吸血鬼ちゅるる

野良にゃお

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第四幕)天然と言えば天然

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 月と星が綺麗にプリントされたような夜空を上に、清水坂とカットベルは廃校へと向かっていた。時折、街灯の下に歩み出るカットベルは、そう。まるで煌びやかなスポットライトに照らされた美しい踊り子のようであった。

「そもそも怪異と蔑まれている者だけが特殊なのではなく、人間にも同じように備わっていたのです。それはきっと、今に至ってもそう。外見は同じような形なのですから、枝の何処かから袂を分けただけで、根や幹は同じなのです」
 そう話して微笑むカットベルであったが、その表情は寂しげだった。

「………」
 その一方で清水坂は、それを静かに聞いていた。しかし、その心は激しく揺れている。スフィアが言っていた事を直接カットベルに訊くという事に逡巡していたからである。出逢ってからまだ数日しか経ってはいないものの、その間に非現実的な濃密さを幾つも体感してきた。しかし、カットベルの事を知らなすぎる。自身で感じるカットベルと、カットベル自身、そして、教団の者であるスフィアから聞かされたカットベル………この三つがそれぞれ自己主張を繰り返しながら陣地取りをしている。その心の中で、その眼前で、その脳内で………皮肉にも、信じると決めた分だけ余計に。

「もしも宜しければ、アタシが知っている吸血族と人間の歴史、お話ししましょうか?」
 街灯はやがて無くなり、アスファルトも既にもう無くなった暗闇の丘を歩きながら、カットベルは静かに尋ねた。

「………うん。聞きたい」
 カットベルの少し後ろ、カットベルを複雑な表情で追いながら歩く清水坂は、そう言って再び横に並んだ。

「では………太古の昔、吸血族に備わっている能力は人間にもあり、この2種は共存していたそうです。ですが、人間は次第に働くという事を………いいえ、動くという事すら嫌がるようになりました。けれど、富を際限なく欲し、あらゆる権力を望み続けました。そうして人間は、少ない労力のみで多大な労働力を生む事を考え、優劣による主従を目論み、飽き足らず機器を作り上げ、稼働させ、遂には強大なチカラを放つ武器を発明するまでになりました。ですがそれは、言うなれば諸刃の剣です。言い換えるなら、それはジョーカー。果てなき欲望は果てなき争いを生み、誰かのモノになるくらいならと妬みあい、恨みあい、憎みあい、その果てにジョーカーを使ってしまいました。それによって、あらゆる生物を巻き添えにして絶滅の危機に瀕してしまったです」
 廃校の門の跡を中へと進み、グラウンド跡へと歩みながら、カットベルは清水坂に話して聞かせる。
「吸血族も人間族も、特殊な者は廃絶しようとします………それが例え善であろうとも、です。これは極論なのですが、いつの時代も多数こそが正義であり、常識であるが故に、悪も善となります。やり直さなければならなかった生き残った者達が一見だとしても平和にまとまる為には、それが一番簡単で確実な方法なのでしょう。ですが、それによって少数派は悉く省かれてしまいます。特に能力は脅威ですから。殆どの者達はこの時、少ない労力で多大な成果を生む機器に頼っていたが為に、備わっていた能力を忘れ、失っていました。使う必要が無かったから。使うと疲れるから。使わないで済む事を覚えたから、です。やがて、教える者がいなくなり、学ぶ者もいなくなり、使える者がいなくなる。見つけて使用した者が零から創造する者、それを学んで広く使えるように試みた者が一から生産する者、それを更に誰もが使えるように工夫した者が十に改良する者だとするならば、創造する者がいなければ生産する者は生まれませんし、工夫する者もまた生まれません。よって、使える者は少数派となる。機器の方はこの逆ですが、能力の方はこうして……これも、極論かもしれませんけれど。そのようにして、少数派であった殆どの吸血族と少数の人間は廃絶され、長い時間を別々に進化していったです」
 そこまで話すと、カットベルは早足で清水坂の先に二歩三歩と歩み出て、ゆっくりと振り返った。
「ですから、アタシに備わっている能力は、人間と言う種族が欲によって捨てた能力なのです。若しくは、持っているけれど使えなくなってしまった能力なのですよ………と、父殿から聞きました」
 そして、そう締めくくると微笑み、清水坂を見つめたままグラウンドの中央あたりへと進み始めた。

「………」
 グラウンドの端で立ち止まっていた清水坂は、何も言わずその姿を見つめ続ける。

「コータロー………人間に戻りたいというお気持ち、変わりませんか?」
 カットベルが静かに問う。

「うん………変わらない」
 答えながら。でも、掟って何なの? と、疑問を募らせる。

「そうですか………では、その方法はご存知ですか?」
 カットベルが再び問う。

「うん………さっき、聞いた」
 言いながら。けれど、判らない事だらけだよ。と、戸惑いわわ覚える。

「他にも何か………聞きましたか?」

「うん………」聞いたけど………。

「色々と?」

「………」………うん。

「アイツは、アイツは人間を好んで食べる悪魔だ、とか。ですか?」
 何度も受けてきた痛みとは違う痛みを覚えながら、問いかける。

「え………」
 どうして知っているのか、と。清水坂は途端に言葉を失う。

「やはり、聞いたのですね?」
 胸の痛みが大きくなる。

「でも! さ、そ、そんなの………そんなのウソだろ?」
 肯定したくないという気持ちが強かった清水坂は、そう返してカットベルに否定の言葉を求める。

「………何がですか?」
 が、しかし。もうカットベルは覚悟を決めている。


「だから、
「人間」
 は、この世で一番美味しい食べ物なのですよ。コータロー」
 だから、清水坂を遮るようにして言葉を重ねた。


「そん、な………」
 カットベルに肯定され、清水坂が愕然とする。

「バレては仕方がないですね」
 その表情を判りやすいくらいに冷酷なそれへと変えたカットベルは、同じく冷たい声でそう吐き捨てた。

「ウソ、だ………」
 カットベルに肯定され、清水坂は思考がストップする。

「人間なんて、ただの食糧なのです」
 カットベルはその姿勢を崩さず、更に冷たく言い放つ。
「それがどうかしたのですか?」
 そして、畳みかけるように。
「恨まれるべきなのは、アタシ達を迫害した人間共の方なのです。アタシに食べられても、文句は言えないのでは?」
 憎らしげに。
「この世は、えっと………そう! 弱肉強食、の、世界なのですよ! ただの食糧でしかない人間に戻りたいだなんて、大笑いなのです!」
 挑発するように。
「先程、人間に戻る方法を知っていると仰ってましたよね? そんなにただの食糧に戻りたいのでしたら、このアタシを屍と化してみてはどうですか!」
 覚悟を言葉に乗せた。

「………ただの、食糧だと?」
 カットベルの誘導に脳と心をかき乱された清水坂は、それ等の奥底から沸々とリフレインされるただの食糧という言葉に次第に我を忘れ、怒りを帯び、声が震えた。まるで、誰かさんのように………清水坂は、気づく事が出来なかった。

「ほら、早くかかってきなさい! 未来の食糧さん!」

「………」

「どうしたのです? もう一度、言いましょうか? 人間な」


 ぼこっっ!!


「んっ!」
 言い終わらないうちにカットベルは、強烈な勢いをもって後ろに弾き飛ばされた。猛然と駆け出した清水坂に、おもいきり殴られたのだ。


 がこっっ!


「うううぅ………」
 ものすごい勢いで飛ばされてそのまま、廃校の校舎跡の壁に激しく衝突したカットベルは、その衝撃で崩壊した一階と二階部分の教室跡が二つずつ、計四つ分の瓦礫と塵の中に埋もれた。

「凄い、な………」
 自身に宿る力の凄さをあらためて実感した清水坂は、埋もれたカットベルに向かってゆっくりと歩を進めた。カットベルの血を宿す者だと認識した途端に、スフィアが激しく恐れた理由が判ったような気がした。
「これなら………」倒せる、かも………いいや、教団の言い分も一理あると判った今、もはや倒すしかない。もう、自分だけの問題ではないんだ。

「うぐ………コータロー、殴る蹴るではアタシを倒す事は出来ないですよ」
 瓦礫の中からガラガラと這い出てきたカットベルは、ヨロヨロと立ち上がりながら清水坂にヒントを与えようとした。

「………」
 たしかにそうだと清水坂は思った。カットベルの回復力は吸血族の中でもズバ抜けて高いらしい。銀製の武器で受傷させなければ、与えるダメージは無と同じかもしれない。しかし、銀製の武器なんて所持している筈のない平和の国の清水坂である。どうすれば良いかを思案する。

「コータロー、判らないですか? 首を斬り落とすか血を抜き取ってしまうですよ。このアタシから、そのような事が可能であるのなら、ね」
 清水坂を挑発するという事を忘れないようにしつつ、カットベルは努めてサラリと答えを与え、更には攻撃しやすいようにフラフラとよろめいて見せた。今がそのチャンスだと清水坂に思ってもらう為に。

「………?」
 その様子を見て、カットベルが大ダメージを負ってフラフラだと思った清水坂は、そう思った途端に違和感に包まれた。つい先程、思案していたばかりだったからだ。銀製の武器でもないかぎり、ダメージは無と変わらない筈だと。

「うっ………? あう、さ、ささ、さっさと殺さないと人間を食べに行ってしまうですよ! にっ、にん、に、人間の心臓は、その、格別ですし……」
 清水坂が躊躇していると感じとったカットベルは、自身の演技力の低さも痛感しつつ焦燥した。しかし、このような経験など皆無なのだから仕方がない。

「………カットベル?」
 何故だか慌てているような様子のカットベルを眺めながら、清水坂は徐々に冷静さを取り戻しつつあった。なんだかとても重要な何かを忘れている気がした。

「あうう………あ、あ、そうです! コータローのご家族はみなさん、とても美味しかったですよ? だから、あそこには帰ってくるワケがないです。あ、えっと、ですからコータローも美味しそうです! 何処からいただきましょう? 楽しみです! あはは!」
 清水坂が訝しがっていると感じたカットベルは、矢継ぎ早にそう言って挑発しようと試みた。

「な、んだ、って………ぐっ!」
 挑発は簡単に成功した。表情に怒りが戻った清水坂は、カットベルに勢いよく突進し、その勢いのままチカラ強く拳を振り下ろす!


 ばこっっ!


「がうっ!」
 再びもの凄い衝撃をモロに浴びたカットベルは、その衝撃そのままに地面へと叩きつけられた!


 がこんっ!


 それにより、辺りは巻き添えを被って轟音を発しながら完全に崩壊し、校舎跡の約四分の一が瓦礫と塵に変わり果て、盛大に散った。モクモクと煙るその様子を、月が微かに照らす。

 がらがらっ………じゃり。

「ですから………」
 しかし、カットベルは何事もなかったかのように立ち上がり、ポンポンと埃を払う。
「先程も申しましたですが」
 そして、清水坂を睨みつけ、
「このような事を続けていても、アタシを倒す事は出来ないですよ、コータロー」
 言いながらトントンと跳ねるように後退した。

「でも、さ。ダメージを蓄積させでもしなきゃ血を吸う事すら出来ないだろ。それとも、差し出してくれるのか?」
 カットベルの言葉を受けた清水坂は、そう返しながら接近する。

「そ、そのような事………」
 なるほど、です………と、カットベルは思った。例えば血を吸うにしても抵抗不可能な状態にまでする必要があると考えるのは、清水坂の立場からすれば当然と言えば当然の事であった。カットベルが殺されようと思っているなんて、清水坂は知らないのだから。
「でしたら………」
 かと言って、はい、どうぞ! と、命を差し出そうとしても躊躇するだけであろう。いや………殺さないかもしれない。清水坂なら、吸血鬼のままでいると言い出す筈だ。そうすれば、カットベルはそれに甘えてしまう。本当は共に生きてほしいのだから。
「もう少しだけ………」
 しかし、清水坂の本心は違うのだ。
「ほんの少しだけ………」
 ならばやはり、自身がするべき事はヒトツだけだ。
「遊んであげる、ですよ!」コータローが躊躇なくアタシを殺すには、怒りのボルテージを更に上げて尚且つ、それをキープさせなければならない………。
 そう思考したカットベルは、清水坂が考えるように動こうと決めた。
「さぁ、コータロー!早くかかってくるです!」

「………!」
 カットベルの挑発を合図に、清水坂が跳びかかった!

 そして、
 ぶんっ!
 腕を、
 ぶんっ!
 脚を、
 ぶんっ!
 力任せに振り回す!

 その度に、
 がこっ!
 壁が、
 どかっ!
 天井が、
 ばこっ!
 床が、
 ばきっ!
 壊れ、抜け、割れる。

「んぐっ!」
「くうっ!」
 何処に当たるのも構わず、清水坂は前進しながら繰り出し続け、それを後退しながらカットベルが交わし続ける。

「………!」どうしてなんだよカットベルのバカヤロー! どうして………優しいと思ってたのに!

「………!」人間に戻りたいというお気持ち………よく判るですよ。

「………!」どうしてだよぉー!

「………!」怪物と蔑まれるような存在になんて、なりたくないですよね………。

「………!」信じてたのに………。

「………!」コータロー………大好きです。

「………!」信じてたのに!

「………!」ですから喜んで、命を捧げるです。

「………!」好きだったのに!

「………!」父殿、母様、これでイイですよね?


 大好きなのに………。

 大好きだから………。


「あうっ………」
 やがて、頃合いを窺っていたカットベルが、何かに足をとられたフリをしてよろめいた。

 ぼこっっ!
 清水坂の拳がカットベルを捕らえた。

「あうっ!」
 カットベルが激しく倒れ込む。

 ばこんっ!

「ううぅ………」
 ………そしてそのまま、横たわるだけとなった。

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ………」
 カットベルを足元に、清水坂は呼吸を整える。その一呼吸毎に、冷静さを取り戻していく………すると再び、違和感。
「ぜぇ………はぁ………」
 しかし、その理由が判らない。判らないまま、カットベルを抱え起こす。

「くうっ………こ、このアタシが………」
 清水坂に優しく抱き起こされたカットベルは、努めて憎々しく睨みつけつつ、弱々しく呟いた。

「カットベル………」
 違和感が膨らむ清水坂は、殺害するという行為ではなくカットベルを殺すという事に躊躇した。

「この期に及んで、何を迷っているですか?」
 清水坂の躊躇が見てとれたカットベルは、
「そのつもりでこうしたのでは?」
 迷いを消してあげる為に、
「アタシは、ご家族の仇なのですよ?」
 促すように、
「ですから………さっさと殺すです」
 そう告げた。

「………そう、だね」
 カットベルに誘導されて覚悟を決めた清水坂は、カットベルを抱き寄せ、その白い首に顔を近づけていった。

「んっ………」
 カットベルはキュッと目を閉じた。すると、暗闇となったその視界に、清水坂との想い出が浮かび上がる。まるでロミオ&ジュリエット物語のように、それは僅か数日の事ではあったが、そのどれもが笑顔であった。初めてであった。だから思った。だから気づいた。だから知った。だから判った。清水坂を想う恋という感情は、父と母を想う気持ちと少し似ているけれど、大きく違うとも言える感情であった。清水坂にずっと愛されたままいたかった………と、心の底から思う。どうしようもなく。


 そう思った………。


 カットベルが清水坂を見たのは、今この時よりも約一カ月程前の事。とても寒い夜だった。強い雨に打たれて悲痛な声で叫ぶ捨てられていた仔猫が、清水坂に優しく抱きかかえられたその途端、幸せそうな表情に変わった。

 羨ましいと感じた。
 そうされたいと思った。
 そうなりたいと思った。

 あの人ならば、こんなアタシにでもあんなふうに優しく、温めてくれるでしょうか………。

 そして、それは叶う。
 ほんの僅かの間だったけど、間違いなく幸せだった。

「………んっ」
 ゆっくりと目を開けたカットベルが、首元に顔を寄せる清水坂をチラリと見て満足そうに微笑んだ事を、清水坂は知らない。そして、寂しそうな表情で再び目を閉じた事も、清水坂は知らない。

「………」
 知らないまま、気づかないまま、気づけないままに、清水坂はトドメをさそうと口を開け、ガブリと噛みつき、溢れ出る鮮血を吸った。その途端、身体の疲労回復度合いが勢いを増しているのが判った。

「はう、うっ、ああっ、あっ、あんっ、はんっ………」
 小刻みに身体を震わせながら悶絶の表情を晒すカットベルは、徐々に確実に力を削がれていく。
「ああ、う………」
 そして遂に、ぐらり。後ろに倒れ込んだ。

「………?」
 カットベルの白く柔らかな首元から顔を離した清水坂は、違和感を抱きつつ、倒れゆくカットベルを抱きしめたまま一緒に、前へと倒れていく。そして、カットベルに馬乗りの状態になるので、体重を乗せないように心掛ける。

「どう………した、です………か?」

「………カットベル?」
 まだそれ程には血を失ってはいない筈なのに、カットベルはまるで瀕死状態のように弱っている………その前の攻撃にしても、もうそれ程のダメージはないだろう………それなのに、何故?

「早く、殺すですよぉ………」
 カットベルは精一杯に急かす。

「まさか………ワザと、か?」
 カットベルが俺に負ける? こんなにも容易く?

「あううっ………アタシは、闇、夜の、悪魔、なの、ですよ? そんなワケ、そのようなワケがないです! 何を、言ってるですか………」

「そうだよな………」
 闇夜の悪魔と恐れられている程に強いカットベルが、こんな簡単に負ける筈がないよな………ワザとでもないかぎり。

「そうですお………そんなワケ」

「どうしてウソを?」

「えっ………」

「人間は食糧でしかないなんて、ウソなんだろ?」

「ち、ちち、違」

「家族をうんたらってのもウソだ」

「違います!」

「オレを怒らせる為に言ったんだろ?」

「う………」

「ただの食糧ならご家族なんて言わないだろ」

「………」

「どうしてなの?」
 僅かな時間ではあったが、カットベルとすごした清水坂にとっては、言い伝えられてきた事や教団からの言葉は違和感に満ち満ちていた。そんな中でのカットベルの挑発………いいや、優しい嘘に誘導されて我を忘れた清水坂ではあったが、冷静さを取り戻した今、カットベルの真意は違う所にあると漸く気づいた。

「ウソなどではないです!」

「人間ってさ、菜食主義とか、獣肉禁止とか、個人的だったり宗教的だったりの理由で様々な食文化があるんだよ」

「それが………どうかしたですか?」
 清水坂の意図が計りかねたカットベルは、戸惑いながら続きを促した。

「うん。それでね、それなら吸血族はどうなのかなってのをさ、このまま試してみようかな。どう思う?」
 清水坂は覚悟を決めた。何の躊躇もなかった。

「うっ? そ、それは、ダメです!」
 清水坂の意図が判ったカットベルは、心の中にどうしようもないくらいの嬉しさを感じた。しかし、そう言って止めようとした。

「カットベルは、もう人間を襲わない。あ、襲われたら仕方ないけどね。で、どうしても血が飲みたいって時は、オレのを飲めばイイ。それでどう?」
 清水坂はそう提案してみる。

「そ、そそ、それは………あうう、ダメですよそんなの!」

「人間が牛や豚や鶏や魚を殺して食べるのはイイのに、吸血族が人間を食べるのはダメなのか? 密林で虫を食べるのは野蛮で、綺麗なレストランならお洒落なのか? 自分のモノサシだけで身勝手に他者の真実を決めつけ、判ったような顔してさ、そのくせ違うと、言ってくれなきゃ判んないとかって平然と逃げたり、自分が正しいと捻じ曲げたり………そういうあの教団みたいなヤツが居るから偏見が生まれ、だからいつまでたっても争いが消えないんだよ! なぁ、カットベル答えてくれ………人間を食べるなんてウソだろ?」
 清水坂は感情を爆発させた。カットベルの真意を知る為に。

「アタシは人間が大好物です!」このままでは、甘えてしまうですよ………。
 カットベルは、清水坂から視線を逸らして叫んだ。

「ウソだ!」俺はそれを信じない。
 清水坂は、カットベルの顔をグイッと自身に向けて叫ぶ。

「はうう、コータロー………」
 カットベルは途端に見惚れた。清水坂の事が心の底から好きなんだと、心の底から感じた。しかしだからこそ、死ぬ事に迷いはなかった。
「コータローは、人間に戻りたいですよね?」
 愛しい清水坂を見つめながら、優しいカットベルはぽつりと言う。

「それ、変更するよ」
 愛しいカットベルを見つめながら、優しい清水坂はさらりと返す。

「な、何を」

「カットベルはこの先、人間を食べるのを諦める。オレはこのまま、人間に戻るのを諦める。どう? フェアな契約だと思うけど」
 清水坂は、最後の誘導を試みる。

「アタシは人間を食べたりなんてしないです! ですから全く、フェアではないですよ!」
 カットベルはその誘導に気づかず、誘導された。

「やっぱりウソだったんだ」
「えっ、あ………あうっ!」
「殺されようとしたんだな?」
「あうう………」
「カットベル………お願いだから正直に答えて」
「………はい」

「オレが人間に戻る為に、どうしてカットベルが死ななきゃならないのか………冷静に考えてみるとさ、それが判んないんだよ。意味が判んない」
 清水坂が投げかける。

「………アタシの血がコータローの体内で精製されるワケではないですから、本来であればそのままでいればコータローの血が占めるようになります。なので、そのままでいれば人間に戻る筈です。ですが、コータローの場合は殆どがアタシの血です。吸血族の血は強いらしいので、コータローの血がアタシの血を呑み込むのに時間はかかるかもしれませんし、アタシの血が勝ってしまうかもしれません。逆に言うと、だからこそコータローは吸血族の者になってしまいました。全てはアタシのせいなのです」
 カットベルが答える

「掟に従うってのは?」

「それは………愛する者が吸血族になる事を望まなかった場合、死を持って償うのが掟なのです」

「でも、オレの場合は状況が」

「一緒なのです。アタシはコータローを愛していますから」

「でもだからって、そんな掟」守らなくても………。

「勿論、守らない者もいます。ですが、コータローの望みですから、アタシはどんな事でもするです」本望ですよ。

「いや、その………」死んでほしいては少しも思ってないんだけど。

「ですから、殺してください」

「………変更すると言った筈だよ?」俺なんかが役に立てるのか自信ないけどね。

「コータロー………で、ですが、それだと怪物と蔑まれるですよ? 怪物ですよ? それがイヤで人間に戻りたいのでしょ?」イイのですか? ホントにそれで、イイのですか?

「カットベル、共に生きよう」蔑まれる、か………そんな事を考えてたんだね。強大なチカラを宿しているのに、それがコンプレックスだったりする? でもさ、人間なんて結局のところ出来損ないだと思うよ。

「はうう………ですから」このまま甘えてしまいそうです………。

「認めろ」共に生きよう。
「………認めないです」大好きです。
「認めろ!」その運命をオレにも背負わせろ!
「認めない!」離れたくない!

「………あのさ、カットベル。正直に答えてほしいと言ったよね?」こういう恋愛もアリだと思うよ。

「あうう………コータローは、おバカさんです」嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、たまらないです。

「たしかに利口じゃないかもな………バカはイヤ?」

「え、あ、イヤじゃないです! あっ、あう、ううあ、う………アタシ、やっと見つけたと、そう思ったです。コータローだけです。ですから、離れてあげないですよ? ずっとですよ? イイのですか? コータローは優しいですから、きっとアタシを憐れんで、それで………でも、アタシは」

「好きだよ、カットベル」
「コータロー………」

「共に生きたい」
「………もう、離れてあげないです」

「じゃあカットベル、行こっか」
 清水坂は微笑みながら、カットベルを優しく起こした。

「………はい」
 愛する者に愛される喜びを知ったカットベルは、今までの暗闇を振り返った。楽しい事、嬉しい事、少しはあったかもしれない。しかし、幸せだと感じた事はなかった。それはきっと、清水坂が傍にいなかったから。しかしこれからは清水坂が居る。清水坂が傍に居てくれる。だからこんなにも幸せなのだ………と、思った。

「汚れちゃったね」
「ボロボロなのです、えへへ………」

「これ………」
 清水坂は来ていたパーカーを脱ぐと、
「着て」
 と、言ってカットベルに着させた。

「ん、コータローの匂い………嬉しい」
 そのパーカーの胸の辺りをキュッと掴み、頬ずりしながら、カットベルはそう言って微笑んだ。

「カットベル、ゴメ」
 清水坂が言いかけた。


 その時………。


「幸太郎君!」
 スフィアが叫んだ。

「ふん。なるほど、ね」
 そしてその横に、鋸刃の大剣を持ったひょろりとした体躯の男がぽつり、誰にともなく呟く。

「タイムズ!」
 その男が仇のうちの一名、タイムズ・マネーチャイムであるとすぐに判ったカットベルは、その途端に清水坂の前に立ち、ゆっくりと前進する。
「邪魔しに来たですか?」
 良い雰囲気だったのに………と、いう気持ちがあったのはたしかである。
「それとも………」
 しかし、近いと言えば近いその距離まで彼等に気づかなかった自身を、激しく責める気持ちの方が何倍も強かった。
「わざわざ殺されに?」
清水坂を危険に晒す事態に繋がるミスだからだ。

「スフィア、さん………」
 その横で清水坂は、スフィアを見つめながら後を追う。

 かたや、ボロボロの校門跡。
「言われたとおりに動けよ」
 ぼそっと告げられ、
「はい………タイムズ様」
 力無く受ける。

 かたや、ボコボコの校舎跡。
「あの男はアタシの仇です」
 怒りに震え、
「アイツが、カットベルの………」
 苦しくなる。

 どくん。

「………」
「………」
 グラウンドを挟んで、視界の中央。

 どくん。

「………」
「………」
 その距離が、徐々に徐々に縮まっていく。

 どくん。

「スフィアよ………誘導には失敗したようだね。全くオマエは………殺さなければならない数は増えたまま変わらず、ですか」
 細長い身体をブラウンのコートに包むタイムズは、そう言うと大仰に天を仰いだ。

「誘導には、ってどうい」
「コータローには触れさせません!」
 既に戦闘モードのカットベルが言葉を重ねてきたので、清水坂は言いかけた言葉を喉の奥に収めた。

「幸太郎君! 私は」

 どかっっっ!

「やうっ!」
「ふん。アナタも女性らしい表情をするのですね、ネロキアスティル君」
清水坂に話しかけようとしたスフィアを忌々しそうに蹴り跳ばしたタイムズはそう言って、かけている小さな丸レンズの眼鏡をクイと指で押し上げながら前に歩を進める。

 ずしゃっっっ!

「うっ! うぐぐ………」
 十m程跳ばされて地面に叩きつけられたスフィアが、苦悶の叫びを短く上げた。

「オマエは私の性欲処理さえ満足に出来ない役立たずではあるが、まさか、たかが、たった一人の人間すら、誘導できないとはね………ククク、次は失敗するなよぉ!」
 清水坂に聞かせるかのように、意地悪くそう言ったタイムズは、そう言って楽しそうに笑った。

「うぐっ! そ、それは………」
 タイムズに辱められたスフィアは、屈辱というよりも羞恥に満ちた表情で、慌てて清水坂を見た。しかし、いや………だから、言葉は出なかった。

「次………」
 何て酷い男だと内心では憤りながらも、清水坂は次という言葉に反応した。そして、再びの誘導という言葉にも。

「何て卑劣な………」
 その横で、カットベルも憤っていた。敵であるスフィアに同情まではせずとも、タイムズに対しての憎しみは格段に上がった。

「ふん。あんな噂が本当だったとは、ね………ふむ。其方の青年が、あのネロキアスティル君を見事に射止めた、モノ好きにも程がある清水坂君か」
 タイムズは気にも留めず、清水坂を挑発しようとそう言い、そこで歩を止めた。

「うるさい!」
 が、反応したのはカットベルだった。しかも、激しく。清水坂の事となるとすぐに我を忘れてしまうカットベルは、もはや限界といった有り様だった。

「清水坂君、キミには絶対は絶対にないという事を学ばせてもらったよ。ククク………愉快にも程がある」
 鋸刃の大剣を持った右腕をゆっくり上げ、右肩にトンッと乗せながら、タイムズは構わず挑発を続けた。

「黙れ!」
 今にも跳びかからんばかりに怒り心頭なカットベルは、その怒気そのままに叫んだが、清水坂を守る事が最優先とグッと耐えた。頑張った。辛うじて。なんとか。

「清水坂君はアレだね………うん、趣味が悪い」
「今すぐ殺す!」
カットベルはタイムズの挑発に乗った。遂に乗ってしまった。


 どくん!


「待って!」
 が、清水坂がグイッと抱き寄せた。内心ではかなり慌てながら。


 ぶぉおおーん!


「「………!」」
その僅か目と鼻の先を、銀製の刃を持つ槍が通り過ぎていった。跳び出す筈であったカットベルめがけ、予めグラウンドに隠しておいたそれを、スフィアが投げたのだ。


 どぉおおーん!


「「………!」」
その僅か刹那だけ後、今度は清水坂とカットベルが立っていた場所とタイムズが立っていた場所のほぼ中間にある地面が、爆炎と共に砕け散った。スフイァが予定どおり槍を投げた後、タイムズがこれもまた予定どおり左手に隠し持っていた小さな機器にある起動ボタンを押したのだ。

「幸太郎君、が………そんな」
 その爆発の刹那ばかり前、清水坂がカットベルを引き寄せたように見えたスフィアは、呆然としながらその後の爆炎を眺めた。

「死ぬがイ」
 仕掛けておいた爆弾を爆破させたタイムズは、爆炎の中を勇躍、瀕死となっている筈だったカットベルに向かって跳びかかった。
「ん?」
 が、カットベルの無事を見て思考がストップした。


 ぱしっ。


 その為に、大剣を振り下ろそうとする動作が遅くなり、カットベルと清水坂はそれぞれ、その腕を簡単に掴んで阻止した。

「自身に視線を集めつつあの女を動かし、コータローを挑発しているように見せて実はアタシを苛立たせる、ですか?」
「で、カットベルが我を忘れたあたりで予め仕掛けておいた罠そしてアンタの二段構えでカットベルを殺める。オレはその後で………と、いう作戦ですか?」
 カットベルは凍えさせるような冷たい声で、清水坂は努めて冷静に、タイムズに浴びせた。

「そん、な、バカな………」
 どうしようもなく大きく膨らんでいく恐怖に怯えながら、タイムズが弱々しい声を出した。更に、震えも帯びていた。

「この場に居たのがアタシだけでしたらきっとアタシはオマエの策に落ちていたでしょうが、残念でしたね」
 内心で清水坂に感嘆しながら、感謝しながら、カットベルはタイムズにぶつける。

「くそっ………ど、どうやらキミは、立派な賞金首になりそうだ」
 恐怖を隠しながら清水坂そしてカットベルに強がったつもりだったが、タイムズの怯えは身体中に表れていた。

「………」
 清水坂は、自身に宿るカットベルの能力に驚いていた。このタイムズとやらはカットベルが睨みつけていたので、自身はスフィアをと横目で観察していると、そのスフィアがまるで位置につくかのようにそそくさと動き、そして構え、投げてきた。しかし、見ていたので容易くかわせた。なので次はと意識を移した矢先、爆炎から出てくるタイムズとやらを見た。此方に向かって飛んでくる槍や、轟音と共に爆ぜる土煙りにはかなりの驚きを持ったのだが、それでも対処できたのはきっとカットベルの血によるものなのだろうと、そう思わずにはいられなかった。パニックになったり竦んだりせず、不思議なくらい自然に予想と予測と回避をこなせたのだから。

「まずは、苦しみなさい!」
 暫しの後、カットベルはそう宣告し、掴んでいた腕を力任せに握り潰した。


 ぶしゅわっ!


「あぎぃいいいっ!」
タイムズが悲鳴を上げるとほぼ同時に、鋸刃の大剣がボトリと落ちた………手であった個所と一緒に。

「………次に、怯えながら屍となれ!」
 カットベルは腕を振り上げてそう言い、言い終えるや否やおもいきり振り回した。


 ぶわしゅっ!


「ぐっ!」
 その手が、タイムズの横っ面を抉ると、その圧力に屈したタイムズの首から上がグルンと回って千切れて跳んだ。怯えた表情で短い悲鳴を上げたタイムズだったが、その表情が表情として見えたのは僅かであった。


 ぐちゃっ!


 その殆どがカットベルの血である清水坂を、タイムズは完全に見誤った。まず、カットベルを挑発する事に拘りすぎた為に、清水坂が不審を抱くかもしれない言葉を平然と使用してしまい、そのとおり不審に思われた。
 その次に、清水坂がカットベルを引き止めた事により、爆至近距離で起こる筈だった爆発は至近距離ではなくなり、それにより少し先が見えにくくなった程度の被害となり、視界を遮る事態にはならなかった。
更に、その殆どがカットベルの血であるという事を知らず、甘く見ていた。戦闘経験があまりにも少ない清水坂を甘く考えたのは仕方のない事ではあるが、情報探索を疎かにしてはならない。情報探索を疎かにすると取り返しのつかない事態を招くという良い見本である。
 策士、策に溺れたタイムズはこうして、首から上が砕け散り、首から下は崩れ落ち、屍と化して塵となり、風に舞って散った………。

「父殿、母様………」
 また一名、仇を討ちましたと報告したカットベルは、清水坂の胸に顔を埋めた。

「良かったね」
 そんなカットベルを優しく受け止めた清水坂は、そう言って微笑んだ。タイムズが人間のそれとはあまりにも違うスピードで塵となって消えたからか、殺害現場に居合わせたとかいう感覚にはならなかった。女性は怒ったらやっぱり怖いな………という感想だけで収まっていた。

「コータローのお蔭様です」
 カットベルはそう言って、柔らかな微笑みを返した。

「いぇい!」
 清水坂、ダブルピース。

「い、いぇい!」
 カットベル、真似して同じく。

「良かったね、カットベル」
「はい!」

「………」
 戯れる清水坂とカットベルを、スフィアは逃げもせず眺めていた。というよりも、見惚れていた。そして、羨ましいという感情がどんどん膨らんでいった。捨て猫を抱く清水坂を見る、あの雨の夜のカットベルのように。

「あっ………」
 それに気づいたカットベルは、清水坂の手を握り、スフィアに向かってゆっくりと歩を進めた。

「………」
 手を握られた清水坂は、そのままカットベルの後に続く。

「あ、あ、あああうう!」
 スフィアは途端に戦慄した。
「い、ひいい、や、やや、あああ………」
爆炎が弱まった事で屍と化したタイムズが見え、それで慌てて立ちあがったものの、カットベルが羨ましくて見つめてしまっていた自身を心の底から恨んだ。恐怖が死というものを確実に意識させ、ガタガタと怯え、やがてヘナヘナとその場に尻もちをつく。
「ヤヤヤメて………あわわ、ここ、来ないでぇ!」
 カットベルが近づく度にその戦慄は度合いを増し、呼吸すら満足に出来ないくらいに絶望を帯びていく。

「………」
 スフィアの眼前僅かばかりの所で、カットベルがびたりと止まる。

「こここ殺さないでぇ………」
 恐怖が最高潮に達したスフィアは、身体を縮めるように固くなりながらそう懇願した。

「………ふう。逃げる時間は充分にあった筈です。それなのに、アナタは其処で何をしていたですか?」
 それに対しカットベルは、穏やかに話しかけた。

「………えっ」
 その声色を激しく意外に思いつつ、けれどおそるおそる、スフィアは顔を上げる。

「ですから、何故? と、訊いています」

「ゴゴゴゴメンなさい!」
 カットベルの声色は依然として柔らかかったが、スフィアは泣きながら謝った。その心にあった恐怖が萎んでいき、不安へと変わっていく。

「困りましたね………では、落ち着きましたら声をかけてください」
 カットベルはそう言うと、優しく微笑んだ。

「はい………ああの、あの、あの、アリガトウございます」
 スフィアはおもわず、その笑顔に見惚れた。

「コータロー」
 カットベルは言いながら、くるり。と、清水坂に向き直る。

「ん?」
 カットベルのすぐ後ろで静かに見守っていた清水坂は、カットベルに呼びかけられたので、スフィアから視線を移した。

「先程の爆発音、かなり大きかったですね」
 ごくごく普通の世間話でもするかのように、カットベルは言った。

「えっ、あ、うん、そうだね。器物損壊罪で全国指名手配………は、ないか」
「はい………えと、え、っと、木仏尊、介在、で………その、全、国士無双、杯………なのですよ」

「………」いやあのカットベルさん………。

「あの………コータロー?」えっと、あの、違いましたか?

「うん。そうだよね」知らない言葉だったのかな。

「えっ、あ、はい!」良かった………当たっていたです。

「………」たぶん、あまり使わない日本語だし。

「………?」あれ………どうして固まるですか?


 ごくごく普通の、
 世間話というヤツである。


「あのぉ、すいません………」
 暫しの沈黙の後、スフィアが申し訳なさそうに話しかけた。

「あ、落ち着いた?」
 タイミング宜し! と、思いながら清水坂が訊き、その横でカットベルがクルリ、再び向き直る。

「すみませんでした………その、落ち着きました」
 スフィアは再び謝り、こくりと一つ頷いた。

「でしたら、好きにして構いません」

「「えっ?」」
 清水坂とスフィアの声が重なる。それなら何故このように待っていたのだろう? と、いう思いと共に。

「………」
 天然かな………と、清水坂は思った。先程の会話も含めて。

「ああの………一つ伺っても、宜しいでしょうか?」
 対してスフィアは、カットベルに質問の許しを願う。

「はい。何でしょう?」
 カットベルはそれを受け入れた。

「………怒りませんか?」
「内容に因るです」
「でで、で、ですよね………」
「………」
「………?」

「あの………」
 スフィアは覚悟を決めた。それでも訊きたい事だったから。
「ネロキアスティルさん、貴女の事を教団からは、冷酷で、無慈悲で、残虐な吸血鬼だと、闇夜に蔓延る悪魔だと、そのように聞かされていました。そして実際の貴女は噂のどれもこれもそのとおり、それに値する恐ろしさでした。今夜もたしかに恐ろしく、あのタイムズ様をいとも容易く屍にしてしまえる者など、たしかに貴女しかおられないでしょう。しかし、ですね………幸太郎君に向ける瞳、声、表情、振る舞い、その心は、あまりにも真逆です。そして、私に対するその態度も……まるで別の者のようです。私には判りません。判らなくなってしまいました。貴女は今より以前のあの時、私を凍えさせるような表情をしていました。しかし、今はあまりにも違う。本当の貴女は、どちらなのでしょうか? 教えてください! 私は何を信じれば良いのか、判りません………」
 清水坂と接するカットベルが、スフィアには健気な乙女に見えて仕方がなかった。清水坂の背中越しに見たカットベルも、胸が痛くなるくらいに悲しい表情だった。清水坂の事が好きで好きでたまらないのだろうと容易に想像できた。そして………今も、そう。もしかしたら、教団は嘘を? 教団が嘘を? そう感じた。しかし、そうだとすると何故そうするのかが判らない。スフィアは、自身の逡巡に逡巡していた。

「それは………アタシはアタシなのですよ。それ以上でも以下でも以外でも意外でもありませんし、有り得ません」
 カットベルはそう言って微笑んだ。

「それは、どういう」

「ねぇ、スフィアさん」
 今まで見守っていた清水坂が、口を挟んだ。

「はい………」

「誰かが行動を起こしたとする。その時その誰かは、何かを見て、何かを聞き、何かに触れ、考え、思い、感じて行動した筈だよね?」

「………はい」

「それなのに、見ただけ、聞いただけ、触れただけ、そのどれかだけでその誰かの真意をさ、こうに違いないとか、そんなワケがないとか、自身のモノサシで勝手に決めつける。自身にとって都合が悪ければ、悪い方へ悪い方へとね。そして例え、その目論みに気づかれてしまったとしても、言ってくれなければわからないと再び誰かのせいにする。自身で勝手に決めつけたのに」

「………はい」

「その誰かが対抗しなければやがて真実は失われ、対抗すればすぐに争いが生まれる。その始まりってさ、偏見なのかもしれない。そう思わない?」
 それは、清水坂自身も犯してしまった過ち。
「話し合えば判りあえる事がある。譲りあえる事もある。分かち合える事だってある。言うは易し、行うは難しかもしれない。時、既に遅しかもしれない。でもさ、でも、信じあえたらイイよね? だってさ、笑った顔の方が見たいもん」
 もう二度と間違えるもんかと自身に言い聞かせるように、清水坂は話した。

「アタシの笑顔なんて、誰も見ようとはしてくれませんでした。父殿と母様を除く全ての者はアタシを受け入れてはくれないと、そう思っていました。期待する事にも疲れ、望む事を忘れ、願う事を諦めかけた時、コータローが助けてくれました。スフィア、でしたね? アナタも………受け入れてくれるですか?」
 カットベルはそう言って、再び微笑んだ。

「教団は、何故………どうしてなのですか?」
 スフィアはおそるおそる訊いた。

「教団はアタシの父殿と母様の仇。一方で教団は、父殿の血、母様の血、アタシの血、そしてアタシのせいでコータローまでをも手に入れようと目論んでいるです。最強と言われているこの血を自らに宿し、この世界を我がモノにする為に、あの手この手で。そのようなオカルト染みた欲望に傾倒している事を正当化する理由付けも含めて、ですね。ですが結局のところ、アタシを消してしまえばあとはコントロール出来る、つまり支配は容易いとも考えているのではないでしょうか? 父殿と母様の血で既に試みたでしょうから、そのオカルトめいた愚妄自体は実際のところどこまで実現しているのかは判らないですが………」

「なんと! ネロキアスティルさんの御父上も御母上も、そんな理由でそのような酷い事を………吸血族に襲われた者からその血を取り去る為だとばかり思っておりました。今の今まで………っ?! まさか、そのあたりの事も………違うのでしょうか? そのように聞かされておりましたが、もしかするとずっと私は、私、私は………その片棒を担いでいたのですね」アンタが盲信するあの教団、気をつけた方がイイよ………そう言えば以前、そう言われた事がありました。去年まで弓道部の全国大会で頻繁に闘っていた、同じ種の者に。あの時は認めたくないと目を背けましたが、今にして思えば………。
 もはやカットベルの言葉を嘘だとはとても思えなかったスフィアは、不意に昔の事を思い出し、後悔の念に支配されていった。

「アタシの言葉を信じるか信じないかはスフィアの自由なのです。次にお会いする機会があるとして、悪意を持って対峙するのなら容赦はしませんが、そうでないのならその時は………共に笑顔ですごしましょう」
 柔らかな声でそう言うと、カットベルは清水坂の手を握った。

「ん、行く?」
「はい」

「判った」
 清水坂は一つ頷き、カットベルに並んで歩き始める。

「あ、待ってください!」
 それを、意を決したスフィアが呼び止めた。

「カタロス・ロリドール様は今、この国におられます」
 そして、そう告げた。

「えっ?!」
 カットベルの表情が変わる。

「タイムズ様、いや、えっと、と、兎に角、電話にてお話しなさっておられ、じゃなくてしていた際、ナゴヤでの暮らしには慣れたかね………と、おっしゃ、言ってました。きっと、裏切り者のフェイリンというお方を葬る為に其処に居るのだと思います」

「フェイリンも、ですか!」
 カットベルの表情が、更に険しいそれになる。

「本当です! 信じてください! ワナなどではありません!」

「………どうしてそれを、アタシ達に?」

「こんなアタシに、優しくしていただいたお礼です」

「そうですか………では、次にお会いする機会がありましたら、笑顔で共にすごせる事を期待しておきますね」
 カットベルの表情が、柔らかに戻る。

「アリガトウございます!」
 穏やかな空気が三者を包んだ………。


 ………そして。


「カットベル、荷物を持ってウチに行こう」
 清水坂はそう提案した。

「コータローのおウチ、ですか? で、ですが………」
 迷惑をかけてしまうかもと、カットベルは躊躇する。

「此処はさ………かなり大騒ぎしちゃったし、誰か来るかもしれないだろ?」
 先程の二度の戦闘によって、元学校は元廃校を経て現廃墟と化していた。

「ですが………」

「大丈夫だよ、大丈夫。何の問題もないから」

「アリガトウなのです………あっ、そ、それは、つまり………」
 カットベルは途端に期待する。多大な恥ずかしさを纏いながらも。

「あああの、一緒に、その………眠るですか?」ドキドキ。

「ん? あ、カットベルはオレの部屋で眠りなよ。で、オレはリビングで寝るよ。それなら問題ないでしょ?」

「え、一緒ではないのですか?」問題あるですよ! あ、怪異の女は………イヤという意味ですか?

「いや、その」そのつもりなの?

「イヤなのですか?」イヤなのですか? 共に生きようと言ってくれたのに………。

「そうじゃなくて」どうしてそんな悲しい表情をするのかな………。

「では、アタシを抱くつもりでのお誘いなのですか? 今夜こそそうしてくれるですか? そうなのですか?」あ、判りました! 夜這い、という事ですか? 最初から一緒に居てはいけないという掟なのですね?

「えっ?」展開が早いような気が………いやその、それは掟じゃないけど。

「緊張してきましたですぅ………」遂に来たです………愛の営み!

「積極的なんだね………」肉食系ですか?

「え、あ、そそそのそそそれは………」あううう! いえあの勿論コータローのご家族の事とか迷惑をおかけしてしまうかもという事には危惧してるです!

「あっ………」そういえば俺………記憶にないから忘れてた。

「………」それは勿論の事、心から危惧してるですが………その、コータローにお誘いを受けたと思ったものですから……つい、嬉しくて。

「………」そっか、うん。部屋に来いって言ったらそう思うよね………。

「………」恥ずかしいですよ? とても恥ずかしいです! だってコータローに、あんな事やこんな事をシテもらえるのですから………はうう。

「………?」吸血族のみなさんは………人間と同じ感じなのかな。ここは、実は覚えてないって正直に言うべきかな。

「はううぅ………」いけません、具体的に想像してしまいました………実際の経験がないですから凄く恥ずかしいですぅー!

「ねぇ、カットベル………」あの、さ………。

「はう! あああの、お気を遣わずコータローの、その、すすす、好きに、シテください」これはもうそういう事に及ぶ空気ですよね。ですがアタシ、その覚悟は出来ていますですよ………ん? 覚悟というか………期待、かな。どどどどうしましょう!

「人間と、その、変わらない感じで、さ。その、イイのかな………」やっぱり訊くしかないよな。ん? さっき、遂に今夜って言っていたような………どういう意味なんだろう?

「えっと、そうだと………思いますです。アタシ、経験がないもので詳しくは判らないですけど………」ですが、コータローの思うままにシテくださってイイですから………。

「………えっ?」と………。


 経験が、

 ない、

 ………。

 ですと?


「えっ?」あああの、もももしかして経験しておくべきでしたか? ですがアタシ、こういう事はコータロー以外とはイヤですし………。

「ええっ?」あれ? も、もしかして俺、覚えてないんじゃなくて………遂に今夜って、ウソでしょ。

「どどど、どどうしたですか?」どうすればイイですか、アタシ………。


 ………。

 ………。


 更に廃墟と化したもはや廃校跡とでも言うべきそこを後にした清水坂とカットベルはこの夜、多大な緊張と大いなる高揚の中、清水坂の部屋のベッドの上で結ばれた。清水坂に誘われゆくカットベルは、徐々に思考する事が出来なくなり、恥ずかしさを忘れ、緊張を上回る高揚に意識をとられ、その意識も次第に遠くへとなっていき、猛烈に心地良い感覚に支配されるに至り、幸せに満たされたのであった………。



              第四幕) 完
              第五幕へ続く
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