上 下
25 / 30
初恋の話

4-2.これ以上なくさないように

しおりを挟む
「ハウバンから簡単に話は聞いているのよ。でもせっかくならリーシャの口から馴れ初めを聞きたいじゃない?」
「え? あ……お父様、なんて言っていたの……?」
「あら、ルビリアに滞在していた時に、結婚の約束をしたんでしょう? それがきっかけでプロポーズされたって話だったけど、あの人ったら本当にそれしか教えてくれないんだもの。どんな再会だったのとか、いろいろと聞きたいじゃない」

 ウキウキ、ワクワク、キラキラ。
 そんな効果音がつきそうな表情で見つめられ、リーシャは心の中で溜息を吐く。
 そこだけの説明を聞くと、確かに母の好みそうな話だなぁと思った。
 家の本棚には母が取り寄せたロマンス小説がたくさん並んでいたし、恋愛が演目のお芝居を母が好んでよく見に行っていたことを思い出す。
 少し前ならキラキラした話が出来たかもしれないけれど、今ではもう魔力を持つ後継と商会とのパイプだけを望まれた政略結婚だ。楽しい話にはなりそうもない。

「あのね、お母様……」
「それにしても、ダニス殿下って本当に素敵な方ねぇ。リーシャが子供の頃、よく男の子と遊んでいたって教えてくれたけど、あれってダニス殿下のことだったのね」
「……え? 遊んでた……?」
「その子とまさか結婚の約束までしているなんて思わなかったけれど。今になって約束を果たすなんて、本当にロマンチックで素敵よね」

 ふふっと笑みを向けられて、一瞬だけ頭を過った期待にまた影が落ちる。
 リーシャが結婚の約束をした相手はダニスではないし、その約束が果たされることはないのだ。
 子供の頃からずっと想いあっていた子と再会して結婚だなんて、もしもそんなことが起きたら、確かにロマンチックで素敵だろう。
 しかし子供の頃に交わした約束を守りたいなんてリーシャは考えてもいないし、それを守る義務もないのだ。
 幼い頃に何も考えずに交わした約束に深い意味はなく、相手の顔さえも思い出せない。
 リーシャの奥底に眠っていた記憶は、政略結婚を円滑に進めるため、手っ取り早く近付く理由に使われただけの何の意味もない約束だった。

「……その、違ったの。結婚の約束をした人は別の人で……」

 そこまで言いかけたところで、リーシャは一度言葉を止めてしまう。
 世話係の使用人は気を遣って席を外してくれていて、室内にはリーシャと母親の二人きりだ。聞かれて困る相手もいないのだが、それでもどう説明すればいいのか分からなかった。

(少しでも言い方を間違えたら、ダニス様が悪者みたいな誤解をされてしまいそう)

 ダニスときちんと話が出来たわけではないけれど、彼がリーシャの記憶を利用してきっかけを作ったことは、確定と考えていいと思う。
 結果的に最初から嘘をつかれていたということになるのだろうけど、リーシャはその行動を責める気にはなれなかった。
 約束を交わしたことをしっかり覚えていたわけでもないのに、深く考えず城に滞在することを決めたのは自分自身だ。
 それなのに、ダニスを好きになってから初めての感情に戸惑い、彼との思い出がないことが不安で勝手な行動をしてしまったと思う。その結果、ダニスの好きな人がリーシャではないと自ら暴きにいき、婚約を破棄したいと言い出したことでダニスを焦らせ、うまくいっていた関係まで壊してしまった。
 全部が裏目に出ている気がして嫌になる。
 ダニスの言動に浮かれて甘えて好きになって、こんな状況になっても懲りずに想いは残ったまま。全てを暴いてしまった今となっては必要ないことなのに、それでも、好きでいてくれる演技を続けて欲しかったと願ってしまう。
 自分の行動すべてが恥ずかしい。しかしそこを伏せて話そうとすると、ダニスに騙されていたような話になってしまう気がした。
 どう説明しようかと必死に言葉を探していると、不思議そうな表情をした母親にリーシャは顔を覗き込まれる。

「リーシャ?」
「あ、その……違ったの。私がいろいろと勘違いしていたみたいで……。なんというか、思い出とか約束した相手の名前とか、最初からちゃんと覚えていたらよかったのになって……」

 言いながら、卓上に置きっぱなしになっていた絵本にチラリと視線を向ける。中に挟んだ契約書はそのままで、あの日以降再び見ることもしていない。結局、相手の名前は分からずじまいだ。
 リーシャの目の動きを追って、母も同じ方向に視線を向けたのだろう。深い緑色の表紙を見て、ふふっと笑い声を溢した。

「あらあら、こんなところで見るなんて。あの絵本、随分と懐かしいわね」
「え? お母様、覚えてるの?」
「もちろん、よく覚えているわ。高熱でうなされていたリーシャが寝込みながら抱きしめて、ずっと離さなかった本だもの」

 懐かしい光景を思い出すように目を細め、リーシャを見つめながらおかしそうに笑う。「よくよく考えると、その本を抱きしめて眠ったのが、初めてルビリアに滞在した時のリーシャの最後の思い出なのよね」と続けられ、言われた意味がよく分からなかった。

「えっと、最後の思い出って言われても全然思い出せなくて……絵本を抱きしめて眠るようなことが何かあったの?」

 とても抱き心地がいいとは思えないけれど。
 そんなことを考えながら口にした質問に、思ってもいなかった返事をリーシャは聞くことになった。

「ほら、最後は確か……意地悪されたって泣きながら宿に帰ってきて、それきりになっていたでしょう? あのままルビリアを出てしまったから、きっとその時の子とは仲直りできていないのよね?」
「え……」

 ――それはまるで、どこかで聞いたような話。
 喧嘩別れになって、それっきり一度も会わずに離れてしまった子がいるのだと。そんな話と同じようなことを、確かにクリスが言っていた。

「……い、今の話って、どういうこと?」

 訊ねる声が少しだけ震えた。
 期待したって意味なんてないと分かっているはずなのに、どうしてこんなにも胸が騒ぐのだろうか。
 ついさっき、自分の行動を恥じたばっかりなのに。
 ただダニスとの共通点があるかもしれないというそれだけで、答えを待つ心臓がうるさい。

「確か、そうねぇ……ルビリアを発つ数日前にリーシャがびしょ濡れになって帰ってきて、そのせいで高熱を出したのよ。お友達に意地悪されて大切なものを失くしちゃったって泣いていてね、これはもう失くしたくないからって言いながら、寝てる間もずっと絵本を抱きしめたまま手離さなかったの。熱が下がったら興味を失ったみたいで、そのあと本はずっと放置されていたけれど」
「……それ、本当に?」
「あら、リーシャは覚えていないの? まあ、熱が下がった時には、その辺りであったこと忘れちゃったみたいだったし、リーシャはまだ小さかったものねえ」
「……っ」

 話を聞いても何も思い出せないのに、自分勝手な期待だけが胸の中で膨らんでしまう。
 もし、その時に喧嘩した子がダニスだとしたら。
 もし本当に、その頃にダニスと会っていたとしたら――なんて。
 クリスから聞いた話に、縋りつきたいだけなのかもしれない。
 それでも今は、なんでもいいから早く、とにかく早く、ダニスと話がしたいと思った。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

【R18】落ちた時から運の尽き

堀川ぼり
恋愛
強運な女の子がある男に借金を押し付けられ、返済のために抱かれてドロドロにされる話です ※ムーンライトノベルズにも投稿しています

【R18】寡黙で大人しいと思っていた夫の本性は獣

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
 侯爵令嬢セイラの家が借金でいよいよ没落しかけた時、支援してくれたのは学生時代に好きだった寡黙で理知的な青年エドガーだった。いまや国の経済界をゆるがすほどの大富豪になっていたエドガーの見返りは、セイラとの結婚。  だけど、周囲からは爵位目当てだと言われ、それを裏付けるかのように夜の営みも淡白なものだった。しかも、彼の秘書のサラからは、エドガーと身体の関係があると告げられる。  二度目の結婚記念日、ついに業を煮やしたセイラはエドガーに離縁したいと言い放ち――?   ※ムーンライト様で、日間総合1位、週間総合1位、月間短編1位をいただいた作品になります。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

最強騎士の義兄が帰ってきましたが、すでに強欲な王太子に調教されています

春浦ディスコ
恋愛
伯爵令嬢のセーラは国内最強騎士であるユーゴが義兄になった後、子爵令嬢から嫌がらせをされる日々が続いていた。それをきっかけにユーゴと恋仲になるが、任務で少しの間、国を離れることになるユーゴ。 その間に王太子であるアレクサンダーとセーラの婚約が決まって……!? ※タイトルの通りです ※タグの要素が含まれますのでご注意くださいませ

姉の夫の愛人になったら、溺愛監禁されました。

月夜野繭
恋愛
伯爵令嬢のリリアーナは、憧れの騎士エルネストから求婚される。しかし、年長者から嫁がなければならないという古いしきたりのため、花嫁に選ばれたのは姉のミレーナだった。 病弱な姉が結婚や出産に耐えられるとは思えない。姉のことが大好きだったリリアーナは、自分の想いを押し殺して、後継ぎを生むために姉の身代わりとしてエルネストの愛人になるが……。

処理中です...