水底の歌

渡邉 幻月

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竜宮

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しまった。
奥津は思ったが為す術は無かった。そのまま、四人は波に呑まれた。

 冷たい。苦しい。体が、動かない。冷たい… 
夜の海に呑まれ、抗う術もなく、意識が遠退いた。

「 …、 …ろ、 起きろ。」
遠くから、声が聞こえる。ぼんやりとした頭が、そう理解する。誰が、呼んでいるのか。もう少し、このまま…
 暗闇の中で、そう感じていたのは、誰だったか。

気が付くと、見慣れぬ風景が広がっていた。
「ここは…」
深い蒼の世界。見上げれば、天上は波打つように揺らめいている。

「っ、咲さん、浦野さん、大丈夫ですか?」
我に返った奥津が、見回す。異質な風景に呆然とする浦野父娘に声をかける。
「ああ、先生、ここは、どこなんでしょうか。」
「人魚は竜宮に行くと言っていましたが…」
ゴツゴツとした岩場が広がる。夜のせいなのか太陽の光が届かぬせいか薄暗いそこは、ひんやりとした湿度の高い空気が心細さと薄気味悪さに包まれている。おとぎ話で聞いた竜宮とは、なんと程遠い場所か。

「目が覚めましたかえ?」
聞いたことのある声に、奥津と浦野父娘が振り向く。
「あなたは…」
そこに居たのは。
あの人魚に似た、女だった。白い着物…、いや、良くみれば白い襦袢に身を包んだだけの、二本の足で立つ女。

「さあ、おまえさま方、王の下へ行きますえ? わたしの後についてきてくださいまし。」
にぃ、とゾッとするほど妖しげな笑みを浮かべて、誘《いざな》う。
ここが何処だか分からない。帰る術も、何もかも。得体の知れない相手についていく不安や恐怖はあったが、いつまでもこの場に居座ったところで何も変わらないだろう。
なす術も無く、四人はかの女に従った。

「あの、あなた、さっきまで私たちが会ってた人魚に似てるけど…」
恐る恐る、咲が女に聞いた。女が、甲高い声で嗤う。湿度の高いこの空間で、それは異様に響いて聞こえた。

「わたしに脚があるのが納得いきませぬかえ?」
ひとしきり笑ったあと、女が言った。
「…え、納得とか、そう言うんじゃなくて、ただ、」
咲は面食らった表情のまま、答えた。
そもそも人魚の生態など誰が知っていようか。魚の部位が変化するなんて、多分、誰も知らないはずだ。
「竜宮では、脚があった方が便利ですえ。」
「え? うん、まあ、それは… 分かる、けど。」
「海を移動するなら、魚の尾があった方が便利ですえ。われら、竜宮の民はそのように体が出来ておりますえ。」
ひどく真面目な顔で、女が答えた。
ふと、咲は思った。こうして、竜宮の領域にいる彼女は人間そのものだ。この姿を知っていたら、人魚の肉を食べようだなんて、誰も考えなかったんじゃないのだろうか。
尤も、人魚の姿のままでも食指など湧かない、咲はそう考えてはいたが。
人の顔をして、半分でも人の体を持った人魚の肉を、どうして食べられたんだろう。
ふと、咲は気の狂れた先祖に視線を向けた。
そんなに美しくなりたかったんだろうか。美しくなれたんだろうか。今となっては、面影すら無いと言うのに。
咲の思考を遮るように、女が言った。
「あれが、竜宮ですえ。」
岩場の向こうに、宮殿が見えた。珊瑚や真珠で彩られた、地上のどれとも似つかない、宮殿が。
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