二番目にキスしてくれた人

あおなゆみ

文字の大きさ
上 下
8 / 17

同じ

しおりを挟む
「ごめんね。突然」

沙友理さんは暗いカフェで、僕の向かいに座り、そう言った。
僕の来たことのない、沙友理さんも来たことのないというこのカフェは、薄暗く、気持ちまで引きずり込まれてしまいそうだ。
あえて、この暗さをチョイスしているのなら、店の人と僕は分かり合えないだろう。
それに、外観からしても、このカフェをチョイスした沙友理さんは、僕とは分かり合えないだろう、などと考える。
でも彼女、やえさんがこの雰囲気を好きだと言ったら、僕はどういった気持ちになるのだろう。
そのうち僕も好きだと、思ってしまうのだろうか。
その考えは非常に恐ろしいものにも思えた。


「兄貴に言われて来たんですか?」

「違う。自分の意志で来たの」

沙友理さんは、ホットココアを飲んで、言葉を探すよう視線を動かす。
そして続けた。


「でも、れんが心配してたから来たっていうのもあるかな」

「心配?」

もう本心を隠さなくても良いのではないかと思った。
兄貴から逃れた事を知っているなら、僕の気持ちも分かっているだろう。

「反抗的な目だね。初めて会った日みたい」

僕は何も言わずに、ミルクも何も入れずにアイスコーヒを飲んだ。
苦かった。

「どうして急にいなくなったの?心配したんだよ。あの日…いなくなった日。一緒にいたから私、責任も感じて…」

僕は沙友理さんが言いたい事を全て言い切るまでは何も言わないことにした。

「最後にじんが言った言葉が忘れられなくて。あの言葉があったから、自分の意志でいなくなったんだって分かった。もう子供じゃないし、探さなくていいって」

小さな窓から見えるカフェの外の道路が、キラキラと光っていた。
雪が少しだけ降ったせいだ。
僕が沙友理さんに最後に言った言葉。
あの日も今日みたいに、道路がキラキラと光っていた。


 僕が兄貴から逃れた二十歳の誕生日。
沙友理さんを駅まで送った時だった。

「何が欲しいか決めておいてね。一緒に見て、プレゼントしようと思ってたのに、遠慮するんだから」

沙友理さんは、マフラーや時計やキーケースなどあらゆる物を勧めてくれたけれど、その全てを僕は断った。

「申し訳ないので。それに食事代も出してもらっちゃったので」

「プレゼントしたいの。負担に感じてる?だって...私...」

沙友理さんがその後に何を言うのか、僕は予感した。
だから、遮った。

「一つお願いがあります。それをプレゼントにします」

「何?言ってみて」

嬉しそうな顔をした。 
でも僕の発言は、きっとその表情を変えてしまうものだろうと思った。

「僕を探さないでほしい」

沙友理さんは、どういう意味か分からないようで、辺りをキョロキョロと見た。
言葉の意味を考えているようだった。

「とにかく、それが二十歳の誕生日プレゼントってことでお願いします」

僕は立ち去った。
特に後ろから再び呼び寄せられる事もなく、僕は駅から離れていったのだった。

 

「あの時、何も言えなかっけど…一番気になったのは、なんで誕生日を一緒に過ごしてくれたのかなって。私の事好きになったのかなって少し期待した」

「すみません」

「大丈夫。本当は分かってたから。期待はしたけど、違うってどこかで分かってた。期待だけで終わらない時は、なんとなく分かるもん」

「そうなんですか」

「うん。私のこれまではそうだった」

 僕が誕生日に、それも去る計画のあるその日に沙友理さんと過ごした理由。
それは、兄貴を油断させるためでしかなかったのかもしれない。
僕の内心が兄貴にバレるなんて、一番嫌な事だった。

「沙友理さん、本当にごめんなさい」

この暗いカフェは、別れや懺悔、謝罪などマイナスの感情にとても似合う。
そして、その感情を創り出す空間のようで、なんだか妙だった。
僕は何に対して謝っているのかも分かずに、謝った。
兄貴のせいで、沙友理さんを悪い人のように感じてしまう事だろうか。
それとも突然いなくなった事だろうか。

「じん、ごめんね」

沙友理さんも謝った。
理由として考えられるのは、兄貴の側に居続ける事だろうか。
きっと沙友理さんは、僕が兄貴に対して抱いている感情に、初めて会った日から気付いていた。
それでも兄貴の側に居続けた事。
そして、僕を好きだという事。
 僕は、沙友理さんの目をしっかりと見た。
初めてだった。
今までは、心をそれ以上読まれるのが怖くて出来なかったから。

「じんの居場所をバラしたの、私なの。じんを探したわけじゃない。探さないでっていう、好きな人が望んだ事を壊そうとするわけないでしょ?本当に偶然、見かけたの。こんな遠い場所、偶然って疑われるのは分かるけど」

「何で兄貴に言ったんですか?」

「ごめん。偶然会えるような場所じゃないからこそ、何か意味のある再会なんじゃないかって、期待したの。どうしてか分からないけど、私はいつも、じんに期待しちゃう。好きだから...それに、じんだけズルいって少し思ったの。れんから離れられたじんが羨ましかった。じんはれんの事が怖いし、嫌いだから逃げた。でも私はれんの事を嫌いになれないし、怖くもない。でもこのままずっと側にはいれないだろうなって。れん、また悪さをしてる」

 沙友理さんは、前から過去の話をしたがらなかった。
だから兄貴との出会いも、兄貴の側にいる理由も、僕を好きになってきっかけも知らない。
今日が初めてだった。
二十歳の誕生日の事、つまりは過去の事を知りたがったのは。
 逆に、僕の過去について聞いたり、未来について聞いたりもしなかった。
そういう部分は僕としてはとてもありがたかった。
僕は心のどこか、ほんの片隅の方で期待していたのかもしれない。
僕を好きだと言ってくれるこの人は、僕と同じ思いなんじゃないかと。
兄貴をどうにか変えたいんじゃないかと。
でも一向に兄貴の側を離れようとしなかった。
それは僕も同じだったけれど。

「こんな事、聞くのは凄く嫌なんですけど...何で僕の事…」

沙友理さんはさすがに驚いた顔をした。
そして決心したように大きく息を吸った後で言う。

「同じだったから。気持ちが痛いほど分かったから、目を離せなかったし、気持ちも離れなかった。今でも」

同じ。
その言葉は何だか、妙に、やけにしっくりと僕の心に収まった。
同時に悔しさも生まれた。
もっと早く、お互いの気持ちに向き合い、言葉にできていたなら。
僕らの今も、兄貴の今も変わっていただろうから。
 僕が沙友理さんを拒否したかった理由。
それは、兄貴の側にいるからという理由だけではなさそうだ。
僕も初めて会った日から、沙友理さんが兄貴に抱いている気持ちに気付いていたからかもしれない。
兄貴を止めたいという同じ思い。
それなのに出来ない、もどかしく、愚かな姿が鏡のように、僕の目に映っていたから。

「私は、れんの事が怖くないからこそ、嫌いになれないからこそ、彼を止める事が出来なかった。一番悪いと思う。怖いから止められない、じんは悪くないよ」

僕は悪くない。
それは兄貴を恐れだした日から、心の中で唱え続けてきた言葉だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

【完結】幼い頃から婚約を誓っていた伯爵に婚約破棄されましたが、数年後に驚くべき事実が発覚したので会いに行こうと思います

菊池 快晴
恋愛
令嬢メアリーは、幼い頃から将来を誓い合ったゼイン伯爵に婚約破棄される。 その隣には見知らぬ女性が立っていた。 二人は傍から見ても仲睦まじいカップルだった。 両家の挨拶を終えて、幸せな結婚前パーティで、その出来事は起こった。 メアリーは彼との出会いを思い返しながら打ちひしがれる。 数年後、心の傷がようやく癒えた頃、メアリーの前に、謎の女性が現れる。 彼女の口から発せられた言葉は、ゼインのとんでもない事実だった――。 ※ハッピーエンド&純愛 他サイトでも掲載しております。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

【完結済】ラーレの初恋

こゆき
恋愛
元気なアラサーだった私は、大好きな中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界に転生していた! 死因のせいで顔に大きな火傷跡のような痣があるけど、推しが愛してくれるから問題なし! けれど、待ちに待った誕生日のその日、なんだかみんなの様子がおかしくて──? 転生した少女、ラーレの初恋をめぐるストーリー。 他サイトにも掲載しております。

処理中です...