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第五幕)最期の審判
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PM21:45/七人のワケあり女子
石井麻里香×もう一人
「………」マジ、か。マジですか。そうですか、そうなんですか、そうきましたか。なるほど、です。いやはや、です。この局面にして、この盤面。これぞ、いやはや。そう言わずして何と申しましょう。常々、です。あらゆる機会において、そう思ってきましたけど。これを、いやはや。と、思わずしてどう思えというのでしょうか。まさか! と、いう言葉を実際に音にする機会が巡ってくるだなんて、喉を震わせて声にするだなんて、まさかのまさかですよ。頭の上で、まさか。と、いう言葉がいくつも浮かんでいて、それでもまだ増え続けていて、だから頭の上から背中へと崩れていって、背負っているくらいに、まさか。まさかだらけ。りという言葉を付け加えたら、まさかの金太郎さんですよ。まさか、り。担いだ金太郎なんてね、あはは! こほん。兎にも角にも、私が此処へと来る為に利用した電車で視認していた二人一組が三組、その合計が六名。その全ての人物と、この私。そして、これ。を、含めますと。私にとっては、八名。その全員が、まさかのまさかでまさか同じこの深夜バスの発車待ち。とは、ね。しかも、土曜日を目前にしたこの時間に、この深夜バスを利用する人が、たったの七名。じゃなくて、今のところ八名のみ。もうすぐ出発の時間なので、たぶんこの八名。だ、なんて。それも、よりにもよって。その全員が、同じ方角から来た八名ときたもんだ。どうしたのですか、深夜バス。何があったのですか、深夜バス。もっと人気があるものだ、と。そうとばかり思っていましたよ、私。新幹線や飛行機よりも格安で、比較した上でのマイナス要因と言えば、到着までに長時間を費やすというくらいのもの。それなのに、です。乗り込んだ駅は違えど、同じ電車に乗っていた八名が深夜バスも共にする事となり、共にするのはその八名のみ、だからね。奇遇と言うよりも、完全に奇蹟じゃね? ミラクルですよね、これ。もう一度、言いましょうか。深夜バスって、もっと、こう、ほら、人気があるものだとばかり、うん。混雑するものだとばかり、そのようにしか思っていなかったんですが、この閑散とした様は、たまたま。と、いうヤツなのでしょうか。やっぱり、まさか。なんでしょうか。それとも結論に至るにはまだ時期尚早で、これから暫くすれば、発車間際となれば、ぎっしり。と、満員御礼。いざ、鎌倉。ではなく、出発進行。と、いう様相を迎える事になるんでしょうか。発車まで、もう。あと、残り僅か数分。そんな時刻なんですけど、ぞろぞろ。と、あっと言う間に集合するんでしょうか。近くのどこかで、ひとときの時間潰し。それが可能な場所は、そんなお店は、ここは都会ですから沢山あるにはありますけれど、まさに選び放題なんですけど、うん。私達のみなんでしょうね、きっと。それにしてもみなさん、揃いも揃って弘前市にどんな用事があるというんでしょうか。桜の季節はもうとっくに過ぎましたよ? あ、弘前を拠点にして八戸や大間に行ってみるとか? お魚も美味しいようですし、林檎もそれはそれは抜群の味ですし、古代遺跡とかもありますし、時期が時期なら桜の他にもお祭りとかありますし、たしかに青森県って素敵ですよね。揃いも揃って弘前市に、ジー・オー。そう考えると、弘前市に用事があるというのは有り得なくはない、かも………深夜バスといっても何処に行くかによっては、こうして空いている事もあるんでしょうね。深夜バスもビジネスですから、いつだって空いているなんていう都市を選んだりはしないでしょうし。それぞれに理由があり、事情があり、目的があり、経過があって、現在がある。因みに私は、駆け落ちの予定だったんですのよ。これ、と。四年越しの、そんな顛末ですのよ。だって、ほら、駆け落ちと言えば、やっぱり雪国ですもんね。え、仲睦まじいですって? あらヤダ、おほほ。「………」有り難うございます、ぺこり。と、一人二役で妄想しながら。おもわず、独り思いに耽けかけて、そして。それもこれも、アナタのせいなんですからね。と、ぽこり。両膝の上で抱えるようにして持っていたバッグを、キャリーバッグなんですけど抱えていたそれを、それも主にバッグの中のとあるモノに向かって、それに向けて、彼に狙いを定めて、意図的に責めるかのように。私の他に誰も知らない八人目の、頭部だけの彼を目掛けて強めに叩く。そして、さっさとイヤホンでもして、それで音楽でも聴きながら、不貞腐れつつ寝てやろうかしら。と、ふぅーっ。深い溜め息を、一つ零す。キャリーバッグなのに膝の上に乗せる女、溜め息を一つ。そんな詩、この勢いで編んでやろうかしら。って、ここで不貞寝したら、乗り遅れて置いてけぼりかまされますけどね。世の中は非情だ、非常に。冴えているわね、今夜の私。笑ってくれる人は誰一人としていないだろうけれど、さ。「………」これもまた、いやはや。ですよね。そう心の中で嘆きながら、私はゆっくりと夜空を見上げてみる。あ、夜の空にも雲はあるんだね。そんなの当たり前と言えば当たり前、か。ネオンが眩い都会だから、あの田舎町とは見える夜空も違う。お月さまは視認デキるけれど、お星さまはただの一つも見当たらない。見つけられない。窓から灯りが漏れる高層ビルが、並ぶようにしていくつも、いくつも、いくつも、聳え立っているからなのかな。こうして眺めてみると、都会の空はそのビルのせいで狭くて小さいね。どうやら、都会というのは空を見上げるよりも、辺りを見渡すものなのかもしれません。ビルの窓に、お店の看板、様々で色々な電飾、そして、漏れ聴こえてくる音楽に、街を歩く人の靴音、そのうちの何方かの楽しそうな声。私が暮らしていた世界とは、まるで別のようです。ホント、いやはや。そして、まさかの。やんなっちゃうよ………。
………、
………、
中田静香×篠原恵子
「さっきのセンパイ………大胆すぎですよ?」
突然と言えば突然に、唐突と言えば唐突にそう言って、めぐみがイタズラっ子のような微笑みを向けてくる。「え、あ、ななっ、何の事かしら………むう」それが、どの事を示しているのか。そんな事は充分に、そして存分に承知している私は、上目遣いで見つめ続けているめぐみと目が合った途端に、ぼふっ。と、顔から火でも出ちゃったのではないかというくらいの熱を帯びながら、だから、だぶん顔を赤らめながら、火照りを覚えながら、為す術なくあからさまに動揺してしまう。
「センパイ、可愛い♪」
私の肩に顔を寄せつつ、私の腕に自分の腕を絡めつつ、そして身体を寄せつつ、たぶん意識して上目遣いで、うっとりとした微笑みを浮かべながら。私のそんな無様な有り様を楽しんでいるのだろうめぐみは、どうせそうなんでしょう、思ったとおりの反応を見せた筈の私を見て、満足そうにそう告げてくる。「こ、ここ、声が大きいよ、めぐみ………もぉー」めぐみのそんな攻めの姿勢に、呆気なく。更に動揺を強めてしまうに至った私は、焦燥感を併発させながらも、きょろ、きょろ。と、周りを窺う。本来ならばきっと、私の方がめぐみを揶揄うようにして、恥ずかしがる筈のめぐみを見て満足するのでしょうが、これが若さというヤツなのでしょうか。めぐみの言う大胆な私によって、抗う事なく反応してそのまま達してしまうに至っためぐみを、本来ならば。ううん、私の方から我慢不可避で求めてしまったという事実を、私自身が完全に把握しているからなのでしょう。そして、それを私の落ち度だと申し訳なく感じているからなのでしょうね。だって、あんな場所で求めてしまったのですから。だから、先手めぐみのまま。このままめぐみの気が済むまで、私のターンは永遠に訪れないのかもしれません。私はただただ、きょろ、きょろ。と、焦燥に駆られながら再び周りを窺う。
「私なんかがセンパイのお嫁さんだと思われるの、やっぱりイヤですか?」
そんな私のチキンな挙動を見ためぐみは、これもまたたぶん意識して、お嫁さん。と、いう単語を使いつつ。今度は悲しそうに、そして寂しそうに、一転して今にも泣き出さんばかりの表情で、私の反応を窺うようにして強く、しがみついてくる。もしかしたら、私のチキンさによって傷つけてしまったかしら。そう感じたその途端に、私の身体から冷や汗のような反応物が、ぶわっ。と、吹き出してくる。全身から、特に背中のあたりから、寒気と言うのか、悪寒と言うべきなのか、そんな強烈な震えを覚える。「え、いやそ、その、そそ、そそそそんな事ないから。ホントに全然そんな事ないよ。だから、泣かないで、ね?」そんなめぐみの様子を敏感に感じ取った私ではあったのだけれど、私が懸命に取り組めた事と言えば、めぐみが感じてしまったであろう不安を慌てて否定しようとする事だけ。もっと、こう、さ。ぎゅっ、と。抱き寄せるとか、がばっ。と、抱きしめるとか。いっその事、熱い抱擁からの甘いキスとか、そんな情熱的な愛情表現をしてみたいところだよね。でも、チキンな私には望むべくもない。我ながら思うよ、情けないヤツだなって。全く、さ………がるる。
「………じゃあ、キスしてください」
そんな不甲斐ない私を見て取って、どう思ったのかは判らないのだけれど、めぐみは。なんだか確信したかのように、攻めの姿勢を崩さないどころかまた一つ、前へと躍り出る。まるで小悪魔のように、私の反応を楽しんでいるかのように、私の心を自分のみで埋め尽くそうとしてくる。「え、え、っと、ここで?」途端に、私は狼狽する。もう、焦燥なんていうレベルではない。
「さっきは、最後までシテくれましたよ?」
そんな私を知ってか知らずか、めぐみはお構いなしに攻め込んでくる。「えっ、と。それは………そうだけど、さ」既にもう、めぐみの懐へと完全に絡め取られている私は、逃げ場を失って丸裸同然の状態で、ぴくり。とも、動けない。えっと、それは、そうだけど、さ。と、辛うじて返したつもりではいるのだけれど。実際にそう答える事がデキていたかは定かではない。
「あんな事を、ですよ?」
めぐみが更に踏み込む。「だから、あれは」言うなれば、パニック状態。不甲斐なさ、ここに極まれり。私は、めぐみから視線を外したり、戻したり、行ったり、来たり。声は上擦り返り、後退ろうにも動けず、挙動不審な状態に見舞われる。それはたぶん、獰猛な肉食動物に捕食されゆく哀れな草食動物といった感じかもしれない。
「資料室ではシテくれなかったのに」
けれど、でも。きっと、めぐみは。私の事を、責めるつもりではないのだろう。ただただ、攻め入ろうと試みているのだろう。降伏させ、屈服させて、取り込もうとしているのだろう。「え、あ、いや、その………ゴメンね」だから私は、刀を交えるつもりなく、そんな気は毛頭なく、呆気なく、簡単に落城する。
「えへへ。センパイ、大好き」
そんな私を見ためぐみは、満足そうに微笑んだ。きっと、たぶん、責めていたのではなく攻めていたのだから、それはそれで当然の事なのだろう。めぐみはもう完全に、周りを気にする事を放棄しているように見える。もしかしたら見せつけようと思っているのかと、そんな訝しさを覚えるくらいに。誰が見ても仲良しというラインを一歩も二歩も越えた、そんな関係だと思うだろう。私達が置かれている状況を鑑みれば、それはもう後戻り不可な情熱的な想いの開放と言えなくもないのだけれど、翻って破滅的な思いでもあり、あまりにも目立つような行動はこの場合、身の上を考えると避けたいところなんだけど、ね………って、空いているから殆ど二人きりみたいなもんだよね。
「「んっ………ん」」
と、めぐみが自分から唇を這わせてくる。誰に憚る事なく、私こそが恋人なんだと私に宣言でもするかのように。そして、宣告するかのように。勿論の事、私にはそれを拒む理由はない。寧ろ、めぐみから来てくれると助かる。「ん、んっ………」だからこういうめぐみは、内心では大歓迎だよ。私への愛情に素直になって行動するめぐみと、時に欲情に負けて見境を失う私。事に及ぶ始めの一歩は違うものの、私達って案外と、うん。似た者同士の二人なのかもしれないなぁ………。
………、
………、
藤本美里×河合梨花
「リカちゃん、疲れてない?」私が梨花ちゃんを気遣うと。
「はい。大丈夫です」
と、梨花ちゃんは嬉しそうにそう返した。深夜バスの停留所にあるシートに寄り添って座りながら、二人はそれぞれにそれぞれの事を考えている。「寒いとか、ない?」私が更に気遣うと。
「大丈夫ですよ♪」
梨花ちゃんは、嬉しそうに答える。「そう。それなら、良かった」そんな梨花ちゃんを見て、私は安堵して微笑む。
「えへへ………」
すると、梨花ちゃんも同じく、あらためて微笑みを返してくる。安心したような表情を私が見せる度に、梨花ちゃんは嬉しさを募らせているように見える。自分の事を一番に気遣ってくれる、そんな優しいお姉さま。そんな優しいお姉さまが、こうして自分の傍に居てくれている。この現状はまさに至福。些か自意識過剰な自己採点かもしれないけど、梨花ちゃんは私に際してそんな心持ちなのだろうか。それとも、そう見えた気がしてそう思う私は、やっぱり自己採点が甘いのかな。けれど、この現実は儚く脆い。このままだと、折角掴んだこのチャンスを充分に堪能する時間がないまま、その機会が訪れないまま、そのまま終焉を迎えるかもしれない。それを思うと、私に見せる子供っぽい微笑みとは裏腹に、梨花ちゃんはそれが不安で不安で仕方がないようにも思えてくる。「そろそろ、バスに乗ろっか」はにかむようにして微笑むそんな梨花ちゃんを、そうなのかもしれない梨花ちゃんを見た私は、途端に気恥ずかしくなって、そんなふうに話しを変えた。けれど、何だろうこの充足感。私はそれが何かをもう充分に、そして存分に理解していたけれど、どっぷりと溺れてしまうかもしれない自分に、まだ心のどこかで幾ばくかの不安を覚えてもいる。自分達がしてしまった事への追及の手は、たぶんこんな事で容易く凌げるようなものではないだろう。日本の警察は世界的に見てもかなり優秀な組織だから、きっとそんなに甘くはいかない。このまま逃げおおせて、それでそのまま平穏な日々。だ、なんて。そんなにも都合良くいく筈はなく、追及の手に捕獲され、離れ離れになってしまうのだろう。けれど、そうなってしまえば。もう二度と、梨花ちゃんと会えなくなるかもしれない。そうなった時、自分はどうなってしまうのか。こんな弱々しい精神状態の私が、そんな毎日を耐えられるだろうか。そんな厳し過ぎる現実を、凌ぐ事は可能なのだろうか。私はそれが、不安で不安で仕方がない。
「「………」」
今から少し前に漸く挨拶以上の会話を交わし、そのすぐ後に憎しみからとはいえ人を殺めるという行為に及び、更にそのすぐ後には肌を重ねて心を通わせるにまで至り、そして今こうして二人で寄り添っている。「………」今この時に至るまで、時間にして僅か数時間。たった数時間なのに、まだ出会ってからそんな少しの時間しか共にしていないのに。もう一度、あらためて言おう。その少ない時間の中で私達は、それぞれの肉親を憎しみによって殺めるという行為にまで手を染めてしまった。普通に考えてみて、そんな事は有り得ない事の方に組みされる事なのに、私達はそれを成し遂げてしまっている。そして、更に有り得ない事に、出会いからまだ少しの間柄であるにも関わらず、肌を這わせてしまってもいる。「………」けれど、それこそ。だからこそなのだろうか、こんなにも離れたくなくなっている。私は、もうこの現実を手離したくはない。ずっと、このままでいたい。ずっとこうしていたいのに、そう思わずにはいられないのに、たぶんこうしてはいられない。このままではいられない。では、どうすればイイのだろう? どうすれば、このままこうしていられるのだろうか。このままでいられるのならそれこそ、どんなに幸せだろう。目を覚ますと、梨花ちゃんの髪の毛の甘い香りが、私の鼻を優しく刺激する。おはよー。と、言葉を交わす。そんな朝を毎日、毎年、ずっと、ずっと過ごす。私の腕枕に梨花ちゃんが顔を埋め、二人して身体を寄せ合いながら、梨花ちゃんは眠りに向かう。おやすみなさい。と、言葉を交わす。勿論、私も一緒に。そんな夜を毎日、毎年、ずっと、ずっと過ごす。どうしても妄想してしまう、そんな日々。幸せな日常。穏やかな毎日。そんな時間は、私達には訪れないのだろう。与えられず、掴み取れず、現実という無慈悲な空間に、縛られてしまうのだろう。「………」迫り来る不安と闘いながら、たぶん梨花ちゃんもそう思いながら、私達は。宛の無い弘前市行きの深夜バスに乗り込んだ。
………、
………、
橋野麗菜×村瀬雛子
「結構、さ。空いてたりするんだね………ちょっとだけ、びっくりだわ」ひそひそ、と。私は雛ちゃんに話しかける。結構どころか、利益はあるのかと心配してしまう程にガラガラの状況だ。思いつきの逃避行だから、取り敢えず電車で行けるところまでと考えていたのに、まさか深夜バスのチケットが取れるとは。品川を二十二時発で、弘前に翌朝七時過ぎに着の深夜バスに、身を寄せ合う二人。うん、逃避行って感じだね。ドラマの主人公にでもなったような気分だよ。
「もう、時間だもんね。私も意外に思ってた」
ぼそぼそ、と。雛ちゃんが私にそう返した。そして、きょろ、きょろ。と、不思議そうに周りを見回す。私のように経営状態を考えるまでには至らないだろうけれど、私と同じように、もっと混雑しているものだと思っていたようだ。
「「………」」
腕を乗せる仕切りをシートの背もたれと背もたれの間に押し込み、ぴったり、いいや、べったりと寄り添いながら、指を絡めながら、手に手を握り合いながら、そして頭と頭を寄せながら。私達は発車を待っていた。「ねぇ、ヒナちゃん。なんだかこうしてさ、こっそり身を隠しながら深夜バスに乗ってるとさ、私達って駆け落ちカップルみたいよね。そう思わない?」今夜が特別こんな感じなだけで、普段はもっと混んでいるんだろうなぁー。と、思いながら。そして、そんな事よりも。と、身勝手に思いながら。私はわくわくが止まらないといった様子で、雛ちゃんにそう話しかける。高揚感からか、声が幾分だけ震えている。
「え、あ、うん………ゴメンね、レナ。迷惑どころか道連れだもんね、こんなの」
すると、雛ちゃんは。自分自身こそがこの顛末を巻き起こした張本人だと思っているのだろうその分だけ、そしてその分だけ私の言葉から感受する思いが異なるからなのだろう、巻き込んでしまった私に対しての多大な罪悪感を含んだかのようにそう返した。「いや、その、そんなの気にしないで。私ね、幸せ感じてたりするよ? だってさ、これからはヒナちゃんと二人で、なんだもん」そんな雛ちゃんの心持ちにすぐ気づいた私は、自分自身の失言を反省しつつ、そんな心ない自分自身の軽率さに憤りも覚えつつ、慌てて本音を打ち明ける事で雛ちゃんへの溢れる想いを判ってもらおうとした。もうホント、切腹ものの大失態だよ。どうか、嫌いにならないでください。
「レナ………ありがと。大好き、だよ」
私が責めているワケではないという事は判ってくれてはいたのだろうけれど、それでも私を道連れにしたという罪悪感は拭えない。そんなふうに見て取れる。が、しかし。私からの精一杯の優しい言葉を得る為に、その罪悪感をわざわざ声にして告げてみたようにも思える。雛ちゃんって、小悪魔だからなぁー。って、そんな事を考えてしまう自分がイヤになりながらも、あからさまに安堵の表情と声色を見せる雛ちゃんを見て、私も私で安堵が込み上げてくる。「私もヒナちゃんの事、大好きだよ」そして、雛ちゃんに大好きと告げられて、感情の昂まりが如実に、どどん。と、更に更に上昇してしまうに至った私は、もう抑えられません。と、いう自分の思いに従う意思を示すかのように、雛ちゃんの口唇に自身の口唇を重ね合わせにいった。
「「………んっ、ん」」
この先にあるだろう現実への不安感は、たしかに大きかったのだけれど。とてつもなく大きくて、決して小さいワケがなかったのだけれど。それでも私達は今、ううん。特に私は、自分が選んだこのシチュエーションに、そして同じく選んでくれた雛ちゃんに、少なからずの大きさで盛り上がってもいる。この先の事よりも今、現在。けれどそれは、破滅的という程の感情ではなく、恋する乙女の夢想といったところで、逃避行の過酷さを自覚した上で選択した、覚悟を持った現実逃避などではなかった。故に私達は、特に私の方は、この先に待ち受ける不安よりも、完全に唯一無二の存在となった互いが共にいるという、その高揚感の方を膨らませるに至っている。と、少なくとも。私は、そんなふうに自覚している。雛ちゃんの為なら、どんな事だってする。どんな事だって出来る。と、私は思っている。だからこそこの道を選んだし、この道しか考えられなかった。けれど、雛ちゃんの為? ううん。私の為、だったりもする。もう、雛ちゃんは私のモノだ。今度こそ、雛ちゃんは私だけのモノだ。うん、これは私の………エゴなんだ。だから雛ちゃん、自分で自分を傷つけないでね。私、後悔なんてしていないよ。少しも、ね。
………、
………、
そして数分後、
彼女達七人を乗せたバスは発車した。
………、
………、
………、
AM00:31/サービスエリアにて
石井麻里香×深夜バスの運転手
「ううぅー、腰が固まってるよ」とんとん。と、軽く腰を叩きながら、そう言って私は背を伸ばす。もう何時間になるのだろうか、高速道路を北に向かって走り続けている深夜バスは、とあるサービスエリアで一先ずのトイレ休憩となった。予定時間どおりの到着、流石です。それにしても。「親切な人だよね。貰っちゃってイイのかな。って、もう貰っちゃってるけどさ」と、ぽつり。片手に持った紙コップを見つめながら、感心するようにそう呟くと、そのコップに注がれている色からしてきっとオレンジジュースなのだろうそれを、口に含もうとした………の、だけれど。
「いやぁー、寒いなぁー」
年輩の大ベテランといった感じのその深夜バスの運転手が、すぐ横でつい先程の自分と全く同じ動作をしているのが見えたので。「深夜の長距離運転って、大変ですよね」と、その運転手に話しかけた。
「え、あ、いやぁー、有り難うございます。これが仕事ですから、安全運転で頑張りますよ」
すると、そう言って運転手のおじさまは屈託なく微笑んだ。若い女性に話しかけられて素直に嬉しいといった表情をしていて、それがなんとなく伝わったので。「交代制とか、そういうのってないんですか?」と、続けて訊いてみる事にした。
「ブラックですから、ウチは。でも、大丈夫。時間どおり弘前まで送らせていただきます」
いやはや、全く。そんな感じでそう言うと、再び屈託なく笑う運転手のおじさま。「天気予報では深夜から雨と言っていましたし、大変ですよね。宜しくお願いします」そんな運転手のおじさまに、私は笑顔で返す。「あ、そうだ」そして、「あの、良かったら。これ、どうぞ」と、飲もうとしていたオレンジジュースを差し出した。
「え、イイんですか?」
運転手のおじさまは途端に恐縮したようにそう言ったのだけれど。「どうぞどうぞ。運転、宜しくお願いします」と、私に促されたので。
「では、遠慮なくいただきます。嬉しいなぁー」
と、ごくごく。喉を鳴らしながら美味しそうに飲み干した。
………、
………、
篠原恵子×中田静香
「なんか、イイのかな」
と、紙コップを見つめながら静香先輩が呟く。中身はたぶん、その色からしてオレンジジュースなのでしょう。こんな事をしてもらって申し訳ないといった感じで、飲むべきか飲まざるべきか思案していた。「イイんじゃないですか、もう貰っちゃったんですし」その横で私はというと、これまた同じく紙コップのたぶんオレンジジュースを、ちらり。と、見ながら屈託なくそう告げてみる。
「そうだよね、もう貰っちゃったもんね」
私にそう言われて、たしかにこれでやっぱりお返ししますというのも捨ててしまうのもどちらも失礼でしかないと思い直したのでしょうか、いただこうかしら。と、ごくり。静香先輩は、思案の先にあったそのオレンジジュースを口に含んだ。「私も、飲んじゃおっと」それを見た私も、努めて可愛くそう言うや否やの勢いで、そしてイッキに飲み干す勢いで、口に運んだのだけれど、「あ、ほふら!」と。あ、そうだ。と、言いたくてオレンジジュースを口に含んだまま、もごもご。ジュースを口に含ませたまま、静香先輩へと顔を寄せる。良い事、思いついちゃいました。
「え、ちょ、めぐみ?」
ジュースを口に含んだままイタズラっぽく微笑んで抱きついてくる私を見た静香先輩は、私が何を企んでいるのかすぐに合点した様子で、だからなのか焦燥するに至ったのだけれど。
「ん、んぐっ」
嫌がる素振りを見せたものの、優しい人ですからその思惑を受け入れてはくれるようで、私の口内から注がれてくるオレンジジュースを、ごくん。と、全て飲み干してくれました。「えへへ、美味しかったですか?」静香先輩の口角から、少しだけ零れ伝うジュースを、ぺろり。と、満足そうに舐め取ってそう言うと、私は沸き上がってくる興奮を抑えながら微笑んだ。けれど、そこはかとなく淫らなスイッチが入ってしまい、瞳はたぶんきっと、らんらん。と、輝いている事でしょう。それと、可愛く微笑むよう努めていたつもりなのですが、ぐふふ。と、鼻息ふんがぁーな様相だったと思います。つまるところ、色気も可愛げもあったもんじゃありませんが、私はもう静香先輩から離れたくないので、それはもう仕方ありません。
「もぉー。こら、めぐみ………」
この子って意外と大胆なのね。と、思ったかもしれません。ですが、イヤじゃないけどさ。とも、思ってくれたようにも思えました。静香先輩は、少しばかり驚きながらも。一応はお姉さんとして、無邪気さからくるのだろうと思ってもらえているでしょう私のそんな行為を、嗜めるように口を膨らませてはみるものの、すぐに自分自身が私に対してシテしまった負い目のような後ろめたさを思い出すに至ったのでしょうか、続けようとしていた筈の私への自戒への促しの言葉を、ぴたり。と、飲み込んだようでした。ですが、思い出してしまったその分も含めて、心の内に灯されたのでしょう熱が、その熱が全身を火照らせるのは、もう時間の問題といった感じでもありました。「うぐ、ん………」私は、ズルい女です。これまで苛められ続けてきましたから、人の目を、表情を、感情を、窺い見るようにして生きてきました。そして、なんとか苛められないようにしようと、そんな事ばかり考えてきました。結果的に私は事ある毎に何か失敗してしまうので、苛められる事そのものは避けられませんでしたが、それでもその時間をなるべく短くしよう。と、努めてきました。私は今、そんな自分をフルに活用しようとしています。それも、苛めなんて酷い事は少しもしない、世界で一番に優しい静香先輩に対して、です。静香先輩が私を棄てないように、私が静香先輩から棄てられないように、その強い母性のような情に訴えるように、私は静香先輩を自分だけのモノにしようとしています。それは、自覚しています。私は、イヤな女なんです。でも………私は、静香先輩の事が大好きなんです。
………、
………、
村瀬雛子×橋野麗菜
「なんか、ラッキーだね」
手に持ったたぶん色合いからしてオレンジジュース入りの紙コップを、ちらり。と、見ながら。麗菜が私に話しかけてくれる。「うん、イイ人だよね。あの人」そう返しながら、私は麗菜を笑顔で見つめた。勿論の事、上目遣いで、可愛らしさを感じてもらうように努めながら。
「お返しとかするべきかな」
すると、そんな私に間近でそう見つめられて、どきっ。と、したのでしょうか。麗菜は私から目を逸らしながら、努めて真面目な方向へと話しも逸らし始める。「うーん、御厚意に甘えちゃおうよ」麗菜のそんな判りやすい反応に満足した私は、受け取ったジュースの件よりも、麗菜とのこの距離感を楽しみたかったので、ごくごく。と、さらり。躊躇なく全て飲み干した。「うん、美味しいよ?」そして、麗菜も早くと促すように、そう言った。
「うん。じゃあ、いただきます」
その促しにつられるように、いいや。つられて、麗菜はジュースをイッキに飲み干す。「レナ………ごちそうさま?」水分を浴びて湿った麗菜の艶やかな口唇を見て、その口唇で自分の身体のそこかしこを刺激された感覚を思い起こした私は、その際に告げてくれた私への愛情たっぷりの言葉を、頭の中で反復させてみた。そして、努めて甘く、そして可愛らしく、更にはしおらしく、麗菜へとしなだれかかり、ぎゅっ。と、その腕にしがみつく。
「ヒナ、ちゃん?」
すると、麗菜はあからさまに身体を固くした。こういうトコ、昔から可愛いなぁー。「何処にも行かないで、ね?」私は、麗菜を手離すつもりなんてない。麗菜を道連れにしてしまう事になろうとも、このまま麗菜を失いたくはない。麗菜が傍に居てくれる限り、絶望感に襲われてしまう事はない。麗菜さえずっと居てくれれば、私は幸せでいられる。そんな事を思う私って、もう壊れてしまっているのでしょうか。
「「………」」
ねぇ、麗菜? あのさ、壊れている。と、壊れかけている。って、どう違うのかな………私って、もう普通ではないよね。私は、麗菜が好きでいてくれる私でいられるのかな。麗菜が好きって言ってくれた私って、どんな私だったのかな。私ね、麗菜が好きな私のままでいたい。でも、それがどんな私なのか判らないの。だから、だから、麗菜にどう思われるのか怖くて仕方ないの。でもね、麗菜は私の事を好きって言ってくれたよね? 私の事、救ってくれたよね? だから、だから、もう、私………離れてなんかあげないんだからね。
………、
………、
河合梨花×藤本美里
「みんなの分、買ってあげたの?」
暫し休憩という事で、それならばとトイレに向かった海咲お姉さまは、バスに再び戻ってくると何やら私がジュースをみなさんにお配りしているのを見たらしく、その事について私自身に訊いてみる事にしたようです。「はい。案外みなさん寝ないので」でも、私はその質問を予想してはいませんでした。なので、なかなかお眠りにならないみなさんへのイライラから、ついつい本音を漏らしてしまう。「あっ、いえ、その、折角ですから序でに、です」と、すぐに続けたものの。失言をかき消すべく慌ててだったのは明らかです。
「そう………優しいのね、リカちゃん」
袖が触れ合うのも多少の縁というヤツかな。と、そんなふうに思っていただけたのでしょうか? でも、その表情は。二人が及んだ事の大きさを考えると、あまり人目に触れないでいてほしいな。と、懸念してもいるように見受けられる。持ち運ぶの大変でしたとでも更に続ければ、一度に人数分を自販機からどうやって持ち運んできたんだろう? と、その姿を想像してみる方へと意識を向けてもらえるかしら。「そ、そんな事ないですよ」兎にも角にも。優しいのねと言われたので、褒められたとだけ受け取ったように見せる事にした私は、嬉しさと気恥ずかしさに揺れているふうを装いながら美里お姉さまの腕にしがみつき、甘える素振りで見上げる事で、美里お姉さまの思考も感情も一点に集中させてしまおうとしました。
「え、う、その、リカちゃん?」
途端に、美里お姉さまは絡め取られたようです。作戦は成功しました。それどころか、思わぬ収穫も叶ったかもしれません。美里お姉さま、途端に顔が真っ赤になっています。なんて、可愛い人なんでしょうか。身体中がじんじんとした熱を帯び始め、それとはまた別の疼きが芯から刺激を加えてきちゃいましたよ、私ったら。見つめられて恥ずかしいから目を逸らしたいのですが、見つめられたまま吸い寄せられるように触れ合いたいという欲求もあり、それが私から目を逸らす事を拒み、このままでいる事を要求している。と、今の状況を分析するのは、些か自意識過剰で都合良すぎでしょうか。
「「………」」
ですが、徐々に。
「「………」」
徐々に、徐々に。
「「………」」
少しずつ、少しずつ、二人の距離が狭まり続けていく。どちらからともなく。どちらからでもなく。同じ力を持った、でも真逆の力を持った、故に強烈に惹かれ合うS極とN極のように。
「「んっ、ん………」」
美里お姉さまに気づかれぬよう、睡眠導入剤を砕いて混ぜて溶かしたオレンジジュース。あれを同乗のみなさんにお配りした甲斐は、どうやら徒労に終わるかもしれません。更にその前に、危惧していた事は杞憂だったのかもしれません。そうでもしないと、このような行為に及ぶ事は叶わないとばかり思っていましたもので。みなさんには眠っていただかないと、たっぷりと溺れる事が叶わないと思いましたもので。先程の駅のトイレでの興奮よ、再び。って、いうヤツです。行為に及ぶ回数を二つ三つと重ねる毎に、美里お姉さまは私だけのモノになる。それも、こういう非日常のシチュエーションであればあるほどに。漸く見つけたんです、理想のお姉さまを。でも、私に残された時間はあと僅かかもしれません。私達が犯した事は、許される事でも見逃せる事でもありませんから。理由はどうあれ、法律は絶対です。日本の警察は優秀ですから、最悪のところ明日にでも捕まってしまうかもしれません。そうなれば、漸く見つけた理想のお姉さまとのこの甘い時間は、永久に失われてしまうかもしれません。二人も殺めてしまったのですから、情状の余地ありと判断していただけたとしても、長い間を離れ離れとなって生きていかなくてはなりません。刑期を終えて出てきたその時、美里お姉さまが私を再び選んでくれるかは判りませんし、その頃にはもう二人とも老いてしまっているかもしれません。そうなれば尚更にして、そんな私は選んでもらえないでしょう。なので、今のうちに。今のうちに、私に溺れさせておかないといけないのです。私しかいないと、そのように思わせておかないといけないのです。その為であれば、私はこうして大胆にもなれます。今までの私よ、さようなら。私は、もう止まるワケにはいかないのですよ。って、え? もしかして美里お姉さま、それだけでヤメちゃうんですか? まさかまさかの、お預けですか? そんなぁー。「………」拝啓、オレンジジュースさん。に、溶かした粉の一粒一粒さん。やっぱり、みなさんの出番です。私が頑張って砕いて溶かしたみなさまは、同志です。死ぬ気で頑張ってください!
………、
………、
………、
………、
AM02:05/河合 梨花
雨、ざざざ………です。一時休憩のサービスエリアを出た直後に、ぱらぱら。と、降ってきて。あっと言う間に雨、ざざざ。凄い音がしています。今、何処あたりを走っているのでしょうか。もしもアナウンスで教えてもらえたとしても、例え行き先を告げる青い案内看板や電光掲示板を、カーテンを開けて窓越しに確認したとしても、どこそこまで残りまるまるキロメートルと教えていただけたところで、地理に疎い私には判然としません。結局のところ、発車してすぐアナウンスされた到着予定時刻には目的地に辿り着くのでしょうという事しか、私には情報が何一つないんですよね。あのサービスエリアにも、時間どおりでしたし。こんな事でしたら、日本史ではなく地理の方を選択しておくべきだったかもしれません。でも、到着までまだ時間はたっぷりとあるという事は判ります。そのくらいは判ります。なので、たっぷり。と、溺れる事も可能なんですけど? それに、それを可能とする状況にも成功したんですけど? それなのに、もぉ………意地悪さんですよ、美里お姉さま。「………」今、この車内に聴こえるのは。幾分だけ荒々しくも思いますが軽快に走行する音と、それを掻き消してしまいそうな強さの雨音。そして、暖房の音のみ。席番号どおりに座っているのかどうかは判然としてはいませんが、私達はそれぞれに、空席だらけのこの車内に点々と離れて着席しています。敢えて言えば、好都合な状況。と、いった感じに。各座席を仕切るカーテンによって視界を遮る事は叶っていますし。もしも、例え満員だったとしても、です。溢れ出てしまうでしょう吐息まじりの声さえなんとか我慢すれば、いいえ。もうそんな事どうでもイイ、お構いなしでもイイ。行き着くとこまでイキ果てる事は可能な筈なんです。賽は投げられた、ですよ………って、バレないように及べるよう仕組んできましたのに、なんともふしだらな本末転倒ぶり。あ、反省はしません。でも、ふしだらなのは認めます。激しく自覚しています。もう、限界なんです。「………」他のみなさんは、漸くお眠りになられた御様子です。強引な力技とは思いましたが、仕方がございません。常備しておいて良かったと、常備する程の精神状態にさせられた事を、ここに至っては少しくらいなら感謝してあげてもイイかもしれません。あとは、数百円の出費で欲望の具現化を達成デキるのですから、その為の有効利用としてはあんなの、安いお買い物ですよ。あ、同志と言っておきながら、この言い草。これについては、反省すべきかもです。「………」それにしても、案外と眠らないものなんですね。眠りの森の住人様となられるまでに、かなりの時間を要してしまいました。もしかしたら、考えている事は私と一緒だったのかもしれませんね。ここにいるみなさんは御一人様を除いて、どうやら私達と同じ関係性にあるとお見受けしますし。距離感と言いますか、表情や態度と言いますか、仕草と言いますか、そういう密度で間違いない筈です。でも、まさかそれに至る理由までもが私達と等しいワケではないでしょうから、ここは私に譲ってください。後々のお宿か何処かで思う存分に開放していただくとしまして、みなさんはそのまま私が常用していた睡眠導入剤と、実はおまけで鎮痛剤も大サービスの特製オレンジジュースで、ぐっすり。と、眠ってしまっていてくださいな。先程お配りしたジュースに仕込んだそれらによって、心地良い夢をご覧になっていてくださいな。短時間で全員分のそれを砕くのって、実のところ大変だったんですから。もっと早くに思いついていれば、その労力も少しは減ったのでしょうが、こんながらんがらんの車内でもお預けにされるという危惧なんて、暫くするまで思ってもいなかったものですから。こっそり、と。では、ありましたが。私がそのお薬を何気なく砕く余裕があるくらいに、お預けですよ? こんなにも健気な私が、何をしたというのでしょうか。美里お姉さま、もしかしたらタンパク寄りな人なのでしょうか? 所謂ところの、草食系という人なのでしょうか? お姉さまになってくださると約束したのにまだ私の事、ちゃん付けのままですし。私が拒否する可能性なんて、ゼロ。そんなのは判りきっている筈なのに………。ちらり。と、窺ってみても。眠る気配は全くと言っても差し支えない程に見られませんし、なんだかそわそわしているようにも見受けられます。もぞもぞしているようにも思えます。希望的観測を激しく含みますが、梨花の事が欲しくて欲しくてたまらないのよ、と。きっと、そのように思ってくださっている筈なのですが。だって美里お姉さまには、みなさんとは真逆のおクスリを混ぜたジュースを飲ませましたので。なので、効果はある筈です。ばっちり、と。その効果は出ている筈なのです。目眩く桃色な世界へのスイッチは入っていると思うのですが、それなのにどうして触れてこないのでしょうか。私なんて何も服用せずとも、既に身体が疼きすぎて身震いしているくらいですよ。つい先程、既にお預けを喰らってもいますからね。もしかして、実は効いていらっしゃらないとか? ですが、みなさんがぐっすりと眠りの森に潜んでしまわれたのを、御自身で何気なく見渡しながら確認していましたよね? 後はもう、運転手のおじさまに気づかれないようにすればイイ。と、そのような結論に達したとほくそ笑んでいましたのに、私。それに、幸いにも運転席からここは離れておりますし、この雨音です。少しくらいなら、激しくても気づかれないかもしれませんよ? 逆に言えば、こういう聞こえるかもしれない状況下で、それでも声を押し殺して求め合うというのも、それはそれでとんでもなく興奮すると思いますよ? ここまでお膳立てをしたのですから、後はもう潜り込むようにして私の下腹部へと顔を埋めてくださって構いませんし、逆に私の頭を両手で押さえ込み、そのまま御自身のそこへと押しつけていただくのも興奮します。どれもこれも何もかも、美里お姉さまのお好きにシテいただきたい。そんな謂わば昇りつめて果てるまで、つまるところ存分に堪能デキる、そういう環境にあるというのに。このようなお預けは精神的にも肉体的にも、健康によくありませんよぉ………。
がたん!
え? あ、そう言えば。なんだか先程から、運転が荒くなっているような気が。私の鼓動くらい、もしかしたら鼻息くらい、若しくはこの雨音くらい荒いのでは………これでは、みなさん起きてしまいますよ。どうか先程までのように、安全運転でお願いします。時間どおりに到着しなくたって構わないのですから。それはそれで美里お姉さまと、この席での情事に耽る時間が長くなるという事ですからね。って、早く旅館かホテルで二人きりになりたいところではありますが。こんな事でしたら、あの運転手のおじさまにも栄養ドリンク的な何かを差し入れするべきでしたか。あ、それだとこれ以上パワフルさんになってしまいますよね。でしたら、みなさんと同じように睡眠剤を………って、運転手を眠らせてどうする。ダメですね、私。思考が散漫になってきました。もう、我慢の限界のようです………限界を越えちゃっているかもしれません。これで漸く叶うと既に期待してしまいましたから、もう触ってもらわないとオカシクなりそうです。まさか、美里お姉さまのすぐ横で、独りで慰めるワケにもいきませんし。ねぇ、美里お姉さま………こんなところでそんな事をしてはイケナイだなんて、そのような自制心を発揮しなくてもイイのですよ? ここまで来て、思慮深くある必要なんてないのですよ? 優しい人ですから、私の事を気遣っているのかしら。私にそのような不埒な思いをさせるワケにはいかない、とか。でも、でも、私自身がそれを渇望しているのですから、思うままにたっぷりと、私を美里お姉さまのモノにシテいただいて構いませんのに。それに、駅のおトイレで既に不埒はクリアしておりますし。あ、私が渇望しているだなんて、まさかそんな女だなんて、そのようには思っていないのかしら? そうだとしたら、とんだミステイクです。こんな事なら、みなさんの内の何方かが始めてしまうのを期待して、向こうもそうみたいですから此方も、という方向に賭けてみるべきだったかもしれませんね。それとも、お薬で眠らせた事を正直に白状して、その上で安心していただいて、それで存分に導いていただくべきでしょうか。え、え、え、美里お姉さまったら………まさか、まさか、眠ろうとしているのですか? もしかして、本当にお薬が効いていらっしゃらない、とか? そうですか………もう、こうなったら私の方からお誘いするしか………あ、駅のおトイレでの時もそうでしたね。私の方からお誘いしたんでした。やっぱりここは、大胆に臨むしかないようです。
私から、
誘っちゃいましょう………。
ぐらぐらっ!!
え………?
………っ!
ぐらっ、ぐらぐらっ!!
えっ?
えっ?
ウソ、でしょ?!
………、
………、
………、
………、
AM07:01/テレビのニュース
昨日深夜未明、新宿発弘前行きの深夜バスが運転を誤って横転し、そのまま勢いよく壁に激突して大破した模様です。そのバスの運転手一名と乗客七名の計八名、全員の死亡が確認されました。県警によりますと、事故現場に残されたブレーキ痕などから見て、運転手による居眠り運転が原因ではないかという事で、現在その勤務状況などに無理がなかったか等々、詳しい事故原因を捜査中との事です。
繰り返します。
昨日深夜未明~、
………、
………、
………。
GOOD-BYE HONEY / 終わり
石井麻里香×もう一人
「………」マジ、か。マジですか。そうですか、そうなんですか、そうきましたか。なるほど、です。いやはや、です。この局面にして、この盤面。これぞ、いやはや。そう言わずして何と申しましょう。常々、です。あらゆる機会において、そう思ってきましたけど。これを、いやはや。と、思わずしてどう思えというのでしょうか。まさか! と、いう言葉を実際に音にする機会が巡ってくるだなんて、喉を震わせて声にするだなんて、まさかのまさかですよ。頭の上で、まさか。と、いう言葉がいくつも浮かんでいて、それでもまだ増え続けていて、だから頭の上から背中へと崩れていって、背負っているくらいに、まさか。まさかだらけ。りという言葉を付け加えたら、まさかの金太郎さんですよ。まさか、り。担いだ金太郎なんてね、あはは! こほん。兎にも角にも、私が此処へと来る為に利用した電車で視認していた二人一組が三組、その合計が六名。その全ての人物と、この私。そして、これ。を、含めますと。私にとっては、八名。その全員が、まさかのまさかでまさか同じこの深夜バスの発車待ち。とは、ね。しかも、土曜日を目前にしたこの時間に、この深夜バスを利用する人が、たったの七名。じゃなくて、今のところ八名のみ。もうすぐ出発の時間なので、たぶんこの八名。だ、なんて。それも、よりにもよって。その全員が、同じ方角から来た八名ときたもんだ。どうしたのですか、深夜バス。何があったのですか、深夜バス。もっと人気があるものだ、と。そうとばかり思っていましたよ、私。新幹線や飛行機よりも格安で、比較した上でのマイナス要因と言えば、到着までに長時間を費やすというくらいのもの。それなのに、です。乗り込んだ駅は違えど、同じ電車に乗っていた八名が深夜バスも共にする事となり、共にするのはその八名のみ、だからね。奇遇と言うよりも、完全に奇蹟じゃね? ミラクルですよね、これ。もう一度、言いましょうか。深夜バスって、もっと、こう、ほら、人気があるものだとばかり、うん。混雑するものだとばかり、そのようにしか思っていなかったんですが、この閑散とした様は、たまたま。と、いうヤツなのでしょうか。やっぱり、まさか。なんでしょうか。それとも結論に至るにはまだ時期尚早で、これから暫くすれば、発車間際となれば、ぎっしり。と、満員御礼。いざ、鎌倉。ではなく、出発進行。と、いう様相を迎える事になるんでしょうか。発車まで、もう。あと、残り僅か数分。そんな時刻なんですけど、ぞろぞろ。と、あっと言う間に集合するんでしょうか。近くのどこかで、ひとときの時間潰し。それが可能な場所は、そんなお店は、ここは都会ですから沢山あるにはありますけれど、まさに選び放題なんですけど、うん。私達のみなんでしょうね、きっと。それにしてもみなさん、揃いも揃って弘前市にどんな用事があるというんでしょうか。桜の季節はもうとっくに過ぎましたよ? あ、弘前を拠点にして八戸や大間に行ってみるとか? お魚も美味しいようですし、林檎もそれはそれは抜群の味ですし、古代遺跡とかもありますし、時期が時期なら桜の他にもお祭りとかありますし、たしかに青森県って素敵ですよね。揃いも揃って弘前市に、ジー・オー。そう考えると、弘前市に用事があるというのは有り得なくはない、かも………深夜バスといっても何処に行くかによっては、こうして空いている事もあるんでしょうね。深夜バスもビジネスですから、いつだって空いているなんていう都市を選んだりはしないでしょうし。それぞれに理由があり、事情があり、目的があり、経過があって、現在がある。因みに私は、駆け落ちの予定だったんですのよ。これ、と。四年越しの、そんな顛末ですのよ。だって、ほら、駆け落ちと言えば、やっぱり雪国ですもんね。え、仲睦まじいですって? あらヤダ、おほほ。「………」有り難うございます、ぺこり。と、一人二役で妄想しながら。おもわず、独り思いに耽けかけて、そして。それもこれも、アナタのせいなんですからね。と、ぽこり。両膝の上で抱えるようにして持っていたバッグを、キャリーバッグなんですけど抱えていたそれを、それも主にバッグの中のとあるモノに向かって、それに向けて、彼に狙いを定めて、意図的に責めるかのように。私の他に誰も知らない八人目の、頭部だけの彼を目掛けて強めに叩く。そして、さっさとイヤホンでもして、それで音楽でも聴きながら、不貞腐れつつ寝てやろうかしら。と、ふぅーっ。深い溜め息を、一つ零す。キャリーバッグなのに膝の上に乗せる女、溜め息を一つ。そんな詩、この勢いで編んでやろうかしら。って、ここで不貞寝したら、乗り遅れて置いてけぼりかまされますけどね。世の中は非情だ、非常に。冴えているわね、今夜の私。笑ってくれる人は誰一人としていないだろうけれど、さ。「………」これもまた、いやはや。ですよね。そう心の中で嘆きながら、私はゆっくりと夜空を見上げてみる。あ、夜の空にも雲はあるんだね。そんなの当たり前と言えば当たり前、か。ネオンが眩い都会だから、あの田舎町とは見える夜空も違う。お月さまは視認デキるけれど、お星さまはただの一つも見当たらない。見つけられない。窓から灯りが漏れる高層ビルが、並ぶようにしていくつも、いくつも、いくつも、聳え立っているからなのかな。こうして眺めてみると、都会の空はそのビルのせいで狭くて小さいね。どうやら、都会というのは空を見上げるよりも、辺りを見渡すものなのかもしれません。ビルの窓に、お店の看板、様々で色々な電飾、そして、漏れ聴こえてくる音楽に、街を歩く人の靴音、そのうちの何方かの楽しそうな声。私が暮らしていた世界とは、まるで別のようです。ホント、いやはや。そして、まさかの。やんなっちゃうよ………。
………、
………、
中田静香×篠原恵子
「さっきのセンパイ………大胆すぎですよ?」
突然と言えば突然に、唐突と言えば唐突にそう言って、めぐみがイタズラっ子のような微笑みを向けてくる。「え、あ、ななっ、何の事かしら………むう」それが、どの事を示しているのか。そんな事は充分に、そして存分に承知している私は、上目遣いで見つめ続けているめぐみと目が合った途端に、ぼふっ。と、顔から火でも出ちゃったのではないかというくらいの熱を帯びながら、だから、だぶん顔を赤らめながら、火照りを覚えながら、為す術なくあからさまに動揺してしまう。
「センパイ、可愛い♪」
私の肩に顔を寄せつつ、私の腕に自分の腕を絡めつつ、そして身体を寄せつつ、たぶん意識して上目遣いで、うっとりとした微笑みを浮かべながら。私のそんな無様な有り様を楽しんでいるのだろうめぐみは、どうせそうなんでしょう、思ったとおりの反応を見せた筈の私を見て、満足そうにそう告げてくる。「こ、ここ、声が大きいよ、めぐみ………もぉー」めぐみのそんな攻めの姿勢に、呆気なく。更に動揺を強めてしまうに至った私は、焦燥感を併発させながらも、きょろ、きょろ。と、周りを窺う。本来ならばきっと、私の方がめぐみを揶揄うようにして、恥ずかしがる筈のめぐみを見て満足するのでしょうが、これが若さというヤツなのでしょうか。めぐみの言う大胆な私によって、抗う事なく反応してそのまま達してしまうに至っためぐみを、本来ならば。ううん、私の方から我慢不可避で求めてしまったという事実を、私自身が完全に把握しているからなのでしょう。そして、それを私の落ち度だと申し訳なく感じているからなのでしょうね。だって、あんな場所で求めてしまったのですから。だから、先手めぐみのまま。このままめぐみの気が済むまで、私のターンは永遠に訪れないのかもしれません。私はただただ、きょろ、きょろ。と、焦燥に駆られながら再び周りを窺う。
「私なんかがセンパイのお嫁さんだと思われるの、やっぱりイヤですか?」
そんな私のチキンな挙動を見ためぐみは、これもまたたぶん意識して、お嫁さん。と、いう単語を使いつつ。今度は悲しそうに、そして寂しそうに、一転して今にも泣き出さんばかりの表情で、私の反応を窺うようにして強く、しがみついてくる。もしかしたら、私のチキンさによって傷つけてしまったかしら。そう感じたその途端に、私の身体から冷や汗のような反応物が、ぶわっ。と、吹き出してくる。全身から、特に背中のあたりから、寒気と言うのか、悪寒と言うべきなのか、そんな強烈な震えを覚える。「え、いやそ、その、そそ、そそそそんな事ないから。ホントに全然そんな事ないよ。だから、泣かないで、ね?」そんなめぐみの様子を敏感に感じ取った私ではあったのだけれど、私が懸命に取り組めた事と言えば、めぐみが感じてしまったであろう不安を慌てて否定しようとする事だけ。もっと、こう、さ。ぎゅっ、と。抱き寄せるとか、がばっ。と、抱きしめるとか。いっその事、熱い抱擁からの甘いキスとか、そんな情熱的な愛情表現をしてみたいところだよね。でも、チキンな私には望むべくもない。我ながら思うよ、情けないヤツだなって。全く、さ………がるる。
「………じゃあ、キスしてください」
そんな不甲斐ない私を見て取って、どう思ったのかは判らないのだけれど、めぐみは。なんだか確信したかのように、攻めの姿勢を崩さないどころかまた一つ、前へと躍り出る。まるで小悪魔のように、私の反応を楽しんでいるかのように、私の心を自分のみで埋め尽くそうとしてくる。「え、え、っと、ここで?」途端に、私は狼狽する。もう、焦燥なんていうレベルではない。
「さっきは、最後までシテくれましたよ?」
そんな私を知ってか知らずか、めぐみはお構いなしに攻め込んでくる。「えっ、と。それは………そうだけど、さ」既にもう、めぐみの懐へと完全に絡め取られている私は、逃げ場を失って丸裸同然の状態で、ぴくり。とも、動けない。えっと、それは、そうだけど、さ。と、辛うじて返したつもりではいるのだけれど。実際にそう答える事がデキていたかは定かではない。
「あんな事を、ですよ?」
めぐみが更に踏み込む。「だから、あれは」言うなれば、パニック状態。不甲斐なさ、ここに極まれり。私は、めぐみから視線を外したり、戻したり、行ったり、来たり。声は上擦り返り、後退ろうにも動けず、挙動不審な状態に見舞われる。それはたぶん、獰猛な肉食動物に捕食されゆく哀れな草食動物といった感じかもしれない。
「資料室ではシテくれなかったのに」
けれど、でも。きっと、めぐみは。私の事を、責めるつもりではないのだろう。ただただ、攻め入ろうと試みているのだろう。降伏させ、屈服させて、取り込もうとしているのだろう。「え、あ、いや、その………ゴメンね」だから私は、刀を交えるつもりなく、そんな気は毛頭なく、呆気なく、簡単に落城する。
「えへへ。センパイ、大好き」
そんな私を見ためぐみは、満足そうに微笑んだ。きっと、たぶん、責めていたのではなく攻めていたのだから、それはそれで当然の事なのだろう。めぐみはもう完全に、周りを気にする事を放棄しているように見える。もしかしたら見せつけようと思っているのかと、そんな訝しさを覚えるくらいに。誰が見ても仲良しというラインを一歩も二歩も越えた、そんな関係だと思うだろう。私達が置かれている状況を鑑みれば、それはもう後戻り不可な情熱的な想いの開放と言えなくもないのだけれど、翻って破滅的な思いでもあり、あまりにも目立つような行動はこの場合、身の上を考えると避けたいところなんだけど、ね………って、空いているから殆ど二人きりみたいなもんだよね。
「「んっ………ん」」
と、めぐみが自分から唇を這わせてくる。誰に憚る事なく、私こそが恋人なんだと私に宣言でもするかのように。そして、宣告するかのように。勿論の事、私にはそれを拒む理由はない。寧ろ、めぐみから来てくれると助かる。「ん、んっ………」だからこういうめぐみは、内心では大歓迎だよ。私への愛情に素直になって行動するめぐみと、時に欲情に負けて見境を失う私。事に及ぶ始めの一歩は違うものの、私達って案外と、うん。似た者同士の二人なのかもしれないなぁ………。
………、
………、
藤本美里×河合梨花
「リカちゃん、疲れてない?」私が梨花ちゃんを気遣うと。
「はい。大丈夫です」
と、梨花ちゃんは嬉しそうにそう返した。深夜バスの停留所にあるシートに寄り添って座りながら、二人はそれぞれにそれぞれの事を考えている。「寒いとか、ない?」私が更に気遣うと。
「大丈夫ですよ♪」
梨花ちゃんは、嬉しそうに答える。「そう。それなら、良かった」そんな梨花ちゃんを見て、私は安堵して微笑む。
「えへへ………」
すると、梨花ちゃんも同じく、あらためて微笑みを返してくる。安心したような表情を私が見せる度に、梨花ちゃんは嬉しさを募らせているように見える。自分の事を一番に気遣ってくれる、そんな優しいお姉さま。そんな優しいお姉さまが、こうして自分の傍に居てくれている。この現状はまさに至福。些か自意識過剰な自己採点かもしれないけど、梨花ちゃんは私に際してそんな心持ちなのだろうか。それとも、そう見えた気がしてそう思う私は、やっぱり自己採点が甘いのかな。けれど、この現実は儚く脆い。このままだと、折角掴んだこのチャンスを充分に堪能する時間がないまま、その機会が訪れないまま、そのまま終焉を迎えるかもしれない。それを思うと、私に見せる子供っぽい微笑みとは裏腹に、梨花ちゃんはそれが不安で不安で仕方がないようにも思えてくる。「そろそろ、バスに乗ろっか」はにかむようにして微笑むそんな梨花ちゃんを、そうなのかもしれない梨花ちゃんを見た私は、途端に気恥ずかしくなって、そんなふうに話しを変えた。けれど、何だろうこの充足感。私はそれが何かをもう充分に、そして存分に理解していたけれど、どっぷりと溺れてしまうかもしれない自分に、まだ心のどこかで幾ばくかの不安を覚えてもいる。自分達がしてしまった事への追及の手は、たぶんこんな事で容易く凌げるようなものではないだろう。日本の警察は世界的に見てもかなり優秀な組織だから、きっとそんなに甘くはいかない。このまま逃げおおせて、それでそのまま平穏な日々。だ、なんて。そんなにも都合良くいく筈はなく、追及の手に捕獲され、離れ離れになってしまうのだろう。けれど、そうなってしまえば。もう二度と、梨花ちゃんと会えなくなるかもしれない。そうなった時、自分はどうなってしまうのか。こんな弱々しい精神状態の私が、そんな毎日を耐えられるだろうか。そんな厳し過ぎる現実を、凌ぐ事は可能なのだろうか。私はそれが、不安で不安で仕方がない。
「「………」」
今から少し前に漸く挨拶以上の会話を交わし、そのすぐ後に憎しみからとはいえ人を殺めるという行為に及び、更にそのすぐ後には肌を重ねて心を通わせるにまで至り、そして今こうして二人で寄り添っている。「………」今この時に至るまで、時間にして僅か数時間。たった数時間なのに、まだ出会ってからそんな少しの時間しか共にしていないのに。もう一度、あらためて言おう。その少ない時間の中で私達は、それぞれの肉親を憎しみによって殺めるという行為にまで手を染めてしまった。普通に考えてみて、そんな事は有り得ない事の方に組みされる事なのに、私達はそれを成し遂げてしまっている。そして、更に有り得ない事に、出会いからまだ少しの間柄であるにも関わらず、肌を這わせてしまってもいる。「………」けれど、それこそ。だからこそなのだろうか、こんなにも離れたくなくなっている。私は、もうこの現実を手離したくはない。ずっと、このままでいたい。ずっとこうしていたいのに、そう思わずにはいられないのに、たぶんこうしてはいられない。このままではいられない。では、どうすればイイのだろう? どうすれば、このままこうしていられるのだろうか。このままでいられるのならそれこそ、どんなに幸せだろう。目を覚ますと、梨花ちゃんの髪の毛の甘い香りが、私の鼻を優しく刺激する。おはよー。と、言葉を交わす。そんな朝を毎日、毎年、ずっと、ずっと過ごす。私の腕枕に梨花ちゃんが顔を埋め、二人して身体を寄せ合いながら、梨花ちゃんは眠りに向かう。おやすみなさい。と、言葉を交わす。勿論、私も一緒に。そんな夜を毎日、毎年、ずっと、ずっと過ごす。どうしても妄想してしまう、そんな日々。幸せな日常。穏やかな毎日。そんな時間は、私達には訪れないのだろう。与えられず、掴み取れず、現実という無慈悲な空間に、縛られてしまうのだろう。「………」迫り来る不安と闘いながら、たぶん梨花ちゃんもそう思いながら、私達は。宛の無い弘前市行きの深夜バスに乗り込んだ。
………、
………、
橋野麗菜×村瀬雛子
「結構、さ。空いてたりするんだね………ちょっとだけ、びっくりだわ」ひそひそ、と。私は雛ちゃんに話しかける。結構どころか、利益はあるのかと心配してしまう程にガラガラの状況だ。思いつきの逃避行だから、取り敢えず電車で行けるところまでと考えていたのに、まさか深夜バスのチケットが取れるとは。品川を二十二時発で、弘前に翌朝七時過ぎに着の深夜バスに、身を寄せ合う二人。うん、逃避行って感じだね。ドラマの主人公にでもなったような気分だよ。
「もう、時間だもんね。私も意外に思ってた」
ぼそぼそ、と。雛ちゃんが私にそう返した。そして、きょろ、きょろ。と、不思議そうに周りを見回す。私のように経営状態を考えるまでには至らないだろうけれど、私と同じように、もっと混雑しているものだと思っていたようだ。
「「………」」
腕を乗せる仕切りをシートの背もたれと背もたれの間に押し込み、ぴったり、いいや、べったりと寄り添いながら、指を絡めながら、手に手を握り合いながら、そして頭と頭を寄せながら。私達は発車を待っていた。「ねぇ、ヒナちゃん。なんだかこうしてさ、こっそり身を隠しながら深夜バスに乗ってるとさ、私達って駆け落ちカップルみたいよね。そう思わない?」今夜が特別こんな感じなだけで、普段はもっと混んでいるんだろうなぁー。と、思いながら。そして、そんな事よりも。と、身勝手に思いながら。私はわくわくが止まらないといった様子で、雛ちゃんにそう話しかける。高揚感からか、声が幾分だけ震えている。
「え、あ、うん………ゴメンね、レナ。迷惑どころか道連れだもんね、こんなの」
すると、雛ちゃんは。自分自身こそがこの顛末を巻き起こした張本人だと思っているのだろうその分だけ、そしてその分だけ私の言葉から感受する思いが異なるからなのだろう、巻き込んでしまった私に対しての多大な罪悪感を含んだかのようにそう返した。「いや、その、そんなの気にしないで。私ね、幸せ感じてたりするよ? だってさ、これからはヒナちゃんと二人で、なんだもん」そんな雛ちゃんの心持ちにすぐ気づいた私は、自分自身の失言を反省しつつ、そんな心ない自分自身の軽率さに憤りも覚えつつ、慌てて本音を打ち明ける事で雛ちゃんへの溢れる想いを判ってもらおうとした。もうホント、切腹ものの大失態だよ。どうか、嫌いにならないでください。
「レナ………ありがと。大好き、だよ」
私が責めているワケではないという事は判ってくれてはいたのだろうけれど、それでも私を道連れにしたという罪悪感は拭えない。そんなふうに見て取れる。が、しかし。私からの精一杯の優しい言葉を得る為に、その罪悪感をわざわざ声にして告げてみたようにも思える。雛ちゃんって、小悪魔だからなぁー。って、そんな事を考えてしまう自分がイヤになりながらも、あからさまに安堵の表情と声色を見せる雛ちゃんを見て、私も私で安堵が込み上げてくる。「私もヒナちゃんの事、大好きだよ」そして、雛ちゃんに大好きと告げられて、感情の昂まりが如実に、どどん。と、更に更に上昇してしまうに至った私は、もう抑えられません。と、いう自分の思いに従う意思を示すかのように、雛ちゃんの口唇に自身の口唇を重ね合わせにいった。
「「………んっ、ん」」
この先にあるだろう現実への不安感は、たしかに大きかったのだけれど。とてつもなく大きくて、決して小さいワケがなかったのだけれど。それでも私達は今、ううん。特に私は、自分が選んだこのシチュエーションに、そして同じく選んでくれた雛ちゃんに、少なからずの大きさで盛り上がってもいる。この先の事よりも今、現在。けれどそれは、破滅的という程の感情ではなく、恋する乙女の夢想といったところで、逃避行の過酷さを自覚した上で選択した、覚悟を持った現実逃避などではなかった。故に私達は、特に私の方は、この先に待ち受ける不安よりも、完全に唯一無二の存在となった互いが共にいるという、その高揚感の方を膨らませるに至っている。と、少なくとも。私は、そんなふうに自覚している。雛ちゃんの為なら、どんな事だってする。どんな事だって出来る。と、私は思っている。だからこそこの道を選んだし、この道しか考えられなかった。けれど、雛ちゃんの為? ううん。私の為、だったりもする。もう、雛ちゃんは私のモノだ。今度こそ、雛ちゃんは私だけのモノだ。うん、これは私の………エゴなんだ。だから雛ちゃん、自分で自分を傷つけないでね。私、後悔なんてしていないよ。少しも、ね。
………、
………、
そして数分後、
彼女達七人を乗せたバスは発車した。
………、
………、
………、
AM00:31/サービスエリアにて
石井麻里香×深夜バスの運転手
「ううぅー、腰が固まってるよ」とんとん。と、軽く腰を叩きながら、そう言って私は背を伸ばす。もう何時間になるのだろうか、高速道路を北に向かって走り続けている深夜バスは、とあるサービスエリアで一先ずのトイレ休憩となった。予定時間どおりの到着、流石です。それにしても。「親切な人だよね。貰っちゃってイイのかな。って、もう貰っちゃってるけどさ」と、ぽつり。片手に持った紙コップを見つめながら、感心するようにそう呟くと、そのコップに注がれている色からしてきっとオレンジジュースなのだろうそれを、口に含もうとした………の、だけれど。
「いやぁー、寒いなぁー」
年輩の大ベテランといった感じのその深夜バスの運転手が、すぐ横でつい先程の自分と全く同じ動作をしているのが見えたので。「深夜の長距離運転って、大変ですよね」と、その運転手に話しかけた。
「え、あ、いやぁー、有り難うございます。これが仕事ですから、安全運転で頑張りますよ」
すると、そう言って運転手のおじさまは屈託なく微笑んだ。若い女性に話しかけられて素直に嬉しいといった表情をしていて、それがなんとなく伝わったので。「交代制とか、そういうのってないんですか?」と、続けて訊いてみる事にした。
「ブラックですから、ウチは。でも、大丈夫。時間どおり弘前まで送らせていただきます」
いやはや、全く。そんな感じでそう言うと、再び屈託なく笑う運転手のおじさま。「天気予報では深夜から雨と言っていましたし、大変ですよね。宜しくお願いします」そんな運転手のおじさまに、私は笑顔で返す。「あ、そうだ」そして、「あの、良かったら。これ、どうぞ」と、飲もうとしていたオレンジジュースを差し出した。
「え、イイんですか?」
運転手のおじさまは途端に恐縮したようにそう言ったのだけれど。「どうぞどうぞ。運転、宜しくお願いします」と、私に促されたので。
「では、遠慮なくいただきます。嬉しいなぁー」
と、ごくごく。喉を鳴らしながら美味しそうに飲み干した。
………、
………、
篠原恵子×中田静香
「なんか、イイのかな」
と、紙コップを見つめながら静香先輩が呟く。中身はたぶん、その色からしてオレンジジュースなのでしょう。こんな事をしてもらって申し訳ないといった感じで、飲むべきか飲まざるべきか思案していた。「イイんじゃないですか、もう貰っちゃったんですし」その横で私はというと、これまた同じく紙コップのたぶんオレンジジュースを、ちらり。と、見ながら屈託なくそう告げてみる。
「そうだよね、もう貰っちゃったもんね」
私にそう言われて、たしかにこれでやっぱりお返ししますというのも捨ててしまうのもどちらも失礼でしかないと思い直したのでしょうか、いただこうかしら。と、ごくり。静香先輩は、思案の先にあったそのオレンジジュースを口に含んだ。「私も、飲んじゃおっと」それを見た私も、努めて可愛くそう言うや否やの勢いで、そしてイッキに飲み干す勢いで、口に運んだのだけれど、「あ、ほふら!」と。あ、そうだ。と、言いたくてオレンジジュースを口に含んだまま、もごもご。ジュースを口に含ませたまま、静香先輩へと顔を寄せる。良い事、思いついちゃいました。
「え、ちょ、めぐみ?」
ジュースを口に含んだままイタズラっぽく微笑んで抱きついてくる私を見た静香先輩は、私が何を企んでいるのかすぐに合点した様子で、だからなのか焦燥するに至ったのだけれど。
「ん、んぐっ」
嫌がる素振りを見せたものの、優しい人ですからその思惑を受け入れてはくれるようで、私の口内から注がれてくるオレンジジュースを、ごくん。と、全て飲み干してくれました。「えへへ、美味しかったですか?」静香先輩の口角から、少しだけ零れ伝うジュースを、ぺろり。と、満足そうに舐め取ってそう言うと、私は沸き上がってくる興奮を抑えながら微笑んだ。けれど、そこはかとなく淫らなスイッチが入ってしまい、瞳はたぶんきっと、らんらん。と、輝いている事でしょう。それと、可愛く微笑むよう努めていたつもりなのですが、ぐふふ。と、鼻息ふんがぁーな様相だったと思います。つまるところ、色気も可愛げもあったもんじゃありませんが、私はもう静香先輩から離れたくないので、それはもう仕方ありません。
「もぉー。こら、めぐみ………」
この子って意外と大胆なのね。と、思ったかもしれません。ですが、イヤじゃないけどさ。とも、思ってくれたようにも思えました。静香先輩は、少しばかり驚きながらも。一応はお姉さんとして、無邪気さからくるのだろうと思ってもらえているでしょう私のそんな行為を、嗜めるように口を膨らませてはみるものの、すぐに自分自身が私に対してシテしまった負い目のような後ろめたさを思い出すに至ったのでしょうか、続けようとしていた筈の私への自戒への促しの言葉を、ぴたり。と、飲み込んだようでした。ですが、思い出してしまったその分も含めて、心の内に灯されたのでしょう熱が、その熱が全身を火照らせるのは、もう時間の問題といった感じでもありました。「うぐ、ん………」私は、ズルい女です。これまで苛められ続けてきましたから、人の目を、表情を、感情を、窺い見るようにして生きてきました。そして、なんとか苛められないようにしようと、そんな事ばかり考えてきました。結果的に私は事ある毎に何か失敗してしまうので、苛められる事そのものは避けられませんでしたが、それでもその時間をなるべく短くしよう。と、努めてきました。私は今、そんな自分をフルに活用しようとしています。それも、苛めなんて酷い事は少しもしない、世界で一番に優しい静香先輩に対して、です。静香先輩が私を棄てないように、私が静香先輩から棄てられないように、その強い母性のような情に訴えるように、私は静香先輩を自分だけのモノにしようとしています。それは、自覚しています。私は、イヤな女なんです。でも………私は、静香先輩の事が大好きなんです。
………、
………、
村瀬雛子×橋野麗菜
「なんか、ラッキーだね」
手に持ったたぶん色合いからしてオレンジジュース入りの紙コップを、ちらり。と、見ながら。麗菜が私に話しかけてくれる。「うん、イイ人だよね。あの人」そう返しながら、私は麗菜を笑顔で見つめた。勿論の事、上目遣いで、可愛らしさを感じてもらうように努めながら。
「お返しとかするべきかな」
すると、そんな私に間近でそう見つめられて、どきっ。と、したのでしょうか。麗菜は私から目を逸らしながら、努めて真面目な方向へと話しも逸らし始める。「うーん、御厚意に甘えちゃおうよ」麗菜のそんな判りやすい反応に満足した私は、受け取ったジュースの件よりも、麗菜とのこの距離感を楽しみたかったので、ごくごく。と、さらり。躊躇なく全て飲み干した。「うん、美味しいよ?」そして、麗菜も早くと促すように、そう言った。
「うん。じゃあ、いただきます」
その促しにつられるように、いいや。つられて、麗菜はジュースをイッキに飲み干す。「レナ………ごちそうさま?」水分を浴びて湿った麗菜の艶やかな口唇を見て、その口唇で自分の身体のそこかしこを刺激された感覚を思い起こした私は、その際に告げてくれた私への愛情たっぷりの言葉を、頭の中で反復させてみた。そして、努めて甘く、そして可愛らしく、更にはしおらしく、麗菜へとしなだれかかり、ぎゅっ。と、その腕にしがみつく。
「ヒナ、ちゃん?」
すると、麗菜はあからさまに身体を固くした。こういうトコ、昔から可愛いなぁー。「何処にも行かないで、ね?」私は、麗菜を手離すつもりなんてない。麗菜を道連れにしてしまう事になろうとも、このまま麗菜を失いたくはない。麗菜が傍に居てくれる限り、絶望感に襲われてしまう事はない。麗菜さえずっと居てくれれば、私は幸せでいられる。そんな事を思う私って、もう壊れてしまっているのでしょうか。
「「………」」
ねぇ、麗菜? あのさ、壊れている。と、壊れかけている。って、どう違うのかな………私って、もう普通ではないよね。私は、麗菜が好きでいてくれる私でいられるのかな。麗菜が好きって言ってくれた私って、どんな私だったのかな。私ね、麗菜が好きな私のままでいたい。でも、それがどんな私なのか判らないの。だから、だから、麗菜にどう思われるのか怖くて仕方ないの。でもね、麗菜は私の事を好きって言ってくれたよね? 私の事、救ってくれたよね? だから、だから、もう、私………離れてなんかあげないんだからね。
………、
………、
河合梨花×藤本美里
「みんなの分、買ってあげたの?」
暫し休憩という事で、それならばとトイレに向かった海咲お姉さまは、バスに再び戻ってくると何やら私がジュースをみなさんにお配りしているのを見たらしく、その事について私自身に訊いてみる事にしたようです。「はい。案外みなさん寝ないので」でも、私はその質問を予想してはいませんでした。なので、なかなかお眠りにならないみなさんへのイライラから、ついつい本音を漏らしてしまう。「あっ、いえ、その、折角ですから序でに、です」と、すぐに続けたものの。失言をかき消すべく慌ててだったのは明らかです。
「そう………優しいのね、リカちゃん」
袖が触れ合うのも多少の縁というヤツかな。と、そんなふうに思っていただけたのでしょうか? でも、その表情は。二人が及んだ事の大きさを考えると、あまり人目に触れないでいてほしいな。と、懸念してもいるように見受けられる。持ち運ぶの大変でしたとでも更に続ければ、一度に人数分を自販機からどうやって持ち運んできたんだろう? と、その姿を想像してみる方へと意識を向けてもらえるかしら。「そ、そんな事ないですよ」兎にも角にも。優しいのねと言われたので、褒められたとだけ受け取ったように見せる事にした私は、嬉しさと気恥ずかしさに揺れているふうを装いながら美里お姉さまの腕にしがみつき、甘える素振りで見上げる事で、美里お姉さまの思考も感情も一点に集中させてしまおうとしました。
「え、う、その、リカちゃん?」
途端に、美里お姉さまは絡め取られたようです。作戦は成功しました。それどころか、思わぬ収穫も叶ったかもしれません。美里お姉さま、途端に顔が真っ赤になっています。なんて、可愛い人なんでしょうか。身体中がじんじんとした熱を帯び始め、それとはまた別の疼きが芯から刺激を加えてきちゃいましたよ、私ったら。見つめられて恥ずかしいから目を逸らしたいのですが、見つめられたまま吸い寄せられるように触れ合いたいという欲求もあり、それが私から目を逸らす事を拒み、このままでいる事を要求している。と、今の状況を分析するのは、些か自意識過剰で都合良すぎでしょうか。
「「………」」
ですが、徐々に。
「「………」」
徐々に、徐々に。
「「………」」
少しずつ、少しずつ、二人の距離が狭まり続けていく。どちらからともなく。どちらからでもなく。同じ力を持った、でも真逆の力を持った、故に強烈に惹かれ合うS極とN極のように。
「「んっ、ん………」」
美里お姉さまに気づかれぬよう、睡眠導入剤を砕いて混ぜて溶かしたオレンジジュース。あれを同乗のみなさんにお配りした甲斐は、どうやら徒労に終わるかもしれません。更にその前に、危惧していた事は杞憂だったのかもしれません。そうでもしないと、このような行為に及ぶ事は叶わないとばかり思っていましたもので。みなさんには眠っていただかないと、たっぷりと溺れる事が叶わないと思いましたもので。先程の駅のトイレでの興奮よ、再び。って、いうヤツです。行為に及ぶ回数を二つ三つと重ねる毎に、美里お姉さまは私だけのモノになる。それも、こういう非日常のシチュエーションであればあるほどに。漸く見つけたんです、理想のお姉さまを。でも、私に残された時間はあと僅かかもしれません。私達が犯した事は、許される事でも見逃せる事でもありませんから。理由はどうあれ、法律は絶対です。日本の警察は優秀ですから、最悪のところ明日にでも捕まってしまうかもしれません。そうなれば、漸く見つけた理想のお姉さまとのこの甘い時間は、永久に失われてしまうかもしれません。二人も殺めてしまったのですから、情状の余地ありと判断していただけたとしても、長い間を離れ離れとなって生きていかなくてはなりません。刑期を終えて出てきたその時、美里お姉さまが私を再び選んでくれるかは判りませんし、その頃にはもう二人とも老いてしまっているかもしれません。そうなれば尚更にして、そんな私は選んでもらえないでしょう。なので、今のうちに。今のうちに、私に溺れさせておかないといけないのです。私しかいないと、そのように思わせておかないといけないのです。その為であれば、私はこうして大胆にもなれます。今までの私よ、さようなら。私は、もう止まるワケにはいかないのですよ。って、え? もしかして美里お姉さま、それだけでヤメちゃうんですか? まさかまさかの、お預けですか? そんなぁー。「………」拝啓、オレンジジュースさん。に、溶かした粉の一粒一粒さん。やっぱり、みなさんの出番です。私が頑張って砕いて溶かしたみなさまは、同志です。死ぬ気で頑張ってください!
………、
………、
………、
………、
AM02:05/河合 梨花
雨、ざざざ………です。一時休憩のサービスエリアを出た直後に、ぱらぱら。と、降ってきて。あっと言う間に雨、ざざざ。凄い音がしています。今、何処あたりを走っているのでしょうか。もしもアナウンスで教えてもらえたとしても、例え行き先を告げる青い案内看板や電光掲示板を、カーテンを開けて窓越しに確認したとしても、どこそこまで残りまるまるキロメートルと教えていただけたところで、地理に疎い私には判然としません。結局のところ、発車してすぐアナウンスされた到着予定時刻には目的地に辿り着くのでしょうという事しか、私には情報が何一つないんですよね。あのサービスエリアにも、時間どおりでしたし。こんな事でしたら、日本史ではなく地理の方を選択しておくべきだったかもしれません。でも、到着までまだ時間はたっぷりとあるという事は判ります。そのくらいは判ります。なので、たっぷり。と、溺れる事も可能なんですけど? それに、それを可能とする状況にも成功したんですけど? それなのに、もぉ………意地悪さんですよ、美里お姉さま。「………」今、この車内に聴こえるのは。幾分だけ荒々しくも思いますが軽快に走行する音と、それを掻き消してしまいそうな強さの雨音。そして、暖房の音のみ。席番号どおりに座っているのかどうかは判然としてはいませんが、私達はそれぞれに、空席だらけのこの車内に点々と離れて着席しています。敢えて言えば、好都合な状況。と、いった感じに。各座席を仕切るカーテンによって視界を遮る事は叶っていますし。もしも、例え満員だったとしても、です。溢れ出てしまうでしょう吐息まじりの声さえなんとか我慢すれば、いいえ。もうそんな事どうでもイイ、お構いなしでもイイ。行き着くとこまでイキ果てる事は可能な筈なんです。賽は投げられた、ですよ………って、バレないように及べるよう仕組んできましたのに、なんともふしだらな本末転倒ぶり。あ、反省はしません。でも、ふしだらなのは認めます。激しく自覚しています。もう、限界なんです。「………」他のみなさんは、漸くお眠りになられた御様子です。強引な力技とは思いましたが、仕方がございません。常備しておいて良かったと、常備する程の精神状態にさせられた事を、ここに至っては少しくらいなら感謝してあげてもイイかもしれません。あとは、数百円の出費で欲望の具現化を達成デキるのですから、その為の有効利用としてはあんなの、安いお買い物ですよ。あ、同志と言っておきながら、この言い草。これについては、反省すべきかもです。「………」それにしても、案外と眠らないものなんですね。眠りの森の住人様となられるまでに、かなりの時間を要してしまいました。もしかしたら、考えている事は私と一緒だったのかもしれませんね。ここにいるみなさんは御一人様を除いて、どうやら私達と同じ関係性にあるとお見受けしますし。距離感と言いますか、表情や態度と言いますか、仕草と言いますか、そういう密度で間違いない筈です。でも、まさかそれに至る理由までもが私達と等しいワケではないでしょうから、ここは私に譲ってください。後々のお宿か何処かで思う存分に開放していただくとしまして、みなさんはそのまま私が常用していた睡眠導入剤と、実はおまけで鎮痛剤も大サービスの特製オレンジジュースで、ぐっすり。と、眠ってしまっていてくださいな。先程お配りしたジュースに仕込んだそれらによって、心地良い夢をご覧になっていてくださいな。短時間で全員分のそれを砕くのって、実のところ大変だったんですから。もっと早くに思いついていれば、その労力も少しは減ったのでしょうが、こんながらんがらんの車内でもお預けにされるという危惧なんて、暫くするまで思ってもいなかったものですから。こっそり、と。では、ありましたが。私がそのお薬を何気なく砕く余裕があるくらいに、お預けですよ? こんなにも健気な私が、何をしたというのでしょうか。美里お姉さま、もしかしたらタンパク寄りな人なのでしょうか? 所謂ところの、草食系という人なのでしょうか? お姉さまになってくださると約束したのにまだ私の事、ちゃん付けのままですし。私が拒否する可能性なんて、ゼロ。そんなのは判りきっている筈なのに………。ちらり。と、窺ってみても。眠る気配は全くと言っても差し支えない程に見られませんし、なんだかそわそわしているようにも見受けられます。もぞもぞしているようにも思えます。希望的観測を激しく含みますが、梨花の事が欲しくて欲しくてたまらないのよ、と。きっと、そのように思ってくださっている筈なのですが。だって美里お姉さまには、みなさんとは真逆のおクスリを混ぜたジュースを飲ませましたので。なので、効果はある筈です。ばっちり、と。その効果は出ている筈なのです。目眩く桃色な世界へのスイッチは入っていると思うのですが、それなのにどうして触れてこないのでしょうか。私なんて何も服用せずとも、既に身体が疼きすぎて身震いしているくらいですよ。つい先程、既にお預けを喰らってもいますからね。もしかして、実は効いていらっしゃらないとか? ですが、みなさんがぐっすりと眠りの森に潜んでしまわれたのを、御自身で何気なく見渡しながら確認していましたよね? 後はもう、運転手のおじさまに気づかれないようにすればイイ。と、そのような結論に達したとほくそ笑んでいましたのに、私。それに、幸いにも運転席からここは離れておりますし、この雨音です。少しくらいなら、激しくても気づかれないかもしれませんよ? 逆に言えば、こういう聞こえるかもしれない状況下で、それでも声を押し殺して求め合うというのも、それはそれでとんでもなく興奮すると思いますよ? ここまでお膳立てをしたのですから、後はもう潜り込むようにして私の下腹部へと顔を埋めてくださって構いませんし、逆に私の頭を両手で押さえ込み、そのまま御自身のそこへと押しつけていただくのも興奮します。どれもこれも何もかも、美里お姉さまのお好きにシテいただきたい。そんな謂わば昇りつめて果てるまで、つまるところ存分に堪能デキる、そういう環境にあるというのに。このようなお預けは精神的にも肉体的にも、健康によくありませんよぉ………。
がたん!
え? あ、そう言えば。なんだか先程から、運転が荒くなっているような気が。私の鼓動くらい、もしかしたら鼻息くらい、若しくはこの雨音くらい荒いのでは………これでは、みなさん起きてしまいますよ。どうか先程までのように、安全運転でお願いします。時間どおりに到着しなくたって構わないのですから。それはそれで美里お姉さまと、この席での情事に耽る時間が長くなるという事ですからね。って、早く旅館かホテルで二人きりになりたいところではありますが。こんな事でしたら、あの運転手のおじさまにも栄養ドリンク的な何かを差し入れするべきでしたか。あ、それだとこれ以上パワフルさんになってしまいますよね。でしたら、みなさんと同じように睡眠剤を………って、運転手を眠らせてどうする。ダメですね、私。思考が散漫になってきました。もう、我慢の限界のようです………限界を越えちゃっているかもしれません。これで漸く叶うと既に期待してしまいましたから、もう触ってもらわないとオカシクなりそうです。まさか、美里お姉さまのすぐ横で、独りで慰めるワケにもいきませんし。ねぇ、美里お姉さま………こんなところでそんな事をしてはイケナイだなんて、そのような自制心を発揮しなくてもイイのですよ? ここまで来て、思慮深くある必要なんてないのですよ? 優しい人ですから、私の事を気遣っているのかしら。私にそのような不埒な思いをさせるワケにはいかない、とか。でも、でも、私自身がそれを渇望しているのですから、思うままにたっぷりと、私を美里お姉さまのモノにシテいただいて構いませんのに。それに、駅のおトイレで既に不埒はクリアしておりますし。あ、私が渇望しているだなんて、まさかそんな女だなんて、そのようには思っていないのかしら? そうだとしたら、とんだミステイクです。こんな事なら、みなさんの内の何方かが始めてしまうのを期待して、向こうもそうみたいですから此方も、という方向に賭けてみるべきだったかもしれませんね。それとも、お薬で眠らせた事を正直に白状して、その上で安心していただいて、それで存分に導いていただくべきでしょうか。え、え、え、美里お姉さまったら………まさか、まさか、眠ろうとしているのですか? もしかして、本当にお薬が効いていらっしゃらない、とか? そうですか………もう、こうなったら私の方からお誘いするしか………あ、駅のおトイレでの時もそうでしたね。私の方からお誘いしたんでした。やっぱりここは、大胆に臨むしかないようです。
私から、
誘っちゃいましょう………。
ぐらぐらっ!!
え………?
………っ!
ぐらっ、ぐらぐらっ!!
えっ?
えっ?
ウソ、でしょ?!
………、
………、
………、
………、
AM07:01/テレビのニュース
昨日深夜未明、新宿発弘前行きの深夜バスが運転を誤って横転し、そのまま勢いよく壁に激突して大破した模様です。そのバスの運転手一名と乗客七名の計八名、全員の死亡が確認されました。県警によりますと、事故現場に残されたブレーキ痕などから見て、運転手による居眠り運転が原因ではないかという事で、現在その勤務状況などに無理がなかったか等々、詳しい事故原因を捜査中との事です。
繰り返します。
昨日深夜未明~、
………、
………、
………。
GOOD-BYE HONEY / 終わり
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