【完結・R18】結婚の約束なんてどうかなかったことにして

堀川ぼり

文字の大きさ
上 下
2 / 30
再会と約束

1-2.第一印象

しおりを挟む
 商談を終えたハウバンが客室にやってきたのは、ダニスに城への滞在を持ちかけられてから数十分後のことだった。
 ルビリアの城へ訪れるのは今日が初めてではないし、ハウバンとダニスは顔見知りなのだろう。親しげに挨拶を交わす二人を前に、リーシャは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
 しかしそんな願いが天に届くはずもなく、「すぐに帰ることもないでしょうし、どうぞゆっくりしていってください」というダニスの言葉によって、リーシャの隣にハウバンが腰を下ろす。
 新しく三人分の紅茶まで出されてしまい、すぐに帰れるような状況ではなくなってしまった。

(……どうやってお父様に話を切り出せばいいんだろう)

 ティーカップに口を付けながら、テーブルを挟んだ正面のソファに座るダニスを盗み見る。目が合った瞬間に柔らかく微笑みかけられ、リーシャの手のひらに汗が滲んだ。
 相談すると言った手前、何も話さないでやり過ごす事はできない。
 しかし、話をする場はダニスの目の前なのである。幼い頃に結婚の約束をしたことや、再会してプロポーズをされたことはこの場で話せたとしても、自分にそんな記憶が全くないなんてことはさすがに話せない。
 いや、求婚されたこと自体が大ニュースではあるし、相談の前にとりあえず報告をしなければいけないことは変わらないのだ。それでも、このままトントンと話が進んでしまったらどうしようという不安が消えず、最初の言葉に迷ってしまう。
 せめて父と二人きりになれないかと、そんなことを考えている最中だった。ダニスと談笑していたハウバンが、自然な流れで話題を切り替える。

「私の商談中、まさかお忙しい殿下がリーシャの話し相手になってくださっていたなんて、使用人の方に聞いた時は驚きましたよ。名前で呼び合うほど仲良くさせていただいたみたいですが、一体どんなお話を?」
「ああ、そうですね。ねぇ、リーシャ」

 急に話を振られ、二人分の視線が一気にリーシャに向く。
 この質問に回答をするなら、もう報告は避けられない。王太子殿下の前で嘘を吐くわけにもいかず、リーシャは諦めて口を開いた。

「あ……実は子供の頃に、結婚しようって誓約書を書いたことを殿下が覚えていてくれて……それで、その、再会したし結婚しようかって話を」
「え、は……? 結婚……?」
「あ、でも違うの! 今日いきなり結婚を決めるって話ではなくて、返事はすぐにじゃなくてもいいってことだから」
「とりあえず改めて仲を深めるために、ルビリアに滞在する間は宿ではなくここを使ってはどうかと。そう提案したところです」

 リーシャの説明に割って入ったデニスの言葉に、ハウバンは「ああ、はぁ、なるほど?」と曖昧な返事をした。
 どうやらまだ、話の展開の早さに脳の処理が追いついていないらしい。当の本人であるリーシャでさえ、現状をまだ飲み込めていないのだ。その反応は当然である。
 浮いた話の一つもなかった娘が、急に他国の王太子と結婚しようと言い出したのだから、何を言われているのか分からないだろう。
 しかしハウバンは、急な話に混乱しながらも、なんとか現状を飲み込んだらしい。話の続きを促そうと、ハウバンが一度リーシャに視線を戻した。
 そこでようやく、リーシャの様子が普段とは違うことに気付く。
 何か言い辛いことがあるのか口を噤み、不安そうに表情を硬くしている。娘のその様子を見て、いろいろと察してくれたのだろう。
 本当はなにか粗相でもしたのではないかと不安を覚えながらも、ハウバンは改めてダニスに向き直った。

「ああ、申し訳ない。いろいろと急なもので驚いてしまった。一旦、娘と二人だけで話をさせていただいてもよろしいですかな」
「ええ、もちろん。それでは俺は少し席を外しますね。リーシャ、また後で」

 優しい声と共にふわりと笑いかけられ、リーシャはどういう反応をすればいいのか分からなかった。
 ダニスが席を外してくれることに安心していると悟られないように、とりあえず愛想笑いを貼り付ける。父の仕事を手伝う中で覚えた営業用の笑顔だ。その表情のままで、「はい、また後で」と返事をする。
 ダニスが部屋を出てから数秒後、先に口を開いたのは父であるハウバンの方だった。

「リーシャおまえ……はぁ、いつの間に結婚の約束なんてしていたんだ。しかも相手はダニス殿下だなんて、幼い頃にした約束とはいえ、王族を相手にそんな大それたことをおまえは……」
「それが、その……実は何も覚えていなくて……」
「はぁ?」

 記憶はないけれど、契約を交わすという行動に心当たりはあること。
 子供の交わした契約なんて無効にしても問題ないだろうけど、他国の王族を相手になんと説明したらいいのか分からなかったこと。
 先ほどの報告よりも詳しく、今度は自分の気持ちを織り交ぜながら、順を追ってダニスとの会話を父親に説明していく。
 一通りの話を終えたリーシャを前に、ハウバンはまた小さく溜息を落とした。

「まあ……殿下も結婚を望まれる年齢だ。周りにいろいろ言われていて煩わしくなり、タイミングよく城に来たリーシャにただ声をかけてみただけだという可能性も」
「約束した相手がいるから結婚の申し出は全て断っているって、そう言ってた」
「その約束した相手がリーシャと?」
「まあ、うん……。そういうことだと思う」

 そこまで話をしたところで、しばしの沈黙が訪れる。
 何かを考えるようにしたあと、ゆっくりと口を開いたのはハウバンだった。

「あまり興味がないのかと思って話してこなかったが、リーシャも、もう結婚を考えておかしくない年齢だと思っている」
「うん。そうね」
「恋人を作るような環境になかったのは、私の仕事を手伝ってあちこち飛び回らせている所為だとも思っていた。おまえが望むなら見合いの席を用意するつもりだったし、近いうちに私の方から話をしようとは思っていたんだが……。まず、リーシャはそういったことに興味はあるのかい?」
「それは、結婚願望ってこと?」

 肯定するように頷かれ、リーシャも改めて考えてみる。
 まだ恋もしたことがないのにと嘲笑されるかもしれないが、正直、いつかは自分も結婚するものだと思っていたのだ。
 家庭を築く憧れも、誰かを好きになって愛されてみたいという欲も普通にある。
 友人の恋の話を聞いて羨ましいと思ってしまうことだってあったし、巷で人気の恋愛小説や演劇にも心を動かされた。
 いつか自分も同じような経験ができたらいいなと、年相応の夢や憧れはある。
 もちろん、誰かと想い合って結婚に至ることが出来たらそれが理想だが、たとえお見合いで出会った相手でも構わないのだ。信頼できる人と生涯添い遂げることが出来るなら、それは素敵なことだと思う。

「その……私だって興味はあるし、憧れはしていたの。幸せそうな顔で手を繋いで歩く恋人同士とか、ずっと互いを支え合ってきて信頼し合っているご夫婦とかたくさん見てきたから、私もいつか誰かとそういう関係になれたら素敵だなって……」
「ダニス殿下とは今日が初対面だったか? 実際に話してみてどう思った?」
「どうって言われると……」

 第一印象は、素敵な人だと思った。
 客室に入ってきた時の佇まいは洗練されていて、急に現れた美丈夫にリーシャは一瞬目を奪われたくらいだ。
 低い声なのに話し方は柔らかく、凛々しい顔つきなのに始終穏やかな表情をしていて、相手に威圧感を与えない。
 この国の王族の悪い噂を聞いたことがないし、ダニスが貴族からだけでなく、平民からも人気があるのは知っている。
 そもそも悪い人間だったら、ハウバンが大切にする顧客とはなっていないだろう。
 直接の顧客は現国王でありダニスではないのだが、先ほどの会話を見ている限りでは、父とダニスは親しげであった。おそらく、父が気に入るくらいにダニスは性格も良いのだろう。

「……すごく、素敵な人だと思う」

 子供の頃に遊んだだけの女に結婚を申し込むところは、少し変な人だなと思うけれど。心の中でそう付け加え、ハウバンの返事を待つ。
 リーシャが口にした今の回答は決して嘘ではない。
 世間一般的に見ても、リーシャの主観で見ても、ダニスは本当に素敵な人だと思う。しかし、だからこそ身構えてしまったのだ。
 幼い頃に約束した相手をずっと想っているだなんて、そんなの物語の中でしか聞いたことがない。それも、ずっと会っていなかった人間が相手なのだ。
 今まで誰にも相手をされなかったような人が、縋るように過去の思い出の子に夢をみていたというならともかく、ダニスはそうではないだろう。
 それなのに、子供の時に約束しただけのリーシャを「待っていた」と迎えたのだ。色々とおかしい。
 本当に幼い頃の約束を守りたいだけだというのなら、少々ロマンチストを拗らせていると思う。

「いつか誰かと結婚をと考えているのなら、ダニス殿下以上のお相手はそうそういないぞ」
「え……」
「結婚に全く気が乗らないのならともかく、そうじゃないなら城への滞在はいい機会じゃないか。お互いを知るために時間を作りたいというのが殿下の提案だろう?」

 果たしてそうなのだろうか。
 ただ逃げ道を塞がれるだけの選択のような気もするけれど、実際に「返事は今すぐにじゃなくてもいい」と言われている。返事をする前に、互いのことを知る機会を設けてくれただけなのかもしれない。
 それに、プロポーズ紛いのことを言われたとはいえ、ダニスだってリーシャのことを知る機会は必要だろう。
 その結果、結婚を断られるのはリーシャの方かもしれないけれど。

「まあ、うん。確かに貴重な機会ではあるよね……」

 リーシャの零した独り言のような声に、ハウバンも一度大きくうなずく。
 城での滞在なんて、滅多にできるものではないのだ。
 貴重な機会への興味に押し潰され、いつの間にかリーシャの中からは、不安な気持ちが搔き消されていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

国王陛下は愛する幼馴染との距離をつめられない

迷い人
恋愛
20歳になっても未だ婚約者どころか恋人すらいない国王ダリオ。 「陛下は、同性しか愛せないのでは?」 そんな噂が世間に広がるが、王宮にいる全ての人間、貴族と呼ばれる人間達は真実を知っていた。 ダリオが、幼馴染で、学友で、秘書で、護衛どころか暗殺までしちゃう、自称お姉ちゃんな公爵令嬢ヨナのことが幼い頃から好きだと言うことを。

獣人公爵のエスコート

ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。 将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。 軽いすれ違いです。 書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...