水底の歌

渡邉 幻月

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嫉妬

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女は、嫉妬に身を焦がしながら男と相手の女をねめつけた。
 ふと、異様なことに気付く。相手の女は水面に身を沈め、顔だけ出している。いるが、首が見当たらぬ。代わりに何か、鰓のようなものが見える。
次第に嫉妬が身をひそめ、代わりに恐怖が首をもたげる。 
アレは、何だ? 色白の、女の自分から見ても艶かしい顔の、あれは… 妖ではないのか? あのひとは、とり殺されてしまうのではないか? あれは、一体…
恐怖が走り抜け、女の体はうち震えた。せめて正体を掴まなくては。何か、何か無いのか。
 何刻ほど過ぎたか。恐怖に支配され、ただ震えるだけで男と人魚の間に割って入ることも、村の衆に助けを求めることも出来ずに女は居た。
そうこうしているうちに、男と人魚は別れの挨拶を交わし、男は舟に乗り込み、人魚は海に帰っていった。ぱしゃり、と、人魚の尾びれが水面を叩く。
水を打つ音で女は我に返った。
「魚の尾…」
なんと面妖な。やはり妖だ。正体を暴かなくては。そうだ、じいさまに聞いてみよう。何か、知っているかもしれない。女は気味の悪さと、嫉妬と、恐怖とがない交ぜで目眩を覚えながらも覚束ない足取りでその場を離れた。じいさまなら、何か知っている。だって村一番の物知りだもの。あのひとが、どんなに訳知り顔で色んな話をしてくれたって、じいさまには敵わない。なんてったって、村一番長生きしてるんだもの。
 もつれる足で、女は家へ戻った。仕事もせずにふらりといなくなっていたことを、家族に責められても耳に入らない。それどころではない。あの妖の正体を暴かなくては、それだけが女の思考を支配していた。
「じいさま、じいさま、教えて欲しいのよ。」
息を詰まらせながら、女は詰め寄った。
「どうした、血相変えて。」
孫娘の必死の様を一瞥しただけで、翁はまた手元の網に目を向ける。破れたところを器用な手つきで修復しながら、耳だけ傾けるのだった。
「じいさま、女の顔して、魚の尾鰭がある妖っているのかい?」 
女は、よく分からない焦燥感に後押しされ、説明もなにも無いまま己の知りたい事だけを聞いた。
「女の顔と尾鰭か…」 
顔色を変え、表情も険しくなった老人が呟く。女もただ事ではない、と、緊張が走った。 
「そりゃア、人魚かもしれん。」 
「人魚?」 
「そうだ。女の頭に魚の体が付いとる。俺ら漁師の天敵よォ。人魚が姿を見せると、魚が捕れなくなっちまうんだ。みーんな人魚が逃がしちまうんだ。見付けたのか?」
「えっ、わ、分かんない。見間違いかもしれんし、なんかぼんやり海見てたら… もし、本当に人魚だったら?」
間違いなく人魚なのだろう。だが、見たこと全てを報告したら、あのひとはどうなるのだろう。
「人魚庇ってもなぁんも良いことねぇぞ。」 
じろり、と翁は孫娘を睨んだ。
「う、うん。分かってるけど、みんな忙しいのに、見間違いで騒いだら申し訳ねえなって…」
苦しい言い訳だとは思うが、素直に話して良いものか未だ女は迷っていた。
「まァ、それもそうだな。今のところ、魚が捕れねえって話は聞かねえしな。人魚か。しかし人魚がいりゃあ、金になるんだがなア。」
「人魚が、お金になる? バケモノなんだろう?」
バケモノなんか、銭を出してまで欲しがるものなのか、女は考える。
「珍しモン好きな殿様とかが高く買ってくれる。それに、人魚の肉を食うと若く美しいままでいられるとか言うからな。物好きで金のあるやつにゃあ、高く売れるぞ。」
人魚の肉を食うと、若く美しいままでいられる。翁のその言葉が、女の心に刺さった。
 女はまだ自分の老いを感じるほどの年ではなかったが、美しさには多少の劣等感を抱いていた。いや、正確には抱きつつあった。
あの時、人魚の顔を見た時。白く艶かしい肌が、なんとも言えず羨ましかった。名主の娘とはいえ、貧しい村だ。部屋の奥に大事にしまわれているわけにもいかない。人よりは優遇されても、日の下で働けば肌も焼ける。あの人魚の白い肌が、どうにも美しく見えて仕方なかった。たとえ体が魚でも、あんなに顔が綺麗だから…
私もあんな風に色白で美しくなったら、あのひとは人魚などにうつつを抜かすことは無くなるだろうか。いや、無くなるに違いない。ゆらり。女の中で嫉妬と同時に暗い感情が燃えた。
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