1 / 32
1 迷い犬
しおりを挟むそこは、小さな公園だった。
片隅のベンチに、少年と少女が2人。
手を繋いで仲良く座っていた。
少年——戸塚夕翔は頬を赤く染め、真剣な眼差しを少女に向ける。
「——僕のお嫁さんになってくれる?」
「うん! ゆうちゃんのお嫁さんになる!」
夕翔は少女の返事を聞くと、満面の笑みを浮かべた。
「大好きだよ」
「私も大好き!」
2人は自然と顔を近づけ、唇を合わせた。
それは、2人にとって初めてのキス。
これからも一緒にいよう、と誓い合ったのだが……。
***
18年後。
ヨウ星。
地球とは別時空にある星で、妖術が存在する。
体内保有妖力量が多いほど高度な妖術を発動でき、そのような人種は犬神国という小さな国で多数誕生していた。
その中で最も妖術に長けた犬神家が長年、犬神国を治めている。
犬神国、犬神家の館。
その館は日本でいう寝殿造の建築物と似ていた。
「——父上、お呼びでしょうか?」
館の主人——犬神将聖は、執務室に娘の花奈を呼び出していた。
2人の服装は和服と似ている。
「明日、お前の婚約の儀を執り行うことになった」
「父上! なぜ、前日になってそのようなことを! 私は聞いていません! 私には心に決めた人が——」
「——意見は許さぬ!」
花奈は父親の鋭い口調と視線に口ごもる。
「犬壱家との縁談はすでに決まっていた。今さら覆らないことは、お前もよくわかっているはずだ。犬神家の神子に選ばれた以上、お前の夫となる人物は妖力に優れた人物だと決まっている」
「では、犬壱嗣斗よりも妖力が強い人物を見つけてくればいいのですね?」
「馬鹿げたことを……。なぜ、わしの言っていることがわからぬ?」
花奈は視線を下げた。
「私は……母上が亡くなってから、あなたのことがわからない。もう父親とすら思っておりません……」
花奈の言葉に父親は言葉を詰まらせた。
「失礼いたします」
寂しさと怒りに体を震わせながら、花奈は部屋から出て行った……。
*
その半年後。
日本、戌佐和市。
スーツの上着1枚だけでは肌寒く感じる秋の夜。
仕事を終えて帰宅途中だった夕翔は、駅の改札を出て肩を落とした。
——今日に限って……。
電車に乗っている間は晴れていたが、今は強い雨が降っていた。
夕翔は家に傘を忘れた自分を責める。
「はぁ……」
夕翔は仕方なく、徒歩で約10分の家まで走ることにした。
数分後……。
「……はー、はー、はー……うっ、はー、はー」
道のりの半分に満たないところで、夕翔は吐き気を感じていた。
まだ23歳とはいえ、運動習慣のない夕翔にとってこの軽いランニングは拷問に等しい。
「はー、はー……うっ」
もう走れない夕翔は、諦めて足を止める。
どうせ走ってもスーツはびしょ濡れだったので、今さら気にしても意味はない。
——雨の日は嫌なことばかりだな……。
そんな負の感情を抱きながら、夕翔は重い足を動かし始めた。
しばらく雨に打たれ、ようやく自宅が視界に入った。
ホッとする反面、暗い自宅に心が沈む。
近隣の家々には温かい明かりがついていたのでなおさらだった。
——一軒家に1人暮らしは、やっぱり寂しいもんだな。こんな雨の日は特に……。
夕翔は濡れたカバンのサイドポケットに手を入れ、鍵を探しながら玄関へ向かう。
「ん……?」
鍵を開けようとした時、夕翔は薄暗い足元に目を止める。
そこには、汚れた茶色い小型犬が体を丸めて座っていた。
体はびしょ濡れで震えている。
迷い込んだのだろうか、と夕翔はその場にしゃがむ。
——やせすぎ……。成犬のダックスフンドだよな……? 捨てられたのか……?
昔飼っていた犬種がダックスフンドだったこともあり、夕翔は見過ごせなかった。
「家の中に入るか?」
犬は顔をわずかに上げ、夕翔をじっと見つめる。
弱っているせいで立ち上がれないようだ。
夕翔はゆっくり手を近づけてみた。
すると、犬は怖がることなく夕翔の指先を舐める。
犬好きの夕翔は、その反応に笑みをこぼした。
「おいで」
夕翔は袖を捲り上げた右手で犬を持ち上げ、玄関の扉を開けた。
——汚れてるからな……。
そう思った夕翔はまっすぐ浴室へ向かう。
「ごめん、ちょっと待ってて」
夕翔は浴室に犬を置いて扉を閉め、急いでキッチンへ。
リビング横にあるカウンターキッチンで、犬に食べさせていいものを探す。
——これでいいか……。
夕翔はカウンターに置かれた1本のバナナへ手を伸ばした。
手を洗ってからそれを小さく手でちぎり、皿に乗せる。
小皿を食器棚からもう1枚出して水を入れ、それらを両手に持って浴室へ戻った。
「とりあえず、これ食べながら待ってて」
腹をすかせていた犬は、慌ててバナナにかぶりつく。
——食べてくれてよかった。
夕翔はホッとしながら浴室の扉を閉め、脱衣所で濡れたスーツや下着を脱ぐ。
数枚のタオルを棚に置き、裸で浴室に入った。
犬は夕翔が入ってくるなり体をビクつかせ、慌てて下を向く。
「もう食べ終わったのか。あとでもう少しご飯用意するよ。先に体を洗わせて」
夕翔は空になった2枚の皿を浴室の外に出し、シャワーのお湯の温度を手で確かめる。
「お湯かけるなー。大丈夫、怖くないよー」
夕翔は慣れた手つきで犬の長い胴体からゆっくりシャワーをかけた。
犬は尻尾を丸め、目を瞑ってじっとしている。
その表情や仕草が可愛くて、夕翔は目尻を下げる。
「いい子だな~」
お湯で汚れを落とした後、夕翔は洗面器にお湯を張ってその中に犬を浸からせた。
犬は大人しくそこから出ず、気持ちよさそうにしている。
「少しだけ、そこで待っててくれるか?」
夕翔はそう言うと、急いでシャワーを浴びた。
先に着替え終わった夕翔は、タオルに包んだ犬を脱衣所の床に置いた。
そのタオルで毛の水分を取りながらドライヤーで乾かす。
乾いた長めの毛はふわふわで、手触りが最高だ。
「お前さえ良ければ、俺の家に住むか?」
犬は言葉を理解したかように、夕翔の手をぺろぺろ舐める。
「OKってことだよな? じゃあ、今日から俺たちは家族だな」
夕翔は乾いた犬を優しく撫で回した。
「さて……」
さっそく、夕翔は犬の居住スペースを整えることに。
——確か犬用品はここにあったはず……。
夕翔は犬を抱えたまま、廊下の押入れの扉を開けた。
すぐに折り畳まれたゲージセットを奥で見つけ、リビングへ運び込む。
「ちょっと待ってて」
夕翔は犬を足元に置き、組み立て始める。
折りたたまれたフェンスを広げ、大きなトレーの上にそれを設置。
さらに、新聞紙をトレー全面に敷き詰め、最後にその半面に数枚のタオルを置いた。
「よーし、ここがお前の部屋だぞー」
夕翔は大人しく座っていた犬を持ち上げ、ゲージのタオルスペースに座らせた。
犬はちょこんと座り、つぶらな瞳で夕翔を見つめる。
あまりの可愛さに、夕翔は笑みをこぼす。
「ご飯持ってくるよ」
夕翔は水とちぎったパンが入った2枚の皿を用意し、ゲージ内の新聞紙の上に置いた。
犬はまだ腹をすかせていたようで、急いでパンを食べ、あっという間に平らげてしまう。
——足りないのかもな……。
「ちょっと出かけていいか? ドッグフードとか買ってくるから」
犬は寂しそうな瞳で夕翔を見つめる。
「大丈夫。すぐ帰ってくるから」
夕翔は犬を軽く撫でた後、近くの店へ出かけた。
30分後。
夕翔が帰ってきた時には、犬はタオルの中に潜り込み、丸くなって眠っていた。
「ふっ」
タオルから鼻先だけが出ている状態が可愛くて、夕翔は吹き出す。
——起こさない方がいいな……。
そう思った夕翔は、静かにキッチンへ向かう。
新しい皿にドッグフードを入れて犬のそばに置き、明かりを消して2階の寝室へ移動した。
***
翌朝。
雨はすっかり止み、カーテンの隙間から光が少しさしていた。
休日だったが、夕翔はいつもより早く目を覚ました。
犬のことが気になっていたことも理由の1つだが、他に要因があった。
——背中に生温いものが当たる……?
横向きに寝ていた夕翔は、反対側に寝返りを打つと……。
人の頭らしきものが目に入った。
夕翔は固まる。
恐怖のあまり、声が出ない。
慌てて枕元の携帯を握りしめ、足の方からベッドを抜け出した。
混乱状態の夕翔は、落ち着け、と自分に言い聞かせながら息を整える。
そして、恐る恐るその人影に近づき、枕元の布団を少しだけめくった。
間違いなく、人だった。
それも少女。
茶色の長い髪、白い肌。
すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「誰だっ!?」
夕翔は威勢良く声を張り上げたものの、怖くてすぐに距離をとる。
いくら少女でも、格闘戦に持ち込まれると勝てる気がしなかった。
「ふぁ~」
夕翔の声で目を覚ました少女は、大きなあくびをした。
悠長に布団の中で全身を伸ばしながら……。
「ふぁ~」
少女は再びあくびをし、ゆっくりと布団を捲り上げた。
驚いた夕翔は、俊敏に後ずさりする。
少女は目をこすりながらゆっくり起き上がり、ベッドの上に座った。
その服装に少し違和感が……。
華奢な体には不釣り合いのぶかぶか黒色Tシャツとグレーのスウェット。
「おはよ、ゆうちゃん」
夕翔は震え上がった。
——なぜ、俺の名前をあだ名で呼ぶ……?
「私のことわかる? 結婚を約束した花奈だよ」
「は?」
夕翔は少女の意味不明な発言に顔をしかめた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
忘れられた妻
毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。
セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。
「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」
セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。
「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」
セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。
そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。
三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません
逃した番は他国に嫁ぐ
基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」
婚約者との茶会。
和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。
獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。
だから、グリシアも頷いた。
「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」
グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。
こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。
みゅー
恋愛
王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。
いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。
聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。
王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。
ちょっと切ないお話です。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる