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第37話 千の翼 リザ・クロスウェル

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 百近い守り蛇を一瞬で刻まれ、あぁ、そうかと舌打ちする。

 第一軍と第三軍の救援で南に行く前の話だ。

 生命と財産と繁栄を約束し、住民達が自ら従属する平和な戦争を私達はしていた。表立った開戦はせず、徐々に、確実に、唐突に、領土と領民を奪い去る底意地の悪い侵略だ。

 情報伝達の速度が人の移動と同等のこの世界において、この方法は極めて有効だった。

 情報管理の徹底と領主による国主への欺瞞情報の伝達で、軍隊規模の反抗は一度たりとも起こらない。気付いた時にはもう遅く、取り返しのつかない窮地を初の邂逅で突き付ける。

 しかし、その予兆をいち早く掴んで動く者達がいた。

 北で活躍する英雄共と勇者達だ。

 彼らは討伐すべき魔王がいなければ、故国で次代を育てるか、世界の悪を裁いて回るピースメーカーとして機能していた。行かない場所はなく、いない場所はなく、私達の支配する町や都を訪れて侵攻の存在を突き止める等、非常に厄介な連中だ。

 光る風ヒュレイン、大斧のギーダ、炎精の恋人ドルトマ等々。

 ソフィア以外は薄いながらも横の連帯が強く、何度も、何人も、私の討伐の為に社を訪れた。その全ては失敗し、私に降るか、死ぬか、逃げ延びるかのどれかだった。

 そして、彼女は逃げ延び、何を間違えたのか『かなり拗らせた』方だ。


「久しぶりじゃな、しなずち殿っ!」


 頭上の大枝に降り立ち、ハイエルフの少女は虹色の短い髪をかき上げて滴る汗を爽やかに払った。

 明るい笑顔が綺麗で眩しい。

 急いで来たのかやや呼吸が荒く、柔らかそうな白い肌が紅潮している。子供並みの低身長に似合わないたわわな胸部が大きく上下し―――そこまで大きかったかと、少しどころか大きく疑問に思った。

 確か、数ヶ月前はつるつるぺったんでボーイッシュな外見ロリ中身四百歳だった筈、っ!?

 五本のブーメランが顔面めがけて飛来し、紙一重で避ける。


「今、めちゃクソ失礼な事を考えとったじゃろ!?」

「いやいやいや。千の翼リザ・クロスウェルは人族年齢十歳程度の幼女体型で有名だから、一部の好事家が好きそうなロリ爆乳なんて別人に違いないなんて思ってないって―――うぉっ!」

「お主こそ精通もしておらんような小童に縮みおってっ! 魔力の色が同じじゃからすぐわかったものの、外見を変えてまで妾との婚姻から逃れようというのか!? この乳も、お主が喜ぶと思って最寄りの宿場にできた豊胸効果のある温泉に三か月入り続けて育てたのじゃぞ!? のぼせて倒れすぎて医者からもう入るなとまで言われてもこっそり忍び込んで頑張った妾の努力を何じゃと思っておるんじゃ!?」


 リザの周りに百近い数のブーメランが生まれ、それぞれ異なる軌道と速度で私に向かって射出される。

 点と線の攻撃が、まるで面を通り越して立体のような密度だ。

 全て避け切るのも受け切るのも無理。仕方なく地中に潜ってやり過ごすと、まるで削岩機でも使ったかのように目の前まで地面が削り取られていく。

 もうブーメランじゃないだろ、それ。


「逃げるでないわ! 妾の千翼を正面から打ち破り、虚ろだったこの心を雄で満たしたあのしなずち殿はどこにいったのじゃ!?」

「アレは社の常時補給があったから出来た事で、あの後シムナ―――ソフィアに破られたから、もう過信しないようにしたんだよ」

「ソフィア!? あの仏頂面の戦技狂いが、妾のしなずち殿を傷物にしたじゃと!? 許せん! 脱げい、しなずち殿! 妾がその傷を舐め取って、新しく夫婦の証を刻んでくれようぞ!」

「君ら、逃げるなら早く逃げた方が良い。ああなったら止めるまで止まらない」


 先程まで敵対していたハイエルフ達に撤退を勧める。

 彼らもリザの性質を知っているのか、素直に、一目散に、決して振り返らず、全力で逃げ出した。私も戦いに集中する為に、転がしていたアシィナとヒュレインを解放する。

 二人ともビクンビクン痙攣しているが、リザの殺気に中てられればすぐまともに戻るだろう。


「しなずちはしなず池となりてしなず地となりや」


 最初から奥の手全開。大地に染み入り、薄く広く浸透する。

 深くまで取り込むと樹海そのものにダメージを与えかねない。ここの自然はまた見に来たいから、最小限で済むよう努力する。

 もっとも、この程度ではリザ相手にどこまで通用するかわからない。

 生来の類稀な才能で勇者が生まれるのに対し、英雄は生後の努力の末に高みに至った達人だ。

 彼女はブーメランの腕を四百年間磨き続け、軍団規模の手数と長射程を手に入れた。アレに匹敵できるのは勇者ソフィアくらいと言われていて、それ故に、リザはソフィアをライバル視している。

 当のソフィア―――シムナは、興味がないのか全く相手にしていないが…………。


「ん? リザ、そのブーメランって、もしかして統魔か?」


 飛び続けるブーメランが魔力の塊であることに今更気付く。

 このレベルの魔力密度は、並大抵の魔力使いには無理だ。少なくとも収束と、固定化が可能なくらいの抑制が出来ないと実現できない。

 それに、射出に使用しているのは魔力誘導。

 リザは滅魔、封魔、魔導の三魔道の使い手か。


「ほうほう、しなずち殿も統魔を知ったか。十数年前に南から小生意気な小僧がやってきおってな。そやつから教わったのよ。おかげで重いブーメランを幾つも携帯しなくて済むようになったし、両の手では十翼が限界じゃったのが、五年ほどで千翼まで操れるようになりおった。ほんに、感謝してもしきれんのぉ」


 ヴァテアぇぇぇぇ…………。

 親友の余計な過去が、現在進行形で自分を苦しめている事実にめまいを覚える。

 そういえば、北の英雄と勇者は、自身の魔力を武器化して戦う者が多かった。何年も前にヴァテアが統魔を教えて回ったとしたなら、これまでの第四軍の苦労は全部アイツが原因というか元凶っていうことになるのか?

 大体の問題の大元凶とはよく言ったものだ。ちくしょう。


「ほれほれ、行くぞえ!」


 リザの髪が一層輝き、この場一帯の魔力場が掌握された。

 明後日の方向に飛び去ったブーメラン全てに誘導がかかり、私に向かって飛来する。前後左右上下問わず、様々な角度と速度と軌道を取り、碌な近接技能を持たない私が避け切る事は不可能だ。

 いや、避ける気はないけれど。


「おいで」


 身を裂き刻む刃の群れを、一つ残らず体内に通して絡め取る。

 これが無機物なら無理だった。だが、魔力の塊ならやりようがある。

 私の魔力適性は、降魔、封魔、退魔。血で包んだブーメランの魔力を自分と親和するよう変質させ、速度を抑え、収束を解いて取り込んでいく。その一連の工程は瞬きの刹那で、当たったと見えた次瞬には跡形もなく私の一部になっていく。

 襲い来た全てを取り込むと、リザは歓喜と興奮で破顔した。

 嗚咽のような、喘ぎのような呻きを漏らし、胸元を手で押さえて全身をプルプル震わせる。


「ぁ……しなずち殿が……妾の…………妾の魔力を……愛を…………全部……『おいで』って…………ッ」


 相当精神的にキているようで、リザの雌の匂いが強くなる。

 何といえば良いか……彼女とやり合っていると、戦っているのか性交しているのかわからなくなることがある。

 彼女が攻め、私が受け、隙を見せたら反撃してやりかえす。

 これをどうやったら性的に見えるのか、あの感性はなかなかに理解しがたい。どうせならベッドの上で滅茶苦茶にしてしまいたいと切に思うものの、彼女の戦闘スタイルは遠距離型。引き際の見極めが非常に上手く、全然捕えられなくて本当に悔しい。

 それでいて婿になれとか服を脱げとか……お前が巫女か嫁に来ればいいだろうに。

 私は左腕を切り離し、残った右手でリザに向かって投げつけた。

 拳を矢じりに見立てて矢のようにライナー線を飛び、途中で数十本のブーメランに刻み落とされる。無残に散らされた血が大地に落ち、思惑通りにいった事をほくそ笑む。


「今日は逃がさないからな」


 地に染みた血が急激に隆起し、無数の茨となってこの場一帯を覆い尽くす。

 地面も幹も枝も、ほぼ隙間なく繁茂したトゲ付きのツタで踏み場もない。ただ一人、私だけがツタと同化して難なく移動し、リザに対して距離を詰める。

 対してリザは、迎撃の為にブーメランを生成――――


「っ!? 何じゃと!?」


 ――しようとしたが、思うように魔力を集められず、間合いを取る為に大きく跳んだ。

 腕の迎撃に使った群れを足場にして、茨に覆われていない場所に駆ける。ツタの成長を早めて追撃を駆けるものの、あちらの方が足は速い。折角作り上げた私の『掌握圏』が易々と突破されてしまった。

 流石、四百年で培った戦闘勘は気付くのが早い。

 ヴァテアは、統魔とは魔力の制御と掌握が基礎にして全てと言った。自分が扱える魔力が多ければ多い程、制御が完璧なら完璧な程、統魔は力を発揮する。

 ならば、統魔に対して最も有効な戦法は如何なるものか。

 簡単だ。扱える魔力を制限し、制御しにくいように邪魔してやればいい。

 今展開している茨は、端から端まで私の身体に等しい。内に流れる魔力の速度、密度、圧力を常に変動させる事で、不規則な魔力場を発生させて魔力の制御を阻害する。

 この阻害が及ぶ『掌握圏』の内では、リザは翼を使う事が出来ない。出来て精々が、精度と威力が減じた誘導制御程度だろう。

 だからこそ、即座に逃げに移った。

 本能なのか無意識なのか勘なのか、あの危機感知能力には感心するばかりだ。

 過去に五度、リザは私に敗北し、その度に捕獲を試みて取り逃がしてきた。罠を張れば気付かれ、先回りすれば気付かれ、策を弄すれば気付かれ、とことん私に主導権を渡そうとしない。

 下で注がれるのではなく、上で搾り取るのが彼女にとって最高で最上なのだ、と。

 正直、私はどっちも良いのだけど…………。


「――――ん?」


 同化した地面が、地下から近づく何かを感知した。

 大きく、速く、土を退けるのではなく、すり抜けて上がってくる魔力の塊。

 明らかに生物ではないそれは、まるで灯りに向かう羽虫のように、私に向かって真っ直ぐ下から――――


「っ!?」


 巨大な口を開けて、呑み込もうと現れた。
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