同調、それだけでいいよ

あおなゆみ

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第5章 残したい、最後の私達は

23話

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 仁井くんは私にキスをした。
一瞬だけ触れ、すぐに離れる。

「私が第二ボタンを奪ったから?」

何も言わない仁井くんに、私は真剣に聞いた。
何に対してなのか分からない涙が溢れそうになる。
喜びなのか、もう青春を取り戻せない切なさなのか、自分のズルさに対してなのか。
仁井くんと、それしかないかのように目が合う。
私と似たような目をして、似たような思いでいるのかもしれない。

「うん、多分。第二ボタンをあげたから、そのお返しを貰おうとして」

仁井くんも真面目に答えた。

「仁井くん、物には優しいのに、本当は案外強引だったりして」

「ごめん」

「私もごめん。本当は、待ってたから」

「そっか」

「うん」

五感が満たされても、心が満たされたわけではなかった。
キスされる直前が、一番良かったと思う。
でも、後悔はない。
残して、残された。
これで、もう十分だ。

「じゃあ私、先に帰るね」

泣きたい、に近いだろうか。
そんな感情で、私は言った。

「うん、気をつけて」

何事もなかったかのように、仁井くんは私を見送ろうとする。

 仁井くんは、ズルい男なのだ。
私に司を選ばせた要因の一つは、その、所々に垣間見えるズルさだ。
そして、同じズルさを私も持っている。
それが、仁井くんが私を選ばなかった理由の一つだろう。
だから、ズルさとズルさが合わさった時、私達は終わりを迎える。
本当に最後のお別れ。

「仁井くん。仁井くんとの共感、良かったよ。でも、これからは私・・・同調、それだけでいいの。それだけで。むしろ、それがいい。司とは共感がなくたっていい。共感した瞬間に、終わると思う」

「俺らには共感、それだけだった」

「うん」

そして、本当に本当の、最後のお別れを言う。

「仁井くん、元気でね」

「山村さんも、元気で」

「楽しかったし、優しかったね」

「そうだね。色々と」

「うん」

「じゃあね」

「じゃあ」

私は仁井くんに笑顔を見せ、仁井くんの笑顔を最後まで目に焼き付け、その場を後にした。
廊下を歩きながら、もどかしさが体中に溢れてくる。
それが、キスしたことからくるものなのか、正しい終わりだったのかを慌てて思い返そうとするせいなのか、分からない。
でも、思い返そうとすればするほど、さっきまでの二人の空間が薄れてしまいそうで、考えるのをやめた。
歩くよりも走りたくて、私は階段を駆け降り、廊下を抜け、玄関まで行く。

 すると、そこに司がいた。
私はすぐに、右手に握られた仁井くんの第二ボタンを意識する。

「司」

平常心を保つ。
でも、走ったばかりで、呼吸で肩が上下する。

「沙咲、どうした?急いでるの?」

司は言った。

「ううん。ただ、早く外、出た方が良いかと思って走ったの。忘れ物して戻っただけだから」

「そっか」

今、仁井くんがここに来てしまったらどうしよう、そう思いながら、私は呼吸が落ち着くのを待っていた。
例えキスをしたとしても、私達にやましい気持ちはない。
ただ、思い出が欲しかっただけ。
これから先、辛い時に思い出す、特別な思い出。
共感みたいな、優しさが詰まった記憶。

「一緒に帰ろう」

司が手を伸ばした。
彼が伸ばしたのは幸い、利き腕の右手で、私は第二ボタンを握っていない左手で司と手を繋ぐ。

「私と帰っていいの?他に話したい人がいるなら、ゆっくり話せばいいのに」

「もう話し終わった。っていうか、夜にカラオケ行くから、また集まるし。それにさ、学校から一緒に帰れるの、今日が最後だよ?」

司は、司らしいことを言う。
その発想はなかったな、と心で思った。
司との下校は、これで最後なのだ。

 歩き出してから、私は司が気付かないように後ろを見遣った。
仁井くんがいるのを期待しているのか、自分でも分からなかったけれど、結局そこには誰もいない。
本当に最後だったんだ、と冷静に思う。

「司がいて、良かった」

「え?何が?」

寂しかったから、なんて、そんなことは言えない。
私は結局、”寂しい”を言えずに、誰にも言えずに、卒業を迎えたのだ。

「一人で帰ろうと思ってたから」

「そっか。なら良かった」

 仁井くんもさっき、良かったと言った。
私と司がうまくいっていて良かった、と。

「司。いつも、ありがとね」

司が私の好きな人。
司は私とは違って、だから好きな人。

「急にどうしたの?」

私の様子がおかしいことに、司は気付いているだろうか。

「卒業式だったから。伝えようと思っただけ」

「こちらこそ、ありがとう。これからもよろしく」

司はきっと気付いていない。
それは同時に、私も司の変化に気付けないことの合図かもしれなかった。

 私はやっぱりズルい。
司と手を繋ぎなら、繋いでいない方の手の中の第二ボタンを、制服のポケットにこっそりしまう。
そしてその手で、私と繋がれた司の手をトントンと、撫でた。
司、ごめんね。
好きだよ。
心でそう呟きながら。
  

 あの卒業式の日、仁井くんという共感は、思い出になった。
きっと、思い出すことはあっても、恋しくなることはないだろう。
猛烈に戻りたくなっても、現実を見失うことはないはずだ。


 そして今。
私は、時々行う仁井くんとの回想をやめ、司の大学まで向かっていた。
これまでに一度も、司の大学に来たことはない。
終わる時間だけを聞いていたから、司は私が迎えに来るとはもちろん知らない。
まさか来るとも思っていないだろう。

 大学の前で司を待つ。
同い年の人も沢山いるはずのその場所には、親近感というものが一つもなかった。
一人で歩く人にも、数人で話しながら歩く人達にも、何一つ親近感が湧かない。
毎日通う場所が違うだけで、関わったことがないだけで、こんなにも違う。
関係、感情、全て違う。
だけど、どんなに小さなことだしても、何かきっかけさえあれば、案外すぐに親しくなれるかもしれない。
反対に、どんなに親しくなっても、繋ぎ止める努力をしなければ、簡単に私達は思い出に変わってしまう。 
それが、どんなに好きだった人であっても。

 人混みの中から、司が現れた。
この瞬間の、唯一の親近感だ。
普段は、私とは違うと思っている司のことも、この空間でだけは私と結び付く唯一の人だ。
しかも、司は一人で歩いていた。
高校時代、いつも誰かと一緒にいる司ばかり見ていたから、なんだか意外だった。
別に、当たり前のことなのに。
私は、見てはいけないものを見たみたいな気持ちになり、一人でいる彼の表情を見て見ぬフリをした。
 そして、思った。
私は、司を知った気になってはいけない。
彼は私とは違う、という前置きばかりに頼ってはいけないと。
だけど、だからといって、司に共感を求めるのは違う、とも思う。
私が共感を求めれば、仁井くんと同じになってしまうから。
きっと、思い出にしたくなるから。
共感を絶対に求めないと誓った。
司には。
司にだけは。

 いつも私の前を歩いてくれていた司。
今度は私が、私達のきっかけを作ってくれた司の、今後も長く続く、きっかけや理由になろう。
 同じ高校に通っていて、顔見知りになり、そこで止まらずに、言葉を交わした。
親しくなり、惹かれ合い、付き合うことにもなった。
高校を卒業しても、その関係は続いている。
その事実がどれほど凄いことで、大切にされるべきか理解しなければならない。
そしてその事実は、司が作ったと言っても過言ではない。

 
「沙咲?」

私を見つけた司は、周りの目なんて気にせずに、手を振りながら私の元まで駆けて来る。
私だったら、遠慮気味に近づきながら、遠慮気味に手を振り、そしてようやく、小さな声で彼の名前を呼ぶのだろう。

 だから、司。
私は司が好き。
私に最初に気付いてくれた司が愛しい。
友達も多く、大勢に囲まれていた司を見つめるのはどこか切なくて、良かった。   
私を守ろうとする少しの抵抗も、嬉しかった。
舞台上で芝居する司を見られたこと、それだけで十分だった。
俳優という圧倒的な魅力を諦めても、司は変わらないよ。


「どうしたの?迎えに来てくれたの?」

「うん。珍しいでしょ」

「俺は嬉しいけど」

司は躊躇いなく手を繋いできて、その真っすぐさに今さらながら、目眩に似た不安を覚える。 
卒業式の日の、私の手の中の仁井くんの第二ボタン。
今も捨てられるわけもなく、置き場所を明確に覚えている第二ボタン。
例えば、明日もし私が突然死んでしまったら、元の持ち主さえも近くにいない第二ボタン。
あの第二ボタンが、私と仁井くんのつながりを表せる唯一の物的証拠。
そういう後ろめたいような気持ちが、司の真っ直ぐさを前にすると私を不安にさせる。
自分のせいだということも分かった上で。

「家行ってもいい?」

司が甘えるように言った。

「うん」

クールなフリして、私は答える。
また、ほんの一瞬、仁井くんの第二ボタンのことが頭を過ぎる。

 迎えに行くなんて柄にも無いことをするのは、相手に、何かを疑う隙を与えることになるかもしれない。
何かやましいことでもあるのかと、司は私を訝っている可能性もある。
反対に、そんなこと思わず素直に、迎えに来たことを喜んでくれている気もした。
そもそも、そんなことを考えてしまう自分が、一番良くないことも分かっている。
そして、その一連を考えたところで、結局私は変わろうともしていないし、変わりたいとも思っていないのだった。
同調がそこにあるだけ。
 あの日の、あのキスで私は、共感できる相手との安心感や喜びを捨ててしまった。
仁井くんとは何かを残したのだとしたら、司とはとにかく今を、今この瞬間を、怠惰に似た、だけど気を抜けないような緊張感の中で生きていけると思った。
 つまり共感は、安心感は、本当の自分を見せることは、私にとっての生きづらさなのかもしれない。
共感を求めすぎることが苦痛でならない。
代わりに同調は、自分の多くを見せずに済むから、どこか気楽で、気持ちの浮き沈みを少なくできる、自分を守るためのものと言えるのだろう。

 だから私は、司の隣にとどまり続けたい。
これは私にとっての逃避なのかもしれない。
同調することで得た、自分の幸せ。
結局私は、共感で幸せを得ることが出来なかったのだ。
共感の仁井くんと逃げた場所は、私達には騒がし過ぎた。
華々しい中華街、あの眩しさは、似た者同士が集ったとしても、きっと、一時なら良い。 
だけど、いつか分かり合えなくなった時に、悲しさや憎しみで溢れ返る、落ち着かない場所に変わってしまう。
 むしろ、司といることが、静かな逃避。
私は穏やかでいられる。
これは、とどまる逃避だ。
足りないものを埋めるような、司。
私は、同調を選んだ。
同調以上のものなんてないと気付いた。
そして、卒業から時間が経てば経つほど、そこに諦めが含まれていることにも気付いていく。

 さよなら、共感。
同調と共感は、私にとって全く違う。
自分を表現することへの永遠の逃避と、優しさに溢れたいつかの思い出だ。
だから私は。
私は、もう・・・
同調、それだけでいいよ。
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