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痛い②

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「は……? え……?」

 見慣れない赤い痕を指先でなぞり、触れても痛みがないことを不思議に感じる。
 いわゆる、キスマークというものだろう。
 首や胸元に残された鬱血痕は、一つや二つではなかった。
 別に痛くはないけれど、見た目だけはひどく痛々しい。
 見るに耐えない自分の肌から目を逸らし、シャワーを浴びるために残りの服も脱いでいく。

「……全然気付かなかった」

 ぽつりと溢した自分の独り言が、少しだけ震えて聞こえる。
 抱かれている最中にも、恭弥くんは何度か私の首筋に顔を埋めていた気がする。しかし、ここまでの痕が残るほど何回も肌を吸われていたら、いくら頭が真っ白になっていたとはいえ私でも気がつくはずだ。
 おそらく、セックス中に付けられた痕ではない。
 考えられるとしたら、私が眠っている時だろうか。
 激しい夜を過ごしましたと主張するようなわざとらしい数は、私が昨日面倒臭いことを言ってしまったことへの罰なのかもしれない。
 これが見える状態で外を歩くのは恥ずかしいし、服を選ぶのに迷うことになる。一生残る傷というわけではないし、数日間私を反省させるために残すものとしては、確かにちょうどいいもののような気がした。
 悪いことを言ってしまったのだと、これを見る度に嫌でも思い出す。

「はぁ……」

 改めて反省をしながらシャワーを浴び、身体を綺麗に清めた状態でそのままリビングに向かった。
 私がシャワーをしている間に、恭弥くんも着替えたらしい。ニット素材の白いカットソーに細身の黒いパンツと、シンプルな外着になった恭弥くんが、「おかえり」と私を見つけて声を掛けた。

「さ、適当に用意しようか」

 腰掛けていたリビングのソファから立ち上がり、恭弥くんがキッチンへ向かう。
 彼の後ろをついて私もキッチンに入り、二人で一緒に冷蔵庫の中を覗いた。
 食材は、まだあまり多くは入っていない。

「んー……とりあえず私は卵でも焼こうかな」
「そういえば昨日ベーグル買ってたよね。食べる?」
「あ、そうだね。それじゃあ恭弥くんはベーグルあっためて……う、えっと、恭弥くん?」

 そんな会話をしている中で、恭弥くんが私の方をじっと見つめていることに気付いた。
 不思議に思って名前を呼ぶと、私の髪を掻き上げるように恭弥くんの指が触れる。髪で隠せなくなった首元に、そのままゆっくり指先が這った。

「首のとこ、思ったより濃く残るんだね。……痛む?」
「へ……?」

 思ってもいなかった指摘に、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
 あまり話題にしてはいけないと思っていたけれど、鏡を見て気付いた痕について、私の方から言及した方がよかったのだろうか。

「えっと、痛くはないんだけど、あの、これ、恭弥くんがわざと付けたのかなって思ってて……」
「うん? それだけたくさん残してるのに、わざとじゃない訳ないよね。残すつもりで付けたよ」
「え……っと?」
「昨日はもっと色が薄かったから、こんな風になると思ってなかった。本当に痛くないの?」
「それは本当に、全然……。ただ、服で隠しにくい場所に付いてると外に出られないから、ちょっと困るなって思っただけで」
 困るから、改めてちゃんと反省した。痛々しく映るこの痕は、目に見える形で残した分かりやすい罰だって分かってる。
 苦笑しながら伝えると、私の首を撫でていた恭弥くんの手が離れ、今度は顎を掬われる。上向かされる形となり、私を見下ろす恭弥くんと無理矢理に視線が絡んだ。

「うん、出られなくてもいいよね。必要ある?」
「え……あ、でも」
「明日から僕は仕事があるし、しばらく家の中で大人しくしててよ。どうせ数日経ったらこんなの消えちゃうんだから」

 光を失って見える恭弥くんの目に、喉の奥がひりつく。
 思わず引き攣らせてしまった私の顔を見て、恭弥くんはゆっくりと手を下ろした。

「したいこととか行きたいところ、何でもいいから、何かあったら僕に言って。窮屈な思いさせたいわけじゃないし、ある程度は叶えてあげられると思うよ」

 甘やかすような声に、恭弥くんが何をしたいのか分からなくなる。
 恭弥くんの目を盗んで一人で遊び歩くつもりはないし、だからといって恭弥くんに私の我が儘を叶えてほしいわけでもない。
 恭弥くんの一番にしてもらえないことだって、昨日の会話で嫌なくらいに分かった。
 見返りを望んだりしないのに、信用されていないのだと思うと虚しくなる。
 こんな私の虚しさなんて、決して表に出すべき感情ではないけれど。

「心配しなくても一人で意味なく出歩いたりしないし、外で勝手に動いて加賀家に迷惑かけるようなこともしないよ。恭弥くんの邪魔になりたくないって思ってるから、本当に何も」
「別に邪魔になるなんて思ってない。少しでも悪くない生活にして欲しいから、ちゃんと教えて欲しいだけ。何をしたら喜んでくれるのか分からないし、若菜が必死に本音を抑え込んでる理由、僕は昨日まで気付きもしなかった」
「あの……」
「痛々しいからその顔もそろそろやめない? 若菜の気持ちが今すぐにどうにかなるなんて思ってないけど、もう結婚してるんだから早く諦めて欲しいし、少しずつでいいから受け入れて欲しいと思ってるよ。僕は」

 もう、ちゃんと受け入れているつもりなのに。
 伝わっていないことがもどかしく、変に気を遣われていることが苦しい。
 なんだか、一生かけても恭弥くんとは分かり合えない気さえしてしまう。

「抱くのはしばらく控えるから、セックス要員だと思ってるわけじゃないってこと、とりあえず信じて」

 こんな身も蓋も無い言い方を、先にしてしまったのは私の方だ。
 恭弥くんの口から出た「セックス要員」というとんでもない単語に驚きながらも、「……うん」と力なく返事をした。
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