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1章

1-13.魔法雑貨店

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 翌日、朝食を食べ終えた僕はエミナさんに連れられて、早速、エルフのやっている魔法雑貨屋へと足を運んだ。
 ――カランカラン。
 エミナさんが扉を開けると、音が鳴った。見ると、小さい鐘がドアに吊るしてあった。

(チャイムはあるんだな)

 僕は思った。しかし、このチャイムはドアが開くとベルが鳴る構造のチャイムだ。電気的な要素はどこにも無い。
 相変わらず、電気が見当たらない。スマートフォンの充電は、当然、出来なさそうだ。少なくとも、ここではいくらかけても繋がりそうにないので、電源を切って、いざという時に使った方が良さそうだ。

「あら、いらっしゃい」

 微笑みかけたのは、銀色の髪を伸ばした肌の白い女性だ。

「こんにちは、シェールさん」

 エミナさんが挨拶しながら店の中に入った。僕もそれに続く。

「あら、エミナちゃん。今日はどうしたの? お水、足りなくなった?」
「いえ、違うんです。ミズキちゃん……彼女がエルフを見たいと言うので」
「エルフを? ……ああ、彼女が噂の……」
「そうなんです」
「え……な、何、噂って」
「ふらりと現れて、黒蛇こくじゃから村を救ってくれたって」
「そんな噂が!? でも、蛇と戦ったのは、主にエミナさんとイミッテで、僕はそんな大した事はしていないですよ」

 全力疾走したのは苦しかったし、死にもの狂いだったので多少は評価して欲しいとは思うが、それだけだ。ここまで有り難がられる程の事はしていないし、そういう実感も無い。

「ふふふ、どうかしらね……でも、エルフを見に、わざわざここに来るっていうのも変わってるわね」
「ミズキちゃん、記憶喪失だから……」
「記憶喪失……?」
「す……凄い……本当にエルフだ……」

 イミッテにエルフだと言われても、今一ぴんと来なかったが、この人は本当にエルフだ。細身の体にさらりとした長い髪、そして、何よりも、耳が尖っている。体型や髪質がエルフっぽい人ならいくらでもいるが、あの耳の形はエルフ以外には考えられない。

「あら? エミナ、彼女はエルフを見た事はあるのよね?」
「昨日、子供のエルフを見たんです」
「にしては、随分と驚いているけれど……私の耳を見てるのかしら?」
「そっか、イミッテちゃんの耳、髪の毛に隠れちゃって見えなかったもんね。エルフの最大の特徴は耳だし……それに反応するって事は、ひょっとして、何か思い出した?」
「うん? いや……物語とか、作り話しの中のエルフと同じだって。だけど……本当に……実際に居るんだなぁ」
「うふふ……なんだか恥ずかしいわね、そんなにまじまじと見られると」
「あ……す、すいません……」
「ふふ……本当に見る事見る事新鮮なのね。ちょっと面白いわ、キミ」
「え……面白いって……」
「エミナちゃん、ここにある道具、彼女に見せてみてはどうかしら。色々と出てきそうだし」
「いや、出てきそうって……」
「そっか、何が記憶が戻る取っ掛かりになるか分からないし、いいかもしれませんね!」
「エミナさんまで……」
「え……嫌だった? ごめんね、嫌ならいいの」
「えっ……い、いや、そうじゃないんだ。えっと、見させてもらうよ」

 僕は、口に出した言葉を撤回しつつ、店の商品に目をやった。
 ざっと見た感じ、ペンや眼鏡のような見慣れたものもあれば、何に使うのか良く分からないものもある。あそこのガラス玉のようなのはインテリアだろうか。

「あら、あれが気になるの?」

 シェールさんは僕が見ていた透明な珠を手に取った。

「なんか、不思議だなって。他にも色々なのがあるし」

 透明な珠の中には赤い炎がゆらゆらと揺らめいていたり、モクモクと漂う灰色の煙が入っていたりしている。シェールさんが持っている珠の中には、水面に石を投げたら現れるような波紋が入っている。

「これは水を貯めておく道具よ。雨水も貯めておけるし、川や泉の水も貯めておけるわ」
「この村には井戸が無いから、こうやって近くの泉の水を貯めているの」

 エミナさんが付け加える。

「そっか……水道なんて無いんだもんね」
「何? スイドー?」
「いや……こっちの話だよ。じゃあ、水不足の時も安心なんだ」
「これは普段使いのものだから、水不足の時は、これでは到底足りないわ。だから、もっと大きなのを使うのよ」

 シェールさんが指差した先には、大きな木箱が置いてあった。木箱には金色の鎖が巻かれ、その間には一枚の紙が挟まっていた。
 良く見ると、紙には文字のようなものが書かれているが、何なのかは分からない。見たところルーン文字のような雰囲気だ。魔法と言ったらルーン文字だし、本当にルーン文字かもしれない。

「どしたの、ミズキちゃん? ぼーっとして」

 エミナさんが、不思議そうに僕の顔を覗いた。

「うん? いや、変わった文字が書いてあるなって思って」
「あれはウィズグリフって言うの。何かに魔力を宿すための、専用の文字よ」
「ふうん……」

 あながち間違っていないかもしれない。僕の想像したルーン文字と同じような役割だ。

「今でこそ呪文を唱えるだけで魔法が使えるようになったけど、遠い昔には触媒とかウィズグリフを介さないと魔法を使えなかったんだって」
「そうなんだ……ああ、エルフは長寿だから」
「ミズキちゃん、いくらエルフが長寿だからって、そんなに昔から生きているエルフは居ないよ。それは本当に遠い昔……この世界が外界と分かつ前の事なんだから」
「ああ、そんな前だったんだ」
「うん。だから、今は大掛かりな魔法を使う時や、余程の大魔法を使う時じゃないと、この方法は使わないの」
「ふうん……」
「魔法雑貨はあると便利だけど、無くてもそれなりにどうにかなるの。例えば……」

 シェールさんは、棚に置いてある透明な珠を手に持った。中には炎がゆらゆらと揺らめいている。

「これは炎を発生させる道具だけれど、マッチと松脂があれば事足りるわ」
「なるほど、確かにそうだなぁ……」

 マッチとファイアスターターになるものがあれば、確かに火を起こせる。

「便利といえば、これ! これ、凄いの!」

 エミナさんが嬉々として、シェールさんとは別の珠を持った。
 珠の中には雪の結晶が漂っていて、綺麗だ。

「これを使うと、色々なものが、とっても冷たくなるの。お水や果物に使うと、冷たくて美味しいのよ」
「そっか、冷たい飲み物や果物、美味しいもんね」

 冷蔵庫……いや、氷の役割の方が近いだろうか。どちらにせよ、氷を保存するには冷凍庫が必要だから、冷凍庫の方の役割と考えてもいいかもしれない。

「勿論、珠の形をしたのだけじゃないわ。こんなのや、こんなのもある」

 シェールさんは、足元に敷いてあるパネルを踏み、発光させたり、手に持ったペンで空中に絵を描いたりしている。

「へぇー、色々あるんだ」
「こういうの、子供達が喜ぶから、色々な種類を作ってあるのよ」
「子供達……か……」
「この村は小さいし、それほど魔法に頼る事もないから、魔法雑貨はそれ程売れないの。でも、こういう遊び道具は子供達に大人気でね、私も作る甲斐があるわ」
「小さい子には、この村は狭くて、ちょっと退屈なのかもしれませんね」

 エミナさんが言ったが、シェールさんは何故か僕に迫ってくる。

「そうね、ちょっとした刺激が欲しいのかも。もう少し大きくなったら、私がもっと刺激的な事を教えてあげられるけど……ウフフ……」
「あ……あの……」
「ちょ……シェールさん!」

 エミナさんが、僕とシェールさんの間に割って入った。

「フフ……冗談よ。都に行けば、もっと実用的な……都……都か……」

 不意に、場を沈黙が支配した。エミナさんとシェールさんは、顔を見合わせ、それぞれの言葉を発した。

「都に行けば、何か手掛かりが見つかるかもしれないわね……」
「そっか! 向こうはとっても町だから……」
「え、何? どういう事?」
「この村より、ずっと大きな所があるの。そこには、もっと色々な道具、色々な人が居て……そう、図書館もあるの」

 エミナさんは、嬉しそうに言った。

「図書館……か……」
「だから、記憶を取り戻す手掛かりだって、きっと沢山あるわ」
「手掛かり……」

 本当に記憶喪失なら、記憶を取り戻せる。最早、自分の記憶が夢なのか、それとも本当にこことは違う世界の事なのか、自信が無くなってきた。
 こんなに魔法が発達している世界なら、どんな事が起こったって不思議じゃない。僕が本当に記憶喪失で、この記憶が現実とは全く関係無い、混乱した記憶だったりするかもしれないし、人工的に記憶を操作されている可能性もある。
 記憶に何らかの障害があると考えて、記憶を蘇らせる方向で行動するのも悪くない。もし、違ったとしても、それはそれで、元の世界に帰れる手段が見つかるかもしれない。

「確かに、そういう所なら見つかるかもしれないな……」

 この村の外に何があるのかも分からないので、手掛かりが無いにしても、行く価値はあるだろう。ただ、僕はこの世界の地理なんて全く知らない。

「それって、どこにあるの? 隣町?」
「そうね……ここからコーチで四、五日間くらいかな」
「あ、そんなにかかるの……って、コーチって?」
「ほら、エミナちゃんが落っこちてきたとこだよ」
「落っこちた……ああ……」

 僕はビルから落下して、何故か馬車に落ちた。忘れもしない、この世界に来たきっかけだ。

「なんとなく覚えてるけど……馬車だよね、あれ」
「馬車?」
「うん、馬の車って書いて、馬車」
「ふうん、エミナちゃんの地域ではそう呼ぶのかな。ここでは、あれはコーチって呼んでるよ。ワムヌゥが牽いてるから、どちらにせよ馬の車じゃないね。どっちもコーチだけど……敢えて翻訳するなら、馬のコーチ、ワムヌゥのコーチ……かな?」
「コーチ……どちらにせよ、四、五日かかるのは変わらないか……遠いな」
「さて、どうやら、都に行く方向で決まったみたいだけど、案内役が必要じゃない? 記憶喪失の女の子が一人歩きするには、少し危険な旅よ」
「確かに、そうですね……」
「そっか、そうだよね……」

 エミナさんと僕が、同時にこくりと頷く。
 右も左も分からない世界。しかも今の姿は女だ。昨日のネクロマンサーの一件で、思ったよりも危ない所だという事も分かった。

「うーん……でも、何か手掛かりがあるなら、行きたいな……なんとか……」

 傭兵を雇うにも、お金がかかりそうだ。誰かと一緒に行動するにしても、利害が一致して、信用出来る人となると、昨日、突然この世界に現れたような僕が探せるわけがない。

「ね、私が一緒に行くよ」
「ええ? エミナさんが!?」
「エミナ……いいの?」

 シェールさんが深刻な顔を見せた。

「分かってる。暫くは、この村には戻れないわね……」
「それでも、本当に行く気なのね……?」
「はい」
「え……ま、待ってよ!」

 僕も慌てた。なんだか重大な決断をさせてしまったみたいだからだ。

「その……これ以上、迷惑、かけられないよ」

 遠慮した方がいい。これ以上エミナさんを巻き込んじゃいけない。そんな気がする。

「気絶してたのを治療してもらって、寝泊りまでさせてもらったし……」
「ううん、いいの。だって、ミズキちゃんだって、この村を救ってくれたんだから」
「あれは、その場の流れでなんとなく……」
「それに、私自身の話でもあるの。お遣いで偶に都には行くけど、ゆっくりと都を見回った事も無いし……そろそろ、この村の外の事も知った方がいいのかな……って」
「そうは言ってもねぇ……」

 シェールさんは、困ったような顔をしながらエミナさんを見ている。エミナさんは、そんなシェールさんから目を逸らさない。

「はぁ……分かったわ。エミナはこうなったら止まらないものね……ただし、それは私じゃなくて、両親に言わなくちゃ。それに、この村には暫く戻れないんだから行く事になったら、ちゃんと皆に挨拶しないとね」
「ええ、勿論!」

 エミナさんは嬉しそうに言うと、僕の方へと向き直った。

「じゃあ、私、母さんと父さんに、この事を言わなくちゃいけないから。ミズキちゃんはどうする? まだここで色々見てる?」

 エミナさんの疑問に答えたのは僕ではなく、シェールさんだ。

「エミナ、彼女の案内役なんだから、彼女と一緒に離した方がいいんじゃないかしら」
「あ……そうよね! じゃあミズキちゃんと一緒に行動するね」

 エミナさんは相当に機嫌がいい様子で、スキップするような足取りで僕の隣についた。

「いや、品物は一通り見て、魔法雑貨がどんなものか分かったし、手掛かりにだって進展があったから、もう充分だよ」
「そう? じゃあ、行こっか! シェールさん、色んな品物を見学させてくれてありがとう」
「あ、ありがとうございました。色々参考になりました」

 エミナさんと僕がお礼を言うと、シェールさんはにっこりとして手を振った。

「どういたしまして」

 ――その後、僕とエミナさんは、早速エミナさんの家に戻り、両親に都行きの事を話した。話はあっさりと承諾され、なんだか重大な事になりそうだと思った僕は、少し拍子抜けをしてしまった。
 この村では色々あって、なんだか名残惜しいけど……これでまた、次の段階へと進む事になった。ここはどこなのか、自分は何者なのか……その答えに、僕は辿り着けるだろうか。
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