8 / 8
第八話 悲運のバケモノ
しおりを挟む人も虫も植物も眠りについた真夜中のこと。薄暗い部屋のベットの中で、彼はふと目を覚ました。
一度眠ると朝まで滅多に起きることがない彼は、我ながら珍しいこともあるものだと思いながらゆっくりと身体を起こす。
灯りをつけていない部屋は、窓から差し込む月明かりによってぼんやりと白く浮かび上がっていた。
その光に導かれるように、彼はベッドを降りて窓の方へと歩いていく。
外を見上げると紺色のキャンバスの上には、色取り取りの小さな星屑達と、不気味なほど青白い三日月が描かれていた。
彼の宝石のように美しい瞳の中に、冷たい光を放つ三日月が映り込む。
(……そういえば、あの夜もこんな月が出てたっけ)
彼はそっと目を閉じて彼自身の過去に想いを馳せた。
彼はここリスペルシャ王国の南に位置するトルペという町で生まれた。
トルペは、周囲を山で囲まれており、その山間における湧水から作られた地酒が名産品とされている、言わば"酒の町"である。
そして彼の父の家は、その地酒を商う商家のうちの一つであった。
平凡な容姿に、これといって抜きんでた才能もなかった彼の父テオドルスは、幼い頃から隣の家に住む一つ年下のラーラという少女に恋をしていた。ラーラの方は、テオドルスの事を兄のような存在としか思っておらず、恋愛対象としては見ていなかったが、何年経ってもずっと一途にラーラを思い続けるテオドルスに絆され、やがて二人は結婚した。
彼の妻への溺愛ぶりは町でも有名だった。そんな二人の間に出来た愛の結晶──それが"彼"だった。
彼は、母ラーラの髪と目の色をそのまま受け継いで生まれてきた。その容姿はお世辞にも可愛らしいとは言えなかったが、それでもラーラは無事に生まれてきた彼を涙を浮かべて眺め、白い腕で優しく抱きしめた。
しかし不運なことにラーラは産後の肥立ちが悪く、彼を生んだ数週間後、若くしてこの世を去ってしまう。
テオドルスは愛する妻を失い三日三晩泣き続けたが、生まれてきた息子の為に……そして妻を失った悲しみを忘れる為に、今まで以上に身を粉にして働き始めた。
忙しいテオドルスの代わりに、乳母が彼の面倒を見ることが多かったが、テオドルスは時間がある時には何かしらの土産を片手に彼の部屋を訪れていた。
そうして季節は巡り、彼が六歳の誕生日を迎えてしばらく経った頃。一人で大人しく本を読んでいると、ふと窓の外から楽しそうな子供達の声が聞こえて彼はそっと家を抜け出した。
声のする方に歩いていくと、向かいの家の庭先で数人の子供達が楽しそうに笑いながら遊んでいた。
それまで、ほとんど父と乳母としか話したことのなかった彼は、初めて見る自分と年の近い子供の存在に嬉しくなり、思わず声をかけた。
「ね、ねぇ!もし良かったら僕も仲間に入れてくれないかな?」
すると、それまで楽しそうに遊んでいた子供達が、彼の顔を見た途端、皆一様に黙り込んでしまった。
あれ?と思いながら返答を待っていると、子供達の中で一番背の高かった少年がジッと彼を見下ろしながら答える。
「……やだね」
「え、な、なんで……?」
ポカンとする彼に、少年は顔を歪めて更にこういった。
だってお前の顔、本に出てきたバケモノの顔にそっくりだから、と。
幼いながらも自分の容姿があまり褒められたものではないということはなんとなく理解っていた。だが、面と向かって言われた「バケモノ」という言葉は、幼い彼の心を大いに抉った。
それから彼は子供達の声がしても外に遊びに行こうとはしなくなり、家の中で一人で絵を描いて過ごすようになった。
絵を描くということは、最初のうちはただの一人遊びのうちの一つに過ぎなかった。だがある日、テオドルスの似顔絵を描いてみせると、いつも疲れた顔をしていたテオドルスが、嬉しそうに笑って彼の頭を優しく撫でてくれたのだった。
たったそれだけのことが、彼にとってはとても嬉しく思え、彼は朝から晩まで何かに取りつかれたように絵を描くようになった。
そして、彼が十一歳になったとある夜のこと。真夜中にふと強い喉の渇きを覚えて目を覚ました彼は、水を求めてベットを降りた。廊下に出ると、母ラーラの部屋のドアの隙間から僅かに光が漏れていることに気がつき、足音を立てないようゆっくりドアに近付く。
そっと中を覗き込むと、そこには母のベットに腰掛けて項垂れている父の姿があった。
「……ラーラ」
母の名を呼ぶ父の声は、酷く震えていた。
「ラーラ、ラーラ。私の愛しいラーラ」
父はラーラの写真が入った古いペンダントを握りしめ、何度も何度も彼女の名を呼んでいる。
「……君に会いたいよ」
それは、テオドルスの心からの叫びだった。
「本当なら、君を失った時点で私がこの世界で生きていく理由なんてない。けれど、私にはあの子がいる」
あの子、とは間違いなく自分のことだ。父が心底愛した母と同じ目と髪を持って生まれた自分のことだ。
彼は無意識のうちにきゅっと固く自分の唇を噛んでいた。
「あの子は、君が残してくれたかけがえのない私の息子だ。だが……あの子を見るたびに、君がこの世にいないことを痛感して胸が苦しくなる」
その言葉を聞いた瞬間、彼の心臓はドクンと嫌な音を立てた。
「ふと考えてしまうんだ。もし……もしあの子が生まれてこなければ、君は今も私の隣にいてくれたのではないかと」
ドクン、ドクン、ドクン。どんどん激しくなる心臓と急激に冷たくなっていく手足。
(……そんな、)
後ろに2、3歩よろめいたことで、廊下の床がぎしりと嫌な音を立てた。その瞬間、部屋の中のテオドルスがハッと顔を上げる。
涙に濡れた父の鳶色の瞳と目があった刹那、彼はクルリと踵を返してその場から逃げ出した。
後ろから彼の名を叫ぶテオドルスの声が追いすがるが、彼は足を止めることなく、そのまま家を飛び出す。
(嘘だ、嘘だ、嘘だ……!)
テオドルスの言葉が耳の奥にこびりついて離れない。
わかっている。テオドルスが彼の為に身を粉にして働き、父親としてこんなにも醜い、バケモノのような彼のことを心から愛してくれていたことなんて。そんなことは痛いくらいに理解っている。
だからこそ、彼は酷く悲しかった。
『あの子を見るたびに、君がこの世にいないことを痛感して胸が苦しくなる』
────自分のこの容姿は、ただ醜いだけではなく、世界でたった一人しかいない、大好きな父親のことまで苦しめてしまうのか。
(ごめんなさい、ごめんなさい……!)
……本当は知っていた。テオドルスは上手く隠せていると思っていたのかもしれない。いや、もしかするとテオドルス自身も気が付いていなかったのかもしれない。
もう何年も昔から。恐らく、愛する妻を亡くしてからずっと。彼を見つめるテオドルスの顔は、どこか辛そうに歪んでいたのだ。
彼はそのことに気が付かないふりをしていた。まだ幼い彼の心が、その父の表情の意味を理解することを拒否したからだ。しかし、その拒絶はもう意味をなさなくなってしまった。
当てもなくただひたすらに走り続けていた彼は、道に転がっていた小さな石に気が付かず、躓いてベシャッと派手な音を立てて転んでしまう。
「いたい……」
掌と両膝から真っ赤な血がジワリと滲む。彼の瞳に透明な涙がいくつも浮かび、溢れた雫が彼の頬を伝って地面に小さな染みを作った。
「いたいよ……」
手が。足が。心が。身体中のあちこちが、痛い。
それでも彼は、彼の父が追いかけてくることを恐れてまた走り出す。
────自分はもう、父の元にいる事は出来ないから。
痛くても痛くても、彼はひたすら足を動かし続けた。
冷たい光を纏った三日月が、そんな彼の行く道を静かに照らし続けていた。
彼は静かに目を開け、再びあのときと変わらずそこに有り続ける白い月を見上げる。
暫く微動だにせず月を眺めていた彼は、徐にその辺に放ってあった筆とパレットを手に取ったのだった。
0
お気に入りに追加
335
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(7件)
あなたにおすすめの小説
美醜逆転の異世界で私は恋をする
抹茶入りココア
恋愛
気が付いたら私は森の中にいた。その森の中で頭に犬っぽい耳がある美青年と出会う。
私は美醜逆転していて女性の数が少ないという異世界に来てしまったみたいだ。
そこで出会う人達に大事にされながらその世界で私は恋をする。
大聖女の姉と大聖者の兄の元に生まれた良くも悪くも普通の姫君、二人の絞りカスだと影で嘲笑されていたが実は一番神に祝福された存在だと発覚する。
下菊みこと
ファンタジー
絞りカスと言われて傷付き続けた姫君、それでも姉と兄が好きらしい。
ティモールとマルタは父王に詰め寄られる。結界と祝福が弱まっていると。しかしそれは当然だった。本当に神から愛されているのは、大聖女のマルタでも大聖者のティモールでもなく、平凡な妹リリィなのだから。
小説家になろう様でも投稿しています。
何を言われようとこの方々と結婚致します!
おいも
恋愛
私は、ヴォルク帝国のハッシュベルト侯爵家の娘、フィオーレ・ハッシュベルトです。
ハッシュベルト侯爵家はヴォルク帝国でも大きな権力を持っていて、その現当主であるお父様にはとても可愛がられています。
そんな私にはある秘密があります。
それは、他人がかっこいいと言う男性がとても不細工に見え、醜いと言われる男性がとてもかっこよく見えるということです。
まあ、それもそのはず、私には日本という国で暮らしていた前世の記憶を持っています。
前世の美的感覚は、男性に限定して、現世とはまるで逆!
もちろん、私には前世での美的感覚が受け継がれました……。
そんな私は、特に問題もなく16年生きてきたのですが、ある問題が発生しました。
16歳の誕生日会で、おばあさまから、「そろそろ結婚相手を見つけなさい。エアリアル様なんてどう?今度、お茶会を開催するときエアリアル様をお呼びするから、あなたも参加しなさい。」
え?おばあさま?エアリアル様ってこの帝国の第二王子ですよね。
そして、帝国一美しいと言われている男性ですよね?
……うん!お断りします!
でもこのまんまじゃ、エアリアル様と結婚させられてしまいそうだし……よし!
自分で結婚相手を見つけることにしましょう!
スキルが農業と豊穣だったので追放されました~辺境伯令嬢はおひとり様を満喫しています~
白雪の雫
ファンタジー
「アールマティ、当主の名において穀潰しのお前を追放する!」
マッスル王国のストロング辺境伯家は【軍神】【武神】【戦神】【剣聖】【剣豪】といった戦闘に関するスキルを神より授かるからなのか、代々優れた軍人・武人を輩出してきた家柄だ。
そんな家に産まれたからなのか、ストロング家の者は【力こそ正義】と言わんばかりに見事なまでに脳筋思考の持ち主だった。
だが、この世には例外というものがある。
ストロング家の次女であるアールマティだ。
実はアールマティ、日本人として生きていた前世の記憶を持っているのだが、その事を話せば病院に送られてしまうという恐怖があるからなのか誰にも打ち明けていない。
そんなアールマティが授かったスキルは【農業】と【豊穣】
戦いに役に立たないスキルという事で、アールマティは父からストロング家追放を宣告されたのだ。
「仰せのままに」
父の言葉に頭を下げた後、屋敷を出て行こうとしているアールマティを母と兄弟姉妹、そして家令と使用人達までもが嘲笑いながら罵っている。
「食糧と食料って人間の生命活動に置いて一番大事なことなのに・・・」
脳筋に何を言っても無駄だと子供の頃から悟っていたアールマティは他国へと亡命する。
アールマティが森の奥でおひとり様を満喫している頃
ストロング領は大飢饉となっていた。
農業系のゲームをやっていた時に思い付いた話です。
主人公のスキルはゲームがベースになっているので、作物が実るのに時間を要しないし、追放された後は現代的な暮らしをしているという実にご都合主義です。
短い話という理由で色々深く考えた話ではないからツッコミどころ満載です。
変な転入生が現れましたので色々ご指摘さしあげたら、悪役令嬢呼ばわりされましたわ
奏音 美都
恋愛
上流階級の貴族子息や令嬢が通うロイヤル学院に、庶民階級からの特待生が転入してきましたの。
スチュワートやロナルド、アリアにジョセフィーンといった名前が並ぶ中……ハルコだなんて、おかしな
美醜逆転異世界で、非モテなのに前向きな騎士様が素敵です
花野はる
恋愛
先祖返りで醜い容貌に生まれてしまったセドリック・ローランド、18歳は非モテの騎士副団長。
けれども曽祖父が同じ醜さでありながら、愛する人と幸せな一生を送ったと祖父から聞いて育ったセドリックは、顔を隠すことなく前向きに希望を持って生きている。けれどやはりこの世界の女性からは忌み嫌われ、中身を見ようとしてくれる人はいない。
そんな中、セドリックの元に異世界の稀人がやって来た!外見はこんなでも、中身で勝負し、専属護衛になりたいと頑張るセドリックだが……。
醜いイケメン騎士とぽっちゃり喪女のラブストーリーです。
多分短い話になると思われます。
サクサク読めるように、一話ずつを短めにしてみました。
【完結】魔力・魔法が無いと家族に虐げられてきた俺は殺して殺して強くなります
ルナ
ファンタジー
「見てくれ父上!俺の立派な炎魔法!」
「お母様、私の氷魔法。綺麗でしょ?」
「僕らのも見てくださいよ〜」
「ほら、鮮やかな風と雷の調和です」
『それに比べて"キョウ・お兄さん"は…』
代々から強い魔力の血筋だと恐れられていたクライス家の五兄弟。
兄と姉、そして二人の弟は立派な魔道士になれたというのに、次男のキョウだけは魔法が一切使えなかった。
家族に蔑まれる毎日
与えられるストレスとプレッシャー
そして遂に…
「これが…俺の…能力…素晴らしい!」
悲劇を生んだあの日。
俺は力を理解した。
9/12作品名それっぽく変更
前作品名『亡骸からの餞戦士』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
続きがとても気になる作品です!
お忙しいようですが、ぜひ続きをよろしくお願いします✨
すごく面白かったです。一気に読んでしまいました!
お話の続きを楽しみにしています。
無理のないペースで頑張ってください。
コメントありがとうございます(*´ω`*)
そう言っていただけて光栄です…!!
もう暫くしましたら、続きの方を投稿させていただきたいと思いますので、どうか気長にお待ち頂けると嬉しいです(><)
もう続きは書かれないのでしょうか?
もっと読んで見たいです。
コメントありがとうございます(*´ω`*)
物語自体は、現在こちらで公開されているものから+3万字ほど進んでおります…!出来るだけ早く更新が出来るように頑張りますので、どうぞ長い目でみて頂けたら幸いでございます!