【完結・R18】結婚の約束なんてどうかなかったことにして

堀川ぼり

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再会と約束

1-3.得意な魔法

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 城への滞在を決めたリーシャを残し、ハウバンは先に宿へと帰っていった。
 今回は二ヶ月ほどルビリアに滞在する予定となっているが、旅行ではなく仕事で来ているのだ。他国の勉強や社会経験を積むための手伝いとして来ているリーシャとは違い、ハウバンは予定が詰まっていて忙しい。
 ダニスと国王に挨拶を済ませた父を見送り、リーシャは再びダニスと二人きりになってしまった。
 いや、壁一枚隔てた場所に護衛が待機していることは分かっているのだが、今は姿が見えないのだからもう二人きりということでいいだろう。
 こうやって二人きりになってしまうと、まだ少し緊張してしまい落ち着かない。
 そんなリーシャに柔らかく笑いかけながら、「とりあえず部屋まで案内しようか」と、ダニスは客室の扉を開けて廊下に出る。その後ろを、リーシャも大人しく着いて歩いた。


「そういえば、リーシャの荷物はまだ宿に?」
「はい。急なお話だったので今日は必要最低限の物しか持ってきていなくて。お部屋まで案内してもらったあとに自分で運ぼうかと」
「宿に取りに行く? 必要なものさえ教えてもらえれば使いを出すけど」
「いえ、大丈夫です。仕事によく使うので移動魔法だけは結構得意ですし、父にも話してあるので自分で手早く済ませます」

 歩きながらそんな会話を交わしていると、ある一室の前でダニスが足を止める。
 城で夜会が開かれる際、客人が休憩できるように開放される部屋がいくつもあるらしいが、案内されたここもそのうちのひとつなのだろう。
 ダニスが扉を開け、促されるままにリーシャも室内に足を踏み入れる。
 入り口の真正面、美しいライトブルーの壁と、そこに掛けられた絵画が真っ先に目に入った。

「わぁ……!」

 泊まる予定だった宿よりも三倍は広さがある室内に、リーシャは思わず息を漏らす。
 部屋の中心には白いテーブルと紺色のベルベット調ソファが置かれていて、一人で使わせてもらうには贅沢すぎる部屋だ。
 奥にある大きな天蓋付きのベッドにも、思わずテンションが上がってしまう。
 壁で隔たれた空間にはバスやトイレも備え付けられているらしく、さすがお城の客室だと感心する。
 こんなに素敵な部屋が、城内にまだたくさんあるのだろう。

「あとで改めて城内の案内はさせるけど、とりあえずこの部屋は自由に使ってくれていいから。食事するのは別の場所になるけど、普段過ごす部屋として不便はないと思うよ」
「不便だなんてそんな、この半分の広さでも十分すぎるくらいです」
「そう? リーシャが気に入ってくれたならよかった。何か足りないものがあれば、言ってくれたらその都度用意するから」

 足りないものなど全く思いつかないが、ダニスが気遣ってくれていることは伝わる。
 その場に立ったまま室内をぐるりと見渡し、改めてダニスに向かい感謝の言葉を口にした。

「いえ、あの……とても素敵なお部屋を貸してくださってありがとうございます」
「ここでの生活を気に入ってくれて、そのままずっと滞在してくれるようになったら嬉しいんだけど」
「へ……」

 視線を合わせると優しく微笑まれてしまい、なんだか少しだけ気恥ずかしい。
 照れていることを悟られたくなくて、ダニスと距離を取るために、リーシャは早足で部屋の中心まで足を進めた。
 少し不自然になってしまったかもしれない。それでもどうにか空気を変えたくて、気まずい雰囲気を誤魔化すようにダニスに背を向けたまま声を出す。

「あ、それではその……荷物を! せっかくなのでもう運び込みますね」

 家具の置かれていない、広いスペースのある床にちらりと視線を向け、リーシャは腰に巻いていたツールボックスからチョークを取り出す。これはリーシャが常に持ち歩いているアイテムの内のひとつだ。
 商人である前に、魔法使いの一族であるクラウディア家。そこに生まれたリーシャも、もちろん魔力を有している。
 しかし、手をかざして念じれば即座に発動するような高度な魔法は使えない。いくら使用頻度の高い移動魔法とはいえ、慣れていれば簡単にできるというものではないのだ。
 そういうのは、長年魔法の研究を行い、実績を積んだ者だけが辿り着ける境地である。
 一部の高練度な魔法使い以外は、自分の魔力を込めた道具――だいたいは杖や水晶である――を駆使したり、呪文の詠唱をすることで魔法を使う。やり方はいろいろとあるが、どんな方法が自分に合っているのかを、幼い頃に片っ端から試して見つけていくのだ。
 リーシャも過去にいろいろと試した結果、魔法陣を描くやり方に落ち着いた。
 父と共に様々な国を訪れるかたわら、魔法陣を使って魔法を発動する練習も重ねてきたのである。他よりも多少手間と時間のかかるやり方ではあるが、リーシャはこの方法が一番魔力を込めやすい。

「あ、描いたものはあとで綺麗に消せるので、安心してください」

 部屋を汚すつもりはないということを事前に伝え、ダニスが軽く頷いてくれたのを確認してから床に膝をつく。

(泊まる予定だった宿に入ったとき、部屋の隅にあるベッド脇に置いたはず。皮素材の、ずっと愛用している茶色のトランクケース)

 ここに呼び寄せたいものの詳細を思い浮かべながら、手早く魔法陣を描いていく。
 現在置かれている場所と、物の形状。それさえきちんと把握しておけば、この魔法が失敗することはほとんどない。
 描き終えた魔法陣の真ん中に手を置き、軽く叩くと魔法が発動する。
 無事に成功したようで、光が消えるとそこには皮のトランクケースが置かれていた。

 ダニスの前でいつもより少しだけ気を張っていたリーシャは、普段通りに力を使えたことに内心ホッと息を吐く。取り寄せたばかりのトランクが邪魔にならないよう、部屋の隅にある白いチェストの横に移動させた。
 使い終わった魔法陣にはなんの効力もないので、ツールバックから取り出した布で拭き取って綺麗に消す。
 描くのに使ったのは普通のチョークだが、この布はクラウディア商会で扱っている魔道具だ。元の素材を一切傷付けずに落書きや汚れが消せるよう、複雑な魔法が染みた繊維が編み込まれている。
 荷物を取り寄せたあと、こうやって魔法陣を消すまでが一連の流れだ。
 そこまで終えたところで、後ろから声をかけられリーシャは振り向く。目を合わせた瞬間、ダニスの金色の瞳がすっと細められたように見えた。

「さすが慣れてるね。仕事でよく魔法は使うんだっけ?」
「その、父の仕事を手伝う際にどうしても必要な時があるので、子供の頃に移動魔法だけはたくさん練習したんです。大きくて重い物を依頼された時や、荷台つきの馬車が通れない場所に商品を卸す時は魔法に頼ることが多いですね。いつかは必要なくなるといいんですけど、今はまだ色々と難しいので……」

 この国のように、いろんな町や村に行き来がしやすい道が整備されている土地はそんなに多くない。そういう土地に住む人にも必要な商品が渡るように努力はしているけれど、そのためには魔法に頼ってしまう場面も多いのだ。
 誰でも重いものを運べるような道具があったら便利だと思うし、山に囲まれている村までの道が整備されたら、そこに住む人々も生活しやすくなるだろう。しかしそれを叶えるには、リーシャ個人の力では難しい。
 必要とする人が時間をかけて何かを生み出し、そうやって世界はどんどん豊かになってきた。
 魔法を使えない人間が大多数であるからこそ、人類は知恵と工夫で住みやすい国を作り上げてきたのだ。
 魔法は万能ではないけれど、足りない部分を補える力だと思う。新しい道や道具が作られるまでは、上手に魔力を生かすことが出来たらいいなと思っている――と、そんな話をダニスに語っているような状況に気付き、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。

「あ……その、全部解決はできないから、出来ることで協力はしていきたいなって思ってるだけなんですけどね。魔法使いとして活躍している親族に比べたら全然……できないことも多いし、私は魔法が得意というわけではないので、自分にできる力の使い方を学んでいる最中で……」
「いや、いいよ。安心した」
「え?」
「……うん。俺もリーシャと同じだよ」

 ふわりと笑ったダニスの言っていることがよく分からず、どう返事をすればいいのか迷ってしまう。
 悪い人ではないと思うけど、この違和感はなんだろう。

「あの……」
「ああ、ごめん。このあと用事があって、もう行かないといけないんだ。城内の案内は頼んであるからリーシャは好きに過ごして。夕食の時間は空いているから、その時にまたゆっくり話をしよう」

 合図を送ると同時に入ってきた使用人に、ダニスが何かを託ける。ひとことふたこと言葉を交わしてから、ダニスの視線が再びリーシャの方に向けられた。

「それじゃあ、あとは任せたから。リーシャ、また後で」

 最後にそれだけ言って、ダニスは部屋から出て行ってしまう。
 用事があるという彼を呼び止める理由も思いつかず、「あ、はい。また後で」という当たり障りのない言葉しかリーシャは返すことができなかった。

 ――城に滞在させてもらうという選択をして、本当によかったのだろうか。
 ダニスの退室後、すぐに使用人の女性が声を掛けてくれたが、彼女の話してくれる内容に集中することができなかった。
 本当にここにいてもいいのかと、そんなことを繰り返し考えてしまう。
 魔法を使っているところを見せた瞬間、一瞬だけダニスの空気が変わったような気がしたのだ。その反応の何に引っかかっているのかよく分からないまま、リーシャの心の中にほんの少しの不安が滲んだ。
 
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