この上ない恋人

あおなゆみ

文字の大きさ
上 下
23 / 32

私をまだ見つけないで

しおりを挟む
 あの曲が何という曲だったのか、知ることは一生できないだろう。
知ることができないのに抱え続けるというのは、切ないようで、本当はとても素敵なことだと思う。
回想と幻想が心地よく合わさった、私だけの思い出になるから。


「ピエロのお兄さん、その楽器って何?」

私が抱え続けることになる二曲のうちの一曲を弾き終えたピエロのお兄さんは、拍手を送った私に、その楽器について教えてくれた。

「アコーディオンっていう楽器だよ」

お兄さんはしゃがんで、私の近くでその楽器を見せてくれた。

「アコーディオン?」

「そう。こうやって左手を動かしたら音が鳴ります。ここ、押してみて?」

私は言われた通り、鍵盤を押した。

「音鳴らないよ?」

「今は左手を動かしてなかったからね。じゃあ、次は音が鳴るから押してみて」

「うん」

お兄さんが左手を動かすと、鍵盤から音が鳴った。

「凄い!」

音を鳴らせて私も嬉しかったけれど、お兄さんも何だか嬉しそうだった。

「ええと・・・今、何歳ですか?」

そう聞かれて、

「5歳」

と、手をパーにして見せた。
遠慮気味にパーを出した記憶がある。
そのポーズ自体が子供っぽいかなと思っていたからだ。

「じゃあ、小学校に行ったらきっと、音楽室にアコーディオンがあるよ」

「本当?」

「あっ、そうか。僕が小学校に通っていたのは、もう15年も前だから・・・絶対とは言えないけれど、多分あると思う」

「お兄さんは、小学生の時に弾いてたの?」

「うん。小学3年生の時に初めて弾いたんだ」

「そうなんだ。じゃあ、音楽室にあったらいいな」

「そうだね、あったらいいですね」

今思い返すと、お兄さんがピエロとしての経験が浅いのは明らかだった。
時々敬語が入り混じっていて、どこか辿々しくて、子供の私から見ればきっと接しやすかっただろうけど、ピエロとしてはどうなのだろう。
そもそも、ピエロは話さずに、ジェスチャーで伝えるイメージの方が強い。

「あの・・・ご家族は?」

「私は速くて怖いの乗れないから、今待ってるの。お兄ちゃんと妹があの小さいジェットコースターに乗りに行った。お母さんは、あっちのお休みする所にいる」

「そうなんだ。じゃあ、お兄さんと妹さんが戻ってくるまでに、風船で何か作ってあげようか?」

お兄さんは立ち上がり、アコーディオンを下ろそうとした。

「風船じゃなくて・・・」

勇気を出した私の小さな声に、お兄さんはもう一度しゃがんでくれた。

「風船は嫌いかな?」

「うん、割れた時の音が怖いの。だから、その・・・アコデ・・・」

「アコーディオン」

「そう、アコーディオン。もう少し聴かせてほしいな」

「もちろん。僕も、風船よりアコーディオンの方が好きだよ」

そして、ピエロのお兄さんはもう一曲、それも私のために演奏してくれた。

 最初の曲が明るい曲なら、二曲目は少しゆったりとしていて、お兄さんに似合ってると感じたのを覚えている。
その旋律は、もう私の中から消えてしまってるし、偶然同じ曲を耳にしたって、気づかないままだろう。
ただ、私の中には、ピエロのお兄さんの姿と、お兄さんがその時奏でてくれた曲という素敵な思い出として刻まれている。
私はその思い出を、大切に抱え続けてきたのだ。
たった一回の、ほんの短い時間の出会いを、今でも宝物のように思ってる。


 私のために演奏してくれたピエロのお兄さんに、最初とはまた違う、どこか憧れのような想いを込めた拍手を送った。

「ありがとう」

お兄さんが笑いかけてくれたところで、妹が私を探す声が聞こえてきた。

「呼ばれてるから、行かないと」

あの惜しい気持ちだけは、はっきりと思い出すことができる。
優しいピエロのお兄さんの奏でる曲や、優しい語り口調とお別れしたくなかった。

「聴いてくれてありがとうございました。とっても楽しかったです」

ピエロに似合わないほどの深いお辞儀をしてから、ようやく自分がピエロであることを思い出したかのように、私に手を振ってきた。

「またここに来たら、会える?」

私は、ピエロのお兄さんとの思い出を、お兄ちゃんや妹に邪魔されたくなくて、私をまだ見つけないでと祈っていた。

「うーん。僕、嘘つきになりたくないから正直に言うと、多分、もう会えないと思う」

「どうして?」

「僕ね、好きな女の子のために期間限定で・・・うーん、好きな女の子に手伝ってほしいって言われて、少しだけお手伝いしただけなんだ。だから、もう会えないんだ」

「お兄さんが好きな女の子は、お兄さんのこと好き?」

私がそう聞くと、お兄さんはまた、自分がピエロの姿をしていることを忘れてしまったようだった。
頬をポリポリと掻いて、照れ臭そうにしていた。
指に白色がついちゃうんじゃないかと気になって、お兄さんの指を見たのを覚えている。

「うん。僕の好きな女の子は、僕を好きだって言ってくれたよ」

お兄さんの耳は白く塗られていなかったら、赤くなっているのがバレバレだった。

「良かった・・・両想いで良かったね」

「うん。ありがとう」

そう言ってからお兄さんはふたたび、ピエロであることを思い出したようで、大きく両手で私に手を振ってくれた。
私も大きく手を振り返し、ピエロのお兄さんのアコーディオンの音色の余韻を、騒がしい遊園地の音よりも強く意識した。
 
 数時間後には既に、色んな音に紛れたせいで、純粋なその音色を思い出せなくなってしまった。
それでも私はその思い出を大切に抱え続け、時には補修しながら、宝箱を開けるみたいに愛しく見つめることができる。
今でもこうやって時々、思い浮かべるほど大切に・・・


 ちなみに、小学校に入学してすぐ、私は担任の先生に、音楽室にアコーディオンがあるのかを確認した。
アコーディオンは、ピエロのお兄さんの言う通り音楽室にあって、私は3年生になり音楽クラブに入ってから、アコーディオンを弾き始めた。
 そんなことはないと思うけど、もしかしたら・・・
ピエロのお兄さんが小学生の時に音楽室で弾いたアコーディオンというのが、私が弾いてたアコーディオンと同じものだったりしないかな、と考えたりもした。
同じ小学校に通う確率なんか低いに決まってるけど、あのタイミングで遊園地で出会えたことだって、私にとっては奇跡のような確率に思えたから。

 私は大きくなってからも、アコーディオンを弾くたびに願ってる。
ピエロのお兄さんが今も、好きな女の子と幸せに過ごしていますように・・・

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

★【完結】ダブルファミリー(作品230717)

菊池昭仁
恋愛
結婚とはなんだろう? 生涯1人の女を愛し、ひとつの家族を大切にすることが人間としてのあるべき姿なのだろうか? 手を差し伸べてはいけないのか? 好きになっては、愛してはいけないのか? 結婚と恋愛。恋愛と形骸化した生活。 結婚している者が配偶者以外の人間を愛することを「倫理に非ず」不倫という。 男女の恋愛の意義とは?

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色
恋愛
21歳の音原珠里(おとはら・じゅり)は14歳年上のいとこでアダルト漫画家の音原誠也(おとはら・せいや)と二人暮らし。誠也は10年以上前、まだ子供だった珠里を引き取り養い続けてくれた「保護者」だ。 今や社会人となった珠里は、誠也への秘めた想いを胸に、いつまでこの平和な暮らしが許されるのか少し心配な日々を送っていて……。 ☆全22話です。職業等の設定・描写は非常に大雑把で緩いです。ご了承くださいませ。 ☆エピソードによって、ヒロイン視点とヒーロー視点が不定期に入れ替わります。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しております。

あなたはカエルの御曹司様

桜枝 頌
恋愛
大手商社に勤める三十路手前の綾子は、思い描いた人生を歩むべく努力を惜しまず、一流企業に就職して充実した人生を送っていた。三十歳目前にハイスペックの広報課エースを捕まえたが、実は女遊びの激しい男であることが発覚し、あえなく破局。そんな時に社長の息子がアメリカの大学院を修了して入社することになり、綾子が教育担当に選ばれた。噂で聞く限り、かなりのイケメンハイスぺ男性。元カレよりもいい男と結婚しようと意気込む綾子は、社長の息子に期待して待っていたが、現れたのはマッシュルーム頭のぽっちゃりした、ふてぶてしい男だった。  「あの……美人が苦手で。顔に出ちゃってたらすいません」  「まずその口の利き方と、態度から教育しなおします」 ※R15。キスシーン有り〼苦手な方はご注意ください。他サイトでも投稿。 約6万6千字

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

人形娘沙羅・いま遊園地勤務してます!

ジャン・幸田
ファンタジー
 派遣社員をしていた沙羅は契約打ち切りに合い失業してしまった。次の仕事までのつなぎのつもりで、友人の紹介でとある派遣会社にいったら、いきなり人形の”中の人”にされたしまった!  遊園地で働く事になったが、中の人なのでまったく自分の思うどおりに出来なくなった沙羅の驚異に満ちた遊園地勤務が始る!  その人形は生身の人間をコントロールして稼動する機能があり文字通り”中の人”として強制的に働かされてしまうことになった。 *小説家になろうで『代わりに着ぐるみバイトに行ったら人形娘の姿に閉じ込められた』として投降している作品のリテイクです。思いつきで書いていたので遊園地のエピソードを丁寧にやっていくつもりです。

その男、人の人生を狂わせるので注意が必要

いちごみるく
現代文学
「あいつに関わると、人生が狂わされる」 「密室で二人きりになるのが禁止になった」 「関わった人みんな好きになる…」 こんな伝説を残した男が、ある中学にいた。 見知らぬ小グレ集団、警察官、幼馴染の年上、担任教師、部活の後輩に顧問まで…… 関わる人すべてを夢中にさせ、頭の中を自分のことで支配させてしまう。 無意識に人を惹き込むその少年を、人は魔性の男と呼ぶ。 そんな彼に関わった人たちがどのように人生を壊していくのか…… 地位や年齢、性別は関係ない。 抱える悩みや劣等感を少し刺激されるだけで、人の人生は呆気なく崩れていく。 色んな人物が、ある一人の男によって人生をジワジワと壊していく様子をリアルに描いた物語。 嫉妬、自己顕示欲、愛情不足、孤立、虚言…… 現代に溢れる人間の醜い部分を自覚する者と自覚せずに目を背ける者…。 彼らの運命は、主人公・醍醐隼に翻弄される中で確実に分かれていく。 ※なお、筆者の拙作『あんなに堅物だった俺を、解してくれたお前の腕が』に出てくる人物たちがこの作品でもメインになります。ご興味があれば、そちらも是非! ※長い作品ですが、1話が300〜1500字程度です。少しずつ読んで頂くことも可能です!

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...