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解熱②

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 三日間ゆっくりと休んで、もうすっかり熱は引いた。体調も万全に近いけれど、彩瑚はいまだに瑞樹と会う約束ができずにいる。
 まだ完全には回復していなくて、とか、ずっと立ってると少しだけつらくて、とか。そんな返信をして、ずるずると顔を合わせる日を先延ばしにしている状態だ。

 十二月二十六日。
 年末感が漂う時期になっても、喫茶店は通常営業である。
 瑞樹との個人的なやり取りであれば彩瑚はなんとでも言えたのだが、仮病で職場に迷惑をかけるわけにはいかない。熱が下がったのだからシフト通りに出勤するのは当然のことで、彩瑚は本日から仕事に復帰していた。
 そしてもちろん、彩瑚が店で働いている日を、当然のように瑞樹は本社で確認して把握している。

 ――そのため、少しだけこうなる予想はしていたのだ。
 そして彩瑚の予感通り、店から少し離れた帰り道で、待ち合わせする日のようにして瑞樹は待ってくれていた。

「おつかれさま」
「……瑞樹くん」

 顔を合わせた瞬間に、ここまで重ねてきた嘘に意味はなくなってしまう。
 しかし瑞樹の方に彩瑚を責めるような素振りはなく、ただ嬉しそうに微笑みながら優しく彩瑚の手を取った。

「寒いね。一緒に帰ろ」
「あ、あの、まだ万全じゃなくて何かうつしちゃうかもしれないし、エッチとかまだできないなって思ってて……」
「うん? 別にいいよ。俺が会いたかっただけだし、顔見て話ができるなら充分」

 言われた瞬間にきゅうっと胸が苦しくなり、簡単に浮かれてしまう自分が嫌になる。
 いつも以上に空気が甘い気がして、どうしていいのか分からない。

 告白の言葉は、彼の中でなかったことにしてくれたのだろうか。
 熱が出ている時の発言だからと大目に見てくれているのかもしれないし、変なことを言ってごめんなさいとメッセージを送ったから、今回は見逃してくれるつもりなのかもしれない。
 しかし、それにしては――と、絡められた指を見て変なことを考えてしまう。
 好きだと言ったことについて何か言及されたら、忘れて欲しいと伝えるつもりだった。
 しかし、瑞樹の方からは何一つ触れてくれる気配がない。
 自分から訂正するべきなのか、このまま流される方がいいのか。
 この関係を少しでも長く続けたいだけの場合、どうするのが正解なのだろう。
 瑞樹の表情はどこか嬉しそうにも見えて、本気で何を考えているのか分からない。
 恋人のような距離で手を繋ぎながら歩いている状況を、どう捉えればいいのか分からなくなる。

(すごく、贅沢な時間だ)

 帰路の途中で落ち合って、車のある場所まで一緒に歩くというのは、いつも通りと言えばいつも通りだ。
 今までにも二人で何度か歩いた、彩瑚にとってよく知った道。
 もしこのまま関係を切られてしまったら、今後はずっとこの道を一人で歩くことになる。

 ――それは嫌だなぁと、素直に思った。
 こうして瑞樹に触れることを許されているのはとても贅沢で、奇跡みたいなことで、やっぱりあんな失言で終わりにはしたくない。

「あの、瑞樹くん」

 呼びかけると瑞樹が足を止め、そのまま顔が近付く。
 唇に触れるだけのキスが落とされ、彩瑚はぽかんと口を開けて瑞樹を見上げた。

「……え?」
「はは、可愛い顔して俺のこと見てくるから、したくなっちゃった」
「え? あ、あの……」
「ごめんね、約束もしてないのに迎えにきたりして。……ねえ、今日ってこのまま時間もらえる?」
「……っ」

 問われた瞬間、快感を求める熱が、彩瑚の体の中をぶわりと駆けた。
 声の出し方や、向けられた表情。繋がれた手から伝わる触れ方や、距離の詰め方。
 今の瑞樹が彩瑚に向けるすべてが、行為中のそれとまったく同じだった。
 女の子を簡単に沼に沈めるような優しくて甘やかすような声色は、本来ならセックス中にしか感じられないものである。
 条件反射のように、誘われているのだと脳が感じてしまった。行為中の触れ方や声を、彩瑚は嫌でも思い出してしまう。

「まあ、普通に車の方に向かって歩いてくれるから、彩瑚もその気でいてくれてるのかなって思ってたけど」
「う……あ、でも」
「ああ、ほら。もう着いちゃったね。乗って?」

 断り方を忘れてしまったかのように、吸い込まれるようにして体が車内に入ってしまう。
 彩瑚が助手席に乗り込んだあと、運転席には瑞樹が座った。

 二人の間に、特に会話があるわけではない。
 車内から窓の外が見えるように、外からも中を見ることはできるだろう。しかし周りには誰もいないし、ここは密室だという意識が外を歩いていた時よりも強くなる。
 ぎしりと音を立て、瑞樹が動いた。
 シートベルトを締めたりエンジンをかけるよりも先、熱のこもった声で名前が呼ばれ、その瞬間に視線が絡む。

「え……」

 顔が近付き、彩瑚のうなじに瑞樹の手が触れた。
 くっと上向かされ、そのまま唇同士が合わさる。
 
「っは……ん」
「彩瑚、ちゃんと口開けて」
「う……んっ、は……」

 揶揄われているのか、施しなのかも分からない。
 何度も角度を変えて舌が絡み、色っぽく息を吐く音と、いやらしい水の音が至近距離で聞こえた。
 生理的な涙が浮かび、彩瑚の視界をじわじわと滲ませていく。

(気持ち良くて、キスだけで頭ぼうっとする)

 ぐちゃりと、心を握りつぶされたような感覚があった。
 セフレだとちゃんと弁えるから、少しでも長くこの関係を続けていきたい。つい数分前までそう思っていたはずなのに、そんな考えはどんどん小さくなっていく。

 このタイミングでこんなことをされると、また彩瑚の中にぐずぐずと欲が出てきてしまう。
 瑞樹のことが好きだと伝えて、その返事がこのキスなのではないかと、膨らんでいく期待が捨てきれない。

「……ごめ、なさい」
「彩瑚?」
「その……病気の時って不安になるし、あの日の私はほんとに情緒が不安定で……だから好きって言っちゃっただけなんだって、そう言って誤魔化そうと思ってたの」
「うん?」
「でも、言ったことは消せないし、わ……私は本当に瑞樹くんが好きで……だから、セフレ以上にしてもらえるなら、そうなりたいって思っちゃう」

 彩瑚が言った瞬間、ピタリと瑞樹が動きを止める。
 そこから「は?」と発された低い声と、眉間に寄せられた皺。
 彩瑚の喉から、ひゅっと空気が漏れる音がした。
 ――調子に乗ってバカなことを言ってしまったと、そう理解するには十分だ。
 
「あ……その、駄目なら今のままが」
「セフレって何?」
「え? っえ……?」
「俺、彩瑚のことセフレだって言ったことあった?」

 そりゃあ誰かに紹介されたわけではないし、直接「セフレちゃん」と呼びかけられたことがあるわけでもない。
 しかし、セックスを目的に会う相手は、世間一般的に「セフレ」というのではないだろうか。

「だって、セックスするために今まで会ってて……」
「なんで俺がそんな風に思われてるのか本気で分からないんだけど、セフレ以上って何? 今は? 彩瑚のことセフレにしたいとか俺は一度も思ったことないよ」
「……セフレじゃないなら、なんで今まで私と会ってくれてたの?」

 呆れたように深い溜息を吐き出され、彩瑚の体にシートベルトが着けられた。
 彩瑚から距離を取った瑞樹は運転席に座り直し、エンジンをかけてハンドルを握る。

「あの、瑞樹くん……?」
「とりあえず移動しようか。分かってもらうまで時間かかりそうだし、もう少し腹割って話そうよ」


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