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再会と約束

1-1.昔の約束

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 子供の時の約束や交わした契約に、有効期限なんて設けていない。それは全てごっこ遊びの延長で、無効になることが前提としてあるからだと思う。
 お喋りができるようになって、周りの大人たちの真似をしてみたりして、無邪気に遊ぶ年頃の子供が一体どこまで分かっているのだろうか。
 語彙が増えてよく喋るような子であったとしても、その単語の意味をしっかりと理解できていないことの方が多いだろう。
 幼い子供の発言を、大人になった今でも本気にしている人の方が珍しい。そう思う私の感覚の方が普通のはずだ。
 しかし、その約束を持ち出してきた人が自分よりずっと身分の高い人だった場合、一体どう断ればいいのだろうか。
 契約。約束。契り。
 そんな言葉を言われる度に背筋が伸びる。

「ねぇ、リーシャ」

 名前を呼ばれて顔を上げると、楽しそうに笑んだ金色の瞳が私を捉えた。目の前の彼が首を傾けると同時に、空と同じ色の髪がふわりと揺れる。
 恭しく手を取られ、私の指先に形のいい唇が触れた。

 リーシャ・クラウディア、十九歳。
 私は現在、この国の第一王子から婚約の申し出を受けている最中である。
 子供の頃に約束をしたからと、ただ、それだけの理由で。


*****


 そもそもの始まりは、父親の仕事を手伝うために城へ訪れたことだった。
 商人である父親の仕事について行くのは今回が初めてではなかったし、今日もただ、荷物搬入の手伝いをするために城に来たのだ。
 まさか城内で顔を合わせた王太子にプロポーズされるなんて思うわけがない。
 いつも通りに仕事を終えたら美味しいものでも食べて帰ろうかと、それくらいのことしか今朝のリーシャは考えていなかった。

 クラウディア商会は、リーシャの父であるハウバン・クラウディアが一代で築き上げ、大きくした商会である。
 扱っている商品は様々で、顧客の要望に応えるためにいろんな国を渡り歩いて仕入れをし、仕入れのために訪れた国でまた新規の取引先を開拓していくことで、大きな組織となっていった。
 そのくらいの営業努力は多くの商人が行っているだろうが、クラウディア商会の大きな特徴として、仕入れの難しい魔道具や、魔法石を加工した装飾品を多く扱っていることが挙げられる。
 魔法を使える者は、この世界の人口のうち5パーセントほどだと言われていて、その魔法使いの数も年々減少傾向にある。その魔法を、誰でも使える魔道具や魔法石に加工できる技術を持つ者は更に少ない。
 歴史の浅いクラウディア商会になぜこんなにも多くの魔道具が卸されるかというと、理由は単純で、ハウバンの知り合いに魔法使いが多くいるからである。
 知り合いというより、親族のほとんどが魔法使いだと言うべきか。もともと、クラウディア家といえば魔法使いの一族として有名だった。
 膨大な魔力を持って生まれ、その魔力を有用に使うために魔法に関して学び、国に貢献する。
 そんな家に生まれたハウバンは、自分に魔法の才はないと早々に諦めたらしい。その代わりに人との交流に重きを置き、その中で人々の求めに自分が出来ることは何かと考えたのだ。
 そうして導き出された解答が「商売」であり、経済と商業を学んだハウバンはクラウディア商会を立ち上げる。
 当時、いくつもの仲介業者が入ることで、魔道具は高値で取引されるものになっていた。高値だというそれだけの理由で、コレクションとして魔道具が貴族に渡ってしまうことも多く、必要とする人への供給が行き届かない。
 希少価値を高めるために供給を絞っているのではないかと、そんな批判だけが直接魔法使いのもとに投げられ、得をするのは悪質な商売をする人間だけ。
 そんな中で、適正な価格で必要なものを必要とする人に売買する。その役を担ったのがクラウディア商会である。
 ハウバンへの信頼と、悪徳業者に利用されたくないという魔法使いの利害の一致で卸された多くの魔道具。初めのうちはクラウディア家の魔法使いが作った道具や魔法石だけを商品として扱っていたが、その規模はどんどん大きくなっていった。
 顧客の需要を聞き、仕入れの幅を広げ、たった数十年でこの大陸一の規模となったのである。
 こうして、魔法使いになるだけだったクラウディア家の人間に、もう一つの選択肢が出来たのだ。

 さて。ここで、話を冒頭に戻そう。
 父の商談中、別室で待機するように言われ、客室に通されたリーシャを待っていた男――結婚の約束を持ち出した第一王子を前に、リーシャはごくりと喉を鳴らした。
 目の前の人物とは初対面のはずで、結婚なんて大それた約束をした覚えはない。しかし、子供の頃の約束と言われると、心当たりはいくつもあった。
 父と同じく、魔法使いよりも商人の仕事に幼いリーシャは興味を持った。それは、近しい人間がしている事を面白そうだと思っただけなのかもしれないし、幼すぎて魔法の複雑さに理解が追いついていなかっただけかもしれない。
 子供の頃に描いた夢は、どこかで変わってしまう可能性の方が高い。それでも、「どんな道を選ぶにしても、広い世界を知っておくのは悪いことじゃない」と、父であるハウバンはそう言って、リーシャをいろんな国に連れて行ってくれた。
 この広大な大陸の中に、いくつの国があるだろうか。
 商人である父親と共に様々な国に訪れ、リーシャは様々な人に出会った。父の仕事中は宿で留守番することも多く、その時間はよく現地に住む歳の近い子供と遊んでいたのだ。
 遊んでいたひと全員の名前や顔は思い出せない。顔を思い出せたとしても、成長して随分と雰囲気は変わっているだろう。
 どこの国の、誰と、いつ、どんな遊びをしたか。古い記憶であればあるほど、正確に思い出せることの方が少ない。断片的に覚えていることはいくつもあるけれど、幼い自分の記憶力に自信はなかった。
 ただ、どこの国に訪れたかくらいはさすがに記憶している。今のリーシャに分かるのは、自分がこの国に来たのは初めてではないということくらいだ。
 可能性がある以上、リーシャが過去に遊んだ子の中に、目の前の人物がいてもおかしくない。

「あの、殿下……」
「子供の頃のように名前で構わないよ。ダニス、呼んで?」

 聞き覚えがある名前だが、そんなの知っていて当然である。
 ダニス・ヒセメル・ブライア様。
 ユシエール大陸の北西にある大きな国、ルビリアの第一王子だ。
 子供の頃のようにと言われても、今のリーシャに、そんな呼び方をした記憶は全く無い。

「……ダニス様。その、子供の頃に結婚の約束をしたと言われましてもそれは」
「結婚するっていう契約書」
「へ……?」
「持ってきた方がいい? 書いてたよね?」
「え? あの……?」
「紙にお互いの名前を書いて判を押して、その紙を破って半分ずつ持つことで契約完了。昔の君がそう言ってた」

 言われた内容に心当たりがありすぎて、指先が小さく震える。
 断片的にしか覚えていないし、誰と遊んでいたのか定かではない。しかし、繰り返し繰り返し同じようなことをして遊んでいたからこそ、そのやり方には覚えがあった。
 リーシャは昔からごっこ遊びが好きで、父の仕事の真似事をしていたのだ。
 他愛もない約束を契約だと言いながら、紙に互いの名前を書いて判を押す。その紙を半分に千切り、片割れを控えとして相手に渡していた。
 ダニスが口にしたのは、そんな、父を真似たごっこ遊びのやり方だ。
 字を覚えたてのリーシャが書いた名前なんてぐちゃぐちゃで読めたものではないだろうし、判はオモチャのスタンプである。
 そんな紙に法的な効力があるとは全く思えないけれど、王族を相手に交わした約束だとすると、いろいろと意味が変わってしまう。
 しかも相手は、その契約書を今でも持っているというのだ。子供の遊びだからと切り捨てるのは、さすがに不敬にあたる気がする。

「思い出してくれた?」
「……お、ぼえてます」
「そう。よかった」

 リーシャを相手に話し掛けるきっかけを作る必要なんてないし、最初から嘘を吐いていると思っていたわけではない。ただ、何かの勘違いである可能性は考えていたのだ。しかし、契約書の話を聞いた途端に信憑性がぐっと増す。
 子供同士の他愛もない遊びだったはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。
 リーシャの方は何も覚えていないし、もし変に責任を感じているだけなら気にしなくていいと説明しよう。そう思いリーシャが口に出した第一声は、先に紡がれたダニスの声によって掻き消されてしまった。

「本当によかった。こうして会いに来てくれて」
「え……」
「今までにいくつか結婚の申し出もあったけど、約束した相手がいるからとずっと断ってきたんだ」

 告げられた内容に思わず息が止まりそうになる。
 こんなことを聞かされては、否定の言葉など軽々しく言えなくなってしまった。
 なんと返せばいいのか分からず、苦し紛れの言葉だけがリーシャの口をつく。

「っあ、その……ダニス様は、ずっと会っていなかった私なんかより、結婚したいと思う人はいなかったんですか……?」
「いないね。約束は守る主義なんだ」
「そう……ですか」
「と言っても、再会して早々に、いきなり結婚なんて言われても困るだろう? 別に返事は今すぐじゃなくてもいい」

 思いがけない言葉にリーシャがパッと顔を上げると、ダニスの金色の瞳が優しげに緩む。
 返事を考える時間が出来るとリーシャが安心したのも束の間、伸ばされた指先が、リーシャのペールベージュの髪をゆっくりと掬った。

「お父上から聞いているけど、しばらくこの国に滞在予定なんだっけ? わざわざ宿に戻らなくてもここを使ってくれていいよ。まだ婚約者じゃなくとも、君はクラウディア家のご令嬢だ。一番いい部屋を用意するし、宿よりも丁重にもてなすと約束する」

 鏡で見なくとも、自分の顔が引き攣っていることがよく分かる。
 いろいろなことが起こりすぎて、もう考える時間が追いつかない。

「……一応仕事で来ているので、父に相談してみます」

 震える声でそう返すのが、今のリーシャの精一杯だった。
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