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第38.5話 シムナの憂鬱
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「シッ!」
然程広くもない浮遊幽霊船の甲板上で、大小織り交ぜた三百の蛇が私に向かう。
アヴィルハイネ城での騒動から、師匠は急激に力をつけていた。
それだけしなずち様から搾り取った証でもあるわけだが、これほどの手数を一度に繰り出すのは並大抵の技量ではできない。私達の知らない所で、自主的に余程の修練を積んでいるのだろう。
それに応えるべく、私は片腕分の袖を五十の刃に変えて大きく振るった。
一陣目の七十匹が細切れになって床板に落ち、続く二陣五十匹、三陣百匹も同様に斬り刻む。
数では突破できないと見たのか、最後の八十匹は一匹に纏まり、三陣の残骸を蹴散らして突進してきた。ドラゴンの突進を思わせる巨大な蛇頭に感心するものの、私の前進を阻む程ではなく、身を捩って紙一重で避ける。
捩りを回転に変え、足、膝、腰、胸、肩、腕の順に力を伝えて刃を振りぬく。
太い蛇体が一刀で両断され、師匠の目に焦りが浮かんだ。気丈にもすぐ立ち直ってみせるが、勇者クラスならその一瞬すら命取り。まだまだ修練が足りておらず、しなずち様の直属を名乗るには力不足と言えよう。
とはいえ、グランフォートを出てからの七日間でこれだ。
朱巫女衆の修練を一ヶ月も受ければ、そこそこになってくれると確信する。私は頬を伝う汗を拭い、両手の五指を合わせる所作を取った。
しなずち様が取り決めた終わりの合図。
師匠はまだやれると言いたそうだが、今日これからの事を考えると体力は温存しておいた方が良い。社に着いて休んでいる暇はなく、やれる事とやるべき事は幾つも幾つも幾らでもあるのだ。
黒巫女の一人が、濡れた手拭いで師匠の顔を拭く。
エリスと言う名の、ダークエルフの里で師匠の姉代わりだった女性だ。
頬を膨らませて不貞腐れる師匠を慰め、いくらかの助言もしている。黒巫女衆の保護者的役割というか、見ていて仲の良さが羨ましく、同時に恨めしい想いを抱く。
「嫉妬か、シムナ?」
手拭いを私の首にかけ、レスティが面白そうに笑った。
「そんなんじゃない」
「私でよければ飛び込んで来い。存分に慰めてやる」
「それならラスティの方にするか。あっちの方が包まれ甲斐があるだろう?」
「確かめてみるか?」
レスティは私の手を取ると羽衣の中に潜らせ、直に触らせた。
張りのある、上向きでツンとしつつもたっぷりの容量がある女の形。両手で寄せると上に向かってプルンと逃げ出し、勢いで羽衣の外まで露わに肌蹴た。
色も形も弾力も素晴らしく、一晩中しなずち様に玩具にされても文句は言えない。
ただ一つ。
一つだけ、気になる事がある。
「前より大きくなってないか?」
「気付いたか。一気に変えると魂が戻してしまうからな。少しずつ慣らして固定していっている。半月もすればお前と同じくらいになるだろ」
「肩こりに泣くんじゃないぞ?」
「言っていろ」
軽口を言いあい、船の端まで移動する。
手すりに寄りかかると、広く広がる雄大な景色が私達を迎えた。白く染まる険しい山脈と、北に広がる緑の絨毯。西には常に煙を吹く火山が彼方にあり、東との境には大きな川が流れる。
そこかしこで攻撃魔術の閃光が煌めいては消え、その内のいくつかには心当たりがあった。
特に、火山の麓のアレは良く知っている。
炎の精霊に見初められたダークハイエルフの勇者の物だ。異種間婚を認めて欲しいとヴィラ様の加護を求め、阻止しようとする連中相手に何十発もぶちかましていた極大の爆裂。
最終的には私達も出張って、結構派手な戦争になったのだ。
勇者一人の勝手で英雄八人と勇者五人が動員され、社に攻め込まれた時は生きた心地がしなかった。社にいる巫女の数は今と変わらないが、まだ対抗できる程に成った者は少なく、私と姉様、ヒュレインにアシィナ様くらいで――――
「――――怖ければ、後から追い付いて来い、か」
「? なんだ?」
「前に勇者と英雄、合わせて十三人を一度に相手にする事があってな。その時、しなずち様に言われた言葉だ。思えば、あの時に惚れていたのか…………」
「ほぅ? 詳しく聞かせろ」
レスティがぴったり横に寄り、続きをせがむ。
周囲の気配も一瞬止まり、気付かれないよう努めて聞き耳を立てていた。
他人の恋バナなんて楽しい物かと疑問に思う。しかし、何となく、私としなずち様の絆を喧伝しているようで悪い気はしない。
ただ、残念な事が一つ。
これから話す事は…………とてもじゃないが、楽しめる喜劇にはなり得ない。
「炎精の恋人ドルトマ・アルヴマーシュは知っているか?」
「ああ。高位の炎精霊と恋仲になり、触れ合う度に火傷を負っても決して離れようとしない大馬鹿者だな。吟遊詩人の恋物語でも人気の一つだ」
「奴はどの国にも属さない流れの勇者だが、間違いなく北で最強の一人だ。炎精カーマとの異種族婚の為にあらゆる知識を収め、技術を修め、技能を求めた。私達と出会った頃には、カーマの魔力を自身に親和させる術を修得していて、火傷も負わず愛を交わす事も出来ていたな。ただ、子供を作る事がどうしても出来ず、どうにかする方法をずっと探し続けて旅をしていた」
笑顔で酒を酌み交わし、語られた夢を思い出す。
身分違いの恋でも到底及ばない、相思相愛の美しき狂気。何千年と残る生を理想の求めに当て続け、潰れて磨り減っているのにまだだまだだと歩む煉獄。
酒に中てられたのか、悲哀に中てられたのか。つい、私は彼らに余計な事を言ってしまった。
『出来る神を知っている』と。
「真っ直ぐで、真っ直ぐで、真っ直ぐに過ぎて、ふと、私はヴィラ様の事を教えてしまった。異世界から来た繁栄の女神なら、この世界の理を超えて二人の愛を結んでくれるのではないかと」
「で、ドルトマが女神軍に下るのを阻止しようと英雄と勇者が押し寄せたか。北の連中は個人技能が南と一線を画すと聞くが、良く生きていられたな?」
「正直、死ぬかと思った。それでも生きていられたのは、しなずち様のさっきの言葉があったからだ」
「『怖かったら、後から追い付いて来い』か?」
「あぁ…………」
見える絶望を前にして、何故立っていられるのか。
何故向かっていけるのか。
何故打ち勝とうと抗えるのか。
当時の私には理解できなかった。だが、後ろについて、あの背中を見て、あの心を覗いて、その『何故』はすぐにわかった。
わかってしまって、私が抱いていた不満も怒りも、アレに比べれば、なんてちっぽけなものなのかと思えてしまった。
「奴らを相手に先陣を切り、常に先頭にしなずち様は立った。最初は、なんて大きな背中なのかと思ったよ。でも、それは間違いだった。しなずち様は、心を強く持っていたんじゃない。勇者の一撃も、英雄の喊声も、絶望になり得ない単なる日常。そういう風にしか感じられない程に、この世界に来る前から心を粉微塵に砕かれていたんだ」
「……時折寂しそうに見えるのは、その辺りが原因か?」
「おそらく、な。アレは地を踏みしめて立つ武人ではない。目を腫らし、泥地に這い蹲って泣き叫ぶ子供だ。笑えるだろ? そんなのに私は先陣を切らせたんだ。先頭に立たせて、恐怖を押し付けて、絶望を擦り付けて――――戦技の勇者が聞いて呆れるっ」
過去の自分の行動に怒りが湧き、主の本心を理解できなかった悲しみが涙を溢す。
どんなに気丈に振る舞っても、温かな愛を振りまいても、それは全て裏返し。
本当は崩れ落ちて泣いていたいのだ。愛が欲しいと叫びたいのだ。それが出来ないから、他人に『やって良い』と言って自分の代わりにさせている。
本当に、本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に――――何でそんなになるまで誰も彼も放っておいたのだっ!
「シムナ。今は私達がいる。そうだろう?」
私の肩に手をかけ、落ち着くようレスティは諭した。
深呼吸して昇りかけた血を頭から下げ、過去ではなく今を見据える。
レスティ、ラスティ、師匠、黒巫女衆に死巫女衆。あの頃にいなかった心強い仲間達が、今はいる。
もう一度ああなったとしても、もう二度とああにはしない。
なる筈がない。
なりはしない。
「……すまない、取り乱した」
「気にするな。お前がどれだけ主を想っているかが十分わかった。私達も、それに負けないよう努めるとしよう。なあ、お前達!」
『『『はいっ!』』』
レスティの呼びかけに、そこかしこから声が上がった。
隠そうとも隠れようともせず、不甲斐ない私を鼓舞して叩く。
自身の情けなさが心に沁みて、何とも言えない気持ちにさせる。
ただ、しかし、だからこそ、あぁ――――
「…………あり、が、とう」
この一時だけは、涙が止まる気がしなかった。
然程広くもない浮遊幽霊船の甲板上で、大小織り交ぜた三百の蛇が私に向かう。
アヴィルハイネ城での騒動から、師匠は急激に力をつけていた。
それだけしなずち様から搾り取った証でもあるわけだが、これほどの手数を一度に繰り出すのは並大抵の技量ではできない。私達の知らない所で、自主的に余程の修練を積んでいるのだろう。
それに応えるべく、私は片腕分の袖を五十の刃に変えて大きく振るった。
一陣目の七十匹が細切れになって床板に落ち、続く二陣五十匹、三陣百匹も同様に斬り刻む。
数では突破できないと見たのか、最後の八十匹は一匹に纏まり、三陣の残骸を蹴散らして突進してきた。ドラゴンの突進を思わせる巨大な蛇頭に感心するものの、私の前進を阻む程ではなく、身を捩って紙一重で避ける。
捩りを回転に変え、足、膝、腰、胸、肩、腕の順に力を伝えて刃を振りぬく。
太い蛇体が一刀で両断され、師匠の目に焦りが浮かんだ。気丈にもすぐ立ち直ってみせるが、勇者クラスならその一瞬すら命取り。まだまだ修練が足りておらず、しなずち様の直属を名乗るには力不足と言えよう。
とはいえ、グランフォートを出てからの七日間でこれだ。
朱巫女衆の修練を一ヶ月も受ければ、そこそこになってくれると確信する。私は頬を伝う汗を拭い、両手の五指を合わせる所作を取った。
しなずち様が取り決めた終わりの合図。
師匠はまだやれると言いたそうだが、今日これからの事を考えると体力は温存しておいた方が良い。社に着いて休んでいる暇はなく、やれる事とやるべき事は幾つも幾つも幾らでもあるのだ。
黒巫女の一人が、濡れた手拭いで師匠の顔を拭く。
エリスと言う名の、ダークエルフの里で師匠の姉代わりだった女性だ。
頬を膨らませて不貞腐れる師匠を慰め、いくらかの助言もしている。黒巫女衆の保護者的役割というか、見ていて仲の良さが羨ましく、同時に恨めしい想いを抱く。
「嫉妬か、シムナ?」
手拭いを私の首にかけ、レスティが面白そうに笑った。
「そんなんじゃない」
「私でよければ飛び込んで来い。存分に慰めてやる」
「それならラスティの方にするか。あっちの方が包まれ甲斐があるだろう?」
「確かめてみるか?」
レスティは私の手を取ると羽衣の中に潜らせ、直に触らせた。
張りのある、上向きでツンとしつつもたっぷりの容量がある女の形。両手で寄せると上に向かってプルンと逃げ出し、勢いで羽衣の外まで露わに肌蹴た。
色も形も弾力も素晴らしく、一晩中しなずち様に玩具にされても文句は言えない。
ただ一つ。
一つだけ、気になる事がある。
「前より大きくなってないか?」
「気付いたか。一気に変えると魂が戻してしまうからな。少しずつ慣らして固定していっている。半月もすればお前と同じくらいになるだろ」
「肩こりに泣くんじゃないぞ?」
「言っていろ」
軽口を言いあい、船の端まで移動する。
手すりに寄りかかると、広く広がる雄大な景色が私達を迎えた。白く染まる険しい山脈と、北に広がる緑の絨毯。西には常に煙を吹く火山が彼方にあり、東との境には大きな川が流れる。
そこかしこで攻撃魔術の閃光が煌めいては消え、その内のいくつかには心当たりがあった。
特に、火山の麓のアレは良く知っている。
炎の精霊に見初められたダークハイエルフの勇者の物だ。異種間婚を認めて欲しいとヴィラ様の加護を求め、阻止しようとする連中相手に何十発もぶちかましていた極大の爆裂。
最終的には私達も出張って、結構派手な戦争になったのだ。
勇者一人の勝手で英雄八人と勇者五人が動員され、社に攻め込まれた時は生きた心地がしなかった。社にいる巫女の数は今と変わらないが、まだ対抗できる程に成った者は少なく、私と姉様、ヒュレインにアシィナ様くらいで――――
「――――怖ければ、後から追い付いて来い、か」
「? なんだ?」
「前に勇者と英雄、合わせて十三人を一度に相手にする事があってな。その時、しなずち様に言われた言葉だ。思えば、あの時に惚れていたのか…………」
「ほぅ? 詳しく聞かせろ」
レスティがぴったり横に寄り、続きをせがむ。
周囲の気配も一瞬止まり、気付かれないよう努めて聞き耳を立てていた。
他人の恋バナなんて楽しい物かと疑問に思う。しかし、何となく、私としなずち様の絆を喧伝しているようで悪い気はしない。
ただ、残念な事が一つ。
これから話す事は…………とてもじゃないが、楽しめる喜劇にはなり得ない。
「炎精の恋人ドルトマ・アルヴマーシュは知っているか?」
「ああ。高位の炎精霊と恋仲になり、触れ合う度に火傷を負っても決して離れようとしない大馬鹿者だな。吟遊詩人の恋物語でも人気の一つだ」
「奴はどの国にも属さない流れの勇者だが、間違いなく北で最強の一人だ。炎精カーマとの異種族婚の為にあらゆる知識を収め、技術を修め、技能を求めた。私達と出会った頃には、カーマの魔力を自身に親和させる術を修得していて、火傷も負わず愛を交わす事も出来ていたな。ただ、子供を作る事がどうしても出来ず、どうにかする方法をずっと探し続けて旅をしていた」
笑顔で酒を酌み交わし、語られた夢を思い出す。
身分違いの恋でも到底及ばない、相思相愛の美しき狂気。何千年と残る生を理想の求めに当て続け、潰れて磨り減っているのにまだだまだだと歩む煉獄。
酒に中てられたのか、悲哀に中てられたのか。つい、私は彼らに余計な事を言ってしまった。
『出来る神を知っている』と。
「真っ直ぐで、真っ直ぐで、真っ直ぐに過ぎて、ふと、私はヴィラ様の事を教えてしまった。異世界から来た繁栄の女神なら、この世界の理を超えて二人の愛を結んでくれるのではないかと」
「で、ドルトマが女神軍に下るのを阻止しようと英雄と勇者が押し寄せたか。北の連中は個人技能が南と一線を画すと聞くが、良く生きていられたな?」
「正直、死ぬかと思った。それでも生きていられたのは、しなずち様のさっきの言葉があったからだ」
「『怖かったら、後から追い付いて来い』か?」
「あぁ…………」
見える絶望を前にして、何故立っていられるのか。
何故向かっていけるのか。
何故打ち勝とうと抗えるのか。
当時の私には理解できなかった。だが、後ろについて、あの背中を見て、あの心を覗いて、その『何故』はすぐにわかった。
わかってしまって、私が抱いていた不満も怒りも、アレに比べれば、なんてちっぽけなものなのかと思えてしまった。
「奴らを相手に先陣を切り、常に先頭にしなずち様は立った。最初は、なんて大きな背中なのかと思ったよ。でも、それは間違いだった。しなずち様は、心を強く持っていたんじゃない。勇者の一撃も、英雄の喊声も、絶望になり得ない単なる日常。そういう風にしか感じられない程に、この世界に来る前から心を粉微塵に砕かれていたんだ」
「……時折寂しそうに見えるのは、その辺りが原因か?」
「おそらく、な。アレは地を踏みしめて立つ武人ではない。目を腫らし、泥地に這い蹲って泣き叫ぶ子供だ。笑えるだろ? そんなのに私は先陣を切らせたんだ。先頭に立たせて、恐怖を押し付けて、絶望を擦り付けて――――戦技の勇者が聞いて呆れるっ」
過去の自分の行動に怒りが湧き、主の本心を理解できなかった悲しみが涙を溢す。
どんなに気丈に振る舞っても、温かな愛を振りまいても、それは全て裏返し。
本当は崩れ落ちて泣いていたいのだ。愛が欲しいと叫びたいのだ。それが出来ないから、他人に『やって良い』と言って自分の代わりにさせている。
本当に、本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に――――何でそんなになるまで誰も彼も放っておいたのだっ!
「シムナ。今は私達がいる。そうだろう?」
私の肩に手をかけ、落ち着くようレスティは諭した。
深呼吸して昇りかけた血を頭から下げ、過去ではなく今を見据える。
レスティ、ラスティ、師匠、黒巫女衆に死巫女衆。あの頃にいなかった心強い仲間達が、今はいる。
もう一度ああなったとしても、もう二度とああにはしない。
なる筈がない。
なりはしない。
「……すまない、取り乱した」
「気にするな。お前がどれだけ主を想っているかが十分わかった。私達も、それに負けないよう努めるとしよう。なあ、お前達!」
『『『はいっ!』』』
レスティの呼びかけに、そこかしこから声が上がった。
隠そうとも隠れようともせず、不甲斐ない私を鼓舞して叩く。
自身の情けなさが心に沁みて、何とも言えない気持ちにさせる。
ただ、しかし、だからこそ、あぁ――――
「…………あり、が、とう」
この一時だけは、涙が止まる気がしなかった。
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