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第71話 男は泣かない。雨が降っているだけだ。

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 酒場に併設された浴場で、浴槽に溜められた水を桶に汲んで頭から被る。

 冷たい流れが肌を伝い、こびりついた匂いを除く。甘酸っぱい未成熟の果実が如き、熟れから遠い過ちの香り。幾分早い収穫の末に、無理やり至らされた雄と雌の合流の残り香を。

 昨日もやり過ぎてしまった。

 双子の白狐は、子供と大人の中間くらいの絶妙な年頃だった。今まさに女を知り始め、これから男を知っていくかという未熟を少し過ぎた辺り。まだ膨らみ切っていない固い身体に、酸味香る体臭を纏う背徳と罪が詰まった扉。

 バナナの例えが、多分わかりやすい。皮に青色が残る、やや固めで、甘さ控えめで、独特の青臭さが残る丁度その頃。未熟から完熟までを自分の腹積もり一つで決められる、個人的に一番好きな熟れ具合だった。

 最初の五回ずつは三人で。後はシムナ達も加えて朝までぶっ通し。

 ラスティの遮音結界のおかげで音漏れはなかった筈だが、朝すれ違ったエルディアは顔を真っ赤にして逃げていた。何らかの方法で覗いていて、彼女からすれば相当刺激が強すぎたのだろう。

 初心でいられる内は初心でいさせよう。

 私達の庇護下に入るなら、彼女も遠からずそうなる運命なのだから。


「――――うん?」


 遠くに強大な熱の塊を感じてそちらを見ると、いきなり目の前に黒い魔狼が現れた。

 数日前に別れたばかりの共犯者の出現に、嫌な予感が身を引き締める。何か下手を打ったか、想定外の何かが起こったか。連れているのが眠るエハ一人だけという点も鑑みて、つまりはそういう事なのか?


「グアレス殿、何が――!?」


 問うている最中に、グアレスは地面に両膝を着いて上体を倒す。

 所謂、土下座。男が何の理由もなく、絶対にしてはならない背水の構え。逆を言えば、これをしなければならない事態に彼が陥っている証左である。

 起こさない様、触手でエハを酒場の中に運ぶ。

 これから彼が話す内容は、誇りをかなぐり捨てて綴る涙交じりの嗚咽だ。一言一句聞き逃すわけにはいかず、誰の横やりも入れずにしっかり聞き遂げよう。

 パタッ、パタッと、雲がないのに土が雨粒に打たれる。


「私に何が出来ますか?」

「言霊を、教えて、くれっ。ミサと、話したいっ。話し、たいのに、俺は、アイツの拒絶、に、抗えないっ」

「言霊を……?」


 どうやら、かなり厄介そうだ。

 よりによって言霊か。アレは後天的な努力で身に付くものではなく、先天的な資質に左右される。教えてくれと言われても、そもそも身に付ける事自体が難しい。

 私自身、自分の名前が言霊だから言霊を扱えているようなものだ。

 やり方を教えられる程に理解しているわけではなく、使えるから使えるという認識程度。説明できるだけの知識もなく、その辺りを研究していた友人はディプカントにはいない。

 ヴァテアなら、知っているか?

 俺が兄貴の見舞いで時間が取れなかった分、アイツとは二人でよく遊んでいた筈だ。統魔の話をする度に言霊の話もしただろうし、私よりは詳しいかもしれない。

 アーウェル経由で連絡を取ってみよう。


「まずは中に入りましょう。私にはできませんが、伝手を頼ってみます」





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「言霊なぁ…………あれ、とんでもなく難しいぞ?」


 私とグアレスを前にグラスを呷り、ヴァテアは簡潔にそう言った。

 ヴィラ、アーウェル、ダイキを伝って連絡を取り、「じゃあ行くわ」なんて返答が来てからたったの五分。

 浮遊幽霊船で半月かかる距離をどうやったらそこまで縮められるのか。気にはなったが、ついさっき発生した地震と衝撃波からまともな方法でないと推測できる。

 後で封印するなりなんなりはするとしても、今優先すべき事は別にある。

 どうしたら、言霊を使えるようになるか。

 それも、十二尾相手に対抗できるほどに。


「難しいのか?」

「あぁ。前世で聞いた話だと、言霊は元々世界そのものだ。名付けによって一事象として分離され、世界の代わりに力を込めて発声する事で発現させられる。問題は、その注ぐ力がどんなもので、どうやったら手に出来るのか。見当はつくか?」

「全く」

「だよなぁ……」


 世界の事象に名前を付けて、世界の代わりに力を注ぐ。それは本来、世界でなければ出来ない事。

 魔法とは、似ているが異なる代物だ。

 魔理法則に従って、魔術式に魔力を注いで奇跡を起こすのが魔術と統魔。そこには先人達が作り上げた理論が土台として在り、今もこれからも、様々な変化と開発が為されている。人が作り上げた叡智の粋だ。

 それに対して、言霊は変化も開発も必要ない。

 世界はいつもそこにある。何が欲しいかを言いさえすれば、世界はそれに応えてくれる。ちょっと多めに駄賃を渡して、ちょっと自分に都合が良いようにやってもらう。それが言霊。

 ただそれだけ。

 重要なのは知識でも技術でも努力でもなく、世界と繋がれるかそうでないか。

 理不尽にも程がある。


「でも、私は何とかしたい。ヴァテア、協力してくれ」

「ハァ……ダルバスの首はダイキの奴に譲ってやるか。アイシュラにも貸しが作れるかな……?」

「『貸しを返しに来た』って、押し倒されるのに一票」

「やめろ、マジやめろ。まだ復興に時間かかるってのに、そんな事になったらルエルまで来るじゃねぇかっ。あの二人がやりあって、創造神に文句言われるのは俺なんだぞっ?」

「そうなったら手伝うよ。ロザリアみたいに素直になってもらうかな?」

「そっちもやめろっ!」


 懇願混じりの憤慨を正面に、横目でチラッとグアレスを見る。

 軽口で多少解れて欲しかったが、そう上手くはいかないか。ふさぎ込んだように顔を下に向け、時折身体を震わせている。

 相当ショックだったのだろう。

 詳しく聞かなくても、あの粗暴者にこんななりをされては察せざるを得ない。粗忽で乱暴でオヤジ臭い青年が、恋人を目の前で寝取られた少年のようにしおらしい。

 出会ってほんの数日とはいえ、これでは抜ける突風と謳われるグアレスではない。

 何でも良い。出来る事を探そう。

 千里の道も一歩より。急ぎはするが、だからこそ、まずは一歩でも踏み出して先を視よう。


「で、どうすんだよ?」

「心当たりはないから、手当たり次第に回るしかない。とりあえず、白狐族が手っ取り早いか。片っ端から集落を占領して調教して、ヒントがないか探してみるよ。あ、その前にカラとカルにも訊いてみよう。まだ若いけど、十尾だから何か知ってるかも」

「わかった。俺も昔の知り合いを当たってみる。適当に情報が集まるか、三日後の昼に合流するよ」


 音もなくグラスを置き、ヴァテアが席を立つ。

 前世から変わらない、決まれば即実行の行動パターン。あれやこれや不毛な議論を繰り返さないスッキリした姿が、今はこの上なく頼もしい。

 私は体内から金貨袋を一つ取り出し、テーブルに置いた。

 パルンガドルンガで稼いだ金貨六百枚余りの内、半分の三百枚を丸っと渡す。食費、宿泊費、情報料など、何かと入用になる筈だ。異性に気に入られやすいよう、一枚一枚を秘薬でコーティングしておくのも忘れない。

 ヴァテアは少し考え、「借りとく」と言って手に取ると店を出ていった。

 残った私達は、私達で出来る事をする。まずは皆を起こして話をして、知恵を出し合う。分担して勇国内の白狐族の集落を残らず掌中に収め、それでも足りなければ代替案の考案でもしよう。

 グアレスの肩を叩き、無言で励ます。

 言葉にしなくても想いは伝わり、俯いていた顔が少し上がった。私は寝ているエハを指差して彼に示し、燻る意志に風を送る。

 彼の火種は潰えない。

 確信をもって、ただ一言だけ、穏やかに告げる。


「やるよ」
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