ルナーリア大陸の五英雄 Ⅰ 十年越しの初恋〜荒み切った英雄が最愛に再び巡り合うまで〜 ※旧タイトル:Primo amore

渡邉 幻月

文字の大きさ
上 下
26 / 31

忌々しいのは、後朝の別れか、それとも

しおりを挟む
 サプフィールは執務室で一人、ぼんやりと窓の外に視線を向けていた。
夜が明けきる前に、スピネルは宿舎に戻っていった。また来る、そう言い残して。昔のように頭を撫でて、そうして来た時のようにバルコニーから出ていった。サプフィールをベッドの中に残して。
 そう言えばここは三階だった、とサプフィールがバルコニーへ向かった頃には姿形も無い。随分身軽だ、そう思うと同時に無性に胸を掻き乱され、サプフィールはその場に膝をついた。
 胸が痛い。寂しいのか悲しいのか分からないけれど、誰もいないバルコニーが、その先の景色がサプフィールの胸を締め付ける。
『いつか、いつの日か、こんな風にスピネルはどこかに去っていくのかもしれない。』
そんな予感めいたものが過って、掻き毟るように胸に爪をたて、そうしてしばらくそのまま座り込んでしまっていた。東の空が明るくなってくる。一筋の光が視界に入り、このままこうしている訳にもいかないと我に返ったサプフィールは朝の身支度を整えるのだった。

 いつも通りに朝食をすませ、いつも通りに執務室で仕事をする。それだけのことだ。それだけのことだというのに、気が付くとぼんやりと窓辺を見ている。見ているというのは正確ではないかもしれない。視線がそこに向いているというだけで、サプフィールは窓辺の様子も窓の先の景色も認識していないのだから。

 ずっと、スピネルのことを考えている。スピネルのことと、この、どうしようも無い感情について。さすがにそれが何なのかは、既に分かっている。サプフィールにとって問題なのは、それの正体ではない。それが生まれ出ずる由縁だ。この感情故に、自分は未熟なのだ。そう痛感されられる。そう痛感だ。心が痛くて仕方がない。このままではすべてを呪い殺してしまいそうだ。
 と、そこまで考えてサプフィールは溜息を吐いた。
「スピネルは…」
そう想い人の名前を呟いて、また溜息を吐く。彼はきっとこんなに子供染みた感情で思い悩んだり、癇癪を起したりなどしないのだろう。
 会えない時間があるだけで寂しくなったり、他の誰かと親し気に話す姿を見て嫉妬したりもしないのだろう。我儘なのだと、自覚はしているつもりだ。でも、嫌だ。昔のようにずっと一緒に居られたら、と思ってしまう。

もう一度溜息を吐いたところで執務室のドアがノックされた。
「…入って構わん。」
はて、何かあったか、と首を傾げつつサプフィールは答えた。足音に気付かなかったことに、どれだけ思い悩んでいるのかと自嘲気味な笑みを零した。
「にいさま。」
開いたドアから中を伺うような声がする。その声に慌ててサプフィールは机に置いてある仮面に手を伸ばした。

 サプフィールが仮面を身に付けると同時に執事の後ろから、薄茶色の短い髪に茶色の瞳のあどけない少年が顔を覗かせた。サプフィールをにいさまと呼んだが、正確には彼とは従兄弟の間柄である。
「ルフトか、珍しいな。何かあったか?」
このピオッジャの領主である叔父の息子。サプフィールより十二歳年下の優しくて臆病な従兄弟は、サプフィールの顔に残る火傷の痕を怖がる。一度素顔のままで顔を合わせた時に大泣きされて以来、サプフィールは彼と会う時には必ず仮面を身に付けるようにしている。同時にこの幼い従兄弟は怖がって自分からサプフィールに近付くことが無かった。
「おみやげ、持ってきた。」
そう言うルフトの手には綺麗にラッピングされた包みがある。
「ああ、ありがとう。」
サプフィールはそう答えて、そう言えば、と思い出す。叔父夫婦とこの従兄弟が旅行に行っていたことを。気楽なものだ、そう思ったがすぐに考えを改めた。叔父に家督を譲られていなければ、スピネルと再会できなかっただろうし、まして今のように自分の許に呼び寄せるなど夢のまた夢だったに違いない。
 叔父の楽隠居のために使われている感も拭えはしないが、それでも十年前から見守ってきてもらった恩もある。

 お土産は執事から手渡された。ルフト本人は相変わらず執事の後ろに隠れるようにしている。ただ、何かを期待するような視線でサプフィールを見詰めている。
「開けてもいいかな。」
察したサプフィールは怖がらせないよう出来るだけ優しく声をかける。
「うん、開けて!」
顔を輝かせてルフトが答えた。懐かれているのだろうか、普段は怖がって近付かないというのに、時々こうやって不意に近付いてくる。無碍にもできず、かと言ってこの少年に言うほどの興味も持てないサプフィールはいつも距離感に戸惑っていた。

 リボンをほどいて丁寧にラッピングを開けると、箱の中には様々にデコレートされた菓子が詰め合わせてあった。
「…これは、」
見たことがある。王都の老舗のチョコレートではなかったか。とサプフィールが考えていると、
「あのね、それね、美味しかったの!」
と嬉しそうにルフトが言った。
 それは美味しいだろうな、王室御用達にもなっていたはずだ。と、サプフィールは手元のチョコレートと従兄弟の顔を交互に見る。
「おみやげ!」
「ああ、ありがとう。」
そろそろ反応に困ってきたようだと察したらしい執事が、ルフトに「ルフト様、サプフィール様はお仕事が残っておりますから。」そうやんわりと退室を促した。またね、と手を振って従兄弟が執事に連れられて扉の向こうに姿を消すのを見送る。

「はあ…」
誰もいなくなった執務室で、サプフィールは盛大に溜息を吐いた。
 当時は幼すぎて戦争の記憶がないからなのか、叔父夫婦が甘やかした結果なのかはサプフィールには分からなかったが、どうにも従兄弟は緊張感がない。臆病で、けれど優しい。まだ少年だから許されるとは思うが、叔父はあまり領主に向いていないと判断したと言っていた。
「少しの臆病さはあってもいい、優しさも無用とは思わんが… 臆病すぎるし優しすぎる。それでは領民を守っていけないだろう。」
とは叔父の言葉だ。

「本当だったらルフトが領主になるのに…」
呟いて、少し忌々しく思う。領主でなければ、スピネルはもっと…
 そうしたら、こんなに悩まなくてもいいのに。手元に残ったチョコレートに視線を落としてサプフィールは今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう
BL
 オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。  世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。  バランサー。  アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。  これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。  裏社会のトップにして最強のアルファ攻め  ×  最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け ※オメガバース特殊設定、追加性別有り .

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました

西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて… ほのほのです。 ※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...