22 / 33
幻覚魚:1 【奥津の場合-1】
しおりを挟む
夕餉《ゆうげ》として用意された膳は、見た目の通り美味だった。
何のためにこの竜宮に来たのかを、忘れてしまいそうなほどに。
箸を置いてから、暫くして三人は兄姫に呼ばれる。
改めて、謁見の間に向かう。
一体、どんな試練が待つのだろうか。それだけが三人の心を占めていた。
「調子はどうじゃ。」
兄姫が問うてきた。襦袢だけの姿から、衣装を身に纏った弟姫が兄姫の隣に控えている。
そうしてみると、本当に良く似ている。兄姫の方が少しきつめの顔つきなだけだ。
緋色系統の衣装の兄姫、蒼色系統の衣装の弟姫。着物の色が同じだったら、よくよく見なければ区別出来ないだろうな、と、咲は考えていた。
ちらり、と父親と奥津の表情を窺う。あ、これは区別ついてないな、多分。
多分きっと、玉座に座ってるから兄姫、とか判断しているんじゃないだろうか、ぼんやり咲は考えていた。
「調子はまあ、良い方かと。気分は、俎板の鯉、と言ったところでしょうか。」
奥津が答えた。
まあ、確かにその通りかな、咲は考える。今は、この後に待つ試練のことで頭がいっぱいなのに、だからと言って建設的な思考も出来ないでいる。
不安なんだろうか。絶望しているんだろうか。…取り敢えず楽しくはないな、と咲は思った。美味しい食べ物も、喜びにはならなかった。
「ならば、良い。それでは試練を受けてもらおう。各々、これから案内する洞窟の最奥まで行き、辿り着いた印を持って帰るのじゃ。」
兄姫が言った。
「え? 待って、各々って… 試練を受けるのは私だけじゃないの?」
咲が思わず声をあげた。
呪われているのは、自分だ。父親も奥津も付き添いのようなものだ。一緒に行動するならまだしも、それぞれが試練を受けるだなんて!
「そうじゃ。」
兄姫は冷たく言い放つ。
「でも…! 呪われてるのは私なのに。先生は浦野の家には関係ないのに、そんな!」
「呪われているのはそなた。そなたの父は弟姫を騙し喰ろうた女の子孫。当然試練は免れぬ。」
閉じた扇で咲、浦野と指し兄姫は言う。
「そしてそこな男は、そなたが惚れた相手と弟姫から聞いておる。」
「そっ、それは…!」
咲は頭に血が昇ると同時に叫んでいた。
何も、今ここでそんなことを言わなくても。
「そもそもは、かつての嫉妬か横恋慕が原因じゃ。なれば。二度とそのような色が絡んだ揉め事が起こらぬと言う証が見たい。」
咲の様子など気にも止めず、兄姫が言う。
「分かりました。」
「先生!」
「良いですよ、要は試練とやらを達成すればあなたの呪いも解けるのです。他に方法が無いのなら、逆らうより大人しく試練を受けた方が早いでしょう。」
咲と浦野に奥津は言った。どこか淡々と。
「…巻き込んで申し訳ない。おれは、娘の呪いが解けるってんなら、試練だろうと何だって受けるんだが…」
力無く浦野が言った。大丈夫ですよ、奥津は浦野と咲に言う。
「話は纏まったかね?」
翁が三人に声をかけた。そして、そろそろ洞窟に案内したいのだが、と、続けた。
「お願いします。」
奥津は答えた。まだ動揺している二人に、試練を乗り越えて呪いを解いてしまいましょう、と語りかける。
どのみち他に手段は無いのです。とも。
腑に落ちぬまま、試練の待つ洞窟へと向かう事になった。
「お前はこの洞窟だ。」
翁は、奥津に一つ目の洞窟を指して言う。
宮殿から出て、珊瑚の林もまばらになりごつごつとした岩場のその先。太陽の光もわずかにしか届かぬ薄暗い場所にそれはあった。
翁から提灯のような形をした灯りを受け取り、奥津は洞窟の前に立った。
この先に何があるのだろうか。
不安と恐怖を煽るように、その奥は暗闇に閉ざされている。
「先生、あの、」
不安に青褪めた咲が声をかけた。
「大丈夫ですよ。試練は乗り越えて見せますから。」
にっこりと微笑んで奥津は咲に答えた。そして浦野には、一足先に行ってきますね、そう言い残し奥津は暗闇に沈む洞窟へと歩を進めた。
「さて、お前たちはこっちだ。」
翁は奥津の姿が闇の中に消えたのを見届けると、一緒に来ていた近侍のうち何人かにここに待機するように指示を出す。そして咲と浦野を次の場所へと即した。
灯りは、奥津のほんの目の前だけを照らすだけだった。
それほど闇は濃かった。
ひんやりとした空気。自分の足音以外は何も聞こえない。不安になり立ち止まればもう、耳がおかしくなるほどに、音が無い。
そのせいだろうか。
耳鳴りと、頭痛に襲われた。
奥津は深く深呼吸をする。落ち着け、と自分に言い聞かせる。この不調は、地上では体験したこのが無いこの状況のせいだ、と。
呼吸を落ち着け、再び歩き始める。
これから何が起こるのか、胃が痛むほどの緊張感に苛まれる。吐き気を感じるのは、この状況のせいだ。奥津は考える。どうにも調子が悪い。この暗闇では、自分の状態さえ診断できないな、と奥津はため息を漏らした。
不調を訴える体を無理矢理動かし、先を目指す。
ふと、物音が聞こえた。何かを叩くような。ずいぶんと遠くからの音のようで、洞窟内で反響して詳細を判別しようにも無理だった。
行く当ても無いので、奥津は音がしているであろう方向へと歩いていく。辺りを警戒しながら。
音はだんだん大きくなり、はっきりと聞こえるようになってくる。音源に近付いているのだろう。
岩石などを砕く音と言うよりは… まるで、生身の何かを(動物であればいいと奥津は無意識に思っていた)鞭打っているような音だ、と奥津は感じた。
真っ暗な洞窟の先、微かに明かりが漏れている事に奥津は気付いた。
「あそこだ。」
奥津は呟いた。自分の持つ灯りと距離があるため、間はどうなっているのか詳細は不明だ。が、行く手に見える明かりの具合から、その辺りで道は曲がっているであろうことが予測された。
頭がガンガンと割れるようだ。奥津は空いている手で頭を押さえる。
静かに息を吐き、改めてこの洞窟の奥を見る。耳を澄ます。やっぱり、あの明かりが点っている場所から聞こえてくる。
…よくよく注意してみてば、呻き声のようなものも聞こえる。
奥津は痛む頭もそこそこに、明かりの元へ向かった。何があるのか分からないこともあり、慎重に歩を進める。
どうやら、道は曲がっているのではなく小部屋のように抉れているだけのようだ。
明かりの向こう側にも、まだ道が続いているように見える。
音は、はっきりと聞こえる。呻き声も。どうやら、鞭打たれているのは人(人魚?)のようだ。
奥津はそっと覗いてみた。
「…っ!?」
そこには。ちょうど長椅子のような形の岩にうつ伏せにされた誰か、が、鞭打たれているところだった。
鞭を打つのは弟姫だ。ひどく冷たい顔をしていると感じるほどに、表情がない。
そして、よくよく見れば、鞭打たれているのは夕餉《ゆうげ》を振る舞われる前にどこかへ連れていかれた、アレ、だった。
何のためにこの竜宮に来たのかを、忘れてしまいそうなほどに。
箸を置いてから、暫くして三人は兄姫に呼ばれる。
改めて、謁見の間に向かう。
一体、どんな試練が待つのだろうか。それだけが三人の心を占めていた。
「調子はどうじゃ。」
兄姫が問うてきた。襦袢だけの姿から、衣装を身に纏った弟姫が兄姫の隣に控えている。
そうしてみると、本当に良く似ている。兄姫の方が少しきつめの顔つきなだけだ。
緋色系統の衣装の兄姫、蒼色系統の衣装の弟姫。着物の色が同じだったら、よくよく見なければ区別出来ないだろうな、と、咲は考えていた。
ちらり、と父親と奥津の表情を窺う。あ、これは区別ついてないな、多分。
多分きっと、玉座に座ってるから兄姫、とか判断しているんじゃないだろうか、ぼんやり咲は考えていた。
「調子はまあ、良い方かと。気分は、俎板の鯉、と言ったところでしょうか。」
奥津が答えた。
まあ、確かにその通りかな、咲は考える。今は、この後に待つ試練のことで頭がいっぱいなのに、だからと言って建設的な思考も出来ないでいる。
不安なんだろうか。絶望しているんだろうか。…取り敢えず楽しくはないな、と咲は思った。美味しい食べ物も、喜びにはならなかった。
「ならば、良い。それでは試練を受けてもらおう。各々、これから案内する洞窟の最奥まで行き、辿り着いた印を持って帰るのじゃ。」
兄姫が言った。
「え? 待って、各々って… 試練を受けるのは私だけじゃないの?」
咲が思わず声をあげた。
呪われているのは、自分だ。父親も奥津も付き添いのようなものだ。一緒に行動するならまだしも、それぞれが試練を受けるだなんて!
「そうじゃ。」
兄姫は冷たく言い放つ。
「でも…! 呪われてるのは私なのに。先生は浦野の家には関係ないのに、そんな!」
「呪われているのはそなた。そなたの父は弟姫を騙し喰ろうた女の子孫。当然試練は免れぬ。」
閉じた扇で咲、浦野と指し兄姫は言う。
「そしてそこな男は、そなたが惚れた相手と弟姫から聞いておる。」
「そっ、それは…!」
咲は頭に血が昇ると同時に叫んでいた。
何も、今ここでそんなことを言わなくても。
「そもそもは、かつての嫉妬か横恋慕が原因じゃ。なれば。二度とそのような色が絡んだ揉め事が起こらぬと言う証が見たい。」
咲の様子など気にも止めず、兄姫が言う。
「分かりました。」
「先生!」
「良いですよ、要は試練とやらを達成すればあなたの呪いも解けるのです。他に方法が無いのなら、逆らうより大人しく試練を受けた方が早いでしょう。」
咲と浦野に奥津は言った。どこか淡々と。
「…巻き込んで申し訳ない。おれは、娘の呪いが解けるってんなら、試練だろうと何だって受けるんだが…」
力無く浦野が言った。大丈夫ですよ、奥津は浦野と咲に言う。
「話は纏まったかね?」
翁が三人に声をかけた。そして、そろそろ洞窟に案内したいのだが、と、続けた。
「お願いします。」
奥津は答えた。まだ動揺している二人に、試練を乗り越えて呪いを解いてしまいましょう、と語りかける。
どのみち他に手段は無いのです。とも。
腑に落ちぬまま、試練の待つ洞窟へと向かう事になった。
「お前はこの洞窟だ。」
翁は、奥津に一つ目の洞窟を指して言う。
宮殿から出て、珊瑚の林もまばらになりごつごつとした岩場のその先。太陽の光もわずかにしか届かぬ薄暗い場所にそれはあった。
翁から提灯のような形をした灯りを受け取り、奥津は洞窟の前に立った。
この先に何があるのだろうか。
不安と恐怖を煽るように、その奥は暗闇に閉ざされている。
「先生、あの、」
不安に青褪めた咲が声をかけた。
「大丈夫ですよ。試練は乗り越えて見せますから。」
にっこりと微笑んで奥津は咲に答えた。そして浦野には、一足先に行ってきますね、そう言い残し奥津は暗闇に沈む洞窟へと歩を進めた。
「さて、お前たちはこっちだ。」
翁は奥津の姿が闇の中に消えたのを見届けると、一緒に来ていた近侍のうち何人かにここに待機するように指示を出す。そして咲と浦野を次の場所へと即した。
灯りは、奥津のほんの目の前だけを照らすだけだった。
それほど闇は濃かった。
ひんやりとした空気。自分の足音以外は何も聞こえない。不安になり立ち止まればもう、耳がおかしくなるほどに、音が無い。
そのせいだろうか。
耳鳴りと、頭痛に襲われた。
奥津は深く深呼吸をする。落ち着け、と自分に言い聞かせる。この不調は、地上では体験したこのが無いこの状況のせいだ、と。
呼吸を落ち着け、再び歩き始める。
これから何が起こるのか、胃が痛むほどの緊張感に苛まれる。吐き気を感じるのは、この状況のせいだ。奥津は考える。どうにも調子が悪い。この暗闇では、自分の状態さえ診断できないな、と奥津はため息を漏らした。
不調を訴える体を無理矢理動かし、先を目指す。
ふと、物音が聞こえた。何かを叩くような。ずいぶんと遠くからの音のようで、洞窟内で反響して詳細を判別しようにも無理だった。
行く当ても無いので、奥津は音がしているであろう方向へと歩いていく。辺りを警戒しながら。
音はだんだん大きくなり、はっきりと聞こえるようになってくる。音源に近付いているのだろう。
岩石などを砕く音と言うよりは… まるで、生身の何かを(動物であればいいと奥津は無意識に思っていた)鞭打っているような音だ、と奥津は感じた。
真っ暗な洞窟の先、微かに明かりが漏れている事に奥津は気付いた。
「あそこだ。」
奥津は呟いた。自分の持つ灯りと距離があるため、間はどうなっているのか詳細は不明だ。が、行く手に見える明かりの具合から、その辺りで道は曲がっているであろうことが予測された。
頭がガンガンと割れるようだ。奥津は空いている手で頭を押さえる。
静かに息を吐き、改めてこの洞窟の奥を見る。耳を澄ます。やっぱり、あの明かりが点っている場所から聞こえてくる。
…よくよく注意してみてば、呻き声のようなものも聞こえる。
奥津は痛む頭もそこそこに、明かりの元へ向かった。何があるのか分からないこともあり、慎重に歩を進める。
どうやら、道は曲がっているのではなく小部屋のように抉れているだけのようだ。
明かりの向こう側にも、まだ道が続いているように見える。
音は、はっきりと聞こえる。呻き声も。どうやら、鞭打たれているのは人(人魚?)のようだ。
奥津はそっと覗いてみた。
「…っ!?」
そこには。ちょうど長椅子のような形の岩にうつ伏せにされた誰か、が、鞭打たれているところだった。
鞭を打つのは弟姫だ。ひどく冷たい顔をしていると感じるほどに、表情がない。
そして、よくよく見れば、鞭打たれているのは夕餉《ゆうげ》を振る舞われる前にどこかへ連れていかれた、アレ、だった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう
まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥
*****
僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。
僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥
カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある?
たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。
ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話?
※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。
※もちろん、フィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる