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孤独な生き物に足りないもの
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僕はこの遊園地で唯一の、孤独な生き物だった。
賑やかな遊園地を彷徨い続ける、それが僕。
幽霊だとか、分かりやすい呼び名があるならどれほど気楽だっただろう。
「お前には今世で、誰かと共に生きる資格は与えられなかった」
そう告げられたのは、何年前の事だったのか。
それすらも思い出せない。
姿を現さない声の主のその最初の言葉から、次の言葉を貰えるまでの期間がかなり長い試練だった・・・
最初は僕の目覚めからだ。
眠っていたのか、たった今誕生したのか。
眩しい世界が目の前に広がる。
僕は僕だと、それだけは分かるものの、僕というのはどういう存在でどうしてここにいるのか、これからどうすれば良いのか、そういった部分が全く分からない。
何かの騒音。
叫び声、話し声、笑い声。
音楽。
大勢の人。
カラフルな光景。
僕という謎の存在の次に認知したのは、僕がいるこの場所だった。
僕はここを知っている。
「遊園地・・・」
自然と口にしたその言葉から、僕の声を知る。
そのタイミングで、何者か分からない、誰かからの言葉だった。
「お前には今世で、誰かと共に生きる資格は与えられなかった」
声がどこから聞こえたのか分からず、僕は辺りをキョロキョロと見渡した。
「どこにいるんですか?」
その時の僕の問いに、声の主が答える事はなかった。
「あの・・・」
僕は沢山の笑顔まみれの遊園地の中、誰かを頼りたかった。
誰かに助けを求めなければならない、と。
そこで一つ分かったのは、僕が臆病な生き物だという事。
声を掛けるのに一苦労どころではない。
話す言葉を、一言一句違わず言えるように練習した。
僕を救ってくれそうな、優しそうな人を探した。
迷惑という目で僕を見ない、そんな誰かを。
それなのに・・・
僕の声が誰にも届かないのだ。
僕と目が合う人もいない。
そうか。
僕の声が小さすぎるのかも知れない。
そう思って、頑張って大きな声を出した。
勇気を振り絞って、懸命に。
最後の方はほとんど叫びだった。
孤独の叫び。
誰か、僕に気付いて。
気付くだけもいいから。
それでも・・・
誰も僕の叫びに気付かない。
誰も僕の存在に気付かない。
僕は小さく諦めた。
完全な諦めを感じたくなくて、ここではないどこかへ行く事にする。
そうすれば、必ず誰かが助けてくれると。
そして、そこからもまた酷い。
僕は、遊園地を出る事ができなかったのだ。
出口を見つけ、僕は走った。
すると突然、見えない壁にぶつかり、僕は勢いよく転んでしまう。
地面から起き上がれず、全身の痛みを感じた。
顔も腕も胸も足も、全てが痛い。
痛みが少し落ち着くまで、僕はずっと寝そべっていた。
どうせ誰も僕が見えない。
だから誰も僕を心配しない。
そうか。
誰にも見えていないんだから、出口から出なくたって叱られない。
という事で、入り口から出ようとした。
今度は走ったりはしなかったけれど、結局、見えない壁があるのは同じ。
ダメだった。
違う所から出ようとしてもダメだった。
挑戦できる全ての所がダメだった。
さっきの小さな諦めよりも、少しだけ大きくなった諦めの中、僕は呟く。
「どうして僕に、誰かと生きる資格が与えられなかったのでしょうか。前世の僕が悪いのですか?」
返事などなく、虚しく僕の声だけが消えていく。
僕の前を通り過ぎる人達に、まだ残っている気力でアピールもしたけれど、僕なりの声も、僕なりの動作も、何も誰にも届かない。
孤独な僕は、孤独と程遠そうなこの場所、遊園地に閉じ込められたのだった。
人が少しずつ減っていき、薄暗闇から本当の暗闇へと変わる。
閉園の時間だ。
僕は、一人ぼっち、遊園地の中に取り残された。
元から取り残されているようなものなのに、本当の本当に取り残されてしまったのだ。
だけど僕には、そんな孤独な夜の方がマシに思えた。
だって、誰もいないのなら、気付いてもらえないという孤独を感じなくて済むから。
大勢の中の孤独の方が、僕には耐え難い。
幸せに満ちた遊園地は、僕を悲しませるだけだった。
いくら嫌でも朝はやって来る。
明るくなり、開園し、沢山の人が入って来れば、僕はまた傷付いた。
賑やかになればなるほど、僕の孤独は際立っていく。
早く夜になれば良いと、明るいうちは憂鬱に過ごした。
誰の事も見たくない、誰にも会いたくない。
誰の声も聞きたくない、耳を塞いでも騒がしさから逃れられない・・・
「せめて、ここから出してほしい。お願いだ」
期待などしてはいけなかった。
期待したら期待した分だけ、何も返って来なかった時に怒りを覚えてしまうから。
孤独なうえに怒りまで・・・
そんなの酷すぎる。
だから期待をしないように努め、僕は毎日、姿の見えない声の主に語りかけた。
どんなに残酷な事を言う存在だとしても、そこに頼るしかないように思えたのだ。
唯一、僕がここにいる事を知る存在なのだから。
声の主の新たな言葉を聞けないまま、時は流れた。
僕は仕方なく、遊園地で楽しそうにしている人々の観察を始めた。
毎日の事だから、ここで働いている人の顔を覚えてしまう。
孤独も麻痺してくるものである。
どんなに幸せそうな家族を見ても、恋人達を見ても、羨ましいとは思わない。
自分もそうなりたいとは思えなかった。
どうでもよくなってきた・・・
ある日、いつものように人々を観察していたら、小さな女の子が僕の前で転んでしまった。
転ぶ寸前、
「あっ」
と反射的に叫んだのは、女の子ではなくて僕だ。
あーあ、痛そう。
これは、泣いてしまうだろう。
僕は観察を続けた。
体を起こし、擦りむいた腕と膝を確認する女の子。
そろそろ、泣くな。
そう思ったのに、女の子は泣かずにゆっくりと立ち上がる。
すると、
「エマちゃん!」
と、母親が駆け寄って来た。
今度こそ、泣くな。
強がっていただけで、母親の姿を見てしまえば、泣きたくなるだろう。
「ママ!」
それなのに、女の子は母親を見ると、笑顔になったのだ。
「エマちゃん、転んだの?大丈夫?ごめんね、ママがちゃんと見てなかったから」
母親の方が泣きそうだ。
「大丈夫だよ、ママが来てくれたから。ママが来なかったら泣いてたと思うけどね」
なんて、大人びた口調で言う。
「でも、痛いから、可愛い絆創膏貼ってね」
と、今度は甘えるようにそう言った。
母親は、
「分かった。泣かないで偉いね。バイ菌さん流しに行こうね」
と涙目で言い、女の子を抱っこした。
去って行く二人。
母親に抱っこされたその子は・・・
「本当に、偉いね」
僕はそう呟いてしまった。
女の子は抱っこされて、母親に顔が見えないのを良い事に、静かに泣いていたのだ。
「泣いてもいいのに・・・」
あの子は、人前でひたすらに泣くのを我慢する大人になってしまうのではないか。
今すでにそうなら、これから、どれほど我慢するのだろう。
でも、一人でこっそり泣けるのなら、それだけでもマシなのかもしれない。
そんな事を何気なく考えていた時。
「今世のお前は、そういう風に考えるようになったのか」
姿の見えない声が聞こえてきた。
「どこにいるんですか?あなたは何者ですか?僕はずっと、あなたを待っていました」
辺りを見渡し、その姿を求める。
しかし、どこにも、それらしい人物はいない。
「お前には足りないものが一つだけある」
その声が、僕に言った。
「僕に足りないものが?それならせめて、僕が何なのかを教えて下さい。閉じ込められて、孤独で・・・それに、今世って何ですか?今世の僕に、誰かと共に生きる資格がないのは、前世の僕のせいですか?覚えのない罪に罰を与えられても困るんです」
僕は必死だ。
ようやく訪れたチャンスを逃すわけにはいかない。
「前世だけではない。今のお前にも足りないものだ」
「僕は、自分が何なのかも分からないんです。足りないものがあるに決まってるじゃないですか」
必死すぎて、駄々をこねているように思われてしまいそうだ。
でも、正論を言っているだけで、僕が悪いとは思えない。
「自分が分からなくなるなんて、生きていれば誰もが感じる事だ」
「でも僕は、一人ぼっちだ。本当の一人ぼっち。誰かと目が合う事も、僕の声が届く事もない。僕の存在に誰も気付かない・・・」
声の主はため息を吐いた。
「さっきの女の子。お前があの子を見た時・・・あの子がこっそり泣いているのを見た時。あの時、惜しかったよ」
「惜しかった?」
「お前に足りないものが、あと少しで」
何を言いたいのか分からなかった。
「こんなに辛い罰を与えられるほどなら、足りないものは、優しさですか?」
「違う。お前は優しさを持っている。さっきも女の子に向かって呟いただろ。本当に、偉いねって。それに、あの子が転ぶ寸前。無意識に叫んでしまった声も、優しさだ。心配するな。お前には優しい心がある」
「なんで急に褒めてるんですか・・・」
「他に思いつくものはあるか?自分に足りていないものだ」
その声は、新たな答えを望んだ。
「愛とか・・・そういうのですか?確かに僕は、ここで幸せそうにする家族にも、恋人達にも、憧れを抱きませんでした」
また、声の主はため息を吐く。
「誰かのものを見て、それを羨ましいとか、そんなのは愛じゃない。愛には絶対に、原点がある。瞬時に愛を知る事なんてあり得ないんだ。瞬時に愛を知ったように見えても、本当は秘密裏で、原点から繋がって続いているんだ。だから、幸せそうな家族を見て羨ましいと思わないのが、愛のない証拠ではない。原点は必ず、全ての人間にあるんだ。もちろん、原点を誤って解釈し、罪を犯す人間もいる。でもお前はまだ、始まったばかり。愛がない人間ではない」
「ちょっと待って下さい・・・今、人間って言いましたよね?僕は人間なんですか?この遊園地にいる人達と同じ、人間なんですか?」
声の主は咳払いをし、
「参ったな」
と言った。
「僕は人間で、そして、足りていないものが一つだけある・・・」
自分が人間だと分かり、少しだけ考えやすくなった。
僕に足りないもの・・・
「お前はさっき、罪とか罰とか、そんな事を言っていたが」
「はい、言いました」
「誰が、お前に罰を与えていると言った?」
「そんなの、自分が何なのかも教えてもらえず、誰にも気付いてもらえず、孤独の中に閉じ込められたら、罰だと思うでしょう」
声の主は、三度目のため息を吐いた。
そして、
「すまなかった。罰を与えるつもりはなかった。ただ、お前に・・・」
と、何かを言い淀んだ。
「お願いします。僕に足りないものを教えて下さい」
姿の見えない声の主に、僕は強く望んだ。
答えを、強く、心から望んだ。
自分が何者なのかを知る為に。
「お前に足りないのは、涙だ。お前を泣かせたかった。お前は、泣くべきなんだよ」
「涙?」
全く想像していなかった答えに、僕は戸惑う。
涙くらい、そんなの簡単に、嘘泣きでもすればいい。
それだけの事で、僕はずっと・・・
「まだ分かっていないようだな。お前は、泣かない人間になってしまったんだよ。心がないって意味じゃない。お前は、泣かなかった。泣きたくても、泣かないで、我慢して、一人でいても泣かないで・・・だから、お前を閉じ込めた。方法が悪かった。すまない」
「じゃあ泣けば、僕が誰なのか教えてもらえますか?」
「泣けば、教えてやるよ。でも、そう簡単にはいかないはずだ。こんな孤独の中でも泣かなかったお前だ。誰にも気付いてもらえなくても、真っ暗闇で夜を過ごしても泣かなかったんだ。いいか?泣かない人間がいてはならないんだよ。泣けない人間がいてもならない。泣かないと、ダメになってしまう。お前を、救いたいんだ・・・」
「泣きます。泣くから、見ていて下さい。そして、ここから出して下さい。お願いします」
「泣くまで、待ってるよ。いつまでも、お前の事を・・・」
その日から、あの声を一度も聞いていない。
僕が泣く事もなかった。
閉じ込められたこの場所で、泣ける日が来るのを待ち続けている。
僕に気付かない人々の中で、僕は懸命に泣こうとする。
真っ暗闇の中で、僕は涙を流そうとする。
僕に、優しさと愛があると教えてくれた声の主の為にも、泣きたいと思った。
僕は自分の為にも、どうしても泣きたいと願った。
そして、僕の原点から繋がった愛の為に・・・
いつか出会う愛の為にも、涙を流し、自分が何者なのかを知りたい。
僕はこの遊園地で唯一の、孤独な人間だ。
そして僕には、足りないものが一つだけある。
それは、涙だ。
賑やかな遊園地を彷徨い続ける、それが僕。
幽霊だとか、分かりやすい呼び名があるならどれほど気楽だっただろう。
「お前には今世で、誰かと共に生きる資格は与えられなかった」
そう告げられたのは、何年前の事だったのか。
それすらも思い出せない。
姿を現さない声の主のその最初の言葉から、次の言葉を貰えるまでの期間がかなり長い試練だった・・・
最初は僕の目覚めからだ。
眠っていたのか、たった今誕生したのか。
眩しい世界が目の前に広がる。
僕は僕だと、それだけは分かるものの、僕というのはどういう存在でどうしてここにいるのか、これからどうすれば良いのか、そういった部分が全く分からない。
何かの騒音。
叫び声、話し声、笑い声。
音楽。
大勢の人。
カラフルな光景。
僕という謎の存在の次に認知したのは、僕がいるこの場所だった。
僕はここを知っている。
「遊園地・・・」
自然と口にしたその言葉から、僕の声を知る。
そのタイミングで、何者か分からない、誰かからの言葉だった。
「お前には今世で、誰かと共に生きる資格は与えられなかった」
声がどこから聞こえたのか分からず、僕は辺りをキョロキョロと見渡した。
「どこにいるんですか?」
その時の僕の問いに、声の主が答える事はなかった。
「あの・・・」
僕は沢山の笑顔まみれの遊園地の中、誰かを頼りたかった。
誰かに助けを求めなければならない、と。
そこで一つ分かったのは、僕が臆病な生き物だという事。
声を掛けるのに一苦労どころではない。
話す言葉を、一言一句違わず言えるように練習した。
僕を救ってくれそうな、優しそうな人を探した。
迷惑という目で僕を見ない、そんな誰かを。
それなのに・・・
僕の声が誰にも届かないのだ。
僕と目が合う人もいない。
そうか。
僕の声が小さすぎるのかも知れない。
そう思って、頑張って大きな声を出した。
勇気を振り絞って、懸命に。
最後の方はほとんど叫びだった。
孤独の叫び。
誰か、僕に気付いて。
気付くだけもいいから。
それでも・・・
誰も僕の叫びに気付かない。
誰も僕の存在に気付かない。
僕は小さく諦めた。
完全な諦めを感じたくなくて、ここではないどこかへ行く事にする。
そうすれば、必ず誰かが助けてくれると。
そして、そこからもまた酷い。
僕は、遊園地を出る事ができなかったのだ。
出口を見つけ、僕は走った。
すると突然、見えない壁にぶつかり、僕は勢いよく転んでしまう。
地面から起き上がれず、全身の痛みを感じた。
顔も腕も胸も足も、全てが痛い。
痛みが少し落ち着くまで、僕はずっと寝そべっていた。
どうせ誰も僕が見えない。
だから誰も僕を心配しない。
そうか。
誰にも見えていないんだから、出口から出なくたって叱られない。
という事で、入り口から出ようとした。
今度は走ったりはしなかったけれど、結局、見えない壁があるのは同じ。
ダメだった。
違う所から出ようとしてもダメだった。
挑戦できる全ての所がダメだった。
さっきの小さな諦めよりも、少しだけ大きくなった諦めの中、僕は呟く。
「どうして僕に、誰かと生きる資格が与えられなかったのでしょうか。前世の僕が悪いのですか?」
返事などなく、虚しく僕の声だけが消えていく。
僕の前を通り過ぎる人達に、まだ残っている気力でアピールもしたけれど、僕なりの声も、僕なりの動作も、何も誰にも届かない。
孤独な僕は、孤独と程遠そうなこの場所、遊園地に閉じ込められたのだった。
人が少しずつ減っていき、薄暗闇から本当の暗闇へと変わる。
閉園の時間だ。
僕は、一人ぼっち、遊園地の中に取り残された。
元から取り残されているようなものなのに、本当の本当に取り残されてしまったのだ。
だけど僕には、そんな孤独な夜の方がマシに思えた。
だって、誰もいないのなら、気付いてもらえないという孤独を感じなくて済むから。
大勢の中の孤独の方が、僕には耐え難い。
幸せに満ちた遊園地は、僕を悲しませるだけだった。
いくら嫌でも朝はやって来る。
明るくなり、開園し、沢山の人が入って来れば、僕はまた傷付いた。
賑やかになればなるほど、僕の孤独は際立っていく。
早く夜になれば良いと、明るいうちは憂鬱に過ごした。
誰の事も見たくない、誰にも会いたくない。
誰の声も聞きたくない、耳を塞いでも騒がしさから逃れられない・・・
「せめて、ここから出してほしい。お願いだ」
期待などしてはいけなかった。
期待したら期待した分だけ、何も返って来なかった時に怒りを覚えてしまうから。
孤独なうえに怒りまで・・・
そんなの酷すぎる。
だから期待をしないように努め、僕は毎日、姿の見えない声の主に語りかけた。
どんなに残酷な事を言う存在だとしても、そこに頼るしかないように思えたのだ。
唯一、僕がここにいる事を知る存在なのだから。
声の主の新たな言葉を聞けないまま、時は流れた。
僕は仕方なく、遊園地で楽しそうにしている人々の観察を始めた。
毎日の事だから、ここで働いている人の顔を覚えてしまう。
孤独も麻痺してくるものである。
どんなに幸せそうな家族を見ても、恋人達を見ても、羨ましいとは思わない。
自分もそうなりたいとは思えなかった。
どうでもよくなってきた・・・
ある日、いつものように人々を観察していたら、小さな女の子が僕の前で転んでしまった。
転ぶ寸前、
「あっ」
と反射的に叫んだのは、女の子ではなくて僕だ。
あーあ、痛そう。
これは、泣いてしまうだろう。
僕は観察を続けた。
体を起こし、擦りむいた腕と膝を確認する女の子。
そろそろ、泣くな。
そう思ったのに、女の子は泣かずにゆっくりと立ち上がる。
すると、
「エマちゃん!」
と、母親が駆け寄って来た。
今度こそ、泣くな。
強がっていただけで、母親の姿を見てしまえば、泣きたくなるだろう。
「ママ!」
それなのに、女の子は母親を見ると、笑顔になったのだ。
「エマちゃん、転んだの?大丈夫?ごめんね、ママがちゃんと見てなかったから」
母親の方が泣きそうだ。
「大丈夫だよ、ママが来てくれたから。ママが来なかったら泣いてたと思うけどね」
なんて、大人びた口調で言う。
「でも、痛いから、可愛い絆創膏貼ってね」
と、今度は甘えるようにそう言った。
母親は、
「分かった。泣かないで偉いね。バイ菌さん流しに行こうね」
と涙目で言い、女の子を抱っこした。
去って行く二人。
母親に抱っこされたその子は・・・
「本当に、偉いね」
僕はそう呟いてしまった。
女の子は抱っこされて、母親に顔が見えないのを良い事に、静かに泣いていたのだ。
「泣いてもいいのに・・・」
あの子は、人前でひたすらに泣くのを我慢する大人になってしまうのではないか。
今すでにそうなら、これから、どれほど我慢するのだろう。
でも、一人でこっそり泣けるのなら、それだけでもマシなのかもしれない。
そんな事を何気なく考えていた時。
「今世のお前は、そういう風に考えるようになったのか」
姿の見えない声が聞こえてきた。
「どこにいるんですか?あなたは何者ですか?僕はずっと、あなたを待っていました」
辺りを見渡し、その姿を求める。
しかし、どこにも、それらしい人物はいない。
「お前には足りないものが一つだけある」
その声が、僕に言った。
「僕に足りないものが?それならせめて、僕が何なのかを教えて下さい。閉じ込められて、孤独で・・・それに、今世って何ですか?今世の僕に、誰かと共に生きる資格がないのは、前世の僕のせいですか?覚えのない罪に罰を与えられても困るんです」
僕は必死だ。
ようやく訪れたチャンスを逃すわけにはいかない。
「前世だけではない。今のお前にも足りないものだ」
「僕は、自分が何なのかも分からないんです。足りないものがあるに決まってるじゃないですか」
必死すぎて、駄々をこねているように思われてしまいそうだ。
でも、正論を言っているだけで、僕が悪いとは思えない。
「自分が分からなくなるなんて、生きていれば誰もが感じる事だ」
「でも僕は、一人ぼっちだ。本当の一人ぼっち。誰かと目が合う事も、僕の声が届く事もない。僕の存在に誰も気付かない・・・」
声の主はため息を吐いた。
「さっきの女の子。お前があの子を見た時・・・あの子がこっそり泣いているのを見た時。あの時、惜しかったよ」
「惜しかった?」
「お前に足りないものが、あと少しで」
何を言いたいのか分からなかった。
「こんなに辛い罰を与えられるほどなら、足りないものは、優しさですか?」
「違う。お前は優しさを持っている。さっきも女の子に向かって呟いただろ。本当に、偉いねって。それに、あの子が転ぶ寸前。無意識に叫んでしまった声も、優しさだ。心配するな。お前には優しい心がある」
「なんで急に褒めてるんですか・・・」
「他に思いつくものはあるか?自分に足りていないものだ」
その声は、新たな答えを望んだ。
「愛とか・・・そういうのですか?確かに僕は、ここで幸せそうにする家族にも、恋人達にも、憧れを抱きませんでした」
また、声の主はため息を吐く。
「誰かのものを見て、それを羨ましいとか、そんなのは愛じゃない。愛には絶対に、原点がある。瞬時に愛を知る事なんてあり得ないんだ。瞬時に愛を知ったように見えても、本当は秘密裏で、原点から繋がって続いているんだ。だから、幸せそうな家族を見て羨ましいと思わないのが、愛のない証拠ではない。原点は必ず、全ての人間にあるんだ。もちろん、原点を誤って解釈し、罪を犯す人間もいる。でもお前はまだ、始まったばかり。愛がない人間ではない」
「ちょっと待って下さい・・・今、人間って言いましたよね?僕は人間なんですか?この遊園地にいる人達と同じ、人間なんですか?」
声の主は咳払いをし、
「参ったな」
と言った。
「僕は人間で、そして、足りていないものが一つだけある・・・」
自分が人間だと分かり、少しだけ考えやすくなった。
僕に足りないもの・・・
「お前はさっき、罪とか罰とか、そんな事を言っていたが」
「はい、言いました」
「誰が、お前に罰を与えていると言った?」
「そんなの、自分が何なのかも教えてもらえず、誰にも気付いてもらえず、孤独の中に閉じ込められたら、罰だと思うでしょう」
声の主は、三度目のため息を吐いた。
そして、
「すまなかった。罰を与えるつもりはなかった。ただ、お前に・・・」
と、何かを言い淀んだ。
「お願いします。僕に足りないものを教えて下さい」
姿の見えない声の主に、僕は強く望んだ。
答えを、強く、心から望んだ。
自分が何者なのかを知る為に。
「お前に足りないのは、涙だ。お前を泣かせたかった。お前は、泣くべきなんだよ」
「涙?」
全く想像していなかった答えに、僕は戸惑う。
涙くらい、そんなの簡単に、嘘泣きでもすればいい。
それだけの事で、僕はずっと・・・
「まだ分かっていないようだな。お前は、泣かない人間になってしまったんだよ。心がないって意味じゃない。お前は、泣かなかった。泣きたくても、泣かないで、我慢して、一人でいても泣かないで・・・だから、お前を閉じ込めた。方法が悪かった。すまない」
「じゃあ泣けば、僕が誰なのか教えてもらえますか?」
「泣けば、教えてやるよ。でも、そう簡単にはいかないはずだ。こんな孤独の中でも泣かなかったお前だ。誰にも気付いてもらえなくても、真っ暗闇で夜を過ごしても泣かなかったんだ。いいか?泣かない人間がいてはならないんだよ。泣けない人間がいてもならない。泣かないと、ダメになってしまう。お前を、救いたいんだ・・・」
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「泣くまで、待ってるよ。いつまでも、お前の事を・・・」
その日から、あの声を一度も聞いていない。
僕が泣く事もなかった。
閉じ込められたこの場所で、泣ける日が来るのを待ち続けている。
僕に気付かない人々の中で、僕は懸命に泣こうとする。
真っ暗闇の中で、僕は涙を流そうとする。
僕に、優しさと愛があると教えてくれた声の主の為にも、泣きたいと思った。
僕は自分の為にも、どうしても泣きたいと願った。
そして、僕の原点から繋がった愛の為に・・・
いつか出会う愛の為にも、涙を流し、自分が何者なのかを知りたい。
僕はこの遊園地で唯一の、孤独な人間だ。
そして僕には、足りないものが一つだけある。
それは、涙だ。
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