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1章

1-7.バトルドレス

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「ふう……」

 靴を脱いで、足を水に浸す。気持ちいい。腰かけている石もひんやりしていて、体の熱を吸い取ってくれる感じがする。

「水分も取るといいよ。ここのお水、飲めるから」
「水だー!」

 イミッテは、川に直に顔を突っ込んで、がぶがぶと水を飲んでいる。

「ぷはー! 旨いぞー!」
「ご、豪快だなぁ……」

 顔と髪をびしょびしょにしながら飲むイミッテの迫力に気後れしながら、僕も川に近付く。

「うん……腐臭もしないし、大丈夫みたい」

 エミナさんも、掌に水を掬って飲み始めた。

「そっか、動物の死骸とかが上流にあるかもしれないからか……なるほどなぁ」

 ここの人達は、こうやってさり気無く自然と調和しているように見える。やっぱり、どこか普通と違う。

「ネクロマンサーが相手なら罠の可能性もあるし、用心に越した事は無いから」
「そうだぞ! 慎重第一だ!」

 相変わらずがぶがぶと水を飲みながら、イミッテも同意している。言動と行動が一致していないが……。

「ここまで来れば、もう少しで例の揺れない木の場所だよ。でも、ネクロマンサーの近くだから、何があるか分からない。それに、こちらの疲弊を狙ってるのなら、休憩しそうな場所に罠を張っててもおかしくないわ」
「そっかぁ」
「木の場所に着くまでに、しっかり水分を取って休んでおこ。戦闘になるかは分からないけど、多分、激しく動く事にはなると思うから」
「決戦の前の休息だ! 戦士は休むのも大事な仕事だぞ!」
「うん、そうだね」

 未だにがぶ飲みを続けているイミッテの胃がどうなっているのか気になるところだが、僕も両手で水を掬って、口に運んでみる。

「ふぅ……」

 冷たい液体の感触が、僕の喉を通る。確かに、決戦の前の休息なら、しっかり休むべきだ。僕は少し目を瞑った。
 小鳥のさえずりや、森林の匂い、水の流れる音……身も心も休まる。

「ね、エミナさん、服、綺麗だよね」

 僕はふと、気になっていた事を口にした。エミナさんは、町へ居た時は普通の服だったのだが、ここに来る前に着替えて、派手で鮮やかな服になっていて、アクセサリーも沢山付けている。
 メイドさんの衣装をカラフルにした感じというか、ダンサーの舞台衣装というか、チアガールの衣装を装飾した感じというか……とにかく、華やかだ。

「これはバトルドレスっていうの。これを着て魔力を高めるの。それと、相手からの魔法の威力も減衰させられる。その代わり、同じくらいの質の鎧と比べると物理攻撃には弱くなっちゃうけど……相手はネクロマンサーだから」
「魔法に強くて、物理に弱いか……」
「物理攻撃に弱いといっても、金属の鎧に比べると見劣りする程度なの。殆どのバトルドレスは魔力を纏っているから、物理攻撃にだって普通の服よりも耐えられるようになってるんだ」
「ああ、なるほど。だから、イミッテのチャイナ服みたいなのもバトルドレスなんだ?」
 僕は、相変わらず水に顔をつけて水分補給しているイミッテの方を向いた。
「そうだよ。鎧よりも少し物理攻撃に弱いけど、その分身軽に動けるから、イミッテちゃんみたいな近接職にとっても選択肢に入るの」
「なるほどなぁ……色々とあるんだ」

 RPGの装備みたいな理論だと思ったが、ここの人達にとってはこれがリアルな感覚なのだろう。むしろ、ゲームの方が訳の分からないシロモノに映るかもしれない。

「確かに、ドレスと言われればドレスだなぁ」
「普通のドレスと比べると、動き易くするために袖やスカートが短めになってたり、こんなリボンも付けたりしてあるの。ドレスとはちょっと着心地が違うかな」

 エミナさんが、腕のリングから伸びている細くて薄い帯を、手でヒラヒラとなびかせた。

「ふうん……でも綺麗だなぁ……で、イミッテは武器とか魔法は使えないの?」
「そんなの必要無いぞ! 私には、この拳があれば十分だ!」

 なんと男気のある回答だろうか。少年漫画の主人公のようだ。

「まあ……チャイナドレスっぽい着物だし、なんとなく想像はついてたけど……」
極星流きょくせいりゅう神風流かみかぜりゅう轟炎流ごうえんりゅうと……まあ、他にも色々と拳法を極めてな。この歳にしてエルフオブマスターアーツの称号を頂いたのだ!」
「なんだか分からないけど、凄いんだね……そういえば、イミッテはいくつなの?」
「齢、三百八だ!」
「ええっ!? さ……三百……凄いな、それ……」
「ほんと、凄ーい! エルフで三百八歳だったら、まだ小学生くらいじゃない! それで拳法を極めてるなんて!」
「え……そ、そうなの?」

 エミナさんと僕で、驚くポイントが全然違った……いや、僕の基準がここの常識とずれているだけか。

「それに、エルフって魔法には向いてるけど、肉弾戦は苦手な体質なの。だから、イミッテちゃんって、かなり凄いんだよ」
「エルフは基本、ナヨナヨが多いからな! だが、私は自らの体を鍛える事の魅力に憑りつかれてしまった。結果、こうなったのだろうな!」
「てか、エルフって……」

 ファンタジーだ。ファンタジー世界の住民そのものが、目の前に居る。

「そう。エルフだよ」
「……居るの?」
「『居るの?』って……?」
「だから……現実に居るの?」
「居るわ。もしかして、それも忘れてるんだ?」
「いや、その……」
「なんだか知らんが、目の前にこんな可愛くてたくましいエルフが居るのに、『居るの?』とは何事だ!」

 イミッテが拳を振り上げて怒っている。

「ああ、ご、ごめんよ」
「イミッテちゃん、ミズキちゃんは記憶喪失なのよ」
「ああ……そういえば、そうだったな。話は聞いているぞ。しかし、エルフが居るか居ないかも分からないとは……重症だな、その記憶喪失は」
「うーん……やっぱ、そう思うよねぇ」

 自分でも変な事を言っているんだろうとは思う。しかし、この世界の常識は理解し難い。

「とにかく、居る事は分かったよ」

 一々驚いていたらきりが無い。郷に入っては郷に従う。僕は努めてリアクション少な目に言った。

「分かればよろしい! では……」

 イミッテは、不意にぐるりと踵を返し、膝を深く曲げ、両手を顔の後ろ辺りに移動させ……重心を前に移すと同時に、それを勢いよく前に突き出した。

極星流きょくせいりゅう……大熊殺しおおぐまごろし!」
「ヌオォォォォ……」

 低く、生気の無い悲鳴をあげて、巨体が倒れた。

「ええっ!? えっ!? 何!?」

 何が起きたのか知らないが、目の前に大きな何かが倒れている。

「熊の……リビングデッド?」

 エミナさんが近寄って、巨体を眺めている。

「ま、こんなもんだ」
「こんなもんだって……何がどうなってるの!?」

 いきなり色々な事が起こり過ぎて、周りで起きている事がさっぱり理解できない。僕は解説を求めようとエミナさんを見た。

「物理に強いアンデッドを……しかも大きな熊のアンデッドが一撃で……」

 エミナさんは目を丸くして驚いている。エミナさんにとっても理解し難い出来事らしい。

「究極にまで鍛えた大熊殺しおおぐまごろしを、熊に喰らわせたのだ。少しばかり物理体勢があったところで、相手にならん!」
「そ、そういうものなの?」
「さあ……私もこんなの初めてで……」

 僕も、エミナさんも戸惑うばかりだ。

「……理論はとにかくとして、やっぱりネクロマンサーに気付かれていたのかもしれないわ」

 エミナさんは、この不条理な状況から立ち直ったらしい。さすが現地人、場馴れしている。

「やはり、ここに休憩に来ると見越して罠を張ってたのかもしれんな……」
「でも、僕達が川に着いて、結構時間が経ってから襲って来たのは何でだろ。これだけで他には居なそうだし」

 僕も、何となく疑問に思った事を言ってみる。

「そっか……遠隔自動操作で巡回させてたって考えるのが自然かも……」
「だが、これで気付かれたかもしれないな……」

 エミナさんもイミッテも不安そうだ。

「ね、僕にはまだよく分からないけどさ、気付かれたんだったら、なおさら慎重に行動しないといけないし、気押されちゃいけないと思うんだ」
「ミズキちゃん……」
「落ち着いて、作戦を立てようよ。敵の本拠地……木のある所まではもう少しなんでしょ?」
「そう……そうよね……今のでネクロマンサーの手の内は、大体把握出来たし」
「えっ? 今のでって……熊に襲われただけだよ?」
「そこから読み取れる事は沢山あるわ。相手は人海戦術は使えないし、こちらの戦力を正確に把握する事も出来ないみたい」
「そうだな。大勢の見張りが居るわけでもない。熊のリビングデッドで私達三人に太刀打ち出来ないのは明白……だが、今ので相手も情報を掴んだ。戦力を温存している可能性もあると思うぞ」
「ええ……でも、それ程こちらの情報は渡してないと思う。熊のリビングデッドが情報伝達手段を持っていても、私達が魔法を使う所は見られていないし、イミッテちゃんの拳法も、熊殺ししか見られてない」
「『おお熊殺しくまごろしな!」

 イミッテが細かい所を訂正している。それはそうと、一つ疑問が沸いた。

「でも、僕とエミナさんの魔法はともかく、イミッテの拳法って何が出来るのか、今一分からないんだけど……」
「出来る事のバリエーションって事か……んー、魔法に負けないくらい色々と出来るが……そうだな、しいて言えば、遠距離戦は少し苦手だな。それから、大熊殺しおおぐまごろしな」
「近距離限定の魔法……って考えてもいいのかしら?」
「ああ! だが、その分魔法より強力だぞ! 大熊殺しおおぐまごろしな!」

 確かに、魔法より強力そうだ。さっき、エミナさんも随分驚いていたし。

「回復やら強化やら、拳法もなかなか幅広いのだぞ! それから……」
大熊殺しおおぐまごろし。今度は間違えないよ」

 エミナさんが、イミッテの言葉を遮って言った。

「うむ! そうだ! 間違えず言えたところで、そろそろ攻め込むか! ギタギタにしてやるぞネクロマンサー!」
「ええ? ま、待ってよ。作戦を練った方がいいんじゃないの?」
「面倒だ! 正面から勝負すればいいではないか!」
「いえ。しっかり考えてからの方がいいわ。この戦力なら正面からいっても、多分、勝てるけど……問題は弟のロビンだよ」
「え? ちょ、ちょっと待って、正面からで勝てるの?」
「うん、こっちは三人、相手は恐らく一人。邪術で頭数増やせたって、魔力には限りがある。それに、邪術の媒体には精気も必要だから、木から精気を吸ったりしないといけない。だから、精気の豊富な森林に陣取った」
「そ、そうなんだ……でもさ、僕は数に入れない方がいいと思うんだけど……」
「ああ? 何でだ?」
「その……魔法が使えないからさ」
「ふえっ!?」

 イミッテが、素っ頓狂な声をあげた。

「いや、ごめん、本当、ごめん。実は、自分でも何で選ばれたのか、イマイチ分からなくて……」
「私が選んだの。何か感じて……あの時、確かに何か……とにかく、感じたの」
「ほう……うむ……そう言われると、何か不思議な魅力がある様な気はするな……だが、帰った方がいいぞ」
「……へ?」
「私達二人に任せておけ! お前は戻ってよし!」
「い……いやいやいや! じゃあ何でわざわざここまで来たのさ!」
「だって、ミズキは魔法が使えるんだとばかり思ってたし……」
「で、でも、ここから戻るのだって危険じゃない? ほら、僕、女の子だし」
「それはそうだが、非戦闘員が一人居てもなぁ……分かった! 今から安全なルートを書いて渡せばいい。エミナ、詳しいだろ?」
「ええ。ここからなら、まだ安全に村に帰れるわ。ちょっと待ってね……」

 エミナさんが、ポケットから紙と筆とインク瓶を取り出して、さっさと書き出した。

「えー? んー……」
「何だ、不満か?」
「そりゃ、僕だってその気になって来たんだし……」
「気持ちは分かるがな……ま、敵も頭数は三人だと思っているのだ。情報を攪乱する事くらいは出来たんじゃないか? 魔法も武器も扱えないミズキからしたら、大手柄だと思うがな」
「それは……そうかもしれないけど……」
「ここから先は私とエミナがやろう。心配は要らないからな! 大船に乗ったつもりで待っててくれ!」
「なんか納得できないんだよなぁ……まあ、分かったけど……」
「よし、良い子だ! エミナもそれでいいな?」
「ええ……仕方ないわ。魔法を教える時間があれば良かったんだけど……」
「気にしないでよ、エミナさん。僕も、あんまり危険な事をやりたくはなかったし……」

 釈然としない気持ちを抱きながら、僕はエミナさんに渡された紙に目を落とすのだった。
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