっても、そのくらい別に大した事じゃない。
「ごめんなさい、もっと頑張るから……。い、いらないって言わないで……」
「いらないなんて思ってないし、頑張ってくれてたのも分かってる。分かってるのに、俺が欲しがって無理させた結果がこれで、……倒れてる君を見た時、俺は本当に心臓が止まるかと思った」
たった一言が、びっくりするほど重たい。
「俺は君を殺したいわけじゃない」
「そ、そんなこと……」
そこまで心配しなくても大丈夫だと言い掛けた言葉が、東条の表情を見た瞬間に喉に痞えた。
由莉よりも先に、春川から色々と説明を受けていたのだろう。この病室に入って来た時も、今も、東条は酷い顔色をしている。
気を失っている間に散々悩ませて出させた答えがこれなのだと、嫌でも分かってしまう。
私と何かしたら、最悪死ぬ可能性があると思っているのだ。ここでどれだけ説得しようと頑張っても、そんな恐怖を覆せるわけがない。
それならもう、自分にできることは一つしかないと思った。
「……凪くんのとこ、行ってもいい?」
「聞かなくていいよ。俺が嫌だって言ったら行かないの?」
「うん、行かない」
即答した由莉に、肺の中身を出し切るような長い溜息を東条が吐いた。
由莉の肩口に額をつけるように頭を預け、表情が見えないまま落とされた声が由莉の鼓膜を揺らす。
「……君がそうしたいなら、止める権利なんて俺にはないよ」
「そんなこと……」
「今こうやって君が俺のところにいてくれるのは由莉が選んでくれたからで、由莉が俺と離れてアイツのところ行きたいって言うなら無理に閉じ込めたりできない。ヒートが来るたびに苦しむのは由莉なんだから」
「……そのくらい、別にいいって私は言ってる」
「望んでないよ、そんな事」
私だって、隆一さんとこんな形で終わりにすることは望んでいないのだ。
私がつらいとか苦しいとか決めつけて、優しい道ばかりを歩かせようとしなくてもいい。
番とのキスだけでも効果があると言っていた。
それだけで済む保証なんてないけれど、隆一さんの勧めた通りにするとしても、どうせ最終的に行き着く行為は同じだと思う。
一旦中和したら、またしてくれる可能性があるなら、もういいだろうか。
その状態で隆一さんに拒まれたら無理強いはできないけれど、まだできる事があるなら動きたい。
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