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12 見えない女
しおりを挟む黒髪で肌が真っ白の女がロディユたちの前に突然現れ、冷たい指でロディユの鼻を触った。
ロディユは膝から崩れ落ち、失神寸前だ。
「——なんだ、死霊か」
ロディユとは違い、ポセは冷静なままだった。
『フフフッ』
黒のロングドレスのスカートを左右に揺らしながら、女は笑みを浮かべていた。
スカートからは足が見えず、体が浮いている。
その女の周りには白い靄状の細長いもの——死精霊が数体、旋回しながらクスクスと笑い声を上げていた。
『あら、どこかで見たことがあると思ったら……。今度こそ死んで冥界に戻ろうとしてるの?』
「戻るというか……。冥界に用事があってな」
普通に会話する二人を見て、ロディユは仰天する。
「ポ、ポセさん……? 死霊とお知り合いで?」
ロディユはポセの腕に隠れたまま質問した。
冥界人についての知識がほとんどないため、死霊はロディユにとって恐怖の対象だ。
「我は覚えていない」
『フフフッ。それもそうね、冥界は死霊だらけですもの。でも、あなたはちょっとした有名人だったから……。ハデス様のお気に入りですものね』
「ハ……デス……?」
ポセはその名前を口にした途端、頭に衝撃が走り、頭を抱える。
そして、新たな記憶が流れ込んできた——。
『——ポセイドン、あまり冥界に遊びに来るな』
ポセの新たな記憶で話しかけてきた人物は、黒い長髪で灰色の肌をした男——ハデスだった。
呆れ顔をポセに向けている。
『いいではないか。我にとっては心を許せる親友なのだからな、ハデス』
『できるだけ神域には悟られないようにしてくれよ? お前の母親は冥界を少しばかり目の敵にしているからな。冥界を混乱に巻き込みたくない』
『母上が怖いのか?』
『そういうわけではない。ただ、冥界人が安心して暮らせる場所を維持したいだけだ』
ハデスは困った表情を浮かべていた。
『そう言われると、ここに来づらくなるではないか。我は長命ゆえ、こうして会いに来るしかないのだが……』
『会いたいからといって、命を粗末にするようなことはするなよ? 私はそんなことを望んではいない。お前の生き生きとした姿が好きなのだから——』
その後の記憶は、炎に包まれた映像が突然入り込んだことで途切れた。
*
「——ポセさん、大丈夫?」
ロディユはポセの背中に手を添えていた。
「もう問題ない。いつものように記憶が急に流れてきて衝撃が走っただけだ……」
『あら、記憶を失っているの? たとえ忘れていたとしても……ハデス様との思い出だけは大切にしてね』
「ハデスとは誰だ? 今、そいつと会話している時の記憶が流れ込んできたのだが……」
『私が教えても、ただの知識として取り入れるだけ。それでは意味がないわ。自分で思い出すのよ。それができれば、きっとまたハデス様と昔みたいに仲良くできるわ』
女は悲しげな表情を浮かべていた。
ポセは理解できず首を傾げる。
「あの……僕たちを冥界に連れて行ってもらえませんか?」
ロディユはこの女は話が通じる相手だと考え、思い切って聞いてみた。
『だめよ! あなたたち、生きているじゃない。生者を冥界に連れて行くと、私は罰せられるのよ!』
女はロディユに顔を近づけて大声を上げた。
「そこをなんとか……。ハデス様のお気に入りであるポセさんもいることですし……」
ロディユは困り果てた表情を浮かべ、説得する。
『ただでさえ、腐食の森で面倒な仕事を請け負っているのに……。これ以上、私の負担を増やさないでほしいわ!』
女は激しく拒絶した。
「腐食の森で仕事ですか? 僕たち冥界へ行った後、腐食の森に用があるのですが」
『はぁ!? なに馬鹿なこと言ってるの!? 毒胞子を吸い込んで即死よ!』
「ですが、そこに僕の命よりも大切なものがあるんです……」
ロディユは困った演技を続け、同情を誘おうとする。
ポセはその横でロディユの交渉術を感心するように見つめていた。
『大切なもの? そんなの諦めなさい。どうせ死んだら手に入れられないじゃない。浄化の天使や神がどんなに手を尽くしても毒を浄化しきれず、中に入れないのよ? 悪いことは言わないわ、おやめなさい』
「ちなみに、あなたは中に入っても問題ないのですか?」
『あるわけないでしょう? 死んでいるのだから』
女は腰に手を当て、自慢げに答えた。
怒り口調ではあったが、女はまだ気分を害していないようだ。
ロディユは話の切り口を変え、交渉材料を探すことに。
「腐食の森は毒だけが危険なのですか? 僕たちは何も知らないんです。あなたはなんでも知っているようなので、情報だけでも教えてくれませんか?」
『……まあ、中の様子くらいは教えてもいいわ』
女はニコリと笑いかけた。
「ありがとうございます!」
『腐食の森は、毒胞子から成長した腐食植物が集まってできたのよ。その中心部に『森の主』がいるの』
「主……?」
『そうよ。信じられないけど、体が腐敗した状態で生きているのよね。アンデッドとは違うから、新種族といったほうがいいのかしら……。基本は動かずにじっとしているだけよ。でも天使たちが上空から攻撃した時、ひどく暴れたわ。それが原因で毒胞子が拡散して、腐食の森がかなり広がったのよ。本当に迷惑だったわ! それもあって、ハデス様が動いたのよ』
女は話の後半、語気を強めながら不満を漏らした。
「その森の主は、いつからそこに?」
『うーん……たしか、数百年前ね。腐食の森は突然現れたのよ。森の主が現れたのもそれと同時期ね。……そういえば、それができる少し前に一人のオークがうろついてて、私が脅かして冥界から遠ざけたのよ。ちょっと脅かしすぎたのか、そのオークは一目散に逃げてね。運悪く、その先にあった大穴に落ちちゃったの。……あ! でも冥界に来ていないから、死んでないことは確かよ。大丈夫、死霊は生者を殺さないわ!』
女は慌てて自分の失態を弁明した。
「冥界から遠ざけることは当然だろう。お前は悪くないと思うぞ?」
『そうよね? 私はむしろ、そのオークが無駄に死なないようにしただけよ。そう、そう!』
女は、ポセの弁護で胸をなで下ろしていた。
ロディユには二人の話が耳に入っていないようで、おもむろに話し始める。
「もしかして……森の主はそのオークじゃないかな? ポセさん、きっとオークは落ちた穴であの石を見つけて……」
『え!? なぜそんな考えに行き着くのよー!?』
女は目を丸くし、大声をあげた。
「なるほど、ありえるな……」
ポセは口角を上げて頷いた。
二人の様子に女は慌てる。
『ちょっと、坊やの言っている意味がわからないわ!』
「うーん……。とりあえず、あなたのせいで腐食の森が誕生したことは間違いないと思います。ハデス様にそれがバレたらどうなるか……」
ロディユは両手で顔を覆い、悲しみの演技を披露した。
『本当なの……? ど、どうしましょう!?』
二人の会話を聞いていた死精霊たちは、
『クレア、悪いことしたー?』
『おいらたち、知らない』
『おいらたちは、何もしていない』
『何も見てないよー』
と、女——クレアとは関わりがないことを言い始める。
『あんたたち、私がいないと具現化することもできなくせに……裏切り者!』
追い詰められたクレアは泣き始めた。
指の隙間からみていたロディユは、それを見てほくそ笑む。
ロディユは真面目な表情をつくり、クレアに話しかける。
「ハデス様のお気に入りのポセさんなら、あなたを助けられると思いますよ? 弁護の余地はあるでしょう」
『本当に!?』
クレアは泣きながらロディユの腕を掴む。
あまりの冷たさに、ロディユの全身に鳥肌がたった。
「……ええ。大丈夫だと思います」
ロディユは深く頷いた。
『わかったわ……。冥界に貴方たちが入れるように交渉してみる。ここでしばらく待ってて!』
クレアはすーっと姿が消え、その場からいなくなった。
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