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第41話「アメリカへ」
しおりを挟む 森の道もあとわずかで抜ける。そう思った時、突如として恐ろしいほど強い魔力を感じてフェーベは立ち止った。
「……っ!」
息をするのも苦しいような、濃密な魔の圧力。なぜ今まで気が付かなかったのだろうかと不思議なほどの圧倒的な力。上級魔族でもこれほどの存在感を感じたことはなかった。
冷静さを欠かしたことのない頭が、目を付けられないうちに早く逃げるべきだと告げる。がくがくと膝が震えるが、むりやり先に進もうとすると、脳みその奥まで響くような低音の声が聞こえてきた。
「……誰かいるのか?」
支配することに慣れているのであろう、深く力強い声。いる。というのはもう既に分かっているのだろう。実質的には『こちらに来い』ということだ。
「……はい」
フェーベはなんとか声を絞り出すと、声がした方に足を進めた。本当なら一目散に逃げ出したいが、相手がそれを見逃してくれなかった場合は命に係わる。上級魔族にとってはフェーベのような淫魔なんて、ベッドに侍るだけのペットのようなものだ。彼らはたとえ同じ魔族であっても、殺すことに微塵も躊躇しない。
けもの道を通って進むと声の主は大樹にもたれるように座っていた。フェーベは、一瞬自分の置かれた状況も忘れてその男に見惚れてしまった。男はそれ程に魅力的だったのだ。
短い銀髪は月のように煌めき、肌は輝くほど白く美しい。意志の強そうな深緑の瞳は鋭いが、それすら強者としての魅力を感じさせる。端正な顔立ちを支える体も、均整がとれていることは、座っていても分かる。淫魔以外では容姿の美しさは魔力の強さを表している。きっと彼は、本来は自分などは一生視線すら合わせられないほどの上級魔族なのだろう。
フェーベは近すぎない距離で片膝をつき、頭を深く下げた。
「名は?」
「……フェーベでございます」
もつれそうになる舌を動かす。
「そうか、呼びつけて悪い。助かった」
悪い。助かった。上級魔族と思えない謙虚な言葉に、思わず、恐れ多いと思いつつも視線を上げた。まじまじと顔を見ていると、男もそのままフェーベをじっと見返してきた。その視線は鋭いのにどこか温かみがあって、フェーベは無礼だということも忘れて見つめてしまう。
恐ろしいほどに整った顔立ちと美しい肢体。もし彼が淫魔だったなら、きっと他人を魅惑するなんて息をするよりも簡単なのだろう。呆けたように見つめているうちに、男の顔色が酷く悪いことに気が付いた。
「失礼ですが、お顔色が優れません。……どこか具合でも?」
「ああ、目が覚めてから酷く息苦しい。体も引き裂かれたように痛む」
男はそう言うと苦しそうに息を吐く。頭痛がするのか、白い手をゆっくりとこめかみに当てる。
「……失礼いたします」
フェーベは恐る恐るではあったが男に近寄ると、できるだけ慎重に男の額に手を当てた。触れた途端に腕が切り落とされないかと不安だったが、男は驚いた表情こそしたがじっと大人しくしていた。
触れた額は熱く、彼が熱を持っているのは明らかだった。続けて手首にも触れて脈をとるとやはり少し早い。瞳孔も少し開いていて息も荒く、倦怠感がするのか体の動きも遅い。
フェーベはてきぱきといくつか調べ、首をかしげた。呼吸がしにくく熱があり、瞳孔が開いて倦怠感に襲われる。これではまるで魔界の濃い瘴気にあてられた、人間や天使のようだ。
だが彼からは圧倒的な魔力を感じる。人間や天使である筈がない。フェーベは頭を振ると、応急処置のために薬草を細かく刻んで鎮痛剤を作りはじめた。初めての性交の時はひどく痛むと聞いて、自分のために用意していたものだ。こんなところで使うとは思わなかったが、持ってきておいてよかった。
刻んで飲みやすくした薬草を、小さな蝋の包みに乗せた。
「よろしければ、これを」
上級魔族である彼は、淫魔程度の作った薬など使わないかもしれないが、それでも差し出した。フェーベにとってはそれ位しかできることもない。差し出した薬に、男は少しまた驚いた顔をして、それから躊躇せずに差し出された薬を口に放りこんだ。薬草独特の苦みに少し顔をしかめるが、そのまま飲み下したようだった。
「……苦いな。効きそうだ」
男はそう言うと小さく微笑んだ。
その瞬間、ゾクリとした感覚が全身を襲う。人形のような美貌にまっすぐ目を見て笑われると、こんなにも恐ろしく……そしてこんなにも幸せだとは。圧倒的な魔力がなかったとしても、目の前にひれ伏したくなってしまう。
鳥肌のたつ肌をかくすように、フェーベは恐る恐る口を開いた。
「恐れ多くも、あなた様は身分のあるお方かと存じます。このような森の奥で共もつけず、どうかなさったんですか?」
慣れない敬語に舌を噛みそうになりつつもそう言うと、男はなにやら言いづらそうに口ごもり、視線を泳がせた。彼の雰囲気に似合わないその行動に目を見開いていると、ややしてようやく彼が目を合わせてきた。
「ああ、フェーベ……変なことを聞くが、いいか?」
「……はい」
下級魔族の自分に伺いを立てるなんて、ありえないことだ。だが今は目の前の男があまりにも真剣な顔をしていたから、フェーベも神妙な顔をして頷いた。
「ここはどこだ?」
「え……、ここ、ですか?」
以外すぎる質問に、一瞬詰まる。こんな大魔族に限って迷子になるはずもない。共の使い魔を見失ってしまったのか?それにしても
「第36層の西南、深闇の森です」
「36層……」
「はい。一番近い町のエキドナまでは、このまま東の方向へ飛べばすぐです。良ければ近くまでご一緒致しますか?」
「ああ……そうしてくれるか?」
フェーベが重ねてそう言うと男はゆっくりと立ち上がった。
「……っ!」
息をするのも苦しいような、濃密な魔の圧力。なぜ今まで気が付かなかったのだろうかと不思議なほどの圧倒的な力。上級魔族でもこれほどの存在感を感じたことはなかった。
冷静さを欠かしたことのない頭が、目を付けられないうちに早く逃げるべきだと告げる。がくがくと膝が震えるが、むりやり先に進もうとすると、脳みその奥まで響くような低音の声が聞こえてきた。
「……誰かいるのか?」
支配することに慣れているのであろう、深く力強い声。いる。というのはもう既に分かっているのだろう。実質的には『こちらに来い』ということだ。
「……はい」
フェーベはなんとか声を絞り出すと、声がした方に足を進めた。本当なら一目散に逃げ出したいが、相手がそれを見逃してくれなかった場合は命に係わる。上級魔族にとってはフェーベのような淫魔なんて、ベッドに侍るだけのペットのようなものだ。彼らはたとえ同じ魔族であっても、殺すことに微塵も躊躇しない。
けもの道を通って進むと声の主は大樹にもたれるように座っていた。フェーベは、一瞬自分の置かれた状況も忘れてその男に見惚れてしまった。男はそれ程に魅力的だったのだ。
短い銀髪は月のように煌めき、肌は輝くほど白く美しい。意志の強そうな深緑の瞳は鋭いが、それすら強者としての魅力を感じさせる。端正な顔立ちを支える体も、均整がとれていることは、座っていても分かる。淫魔以外では容姿の美しさは魔力の強さを表している。きっと彼は、本来は自分などは一生視線すら合わせられないほどの上級魔族なのだろう。
フェーベは近すぎない距離で片膝をつき、頭を深く下げた。
「名は?」
「……フェーベでございます」
もつれそうになる舌を動かす。
「そうか、呼びつけて悪い。助かった」
悪い。助かった。上級魔族と思えない謙虚な言葉に、思わず、恐れ多いと思いつつも視線を上げた。まじまじと顔を見ていると、男もそのままフェーベをじっと見返してきた。その視線は鋭いのにどこか温かみがあって、フェーベは無礼だということも忘れて見つめてしまう。
恐ろしいほどに整った顔立ちと美しい肢体。もし彼が淫魔だったなら、きっと他人を魅惑するなんて息をするよりも簡単なのだろう。呆けたように見つめているうちに、男の顔色が酷く悪いことに気が付いた。
「失礼ですが、お顔色が優れません。……どこか具合でも?」
「ああ、目が覚めてから酷く息苦しい。体も引き裂かれたように痛む」
男はそう言うと苦しそうに息を吐く。頭痛がするのか、白い手をゆっくりとこめかみに当てる。
「……失礼いたします」
フェーベは恐る恐るではあったが男に近寄ると、できるだけ慎重に男の額に手を当てた。触れた途端に腕が切り落とされないかと不安だったが、男は驚いた表情こそしたがじっと大人しくしていた。
触れた額は熱く、彼が熱を持っているのは明らかだった。続けて手首にも触れて脈をとるとやはり少し早い。瞳孔も少し開いていて息も荒く、倦怠感がするのか体の動きも遅い。
フェーベはてきぱきといくつか調べ、首をかしげた。呼吸がしにくく熱があり、瞳孔が開いて倦怠感に襲われる。これではまるで魔界の濃い瘴気にあてられた、人間や天使のようだ。
だが彼からは圧倒的な魔力を感じる。人間や天使である筈がない。フェーベは頭を振ると、応急処置のために薬草を細かく刻んで鎮痛剤を作りはじめた。初めての性交の時はひどく痛むと聞いて、自分のために用意していたものだ。こんなところで使うとは思わなかったが、持ってきておいてよかった。
刻んで飲みやすくした薬草を、小さな蝋の包みに乗せた。
「よろしければ、これを」
上級魔族である彼は、淫魔程度の作った薬など使わないかもしれないが、それでも差し出した。フェーベにとってはそれ位しかできることもない。差し出した薬に、男は少しまた驚いた顔をして、それから躊躇せずに差し出された薬を口に放りこんだ。薬草独特の苦みに少し顔をしかめるが、そのまま飲み下したようだった。
「……苦いな。効きそうだ」
男はそう言うと小さく微笑んだ。
その瞬間、ゾクリとした感覚が全身を襲う。人形のような美貌にまっすぐ目を見て笑われると、こんなにも恐ろしく……そしてこんなにも幸せだとは。圧倒的な魔力がなかったとしても、目の前にひれ伏したくなってしまう。
鳥肌のたつ肌をかくすように、フェーベは恐る恐る口を開いた。
「恐れ多くも、あなた様は身分のあるお方かと存じます。このような森の奥で共もつけず、どうかなさったんですか?」
慣れない敬語に舌を噛みそうになりつつもそう言うと、男はなにやら言いづらそうに口ごもり、視線を泳がせた。彼の雰囲気に似合わないその行動に目を見開いていると、ややしてようやく彼が目を合わせてきた。
「ああ、フェーベ……変なことを聞くが、いいか?」
「……はい」
下級魔族の自分に伺いを立てるなんて、ありえないことだ。だが今は目の前の男があまりにも真剣な顔をしていたから、フェーベも神妙な顔をして頷いた。
「ここはどこだ?」
「え……、ここ、ですか?」
以外すぎる質問に、一瞬詰まる。こんな大魔族に限って迷子になるはずもない。共の使い魔を見失ってしまったのか?それにしても
「第36層の西南、深闇の森です」
「36層……」
「はい。一番近い町のエキドナまでは、このまま東の方向へ飛べばすぐです。良ければ近くまでご一緒致しますか?」
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