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第92話 過去の絆

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『圭を尖兵にしてもらえないか?』


 前世の病院の一室で、白いベッドに横たわった兄は天井に向かって話していた。

 視線の先には何もいない。距離とか間隔とか天井の向こうとかも関係なく、声と目が向かっているのは全く別の場所だ。

 そもそも、認識できる所なのか?

 ドールハウスを眺める様な斜め上からの視界に、兄が話す相手はいない。少なくとも見える位置にはおらず、見かねたソウが兄の頭の辺りをそっと指差す。

 見ると、透明から半透明を経て、実体を得た三人の幼女が現界した。

 ツインテールの活発そうな黒髪娘と、おそらく双子の白髪ショートの娘達。

 年の頃は当時の兄と同じくらいと思われ、しかし、精神と肉体の年齢が明らかに合っていない。手指や腰の動きに豊富な経験が見て取れ、兄から服を剥がしてそこかしこに舌を這わせる。

 何者だ、こいつら?


『そんな暇はないよ、奏志兄。次の世界への出発はもう明日なんだから』

『何とかならないのか、カザネ?』

『むぅ~りぃ~っ。この世界の創造神って滅茶苦茶石頭なんだから。アイツ、アタシ達をさっさと追い払おうと奏志兄をいつ死んでもおかしくない身体にして…………発作が起きる度に私達が何回壊れた臓器を直したか、ちゃんと覚えてるっ?』

『死にかけた回数と同じだから、多分五十八回。アヤ、アカリ、合ってる?』

『そ~う~い~う~』

『は~な~し~?』


 ジト目の集中砲火が兄に注がれる。

 もっと言ってやれと、私は彼女達を応援した。

 命の危機に慣れ過ぎて他人事のように語る悪癖は兄で間違いない。アレに振り回されて散々心配をかけされられたから、どれほどの心労を溜めていたのか察して余りある。

 一度痛い目を見ろと、本気で思う。


『アイツの影響下になければ、奏志兄の身体は元に戻せるの! もう何度も説明したじゃんか! なのにいつまでもこんな世界に留まって死にかけてばっかりで――っ!』

『……ごめん』

『あぁ~……っ、もう良いよぉぉぉ……。でも、圭兄は連れていけない。上位神の一柱にヴィラってのがいるでしょ? あの娘が自分の魂と紐づけて、雁字搦めに縛ってる』

『こ~しょ~し~た~け~ど~』

『つ~ぶ~さ~れ~か~け~た~』

『…………そっか』


 兄の頬に一筋が伝い、針で刺されたような痛みが左胸に生まれた。

 来世へ一緒に、という俺の一方的な約束を、兄は自らの神に頼んで果たそうとしてくれていた。それを阻んだのがヴィラだったというのは腑に落ちないが、今はそれだけわかれば十分だ。

 そして、地球の主神。

 俺達を苦しめていたのがソイツなら、私達にとっても敵だ。二度と道が交わる事はないだろうが、もし会う事があったなら相応の礼をさせて貰おう。

 私は光球を手で押し、川の流れに戻す。


『……その後も見れるけど?』


 ソウの言葉に、私は首を横に振った。

 もう、私の中の未練は消えた。成仏と言って良い。曖昧だった俺と私の境界が取り除かれ、一つの私に魂が仕上がっている。

 だから、もう過去は見なくて良い。

 真っ直ぐ、前を見据える。


「これ以上は貰いすぎだ。マタタキは私が責任をもって貰い受ける。子供が生まれたら顔も見せるよ」

『別に親ってわけじゃないから構わないけど…………まぁ、良いか。それで、君の主神はどうする? 断っておくと、過去の改竄はない。地球の主神にはもう聞けないとして、彼女に直接問い質す?』

「頃合いを見てそうする。この中にいると私を見ることは出来ないみたいだし、繋がったまま耳元で囁いて、逃げようとする所に二人目を仕込むとするよ」

『鬼畜か』


 心外な評価を押し付けられ、私は笑ってマタタキの腰を掴んだ。

 巻いた触手を解いて抱き寄せ、股の間に脚を入れる。膝を上げて股間を擦ると吐息に熱が増していった。やがて私がしなくてもぎこちない前後運動をし始めて、思うようなモノが得られず、切なさに頬を紅く染める。

 当てる場所が少し違う。

 狙う一点と角度と強さを、もう一度こっちで教えてやる。さっきよりほんの少し強めにし、速めに動かすと背筋が逸って悲鳴が上がった。

 初めて感じた至りの刺激に、白目をむいて気をやり弛緩する。口端から涎がだらしなく垂れ、全身の痙攣に合わせて床に滴った。

 今したら、本当に逝っちゃう?


「少し休憩かな……?」

『本当に鬼畜に過ぎる』

「少し暇が出来たから、何か話そう。何か話題はない? ほらほらほら」

『それならこれから先の話でもするか。よっと――――』


 指の爪の先をソウが切り取り、二つ床に放ると隆起と脈動を繰り返して急激に膨張する。

 細胞増殖に指向性があるようで、ソファーの様な肉塊が二つ出来上がる。皮を剥いだ後の様な剥き出しの表面は繊維と血管が丸見えで、実に悪趣味で正気を疑う。

 もっとデザインの勉強をした方が良い。

 いや、やって見せた方が早いか。

 ソファーの表面に血を噴きつけ、筋や管の凹凸を均してコーティングする。完全な凝固はせずに柔らかさを保つと、手で押した時にギュニュッという嫌な感触が残った。

 やっぱり、完全に凝固させて更に上から血のカバーを被せる。

 だが、何枚被せても不気味な弾力が消えてくれない。きっとあちらで何かしらをしているに違いなく、嫌な趣味嗜好の片鱗がべったり絡むように感じられた。

 怠そうな瞳に光が灯り、こちらを覗いている。

 きっとソファーの出来について評価を待っている。言い知れぬ圧が嫌な汗を私の全身から噴き出させ、自慢げな笑みを殴りたくてしょうがない。しかし、実体はないから――――実体がないのにどうやってこのソファーを作っているんだ?

 まさか、感触だけここに投影しているとでも?

 ダメだ。こんな歪み切ったセンスと拗れた趣味嗜好は、絶対に私と合う筈がない。


「死体を積み重ねて『ソファーです』って言ってるようなもんだろ、コレ。肌とかしっかり作れないのか?」

『前にやったら凄く不評だった。人間を生きたまま縫い合わせたみたいだって。私の血肉だからそんな事はない言っても聞かないし、仕方ないから髪の毛で表面を覆ったら呪われそうだなんて言われた。いっそ、肘掛けにしゃれこうべでもあしらってみるか……?』

「もうこれ退かしてっ! ソファーでもベッドでも食器でも何でも作るから、このおぞましい肉塊で家具を作らないでっ! 生命と家具職人への侮辱だよ、わかる!?」

『筋繊維と動脈の脈動を、一本一本お尻の下に感じられてもの凄く良いのに…………理解者はいつになったら現れるのか……』


 『はぁ……』と、ため息と理解されない事への嘆きが漏れる。

 流石に私と言えど、今回は心の奥で心の底から否定した。

 奴隷を椅子やベッドとして使う下衆な優越感と所有欲はまだ理解できるが、生を宿さないただの肉塊を成形して美も哲学もあったもんじゃない。

 精々できて、骨付きの漫画肉まで。

 アレは食欲と達成感を生み出す一つの完成形だ。この拗らせ勘違い野郎の偏屈とは違い、目指す価値があり、目指す意味もある。過程も結果も称賛に値し、ある種尊敬の向く先としても適切に思える。

 コレも矯正しないとならないのか?

 自信はないが、何か方法を考えよう。でないと、拗らせの方向が変わった時にとてつもない事になりかねない。そして、そうなった時の被害は世界に跨る。

 絶対に阻止しないと。


『あっ、骨の張り型があるんだけど、緩くされて締まらない時に使う?』

「二度と作るなっ!」
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