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第2章 似ているあなたの原型は
5話
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「私は仁井くんがずっと気になってるの。理花子と付き合うよりも前から。理花子と付き合ってからも」
「気になるっていうのは、好きってこと?」
「気になるの」
「気になるって、何?」
こんなところで二人きりになっている段階から、私はおかしかった。
呼び出す仁井くんだっておかしいし、理花子の好きなところを聞く私もおかしい。
急に抱きしめるのなんて、一番おかしい。
思っても、行動に移したらダメなこと。
「気になるのは、気になるの。それより、同調したいって、なんなの・・・なんで彼女がいるくせに、そんなこと・・・」
「もしかして俺も、山村さんのこと好きなんじゃないの?」
そんなの、私に聞いてどうする、と思ってしまって、つい笑って答える。
「うん。違うよ」
「でも、山村さんは・・・」
「私の片想い。ねえ、仁井くん。同調、それだけでいいよ」
「えっ」
仁井くんには理花子がいる。
だから私は、同調だけでいいと思った。
それだけで十分で、それ以上はいらない。
それだけで嬉しい。
「同調だけでいい。それだけで有り難いから、告白しといてなんだけど、こういうのやめよう」
「でも・・・」
「じゃあ、私にトントンってして。そしたらきっと気持ちの整理になる。私にぶつかっちゃって、勘違いしてごめんって。トントンって肩に触れたら、落ち着くと思う」
物言いたげな仁井くんの右手を、私の左肩に無理やり乗せた。
すると仁井くんは私の肩から手を離し、入れ替えに、左手を私の右肩に乗せた。
「俺、左利きなんだ。左手の方が良いかも」
「あ、そうだったね。ごめん。仁井くんのことよく見てたから、それも知ってたのに」
仁井くんは笑う。
「そっか。気になる人がいれば、そういう細かいところまで見ちゃうのは分かる」
「じゃあ、トントンってしたら、おしまい」
彼の手の熱が肩に伝わってくる。
「俺、親父が物にあたる人でさ。怒りのゲージが1でも100でも、とにかく物にあたるんだよ。その音に小さい頃から怯えてた。ヒビの入った写真立て、へこんだ壁、傷付いた戸棚。まあ、殴られてないだけ全然マシだよな。そんなことで悩んでるって、ダサいよな。男なのに」
「そんなことないよ。そういうのって大きさの差はあっても皆あると思う。私は両親が、疲れたって言う度に、私のせいだと思っちゃう」
「ちょっと分かるかも」
「それも同調?」
「いや。今のは本当に分かるよ」
「仁井くんはそういう恐怖があったから、自分は物にあたれないし、物が不憫でならないの?」
「まあ、そんなところ。もう、癖になっちゃってんだ。トントンってしないと、気が済まない」
「そっか。じゃあ、はい。どうぞ」
「山村さんは物じゃないからな・・・」
修学旅行の夜、トントンとされたのを思い出す。
「細かいことはいいから。トントンってして」
「ああ、分かった」
仁井くんは左手で私の肩をトントンとした。
これでおしまい。
危なかった。
私はもう、自分を見失いたいくない。
「じゃあ、行くね」
逃げるように去ろうとして、ひとつ言い忘れていたことに気付く。
「仁井くん。もし偶然、私と尾田先生の噂を聞くことがあったら、その時は違うらしいよって言ってほしい」
「分かった。だって、違うもんな」
「当たり前じゃん」
「うん」
その噂は、仁井くんのお陰なのか、広まることはなかった。
私は噂や情報に疎いが、理花子やクラスメイトに冷たい視線を向けられることがなかったのが何よりの証拠だ。
尾田先生は相変わらず、私に悲しい視線を向け続けた。
「ねえ、この写真見て」
構う人がいなかったのか理花子が、登校して私の教室に来るや否や話し掛けてくる。
その写真には、見覚えのあるカチューシャをつける理花子が写っていた。
うさぎの耳なのか、よく分からない、あのカチューシャ。
「これ、何の生き物の耳?」
私が聞くと、それこそが私に言ってほしかったことだったようで、
「でしょ!これ何の耳ってなるでしょ。正直センスないよね。あ、これ詩音がくれたの」
と、楽しそうに話す。
「そうなんだ」
仁井くん、結局買ったんだ。
修学旅行の時、迷いに迷って買ったんだろう。
理花子のことを沢山考えながら。
彼女のお喋りは止まらない。
相変わらず強い視線も向けられる。
「前なんか、分厚い本のプレゼントされてさ。読まないよー。いくら好きな人の好きな本でも、分厚いうえに、字が小さいの。まあ一応少しだけ読んでみたけど、何のことやらさっぱり」
「へー。それは大変だね。でも、仁井くんは喜んでもらえると思ったんだろうね」
「うん。まあ、そんなところも面白いからいいんだけどさ。この耳だって、私に似合うと思ったらしいよ」
嬉しいに決まってる。
仁井くんが選んだものなら。
理花子は強い視線を一瞬、何か違うものが混ざったような、いつの日か見たような目に変えた。
私には逆らえない。
制御できない、あの目だ。
あの目で、私を強く囚える。
そして、言った。
「カチューシャで思い出したけど、あのネックレスってまだ持ってる?」
理花子の口元には、嫌な笑みが含まれているようだった。
どうしようもない怒りと悲しみが蘇る。
「どうだろう、分からない」
「分からないことないでしょ。私は持ってるよ」
「ごめん、本当に分からない」
どうして理花子は時々こうやって、私の気分を害そうとするのか。
私が理花子を怒れないのを知りながら。
もしかしたら彼女は、確かめているのかもしれない。
私がどこまでなら、許してくれるのかを。
一瞬、仁井くんと私の間にあったことを、何か一つでも知ってしまったのではないかと不安にもなったが、それはないと結論づける。
理花子が私について知ってることより、私が理花子について知ってることの方が多いと思ったからだ。
私がいつも、理花子の機嫌を伺って、同調し続けてきた証。
それに、仁井くんはあの水飲み場での出来事以来、個人的に連絡をしてきたり、私にだけ分かるような合図を送ってこない。
ただ、理花子も含めて同じ輪の中にいることがあるだけだ。
それに何の不満もなかった。
でも、こうやって理花子が、嫌な記憶を掘り出してくると、仁井くんのトントンと謝る手をわざと思い出そうとする自分がいる。
「まあ、どうしても思い出せないならいいけど」
私が居心地の悪い顔をしていたんだと思う。
理花子が話題を変えようとする。
「そういえばさ。誰にも言わないでよ」
私がこの類の前置きを嫌いになったのは、きっと彼女のせいだ。
これまでに何回聞いただろう。
彼女の内緒ではない内緒話を。
「うん。何?」
理花子は私に近づき、耳元で言った。
「修学旅行で、尾田先生に言い寄られた」
私は驚いたフリをして、理花子の顔を見る。
どこか嬉しそうに見えるのは、私の勘違いではない。
私が慌てるほど、彼女は喜ぶ。
それを私は知っている。
それに・・・
「えっ、あの尾田先生に?」
「うん。初日の夜、私が部屋から抜け出した時にバレて」
「それで?」
「私、沙咲のこと、言い訳に使っちゃった。別室で休んでるって聞いたから探してるんですけど、どこですか?って。そしたら、先生、山村は大丈夫だからって言うの。それよりお前、仁井と付き合ってるのかって」
それに・・・
理花子は、嘘つきだ。
いじらしい目を私に向けている。
私は従順に、理花子の話に興味があるフリをした。
「それで、何て答えたの?」
別に彼女が嘘をつくのが下手なわけではない。
それなのに彼女の嘘はあからさまで、いやらしい。
私を苛立たせ、呆れさせる。
「付き合ってますって答えて、なんでそんなこと聞くんですか?って聞いてみたの。そしたら先生、言わなくても分かるだろうって」
一体、何の為の嘘なのか。
自分は教師にまでモテると思われたいのか。
関心を持ってほしいだけなのか。
さっぱり分からない。
彼女はよく嘘をつくから、高二の春に仁井くんと付き合うことになったと言ってきた時も、いつものように疑おうとした。
でもすぐに彼女は、いつもと違う、ただの純粋の塊みたいな目を私に向けた。
私にとっては、いつもの嘘つきな、いじらしい目の方がまだマシで、何なら彼女の嘘に気付いている優越感すらあったくらいだ。
だから、恋する彼女の目はつまらなかった。
わざわざ、私の好きな人と付き合うなんて。
それすら仕組んだのかと思ってしまう。
仁井くんは、嘘つきで、自分勝手で、人を支配したがる理花子に騙される男に成り下がった。
それでも彼のトントンを見る度に、私の一等賞は彼であると証明された。
彼を嫌いになれなかった。
理花子の尾田先生から言い寄られた話は、そこまで具体的な話にいかず終わった。
私はその話を嘘だと確信しながらも、私を悲しく見つめた尾田先生を思い出す。
そして改めて理花子が、なぜ今になってネックレスの話をし出したのか、不審に思った。
「遊ばない?」
司くんが突然そんなことを言ってきたのは、授業の間の十分休憩の時だった。
それも、理花子や仁井くんがいる輪の中でだ。
私はその、”遊ぶ”という言葉のチョイスに、一瞬危うい駆け引きみたいなイメージを思い浮かべたけれど、すぐに
「放課後、映画観たりさ」
と司くんは付け加えた。
理花子は、目を輝かせ
「いいじゃん!沙咲、どう?司、優しいよ」
と一番興奮している。
私が男子に好かれるのを面白く思わなさそうなのに、とにかく司くんとくっつけたいみたいだった。
やはり、私と仁井くんとの間の何かを知っているのだろうか。
「映画なら、別にいいけど・・・」
断るのが一番この場に似つかわしくないと思い、承諾すると司くんは喜んでくれた。
もちろん、理花子も。
「早速今日の放課後、空いてない?」
そう聞かれた時に、自然と仁井くんが視界に入ったけれど、
「いいよ」
と答えた。
仁井くんは、私が戸惑いを隠せなくなってしまいそうなほど、不機嫌な顔をしていた。
そして、何となく予感していた通り、仁井くんは私に合図を送ってきたのだ。
またあの、上を指すポーズ。
私はさりげなく首を横に振ったが、仁井くんはさっきより強調するように人差し指を上に向けた。
やっぱり左手だった。
昼休み、一学年下の生徒に見られながら水飲み場に行くと、仁井くんがいた。
「それはないわ」
と第一声に言われる。
私は
「そっちこそ、これはないわ」
と言い返した。
「俺のこと好きって言ったくせに、司にそんな簡単に乗せられて」
正直、私の一等賞は可愛かった。
嫉妬しているのだ。
それも、私に。
でも、恋人がいるから、目の前の一等賞はダメな男だ。
ふさわしくない怒りを私に向けている。
だから、
「彼女いるくせに、そんなこと言う方があり得ないでしょ。それに、同調したいって言ったのに。同調したいなら、司くんと遊びに行く私の気持ちを尊重してよ」
と、感情をたっぷりと込めて言った。
私は思う。
嘘をついた理花子に気付く時の優越感を。
そして今私は、理花子の彼氏に嫉妬されている優越感の真っ只中だ。
「それなら、もう俺のことは好きじゃないって言わないと」
「え?片想いしてる相手に、好きじゃなくなりましたって、報告する義務はないと思うけど」
「それにしても、タイミングが早すぎるから」
仁井くんんは左手で私の右腕を掴むと、水飲み場の奥の方まで引っ張った。
私はそれが少し頭にきて、
「コソコソしながら話してるこの状況がおかしいよ、仁井くん。高二で浮気とか、将来が心配になる」
と強く言い放ち、私はその場を去ろうと歩き出した。
「じゃあ、別れるよ」
仁井くんのその言葉に、足は自然に止まる。
「理花子のこと、嫌いになってないのに?」
振り向かずに問い掛ける。
「山村さん、理花子のことが嫌いなら、俺も理花子を嫌いになるような情報、教えてよ」
仁井くんは、私のことが好きなのだろうか。
ただ私が可哀想で、同調してあげたいってだけなんじゃないか。
自分を好きと言ってくれる私に対して、優越感に浸って、調子に乗っているだけかもしれない。
私達は、急に感情的になり過ぎている。
出だしが目立ち過ぎると、その分、後も目立たせないといけない気がして、焦ってしまうのかもしれない。
私達の出だしは、逃避だった。
一夜の逃避。
でも、それなら。
私にもチャンスがあるのかもしれない。
「理花子は・・・あの女は・・・」
私は振り向き、仁井くんの目を強く見た。
「あの女は、万引きするような女だよ」
「気になるっていうのは、好きってこと?」
「気になるの」
「気になるって、何?」
こんなところで二人きりになっている段階から、私はおかしかった。
呼び出す仁井くんだっておかしいし、理花子の好きなところを聞く私もおかしい。
急に抱きしめるのなんて、一番おかしい。
思っても、行動に移したらダメなこと。
「気になるのは、気になるの。それより、同調したいって、なんなの・・・なんで彼女がいるくせに、そんなこと・・・」
「もしかして俺も、山村さんのこと好きなんじゃないの?」
そんなの、私に聞いてどうする、と思ってしまって、つい笑って答える。
「うん。違うよ」
「でも、山村さんは・・・」
「私の片想い。ねえ、仁井くん。同調、それだけでいいよ」
「えっ」
仁井くんには理花子がいる。
だから私は、同調だけでいいと思った。
それだけで十分で、それ以上はいらない。
それだけで嬉しい。
「同調だけでいい。それだけで有り難いから、告白しといてなんだけど、こういうのやめよう」
「でも・・・」
「じゃあ、私にトントンってして。そしたらきっと気持ちの整理になる。私にぶつかっちゃって、勘違いしてごめんって。トントンって肩に触れたら、落ち着くと思う」
物言いたげな仁井くんの右手を、私の左肩に無理やり乗せた。
すると仁井くんは私の肩から手を離し、入れ替えに、左手を私の右肩に乗せた。
「俺、左利きなんだ。左手の方が良いかも」
「あ、そうだったね。ごめん。仁井くんのことよく見てたから、それも知ってたのに」
仁井くんは笑う。
「そっか。気になる人がいれば、そういう細かいところまで見ちゃうのは分かる」
「じゃあ、トントンってしたら、おしまい」
彼の手の熱が肩に伝わってくる。
「俺、親父が物にあたる人でさ。怒りのゲージが1でも100でも、とにかく物にあたるんだよ。その音に小さい頃から怯えてた。ヒビの入った写真立て、へこんだ壁、傷付いた戸棚。まあ、殴られてないだけ全然マシだよな。そんなことで悩んでるって、ダサいよな。男なのに」
「そんなことないよ。そういうのって大きさの差はあっても皆あると思う。私は両親が、疲れたって言う度に、私のせいだと思っちゃう」
「ちょっと分かるかも」
「それも同調?」
「いや。今のは本当に分かるよ」
「仁井くんはそういう恐怖があったから、自分は物にあたれないし、物が不憫でならないの?」
「まあ、そんなところ。もう、癖になっちゃってんだ。トントンってしないと、気が済まない」
「そっか。じゃあ、はい。どうぞ」
「山村さんは物じゃないからな・・・」
修学旅行の夜、トントンとされたのを思い出す。
「細かいことはいいから。トントンってして」
「ああ、分かった」
仁井くんは左手で私の肩をトントンとした。
これでおしまい。
危なかった。
私はもう、自分を見失いたいくない。
「じゃあ、行くね」
逃げるように去ろうとして、ひとつ言い忘れていたことに気付く。
「仁井くん。もし偶然、私と尾田先生の噂を聞くことがあったら、その時は違うらしいよって言ってほしい」
「分かった。だって、違うもんな」
「当たり前じゃん」
「うん」
その噂は、仁井くんのお陰なのか、広まることはなかった。
私は噂や情報に疎いが、理花子やクラスメイトに冷たい視線を向けられることがなかったのが何よりの証拠だ。
尾田先生は相変わらず、私に悲しい視線を向け続けた。
「ねえ、この写真見て」
構う人がいなかったのか理花子が、登校して私の教室に来るや否や話し掛けてくる。
その写真には、見覚えのあるカチューシャをつける理花子が写っていた。
うさぎの耳なのか、よく分からない、あのカチューシャ。
「これ、何の生き物の耳?」
私が聞くと、それこそが私に言ってほしかったことだったようで、
「でしょ!これ何の耳ってなるでしょ。正直センスないよね。あ、これ詩音がくれたの」
と、楽しそうに話す。
「そうなんだ」
仁井くん、結局買ったんだ。
修学旅行の時、迷いに迷って買ったんだろう。
理花子のことを沢山考えながら。
彼女のお喋りは止まらない。
相変わらず強い視線も向けられる。
「前なんか、分厚い本のプレゼントされてさ。読まないよー。いくら好きな人の好きな本でも、分厚いうえに、字が小さいの。まあ一応少しだけ読んでみたけど、何のことやらさっぱり」
「へー。それは大変だね。でも、仁井くんは喜んでもらえると思ったんだろうね」
「うん。まあ、そんなところも面白いからいいんだけどさ。この耳だって、私に似合うと思ったらしいよ」
嬉しいに決まってる。
仁井くんが選んだものなら。
理花子は強い視線を一瞬、何か違うものが混ざったような、いつの日か見たような目に変えた。
私には逆らえない。
制御できない、あの目だ。
あの目で、私を強く囚える。
そして、言った。
「カチューシャで思い出したけど、あのネックレスってまだ持ってる?」
理花子の口元には、嫌な笑みが含まれているようだった。
どうしようもない怒りと悲しみが蘇る。
「どうだろう、分からない」
「分からないことないでしょ。私は持ってるよ」
「ごめん、本当に分からない」
どうして理花子は時々こうやって、私の気分を害そうとするのか。
私が理花子を怒れないのを知りながら。
もしかしたら彼女は、確かめているのかもしれない。
私がどこまでなら、許してくれるのかを。
一瞬、仁井くんと私の間にあったことを、何か一つでも知ってしまったのではないかと不安にもなったが、それはないと結論づける。
理花子が私について知ってることより、私が理花子について知ってることの方が多いと思ったからだ。
私がいつも、理花子の機嫌を伺って、同調し続けてきた証。
それに、仁井くんはあの水飲み場での出来事以来、個人的に連絡をしてきたり、私にだけ分かるような合図を送ってこない。
ただ、理花子も含めて同じ輪の中にいることがあるだけだ。
それに何の不満もなかった。
でも、こうやって理花子が、嫌な記憶を掘り出してくると、仁井くんのトントンと謝る手をわざと思い出そうとする自分がいる。
「まあ、どうしても思い出せないならいいけど」
私が居心地の悪い顔をしていたんだと思う。
理花子が話題を変えようとする。
「そういえばさ。誰にも言わないでよ」
私がこの類の前置きを嫌いになったのは、きっと彼女のせいだ。
これまでに何回聞いただろう。
彼女の内緒ではない内緒話を。
「うん。何?」
理花子は私に近づき、耳元で言った。
「修学旅行で、尾田先生に言い寄られた」
私は驚いたフリをして、理花子の顔を見る。
どこか嬉しそうに見えるのは、私の勘違いではない。
私が慌てるほど、彼女は喜ぶ。
それを私は知っている。
それに・・・
「えっ、あの尾田先生に?」
「うん。初日の夜、私が部屋から抜け出した時にバレて」
「それで?」
「私、沙咲のこと、言い訳に使っちゃった。別室で休んでるって聞いたから探してるんですけど、どこですか?って。そしたら、先生、山村は大丈夫だからって言うの。それよりお前、仁井と付き合ってるのかって」
それに・・・
理花子は、嘘つきだ。
いじらしい目を私に向けている。
私は従順に、理花子の話に興味があるフリをした。
「それで、何て答えたの?」
別に彼女が嘘をつくのが下手なわけではない。
それなのに彼女の嘘はあからさまで、いやらしい。
私を苛立たせ、呆れさせる。
「付き合ってますって答えて、なんでそんなこと聞くんですか?って聞いてみたの。そしたら先生、言わなくても分かるだろうって」
一体、何の為の嘘なのか。
自分は教師にまでモテると思われたいのか。
関心を持ってほしいだけなのか。
さっぱり分からない。
彼女はよく嘘をつくから、高二の春に仁井くんと付き合うことになったと言ってきた時も、いつものように疑おうとした。
でもすぐに彼女は、いつもと違う、ただの純粋の塊みたいな目を私に向けた。
私にとっては、いつもの嘘つきな、いじらしい目の方がまだマシで、何なら彼女の嘘に気付いている優越感すらあったくらいだ。
だから、恋する彼女の目はつまらなかった。
わざわざ、私の好きな人と付き合うなんて。
それすら仕組んだのかと思ってしまう。
仁井くんは、嘘つきで、自分勝手で、人を支配したがる理花子に騙される男に成り下がった。
それでも彼のトントンを見る度に、私の一等賞は彼であると証明された。
彼を嫌いになれなかった。
理花子の尾田先生から言い寄られた話は、そこまで具体的な話にいかず終わった。
私はその話を嘘だと確信しながらも、私を悲しく見つめた尾田先生を思い出す。
そして改めて理花子が、なぜ今になってネックレスの話をし出したのか、不審に思った。
「遊ばない?」
司くんが突然そんなことを言ってきたのは、授業の間の十分休憩の時だった。
それも、理花子や仁井くんがいる輪の中でだ。
私はその、”遊ぶ”という言葉のチョイスに、一瞬危うい駆け引きみたいなイメージを思い浮かべたけれど、すぐに
「放課後、映画観たりさ」
と司くんは付け加えた。
理花子は、目を輝かせ
「いいじゃん!沙咲、どう?司、優しいよ」
と一番興奮している。
私が男子に好かれるのを面白く思わなさそうなのに、とにかく司くんとくっつけたいみたいだった。
やはり、私と仁井くんとの間の何かを知っているのだろうか。
「映画なら、別にいいけど・・・」
断るのが一番この場に似つかわしくないと思い、承諾すると司くんは喜んでくれた。
もちろん、理花子も。
「早速今日の放課後、空いてない?」
そう聞かれた時に、自然と仁井くんが視界に入ったけれど、
「いいよ」
と答えた。
仁井くんは、私が戸惑いを隠せなくなってしまいそうなほど、不機嫌な顔をしていた。
そして、何となく予感していた通り、仁井くんは私に合図を送ってきたのだ。
またあの、上を指すポーズ。
私はさりげなく首を横に振ったが、仁井くんはさっきより強調するように人差し指を上に向けた。
やっぱり左手だった。
昼休み、一学年下の生徒に見られながら水飲み場に行くと、仁井くんがいた。
「それはないわ」
と第一声に言われる。
私は
「そっちこそ、これはないわ」
と言い返した。
「俺のこと好きって言ったくせに、司にそんな簡単に乗せられて」
正直、私の一等賞は可愛かった。
嫉妬しているのだ。
それも、私に。
でも、恋人がいるから、目の前の一等賞はダメな男だ。
ふさわしくない怒りを私に向けている。
だから、
「彼女いるくせに、そんなこと言う方があり得ないでしょ。それに、同調したいって言ったのに。同調したいなら、司くんと遊びに行く私の気持ちを尊重してよ」
と、感情をたっぷりと込めて言った。
私は思う。
嘘をついた理花子に気付く時の優越感を。
そして今私は、理花子の彼氏に嫉妬されている優越感の真っ只中だ。
「それなら、もう俺のことは好きじゃないって言わないと」
「え?片想いしてる相手に、好きじゃなくなりましたって、報告する義務はないと思うけど」
「それにしても、タイミングが早すぎるから」
仁井くんんは左手で私の右腕を掴むと、水飲み場の奥の方まで引っ張った。
私はそれが少し頭にきて、
「コソコソしながら話してるこの状況がおかしいよ、仁井くん。高二で浮気とか、将来が心配になる」
と強く言い放ち、私はその場を去ろうと歩き出した。
「じゃあ、別れるよ」
仁井くんのその言葉に、足は自然に止まる。
「理花子のこと、嫌いになってないのに?」
振り向かずに問い掛ける。
「山村さん、理花子のことが嫌いなら、俺も理花子を嫌いになるような情報、教えてよ」
仁井くんは、私のことが好きなのだろうか。
ただ私が可哀想で、同調してあげたいってだけなんじゃないか。
自分を好きと言ってくれる私に対して、優越感に浸って、調子に乗っているだけかもしれない。
私達は、急に感情的になり過ぎている。
出だしが目立ち過ぎると、その分、後も目立たせないといけない気がして、焦ってしまうのかもしれない。
私達の出だしは、逃避だった。
一夜の逃避。
でも、それなら。
私にもチャンスがあるのかもしれない。
「理花子は・・・あの女は・・・」
私は振り向き、仁井くんの目を強く見た。
「あの女は、万引きするような女だよ」
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彼女に振られた俺の転生先が高校生だった。それはいいけどなんで元カノ達まで居るんだろう。
遊。
青春
主人公、三澄悠太35才。
彼女にフラれ、現実にうんざりしていた彼は、事故にあって転生。
……した先はまるで俺がこうだったら良かったと思っていた世界を絵に書いたような学生時代。
でも何故か俺をフッた筈の元カノ達も居て!?
もう恋愛したくないリベンジ主人公❌そんな主人公がどこか気になる元カノ、他多数のドタバタラブコメディー!
ちょっとずつちょっとずつの更新になります!(主に土日。)
略称はフラれろう(色とりどりのラブコメに精一杯の呪いを添えて、、笑)
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