この上ない恋人

あおなゆみ

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私の大好きな絵描きさんへ

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 ああ、なんて遊園地に似合わない人なんだろう。
私は彼を見つけて早々、そんな感想を抱いた。
 遊園地内で催される期間限定の縁日で、彼が似顔絵コーナーを担当する事になったと聞いた時。
私はいつもみたいに、彼の顔色を窺った。
窺わなくても彼の心の内など私にはお見通しなのに、その癖をどうしてもやめられない。
彼と私は、相手の気持ちが痛いほどに分かるからこそ、丁寧に接し、丁重に扱い、それでいて相手のそのままを認めてあげるように過ごしてきた。
 
 私達には共通点というか、仲間意識のようなものがある。
そしてそこには、もう一人の登場人物である男が必要だ。
その男は私達の幼馴染で、私の元恋人で、彼の元親友。
一番重要なポイントとしては、その男が今、有名画家として活躍しているという点だ。
 私と彼の仲間意識はつまり、有名画家になったその男を気にしながら生きているという事。
その男と疎遠になった私達は、疎遠になればなるほど、男を意識せずにはいられない。
 例えば私は、その男と別れていなければ、今頃どんな日々を送っていたのだろうか、という妄想を。
例えば彼は、幼い頃から親友として過ごしたその男の才能が、もしも自分のものだったら、という想像を。
 そして彼には、大きな後悔がある。
彼がたった一度だけ、応募する事さえも諦めた絵画コンクール。
たった一度の、自暴自棄的な諦め。
親友の才能を恐れ、自分の才能のなさを憎んだ一度の諦め。
そのコンクールでのグランプリ受賞をきっかけに注目を浴び始めた親友。
自分が応募したとしても、その男がグランプリに輝く現実に変わりはないと本当は分かっている。
だけど彼は、もしかしたら・・・と考えずにはいられない。
 本当は自分にこそ才能があり、才能はまだ眠っている。
小さい頃からその才能の片鱗を見せていた親友はもう、見せるものは見せ尽くしてしまい、ここからは枯れていくしかないはずだ。
自分にはまだ眠っている才能がある。
いつか横に並び、そこから追い越していく・・・
 彼はそんな風にして、生き続けているのだ。
彼のそんな想像を、他人から見ればただの負け惜しみを、私だけは理解して、友達とも親友とも恋人とも違う、共通点のある特別な仲間として、貴重な関係を築いていきたいと思っている。
だから私は彼のそばを離れずに、いつでも彼の味方をしてきた。
そして、その行為は同時に、彼にも私の味方をしてほしいというわがままでもあった。
私のわがままは彼に簡単に伝わったようで、彼は私を、彼らしい態度で構い続けてくれている。


「そんな暗い顔してたら、誰も来てくれないよ」

遊園地に似合わない暗さと空気感で彼は、黙って絵を描き続けていた。
私が来た事を当たり前のように受け入れて、写真が苦手な子供みたいに不器用に笑う。

「何描いてるの?」

彼の絵を覗き見ると、そこには手を繋ぐ恋人が描かれていた。
辺りを見渡し、その絵がどの恋人をモデルにしているのかを探す。

「もういないよ」

彼はそう言い、

「さっきまでいたけど、もういない」

と言い足すと、描くのをやめてしまう。
私は、彼の向かいの椅子に座ると、他のコーナーの賑わいを確認した。

「ねえ。一回でもお客さん来た?」

私の問いに、彼は無言で首を横に振る。

「ねえ。もう少し、にこやかにできないの?」

私の問いに、彼は無言で首を縦に振る。

「そんな無愛想なお兄さんのところに来る子供がいると思ってるの?」

彼がまた無言で頷こうするのが分かり、

「あ!ちゃんと声で答えてよ」

と、叱るように言った。
彼は私には分かる程度の反抗的な表情をしてから、

「人を見た目で判断したらダメっていう教え」

なんて、真剣なのかふざけているのか分からない感じで答えた。

「じゃあ、私の似顔絵を描いて下さい。サクラになってあげます」

今日の目的はそれだった。
どうせ、彼の事だ。
集客がうまいわけでもないし、誰の似顔絵も描かずに終わりそうな気がしたのだ。

「そんなの、教育上良くないよ」

まだそんな事を言っている。
きっと彼はふざけているつもりはないのだろう。

「それなら、私が本当に心から、似顔絵を描いて欲しいと思ってるなら?」

彼は悩んでいる。
そして、

「お金は払ってくれるの?」

と、彼の為を思ってる長い付き合いの人間に対して、そんな風に返してきた。

「払わないよ。今こうして、わざわざ休みの日に来てあげてるんだから」

「うーん・・・」

もどかしくて、なかなか終わらないこういうやり取りを、私達は何度繰り返してきたのだろう。

「じゃあ分かった。私の似顔絵を描かせてあげる代わりに、休憩時間に一緒にメリーゴーランドに乗ってあげる」

「え?」

「だから、はい。よーいスタート。描いて下さい。お望みの表情とかポーズがあるなら、いくらでも言って」

私は髪型を整え、姿勢正しく座り直した。

「いや、何で・・・」

「いいから。ほら、今あそこの女の子こっち見てるよ。気になってるのかも。早く、描いて」

私の急かしに、彼も慌てて筆を持った。

 絵を描き始めると、彼の表情はマシになる。
そこから完全に陽のイメージと結びつける事はできないけれど、普段の無表情に比べればかなりマシだ。
もしその事を彼に教えたら、彼はきっと自分の表情が気になり、絵を描く事に集中できなくなると思う。
だから私は、その事を彼に教えた事がない。

「で、何でメリーゴーランドに乗らなくちゃいけないの?」

マシになった彼の表情を見つめていたら、彼が嫌そうに聞いてきた。
ああ、元の無愛想に戻っちゃう。

「私とメリーゴーランド、乗りたくないの?」

「うん」

「即答か」

「うん」

だって、この無愛想な彼と、あんなにキュートな世界観のメリーゴーランドの組み合わせなんて最高過ぎる。
写真を撮りたいに決まっていた。

「笑顔の練習」

私は適当な理由を作った。

「笑顔の練習?」

「メリーゴーランドに乗ったら、多分、ニヤけちゃうよ。嬉しくてじゃなくて、恥ずかしくて。だから、乗った後にまたここに戻って来て、その恥ずかしかった場面を思い出せば、恥ずかしさの回想から、顔が熱くなって、つい頬が緩んじゃう」

彼はその一連の流れを想像してみたらしい。
それくらいの時間を空けた後で、

「確かに。絶対に顔、熱くなるわ」

と言った。
適当に話してみたのに、彼はまんまと引っかかる。

「でしょ?いい?これは仕事なんだよ。ちゃんと集客しないとダメだからね。分かった?」

「分かった」

なんて素直な心の持ち主なんだろうと、たまに思わされる。


「できた」

約10分後。
私の似顔絵が完成した。

「ねえ、バカにしてる?」

「してない」

「いや、してるでしょ」

「してない」

彼の描いた私の似顔絵は、全てのパーツが誇張されて、貰っても困るタイプの作品だった。
今こそ私をからかって笑えばいいのに、描き終えた彼は無愛想な表情に戻ってしまう。

 その後も、私が笑顔を振りまいても、彼の似顔絵コーナーにお客さんが来てくれる事はなかった。

「よし、休憩取ろう。パッとなんか食べて、メリーゴーランド乗ろう!」

「いやー、やっぱり・・・」

「言ったよね?これは仕事なんだよ」

仕事と言われたら反抗できないのが彼なのか、

「はい」

と、私に従ってくれた。
 ちょうどお昼の時間でレストランは混んでいるし、私達は外のベンチでクレープを食べる事にした。
私は甘い系、彼はしょっぱい系。

「遊園地っていつ振り?」

私が聞くと、

「高校の校外授業以来かな」

と彼が答えた。
その答えの途中で、あの男の事を思い出してしまう。
というより、私が思い出させてしまった。
彼はあの男と同じグループで行動していたからだ。
でも、ここで話を逸らす事こそ、あの男を意識した事の証明になってしまう。

「もしかして、コーヒーカップでめちゃくちゃ乗り物酔いした時?」

コーヒーカップを回転させまくったのがあの男。
その被害者が、今しょっぱい系のクレープを食べている彼。

「そう。最悪だった」

何も気にしていない、という素振り。
私達は一生、こんな事を続けなければいけないのだろうか。

「メリーゴーランドで酔ったりしないよね?それなら強制できないけど」

「酔うわけないよ。あ、いや・・・酔う。酔って、この後働けないかも」

嘘確定。
彼の考えは私にお見通し。

「はい、乗りますよ~。早く食べちゃって。もし、何回も乗りたくなったら困るから、早く行かないと」

「何回も乗りたくならないよ」

「そんなの分かんないよ。早く、食べて」

私は、あの男の事を彼の頭から少しでも早く消し去る為に、食べるのが遅い彼を急かした。

「いつも急かすよな・・・」

言う事を聞いて急いで食べ終えた彼と、メリーゴーランドへ向かった。


「やっぱり、無理かも」

目の前で見るメリーゴーランドのキュートさの度合いに、彼は怯んでしまう。

「無理とかないから。ほら、乗るよ」

彼の腕を引っ張り、私達はメリーゴーランドの世界の中に入り込む。
彼は私の指示に従い、白馬に乗った。
私はその隣の茶色い馬。
 何ともキラキラした音楽と共に、メリーゴーランドは動き出した。
彼は本当に恥ずかしそうにしてる。

「大丈夫だって。私しか見てないから」

恥ずかしそうにすればするほど、存在感が増している気がした。

「はーい、写真撮るよ。はい、ポーズ」

「やめろって」

「何回言わせるの?仕事の為だって。はい、スマイル」

彼は今度こそ本当に、写真が苦手な子供として笑う。
思ったよりも長い時間、メリーゴーランドは動き続けた。
彼がうるさいほど何回も、

「まだ?まだ終わらないの?」

と言うせいで、長く感じたのかもしれない。
 ようやく止まり、彼は逃げるように白馬から降りる。
メリーゴーランドの世界から出た彼は、まだ恥ずかしそうにしていた。

「お願いがあるんだけど」

私は甘ったるい声を出した。
さっき食べたクレープのせいだろうか。

「何?怖いんだけど」

「もう一回、乗ろ?」

「乗らないし」

「だって、遊園地なんて、次いつ来れるか分からないよ?」

「一回で十分」

「お願い!次は馬車に乗りたいの。それで終わりにするから」

「えー」

私が粘れば、彼が承諾してくれる未来は見えていた。
するとそこに、予想外の人物の声が届く。

「絵描きのお兄さん?」

その可愛い声を、私達は見遣った。

「さっきあそこにいた絵描きのお兄さんと、あの綺麗なモデルのお姉さん?」

まあ、なんて良い子なんだろう。
その子は、さっき似顔絵コーナーで私達を見ていた女の子だった。
私が気分良く答えようとした時。
私よりも先に彼は、女の子と視線を合わせる為にしゃがんで、

「そうだよ。さっき、見てくれてたよね?」

と、これまでの無愛想が嘘みたいに、今の笑顔こそが本物かのように微笑んでいる。

「うん。後で行ってもいい?ってパパとママにお願いしたんだ。帰りに行こうねって言ってた」

「ありがとう。待ってるね。綺麗なモデルのお姉さんと一緒に待ってるから」

女の子は、

「うん!お姉さんも待っててね!バイバーイ」

と言って、メリーゴーランドの世界に入って行った。
 彼は本当に嬉しそうに微笑んでいる。
女の子に手を振り続けながら。
それも片手じゃなくて、両手で。
 私は今まで知らなかった感情で、彼を見つめていた。
愛しさで胸がいっぱいになっていた。
何も言えない・・・
 すると彼が、

「あの子も乗った事だし、今度は馬車に乗ってあげてもいいけど」

と、恥ずかし気もなく言ってきたのだ。
私はまだ何も言えない。

「綺麗なモデルのお姉さんって言われたのが、そんなに嬉しかった?」

もちろん嬉しかった。
でも、それよりも。
そんな風に笑えるようになったあなたの事が・・・

「ほら、早く。行くよ」

そう言うと彼は、私の腕を優しく掴み、メリーゴーランドの世界へと連れて行く。

 どうしよう。
馬車の中での私は、新たに知ってしまった彼の一面のせいで、彼にこれまでとは違う何かを求め始めてしまいそうだ。
どうしよう。
さっき彼が描いていた恋人の絵がどうか、いつかの私達でありますようにと願い始めてしまいそうだ・・・
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