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 慌てて布団を被ったとはいえ、床に服が散らばった部屋で髪をぐちゃぐちゃに乱した女がベッドに組み敷かれているのだ。ナニをしていたのかなんて、想像に難くないだろう。
 綺麗な女性を目の前にして、「修羅場」の三文字が由莉の脳内を駆け巡る。

 凪も言っていた、番わないのは他に好きな人がいるからではないかと。
 そしてそれは、この人なんじゃないだろうか。

「ご、めんなさい……あの」
「勝手に入るな。何してるかくらい見れば分かるだろ。出て行ってくれ」
「はぁ?」

 人の濡れ場を見て逃げ出さずにいられる人が、この世界にどのくらい居るのだろう。
 由莉がこの女性の立場だったら、慌てて扉を閉めて逃げ出している。
 それとも恋人の浮気現場に遭遇した反応としては、こっちの方が正しいのだろうか。
 逃げるどころか堂々とベッドに近付いてきた女性が、睨むようにして由莉を見下ろした。

 電気を点けた訳ではないから、廊下から入り込む灯りくらいしか光源はない。それでも相当な美人であることが分かって、由莉は小さく喉を鳴らす。

「こんな状況でよく出て行けなんて言えるわね。頭冷やしなさいよクソガキ」

 美女がこちらに手を伸ばすので、頬でも叩かれるのではと一瞬身構える。しかし思っていた衝撃はなく、伸ばされた手は東条の耳を掴み引っ張っていた。

 無理やり東条との間に距離が空けられ、美女は耳を掴んだまま由莉の方へ視線を向ける。

「この馬鹿は押さえておくからシャワー浴びてきなさい。酷い顔してるわよ」
「……へ」
「おい、勝手に……」
「アンタは少し落ち着け。こっちの事はいいから、貴女は早く行きなさい」 
「勝手なこと言うのやめろ! そのまま逃げたらどうするんだ!」

 逃げるつもりなんてないと由莉が口にするより先、美女の手から物凄い速さで繰り出された手刀が東条の額を打った。

「……ッ」
「うるさいのよ黙ってろ。……貴女も、逃げたりしないでしょう? 一度綺麗にしてから戻ってきなさい。絶対に変な事させないから」

 綺麗な、強い女の人。
 私のような浮気相手がいても、まずはその異常な雰囲気を読んで気を遣ってくれる。
 そのくらい、気持ちに余裕があるのだろう。───愛されているという、余裕が。

 強い瞳で射貫かれて動けない。
 逆らうなんて選択肢は頭になく、気付いたら美女に向かって「はい」と小さな声で返していた。

「遅くなってもいいから、落ち着いてから戻ってきなさい」
 
 その言葉に小さく頷き、ベッドから抜け出して身体を隠すために服を羽織った。
 こういう反応が合っているのか分からないが、軽く会釈をしてから由莉は部屋を出る。

 残された二人の間に暫し沈黙が流れ、先に口を開いたのは女の方だった。

「リビングで待つから一分以内に着替えて来なさい。風呂場行ったら許さないわよ」
「……分かったから、早く出て行ってくれ」

 溜息を落として部屋から出て行った女の背中を見送った後、東条もゆっくり立ち上がり一度脱いだ服に袖を通す。
 時間の経過と共に冷静になっていくほど、由莉の泣き顔を思い出して頭が痛んだ。


*****


 完全に一分以上経過してから東条はリビングに入ったが、ソファで脚を組んでいる女が時間について言及することはなかった。
 顔を合わせて早々に本題といった感じで、「あの子が運命の番の子?」と東条に向かって話を切り出す。

「向こうから告白されるまで手は出さないって言ってなかった? 完全に襲ってるように見えたけど、アンタ何してたの?」
「……他の奴に食われた」
「は?」
「二年耐えて大事にしてきたつもりだったけど何も伝わってなかった。俺のために他に番作ったとか意味分からないこと言って、その口で好きな人と幸せになってほしいとか言ってくるから……多分、どっかでキレた」
「は、我慢してたも何も、全部アンタの独り善がりじゃない。で、その結果があの惨状なワケ? 相手が嫌がったら即刻やめなさいよクズ」
「頭に血が昇ってたとはいえ自分でも引いてる。……一度触ったら止まらなかった」

 深く溜息を吐きながら東条もソファに腰を掛ける。その正面に座る女は、腕を組んで背凭れに寄り掛かった。

「で、今後どうするつもり?」
「このまま結婚する」
「はぁ?」
「紙一枚出せば終わりだろ。もういい、待たない」
「うっわ……」

 心底理解できないとでも言いたげに顔を歪める女を前にして、東条は一切表情を変えない。
 無表情に淡々と喋るだけ。誰の意見も耳に入れるつもりはないのだと、その顔が物語っている。

「姉さんが来てくれたおかげで頭が冷えたし、あれ以上由莉を傷付けずに済んで感謝してる。無理に抱いて泣かせた事は誠心誠意謝るけど、そのまま手放せるかっていうのは別問題」
「全然冷えてないわよ。一回落ち着け」
「俺は冷静だしもう落ち着いてる。婚約してるんだから何も問題ないし、これが一番良い方法だろ」

 こうと決めたら絶対に譲らないことを、東条の姉である一華はよく知っていた。
 しかしこの件に関わっているのは立場の弱いオメガの女の子だ。人の意思や尊厳を無視して、お前の一方的な歪んだ恋情に巻き込むなと頭を殴ってやりたい。
 まあ、殴っただけで意見を変えないことは明白なので、一華はとりあえず拳を収めて説得を試みる。

「気持ちが欲しいから待つって言ってたのアンタでしょ。ブレてんじゃないわよ」
「そのつもりだったし、由莉の気持ちを尊重して何か言われたら身を引こうと思ってたよ。昨日までは」
「だったら……」
「でも実際に別れたいって言われたら無理だった。他の奴に触られて幸せそうにしてる由莉見るくらいなら俺の横でずっと泣かせた方がマシ。そうしないために努力はするけど」
「うわ、最っ悪……」
「別に何言われてもいい。好きとか嫌いなんていくらでも変わっていくし、一緒にいてくれたらそこからどうにでも出来るだろ。大体、カラー着けられてるオメガに近付いて襲う奴がまともなわけがないんだ」

 アンタも十分まともじゃないと一華が言い返すより先に、「もういいか?」と東条が話を切り上げる。

「あとは二人で話し合うから一旦帰ってくれ。結婚決めたら正式に顔合わせの場作って紹介するから」
「はぁ?」
「姉の前で好きな子を口説けるわけないだろ。横から口を挟まれたくもない」
「こんな話を聞いた後で帰れるワケないでしょ。嫌よ、弟が性犯罪者になるの」
「じゃあせめて別室にいてくれ。この場で手を出すつもりはないし、悲鳴とか聞こえたらすぐ入ってくれていいから。今は二人にして」

 しばらく言い合いを続けた後、結局折れたのは一華の方だった。
 隣の部屋で待機するから話し合い以上のことはするなと釘を刺し、一旦リビングから退室する。

 偶然にも、それと同じタイミング。
 脱衣所から出たばかりの由莉が、ピタリと廊下で足を止める。

 リビングで二人が何を話していたのかなんて全く知らず、色々と誤解したままの由莉が、東条よりも先に一華と廊下で鉢合わせてしまった。


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