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32 2人で

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 11年後。

「——花奈せんせーい! これ見て!」

 風妖術が得意な少女は、机に置かれた本をぐらつかせながら浮かせていた。

「わー! 風が上手に使えるようになってきたね」
「うん! こんなに長く浮かせられるのは初めてだよ!」

 少女は花奈に褒められて満面の笑みを浮かべていた。

「先生! 僕も見て!」
「私も!」
「俺も!」

 教室中から花奈を呼ぶ生徒の声が響いた。

 この教室にいる子供たちのように妖力を保有している元平民は、週に数回、花奈が設立した妖術学校に通うよう義務付けられていた。
 ここではかつて貴族達が好んで使った危険な妖術は除き、安全で役立つ術しか教えていない。

 また、この学校には大人用の教室もあり、夕翔が教員として外国語を教えていた。
 10年間、花奈と一緒に国外を回って覚えた言語を教え、国外の人たちとの交流に役立っていた。





 学校が終わった後、花奈は1人で町外れにある伊月の家を訪れていた。

「——おじゃましまーす。疲れてるとこ悪いねー」
「気にしないでください。久しぶりに姉上に会えて嬉しいですから」
 
 花奈はこじんまりとしたリビングスペースに通され、片隅に置かれた小さなテーブルの椅子に座った。

「あれ? 光也くんは一緒じゃないの?」
「姉上、もう私達は親子じゃないですよ? 光也くんは自分の家に帰りました」

 花奈の前に座った伊月はそう言うと、2人分のお茶をテーブルに置いた。

 国王を2期務めた伊月は、現国王の要請で外交の仕事に就いており、今日はちょうど国外から帰ってきたところだった。
 大人になった光也は自ら希望して伊月との親子関係を解消し、今は伊月の補佐官として一緒に世界中を回っている。

「え? でも、国外の宿に泊まる時は光也くんと一緒の部屋でしょ?」
「違いますよ! 当然、別々の部屋です!」

 伊月は顔を真っ赤にしながら慌てて否定した。

「そんなことより、姉上は10年間もよく外交官をやっていましたね。交渉が本当に大変ですよ」

 伊月は、右肩を左手で揉みながら疲れた表情を浮かべていた。

「あー、気遣いバカの伊月にはちょっと大変かもね。ああいうのはノリでどうにかなるものだよ」

 花奈の軽い発言で伊月は眉根を寄せる。

「はあ……、もう少し姉上のように気楽な性格になれればいいのですが……」
「もっと光也くんを頼ったら? 本人もそう望んでるよ?」
「そうですね……。でも、私はかつて彼の親でしたから……なかなか難しいのですよ」

 花奈はため息をついた。

「意地っ張りね。そろそろ光也くんの気持ちに応えてあげたら?」
「気持ちですか?」

 伊月は首を傾げた。
 花奈はその反応にため息をつく。

「自分のことになると無頓着ね……。光也くんは伊月を親としてではなく、女として見てる。だから親子関係の解消を願い出たんじゃない。気づいてるでしょ?」

 伊月は呆れながら首を横に振った。

「そんなこと、姉上が勝手に思い込んでいるだけです。もっと若い女性が光也くんにはふさわしいですよ」

 そういいながらも、伊月は気づいていた。
 光也の自分に向ける視線が異質であることを。
 最近は2人きりになるのを避けるくらいに伊月は居心地の悪さを感じていた。

「たかが10歳離れてるだけじゃない。大した差じゃないよ」
「そうでしょうか……?」
「伊月はそれでいいの? 光也くんが他の女に取られても」
「取られるなんて……そんなふうには思いませんよ?」
「本当は光也くんのこと、無理して息子だと思ってるでしょ?」
「そんなことはないです……」

 伊月は視線を落とした。
 考えないようにしていたことを花奈に指摘され、動揺を隠せない。

「光也くんは今でも私の息子ですから……」

 伊月は視線を下げたままそう言った。
 かつて好きだった嗣斗と光也の顔がそっくりであることは関係なく、光也を愛おしく思っていることを認めたくなかった。

「私の前で嘘はダメ。素直になりなさい」

 花奈は伊月の顔を覗き込んでいた。

「姉上……私は怖いのです。愛する人がまた目の前で死ぬところを見るのが……」

 伊月は目を潤ませていた。

「その気持ちはわかる。でもね、生命はいつかは死を迎えるのよ? 難しいけれど、怖がることを諦めてみない? 私もゆうちゃんも乗り越えてきた。今でも急に悲しくなることはあるけど、互いに支えあってるよ。伊月も光也くんを頼ってみたらどうかな?」

 伊月は頑なに首を横に振る。

「伊月、我慢することを時々やめてみない? 伊月は他人のことばかり考えすぎて自分を抑え込みすぎだよ。もう国王ではないのだから、少しくらい自分の思うままに動いてもいいと思う」
「姉上……」

 伊月はようやく顔を上げて花奈を見つめる。
 その表情は苦しいものだった。

「嗣斗のような悲劇がおこらないよう、あなたが光也くんを守ってあげればいいのよ。それに、光也くんは『あのこと』気にしてないから」
「光也くんは知っているのですか?」
「まだ教えてないよ。ただ、私達夫婦のことを聞かれた時に私たちがそうだ、って伝えたの。光也くんはそんなこと全然気にしない、って言ってたよ」

 伊月は椅子から立ち上がった。

「姉上、私……今から用事があるのですが……」
「わかった。行っておいで。頑張ってね」
「はい!」





 花奈と夕翔の家。

 花奈は伊月の家から帰ってきていた。

「花奈、おかえり。ご飯がちょうどできたところだよ」

 夕翔はキッチンから顔を覗かせ、花奈に笑顔を向けていた。

「ありがとう」

 花奈はリビングからキッチンに入り、ニヤニヤしながら礼を言った。

「いいことでもあった?」
「え?」
「嬉しそうにしてるな、と思って」
「わかる?」
「うん。花奈はわかりやすいからな~」

 夕翔はケラケラと笑う。
 指摘された花奈は恥ずかしくなり、顔を少し赤くする。

「実はね、伊月がようやく認めたの。光也くんへの想いを。今頃2人はいい雰囲気になってると思う」
「そっか。よかったね」

 夕翔は嬉しそうに微笑む。

「うん。伊月にも私たちみたいに幸せになって欲しいな」

 おかずを皿に盛り付けている夕翔の横から花奈は抱きついた。

「あ、危ないよ」

 夕翔は箸でつまんだおかずを落としそうになる。

「ごめーん」

 花奈はお詫びに夕翔の頬にキスをした。

「あ~、幸せだな~」
「俺も幸せだよ」
「ゆうちゃん愛してるよ~」

 夕翔は花奈の笑顔を見て目を細める。

「俺も」
「ゆうちゃんは……子供いないの寂しい?」
「前にも言っただろ? 花奈さえいてくれれば俺はそれで幸せだ、って」
「うん、私も同じ気持ち。犬神家の子孫が残らなくて本当によかった、と今でも思ってる。危険な術が使えるのは、私たちで最後にしたいから」
「そうだな」

 時空を行き来した花奈たち3人は、その代償で子供ができない体になっていた。
 伊月はそれも原因で光也への想いを隠していたが、光也は全く気にしていないことを花奈から告げられ、吹っ切れたようだった。

 夕翔は手を止めて花奈をぎゅっと抱きしめた。
 そして2人は見つめ合い、唇を合わせる。

「ふふっ」

 花奈は唇を離した後、急に吹き出した。

「なに?」
「こんなふうにいちゃついてたら、フウが必ずため息をつくでしょ? 思い出したらおかしくなっちゃって」
「ふっ、そうだな。だいたいその後、モモが俺たちの邪魔してきたよな」
「うん」
 
 2人は消えてしまった式神を思い出して笑い合う。

 伊月が国王に就任して数年後、花奈、夕翔、伊月は話し合って式神を消滅させた。
 さらに、犬神家が代々残してきた文献や屋敷も全て処分した。
 それらを決意した理由は、犬神家が特別な存在ではないことを世の中に知らしめたかったからだ。
 すこしでも国民に誠意を示したい一心だった。

「いいこと思いついた! 夕食は久しぶりにあの草原で食べない? 今日は綺麗に花が光ってると思うから」

 花奈は結婚の儀を執り行った思い出の草原のことを言っていた。

「いい案だね。弁当箱に詰めるの手伝って」
「はーい!」

 2人は互いの弁当箱におかずと愛情をいっぱい詰め込んだ。


 END


 最後まで読んでくださりありがとうございました!
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