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縮まる距離

2-1.不自然な距離

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 必要な場所に絞って案内してくれたおかげか、城内の案内にそれほど時間は掛からなかった。
 城内の案内が終わったあと、綺麗に手入れされた庭園を散策させてもらったけれど、夕食まではまだまだ時間があるくらいだ。
 自室に送り届けてくれた使用人の女性にお礼を伝え、一人になった室内で紺色のソファに腰掛ける。
 ただ城内を歩いていただけなのに、なんだか一気に疲れてしまった。

(ダニス様以上の男性はそういないってお父様は言っていたけど、思っていた以上に凄い人なのかもしれない)

 この国の第一王子であることは理解していたし、本来ならその時点でとんでもないことなのだ。
 しかし、ダニスがあまりにも親しい雰囲気で接してくれるものだから、友好的な態度に甘えて、少し気が緩み過ぎていたのかもしれない。
 会ったばかりで結婚の話をするなんて変な人だと思う気持ちもあったし、いろいろと楽観的に捉えすぎていた。
 少し考えれば分かることなのに、どうして気づかなかったんだろう。

「あれだけかっこいい王子様、人気がないわけないのになぁ……」

 見た目と肩書き。たとえそれだけしか知らなくとも、ダニスに想いを寄せてしまう女性は多いだろう。
 それに加えて、案内してもらう中で聞いたダニスの話は素晴らしいものばかりだった。
 国の発展のためにおこなった事例や、トラブルが起きた際の対応の早さ。社交的で人当たりもよく、ダニスの功績で結ばれた協定や条約も多いらしい。
 いずれ国王陛下の跡を継ぐことに反対する者がいるはずもなく、王太子として理想的な人柄だと、城内を案内してもらう中で、そんな話をたくさん聞いた。
 努力家で優しくて、欠点らしい欠点が見当たらない。
 人気があるのは予想していたけれど、思っていた以上だった。そんな人が、本当に私なんかを選んで結婚するつもりなんだろうか。
 深い溜息を吐きながら、リーシャはソファの背凭れに身体を預ける。
 子供の頃に交わした約束。たったそれだけでこんな縁ができてしまうなんて、彼を慕う人に申し訳ない気持ちになってしまう。
 ダニスが何を思っているのかも、正直まだよく分からなかった。


*****


 夕食の時間だと声を掛けられ、部屋で本を読んでいたリーシャは、使用人に連れられ食堂へ移動することになった。
 食堂に入ると席まで案内され、その数分後にダニスも姿を表す。「ごめんね。待たせるつもりはなかったんだけど」と謝られてしまい、全然待っていないことを慌てて伝えた。
 リーシャの顔を見て嬉しそうに瞳を細めたダニスは、そのままリーシャの正面の席に座る。
 運ばれてきた料理を食べながら話をして、夕食の時間は穏やかに過ぎていった。

「ねえ。このあと予定がないなら、もう少し俺に時間をくれる?」

 食事を終え、食後のお茶はどうしますかと使用人に訊ねられたタイミングだった。ダニスに問いかけられた内容に、リーシャは小さく息を呑み込む。
 ダニスの纏う空気がふと変わったことで、直接的な言葉にされなくても伝わってしまった。もう少しゆっくりできるところに移動しようと、そういう提案なのだろう。恐らく、ダニスの私室に誘われている。

「……えっと、移動するってことですよね」
「うん。お茶を飲むだけなら俺が普段使ってる部屋でいいかなって思って。その方が居心地もいいし」

 今度は直接的な言葉にされてしまい、膝の上においた手にぐっと緊張が走る。
 ダニスが使っている部屋なら、確かにダイニングの椅子よりはくつろげる空間なのだろう。しかし、こんなに分かりやすい誘いに乗るには、リーシャの方はまだいろいろと覚悟ができていないのだ。
 今はまだお互いのことをゆっくり知っていく期間だと、そういう認識をしていた。初日からこういう雰囲気を出されると、どうしても身構えてしまう。

「そんなに硬くならなくても、寝る時はちゃんと部屋に帰すよ。もう少し落ち着ける場所で話をしたいだけ」
「え……」
「大事に関係を作っていきたいから、無理にどうこうしようとは思っていないよ。とりあえず、今はそれだけでいいから信用して」

 ふわりと笑いかけられると、それだけで簡単に気が緩みそうになる。それほどにダニスの作ってくれる空気は優しくて温かい。
 本当に、簡単に絆されてしまいそうになるほど。
 きっと、魅力を知っていくほどに惹かれて、すごい早さで深いところに落とされてしまう。
 しかしそれはリーシャだけでなく、誰が相手であっても同じなのであろう。
 近付いて話して、少し思わせぶりな態度をとられたら簡単に落ちてしまうような、そんな魅力がある人なのだ。
 一方リーシャは、自分が魅力溢れるような人間ではないと自覚していた。男性と付き合った経験はないし、誰かから熱烈な告白を受けたこともない。
 だからこそ、どうしてこんなことを言われているのだろうと不思議に思ってしまう。
 信用して欲しいなんて、そんなことを言われるような立場ではないのだ。

「……っあの、信用、していないわけじゃないんです。ただ、今日お城の中を案内してもらいながらたくさんダニス様のお話を聞いて……改めて、素敵ですごい人だって思いました」
「え? ……うん? ありがとう?」

 困ったように微笑まれて、自分の気持ちを上手に伝えられないことがもどかしくなる。
 簡単に言ってしまえば、自分はあなたには吊り合わないというだけのことなのだ。しかし直接そう伝えたところで、ダニスは優しく否定してくれるのだろう。それが容易に予想できるから口にできない。
 そんなことないよと言われて、安心したいわけではないのだ。ただ、お互い後悔しないよう慎重に進めていきましょうと、最初にそういう話がしたい。

「それで、その……まだ知らないことがたくさんあると思うし、ダニス様も私のことを知らないと思うので、もし今の曖昧な状態のままで流されてしまったら、多方面に迷惑をかけるんじゃないかとか、いろいろと考えていて」
「迷惑っていうのは?」
「……自意識過剰なのは分かっているんですけど、ダニス様のお部屋に行くとなると、あの……少しだけそういう可能性も考えてしまって。ダニス様がこれから私のことをどう思うかも分からないのに、責任がついて回るような状況にしたくないなと……あ、本当に意味のない心配だって分かっているんですけど、でも……」

 どんどん恥ずかしいことを口走っているような気がして、リーシャの視線が床に向けられていく。
 自分に相手を惑わすような魅力があるとは決して思っていない。しかし、頭に過った可能性を完全に消すことはできなかったのだ。
 これまで様々な国に訪れる中で、恋愛の話と同じくらいに、そういった類の話を聞いてきた。お酒を飲んだあとの過ちだったり、雰囲気に流された一夜だけの関係だったり、それこそ、そんな気がなかったのに、ベッドに押し倒されてどうしようもなくなってしまった女性の話も聞いたことがある。
 男女二人で一つの部屋に入る意味を、どうしてもそういう風に捉えてしまったのだ。ダニスを悪者にしたいわけではないのに、こんな言い方をして気を悪くさせてしまったかもしれない。
 言うべきではないセリフだったと、心の中で後悔する。そんな中でかけられた「ああ、なるほどね」というダニスの声は相変わらず優しくて、リーシャはおそるおそる顔をあげた。

「そんなに申し訳なさそうな顔で話さなくてもいいよ。全然、自意識過剰なんかじゃないから」
「は……」

 少しだけ低くなったように感じたダニスの声に、思わずリーシャの口から息が漏れた。
 おかしな不安を口にしてしまったリーシャに対して、ただフォローしてくれただけだと信じたい。今の言い方では、まるでそういう下心があったように聞こえてしまう。

「ああ、でも本当にまだ何もする気はないよ。雰囲気で流して手を出そうなんて考えてないし、それだけは信用してくれる?」
「あ、あの……」
「今はまだお互いのことを知る機会だって思ってる。リーシャの気持ちがないのに触れても虚しいだけだから」
「あ、そうです、よね……? お互いのことを知る期間で、えっと……」
「まあ、気持ちが伴ったら、その時はすぐにでもって思ってるけど」

 ふわりと笑顔を向けられて、それ以上の返事ができなくなってしまった。
 今、なんだか、とんでもないことを言われた気がする。

「心配なら扉は開けたままでいいし、大声で叫んだらすぐに誰かが駆けつける状態にしておく。本当に、ただお茶を飲みながらもう少し話がしたいだけ。いい?」

 今のリーシャとダニスの間には、長いダイニングテーブルの幅と同じだけの距離が空いている。
 このままでも会話は出来るが、会食や会議といった雰囲気の方が近い。もっと親しく話をするには、もう少しくらい距離を縮めた方が自然だろう。
 お互いのことを知る機会にしようと、そのために城への滞在を決めたのはリーシャだ。少し距離を縮めて話すだけの誘いを断るくらいなら、最初から城に泊めてもらう必要なんてなかった。
 なにより、こんな視線を向けて訊ねられたら、断る言葉なんて出てこない。

「……はい、大丈夫です。私も、ちゃんとダニス様とお話しがしたいので」

 少し硬い声になってしまったけれど、もっと話がしたいというリーシャの気持ちは、ちゃんとダニスに届いたらしい。
 リーシャの返事を聞いて、心底安心したようにダニスの表情が柔らかいものに変わった。

 
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